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7月に授与…新作

 投稿者:玉本奈々  投稿日:2021年 6月 9日(水)07時44分40秒
返信・引用
  おはようございます。
皆様、多くのお祝いメッセージを、本当に有難うございました。今後も真摯に邁進致してまいります所存ですので、何卒よろしくお願い申し上げます。7月に授与となります旨、その折にまた、ご報告差し上げる所存です。

本日は、打ち合わせや契約など、夜まで慌ただしい一日になりそうです?アトリエ到着は夕方になりそうですが、それから画のセレクトに入ります。

新作の紹介をいたします。
Numberシリーズ
「44」刻
3F 2021
ミクストメディア

刻…今後も自分の歩幅で、関わり合う多くの方々と共に、時を刻んでまいりたく存じます。

https://ntmint.jakou.com/

 
 

東久邇宮記念賞、文化褒賞、平和賞の3部門トリプル受賞となりました

 投稿者:玉本奈々  投稿日:2021年 6月 7日(月)08時49分24秒
返信・引用
  おはようございます。
4月に推挙の旨を幹事長さんよりご連絡頂いておりましたが、正式に東久邇宮平和賞受賞決定のお知らせを、書面にて頂戴致しました。

このようなご時世に、私が賜ることに些少の躊躇もございましたが、美術関係者の方々の、美術界の活気に繋がるというお言葉を後押しに、賜ることに心を向けました。

平和賞は、東久邇宮記念賞ならびに東久邇宮文化褒賞の両賞を受賞なされた方のみが推挙対象となり、受賞規約に基づき、審議会にて決定されます。
今回、記念賞、文化褒賞に引き続きまして、平和賞3部門のトリプル受賞となります。

7月に受賞式となります。その折にはしっかりとご報告致します。
慎んでお受けいたします。そして今後もおごることなく、精進、邁進して参ります旨、皆様方、何卒よろしくお願い申し上げます

https://ntmint.jakou.com/

 

移籍

 投稿者:玉本奈々  投稿日:2021年 6月 5日(土)06時39分12秒
返信・引用
  私ごとですが、近日、移籍いたします。

企画画商とのお付き合いをしはじめ、15年の年月が経ちますが、様々な画商があります中、やはり所属となりますと、しっかりとした信頼関係が必要ですね?

長いお付き合いになりそうです。
詳細は契約時に。
マネージャーとは、21年の交友がございます。海外の方です。

今後とも美術家、玉本奈々を、よろしくお願いいたします。

https://ntmint.jakou.com/

 

玉本奈々の作品について

 投稿者:京都国立近代美術館長 柳原正樹  投稿日:2021年 6月 4日(金)17時36分17秒
返信・引用
  I know this is a very rudimentary question, but why do painters paint to begin with?
I sometimes find myself wondering why for no particular reason
To express something, or to seek another masterpiece?
Or simply because they are painters.
I often wonder, but there seems to be no answer to my question, and then I stop wondering and always try to convince myself as if I found a satisfactory answer.

Paintings whose touch is just too flat, too light, too gentle, and too nice.
Such paintings can be seen everywhere now.
Some people might consider them modern, I wonder.
Looking at them, I feel nothing except that they somehow lack strength and leave something to be desired.
Or is it just me who feels this way?
And again, I start to wonder why painters paint or whether they have any necessity of painting.

I feel that it is Nana Tamamoto who has shown me one of the possible answers to this vague question of mine.
For Tamamoto, to paint is to live.
She must paint because that’s how she maintains the balance between her body and her spirit.
Should she stop painting, Tamamoto must stop living and soon become as if she were dead.

Heavy colors and forms.
Ugliness and passion.
It is the world of almost madness that defines her collection.
She cries out from the bottom of her soul, and I presume such cry itself takes its form as an artwork.  I would say there are few painters who reveal themselves with such intense passion and no hesitation, except for Tamamoto.
No one can tell how her energy will show itself in the future, but I do hope her work will raise the revolution in the current peace-addicted world of paintings.

Masaki YANAGIHARA
Director of the National Museum of Modern Art, Kyoto

https://ntmint.jakou.com/

 

(無題)

 投稿者:八巻 千尋  投稿日:2021年 6月 4日(金)16時54分58秒
返信・引用
  まことに初歩的な疑問なのだが、画家はなぜ絵を描くのだろうか。
この頃ふと思うのである。
何かを表現するために、あるいは次なる絵画を求めて。
そして画家なのだからと、あれこれ思いをめぐらすのだが、これといった答えもなく、曖昧なままにしながら、なんとなく納得している。

ただ、薄く、軽く、ぼんやりと、小綺麗に。
そんな絵画が目に付くようになった。
それが今風ということなのだろうか。
見る側にとると、どこか稀薄で物足りなさだけが残るのである。
こんなことを思うのは私だけなのだろうか。
そして、画家は描くことの必然性をどこに定めているのかという疑問がまたわいてくる。

そんな漠とした疑問に、なんとなくではあるが、ひとつの答えを示してくれたのが玉本奈々のような気がしている。
玉本の場合、描くということは、生きるということに直結している。
自身の肉体と精神のバランスを保つために、描かなければならないのである。
もし、描くということを止めたとき、玉本は廃人へと旅立つにちがいない。

毒々しい色彩と形態。
醜さと情念。
一種狂気にも似た世界が作品を支配する。
玉本の魂の叫びがそのまま噴出したものなのだろうが、これほどまでにあからさまに自身をさらけ出す画家も稀であろう。
このエネルギーがどのような方向に進むのかは定かではないが、平和ボケした今の絵画の一石となることを願う。

京都国立近代美術館長
柳原 正樹

画像は「未練」

https://ntmint.jakou.com/

 

人間の内と外を見つめて

 投稿者:八巻 千尋  投稿日:2021年 5月26日(水)11時25分0秒
返信・引用
  人間の内と外を見つめて

日々の生活で出会うさまざまなこと。
存在を感じていても過ぎ去っていくもの。
なくさないように、忘れないように、しっかりと目をこらす。

-当たり前のことを見つめ直す

こちらを見つめる顔、ひたと見据えた目、有機的な質感。複雑に混ざり合う色合いが特徴的な玉本奈々さんの作品は、見る者に忘れがたい印象を残す。

富山県に生まれ育った玉本さんは幼い頃、「輪郭のあいまいな世界で、色だけに頼って生きていた」と言っても過言ではないほど、視力が弱かったという。だが、物心ついた時からそういう世界しか知らなかったため、それを不都合とも思わず日々を暮らしていた。中学生になると、視力は劇的に回復した。今まで当たり前だと思っていた世界ががらりと変わった時の衝撃は大きかった。その時のことを玉本さんはこう記憶している。「それまでぼやけた世界で生きていたから、世の中には人工的な直線のものがなんて多いんだろうとびっくりして、しばらくは気持ち悪かったです。あまりにも驚いたから、しばらくはまっすぐな建物の絵ばかり描いていました。」玉本さんの作品を貫く「当たり前のことをしっかりと見つめて受け止める」という姿勢は、それまでの価値観が逆転したこの時から生まれたのかもしれない。
「くっきりと見える世界」を手に入れ、今まで見ていた物事を再確認するかのように、夢中で絵を描いた。玉本さんはそこから絵の道に入っていくようになる。

高校に入学後は美術部に所属し、京都まで熱心に油絵を習いに通った。そのうちに油絵だけでは表現したものを表しきれないと感じ、テキスタイルなど異素材を組み合わせる手法へと変化していった。

就職して働き始めると、連日の激務と制作の両立に体が悲鳴を上げ始めた。それでも体からの警告を無視し続けた結果、限界を超えてある日突然倒れてしまった。病院に担ぎ込まれ、一刻を争うような状態になった時、意外なほど冷静な自分がいたという。「きっとこのまま自分は死ぬんだ。」 そう諦めて事態を受け入れようとした時に、玉本さんを思い留まらせるものがあった。

「母親が泣いていたんです。」会社を経営し、何事もテキパキとこなす母親を、しっかりした強い人と誰よりも尊敬していた玉本さん。「その強い人が、今、私を見て泣いている。この人を泣かせてはいけない、死んでは駄目だ」という強い一念が、玉本さんを病の淵から引き戻した。病に倒れた経験は、それまで意識していなかった自身の健康や家族の大切さを痛感するきっかけとなった。自分が幸せでないと、大好きな家族も幸せではない。作りたい気持ちがあっても、体を悪くすれば制作を続けることもできない。何が自分にとって大切なものかを考え、それからは仕事を辞めて制作に専念するようになった。無理せず自分の体と相談しながら制作するようになったこの頃から、本当に楽しみながら作品作りができるようになったという。

-内なるものに耳を傾けて

玉本さんがそれまでの人生で見聞きして累積されたものが結晶になるかのように、作品は色も形も大きさもタイトルまでも、何かに導かれるように頭の中に決まった形としてイメージされるという。 その自分から出てくるものに耳を傾けて、姿無きものを形にしていく。

「義務感や使命ではないけれど、作品に半強制的に作らされている感じかもしれません」との言葉通り、時には自分で制御が効かなくなるほど制作にのめり込むこともあるそうだ。重層的な質感の作品は、近付いてみると、ガーゼや羊毛、糸などが敷き詰められたり、詰め込まれたりしており、でこぼこと起伏に富んでいる。布目の質感と濃厚な色彩が織り成す世界は、私たちの住む日常を表しながら、どこか異世界を垣間見ているかのような感覚を与える。視力が弱かった頃、輪郭やディティールよりも色を頼りにしていたためか、特に色に対する思い入れは殊の外強い。しっくりくる色が見つからない時は、作品と向かい合って「どんな色になりたいのか」とひたすら問いかけ続ける。これだという色を見つけ出した時は、目の前が一気に開けるような感覚だという。

独特の雰囲気を持つ作品は敬遠されることも少なくないが、熱烈なファンもまた多い。静かな銀色の中にたたずむ赤が印象的な 『永眠』 という作品がある。祖母が亡くなった時、火葬されて消滅する肉体を残してあげたいという気持ちから制作した作品だ。その時は、悲しみではなく穏やかなあたたかい気持ちに満たされていたそうだ。展覧会で『永眠』を見たある来場者は「私はこんなにもきれいになくなることができるだろうか」と涙したという。

「同じ作品でも、展示会場が変わる度に表情が変わる。今度はどんな表情が見られるのか楽しみ」と各地の展覧会を熱心に訪ねる人、「俺と一緒だな」と作品の情景と自分とを重ね合わせる人など、さまざまな人が作品から自分へのメッセージを見つけ出す。

また、作品を所蔵する人は、居間に飾ったりするのではなく、秘密の宝物のように大事にしまい込んだり、自分だけしか見られないように寝室に飾ったりする人が多いという。まるで作品と自分だけの対話を楽しんでいるかのようだ。 このことについて玉本さんは 「大事にしてもらえるのは作品冥利に尽きますが、作家としては作品が大勢の方の目に触れる所に置いてもらえることも、また嬉しいことなんですけどね」と冗談交じりに笑う。

-向き合う事の大切さ

世の中には美しいものがたくさんあるが、汚いもの、目をそらしたくなるものもたくさんある。「あからさまでなくとも、ぼかしてはいけないと思うんです。」認めたくないがために気付かないふりをしていたもの、あまりにも些細で見逃していたこと、玉本さんはそういったもの一つ一つを丹念に見つめて作品にする。どの作品にも共通しているのは、人間への真摯なまなざしだ。感情、肉体、生きる事の素晴しさと醜さ、死。全てを含めて、玉本さんは人間が一番面白いと語る。

『証』はなくしたらいけないもの、『カイコ』は命をかけて吐き出したものが、美しいものとして尊ばれること。作品に込められたメッセージを自分に当てはめてみると、何か思い当たるものがあるのではないだろうか。

「今後作る作品は、タイトルも内容ももう決まっているんです」と玉本さんは語ってくれた。次は私たちにどのようなことを気付かせてくれるのか。早く形になりたいと願うイメージたちにせがまれて、玉本さんは制作を続ける。

株)染織と生活社 編集部
八巻 千尋

https://ntmint.jakou.com/

 

玉本奈々 成るべくして成った人 小吹隆文

 投稿者:小吹隆文  投稿日:2021年 5月18日(火)09時32分36秒
返信・引用
  玉本奈々 ― 成るべくして成った人

私はとりわけ運命論者ではないが、世の中にはその仕事に就くべく定められた人がいると思っている。スポーツのトップアスリートはその典型だし、役者や歌手、職人にもそんな人がいる。経営者や政治家の中にも、人の上に立つべくして立った人がいるはずだ。

もちろん彼らは漫然とその地位を得たのではない。人の何倍も修練を積んだ結果である。だが、世の中には同じ努力を重ねても報われない人の方が圧倒的に多いのだから、やはりそれは運命であり使命なのだろう。

玉本奈々は、美術家に成るべくして成った人だ。

幼い頃目が悪く、ほとんど物の輪郭が分からない色彩だけの世界で過ごしたこと。中学生の時に奇跡的に視力が回復し、世の中に直線が多いことに驚いて夢中で絵を描いたこと。高校時代、週末毎に地元の富山から京都に通って絵の勉強をしたこと。就職後、オーバーワークで体調を崩し、死線をさまよった後に美術家への道を確信したこと。様々な経験が現在の彼女を形成している。

作品は、板などの上に布や糸を貼り付けて作った凸凹な面の上に、鮮烈な色彩を塗り重ねて作られている。毒々しいまでの色彩は人の血や肉を思わせ、画面を覆う目や顔、繭玉のような突起、細胞のような形態は、我々の精神の奥底にある名状し難い感情を呼び覚ます。人間の表と裏、美と醜、生と死、様々な感情が撹拌され、一つの画面に昇華されるのだ。その姿はまるで混沌とした宇宙、或いは全てを包み込む慈愛が具現化したかのようでもある。

また、非常に個性的な作風ゆえ、作品を見た人の中には深い感動を憶える人と拒絶反応を見せる人がいるそうだ。そういう点で彼女の作品を一種の劇薬と見ることも出来るかもしれない。

ほどよく小ぎれいで理論武装され、流行への目配せも抜かりない。そんな作品が幅を利かせる現在のアート業界で、美術家に成るべくして成った人=玉本奈々の表現は明らかに規格外だ。しかし、優れた芸術作品が持つ普遍的な力を宿しているのは果たしてどちらだろう。

その答は観客である皆様自身でご判断いただきたい。

偏見を排し、まっさらな精神で作品と対峙すれば、自ずと結論は導き出されるはずだ。

美術ライター
小吹隆文

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玉本奈々の作品について

 投稿者:玉本奈々の作品について 富山県立美術館 麻生恵子  投稿日:2021年 5月 5日(水)07時15分4秒
返信・引用
  玉本奈々の作品について

玉本奈々の作品をみていると、人の存在を強く感じる。もちろん、作品は、人が生み出すものだから、多くは作家の人間性が現れる。
あるいは作家のテーマそのものが“人間 ”という場合もある。玉本もテーマは“人間 ”である。ときにユーモラスに、ときに重く、人間の内面を映し出した作品を作る。

例えば、「永眠」(2001年制作)は、 玉本が祖母の死を悼み、一気に描いた作品だ。輝くような銀色の中に、鮮やかな赤い形態がぽっと浮かんでいるように描かれている。よくみると、大きさも色もさまざまな布や羊毛、ガーゼなどが縫い付けられ、油彩やアクリル絵具で着色されている。 完全な抽象というより、具体的な何か-人の細胞、宇宙の元素、あるいは魂のようなものを描いているようにみえる。

色も、形も、技術も、全てが至妙というわけではない。 むしろ激しく自己の内面を剥き出したようにみえるもの あるいは素朴さを感じるものも多い。しかし、そうしたものを感じさせる、いびつな形や毒々しいほどの色、独特のマチエール一つひとつが 眼を通し、心に入ってくると、結晶のように澄み、重なり合う命のざわめきのように感じられる。

玉本は美術大学を卒業後、アパレルメーカーでの勤務を経て、2000年から本格的に制作活動を始めた。 病気が原因での転機だったが、自分を見つめ、生を見つめ、作品に向かうことになった。作品数は決して多い方ではない。 しかし、「ニョ体」、「み」、「くされ縁」、「迷宮」、「慈悲」、「私欲」、「情」など、自身の病気や家族への想い、生への執着と、一点ごとに異なる、彼女の中の意味、必然性があって生まれている。

現代の日本において、“人間 ” を直視し、自己の表現を貫こうとしている作家は珍しい。なぜなら、私たちのまわりには、多くのものがあふれている。全てが選択肢となって、私たちを取り囲んでいるように思える。心地よいもの、楽しいもの、かっこいいものが、今にも手に入るような気がして、手を伸ばす。けれども、本当に必要なものは何か、と問われて、大切なもの一つひとつと純粋に向き合うことができるだろうか。選択肢ではなく、拒絶ではなく、真っ向から、人間を、自分を、直視することができるだろうか。

玉本の作品には、伝えたい何かがある。それは、誰もが夢想し、欲にかられ、固執する現実の中で、自身と向き合い、自らの中から削りだすように生み出したものだ。それが、この時代において、稀有な魅力として、人をとらえるのだと思う。

今回の展覧会は、江戸、明治時代の遺構を残した豪農の館(内山邸)・薬種商の館(金岡邸)を会場にして行われる。祖母の家が大きな農家だったこともあり、日本の古い民家に人の営みやつながりを感じる玉本の強い意向から、実現することとなった。

この会場に展示される新作の「心眼」と「千里眼」とは、眼には見えない何かを見通すことの出来る眼のことである。二つの異なるまなこを見開き、玉本は何を見ようとしているのだろうか。「大切なのは、濁らないこと」と玉本は言う。作品も、人も、世界も、大きなつながりの中で、澄んだ眼で、とらえようとする玉本の試みに注目したいと思う。

富山県立美術館 学芸員
麻生 恵子

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Works of Nana TAMAMOTO

 投稿者:Works of Nana TAMAMOTO Keiko A  投稿日:2021年 5月 5日(水)07時10分33秒
返信・引用
  Works of Nana TAMAMOTO

Facing works of Nana Tamamoto, what I sense vividly is the existence of something deeply human.  Of course, artworks are the result of human creation, so there is no wonder many artworks reflect humanity of artists.  In some cases, the theme of the work itself is simply “human.”  Tamamoto is no exception: she depicts “human” in her works.  They always reflect the inner world of human beings, sometime with a sense of humor, and some other time, with seriousness.

Take a look at “The Eternal Sleep” of 2001.  This is the work Tamamoto painted at a brush to mourn over the loss of her grandmother.  Something in a bright red shape is painted as if it was floating in the sparkling silver.  Looking at it very carefully, you’ll see fabrics, sheep wool, and gauzes in various forms and colors sewn on the painting, and colored with oil and acrylic paints.  To me, it seems that it’s more of a painting depicting something specific such as a cell of a human being, an element of the universe, or soul of a human, than a painting depicting something completely abstract.

Talking about colors, forms, or her artistic skills, not everything is perfect.  Rather, some of her works give us the impression that she is showing her inner world so passionately.  Others may look somewhat unsophisticated.  However, though they evoke such impressions, once those awkward shapes, heavy-looking colors, and unique textures touch our heart through our eyes, we will begin to find each one of them so clear as crystals, and to feel our heart resonate with those images.

After graduating from university of art and design, she had worked for a clothing company for a few years.  Then in 2000, Tamamoto began her career as an artist, and since then she has focused on creating her artworks.  It was her losing health that changed the course of her life, and this experience made her look deep inside of herself, try to realize what life means, and express herself through her creation.  She hasn’t created many works so far.  Each work, however, was born because it had to, and the reason to be born was different in each case.  Works such as “Woman Body,” “Body,” “Inseparable,” “Labyrinth,” “Compassion,” “Selfishness,” and “Affection” are good example.  Each of them reflects various emotions inside of Tamamoto, such as her feelings for her illness, her love toward her own family, and her strong attachment to life.

In Japan today, it has become difficult to find artists who are trying to face what a “human being” is and to stick to their own style to express themselves.  I think it’s because we can get everything we want in this modern world.  It seems we can choose whatever we want since the world is full of choices.  We even think we can easily get what looks nice, fun, or cool, and try to grab them.  However, being asked about what we really need, can we sincerely face each of the things we consider truly precious?  Can we face human nature, or face ourselves, without turning our eyes away?  Can we really do so without feeling obligated, or refusing to do so?

Tamamoto’s works have their own voices.  She has found such voices in the process of facing and cutting deep inside of herself, while living in this reality where everyone fantasizes, acts by greed, and clings to many things.  In this modern world, we hear her voice through her artworks, and find something really rare and precious in them.

Two old Japanese houses have been chosen to be the venues of this exhibition: “the House of Uchiyama,” which used to be a farmhouse of a wealthy farmer, and “the House of Kanaoka,” which used to be a house of a pharmacist.  Both of them are remains from Edo and Meiji Period.  These venues have been chosen because Tamamoto expressed her strong intention to exhibit her collection at such old Japanese houses.  Being a great-granddaughter of an owner of a nice and big farmhouse, she feels the trace of human activities from such houses as well as a bond with them.

“Mind’s Eye” and “Clairvoyance,” both of which are latest works and will be exhibited at this exhibition, represent human eyes that can penetrate what is hidden and cannot be seen from our eyes.  What does Tamamoto try to see with her eyes different in shapes and colors wide open?  “Don’t let your eyes be clouded: that is important,” says Tamamoto.  Taking her words to my heart, I want to fix my eyes on the coming artworks of Tamamoto, who tries to see her works, human beings, and the world as something organically linked, with her unclouded eyes.

Keiko ASO
Curator, The Museum of Modern Art, Toyama

https://ntmint.jakou.com/

 

ナナのためのナナ(子守唄)和歌山県 田辺市立美術館 学芸員 三谷 渉

 投稿者:玉本奈々  投稿日:2021年 4月18日(日)21時53分33秒
返信・引用
  ナナのためのナナ(子守唄)

玉本さんの作品は 「描かれた」 ものというよりも 「作られた」 ものといえよう。(だから個展会場で?密閉?のような立体的な作品に接したときも、とても自然な制作の流れのように思えた。だがここでは壁に掛けられる玉本さんの主たる作品に限って記したいと思う。)玉本さんの作品は板の上に様々な布や糸が張り込められ、幾重にも色彩が重ねられて、具体的とも抽象的ともいえる形が浮かび上がっている。この形象にまといつく素材の質感と重層的な色彩を目で追ったとき、何か得体の知れない感覚がこみあげてくるのを感じた。多分それは得体はしれないが、確かに在る、有機的な運動をもった「生」を感じていたのではないかと思う。玉本さんの作品の奥にはそうした「生」の深淵とどこかで結びついている部分があるように思う。多分にそれは玉本さんの個人的な体験が根ざしているのだろう。

しかし、作品の表層にあるものは、けして生々しいものではない。間違っても自分の内面を乱暴に画面に投げつけたようなものなどではない。まるでおとぎ話か寓話の世界のような、架空の形、架空の色の園である。この、作品の深層から表層への転調こそ玉本さんの作品の魅力ではないかと思っている。そしてそこに介在する「作る」という行為にどうしても思いを馳せずにはいられない。

玉本さんの作品の制作にはたいへんな時間と労力が要されることは容易に察せられる。しかし、その行為、手作業の過程は、たとえ困難なものであったとしても、自身の内面を客観化し、慈しむような、 例えば自分自身の魂への子守唄をうたうかのような行為としてあったのではないかと思えてくるのだ。そうでなければ破綻をきたすことなく、あの手の込んだ、時には重い主題を扱う作品群を完成することができただろうか。もし完成できたとしても、その表層は自身の内面を拡大して形にした、とげとげしいものにすぎなかっただろうと思う。

玉本さんの作品は女性に人気があるのだと聞く。奈々(玉本)のための奈々(子守唄)が、それぞれのナナのためのナナ(子守唄)として聴こえ、響きあっているのではないだろうかと、想像をたくましくしている。

玉本さんの郷里、富山の長い年月を経た屋敷にて作品が公開されると聞いたとき、 何と良いゆりかごがあたえられたことかと思った。玉本さんの作品は人の「生」の営みの記憶がある場所にこそふさわしい。私には美しく響きあう唄が聴こえてくる。

和歌山県 田辺市立美術館 学芸員
三谷 渉
 

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