投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


美しい故郷

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2019年 2月 2日(土)17時47分52秒
   酒の席でだが、ある友人に「あんた日本人だろう!」と少し詰る口調で言われたことがある。私が「自分の故郷がどこか分からない」と言ったときである。生まれは長崎、育ちは満州、原籍広島、現住所松山の私は、正直自分でも何処を故郷と言ってよいか分からないときがある。日本で作った住民票は全てを紹介すると、紙数が尽きるが、思い出すままに二〇カ所は下らない。定年後の中国も四半世紀になると、延べだが九回居留証を作っている。
 昔、内蒙古を旅して、あるホテルのロビーで錦帯橋と桜の壁画を見て感動したことがある。私はたった今、草と地平線しかないゴビの大地に感動したばかりだったから、感動は更に新鮮だった。豊か水と瑞々しい自然と桜は、この地の人達にとって憧憬の象徴的風景なのだ。然し当然ながら。この地に生きる人達にとって、捨てられない自然と美は、この荒れた大地である。
 故郷は何処と迷う浮き草の
 友と別れてまたも旅行く
 「美しい日本」を主張するとき、それぞれの国の人達の「美しい故郷」を愛する心情も理解したい。
 二つの母国を持つ渡り鳥の感傷だろうか。

http://www.ken-san.jp

 

撤退記

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2019年 1月12日(土)23時44分28秒
編集済
    昨年末で、長期滞在ビザが切れ、今回もMビザ一年マルチ(貿易ビザ有効一年最長滞在三ヶ月)を申請したのだが、諸般の事情で認可されなかった。
 貿易商というのは、一応「愛遼商事」という会社を登記しているから、まんざらうそではないのだが、才覚が無くて一銭も稼いだことが無いから、ペーパーカンパニーとみなされてもやむを得ない。実際は、日本語を教えたり、囲碁や尺八を教えたりして暮らしている。しかし報酬を貰うには就業ビザが要る。学歴と年令の関係で、そのビザは申請資格すら無い。だから無報酬で謝礼の範囲内で暮らして、自転車旅行などしてきた。それは望むところでもあった。
思えば我が家は、祖父が相場に失敗して破産し、中国へ夜逃げして以来、父の代、私となんらかの形で中国と関わって生きてきた。
 最初に祖父が遼寧省開原で診療所を開いたのが、大正八年。奇しくも今年は100年になる。満州育ちの父は、王道楽土の国「満州」に建国の夢をかけて破れる。夜逃げの大正、亡国の昭和、失業の平成。私も、ここに骨を埋める青山の夢は破れたが、しょぼくれ男の三代記は書けそうだ。撤退にあたっての覚悟の弁。

http://www.ken-san.jp

 

社会

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2019年 1月 8日(火)15時49分32秒
   私は昭和10年生まれ。小学4年のとき戦後満州で小学校は閉鎖され、小学校も満足に卒業していない。
 昭和22年四月。学制改革のスタート間もない新制中学「日僑浮子弟小中学校」(日本捕虜子弟の学校)に入学した。
 ここで学んだ新設学科「社会科」は分かりにくい学科だった。これまで社会主義は危険思想であり、「社会」と言う言葉を口にすることすら、ためらわれていたから。
 最初に学んだのは、「人間は二人居たら社会です」だった。それでもなお分からなかったが、今思うに人間は不完全だから、互いに協力して生きるということだろうか。英語には、名詞にも人称代名詞にも複数形がるが、日本語には無い。中国語にも無い。
 中国には本来「社会」という言葉すら無かった。日本からの「外来中国語」である。
 社会主義国家中国に社会が無いというのは、皮肉のようだが、私の意見ではない。林語堂著(ノーベル文学賞候補にもなった)中国人が書いた「中国人」という書の中の一節である。
 中国は、不完全な人間同士の協力より、強力な独裁者を選んだ。結論は私見。

http://www.ken-san.jp

 

新しい世代の年頭に思う

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2019年 1月 1日(火)01時37分1秒
編集済
   久し振りで日本の紅白を見た。素晴らしかった。
 平成は、後の世の人から見て、江戸時代の元禄に当たる日本文化の熟爛期ではないだろうか。
 不吉な言い方はしたくないのだが、憲法改正の動きとその背景を見ていると、まだまだ歴史は繰り返しそうな不安を抱く。

 私は、勿論憲法改正には反対だ。しかし世界の動きは、改正論者に抗しきれないうねりがある。
 戦争は、人類が弓矢を手にして、自然界の食物連鎖の頂点に立ったときからの宿命だろうか。
 文明は、宗教を育んだがその宗教が、争いの種になっている。それは宗教本来の願いと違うはずだ。
 文明が生んだ科学も戦争の前には無力だ。むしろ戦争への協力者だ。
 人類を豊かにした経済は、同時に人類社会の矛盾も拡大した。それが一番大きな戦争のエネルギーになっている。

 音楽を含めて、芸術は心と直結している。これは平和の味方だと信頼したい。

 素朴に平和を願う者は、素朴に神仏に帰依しよう。素朴に芸術を愛そう。
 嗚呼!何処の国の権力者も素朴に信頼出来ないのが、悲しい。


 

http://www.ken-san.jp

 

天皇制

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年12月25日(火)11時39分33秒
   今日は、平成最後の天皇記念日だった。
 仮に赤を左翼。青を右翼として私をリトマス試験紙にかけるなら、戦争と侵略に対する歴史認識に関しては、限りなく赤に近い左翼である。しかし天皇制に限るなら、赤青中間の紫色に変わる。
 この人を守る為に、多くの血が流された。満州の血も同じだ。その意味では沖縄の人が、皇太子に投げた火焔瓶は理解できる。
 しかし、天皇を「現人神」として祭り上げ侵略戦争に邁進した人達は、戦後「象徴」として平和日本を作った。皇室という理想的民族保存室の中で、幾世代にもかけて交配されてきた皇族という「種」は、理想的なペットとして、国民に癒やしの存在を果たしている。
 話は変わるが、前日のテレビ番組で、アマゾンの先住民の最後の一人が、報道されていた。数百万年連綿と続いた、民族の歴史が、僅か数百年の近代史の中で断絶した。
 畏れ多いことだが、万世一系二六八〇年の歴史を持つ我が皇室がいつまで続くか。
 正直、畏れ多くも「天皇陛下」は私にとって、恐ろしい存在である。「天皇陛下万歳」と叫んで死ぬことだけ教えられた、少年の日のトラウマはまだ抜け切れていない。
 どうぞ「陛下」いつまでもお元気で、平和の「象徴」であって下さい。

http://www.ken-san.jp

 

未練の撤退

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年12月20日(木)10時03分10秒
  未練の退却宣言 2018年12月20日

 渡り鳥生活も早いもので、三年を過ぎました。
 今回Mビザ1年マルチを更新しようと思ったのですが、中国政府の認可が下りませんでした。

 私は、留学ビザも就業ビザも、長期のビザは年令の関係で出ません。
 これまでのように、貿易ビザで招聘書を書いて貰うにも、個人では駄目になったのです。
 もし、私のこれまでの経験を「利用出来る」と、使って下さる企業が日本側にあれば有り難いのです。

 993年以来、日本語教育、囲碁、尺八、自転車、書道などを通じで各界の広い交流には自信があります。
 体も、血圧、血液検査全て正常です。
 体力も松山から東京くらいなら自転車で行けます。
 そうは言っても、国を跨いでの二重生活は、経済的肉体的に少し負担になっています。
 無ければ潔く撤退します。

http://www.ken-san.jp

 

人間の臭い

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年12月16日(日)23時45分6秒
   先日瀋陽まで、甥が訪ねてきてくれた。肉親の気安さで開口一番「伯父さん臭いよ!風呂いつ入った?」と言う。
 このところ、ある行事に没頭していて、暫く風呂に入っていない。没頭する位だから、お陰で体は元気だ。これは人間の元気臭。
 話は変わるが、昔田舎で電話の自動化工事をしていて、終わったら年配のご婦人が「電話が不便になった」と、しみじみ言われる。このご婦人にとって、今まで交換手に名前を告げるだけで繋がっていた電話が、ダイヤルを間違いなく掛けるという、煩雑さが増えた。
 最近自動応答サービスというのが流行っている。延々と数字を追いかけさせられて、挙句「ただ今電話が混みあっています」と追い払われる。不思議なサービスだ。もう取引が終わったお客は邪魔なのだ。次の大事な客というのを忘れている。
 不思議と言えば、久しぶりで帰国した日本で耳にしたのは、コストカッターという合理化だった。ここでも人間臭は嫌われているらしい。「万骨枯らして、一将の功を求める」のが、経営か?
 人間は切られる存在か。人間の生理臭は、ある意味、元気の象徴。テリトリーの主張だ。
 人間は生きている。生きている人間は生活臭をもっている。それをコストと言うなら、人間の否定だ。

http://www.ken-san.jp

 

ミャンマーショック

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年11月15日(木)18時14分30秒
編集済
   ミャンマーは地形的に、中国とインドの間に位置し、社会主義勢力、自由主義勢力の結び目で双方の綱引きの影響を受けている。
 最近は中国の一帯一路の進出が目覚ましく、中国語が通用する場所が多い。
 エトランゼがたった一週間の滞在では、平和しか目に見えないが、緊張はあるはずだ。
 国境を接する国が五つ。民族数は大別して八つ、細かく分けたら135あると言われ、それぞれに固有の文化を持っている。英国の植民地時代の分裂支配が、負の遺産になっていて更に問題を複雑にしている。
 そんな中で、アウンサンスーチーさんは難しい舵取りをしている。
 人類のユートピアが、いつまでも続くことに期待する。

http://www.ken-san.jp

 

作られた偶像

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年11月14日(水)15時58分55秒
編集済
   「落ちた偶像」。というより作られた偶像。
 もっと言うなら、利用された偶像。
 大英帝国の植民地の歴史の中で翻弄された民族問題。

 アウンサンスーチーさんは、誰のためでもない。まして自分の名誉の為ではない。
 ひたすらビルマの為に、ぶれていない。周りが勝手に偶像に仕立てたり落としたりしているだけだ。


 

http://www.ken-san.jp

 

Re,ミャンマー旅行

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年11月13日(火)21時20分39秒
  読ませてもらいました。

平和しかない世界
 ここに富はない
 瞑想しかない世界
 ここに争いはない
と、けんさんが書かれた状況をナントナク理解できた感じです。

でも、やはり少数民族の方たちは、アウンサンスーチーさんに大きく失望したようですね。
彼女は「時間がかかるのだ」と弁解しているようですが・・・。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

ミャンマー旅行第八日

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年11月 8日(木)19時19分59秒
編集済
   2018年11月6日
 実はミャンマーも、外国人の泊まれるホテルは制限されている。
 昨夜の「地獄で仏」さんが、手配してくれたので、一般旅館に安く泊まれた。日本円でミャンマー円10000円。日本円で1000円弱のはずだ。
 中国語が使えるというのも有り難い。私のおしゃべりの相手をしてくれた、宿の主人の父親という人は、私と同年配。雲南省の人だそうだ。年一回中国に帰るという。景気を聞いたら、眉を顰めた。
 空港には早めに行って、「地獄で仏」さんの喫茶店で、コーヒーをご馳走になる。
 空港の責任者という方が同席してくれて、彼女と二人で手荷物検査、チェックイン出国検査、搭乗口まで同行してくれた。

 搭乗口に、昨日の日本語の話せる職員がいた。
 彼「どうしても貴方の名前が見つかりませんでした」
 私「最後まで貴方を待ったのだよ」
 とは言ったが、元々はこちらのミスだ。このミャンマーの誠実そうな若者をこれ以上苦しめる言葉は言わなかった。
 因みに、R1さんが新たに手配してくれた切符は、マンダレー昆明1500元。昆明瀋陽500元。計2000元。元の切符は瀋陽マンダレイー往復で、1700元。
 国際便の片道当日買いという最も高い買い方になった。R1さんは新しく買った分の代金は要らないと言うが。そうもいかない。
 「間違った人に弁償させる」と言うから、それだけは絶対にしてくれるなと言った。頼まれた人は好意でしてくれたのだ。確認は私の責任だ。

 瀋陽は、立冬。夏から冬へ。いつもはタクシーで人民円150元(日本円3000円弱)ほど使うのだが、今回は節約した、ケチケチと路面電車と地下鉄を乗り継いで(2元+4元=6元)。
 倹約する気になったのが、収穫か。
 良い習慣が付いたら、2000元くらいはすぐ戻る。災い転じて福となせ。

http://www.ken-san.jp

 

ミャンマー旅行第七日

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年11月 6日(火)08時01分40秒
編集済
    2018年11月5日

  Oさんは、午前の便。私は夜の便。
 ここはWiFiが使える。Oさんを送り出した後久し振りでパソコンに向かい、これまでの整理をする。一週間分の日記をまとめて付けるようなハードな作業を異国のホテルですること自体修業だ。

 右の脳はまだましだが、左の脳が極端に退化していて、数字は全然覚えていない。
 四日分なんとか、ブログへ乗せたところで、タクシーの迎えが来た。
 飛行機は21時20分。現地時間18時空港着。これは切符のトラブルを恐れて早く着いたものだ。ところが、マンダレー空港はチェックインカウンターそのものに、二時間半前まで入れてくれない。手荷物検査が先なのだ。手荷物検査を終え、もたもたと行列に並び、やっと窓口に辿りついたときは、20時前だった。

 「パスポート通りの名前がありません。Eチケットのコピーを見せて下さい」と言うが無い。購入のとき、日本語名のローマ字で書くべきところをミスで、中国語のピンインで入れたしまったこと。しかし来るときは、これで四川航空で発券して貰いここまで来た。とその切符を見せたら、「分かりました」という。

 まだこのとき、私はシナリオが最悪に進んでいることを知らない。
 日本語が分かりますという職員が対応してくれた。暫くして何処かへ行ってしまった。
 なかなか戻ってこないから責任者風の職員に尋ねたら、笑顔でもう少し待って下さいという。
  椅子を勧めてくれて只もう少し待って下さいと英語で言う。

 最終のゲートが閉まったとき、最終宣告がされた。結局私は乗れなかった。
 責任者に言う。
「元々はこちらのミスだ。それは認める。しかし待てというから待った。もう少し早く言ってくれたら、私も方法があったかもしれない」
その点についてはお詫びします。と言うが私は途方に暮れるしか無かった。
今思って腹が立つのは、この責任者は中国人だったのだ。少なくとも中国語はペラペラだった。それを英語で私を煙りに巻いていたのだ。この中国向けの国際空港の窓口で中国語が話せる職員が居ないはずがない。

  R1さんに電話するが、彼女もどうしようもない。
空港で喫茶店を経営しているという中国人の女性が立ち寄って来た。
「とにかく今日はマンダレーのホテルへ泊まって下さい。ホテルとタクシーは手配します。明日の切符はホテルで買うように手配しましょう」と、言ってくれた。地獄で仏。

  実はこの便が最終便で、マンダレー空港は空港そのものが閉鎖されてしまう。それしかない。
  思えば自転車の一人旅でのトラブルはこんなものではない。まあ生きているだけ儲けものと思うことにしよう。

  今現地時間の11月6日朝4時。所在なさと悶々とした気持ちで、これを書いている。これ以上のトラブルが無いことを祈りながら。
  幸いここもWiFiは使える。

http://www.ken-san.jp

 

ミャンマー旅行第六日

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年11月 6日(火)07時25分31秒
編集済
   2018年11月4日
 午前中、マンダレーの古城を外から眺める。周囲二キロから三キロ四方。そとから見た保存状態は良い。7世紀元に滅ぼされ、19世紀英国に支配され、ここの歴史も暗い物を多く背負っている。
 たった数日滞在した外国人が、ミャンマーの一面だけ見てここをユートピアのように語るのは、危険かもしれない。
 しかしここは、平和だ。静かだ。四国山脈の山村のような山林僧院には、失われた日本の原点を見る。

 平和しかない世界
 ここに富はない
 瞑想しかない世界
 ここに争いはない

 色即是空。欲は諸悪の根源か?20世紀21世紀。物質文明の恩恵をもろに受けて、歓楽を肯定的に生きてきた凡人の人生。

 瞑想にふける僧
 御仏に使える僧
 彼らは富を生まない
 戦争にあけくれる軍隊
 彼らも富を生まない
 否、壊すことと殺すことが、武力の使命だ。
 彼らは誰に仕えている?
 国民のためという美名の下で
 一握りの富を持つ者、それを守る権力者の代弁者になっていないか。

 平和が欲しい。欲と富と矛盾しない平和。そんな平和が欲しい。

 翡翠の塔に行った。八面20メートルほどの塔が全て翡翠で作られている。
 門前は、玉の土産物で市をなしている。100軒以上200軒近くある。
 R1さんとR2さんは瀋陽の中街でこの種の商品を扱っている専門家だ。
 厳しい目、何度も選び直し10個程の腕輪を買い求めた。厳しい値切りと共に。
 やはり安いと言う。玉石混淆。質の低い玉の存在は分かるが、玉の偽物があると聞いて驚いた。その技術に敬服する。

 雑踏の中に野犬が数匹いる。ミャンマーは犬も猫も全部放し飼いだ。皆大人しい。
 向こうから人を襲うことは絶対にないが、寝そべっているのをうっかり踏みつけないか用心が要る。
 実は老眼鏡を無くして、不便なのでスーパーで臨時的に買い求めた。年齢だけ言って買ったのだが、当面使える。中国元で100元。日本円1600円位か。

http://www.ken-san.jp

 

ミャンマー旅行第五日

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年11月 6日(火)07時23分42秒
編集済
    2018年11月3日
  整正確な数字は忘れたが、二人部屋でミャンマー円30000円。大体人民元100元が20000ミャンマー円強。人民元100元が日本円約1600円。結局日本円で幾らになるのか?駄目だ!降参。計算能力0。最近はスマホで換金ツールがあるが、それもここでは使えない。短期滞在なので、SIM2に現地の電話番号で新カードを買ったのだが、すぐ料金オーバー。とにかく安い、二人で日本円3000円位だろう。おまけに清潔。十分に満足。
今日はマンダレー付近の観光地、美妙に行く。子供達も今日明日二日休暇を貰っている。同級生を含め四人。銘々の母親四人。それとXさん、Oさん、私。12人。マイクロバス一台を借り切って、行った。
マイクロバスのラジオから流れる軽音楽をD君が止めるように求める。歌舞音曲は戒律に触れるのだ。
先日「ここで暮らしませんか」というこちらの僧侶のお勧めの話に少し迷っていたのだが、戒律のハードルはやはり高い。酒駄目、コーヒー駄目、音楽駄目、囲碁駄目。酒とコーヒーは我慢できるかもしれないが、尺八と囲碁が出来ないのは辛い。
 子供達の遊びは、スマホのゲームとのこと。先日の学僧の家にも日本人出家の家にもパソコンはあった。WiFiは使えるからネット囲碁は出来る。調べ物もネットで出来る。
 しかし、病院の問題。いずれ必要な介護の問題。クリアしなくてはいけない問題がみな大きい。甘い気持ちでは駄目だ。それより、三年を迎えて中国生活を今後どうするか。こちらの方が当面する問題だ。
 実は、瀋陽師範大学から、松山の大学と姉妹校の提携をしたいのだが、紹介して貰えないかという話がある。帰ったらすぐ話しを伺い、今回一時帰国の間になんとかしたい。
 もしこの話がうまく行ったら、私は瀋陽師範大学で聴講生として中国語の勉強をお願いするつもりだ。瀋陽を根城にASEAN諸国を回ることにしよう。

 D君が風邪を引いた。日本から持ってきた風邪薬を上げたら、幸いよく効いたとのこと。

http://www.ken-san.jp

 

ミャンマー旅行第四日

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年11月 5日(月)16時04分38秒
編集済
    2018年11月2日
 この広いお寺の山村をタクシーで回るという予定は、R1さんから聞いていた。
 こんな山道を10000ミャンマー円(日本円400円くらい)でどんなタクシーが来るのかと思ったら、来た来た。すごいのが。軽トラックの三畳くらいの荷台に鉄柵を付け、つり革がぶら下がっている。私は自転車でお尻の皮を鍛えているからなんとなる。
 30分も走って着いた先は、谷一つ隔てた先に見えた、別荘風の建物だった。ここで上海から来ている尼僧に会って法話を聞くのが彼女たちの目的だった。
 女性群、R1さん。R2さん、Xさん、Qさん(D君、Z君の同級生の母親)四人。
 Xさんが茶道具一式を携帯してきているので、時ならぬ野点となった。
 尼僧(Sさんと呼ばせて貰う)は、元モデルだそうで、すらっとした美人である。
 勿論こちらからなにも聞かない。四人がそれぞれに悩みを語り、それにSさんが丁寧に答えている。私は勿論何もしゃべらないのだが、少し間が空いて私になんとなく振られたので、「私の祖母は、こういうことを(業)と言っていました」と言ったら、(業)について法話が始まった。
 「業」と言えば、私とR1さんの交わりがそもそも仏縁というか、「業」と言うか業の方が近い。R1さんは瀋陽の中街のいう繁華街で土産物を売っている。その隣の店で、私が硯を買ったとき、店に碁盤があったので席亭と一番打った。黙って三子置かしてねじ伏せたら、席亭、平身低頭して恐れ入ってくれた。R1さんとは偶然家が私のアパートと近かったこともあり、子供達に囲碁を教える交流が始まった。
 R1さんが、D君のことを「この子は8ヶ月のときから父親を知りません」と語ったのは、私から聞いたことではない。R2さんの家に招かれたとき、同席していた男性に、お世辞のつもりで、「Z君は貴方に 似て可愛いですね」と言ったら、「私達は夫婦と違います」と微苦笑された。彼女も離婚しているのだ。
 R1さんには、その後中国生活の細かい面で色々とお世話になっている。
 そして、色々昔話をして貰っている。それはまた彼女の「業」の話でもある。私が興味があるのは、建国から文革を経て改革開放までの、竹のカーテン時代である。
 「業」の話は只耳を傾けるだけ。気障な言葉で言わせて貰うなら「嘆きの壁」の壁役か。

 業を説く 尼僧の口に 薄い紅
 彼女自身が業を背負っている。

 午後、ミャンマー人で中国語が堪能な高僧を訪ねた。30才過ぎだろうか。法衣を脱いだら青年大学教授という風貌。ミャンマー語で書かれた経典を中国語に訳して、中国に紹介している。10畳ほどの一室は、四方の壁に色々な書物がぎっしりと整然と並べられている。
 そこに友人だろうか。中国人の僧が訪ねてこられた。私にここで暮らしませんかと熱心に勧めて下さる。本当にその気にさせられた。ここで生き仏として最高の位にある方が、数え84才とのこと。私と同年配だ。まさか生き仏待遇は望めないが、私がここで大事にされるのは、年の故かもしれない。

 そこを辞した後、日本から来ている出家の方が居ると伺ったので岡田さんと二人で尋ねた。
 住まっている僧坊は、六坪くらいの1LDK、平屋の一戸建ち。大きさそのものは、D君Z君がすんでいる家屋と同じ。二人で住んでいるのと一人で住んでいるだけの違いである。

 因みに家賃は只。食費も只。子供達の学費みたいなものも只。お布施で賄っているのだが、お布施は全くのお心任せ。参考まで私と岡田さんは、中国元で300元ずつ。日本円にして5000円ずつ寄付させて貰った。
 求められるのは発心だけ。参禅も強要されないが、それを目的で来ているのだから、皆さん参禅する。私達はそれをしなかった。次に経験しよう
 これも参考。昨日お邪魔したSさんの別荘は買い取りだそうで、12坪位の一戸建ちで、日本円約80万円。それに内装と家具を加えたら100万円位か?
 食費は只だから日本での諸費用格差を勘案したら、本気なら1年で償却できる。

 この日本の方は、仮にTさんと呼ばせて頂く。Tさん47才。出家して2年。千葉県出身。元弁護士。離婚を専門に扱っていたのだが、調停そのものは成功しても、どちらも幸せにはほど遠い結果になって、空しかったと言われる。実家は日蓮宗で、古代仏教に関心があり、それがこのお寺との縁だそうだ。独身で、弟が家を継いでいるのも出家の発心を容易にしたとのこと。
 本当に気さくに何でも話してくれるのだが、何か聞いていけないことを聞いたらいけないと私は恐れた。俗名は当然伺わない。発心の動機というのが、童話のような話。
 可愛がっていたペットの犬が亡くなり、深い悲しみの中で悲嘆にくれて瞑想したいたら、ある日俗に言う臨死体験のような、光の輪を見たと言われる。
 Tさんは心優しい人なのだ。

 最後、子供達の学校に行って、法典を教えている最高の学識僧に紹介して頂いた。
 生き仏と尊敬されている、最高僧はたまたま出張で不在ということだったが、この僧院の最高レベルの人達に謁見させて貰った。広い僧院内の散策かと思っていたが、R1さんがこれらの方々に会えるように手を回してくれていたのだ。あるいは私をだしに彼女達が高僧に会ったのか。もしそうなら私も相当な物だ。だしに使えるのだから。

 今晩から、近くのホテルに泊まる。少しゆっくり寝たい。
 幾人もの高僧に会い、一日が一年分にも感じる充実した一日だった。

http://www.ken-san.jp

 

ミャンマー旅行第三日

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年11月 5日(月)14時23分15秒
編集済
   第三日 2018年11月1日

 6時、恵法さんが迎えに来てくれた。昨夜問わず語りに話しただけだが、彼は雲南省西双版納出身。24才。ここで修業して一年になるという。ここでは俗名は使わないので、法名だけ伺ったが、若くして既に高僧の風格がある。細身で澄んだ眼差しは、修業の賜だろうか。
 彼は、明日は三時半起床。それからお勤め。真夜中というのに、親身に案内をしてくれる。
 老若男女全ての僧に共通するのは、柔和というか穏やかというか、自然に手を合わせたくなる。
 事実私達在家の者は、法衣を纏った僧とすれ違う度に両手を合わせる。少なくとも会釈をする。勿論誰の強制でもないし、戒律でもない。自然な行動である。

 朝5時50分。恵法さんが、迎えに来て下さった、食堂は、ウサギ道のような山道を辿って半キロほどあろうか。階段がある度に恵法さんが寄り添うように手を引いて下さる。
 食堂には、R1さんはじめ在家の女性達が奉仕していた。
 食事はバイキング形式。食事は大事な儀式だから色々と戒律がある。まず無言。食事の前後には、上座に向かって跪いて三拝。高僧、一般の出家修行僧、小僧、尼僧、男の在家、女の在家。皆席が定まっている。
 それと僧侶は、高僧、小僧、尼僧を問わず一日二食である。午後を過ぎたら、水以外は口に出来ない。だから僧侶は皆大きな托鉢の鉢に二食分よそおっている。
 食器を自分で洗うのもここでは修業のうち。
 肉食は制約がないようで、まあご馳走と言ってよい内容で種類も豊富。

 午後Oさんを迎えにマンダレー空港へ行く。
 Oさん70才。神戸で運送業を営んでいたが、今は家業はご子息兄弟に譲って、悠々自適。世界を旅している。私とは自転車仲間。北京~撫順はじめ撫順郊外など一緒に走った。私が錦州日本語学校の教師をしていたとき、その後を引き継いで下さったのも彼。その後氏はネパールで1年2ヶ月日本を教えておられる。
 以前瀋陽にも遊びに来て下さり、今回のD君、Z君にも一回会っている。
 軽い気持ちでお誘いしたら、二つ返事で承諾された。
 彼なら、自転車旅行で気心がしれている。何処でも寝れる。何でも食べれる。この二点が私達の最大の武器。ただ最近は年の差を感じる。彼と初めて会ったときは、私も77才だったがその後6年間の成長は、どうしようもない。今の彼はそのときより7才も若いのだ。
 お世話になろう。

http://www.ken-san.jp

 

ミャンマー旅行二日目

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年11月 5日(月)11時57分50秒
編集済
    2018年10月31日

  昆明は乗り継ぎの時間調整だけだから、特に用事はない。昆明からミャンマーマンダレーの便は翌日の21時25分発。
 それまで、ホテルで滞在するだけ。無駄な時間がたっぷりある最高に贅沢な旅だ。

 ここで同行の中国人二人について簡単に紹介させて頂く。
 R1さん、女性40才瀋陽で土産物屋と食堂を経営しているやり手。実は今回ミャンマー行く一番大きな目的は、彼女のご子息、D君11才と彼女の妹R2さんのご子息Z君9才に会うのが一番大きな目的である。この子達は昨年からミャンマーのあるお寺で出家修行をしている。それまで瀋陽で縁あって二人に囲碁を教えたことがあり、今でもお爺ちゃんと慕ってくれる。何故そんな縁が生まれたかは長くなるので、稿を改める。
 同行のXさん。撫順で茶席を経営している40才前後の女性。それ以上は知らない。私達全員に共通しているのは、仏教徒であること。とは言え私は経の一つも唱えられない生臭だが。

 さて二日目昆明の朝。朝食を済ませ宿へ帰る途中、Xさんが道端で野菊のような草花を摘んでいる。何の花か尋ねたら「野辺の草」ですと風流な返事をくれたが、実は名前は知らないとのこと。この花をコップに生けて、本職の茶道の師匠のお手前で中国流の茶席のおもてなしを受けた。彼女は茶道具一式を帯同してきている。
 それが終わると座禅、彼女がミャンマーへ行く目的は在家修行だ。私も一緒にベッドの上であぐらを組む。眠たくなった、本当に居眠りするまで瞑想を楽しんだ。

 昨日のこともあり、切符に不安があったので、早めに空港に行く。
 やはり早めに行って良かった。テェックインカウンターで「駄目」だと言う。「私どもで言えることは、正しい手続きで買い直して下さいということだけです。四川航空の会社の窓口が空港内にありますからそこで相談して下さい」という。
 四川航空窓口
 「切符の手配は出来るだけのことはしますが、これで出国管理が通るかどうかは責任が持てません」
 出国管理
 「ここでチェックするのは、切符の所持とパスポートの確認です。切符とパスポートの整合性の確認は、航空会社の範疇です。念の為カードを差し上げますからこれで特別通行口を通って下さい。」
 再びチェックインカウンターに戻って、最悪の場合一度キャンセルして買い戻すという奥の手を教えて貰った。差額三割負担になるが、それでも仕方ないと腹をくくったとき、四川航空から元の切符で発券したとの通知が来た。
 文字にするとこれだけだが、実はR1さん、勝手の分からない広い昆明空港をあちこち飛び回り、難しい折衝を繰り返してくれている。私は却って足手まといになるので、Xさんとチェックインカウンターの前の椅子で、幸運を待つだけ。
 Xさんが「吉人天祥」(良い人間は天が助けてくれる)と慰めてくれる。
 私が良い人間だったからとはとても言えないが、中国政府は最高の吉祥を授けてくれた。

 昆明発、21時25分発。マンダレー現地時間21時30分着。時差が一時間半だから、飛行時間一時間半で着いたのは、飛行機は地球の自転速度で飛んでいるのかな?
 マンダレーには、R2さんが借り上げのタクシーを手配してくれていた。
 真夜中だから方角ははっきりしないが、どうもマンダレー空港から北東に向かっているらしい。市内と逆方向なのか、密林を切り開いたような何も無い道の両側に、樹齢千年はたっぷりある大木が立ち並ぶ。
 郊外の山を登る感じで、自動車専用道路を時速80キロで約二時間半。着いた先は「Pa auk」。ミャンマーで最大のお寺。お寺という表現は適切でなく、広大な山林に僧坊、修業施設や事務所、在家修業施設などが点在した大きな山村である。
 特別な計らいで、子供達が使っている僧坊を利用を許されたのだが、夜12時のこの時間、周囲は戒律の中で静まりかえっている。この辺の居住区はこの時間女人禁制なので、R1さんとXさん女性二人は、何処かへ消えて、予めR2さんが頼んでいたのか中国語の話せる若い男性の修業僧が、説明役をしてくれた。
 6畳ほどの部屋にベッドが二つと便所。厨房。後で聞いたのだが、このベッドも私達の為にわざわざ用意してくれたので、普段は床にそのまま寝るのだそうだ。
 便所で野ねずみが出迎えてくれた。明日は6時に迎えに上がりますということで、とにかく寝るしかない。WiFi勿論無い、携帯も通じない。電気はある。
 静寂の中でミャンマー旅行二日目の目を閉じる。
 長い重たい一日だった。

http://www.ken-san.jp

 

Re: ミャンマー旅行第一日

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年10月31日(水)16時07分52秒
  ハハハ、
出発早々ハラハラドキドキさせられました。
先が思いやられますが、しっかりした友人が付いていらっしゃるようですから、きっとナントかなるのでしょう。

一路平安!

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

ミャンマー旅行第一日

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月31日(水)00時31分1秒
編集済
   2018年10月30日
 瀋陽3時発。昆明22時着。23時投宿。
 飛行機は徐州経由。徐州でえらい早く着いたなと、間違えて降りてしまい狼狽えた。
 同行の中国人の友人とは座席が離れていて、私は最前列だったから私一人で降りてしまったのだ。
 友人が気がついて降りてきてくれて、再び手荷物検査から受け直して最乗機。
 昆明は14年前に雲南旅行で一度来たことがある。
 瀋陽を出たときは、ダウンのコートで真冬の支度。ここは夜でもコートは要らない。明日は半袖のはずだ。
 宿は友人が予約してくれていたのだが、外国人は泊まれないという。
 身分証明書を求められたが勿論ない。
 幸い友人が身分証明書を二つ持っていて、それで帳尻を合わせて、パスポートは参考コピー。
 もう一つ、未然のトラブル。実は航空券を友人にパスポートのコピーを微信で送り、微信で購入してもらったのだが、そのとき名前の登録を中国漢字読みで登録してしまった。本来は日本語読みのローマ字表記である。瀋陽のチェックインカウンターでは、特別計らいで通してもらったが、「昆明から先は保証しない」と言われた。
 明日の昆明マンダレーの切符がこれで通るか?最悪の場合は昆明観光して帰るしかない。

http://www.ken-san.jp

 

一音千年

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月25日(木)20時04分20秒
   2018年10月20日、瀋陽で「一音千年」と銘打って、日中の尺八演奏家で交流会を開催した。日本からは、松山在住の大萩康喜さん。氏はNHK「にっぽんの芸能」でも紹介された新進気鋭の演奏家である。共演の張聴さんは、京在住。46才。国際大会にも何回か中国代表として出演している。中国尺八界の第一人者である。
 尺八は本来中国で生まれたが、約700年前日本に伝来しその後中国では途絶えた。今回はまさにその里帰りを祝福するという意味もある。
 幸い瀋陽在中日本総領事館はじめ、中国政府関係機関、日中企業有志の方々のご支援を頂き、文字通り盛会だった。
 16日、微信(日本LINEみたいなスマホメイア)で公開販売したのだが、若干の招待席を除きあっという間に完売。288の座席は満席、演奏会が終わったのは、夜9時だが、
その後も、記念撮影などで、帰らない観衆で熱気あふれた一夜だった。
 遼寧省博物館の定期雑誌の関係者の方が「空」と題してこの模様を紹介する現代詩を作って下さった。
 下記の即興の拙句はそのお礼を込めたものである。
 一音千年 感謝五句
 秋風や 千年の音 蘇り
 天高し 宙に木霊す 竹の音
 日中の 笛吹き交わす 秋の空
 天蒼蒼 一音千年 風涼し
 千年の 音を偲んで 里の秋

http://www.ken-san.jp

 

若い世代に期待

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月 8日(月)00時43分45秒
   最近は中国の地下鉄に乗るのが楽しみだ。若い人が競うように席を譲ってくれる。
 私も背筋を伸ばし、精一杯若く見せているのだが、やはり83才という年齢は隠せない。
 1993年、改革開放間もない中国北京で私は中国語を勉強していた。
 当時地下鉄は、あったが1号線と2号線だけ。ものすごい満員で、座席を譲る人など皆無。地下鉄に限らない。デパート、パス、郵便局、空港、列車。どこも長蛇の列。そこは力の世界。割り込みは常習化していた。
 やっと乗り込んだ列車も、指定券はあるのだが、別の人が座っている。言っても「私が先に座っている。お前は空いている席に座れ」と、無法地帯だった。
 これにつけて、思うのは尖閣問題である。
 日本の座席指定券は、中国の第一世代の指導者も認めた国際的に有効な物だ。この地に地下資源が発見されて、指定券に横槍を入れる人達が現れ、それに対し第二世代の指導者は、「棚上げ論」で解決を先送りにした。今や富国強兵の道をまっしぐらに歩む第三世代の指導者は、力で割り込んだ世代でもある。
 私達日本が知るべきことは、中国も心ある人達は冷静だということだ。そして庶民は冷淡だということだ。
 この問題は、豊かになって「譲る」ということを知った若い世代、第四世代の指導者に期待しよう。

http://www.ken-san.jp

 

わー嬉しい

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月 4日(木)17時30分15秒
   ヤンヤンさん。
 中国人も読んで下さっていたのですね。
 近く中国語のブログを作りたいと準備しています。
 私は今沈北、地下鉄師範大学の近くにアパートを借りて住んでいます。
 メールを下さったら、携帯番号、微信アドレスもご案内いたします。
 但し、微信は目下勉強中。あまり上手ではありません。
 今後共よろしく。

http://www.ken-san.jp

 

はじめまして

 投稿者:ヤンヤンメール  投稿日:2018年10月 2日(火)16時07分49秒
  瀋陽に在住する元日本留学生です。とても楽しくブログを拝見いたしました。更新楽しみにしています。  

オリンピック今昔

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 8月24日(金)13時15分8秒
編集済
   今から50年以上前、正確に言うと58年前、東京オリンピックを二年後に控え、日本の国道は、まだ「酷道」と呼ばれるガタガタ道だった。
 二桁の国道はまだ満足に開通していないある日、四国11号線を松山から高松まで車で行ったことがある。狭い山道は、離合の度に車が動かない。運転手が車から降りて弁当を広げる。これは冗談ではない。
 その後数年して、同じ道をマンホールの「蓋鳴り調査」で走ったことがある。蓋鳴りとは国道に敷設された長距離電話ケーブルのマンホールの蓋が、がたつきとき出す音のことである。
 当時まだ多くの長距離電話は針金の裸線で、市外通話は繋がらないかもしれないことを承諾の上で受け付けていた。
 公衆便所の整備も重要課題だった。公衆便所は「不潔」の代名詞だったから。
 特に東京駅がその面で大問題だった。
 成人式を迎える前、私はその東京駅で「金の卵」として仕事をしていた。「金の卵」とは底辺を支える若年労働者のことである。
 戦後生まれの「段階の世代」と呼ばれた人達もオリンピック後に登場し高度経済成長を支える。その人達もリタイアして久しい。
 このとき生まれた子供も、還暦を迎える。
 あの混乱の中から、「先進国」と呼ばれるようになったのだが、この60年間世界には、多くの戦乱があった。日本の平和に感謝する。

http://www.ken-san.jp

 

ゴミ今昔

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 8月21日(火)12時55分46秒
編集済
    ベンツの横で、人品卑しからぬ男性がごみ箱を漁っているのを見て、これが世界第二の経済大国の庶民の実像と、皮肉を込めて思っていた。
 今私がすんでいる所は、高層建築20棟ほどが立ち並ぶ中規模団地である。お隣のLさん夫婦は、お二人とも65才前後、ある工場の退職者である。
 毎朝「食事はすみましたか?」と昔ながらの挨拶を交わす仲だ。このお二人が毎日数回団地内の全てのごみ箱を、キャリーを引いて回っている。中国のごみ箱は、一応不燃物と生ごみの区別はあるが、実際はごちゃまぜに捨てている。その中から、僅かに換金可能な、ペットボトルや、段ボールなどを回収するのは、結果としてごみの弁別をしているのだ。
 綺麗に整理したごみ箱の横の畳三枚ほどの小さな空き地で、ネギや大根等を作っている。ある日奥さんが、土の香りがする葱を一束お裾分けして下さった。
 お二人は裕福ではないかもしれない。しかしこの明るさと優しさは、少なくとも心貧しい人の物ではない。
 それにつけても思い起すのは、昔旧満州の日本人住宅街に、中国人の女子供が群れを作ってごみ箱を漁りに来ていたことだ。旧満州はやはり植民地だったのだ。彼らは真に貧しかった。

http://www.ken-san.jp

 

水鳥から学ぶ

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 8月 1日(水)09時59分15秒
   二羽の水鳥が遭遇したとき、まず行うのは、自分の持っている一番高い姿勢を保つことだそうである。そのまま睨み合ったら戦闘開始だが、多くの場合、双方が僅かに目をそらす。それは、「私は貴方に関心があります。今認識しました」という友好のシグナルなのだ。
 私も40年の宮仕え、チビデブの体を必死に伸ばして生きてきた。水鳥と少し違ったのは、そのまま相手に食らい付いたことだ。
 先日ある会合の宴席で、「貴方は人徳が有る」と思いがけないお言葉を頂いた。「そうなんです、私には人徳しかありません」とひねくれた返事をするのだから、およそ人格とは程遠い。
 雀百まで、それが最近こんな嬉しい誤解を受けるのは、私が歳をとって腰が曲がったからだ。腰が低くなったのではない。生理的に腰が伸びなくなっただけだ。
 最近の大国外交を見ていると、この水鳥の世界を思う。まず威嚇して、鼻面で危機を回避する。
 しかしやはりこれは危険が。一度二度なら友好のシグナルかもしれないが、一触即発の危険が常にある。
 結論は飛躍する。「非武装中立」の普遍的な正しさを自然界から学んで立証できないか。
 21世紀が、人類に残す誇るべき哲学として。

http://www.ken-san.jp

 

独裁と庶民

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月21日(土)21時38分32秒
    習近平氏が、規約改正で三選可を採択したときのテレビ報道を見たときのこと。
 司法、行政、立法、それに軍事権を一手に握るその人が、議長席で採決の槌を振る。
 「反対者はいるか」と叫ぶが、誰も反対しない。すべて満場一致で、採択される。
 戦後初めて民主主義なるものを教わったときの話だが、満場一致になりそうなときは、それを避けるために、敢えて誰かが反対意見を述べると。そしてそれを孤立埋没させないために、誰かが「We support」と表明し最小の複数意見として記録すると。一見茶番のようだが、独裁を嫌う民主主義の儀式だ。
 100%の満場一致は科学的にあり得ない。しかし中国人は魔法使いだ。京劇の役者宜しく一瞬で、お面が変わる。かつて、国共内戦のグレーゾーンでは、庶民は二本の旗を持ち情勢の変化のその都度持ち替えていた。嘘か本当か、庶民は万一に備えて日の丸も捨ててなかったとか。
 

民の声

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月10日(火)10時42分18秒
   中国は、独裁国家です。歴代の独裁王朝も、もっとも恐れたのは、蝗と流言飛語でした。
 だから、為政者は「民の声」を吸い上げるのに腐心した。
 周王朝の「詩経」はそれに基を発し、現在は社会科学院の重要な任務の一つに庶民の本音の収集がある。日本人の庶民の本音もその一つの対象であり、ここでは比較的自由に私の見解を述べさせて貰っています。
 私は庶民が必ずしも正義の代弁者だとは思わない。しかしこの中に潜む小さな正義を正しく拾い上げるのが政治だと思っています。
 私は、「日中友好」の言葉を注意深く使いません。普遍的な友好は、この言葉を軽々しく使うときの思惑とは別に、もう少し高い次元にある。それは、もっとも低い庶民レベルの本音の中に存在する。ここには右も左も無い。
 一民の声「けんさん」の声が、中国当局に届き検閲が通ることを切に念願しています。
 

http://www.ken-san.jp

 

右翼左翼

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 9日(月)22時44分43秒
編集済
   尖閣列島に上陸して、日の丸を掲げる人達と、伊勢神宮に行って一緒に「天皇陛下万歳」を三唱するのですから、私も右翼に見えるかもしれない。
 然し私は左翼です。現体制へ批判的な考えも持っていますから。
 歴史認識だけが、右左の踏み絵ではない。
 私は、洋の東西を問わず、政治体制の如何を問わず、戦争に依存する経済体制そのものに批判的です。悲しいかな、中国の富の形成背景にも、「軍備」がある。富国強兵は資本主義国家以上にそれが貧富の格差を生んでいる。勿論「産軍共同体」の中で生きている私達にそれを非難する権利はない。
 今回中国で出版したいと準備している本は、オブラートに包んではいるが、検閲でここが触れるかもしれない。





http://www.ken-san.jp

 

ローラさん有り難う

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 9日(月)22時18分30秒
編集済
   閑古鳥が鳴いていたーハオ広場が、久し振りで賑わいました。
 ローラさん一つ誤解していますよ。
 私は人を恨んだことはありません。恨まれることはあるかもしれないが・・・。
 私はプライドが高いのです。上から目線で哀れむことはあっても、下から目線で恨むなんてみっともなくて出来ない。
 それと、掲示板のようにヴァーチャル空間では嫌われ者ですが、実社会では恵まれすぎるほど、皆さんに優しくして貰っています。
 子供達が、遊びに来てくれる。今日も隣のおばーちゃん(私より若いが腰が曲がったいる)に、空き地で作っている葱を貰いました。
 女性が皆さん親切。これ本当。そんな中で、振り分けかき分け清く正しく生きています。
 

http://www.ken-san.jp

 

Re:よろずのこと

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年 7月 9日(月)20時57分8秒
  けんさんはPC歴も長く、様々な経験をお持ちのようですね。
昔、けんさんの事は神様のように思い、まさか満洲談話室においで下さるなどとは思いませんでした。
個性の強い方は、それだけ風当たりも強いのだろうと想像しております。
どうぞ、他人を恨んだりせずに、まっすぐご自分の道を歩いて行ってください。
それが、一番けんさんらしいと思います。

談話室15周年に対するお祝いの言葉ありがとうございました。
後何年続けられるのか、神のみぞ知る、です。
それまで精々頑張りたいと思います。この細腕で・・・。

満洲談話室はその性格上、右寄り(保守的)の考え方の人が多いようです。
でも、皆さんそれなりに紳士だし、親切だし、まじめです。

思想信条、世界観を問わず仲良くして行きたいと思っています。
ただし、戦争を美化したり、再び戦争を!と叫びだすような方が出てきたら、素早く退場してもらうつもりです。
これまでも、そうして来ました。
そんな折、ノーラさんは強い味方でした。

しばらくお邪魔しました。風のように来てまた風のように去ります。(*^_^*)

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

よろずのこと

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 9日(月)19時59分55秒
編集済
   昔(1998年頃から2007年頃まで)上海エクスプローラーの「よろず」という掲示板に張り付いていたことがあります。
 不徳の致すところ、「アンチけんさん」グループに取り巻かれ、いつも孤軍奮闘していました。
 その事自体はむしろ望む所だったのですが、ある日誤爆をやってしまい、「老頭児さんごめんなさい」という言葉を残して一度去りました。
 結論から言いますと、誤爆ではなかったことが分かり「天知る、地知る、己知る」という言葉と共に復帰させて貰いました。
 それと関連するのですが、2010年(だった思う)満州談話室で、セクハラ嫌疑を受け、弁解するのも煩わしく、「もう来ません」と、去りました。
 そのときです。ノーラさんに、「貴方は以前ももう来ませんと言いながら、来たことがあるのだからまた書いたら」と言われて、「あれっ?」と思いました。心当たりは「よろず」の件ですが、ノーラさんもよろずは読んでくれていたのだと。
 満州談話室は、ずっと気になっていたのですが、何故か閉店になっていました。新装開店とともにまた寄せて頂いた次第。開店第一号の客?
 満州談話室は、誰に追われた訳でもありませんが、思うところあり書き込みは暫く自粛しています。読むのは読んでいますから今後とも宜しく。

http://www.ken-san.jp

 

尺八演奏会

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 8日(日)22時30分36秒
編集済
   今年は日中国交条約締結40周年です。
 それを記念して、「日中伝統音楽交流会」と銘打って、尺八と古琴の演奏会を企画しています。
 日本からは、大萩康喜氏。今年全国邦楽演奏会で最優秀賞を得た、若手の尺八演奏家。
 中国からは、張聴氏。中国を代表して国際的な演奏会にも出演している中国の尺八のプロです。
 このようなことは、大勢な方の協力がないと出来ないのですが、幸い職場も友人も、日本の企業家にも最大の協力を頂いています。10月27日を予定しています。

http://www.ken-san.jp

 

中国で出版

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 8日(日)22時13分39秒
編集済
   2005年に「けんさんの中国ぶらぶら」を出版して以来、13年。中国は本当に変わりました。その後実際に中国で暮らす中での体験を書き溜めた物、それと寧波西安、漠河葫蘆島など中国各地を自転車で回った写真などをまとめて出版したい。
 それも、中国で中国語で出版したい。中国で出版するとなると検閲というハードルがあります。庶民の本音は是々非々。検閲当局の気に入らないこともあるかもしれませんが「実事求是」の姿勢を貫いているつもりです。
 中国語の翻訳は、幸い松山在住の二十年来の中国人の友人で、「けんさんの中国ぶらぶら」の翻訳もして下さった方が、今回も引き受けて下さいました。
 目下、検閲の前段で、日本語の原稿を、日本語の堪能な共産党幹部の友人に目を通して貰っています。検閲が通ることを祈っています。

http://www.ken-san.jp

 

不恥下問

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 8日(日)09時42分55秒
編集済
   ローラさん。まずは「満州掲示板」の15周年お目出度うございます。
 私も最近拝見はしていますが、書き込みは遠慮しています。
 それは、皆さん粗探しに汲々とされているからです。量と精度はどうしても矛盾します。それに早く書くとどうしても推敲不十分になる。
 「瑕瑾を問わず」は間違った方が使う言葉でないことは承知しています。
 「過ちを改めるに憚る事勿れ」。ご指摘を受けた間違いは、有難くすぐ改めています。
 然しときには間違いとは思えないとき。「何処が違うのですか?」との問いかけに返事が無い。見ていないのかと思うと、とんでもないところで蒸し返される。
 「古本屋の常連」を名乗る方からは、2チャンネルにお誘いを受けた。謹んで参上して、「名無しのゴキブリ」共のご高見を伺ったのですが、私の反論に論理破綻した彼らは、「アクセス禁止と、記事全文抹消」という暴挙で応じた。
 ここにもお誘いしているのですが、来て下さらない。
 「不恥下問」は元々目線が高い。私のこの姿勢は「雀百まで」でしょうか?
 ひたむきになるほど、孤立する。

http://www.ken-san.jp

 

祠の傷

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 8日(日)08時41分59秒
   もう前世紀になるかな?今世紀初頭かな?
 上○エクスプローラ」という掲示板に「けんさん」というHNで張り付いていたときのこと。
 「美麗」さんとおっしゃる常連の才媛に、色々と中国語のご指導を受けていました。
 ただ微妙にずれていたな。
 例えば「対不起」は、「きまり悪くて前に立っていられない」が元の意味だとか。
 「バーリンホウ」は正しくは「年代」です。間違って使っているから洒落なのです。
 古い記憶は祠の傷。それが消せないのも一種のボケかな。

 

http://www.ken-san.jpのの

 

もっと悲しいこと

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 8日(日)07時50分32秒
編集済
   「あんたもかい わたしもよ 傷を見せ合う 豊予海峡♪」

 「お前もか? 俺もだよ 愚痴を述べ合う 同窓会」

 実は、私の悲しみはもっと深い。

 「人並みに 枯れてくれるか 老いの春」

 この業は、灰になるまででしょうか。

http://www.ken-san.jp

 

Re: 悲しいこと

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年 7月 8日(日)06時14分40秒
編集済
  >こんなの確かアルツハイマーと言うのですか?認知症ですか?

全然ちがいます。
私も同じですから・・・(*^_^*)

中国で暮らしていたら、日本語が少しずつ出にくくなるのは当たり前。
まあ、強いて言えば「八十台」はゴルフなどのスコアーの表現に使うので、この際は「八十代」の方が適切かな?
まあ、どっちだって通じれば良いのです。

自分の携帯番号、私は1度も覚えたことがありません。あんな物携帯が教えてくれますから覚える必要なんかないと割り切っています。

でも、麻雀のアガリ役や点数は忘れないよう、繰り返し覚えています。少しでも脳トレと勝負に勝てるようになりたいから。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

悲しいこと

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 8日(日)00時06分2秒
編集済
   最近悲しいというか、辛いこと。
 (1)一局の碁を最後まで緊張が保てません。絶対にポカをやる。
 (2)黒板で漢字が書けません。先日なんか、「愛媛」が書けなくて狼狽えました。
 (3)時々日本語が出てきません。特に外来語がいけない。
  こんなの確かアルツハイマーと言うのですか?認知症ですか?どちらも言えなくて、中国語で「健忘症」と言ってしまいました。
 数字は全然駄目です。自分の携帯電話番号すら忘れる。

 嬉しいことに、歳も忘れました。80を幾つ越えたのかな?
 中国語では洒落た言い方があって、{80後」(バーリンホウ)と言います。
 元々は、1980年以後生まれから1990年未満までの世代を言うのですが、私の場合は「八十台」という意味合いで使わせて貰っています。

http://www.ken-san.jp

 

ぼけました

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 7日(土)11時20分16秒
編集済
   ご指摘を感謝。
 × 1942年
 ○ 1952年

 これはタイプミスですが、数字そのものの感覚が最近おかしくなっています。
 どこが間違えているのか、暫く考えました。

http://www.ken-san.jp

 

何だか変だわ

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年 7月 7日(土)10時43分58秒
  けんさん、

>1942年に初めてNTTに奉職したとき、このルートはまだ現役で保守したことがあります。キチンと五十キロごとに設置された中継所のルート図は今もあります。

1942年は私が北安で生まれた年です。まだ戦時中。
けんさんは子どもだったはず・・・・・。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

私と韓国北朝鮮

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 7日(土)09時35分27秒
編集済
 
 戦前満州と内地は、関釜連絡船がもっとも普通だったと思います。
 私も子供とき、金剛丸でここを渡り、安東で時差調整をしたのが、朝鮮半島に関する一番古い記憶です。
 私は母の故郷が長崎だったので、大連長崎の淡路丸も乗りました。

 1992年と1993年、北京語言学院に短期留学したときの同級生の多くは韓国の若者でした。
 故郷から送って来た食べ物のお裾分け。重い荷物を持っていたら、遠くから駆けつけて持ってくれた若者。冬至の日に伝統料理パッチュを一緒に食べたこと。紅葉の香山に遠足に行ったこと。囲碁の強い若者が居たこと等々、楽しい思い出ばかりです

 1993年、中国棋院で、北朝鮮から来ていた当時八才くらいの男の子と一局打ったことがあります。やられました。写真はありますから、会えば分かると思います。

 1999年、北朝鮮への観光団に中国人の偽パスポートで紛れこもうと企んだのですが、ばれて止めました。
 同年、瀋陽工業大学の韓国人学生と、瀋陽から松山へ帰国途中三日間、ソール旅行をしました。

 2000年。「二十一世紀アジア囲碁祭りin松山」と銘打って、囲碁大会を開催し、瀋陽、韓国、北朝鮮の関係者を招待いたしました。但し北朝鮮は、在日の北朝鮮会の人達です。そのとき、打ち上げの席で、韓国北朝鮮の関係者が、涙でアリランの大合唱をしたのが、忘れられません。

 2003年。ソール経由で中国へ行き、韓国で囲碁を打ちました。


 東京。甲州街道、四国、山口、釜山、安東、瀋陽、長春、ハルピン。ここに世界初の無装荷搬送ケーブルによる、長距離電話回線が通っていました。実は私、1942年に初めてNTTに奉職したとき、このルートはまだ現役で保守したことがあります。キチンと五十キロごとに設置された中継所のルート図は今もあります。

 以上が私と朝鮮半島の関わりの全てです。中国に比べここは私にとって、近くて遠い国です。

http://www.ken-san.jp

 

微妙

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 5日(木)23時30分55秒
   確かに八路軍の軍紀はしっかりしていました。
 只対象が味方です。例としては微妙です。
 従軍慰安婦問題は、河野談話に始まり、日本政府は一貫して謝罪しています。
 この種の問題は、相手が赦してくれるまで誠実に謝罪を続けるより仕方がない。


 

http://www.ken-san.jp

 

クリーンな軍隊?

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年 7月 5日(木)20時46分55秒
編集済
  >この点に関して、クリーンな軍隊はあるのでしょうか?

けんさんからこの様な質問を受けるとは想像もできませんでした。
だから仕方がないのだ!とでも言いたいのでしょうか?

私は他の国のことは知りません。(ソ連兵は別)しかし、第二次世界大戦が終わった頃のパーロ(八路軍)では、軍律厳しく民衆から借りた物は必ず返すし、女性に対する暴行などは厳重に禁止されていたと聞いてます。
国府軍の兵士たちは贅沢な食材を用意して、母たち日本人婦人たちを使役にして料理を作らせました。それに対し、八路軍の兵たちは自分たちで料理したそうです。

現に、長春・国務院ウラの官舎に住んでいた母の元に八路軍の若い兵隊がザルや鍋を借りにきましたが、撤退前にはきちんと返しにきたそうです。母はその事に大変驚いたので覚えていたのです。
身なりは政府軍の兵士に比べてひどく貧しかったけれど、心は潔白で革命の希望に燃えていたのだろうと私は想像します。

まあ、これは釈迦に説法でしたね。(*^_^*)

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

ごめんなさい

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 5日(木)16時52分30秒
   戦争花嫁に対する私の考えと表現は、不十分でした。
 確かに満州の悲劇も一緒です。
 ただ多くの軍隊は、慰安婦を従軍させるだけでなく、現地調達もしている。
 聞けば韓国軍の兵士も、ベトナムで多くの悲劇を残しているとか。
 勿論「悪」を相互相殺しようというものではありません。
 戦争そのものに内在する悪も、客観的見地から問われるべきだと思います。

 この点に関して、クリーンな軍隊はあるのでしょうか?








 

http://www.ken-san.jp

 

Re: 戦争と性

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年 7月 5日(木)11時27分35秒
編集済
  >戦争という異常な状態の中にある、兵士という健康な牡の集団。そこが無菌室か。
その客観的な背景を無視した議論は、難しい。

やはり、けんさんは牡の立場で物事を考えるのですね。
銃後に残された主に花嫁たちは健康な雌ではなかったのでしょうか?
彼女たちは子どもを育てながら、夫の両親につかえ黙々と働きながら夫の帰りを待ちました。
それはどんなにか寂しく、つらい生活だったでしょう。やがて夫は戦死。遺骨も帰りません。
空襲で家も焼け、子どもを失っても彼女達は生きるために働かねばなりませんでした。
養わねばならない家族を抱えていた人もいたでしょう。

自分の私腹を増やすばかりで、女・子ども達の生活を守ろうともしなかった日本政府の役人たち。
彼女達にとって、外人は肌の色はちがっても優しく接してくれる異性だったのではないでしょうか?
私は、自分のお腹の子どもの命を守るために満洲で中国人の元へ嫁入りした女性同様に、進駐軍の兵士と結婚した彼女達の勇気に拍手を送りたい。

韓国の従軍慰安婦の殆どは、良い仕事があるからと騙されて戦場へ連行されました。
何も知らないいたいけな乙女たちにとって、その仕事がどんなに苦痛でどんなに重労働だったか、けんさんに想像できますか?
都合の良い時だけ日本人扱いされながら、その実虫けらのように扱われた彼女たちの性。
私は涙なしには写真の像を見ることが出来ませんでした。

写真には写っていませんが、ちょうど反対側には大きなテントが張られており、その中で数人の若者の男女が寝泊まりしているようでした。

不測の事態に備えて少女像を守っているのでしょう。
署名とカンパをお願いされたので、それに応じますと記念のバッチをくれました。
今、私はお気に入りの白い上着の襟にそれを付けています。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

戦争と性

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 4日(水)12時06分47秒
編集済
   それぞれに、重たいテーマです。
 戦後「戦争花嫁」として、進駐軍の兵士と結婚し、アメリカに渡った女性が4万人から5万人居たそうです。
 私は、戦後10年経た立川に住んでいたことがあるのですが、錦町界隈は当時もバラック風の建築が何百軒も軒を連ねていました。進駐軍相手の特殊飲食施設です。府中、調布、横田、等々関東各地にありました。
 勿論戦争花嫁さんは、そのような施設に従事していた人ばかりではないでしょう。然し5万人は、分子です。花嫁にはならなかったが、このような仕事に従事していた分母の女性がどれくらい居たのか。
 今、皆さんご健在なら九十才を越えているはず。
 これから、従軍慰安婦問題に何らかの結論を導くものではありません。
 戦争という異常な状態の中にある、兵士という健康な牡の集団。そこが無菌室か。
 その客観的な背景を無視した議論は、難しい。

http://www.ken-san.jp

 

ソウルのお土産

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年 7月 4日(水)07時13分18秒
  日本大使館の前にある従軍慰安婦少女像です。
彼女は裸足でした。
足の前に小さな可愛い布靴がお供えされていました。

ここへ行きたいと言ったのは、45歳になる娘でした。
私は驚きましたが、彼女の心の成長を喜び、一緒に小さな花束をお供えしてあげましたよ。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

景観と心理

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 7月 1日(日)09時45分50秒
   瀋陽総領事館の美観について、もう少し愚見を加える。
 領事館前の公道は、中国の領土だ。ここに張り巡らされている鉄条網は、当然中国政府が施工したものだろう。
 然しこれが、美観を損なうだけでなく、これを見る中国人に、少なくとも友好的な感情は生んでいない。先のタクシーの運転手でないが、日本が排他的と誤解を与えている。
 領事館周辺の好ましくない施設の撤去は、日本政府としてアクションを起こすべきだ。
 正式な時間は知らないが、治安対策上の限度はとうに超えている。
 外務省を代弁する領事館の任務は「友好」だけではないだろうが、友好は通常業務の基盤をなすはずだ。そして友好の根底に有るのは庶民感情だ。
 

http://www.ken-san.jp

 

瀋陽総領事館

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年 6月29日(金)20時19分48秒
編集済
   先日瀋陽の領事館に行くため、タクシーに乗った。
 運転手が、日本領事館を知らないと言う。「アメリカ領事館の隣だ」と言ったら、アメリカ領事館なら知っている」と言う。すっかり不愉快になった私は、「私は日本人だが君は抗日派か。えらい非友好的だな」と言ったら、「不!不!」と、慌てて打ち消す。
 そして「行ったら分かるけど、あそこはタクシーが近づけないようになっていて、道を知らないのです」と言う。領事館の正面の通りは、鉄条網が張り巡らされていて、車は勿論、人間も反対側の歩道しか通れない。
 これはいつからだろう。2003年の北朝鮮からの亡命者は正門から入っていた。例の2005年の抗日デモからか。そういえば2012年に用事があって行ったときは、今の裏口だった。
 ならば、以来十年以上領事館の門戸を閉ざしたままというのは、外務省の怠慢でないか。
 それとも尖閣に抗議する嫌がらせか。「領事館の治外法権も不安です」という無言の抗議メッセージか。ならばそれ自体が、消極的戦闘行為だ。
 日本の外務省は、ユーモアがある。外交センスが良すぎる。

www.ken-san.jp

 

/3