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身体醜形障害(醜形恐怖症)についての質問です

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月31日(月)11時14分23秒
  身体醜形障害(醜形恐怖症)についての質問です。

19歳女です。
私は自分の顔面が大嫌いです。自分がブサイクだなと思い始めたのは小学校中学年くらいの頃からです。その頃から他人と自分を比べるようになり小学生ながらに鏡の前で笑顔の練習をしたりかわいい子の真似をして可愛くなろう変わろうとしていました。でも可愛くなれず中学生になって埋没を数回しました。それでも可愛くなれず今年二重全切開、目元矯正、目頭切開をしました。すると周りからは前より可愛い美人と言われることが増えました。でも自分ではまだまだどブスで何をしていても顔が気になって気になって仕方がないです。外に出ても学校にいても家にいても勉強をしてても食事をしてても他人にどう見られているのか今どんな顔をしてるのか気になって仕方なくて鏡を見ます。
鏡を見るとブスな自分が映ってえ、やば、、死にたい次はここ整形したらいいかな?ここしたら変わるかな?ってなります。外出している時にふとガラス越しなどに映った自分を見ると当たり前にブスでこんなぶすが周りの人の目に映ってるのかって思って家に帰りたくなります。楽しくお出かけすることができません。ずっとインスタとかで可愛い綺麗な人を見て自分と比べて整形について調べての繰り返しです。インスタとか見てると友達はふつうに友達との写真載せたりしてて私は絶対無理だって思いました。どれだけ可愛い美人と言われても信じれません。顔のことでこんなに悩んで自殺したくなって何度も自殺のシュミレーションしたりして、そこから私って少しおかしいのかなって思うようになった時に身体醜形障害(醜形恐怖症)のことを知りました。
私は身体醜形障害なのでしょうか?
ごちゃごちゃして読みづらくすみません、、。



>>>管理人


醜形恐怖症も高所恐怖症も神経症の症状の一つです、他にも不安神経症とか心気症とか、色々な症状が有りますが、全ての原因はたった一つです、従って治る事や治す事もたった一つの事を理解することで治ります。

こういった症状に苦しむ人は『神経質な性格』がその悩む基礎になっています。つまり不安になり易い性格傾向を持っているという意味です。

こういった不安になり易い人が、自分の性格を乗り越えた場合では、誰にも負けな程のメンタル面の強さとか、不安や恐怖をものともしない芯の強さをを確保できると思います。その理由は『自身の内面を深く掘り下げて理解したために、人間通になった事』を意味します。

その為に学ぶ事を示して置きたいと思います。

貴方の症状とか一緒に書いてある症状に関係している内容はノイローゼとか神経症といった分野だと思います。名前は違っていて、症状も違っていますが、その奥にあるものの内容は同じです。

こういったノイローゼとか神経症が発症する原因は、実は簡単に説明する事が可能です。

是を説明する事は『宗教が何故人間には必要なのか?』或は『人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?』もっと言うなら『自分は何者か?や人生とは何ぞや?』と言った事を考える事と同じです。

こういった事が動物には無くて人間だけの現象という意味は『脳の構造に在ります。』

大人の脳の機能が分かる文献と、資料(動画)を載せてみたいと思います。

ウイキペデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”



こういった脳の機能分化が完成する時期は思春期頃のようです。聖書で言うところの知恵の実を食べたとされて、自分の裸をイチジクの葉で隠したとされたころと一致しています。

何故かと云うと、脳内に意識が二つ芽生えて『我』と『汝』と言った関係性が現れるからだと考えられます。他の言い方をするなら、『見ている自分』と『見られている自分』という風に自分が二つに分裂を始めると言っても良いのかも知れません。

脳の機能分化の関係という意味は、右脳の機能とは『生命維持機能』で出来ています。分かり易く説明するなら赤ん坊が誕生する歴史も絡んでいます。

又赤ん坊が生命として芽生えると言った事柄も絡んでいます。

右脳の人格とは『生命発生装置兼生命維持機能』という役割だと思います。聖書の通りに表現するなら『神』です、或は『我の創造主』と書いても可能と思います。

細胞分裂の順序から心臓でも肺でもホルモンでも神経でも全てを知り尽くして人間を創造して、働かせているという意味になります。

そうして思春期頃から『右脳の意識』は、無意識の意識として『自意識の前から姿をくらましてしまいます。

神に背くという意味は、自身の生命維持機能に背くという意味になると思います。

これは自身の生命維持機能を説明すると分かるかも知れません。

人間の生命維持機能は極端に分けるなら、動物的な生命維持機能と植物的な生命維持機能と、行動する人間としての生命維持機能と分ける事が可能かも知れません。

とは言え一人の人間の生命活動を説明するのですから、今挙げた三つの要素は互いに関係しあいながら、絡み合いながら生命を維持している事は言うまでもないと思います。

難しい話は止めて、貴方に関係する話だけに限定して話を進めたいと思います。

人間がその場その場で、その雰囲気とか気温とか、高い所にいるのかとか狭い所にいるのかとか、全ての生きて行く為の情報を『無意識の自分=右脳の意識』は、自意識たる自分の心に感情を湧き上がらせるための情報を絶えず送っています。

こういった情報を嫌ったり、選り好みをする心で分別する時『ノイローゼの症状になったり神経症の症状になっています、』

貴方の場合では、鏡を見た時に『もっと奇麗な理想的な顔』を想像しているのかも知れません。誰もが望むような理想的な顔などは世界中を探しても何処にも存在していないかも知れません。

そういった理想を求めている事がノイローゼや神経症の症状の裏側には存在しています。

ノイローゼとか神経症を治すための方法は、症状の改善を諦める事これだけです。

ただ、これだけを忠実に守っているなら必ず治ります。

治る道筋を書いて終わりにします。

貴方が貴方の症状(鏡を見るとブスな自分が映ってえ、やば、、死にたい)と言った事柄を放置してもう治す事さえも諦めてしまう時、鏡を見てももう、目の前の仕事に集中している自分に気が付く事が多くなっています。

鏡を見る回数も減って来ています。


『外に出ても学校にいても家にいても勉強をしてても食事をしてても他人にどう見られているのか今どんな顔をしてるのか気になる事が無くなっています。』


逆に他人にどう思われるのかよりも、自分の仕事なり目標への達成感の方が大事になっています。


言い替えるなら『鏡を気にする事よりも他の事が気になっています。』症状としていたものを意識する事がほとんどなくなっています。

此処まで来た場合が『醜形恐怖症』の完治を示しています。もう症状として発症する事が無くなっています。

この背景に在るものは、現実を肯定している自分です。今現在を肯定出来ない事が
『醜形恐怖症』を形作っていた事が分かります。

全てのノイローゼや神経症の原因とは『現実の否定』として症状を頭の中に作っている事を意味しています。

従って”症状”を無視した生活を守る事によって、『症状』として成立しなくなってゆく事が治し方の全てとなっていると思います。
 

森田療法について教えて下さい 森田療法では

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月30日(日)13時29分34秒
  森田療法について教えて下さい

森田療法では
不安は不安として、ありのままにし
やるべきことをこなしていくようにするんですよね?

不安はどうするんですか?

例えば
自宅が

劣悪な環境だとします
DVの旦那や親がいるでも、隣人からの嫌がらせがあるでもなんでもいいです
やるべきことをしましょう
日中は働きに出掛けます
さて、定時になり帰宅します

不安はどうするんですか?

いやいやいや、ちょっと待って下さい
これ解決しないと、問題を解消しないと
いつまでも辛いままだし、全くメンタルの悩みは改善しないんだけど
放置するんですか?



>>>管理人



森田療法は不安障害とか恐怖症とか、つまりノイローゼに対しての治癒を促すための療法です。

もう少し説明するなら、ノイローゼとしての症状は多岐に渡っています。何故なら人間が意識する事は全てが『ノイローゼの症状』になりうるからです。

気になった事柄の内『自分で納得できない事柄、或は受け取る事が出来ない事柄』がトラウマとか意識のし過ぎ状態になって、症状として自覚するようになります。

貴方の場合では『不安はどうするんですか?』に集約できると思います。この意味は、不安をどうにかしてからでないと何も始まらない、と貴方は主張しているからです。

ノイローゼや神経症の症状は吃音、書痙、強迫障害、恐怖症、不安障害、心臓神経症、心気症、抑うつ神経症、離人症、その他にも沢山あります。処がそういった症状を呼び寄せて神経症の症状にしてしまう原因とか原理は皆同じです。

という事は治る事や治す事も、その一か所を熟知しているなら症状は違っていたとしても治し方は共通している事を意味します。

他人とか医師に頼る事は止めて、自分で自分を治す事をお勧めしたいと思います。

医師から治して貰うにしても結局は、自分が神経症などを熟知しない限りは治る事は無いという事から、自分が精神科医以上の理解をする必要があると思います。

精神科医によっては力量は違うと思いますが、インターネットなどの宣伝文句では今の精神医学に於いて『神経症になる原因は未だ分かっていませんが、早期治療をする事で早く良くなります。』と謳っているところもあります。


不思議だと思うのですが『原因がわからなくても治す方法がある。』というところです。摩訶不思議としか言いようがありません。

自己紹介を先にして置きます、今は70歳になりましたが14歳で死に対する恐怖症になり、それに付随した離人症になって長い間苦しんだ事が在ります。

26歳で結婚をして、それがきっかけになって、離人症の症状がきつくなってしまって、鈴木知準先生の処で、2か月間入院森田療法を受けた事が在ります。

そうして退院して約4年後の事、先生の教え通りの生活態度を守って生活していたところ、完治した経験があります。32歳の時でした。あれから38年が過ぎようとしています。

ですので精神科医の人よりは実体験をしたという意味に於いて『神経症やノイローゼ』に付いては詳しい部分もあるかも知れません。


貴方の聞きたい事を中心に書きたいと思います、質問があるなら書いて頂いて答えてゆきたいと思います。


森田療法では
不安は不安として、ありのままにし
やるべきことをこなしていくようにするんですよね?

不安はどうするんですか?


答えは『不問』です、不安が無くなるという事は諦めてしまって、不安(症状)は症状としてあったままで、やるべきことをこなしていくようにするんです。

不安はどうするんですか?=『不安は不安のままでそのままにして置いて』不問という意味は『症状が有っても問題にしないで』生活してゆくと言った意味になります。


森田療法の神髄とは『不安とか恐怖心とか』=『症状』は症状としてもう治らないものとして諦めてしまって、もう症状の改善を望まない生活態度で暮らす事。が一番重要な事になります。



いやいやいや、ちょっと待って下さい
これ解決しないと、問題を解消しないと
いつまでも辛いままだし、全くメンタルの悩みは改善しないんだけど
放置するんですか?


この答えは、問題を解消しない事がキーワードになります。この問題を解決しない生活態度を『不問』と言っています。

この意味は神経症のキーポイントになります。


ノイローゼも神経症も同じですが『症状』だと思っている事柄は、”誰でもが感じている普通の感覚”でしかありません。

本人の好き嫌いする心が強く働く事で、普通の感覚が強く作用する事を意味します。


例えば高所恐怖症ですが、治る前も治った後も『高い所は怖い』と言った情報を自意識たる顕在意識は受け取っています。只高所恐怖症の時は『怖いと言った感覚に対して過敏に反応をしています。』

高所恐怖症が治った後ですが、やっぱり『高い所は怖い』と感じていますが、「過剰反応が無くなっています。この過剰反応する事がノイローゼとか神経症の引き金になっています。


貴方が治った姿を書いて終わりにしたいと思います。

貴方が不安をものともしないと言った人間に成長た姿です。同じように『不安』」を心の中に探すなら存在しています。ですが『不安』を問題にする事が無くなっています。

治す(治る)過程では不安の相手をする事が多くて、不安を無くす工夫に明け暮れていた傾向がありました。処が不安が無くなる事などある筈はないと決めて、不安は不安のままにして置いて、不安を相手にしないでいる生活が続いたために、不安が在ろうがなかろうが、もうそんな事などどっちだっても良い事になりました。

不安が在ろうがなかろうがそういった事よりも『目の前の仕事の方が大事になって来たために』不安のあるなしに気を取られる事が無くなっています。此処まで来た時には『不安は症状にはなれなくなっています。』症状の消滅です。

あんなに不安を邪魔ものとして嫌っていましたが、不安(症状)そのものを受け容れてしまったために、症状が有っても無くなっても生活には何の支障もなくなっています。

不安が無くなったならどんなにか幸福になれるのだろうか?と考えていましたが、いざノイローゼを乗り超えた段階では、嬉しいと言った気持ちが湧かなくなっています。

症状としていた不安(症状)を(受容する事が出来たために)嫌う事が無くなったために、その不安(症状)を問題にしない態度になっています。

症状が無くなってもうれしいという事が無くなっています。この姿がノイローゼとか恐怖症とか不安障害が完治した姿になっています。


<<<質問者


回答ありがとうございます
とても丁寧に説明していただいたのですが、正直言って、僕の理解を少しばかり超えた内容のため
飲み込むには咀嚼に時間がかかりそうです

森田療法について興味を抱いたのは
過去のトラウマから、頭の中で同じ考えがぐるぐる回る反芻思考に悩まされ
色んなことを調べていて辿り着きました
フラッシュバックで強い苦痛を思い出し、そこからまた同じ考えに囚われて精神的に消耗しておかしくなる
といった状態が何ヶ月も続いているんですが
このような症状にも森田療法は有効でしょうか

最初に提示した内容とは別の材料を出して申し訳ありません
うーん、やはりいきなり受け入れるには難しい内容ですね
直感では、僕の抱える問題にも役立ちそうだと思いましたが
過去の嫌な記憶を、ありのままに付き合っていく、というのは、なかなか受け入れ難いものがあります


>>>管理人


貴方の関心事は『不安はどうするんですか?』だと思います。是がノイローゼとか不安障害の人の主張です。

そして何をしていても何を考えていても『不安はどうするんですか?』と言った堂々巡りに入ってしまう事になると思います。

頭の中が『不安はどうするんですか?』でいっぱいになる事がノイローゼや神経症の症状です。

貴方の気持ちは痛いほど分りますが、ノイローゼを治すという事は『症状の相手をしないでいる事』から始める必要があります。

症状の相手になっている事がすなわちノイローゼの真っ盛りという事を意味しています。

何時か貴方の場合では『不安はどうするんですか?』という事を言う事が無くなります、何故ならそういった事よりも大事にする事が見つかるからです。

『不安はどうするんですか?』と言った事を問題にする気さえ無くなった時が『症状の消滅』を意味します。つまりノイローゼが完治したという意味です。



>>>管理人


やはりいきなり受け入れるには難しい内容ですね
直感では、僕の抱える問題にも役立ちそうだと思いましたが
過去の嫌な記憶を、ありのままに付き合っていく、というのは、なかなか受け入れ難いものがあります。

是は致し方がない事だと思います。私の場合では『死に対する恐怖』』でしたが、治るのに18年かかりました。32歳で完治しました。
 

KY様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月30日(日)13時09分40秒
  斎藤氏の場合では『雑用』が森田療法における『不問』の位置を占めているように思われますが、いまいち神経症に付いての理解というか、踏み込みが足りないように思えます。


この意味は神経症を治す事と『症状』の関係性だと思います。


症状の軽減のために森田療法をやったなら、逆効果になると思います。症状がかえって重くなるという意味です。

是は症状の軽減のために『雑用』をやったなら、逆効果になると思います。症状がかえって重くなるという意味です。

神経症に対する理解が足りないという意味は、神経症の治療という意味と症状の消滅の関係性の理解が少しだけ債投資には足りないと言った意味があります。

この意味は神経症が治った、と言いながら『未だにフラッシュバック』に見舞われている点にあります。

症状を受け容れた段階で症状は消滅して神経症が完治したと表現する事が出来ると思いますが、斎藤氏の場合では『生まれつきの神経症脳』という言い訳をしながらフラッシュバックが来ることを正当化しています。

症状の受け入れによって神経症は完治したと表現出来ますが、是はもうフラッシュバックには襲われる事が無くなるという意味です。此処の処の理解が不足していると思います。

症状を受け容れて『もっと症状よ襲って来い!』という状態になるならフラッシュバックが襲ってくるはず等無いと言って置きたいと思います。
 

斎藤療法の欠陥が本人が認めた!

 投稿者:KY  投稿日:2018年12月29日(土)22時39分47秒
  【謝らないとならない。  投稿者:斎藤  投稿日:2018年12月28日(金)
【私は今から半年前は、雑用を支持し、私も熱心に雑用をしていました。しかしあの時は斎藤自身がフラッシュバックを経験している時だった。フラッシュバックとは先祖返りみたいなもので、無為療法の主が神経症の患者になってしまっていた。】

:もともと神経症ではなく、他の精神病の中の神経症的症状が出たのだろよ。
学会の先生もそういってたな。

【でも幾ら雑用をやっても、後ろに迫る不安が払拭できない。むしろ高まってくる。これはおかしいぞと気が付いた分けです。気がついても狂った脳は暴走する。】

:斎藤療法として不安が払拭するのがところから狂いが生じたんだな

【でもここは一番、人生の最後の賭けとして、療法を全部止めてしまえとばかりに、雑用療法も停止してしまった。】

:療法を全部止めていなかったの?いやはや、なんだそれ!そこから狂ってるんだな。


【その後も、雑用療法を開始しろの私の神経症脳は、やんやの催促をして来た。しかしやらなければ斎藤の人生はないと覚悟して、きっぱりとあらゆる療法を拒否した。】

:無為という名が泣くぜよ。無為のなんたるかを知らんのよな。

【そしたらどうだろうか。急に体が軽くなった。掃除を今まで一日に3回もやっていたが、それを止めて一回しかやらないが、一向に困らない。今まであった背後に迫る恐怖、不安、鬱がきれいになくなって、健康な自分があるではないか。】

:健康人は背後に迫る恐怖、不安、鬱がきれいになくなって、な~んて、いわないじゃろがwww(爆

【もう、雑用の効用は説かない。雑用は結果であって目的ではない。】

:いやはや、言葉を失するな。効用を説いてたの?あきれるぜ。

【強迫観念がきえると体が自然に動く。これが真の雑用であって、効用を期待した雑用は野狐禅になるでしょう。】

:斎藤療法は野狐禅でしたよ~、自分で認めたよwww!そんなでな、よく道元と同じレベルだなんていってたよな。10年以上洗脳された人たちに直に連絡して謝れよ。ったくもう。


 

犬に苦言

 投稿者:KY  投稿日:2018年12月29日(土)22時18分27秒
  犬の発言に苦言しておく。
【空海、親鸞、法然、道元、そして、管理人さんの好きな鈴木大拙といった、日本仏教界のスーパースターの思想も、唯識を理解せずに、本当には理解できないのではないかとわたしは考えています。】

馬カもやすみ休み癒え。
 

管理人さん

 投稿者:  投稿日:2018年12月24日(月)22時26分33秒
  唯識(ゆいしき)とは、
その名の通り、この世界には、「唯(ただ)、意識しか存在しない」ということであり、
自然界に存在しているものはすべて、意識の表れに過ぎないというものです。

海さんがよく言っていることですね。

唯識の思想は、
西遊記で有名な三蔵法師がインドから中国へと持ち帰ったものであり、
それが日本に伝わったのだそうです。

空海、親鸞、法然、道元、そして、管理人さんの好きな鈴木大拙といった、
日本仏教界のスーパースターの思想も、
唯識を理解せずに、本当には理解できないのではないかとわたしは考えています。

唯識思想は、現在、量子力学によって、
科学的に正しいことが証明されつつあり、
これからのコンピューターは量子コンピューター時代に入ると言われています。

量子コンピューターを使えば、
約1125兆(2の50乗)通りの計算が一瞬で完了するとか。

IBMが超越した「量子」の限界
 

犬 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月24日(月)18時52分17秒
  知りません、教えてください。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年12月24日(月)11時38分29秒
  真実とは何か

とは、
これまた難しい問いですね。

管理人さんは、
仏教の「唯識」はご存知ですか?
 

真実とは何ですか?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月24日(月)07時16分3秒
  真実とは何ですか?



>>>管理人


禅を学ぶ事は如何でしょうか?鈴木大拙博士
の場合では著作集と言ったものが膨大にあります。全集として32巻も有るようです。

その著作集で掛かれているものを要約すると、人間が目にしたり考えている事は、頭に描かれた偽物或は思い込みの世界という風に書いてあります。

真実の世界は、人間の霊性が研ぎ澄まされてこないと見えてこないと書いているようですので、この偽物の世界と真実の世界を少し書いてみたいと思います。

現実の真実の世界と、虚であって偽物の世界は今此処の目の前で交差していて交わっていて、溶け合っていてその区別が分からないと書いています。

例えて言うなら、結婚を例に挙げるなら日増しに愛しいと思う事が事が増えて行って、段々と愛が深まってゆく場合を真実の世界という風に行っているのだと思います。その愛が死ぬまで続くという意味です。

今の反対に日増しに愛が薄れて行って、終いには憎しみが増えて行くようになってしまう結婚をしようとする場合が虚の世界に生きているという事だと思います。

ではその違いは何処にあるのかというと、その人の心の中に在ると言います。人間の心には『欲とか、得とか、名誉欲とか、見栄とか』様々な欲望が渦巻いています。

この欲望の届かない所にある心、言い替えるなら、この欲望が、湧き上がる以前の処にある心。此処が大事ですのでもう一回別な表現をするなら『そういった心が沸き上がる事を二念』と言いますが、その二念が沸き上がる前の心とは『一念』の心で生きて行って、その一念が下す判断』をするという意味です。

人間の心には一念=『肯定する心』、二念=『否定する心』が在って、心を鍛える或は心の訓練をする事が大事と説いているようです。

 

うつ病は不治の病ですか?僕はもう人生終わりですか

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月23日(日)11時02分34秒
  うつ病は不治の病ですか?僕はもう人生終わりですか?



>>>管理人



うつ病の本当の原因を学んで、うつになった事と治った事をを理解して、もう二度と後戻りをしない治りを知る事が出来るなら、OKという事になると思います。

うつと言っても神経症と言っても、自律神経失調症や、過敏性腸症候群と言っても皆同じ原因から発症しています。此処の処が分かって、その原因にまで切り込む事が出来るなら『寛解』と言った中途半端な、何時ぶり返すかも知れないし?ぶり返さないかも知れないし?なんていう中途半端ではない『完治した事』を実感出来る、治りに付いて書いてみたいと思います。

奥が深いかも知れませんので、今は深く納得出来ないとしても読み進めて下さい。何度でも、何回でも読んで、心から納得で来た時には貴方はもう『心に付いての専門家』と言っても良いかも知れません。

医師や精神科医に治して貰うと言った考え方では治る事が出来ないかも知れません、出来たとしたならそれは『寛解』という限界点だと思います。その理由は今の医学ではうつの原因の解明すら出来ていない事から、その原因を排除する方法を見つけるには至ってない事が明白だからです。

こういった理由から貴方がうつの完治を望むなら、人間をとことん学んで、人間とは何であるのか、という事まで理解して他人に、説明出来る位にまでになる必要があると思います。

うつを学ぶ事は『自分を学ぶ事です、自分を学ぶ事は、人間そのものを学ぶ事です。』こういった事を学ぶ必要が、うつを理解するために必要な事だと思います。

始めに学ぶ事は『人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?』という事だと思います。そうして人間の苦しみが終焉するところまで書き進めたいと思いますので、此処の処が理解出来るなら話が早いと思います。

人間は、なぜ苦しまなくてはいけないのか、という命題は、古からの解くに解けない命題と言っても良いかも知れません、或は自分は何者かという事や、人生とは何ぞやという命題もしかりです。

人間何故苦しまなくてはいけないのかという事も、我々は何処から来て何処に行くのかも、同じ問です。こういった事はたった一つが分かっただけで、全ての答えがパズルの最後のピースが分かった時のように、分かると思います。

貴方の悩みは、貴方だけの悩みでゃなくて、人間としての全ての人の悩みとして共有されているものとしてしっかり悩んで学んで下さい。

人間の苦しみとか悩みとは、人間の外側、つまり環境がストレスとしてあって、環境によるものとして考える傾向があると思います。地球とか宇宙とかとして考えるなら、確かに環境がストレスとして考える事も可能かも知れませんが、今問題にしている人間としての悩みとか、漠然とした不安とか、生き難い想いで生きて行くと言った人間固有の苦しみと言った問題として考える場合では、こういった苦しみはその個人が心の中に『人工的に作っていると思います。』

この苦しみを『人工的に作っている現象を』ノイローゼと言っていたようです。

”悩む”原因は人間の脳の機能の中に隠されていると思います、それは聖書が喝破しています。

悩みや、苦しみが無くて人間にとっての最高の状態を天国と形容していますが、その天国に一番近い存在を『幼子』と書いています。その答えが全てを物語っています。

幼子の脳には、『心が一つしかない為です』

処が成長する事によって、身体も脳も大人になってゆきます。そうして思春期頃に決定的な変化が起きる事になります。

大人の脳の機能が分かる文献と、資料(動画)を載せてみたいと思います。

ウイキペデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”


簡単に説明するなら、左脳に存在している意識が自意識=顕在意識です。言葉で理解出来て言葉によって学ぶ事が出来る機能で出来ています。

右脳にも意識がありますが、殆どの人はその意識を意識出来ないようです。何故なら『無意識の主人公』といった存在だからです。禅などでは左右の脳の出会いを悟りとして訓練する修行方法ですので、当然の事にこの事には触れていますが、この関係性を『没交渉=もっきょうしょう』と表現しているようです。

もう一つは動画です、脳医学者の女史ですが、脳卒中になった事によって右脳の自分と左脳の自分と二つの意識を実体験として味わう事が出来て、その二つの意識の出会いによって、二つの意識の間に新しい秩序が出来た事によって新境地、つまり悩みの無い世界=『涅槃』と言った世界が展開している様子が語られています。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM

人間の脳内には生命維持をその機能とし働いている脳があります。この脳と自我意識が一つの者として働いている状態が幼子を示しています。

暑いとか、寒いとか、怖いとかと言った全ての感情に対して、感情を沸かしている者と沸かせられている者が、脳の機能が未熟なために一つの意識として機能している事によって『怖いだけ』不安なら不安なだけに成り切っています。この成り切った状態が天国という事を意味しています。

右脳の意識は、直感的に不安と言った感情を伴う情報を高いとか低いとか狭いとか広いとか、ありとあらゆる情報を目の前の環境情報として言葉以外の情報として、自意識たる左脳の意識に脳梁を通じて送っています。

幼子と違って二つになった人格は、一つは自意識として過剰に反応するようになって、もう一つの意識は自意識の前からは姿を消して、意識の底つまり無意識の意識として姿を隠してしまいます。

処が姿を消したと言っても、自意識には常に働きかけています。この働きかけの状態とか正体とかを、間違って受け取る場合があります。この場合を『ノイローゼ』の諸現象と理解する事が出来ます。

ノイローゼには、沢山のタイプがあるようですが、人間の特性としては大体三つに分けて考える事で納得がゆくと思います。

それは右脳の生命維持機能を説明する事と同じです。

一つは身体の生命維持という機能です。ホルモンの分泌とか腸などの消化機能とか、血流とか呼吸とか動物としてとか植物としてとかの生命維持機能全般です。

二つ目は、精神とか心に関しての生命維持機能です。

三つ目は、行動する事に関しての生命維持機能という事になると思います。

処がこの三つにはお互いに繋がりとか関係性とかが在りますので、単独に作用したり複雑に絡み合ったりしながら作用する事は言うまでもないと思います。

ですので『うつ病は不治の病ですか?』と考える場合では、この場合での二つ目は、精神とか心に関しての生命維持機能です。に深く関わっていると思いますが、
三つ目とも関係性があると思います。

この三つには共通の特徴があります、それは漠然とした不安が付き纏っている事です、そうして”生き難さ”と言った問題も付き纏っています。そうして医学的な検査をしたとしても、健常者と言われている人との違いがあまりないという事だと思います。

具体的に病名とか症状を挙げるなら、一つ目が自律神経失調症とか過敏性腸症候群とか言ったものです。つまり身体の機能に関して『自意識が出でしまって、無意識の自分の機能に付いて疑いを抱く』と言った失楽園状態を指しています。

二つ目の、精神とか心については『湧き上がる感情や考え』に付いての自分の機能に付いて疑いを抱くと言った意味になります。具体的に言うなら『湧き上がった感情に、善し悪しを付け過ぎている』という事だと思います。もう一つ付け加えるなら、心が決定した事にまで善し悪しを付ける事だと思います。

具体的な症状名にするなら感情障害とか不安障害とか恐怖症とか、強迫行為と言ったところになると思います。

三つ目は、神経症になると思います。書痙とか吃音とかがその代表例になると思います、簡単に説明するなら人間の身体は『意識していない人格=無意識の自分』がその行動の自由を司っているという意味です。

人間が自分の自意識で、字を書いたり話をする事で、書痙とか吃音になっているという意味です。

症状は全く違っていますが、発症する過程と治る過程は全く同じです。

発症する理由は、自意識が持っていない機能を使って、無意識の専門的な機能を出来ると勘違いをして、出しゃばってしまって、無意識の出番を阻害している事です。

治るとか完治する過程とは『自意識の機能(左脳の機能)では”出来なかった”事を知る事です。悟りを開くと言った現象(見性)をするなら瞬時に完治します。

二つの意識の出会いによってもう二度と出番争いが生じなくなるからです。自意識は『神の僕(右脳の意識=無意識の自分)になる』二度と出しゃばる事が無くなる。

此処まで来た時、新しい秩序が再構築されるからです。

言い替えるなら両脳の間にホットラインが構築されて、仲違いが二度と起こらないという意味ん有るからです。

そうなる為に、或は、貴方の場合でのうつを克服するためには、うつの症状を不問として言ったり、書いたりしない事が有効です。

つまり症状を語らないという意味です。森田療法では『不問』と表現しています。この不問が徹底する時、症状が有りながら症状に振り回されることが無くなります。

症状に振り回される事が無くなった時点で、症状が有りながら『もう症状には悩まされる事が無くなっています。』

症状の受容が完治という事になります。
 

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