投稿者
 メール ※掲示板には表示されません(詳細)
  題名 ※管理者の承認後に掲載されます。
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


神経が凄い過敏で緊張するとすぐ手汗でるし、

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 3日(日)15時33分42秒
  神経が凄い過敏で緊張するとすぐ手汗でるし、物音や視界に急に何か入るだけでもビクッと身体が反応します。
筋肉の緊張がすごいです、凝りも。
神経症かもといわれました。
何か良い処方箋は

ありますでしょうか?
今までメイラックス等の抗不安薬、パキシルcrとか試しましたがよくわかりません。ハイにはなっていたかも。
自律神経を整えたり、筋肉の緊張を緩和したりするのに良いものってありますか?
薬は個人差有りますが一般的回答頂ければ幸いです。
薬はその場しのぎでしょうが出来れば根本から解決したいです。


>>>管理人


神経が過敏過ぎるのだと思います、そういった場合で幾つかの症状を自分から作り出す場合を、神経症と呼んでいます。健常者と神経症になる人の場合の違いを書いてみたいと思いますので、神経質でありながら、同時におおらかさがある人になる為の心得を書いてみたいと思います。

神経質な性格は、神経過敏で絶えず不安を想定して、身構えているようになっています。

その逆に、おおらかな性格という場合では、身に起きた事に余り頓着をしないでいる人の事だと思います。

その大きな違いは、感じた事とか、身に起こった事とか、湧き上がる感情とか、湧き上がる考えに、余り優劣とか、善し悪しとかを付けないでいる場合が『おおらかな人或は楽天的な人』になると思います。

貴方のように、敏感に身体中で反応をして、何時もびくつく傾向を持っている人の場合では、良い事と悪い事の区別をつける習慣とか考え方が身に付いている事が関係していると思います。

別な言い方をするなら、何事もストレスにし易いといった傾向があるという言い方も可能と思います。びくびくして生きるという事と、ストレスにし易い性格という意味は、同じ意味があります。

その同じという内容は『自分が受け容れたくないものが多くある』という意味です。ストレスという意味は『自分が消化出来ない事から、受け容れたくない』という意味に通じています。

同じくびくびくして、少しの事にでも過剰に反応してしまうという意味は、少しの刺激であっても受け容れたくない気持ちが、先行してあるという意味です。

貴方が今考えている事に対しての、良い方法はあります。それは貴方の選り好みをする気持ちから貴方がつらい気持ちを呼び寄せている事に気が付く事です。

貴方は嫌な事は避けて、自分が好ましい事柄だけが訪れて欲しいと、虫の良い考え方をしています。この考え方を180度変える時、楽天的な人に変身可能になります。

神経症が発症するシステムと、神経症が治るシステムを書いて貴方に変身する為の違いに気付いて頂けたら幸いと思います。

神経症には大変様々な症状が在ります、ですが、症状別の対策は全てが無効になります。その理由を書いてみますのでご自分で考えて下さい。私の書いた事に合点がゆく時、多分貴方は楽天家に変身出来ていると思います。

神経症は、貴方みたいな神経質な性格の人が、自分の選り好みを強く表面に出してしまって、良い事だけは受け取りたいが、嫌な事は受け取りを拒否する事が発症の発端を作っています。

症状の一つに上がり症があります。自分が上がってしまう事が気に入らなくなって、上がらない工夫をするようになる事が症状です。絶えず上がらない工夫をしていますので、やることなす事がちぐはぐになっています。それでいながら『頭の中は上がらない為の工夫でいっぱいになっています。』

上がり症が治る時は、上がる自分を『許す事が出来て=受け容れてしまって』上がるとか上がらないといった工夫よりも『たった今の、目の前の自分のやるべき事を優先するようになってくる場合です。』

吃音という症状が在ります、吃音の自分を許す事が出来なくて、自分の意識を全て吃らない工夫一辺倒当になってしまう事が症状です。ですので発表会などがある時は大変になっています。発表会の演目の内容よりも上がらない工夫の方が大事になっていますので、上がらない工夫をする事で内容は支離滅裂になっています、頭はもう真っ白白になっています。

書痙というものがあります、字を書いている時に、人の目が気になるとか、手の震えが気になるとかしてしまって、字が書き難くなってしまいます。うちに帰ってもう一度書く練習をしますがなかなか上手くゆかなくなっています。その為に今度は両手で字を書こうとしますがやっぱりうまくゆかない状態になっています。

この場合では、意志の力で上手く書きたいと努力をしますが、書けなくなっています、上手く字を書けない事が症状名の書痙という事になります。

まだまだ書き続けるなら、数限りなく症状名はあります。何故なら意識した数だけ症状名が出来上がるからです。

この意識するという意味は『嫌だから受け取りたくない』と感じた事柄という意味です。

『恐い』と感じただけでも大変な症状名が存在しています。高いとか狭いとか、刃物を見た感じ=先端恐怖症と言った具合です。

これ等は感じた事柄に対して『好き嫌いの心を働かせてしまって、心からその嫌いな感情とか想いとか事柄を追い出しを図る現象です。』

神経症が発症する動機を書きましたので、治る為の動機と治らない人の理由を書いてみます。

自分の感じた事柄の中で『受け入れられないとしたもの』が症状に当たります。ですので心から追い出したいと意識をしています、処がこういった意識する事が症状を発症さててしまって、更なる追い出しを図る事で反って『強く心に刻まれてしまって、治るというよりも強く固定をさせる働きをしています。』

こう云った事によって、症状別の対処方法は無効になりますと書いています。症状の除去と云った努力が発症の原点となって、更なる努力が症状の固定をさせています。

従って治らない場合は、『一生掛かかっても症状の改善を図りたい』と望む場合です。症状の除去から神経症の改善を図る場合では、一生治らない事が保証されています。

治る場合では、症状が在ったままでも、生活を続けて行って、何時しか症状が在るとか無くなったとかさえも言わなくなる場合です。

症状が在って悪いとか、症状が無くなったから嬉しいという事を云わなくなって、症状が無くなったとしても喜ぶ事が無くなった時には『完治』しています。

症状とは誰でもが感じている正常な事柄でしかなかったからです。そう云った事が可能になった背景には、善し悪しを言う事が無くなった事を挙げる事が出来ます。

貴方が楽天的でおおらかな性格をお望みなら、むしろ良い事など訪れなくとも良いや!もっと嫌な事よどんとかかって来い、となったならそれだけで十分だと思います。

今の貴方に足りない事は『安心を求める余り、かえって不安を貴方が呼び寄せている。』と云った背景があるからです。
 

努力しない人

 投稿者:寿司  投稿日:2019年 2月 3日(日)13時47分22秒
  努力したりしないで、遊んでる
人間はコミニティにいれないのでは。
人生は楽しいとかは幻想。
そのような空想的な人間は
厳しい現実に直面するのではないか。
 

HNさんへ

 投稿者:寿司  投稿日:2019年 2月 3日(日)10時37分51秒
  私は森田療法で
治ったかどうかでは
なく、東洋的な考え
方を好みます。
仏教や哲学は大変素晴らしい。
人間は生活してればいいと
言う問題ではありません。
深いことを馬鹿にする
人間はいずれつけが
回ってくると思います。
森田療法が正しいかは
私には分かりません。
私は神経症の専門家じゃないので。
しかし薄っぺらい話しを
する人間は必ずつけが回ってくる。
仏教や哲学を無視する人間は
後悔するでしょう。
 

小学6年生女子です。 私は自分が生きている意

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 2日(土)20時19分21秒
  小学6年生女子です。
私は自分が生きている意味、理由、が全くわかりません。
なぜこの世は存在し、宇宙があって、その中に地球があり、私は存在しているのか。
もしかして離人症ですかね?

関わった物事に対して、喜んだり、悲しんだりすることは出来ます。
でも、数ヶ月くらい前から自分の行動、感じたこと、目に見えるもの、すべて画面越しに見ているような感覚になります。(伝わりにくいですが..)
もしかして、母や父、友達、ペット、生き物。今生きている世界は夢の中なのではないか。
初めから私の運命は決まっているのではないか。
そんな風に私が今生きていることに謎の不安感を抱きます。
この話だけだと、普通のことじゃないか、と思うかもしれませんが、そのことばかり頭にあり続けて、なかなか夜も寝れません。授業も話は耳に入ってくるのですが、やはり集中できません。
食欲もあります。物事の判断、選択もできます。でも、小さい頃に比べると、生きている実感がありません。別に病んでいるわけでもないので、リストカットなどの自傷行為はしません。そんなことするのはおかしい、という考えが浮かびます。

流石に小6なので、恋愛は未経験ですが、少し前まで好きな人はいました。でも、告白して振られたので諦めました。それが原因で今に至ったわけじゃないです。今は、この人いい人だな、とか、もし○○と付き合ったら、とかそういう妄想はしますが、何かに対して、好きという感情が薄れてきました。

毎日毎日いつでもどこでも生きている意味について考えすぎて、ついに精神がおかしくなってしまったのかと思います。

長々とすみません。真面目に、精神科に行った方がいいと思いますか?


補足
皆様、温かいお言葉本当にありがとうございます!
本当に小学生?という声もありますが、本当です。
生理も始まったし、思春期なのかなーとも思います。

たくさんの意見の中で特に
・生きる意味を探すこと
・今自分が生きている時間を大切にすること
↑という意見に納得しました。

道徳の授業のようになってしまいましたが。回答してくださった皆様に感謝しています!!



>>>管理人


もう70歳になったものですが、中学生になったころに貴方と同じような事でかなり深刻に悩んだ事が在ります。同じ事ばかりを考えてしまったために、心が自由に動く事が無くなった状態、ノイローゼの状態になった事が在ります。

死ぬのが怖いと思った事です。毎日明けても暮れても死ぬのが怖い状態になった経験です。

生きた心地がしなくなっていって、生きている感覚が失われた状態に成って居ました、死に対する恐怖症になったと言った経験でした、この事が原因で、離人症に成っていました。

心を病むとか、気が振れたとかを、他人が何も言わなかったので、自分も何も言わないでいました。

そうして悩みながらも生きていったのですが、27歳になった時今の家内と出会って結婚をして、一年後子供が生まれたあたりから、『心が又苦しくなってしまって、にっちもさっちもゆかなくなりました。』

たまたま町の本屋で、ノイローゼ関係の本を見た事から、その本を購入して著者である鈴木知準先生の所に行って、入院森田療法を受ける事になりました。

二か月間の入院治療を受けて、生活態度の誤りと言った事を学んできました。先生の本棚に『鈴木大拙全集』と云ったものが置かれていました。

時々、先生が口にしていた言葉があります。『ノイローゼは悟りを開かないと治らない』という事と、『ノイローゼになった一年は、座禅を十年した事と同じ』でした。

うちに帰って、鈴木大拙博士の本を買って、沢山読みました。そうして退院してから4年後の事です。自分の心が『自分の中の無意識の意識』と出会うと言った体験がありました。この体験で『ノイローゼは完治しました。』

貴方に言いたい事は、『毎日毎日いつでもどこでも生きている意味について考えすぎて、ついに精神がおかしくなってしまったのかと思います。』

の理由です。禅を学ぶ事に付いては、師匠は何も教えて呉れる事はありません、又禅には何も教える事など無い、と云った立場です。

処が、『人間に疑問が沸き上がった時、その答えはもう既に心の中に用意されている。』と言った立場を取っています。

弟子が『人生とは何でしょうか?』と師匠に聞くならば『お前はなぜそう思うのか?』と聞くだけです。疑問が沸き上がったその大元に答えは用意されている事を示唆しています。

もう少し時間がたった時に、鈴木大拙博士の本でも読んでみる事がおすすめです。貴方の抱えている疑問の答えは貴方の中に既に用意されています。

時間は掛かるかも知れませんが、道に至るとか、見性(自性を見る)事で貴方の疑問は解消出来ます、処が答えは誰も教えてあげる事が出来ない問題と思います。

気長に構えて下さい。
 

大阪市在住50代男性 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 2日(土)19時51分39秒
  貴方の質問には答える事が出来ないようです、無意識の意識との対話はやった事がほとんどないからです。又この意識の主人公になって『何も怖くないが悲しみと笑いは感じているのでしょうか?』と云った体験は皆無だからです。

大変申し訳ありません。
 

無意識の意識について

 投稿者:大阪市在住50代男性  投稿日:2019年 2月 1日(金)23時53分35秒
  現代、このサイトは全く見ていませんが、今日の午後16時頃の体験から管理人さんを思い出して
初めて投稿します。
自分が人と話をしている姿を天井から見てしまう様な体験です。約5秒程度でした。
これが自分の姿を客観的に見ている無意識の意識でしょうか?
無意識の意識は、何も怖くないが悲しみと笑いは感じているのでしょうか?

 

漠然とした不安について。 読んでいただきありがとうございます

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 1日(金)20時34分48秒
  漠然とした不安について。
読んでいただきありがとうございます。

私は外に出たら地震などが起きた際にガラスが割れて自分に降りかかってくるのでは無いか、また狭い場所を通ったり潜ったり

すると挟まって圧死するのではないか、信号待ちをしていても常に車が突っ込んで来たらどうしよう、バスに乗ればどこかに追突してバスの窓ガラスを割り何かが突き刺さってきて死ぬかもしれない、など日常的に不安と緊張の中毎日を過ごしています。

現実的に考えてそんな確率は中々無いと頭では理解しているのですが、体がどうも拒否をするのか不安になり手が震えたり勝手に涙が出てくる場合があります。

他にも些細なことを気にしてしまい友人知人の会話の中でも何か言ってしまったかもしれない、嫌な思いをさせたかもしれないなど不安になる要素が沢山あります。
考えすぎだよ、もっと気楽に考えなよと言われることが多いのですが、私自身幼い頃から家庭内でもずっと人間関係での不安を感じながら生きてきました。

少しずつでも改善させたいのですがどうすれば少しはマシになりますか?やはり病院などにかかった方が良いのでしょうか?それともこう考えると気が楽だ、などそういったご意見があれば聞かせていただけますと幸いです。お知恵をお貸しください。よろしくお願いいたします。



>>>管理人


考え方の変更が出来るなら、楽天家になる事も可能と思います。今の貴方の考え方ですと何が起きても『自分には不利』な事に捉えているようです。

この考え方がマイナス思考というものと思います。この考え方を替えてプラス思考になる事が出来た時に、楽天家になっているという事になると思います。

貴方の考え方の根底に、何でもかんでもストレスにしている部分があります。つまり良い事だけは受け容れたいとして、嫌な事だけは避けて通りたいとする心です。

多かれ少なかれ誰でもがそう願っている事は事実と思います。処がそう云った調子が良い事は起きる事の方が稀だと思います。

誰にでも良い事が有ったり悪い事が在ったりして、一年が過ぎて行って二年とか三年が過ぎて行くと思います。

貴方の考えが、良い事も悪い事もどっちが訪れた処で、受けれざるを得ない、と思う事が出来たなら、もう半分は楽天的な人間になっています。

もっと楽天的な人間になるには『嫌な事が来ても受け容れるよ!』と決心する事です。そうなるなら、嫌な事でも平気になっていますので、普通の事とか、良い事が在った時などは、大変な喜びになっています。

今の貴方がマイナス思考の理由は、嫌な事とか好きな事とかの分別が激し過ぎるからです。良い事も悪い事も分け隔てをする事なく受け入れる練習をして、結果的に良いとか悪いとかを言う事が無くなった時、貴方は楽天的な人間に変化しています。
 

吃りがひどくなっていく原因を教えてください

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 1日(金)20時31分42秒
  吃りがひどくなっていく原因を教えてください。

あと その人と接する時に気をつける事も教えていただけたら助かります。

40代 男性
小さい頃から少しの吃りがあった。

3年前に知り合い 話すようになりました。
気にならない程度の吃り。
ここ半年位でひどくなってきました。
興奮?楽しくなってきたり、自分が話したい事や何か説明をする時に うまく言葉が出てこない感じです。出ても吃ります。
私はゆっくり聞いているだけです。


>>>管理人

吃音は神経症の一症状です、神経症の場合では症状別の対処方法は効果がありません、神経症としての対処方法をする事で、色々な症状が皆改善されると思います。

神経症の原因は一つだけです、その原因は『心同士の仲違いです。』分り難い書き方をしていますが事実です。人間の行動が一番確かな状態を挙げるなら、優勝が掛かった時の一打を的確に打てるかどうか?という事になると思います。

オーストラリアでの大阪ナオミ選手の動きです。人間の身体も心も、『自意識で制御する事は出来ないようになっています。』意志の力を込めた時が神経症になっているからです。

上手く吃音にならないようにして話そうと、意志の力で話をする時吃音になっています。

書痙というものがあります、是は或る日自分の手の震えに気が付いた事によって『自分の意志の力で震えを止めてしっかりと字を書こう』と努力をする事から発症しています。この発症によって更なる症状の改善の努力が始まるようになっています。

処が努力をすればする程、字が書けなくなっています。終いには両手で書くようにしますが、やっぱりうまくゆかなくて途方に暮れるようになります。この手の震えを医師が経験した場合では悲惨な結果になるようです。

手の震えによって、傷を付けてはいけないところがあるからです。神経症を治すまでは手術が出来なくなるからです。

人間の場合では、上手くやろうとする場合では『予期不安』に苛まれてしまって、無意識の自分と交替出来なくなります。是が神経症の正体です。

吃音の人がうまく話しが出来るための方法は幾つかあるようです。一つは逆説志向というものです。吃音で話をさせる方法です。

上手に吃音で話をするようにしてもらう方法です。吃音が出なくなるようです。
吃音で話をする事で吃音を受け容れる事が出来た段階で吃音が治った事になります。

吃音が出て困るようでしたら、『もっと吃音で話をするように努力をしてもらって下さい。』吃音で話をする努力が出来た時、吃音は引っ込んでしまう様です。

ぜひやってみて下さい。



<<<質問した人からのコメント



詳しい回答をありがとうございます。
吃音に関しては3年間の間で
「僕、少し吃音あるよ」という事を聞いた時だけで あとは一切話した事がないです。
私が勝手に「仕事するにも、改善した方がいいのに」と思ってしまっているだけで 本人はもしかしたらなんとも思っていないかもしれません。
悩みとして打ち明けられる時が来たら 話してみようと思います。
しっかり覚えておきます。
 

前回の投稿に付いて( 投稿日:2019年 1月26日(土)

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月27日(日)11時38分30秒
  この投稿は、斎藤氏がここのホームページに投稿して来たものの一部です。人が投稿して来たなら『HNは人の掲示板に来てまでも、アドバイスを書き込む。しかも求めてもないのに。
斎藤は決してしない。この違いが狂っているか正常であるかの違いだ。』

と言いながら自分ではもっと多いかも知れません。

自分の事を棚に上げて人の事を過大にあげつらう性格は、神経症の人に多い傾向があると思います。かくいう私にもその傾向が多分にあると思っています。
 

HNは人の掲示板に来てまでも、アドバイスを書き込む。しかも求めてもないのに。

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月26日(土)19時54分18秒
  [3731] ああしろ、こおしろ
 投稿者: 管理人 投稿日:2019年 1月26日(土)09時06分21秒   通報   返信・引用


HNは人の掲示板に来てまでも、アドバイスを書き込む。しかも求めてもないのに。
斎藤は決してしない。この違いが狂っているか正常であるかの違いだ。



完治   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月 1日(月)08時22分35秒


   神経症とは完治根治を言いながら一生を終わる精神病です。だからファン氏も間違っているし、
答えている管理人も間違っている。神経症が治るとは、完治根治はどうでもよい世界に移る
ことなのです。


斎藤 様へ   投稿者:管理人   投稿日:2018年 1月 1日(月)14時07分41秒


   治ったとか治らないとかを問題にしない世界に入る事は、貴方の書いた通りと思います、従って治らない人は気持ちが悪いとか、治った世界は気持ちが良いとかを言う事が無くなるという事だと思います。

日頃から貴方の言っている事を書く時はこのようなチグハグだと感じた時だけです。

神経症が完治した世界とは、神経症の症状をすっかり受け入れてしまう時です、同じ『湧き上がった感覚』を受容した時が完治した時であって、毛嫌いしている時は神経症の真只中にいる事を証明している事を意味すると思います。

神経症者は気持ちが悪いと言い切る人はどっちかな?


学ぶ   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月 7日(日)15時46分32秒


   神経症とは精神病であるから、学べば治る対象ではない。学べば治ると信じつつ、
一生学びを求めて終わる強迫状態の自分にストップをかけられるかどうかの問題である。


キチガイにあり続けるとは   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月13日(土)07時27分45秒


   自分の脳が治りの一点に絞られて、それ以外は盲目になっているのに気が付かない。
この状態で目的を達成しようとすると膨大な無駄が待っていて、人生は神経症で終わってしまう。
神経症を治すとは、キチガイから健康に戻る事なのです。



雑用の 山が待っているはずだ。   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月12日(金)20時23分20秒


   誰もやるべきをやるなんて言っている人はいない。健康な人では、何かする時に言葉が邪魔しない。


カウンセリングはだめ   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月17日(水)12時43分54秒


   カウンセリングとは患者を餌にして医師らしい者が金を儲ける方法でしょう。
神経症とはもっとも難しい心の病であり、誰もカウンセリング


知的理解   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月18日(木)16時56分10秒


   知的理解は神経症を更に悪くする。それを避けるベストな方法は、体を動かすのです。


信用するにはあまりにも良すぎる   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月23日(火)20時03分8秒


   「もうかなり昔になります、今69歳ですので42年前に鈴木知準先生のお世話になった事があります。講和という時間があって、----------------当時の症状名は『死に対する恐怖症』ですが、このために生きた心地がしなくなって『離人感』で苦しんだ事、生き難い想いがまるで嘘のように思われます。毎日を安楽に過ごせています」


どうもこの話は出来過ぎていて信用出来ない。こんな緩解の例は過去20年見たことありません。
私の経験によると、神経症を治すにはどうしても体の動きを必要とします。
体の動きなしに、単に悟りだけで治ったは、信用するにはあまりにも話が出来過ぎています。


信用するにはあまりにも良すぎる    投稿者:管理人   投稿日:2018年 1月24日(水)07時36分30秒


   斎藤さんへ

『ある日本屋で、本を見て、その瞬間に治った。』という文章を見た事が在ります。私から見たり貴方から見ても『信用するにはあまりにも良すぎる 』と思いませんか。


悟り   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月18日(木)20時21分46秒


   鈴木大拙が言っているね。そもそも悟りなんてものは最初からないのだと。
なら、そんな所でぼさぼさしていないでどんどんやったらどうかと言う。
ぼやぼやしていると警策が飛んでくる。



斎藤 様へ   投稿者:管理人   投稿日:2018年 1月19日(金)09時03分11秒


   今の曹洞宗も貴方と同じことを言っているようです。悟りなどないという事です、もしもそうだとするなら、禅宗の問答とか、或は無門関などの禅の本の内容はなにを言っているのか?という事になると思います。

禅宗の眼目とする事は、ただ一事を目指していると思われます。それは『生死の問題の解決』です。この他には宗教としての目的は無くなってしまうと思います。

悩みとか苦しみとはその元をたどってゆくならば、必ず『自身の生死』に辿り着きます。自身の生死の問題が解決する時、全ての人生の悩みとか苦しみとか、疑問は解消します。この一事が禅の眼目とするところだと思います。

斎藤さんとは見方が違うかも知れませんが、そういう違いがお互いの個性を形作っていますので、それはそれでOKと考えています。

まだまだ数え上げるなら、切際限なく出て来ますが、忙しいのでこの辺で止めにします。

 

/1661