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寿司 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 5日(火)13時31分54秒
  お釈迦様はインチキは許さない と思われますがいかがでしょうか

お釈迦様は、正直者だと思います、馬鹿が付くほど正直者だと思いますので、激しく怒ったと思います。お釈迦様の性格は大変きつい性格だったのではないのだろうかと推察出来ますのできつく叱られたと思います。
 

m 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 5日(火)12時18分33秒
  繰り返しになりますが、『症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言わないでいる事です。』

この繰り返しの生活の中で、本当に『、症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言う必要が無くなるようになります。』

独りでに、治った姿になっています。症状が在った事とか、症状に悩まされたことも忘れるようになります。そうして治った事さえも忘れています。

それが完治した事を意味しますが、頭の中を探すなら『症状はあります。』処が症状としての作用をする事が無くなっています。症状は夢、幻となって消えています。
 

お礼

 投稿者:  投稿日:2019年 2月 5日(火)11時54分35秒
  早速お返事ありがとうございます。
了解しました。
他の強迫観念同様の対処でよいとのことですね。実際他の種類の経験した症状は治らずして治ったという感じです。ただどこかで今の症状だけを特別視しているように思えます。

実は、最近はもう治ることはないと頭の中で徐々にわかりつつあります。しかし、なかなかそれを受け入れきれない自分がどこかにいます。やはり知的理解だけでは難しいのでしょう。
不問の苦しみの中で勝手に治ることがないということが自分の中で了解されていくというようなイメージでよろしいでしょうか。
 

m 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 5日(火)11時33分44秒
  神経症は症状こそ多岐に渡っていますが、原因はたった一つだけです。ですので症状別に対処方法が存在するわけではありません。貴方の症状も、違った形の強迫観念も書痙でも吃音でも対処の仕方は皆同じです。

森田療法の奥に存在しているものは、『症状はまやかしであって、症状を構っているな!』です。不問という意味はこういった趣になります。

症状が発症する原因も、治って行く事も、治らないでいる事も同じ事が関わっています。

逆に治った姿とは『症状を構わないでいる事』です、症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言う必要が無くなる事が治った事を意味します。

ですので不問療法の内容は『症状を構わないでいる事』です。症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言わないでいる事です。

貴方にとっては辛い事かも知れませんし、貴方の意には添わないかも知れませんが、貴方の(誰であっても)症状は治る事はありません、この治らないという事を了承したうえでの不問が一番効果があります。

症状が取れるとか、症状の軽減を図る為の不問はあまり効果がありません。

もう症状は無くなる事は無いと思って不問に励んで下さい。本当に症状は無くなる事など無いのですから。
 

(無題)

 投稿者:寿司  投稿日:2019年 2月 5日(火)09時45分20秒
  お釈迦様はインチキは許さない
と思われますがいかがでしょうか?
私個人の意見はお釈迦様みたいな
人はインチキを振りまくと
激しく怒ったと思われます。
HNさんの見解を聞かせて頂きたい。
 

数にまつわる神経症

 投稿者:  投稿日:2019年 2月 4日(月)21時37分53秒
  24歳男です。現在医学生で春より医師になるものです。
長文で申し訳ございません。あるサイトで神経症への理解が大変深い方が運営されているブログがあると伺いこちらに投稿させていただきました。

私は、中学2年時より耳鳴り、醜形恐怖、不眠恐怖、加害恐怖、先端恐怖、精神病恐怖等数にして30にも及ぶ多様な強迫観念に苦しんできました。1つ解決すればまた新たな問題が一つ現れるという形で結局神経症から抜けられず過ごしてきました。1つを除けばこれらはほぼ凡て解決していますが、現在、ある強迫観念に寝ている時間を除いてほぼ一日中苦しめられ、その状態が1年続き非常に苦しんでおり、改善の兆しも見えません。
その強迫観念とは、視界に入るものの個数が気になってたまらないというものです。物の数を数えたくなるのは四六時中のことですが、急に気が狂って永遠に数を数え続けるのではないかという発狂恐怖のような考えもあります。1年前、偶然、ネット上で視界に見えるものの数を数え上げなければ気が済まないという症例が目に入り、自分もそうなったらどうしようか、恐ろしい、消したい、忘れたいと頑なに願ったことで発症してしまったのだと思います。強迫観念を打ち消すために永延と数え続けたり、観念を抑圧してみたり、自分は治ったと暗示をかけてみたりしましたが全て徒労に終わりました。
昨年夏、この数に関する症状と、倉田百三氏の連鎖恐怖に非常に類似した症状により勉強不能になり、カウンセリングにかかったのをきっかけに森田療法を知り、森田先生、高良先生、鈴木先生の本、及び強迫性障害に関する書籍を何度も読みました。自分のことが書かれているように思え、自分は森田神経質そのものだと思いました。自分なりに実践し、後者の症状はほぼ解決し一応日常生活は遅れるようになったのですが、数を数えるこの強迫観念についてはいまだ治らないままです。つい、不安になるとインターネットで神経症や強迫性障害に関する情報を検索してしまったり、症状を口にしてしまったりします。苦しみが永続するのではないかと思い、耐え切れなくなってしまいます。また、数を数える症状だけは特別で何をやっても駄目なんじゃないか、自分の脳が特別おかしいので自分は何をやっても決して救われないのではないかとも考えてしまいます。医学生として精神科を見ても、正直対処療法に終始しているイメージしかなく、実際精神治療で治っている方はかなり少ない印象です。そのため精神科医療にも期待できない現状です。

そこで質問がいくつかあります。
症状を受け入れることの必要性について、今までに解決した強迫観念の経験からも受容が解決につながっているとは分かります。しかし、受け入れよう、受け入れようとしても症状を受け入れることがどういうわけかできません。数えてもいいやということで数え続けていてはこれこそ生活は成り立ちませんし、廃人になってしまいそうです。かといって個数が気になる状態の不快感もなかなか受け入れがたく、自分の頭で何をやっても無理だなと感じているところです。四六時中症状を意識している状態が一生続いたらどうしようかと思ってしまいます。それこそこんな状態が続いたらおかしくなってしまうのではないかとも思ってしまいます。如何にするべきでしょうか。これが治るという心理的根拠が考えられません。
また、一般に神経症関係の書籍では不安を解消する行為をするなと書かれています。この場合、不安になるたびにサイトを検索したり、森田の書籍を繰り返し読んだりすることもやはりよくない行為に該当するのでしょうか。
また、雑用を治すために行えば悪化するという記事を最近目にしました。近々、長期休暇期間に入りますが、その際、特に予定のない日は家事手伝いなどの雑用を行おうと思っています。医師になって強制的に働かされる環境になれば話は別かもしれませんが、こうした行動を行う際、どうしてもこれをしたら治るという下心が心のどこかに入ってしまいます。そうなると、神経症の解決にはこの下心をなくさなければならず不問だけでは不十分なのかもしれないと考えてしまいます。特にすることがない日は敢えてどうしてもその下心がついてしまうので雑用せず、無為に過ごすべきなのでしょうか。それでも、不問を貫き通すだけで十分なのでしょうか。
結局、この問題の解決のために何が絶対的に必要となるのでしょうか。不問だけで十分なのでしょうか。
 

森田療法とは結局「ド根性で我慢する」療法なのですか

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 4日(月)20時40分17秒
  森田療法とは結局「ド根性で我慢する」療法なのですか?

7割くらいは結局我慢する療法だ と言っても違和感ないですよね???

我慢で怖い症状をそのままにしてバンジージャンプしてみろ!ほらこわくなかっただろ?的な感じじゃないですか


>>>管理人


森田療法を2か月間受けて、その4年後に恐怖症が完治した経験があります。今70歳になりましたが、28歳で森田療法を受けました。

振り返ってみた場合にかなり明確に分かる事が在ります。分かる事とは神経症の内幕です。神経症はノイローゼと言っても良いものだと思います。神経症には様々な症状が存在しています。

各症状の間には何の関連性もないように見えているものさえもあります、処がその奥に存在している原因は、全て同じ原因から発症している事が分かります。

神経症が発症するシステムを書いて、治るシステムを書いて、治らない場合を書いて、森田療法がどのような役割を果たしているのかを書いてみたいと思います。

神経症が発症するシステムとは、実に簡単な事です。この事を理解して頂く為には人間の高度に発達した脳の機能を説明すると、説明が容易にになります。

人間の悩みと脳の機能が関係していますので簡単に、人間の悩みが発生する仕組みを書いてみます。人間の悩みとは『心の矛盾』を悩むところに在ります。

その原因は脳の機能に在ります。大人の脳の機能を説明したいと思います。ウイキぺデアからです。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

こういった脳の機能分化が完成する時期は思春期頃のようです。聖書で言うところの知恵の実を食べたとされて、自分の裸をイチジクの葉で隠したとされたころと一致しています。

こういった脳の機能分化が完成される頃、人間の脳内には心が二つに分かれて相争う現象が始まります、つまり聖書で言う処の失楽園と言った現象が始まって『人間に悩みが始まる』という事になります。

人間が一番幸福な事を『天国とか極楽』と表現する場合があります。キリスト教に於いても仏教に於いても同じ見解です。この意味は『心が相争う事をしないで仲良く寄り添っている』からです。

人間に元々備わっている”心”があります。その心とは、安心する事でも不安になる事でも、或は高い所は怖いと思わせたり、狭いところを教えていたりする機能の事です。

好きな人の前では『心をワクワクさせたり』納期が迫って来る時にはどうしようもなくさせてくれている機能の事です。そういった感情が沸き上がる事をさせている機能は、自意識と云った左脳に存在している自意識とは違う意識です。

左脳に存在している人格は、顕在意識とか自意識とか自意識過剰という場合に使う意識の事です。

脳内には意識がもう一つ存在しています。それは右脳の人格=心ですが、機能は全く違っています。脳卒中になって左脳の自分と右脳の自分が交互に支配をした経験を持っている、脳科学者の動画がありますので見て下さい。

URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

この体験は『悟りを開いている』体験を語っています。この体験後では二つの意識は『脳梁の中で、新しい回路構成が出来るために』二つの意識は争う事が無くなります。この体験が『宗教体験』です。哲学的には『絶対矛盾の自己同一』と言う現象です。

この後では仏教徒なら、仏性の前を出しゃばって歩く事が無くなります。常に自意識は控えめに『命の働き』の後からある雇用になります。心の中が限りなく静かになる現象『涅槃』を感じている事を意味します。

キリスト教徒なら、神と出会って神と和解が成立をして、神の前にシャシャリ出る事は無くなります。この姿を『神の僕となる』と表現します。

右脳の機能とは『自意識に全ての生きるための情報を伝えて、感情を湧き上がらせている存在』という事が出来ます。

又この意識は『無意識の底に潜んでいます。』そうして、自意識の前に姿を現す事は無いようです。この事が「精神疾患の原因を分り難くしています。』

全ではこの二つの意識の関係性を『没交渉』と表現しています、その癖に出会った体験の事は『今更お前は誰か?と聞く必要さえも無かった存在』と書いています。もう十分知っていた存在であったという事です。

大人の嬰児という意味は『自分の性をを徹見したために、脳の回路構成がホットラインでつながる』という意味です。処が赤ん坊とは違う、人生が分かっている嬰児です。

神経症の原因とは、この二つの意識がいがみ合った関係性を言っています。逆に言うなら『健常者はこの関係性が良好に行っている場合です。』

例えで説明するなら、書痙というものがあります、この現象は字を書いている時に手の震えなどを感じたりして、手が震えないように『自意識でコントロールし始める事を意味します。』意識して手が震えないようにうまく字が書けるように自意識が身体と心を支配しようとする現象です。

吃音というものがありますが、是も全く同じ現象です。ある種の錯覚が支配を始めてしまう現象と言っても良いのかも知れません。

ノイローゼの現象と云っても良いのかも知れません。地面に引かれた畳、幅が約90センチメートルの上を歩く事が出来ない状態と言ったら良いのかも知れません。

50mとか100m上空に引かれた畳の上を歩くような錯覚で歩く事が出来なくなっている状態だと思います。

自意識から無意識への交替制が順調に行かなくなっている状態を指していると思います。

神経症の発症する原因は『無意識の自分との交替制が出来なくなっている現象』と言っても良いのかも知れません、又恐怖症やパニック障害などでは『送られてきた情報の受け取りをしないようにしている事が原因で、発症しています。』

普通の状態では、そういった情報は送られて、受け取ったら終わりです。処が高いといった情報とするなら、高いといった情報の受け取りを拒否した場合では、送る方の機能は再送をするシステムになっている様です。その場合では再送する時には大きく拡大して送って来ます。是が恐怖症とかパニック障害の引き金になっています。

神経症が発症するシステムを書いてきましたので、今度は治る為とか、治す為の方策です。

神経症の症状は健常者が常日頃感じている感覚とか、感じとかといったものです、処が神経症が発症までになる人では、当たり前の感覚でさえも苦痛に感じ始めている事が原因で発症するようになります。

感じないように、感じた場合では、そういった感覚に対して着信拒否をするようになっています。『意識してそういった感覚を排除しようとしています。』この努力が基になって、更なる感覚が押し寄せています。

こうなったら悪循環が始まります。感じたくない事柄を排除しようとするために意識する事が多くなるといった現象になっています。意識地獄が成立する事を意味します。

さて森田療法の神髄とは、『7割くらいは結局我慢する療法だ と言っても違和感ないですよね???

我慢で怖い症状をそのままにしてバンジージャンプしてみろ!ほらこわくなかっただろ?的な感じじゃないですか? 』


と理解されている部分があるかも知れません、処が微妙に違っています。森田療法の神髄とは『症状は元々なかったもの』と云った立場を取っています。元々なかったものを、無かったものと感じるようにしてくれる療法と言っても良いと思います。

従ってその根幹を為しているものは『症状に対しての不問』です。どんな症状であってもお互いに言わない語らない書きものにしない事』が原則です。

ですので、神経症が治る場合では『症状の消滅を図らないでいる場合が治る場合です。』

治らない場合は『症状の消滅を図る決心とか意志が固い場合です。』この場合では一生掛かっても治る事は難しいと思います。

その理由は、治りたいとか治したい(症状の消滅という意味です。)と云った現象が、発症を促していて、更なる症状の排除を願う心がしっかりと心に固定をさせと云えるからです。

神経症の場合での症状は全てがまやかしです。神経症を治すという意味は『症状を受け容れるとか、症状に付いて善し悪しを言わなくなる事です。

森田療法は、症状の事を不問とする事で、治る時が来たなら『症状が在っても無くなったとしても気が付く事が無くなっています。』

つまり治ったのか治らなかったのかさえも忘れ果てている時『完治した事さえも忘れてしまう』という程神経症には効き目がある療法、と云う事が出来ます。
 

寿司 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 3日(日)16時49分38秒
  もう70歳になりましたが、未だに引退出来ないで働いています、働くのが好きなものだから苦痛には感じていません。

一日働いて、家に帰って妻の手料理を食べながら晩酌が始まります。何気ない会話でさえも楽しんでやっています。人生は二人でいると、何か楽しくてしょうがないと感じているひと時です。
 

HNさんへ

 投稿者:寿司  投稿日:2019年 2月 3日(日)16時40分42秒
  私は決して書物を読んだり、
情報をもっている人間
ではありません。
神経症やその他の心の病に
ついてはっきりとしたことは
言えないと私は思います。
複雑に絡み合っていて、
自信をもって、心の
病を説明は私は出来ません。
正直なところ、私は
精神疾患について自信は
ありません。それが正直な
ところです。
ただ、世の中はそんな単純では
ないと思ってます。
複雑だから、自信満々に断言
するのは違和感があります。
また、世の中の様々な人たちの
努力を無駄とすることは
私は出来ません。

最近思うのは、働いたり、
努力することを否定する風潮です。
自由にのびのびと生きれれば
素晴らしいでしょうが、
そんなものでしょうか。
現実には働いたり、挨拶したり、
努力したり、真面目に生活
すべきと思います。
自由なんてそんな簡単な
ことでしょうか。
人生が楽しいなんて妄想だと
思います。
人生って面白くないし、
豊かでもないし、笑顔でも
ないと思います。
私はインターネットに接続したり、
テレビを見たりするより、
真面目に働くことが現実
だと思います。
 

寿司様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 3日(日)15時55分25秒
  仏教や哲学を無視したり、努力したりしないで、遊んでたり、『しかし薄っぺらい話しを する人間は必ずつけが回ってくる。』とは私もそう思います。

斎藤氏の言っている事『世界中で神経症が治った人間はただ自分一人だけ』は本当にそう思っているのでしょうか?大変疑問に感じているところです。

もう一つですが森田療法で神経症の治療は一つの完成を見た訳だと思いますが、『神経症を治すホームページ』の翻訳ものを見たところで、神経症の真実に迫ったものが無くて、大変枝葉末節な内容になっていると思います。要するに薄っぺらな内容という意味ですが、寿司様は如何お思いでしょうか?
 

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