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お返事

 投稿者:レロ  投稿日:2018年 5月24日(木)22時35分25秒
  大変お世話になっております。さっそくの回答ありがとうございます。
2冊ほど鈴木大拙の本を読んだのすが、非常に難解なのでほとんど理解できず、読むまで時間がかかりそうです。そこで中学生に向けてわかりやすく書いた「鈴木大拙の言葉」という本があったので読み終わったらまた感想投稿いたします。この本ならなんとか読めそうです
また管理人さんのホームページが今一番神経症の解決についての正確な真理、解決法が書かれていると思います。私もこのサイトによって30年以上続いた神経症を解決したいです。症状は自律神経失調症です。くわしくは不問なのであえて書かないようにいたします。それと斉藤療法などという森田先生、鈴木先生にたてつく分けのわからない人など相手にしないで体をこわさないよう気をつけてください
 

”森田療法と仏教は繋がっていないように見えますが、

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月21日(月)20時23分38秒
  森田療法と仏教は繋がっていないように見えますが、
どのへんが繋がっているのでしょうか。
森田では対人恐怖は普通の人にでもあり得る正常心理として流すように仕向けます。
仏教では無我の境地に気づかないとならないとしています。ここに断絶があります。



>>>管理人



仏教でも神経症でも共に、心が二つに分かれる事によって悩みや苦しみが始まっていると思います。主体と客体という風な二元論です。言い替えるなら人間の苦しみは分別から始まっているという意味になります。

分別が出る前には無明は無かった、従って究極の仏教徒の修業の目的は無明に打ち勝つ事であり、分別から始まった無明による業に依っての結果である、あらゆる苦しみからの解脱を、仏教徒は目指す事になると思います。

『一度我々が知るものと知られるものとを、分別し始めるや否や、無明の影は知性の全野を覆うに至った。知性は今や常に無明を伴って居る。その時以来我々は二元論そのものに深く心を奪われて、二元論をなしているものに気付こうとしない。』是は鈴木大拙博士の写しです。


二元論が生じている初めは、一念に対しての二念です。或は自我に対しての『命そのものの働き』=『仏性』です。

我々の不安とか恐怖心とかを起こさせている『働き』です。

この”働き”と自意識が、仲違いをしている事で『意識地獄が始まっています。』

時間が無くなってしまいましたので、次回に又書いてみたいと思います。

 

レロ様へ -2

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月20日(日)19時03分20秒
  『また、鈴木先生のような入院治療が現在の医療環境から困難であるのならば、理論学習等でなにを一番理解すればいいか、ご意見を聞かせてください。』という事の答えをしないままで一回目を書き終えましたので、この事に絞って書きたいと思います。

自分の性を徹見する、つまり自性を見極めるという意味ですが、この事が分かる事を悟ると云っています。

この為の手引きは『鈴木大拙博士の著作集』が大変良いと思います。

鈴木大拙博士の本は実に難しいかも知れません、禅問答の答えが書いてある部分がありますが、なかなかわからないと思います。

禅問答の答えが分かる時に悟りは開けていると思います。

如何いった性格の人が、どういった師匠に会ってどういったきっかけで悟ったのかが詳しく書いてあると思います。理由は分かりませんが、鈴木大拙博士の著作集を読んだ結果『父母未生以前本来の面目』が分かった過去があります。

ヒントを書くなら、この問題を師匠から貰った人が、学問などいくらやっても無駄であった、と言って一切の修業を止めて悟りを開く修行を止めて、一人山の庵に籠るといった生活に入りました。

そうした或る日、箒で掃いていた時に、小石が竹に当たって[Ka-n] と音がした瞬間に悟りが開けたといった話です。

悟りが開ける瞬間の描写が書いてあります。大体が禅の本はこう言った描写になっていると思います。難しいかも知れませんが『鈴木大拙氏の著作集』を読む事をお勧めしたいと思います。

鈴木知準先生が言っていた事、一念と二念で言うなら、一念が沸き上がる瞬間の事を言っています。意識が発生する瞬間の事です。
 

レロ様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月20日(日)13時06分38秒
  私の場合は偶然町の本屋さんで手にした、鈴木知準先生の著書を読んで、さっそく東京に診察を受けに行きました。当時結婚して一年ちょっと経った頃で、長男が生まれて半年位の時だったと思います。

理解ある妻に恵まれて、さっそく入院治療を受ける事に致しました。『死に対する恐怖症が高じて、離人症』になっていたと思いますが、死ぬのが怖いとか、症状の事はほとんど言う事が無かったように記憶しています。

その理由は『死が怖くない人などいない』と思っていたからです。その他にも『人生とは何ぞや?或は自分は何者か?』といった疑問が強く自分の心を苦しめていたように思います。

只人によっては、鈴木診療所に入院をしたとしても、毎日の入院生活が『果たしてノイローゼの治療の効果があるのか?と疑いを抱いて(信用できないために)』数日間入院生活を送っただけで、帰ってゆく(利口?)な人も居ました。

レロさんが言われるような『閉鎖された環境での治療を、管理人さんのように神経症に悩まれ、鈴木先生のところを卒業し、治癒したかたが治療にあたることが望ましいと思います。』は正しい見解と思いますが、世の中には様々な批判が存在しています。又儲け主義は取らないとしても土地代や建物の償却費などの費用、或は今の若者の『忍耐力の無さからくる、森田療法離れなどを考えた場合では、経営が成り立たないと思われます。

『神経症を治すホームページ』を主宰している斎藤氏という人がいますが、傍から見ているなら、入院森田療法を2回受けた事が治るきっかけになっていると思いますが、本人から言わせると『鈴木知準先生も、森田正馬先生も神経症が治っていなかった、とさえも言っています。』

粉ミルク健康法という療法があって、医者が治療を放棄してしまった末期がん患者を沢山救ったといった実績があるにもかかわらず、心無い人のやっかみが原因で裁判にかけられて、敗北したケースがあります。

何が正しいといった基準が、有っても無きが如しだと思います。

今のアメリカなどが良い例だと思います、銃規制をした方が大量殺人の機会が減る事実があると思いますが、銃に携わる人とか企業の力関係によって、なかなか法律が捻じ曲げられているようです。

又精神薬とか、医療関係の薬なども、製薬会社の資本力の前に、議員でさえも企業寄りの法律を成立させていて、『(株式会社)アメリカ社会』になってしまって、人間の幸福の追求が片隅にやられてしまって、企業の業績が重視されてしまっているようです。

がんの人を救うためには、1億円も掛かる薬を飲ませて治療をしなくてはならない社会になっているようです。がんが治らなかった場合ではその人の死の後には莫大な借金が残ってしまう社会のようです。


今、『神経症を治す掲示板第二』の中で論じられている事に、対人恐怖症の原因と、不安そのものを問題にしている神経症の原因には根本的な相違があると論じられていますが、なかなか興味がそそられています。

対人恐怖症の人は原因を全て『対人関係の不安』ととらえているようです。私の場合では『死に対する恐怖心や不安』がノイローゼの原因の全てと考えています、


処が対人恐怖症の治るきっかけが、仏教を学ぶ中に在ると述べています。

私の治った、死に対する不安とか恐怖症も、仏教を学ぶ中に在ると考えています。原因が違う様にとらえていても、治るきっかけとか原因は同じようです。

今鈴木大拙氏の本を読んでいます。現代随想全集(第14巻)1,945年鈴木大拙と倉田百三の共著です。

この中で人間の悩みとか苦しみは、二元論が出てくるところから始まっていて。この二元論が何故出てくるのかを知らないでいる事が『無明』と述べています。

二元論を論じている事が議論の対象となっているが、実はその二元論の元になっている事を解明する事こそが解脱を意味する事、と述べています。

苦しみの根源を解明する事こそが、解脱と説いています。無明を打ち破って、無明の根源を解明するなら『対人恐怖症であっても、パニック障害であっても、不安症であっても恐怖症であっても』全てが解消する。と鈴木大拙氏は書いています。

補足するなら、神経症を治すホームページを主宰している管理人は、なかなかに英語のスピーチは出来たお人のようです。ただ残念と思えるのは、二元論を問題にしていますが、その二元論がなぜ起きてしまうのかといった根源的な問題にまで切り込む事が無い事が、神経症の治りとか神経症に対する理解がイマイチになっているような気が致します。
 

知的森田学習の限界

 投稿者:レロ  投稿日:2018年 5月20日(日)00時08分47秒
  はじめまして、いつも掲示板見ています。管理人さんの神経症の治癒体験や右脳と左脳の働きの理論等は自身の神経症の解決のとても参考になっています。そして自分もなんとか神経症の解決をしたいと思っています。
さて、管理人さんの影響で、鈴木知準先生の書籍を読むようになり、森田先生の森田療法が正式に行われていたのは鈴木知準先生のところだと実感しました。鈴木先生の治療を受けた人が羨ましいです。現在のように、森田が理論学習や外来森田療法(投薬も含め)など、別の形で行われているのですが、これでは知的理解の範囲にとどまり解脱や悟りなどの完治は自分も含め難しく、時間も多くかかると思います。そこで管理人さんにお聞きしたいのですが、今後、神経質にひっかかった人が治癒するため、今後どのような治療形態で行われることが望ましいか、また、鈴木先生のような入院治療が現在の医療環境から困難であるのならば、理論学習等でなにを一番理解すればいいか、ご意見を聞かせてください。
私は鈴木知準先生が行っていた閉鎖された環境での治療を、管理人さんのように神経症に悩まれ、鈴木先生のところを卒業し、治癒したかたが治療にあたることが望ましいと思います。
 

今日は日曜日

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月13日(日)19時50分48秒
  久しぶりに、仕事の予定がない日曜日でした。お客様が二部制でラインを動かしている関係上、点検とか改修とか、修理などが日曜日になる事が多いために、、日曜日に仕事が逆に多くなるような事が多いようです。

今日はお昼に起きて、ご飯を食べて、家の掃除をしましたが4時半に終了しました。その後久しぶりにカラオケに行ってきました。

5月7日から始めたそうですが、一人カラオケは半額に成って居ました、一時間400円です、当然これだけでは済まなくて、一時間延長しました、プラス800円でした。

3年くらい前では、歌う曲の中で主に演歌ですが、7から10曲くらいが90点を超えていたものですが、段々年を取ったり、耳が悪くなったりして、90点が取れなくなってしまいました。

今日は千昌夫の{北国の春}と{故郷の四季を歌う}の2曲だけ90点越えでした。

前には北見恭子の”紅の舟歌”、石川さゆりの”大阪の女””や”天城越え”、中村美津子”袖摺り坂”、千昌夫、吉幾三の歌が多数90点超えとなっていましたが、年には勝てなくなっています。

サザンオールスターズの”ドラマで始まる恋なのに”と”秘密のデート”が共に86点でした。その他では最高88点止まりになっていました。

もっとうまい人は沢山いると思いますが、人に自慢出来るものが少ない私にとっては、カラオケが自慢出来るものの一つです。何にもならないと分かっていますが、只の楽しみの一つです。


 

パニック障害 お礼

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月12日(土)19時02分16秒
  詳しく回答して下さりありがとうございます。
是非、参考にさせていただきます。


>>>管理人


パニック障害の治りは、楽を求めたり、恐怖感を払しょくしようとしたり、不安感の排除をしなくなった時だけです。

不安から逃れようとしたり、恐怖感から逃れようとしたりする事が、そのまま不安とか恐怖を呼び寄せています。

パニック障害の症状を寄せ付けないコツは『恐怖感があったとしても避けようとしないでいる事』たったこれだけが全てです。


健常者と言われる人であっても、突然パニック障害になる可能性はあります。ノイローゼとか精神疾患とか、心を病むといった事は『心の風邪』と表現する事がありますが、治るのか治らないのかは、たったこれだけの違いですが、専門家である精神科医でさえも、この違いを正しく見定めていないように見受けられます。

地獄に入る決心が出来た時パニック障害は完治しています、或は天国を求めなくなった時も同じです。


雑用をするとかしないとかで、治るとか治らないとかを説明している人がいる様ですが、その真意が分かっていない人が書いているような気がしています。

雑用をして『神経症の外に出る事が出来る理由は』=楽になる事を求めていない時だけです。=治りを期待しない雑用の時という意味です。

雑用をしても効果がない時は、楽を求めてする雑用(森田も同じ)『治りを期待している時』の事です。

宗教は最大の心の癒しの心理学と言われる所以は、楽を求めなくなった時が、天国や極楽に入った事を意味しています。正に死にゆく時、『楽を求める事が無くなった心境は=もっと苦しんでも良い』と思える事で、『人生には救いが無かった事を納得する事です。』

救いを求めなくなった時、心は安楽の中に居ます、何故なら全てを受け容れる心構えが出来上がった事を意味しているからです。


この絶対肯定の態度こそが、人生における『涅槃』を手中に入れるための必要条件です。この現在を肯定出来る時、全ての苦しみから解放されます。言い替えるなら全ての神経症の症状が消えてゆきます。

吃音なら吃音を、書痙なら書痙を、対人恐怖なら対人恐怖を、全ての症状は、本人が嫌う事によって『頭の中だけに作り出していた症状』でしかないからです。
 

パニック障害

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 9日(水)07時38分4秒
  私は約六年間、パニックによる過呼吸発作や予期不安で毎日苦しんでおります。
そこから抜け出すにはどうすればよいのでしょうか?


>>>管理人



パニック障害は、予期不安とか恐怖症とか不安症といったものを悩んでしまって、更なる予期不安を呼び寄せているものです。

こう言ったものを総称して神経症と呼んでいますが、いわゆるノイローゼを悩んでいると言っても良いと思います。これから書く事は理屈でしかありませんが、この理屈が分かったところでパニック障害から逃れる事は難しいかも知れません。

ですが解らないでいるよりは、遥かに完全解決の近くに位置する事を意味すると思いますので、あえて書いて置きたいと思います。

今の貴方には理解出来ない部分があるかも知れませんが、治って来た時には、心の底から納得出来るようになっていると思います、従ってこの文章にうなずく事が出来た時には、貴方はパニック障害の外側に居て、パニック障害が治るという事と、治らないでいるといった事に付いて詳しくなっていると思います。

今は分からなくとも良いですから、読んで置いて下さい。

パニック障害の奥に潜んでいる事は『自身の生命とか人生とかに関しての不安感や恐怖感』に怯えている事を意味しています。その原因は貴方の個性に依っています。この意味は貴方は他の人よりも心配性とか、神経質な性格傾向があるからです。

この傾向は、他の観点から言い表わすなら『貴方がこの人生を(深く掘り下げて、不安とか恐怖感に怯える事が無くなるように希求)解き明かして有意義に生きて行きたいといった願望の表れ、という言い方も可能と思います。

神経質で心配性な性格傾向が強い人が、その強さによって宗教家の素質になっているという言い方も可能と思います。

仏教の大元にある事柄は『一切皆苦』です。これはノイローゼと言っても良いと思います。意識地獄を言い表わしていると思います

この苦しみ(ノイローゼによる意識地獄)から逃れる方法=人生のあらゆる苦しみの根源を見抜いて、その苦しみから逃れる事を”解脱”つまり、有限のこの世での不自由な世界感からの解放を意味しています。

つまり、有限の壁の前で限界を感じていた自分の心が、この有限の壁を乗り越えて、自分の魂が解放される事を解脱と言っていますが、この苦しみの根源とは無明の故と釈迦は説いています。

意識の発生は分別に依るものと説いていますが、この分別こそが見る者と見られる者を生み出す大元を作っています。この二元論を人間は悩んでいますが、この二元論を作り出している事そのものの解明をする事がすなわち『解脱を意味しています。』

難しい話になってしまいましたが、こういう話は止めて、
とも様がパニック障害を乗り越える話をします。

パニック障害を終焉させるために必要な事は、自身に湧き上がる、感情との付き合い方を学ぶ事です。パニック障害を冷静に見た場合では『自身に湧き上がる感情に右往左往している事を意味しています。』

誰の心にも感情は湧き上がっています、怖い感情も不安な感情も全ての人に湧き上がる感情は同じです。高いところは”高い”です。狭いところは”狭い”です。人に会った印象は”会った人の印象そのものです”

こう言った湧き上がる感情に特別な反応をする時、高所恐怖症とか閉所恐怖症とか対人恐怖症とかにまで発展する事が在ります。

発症する原因は『湧き上がる感情』に過剰反応している事が原因で発症が始まっている事です。

パニック障害の発症の初めは、小さな不安感です。この不安感に過剰反応をして拒否反応をする事が発症の原因になっています。従って治ってゆく場合では、小さな不安感をそのままにして味わう事です・

小さな不安感はそのままにして置く時、小さな不安感としてそのままになっていて、すぐに消えて行って、多くくなる事はありません。

今の貴方は、小さな不安感に、ことさら過剰反応をしているだけです。この過剰反応する事によって、貴方の心は拒否反応を起こすようになっています。この拒否反応をする事から悲劇が始まっています。

貴方がパニック障害を乗り越えた時には、貴方は自身に湧き上がる感情を『冷静に見つめる事が出来るようになっています。』


湧き上がる自身の感情に、特別過剰な反応をしている事が貴方のパニック障害の原因だからです。

もう一度、云い方を替えて言って置きます。

貴方が治った時に分かると思いますが、湧き上がる感情に対する対処の仕方を学ぶ事です。湧き上がる感情を『相手にしないでいる事』或は『右往左往しないでいる事』或は『冷静沈着になっている事』がカギになると思います。

誰であっても、湧き上がる感情の虜になって、右往左往する時には『パニック状態』になる事は必定だと思います。
 

うつ病になる人とならない人の違いはなんでしょうか

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 4日(金)19時28分21秒
  うつ病になる人とならない人の違いはなんでしょうか?

接待が多く仕事も激務だけどうつ病にならない人
月2で終電、普段は9時出勤19時退社でうつ病になる人

違いはなんでしょうか?
どちらも激しい飲み会があるのに
その人の体質と言われてもぱっときません



>>>管理人


うつ病の定義で多少の違いが生じるかも知れませんが、うつ病になるという意味は『自分自身の心の争いに巻き込まれる』という意味があると思います。この場合での争いという意味は『脳内での戦いとか、言い争い』という意味です。

こうなるのには原因がありますのでその原因を科学的な証拠を揃えて提示したいと思います。

人間の脳内には、誰であっても人格が二人存在しています。その証拠です。

ウイキぺデアからの引用です。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。

この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』


普通の場合では左脳に存在する意識が『自我意識』を形成しています。我思う故に我在り、という場合での”我”です。この自意識は生まれて来てからの、全てが学ぶ対象になっています。

何も知らされていなくて何も学ぶ事が無くて生まれて来ています。そうして全てを知識として言葉を介して蓄積をしています。そうしてはなはだ厄介な事になりますが、言葉で理解出来る事とは『全てが割り切れる事だけ』という意味を持っています。

言葉に出来るという意味は、全てが割り切れる問題=有限の世界という意味を含んでいます。つまり「自意識は有限しか理解出来ない機能から成り立っている事を意味します。』『永遠といった概念は理解出来る機能は備わっていない、という意味になります。』


これに対してのもう一人の自分とは右脳に存在している意識です。分かり易い表現をするなら『無意識を司っている意識です。』そうして『自身の生命維持機能をすべて一手に引き受けて昼夜も問わずに休みなく働いています。』

この意識(機能)は生まれる前から全てを知り尽くして働いている機能の事です。身長の大きさから体重でも髪の毛の色でも、呼吸数でも脈拍数でも、いかなる時にも休む事無く働いてくれています。蜘蛛が蜘蛛のままで蜘蛛であるように、人間が人間であることを人間たらしめている機能の事です。

当然”心”とも関係しています。赤ん坊が教えなくとも安心でも不安でも、恐怖でさえも知っている事と関係しています。どういった打ち合わせが無くとも「素晴らしい舞台等でのスタンデングオベーション」をさせている者と言ったら分かり易いかも知れません。

全ての人間に備わっているこう言った、感情を湧き上がらせている”意識”がうつ病の原因に関係しています。

人間の心(の機能)には二通りあって、一つは感情を湧き上がらせている機能で、もう一つは感情を湧き上がらせられている機能という事を意味します。

こう言った意識が人間には二つ備わっている事が、うつ病に関係しています。

うつ病を治すために必要な事は、症状別に対応するという事ではないです、症状の改善を抜きにする事で治る時期は早まります。

症状の事は気になったり苦になったりするでしょうが、症状を相手にしないでいる事が一番大事な事になります。森田療法というものがありますがこの療法の眼目は『不問』です。症状を問題にしないでいるという意味です。

そうして症状を問題にしないで生活している内に、症状が有っても無くとも関係なく生活が出来るようになります。こういった生活が徹底される時症状は在ったままで症状にはなり得なくなります。此処まで来た時には『症状は在ったままで症状ではないものに替わります』つまり症状は消えてしまう事を意味します。

うつ病はノイローゼであって、苦しみとか悩みは、本人が頭の中で自分が作っていたことを意味します。


従って『うつ病になる人とならない人の違いはなんでしょうか? 』の答えは、自分自身との向き合い方のスタンスによって変わってくるという言い方が適切と思います。

この説明には『仏教の無明』を解説する事が有効と思います。人間の心とか人生が業に満ちていて苦しみの連続に見える事は、『自分自身に疎い事=無明』の故に依っているといった考え方です。

人間の苦しみとは、人間自身の内部に苦しみを内発させている者が内在している事による、といった考え方です。この者を見つける事が出来ない事を”無明”と表現しているようです。

人間の苦しみは『二元論』に依っているが、その二元論が沸き上がる根源には何があるのか?といった内容だと思います。

右脳の人格は生まれる訳ではない事から、滅する事が無い存在です。それでいながら、人間の髪の毛でさえも黒くも白くも赤毛にさえ出来る存在です。全てが備わった存在という言い方も可能です。

又、永遠からやって来て、又、永遠に戻ってゆく存在です。永遠とか無限という意味は、言葉に出来ない、或は割り切る事が出来ない事柄という意味です。

禅の中に適切な言葉がありますので、ご紹介して終わりにします。

自分の命そのものの働きの”意思”=”仏性”との間柄は、『没交渉』の間柄と書いてあります。ですが逢ってみたら『もう既に知っていた存在』と書いてあります。

従って今更『お前は誰か?と聞く必要など無かった。』と書いてあります。

無明を打ち破って自身の内部の『右脳の意識=仏性=無意識の意識』と出会った事に付いての感想は皆声を揃えて『生死の問題が解決した』に尽きる様です。

有限の壁の前でジレンマに陥っていたわが身が、ついに永遠の意味を体得した瞬間を意味します。

この究極の心の癒しの心理学を禅では釈迦から連綿と直に弟子達に伝え続けていると禅の問答集は伝え続けています。

 

鈴木学校の卒業達のその後

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 4月30日(月)20時01分30秒
  神経症第二掲示板に書いてあったものですが、斎藤氏の許可は貰っていません。

 投稿者: 一休さん 投稿日:2018年 4月29日(日)22時23分35秒 om126211122014.13.openmobile.ne.jp  通報   返信・引用


斎藤先生は常々、神経症患者は精神病患者であり、また、半人間である。
従って会社の仕事など任せられるものでは無いと主張されています。

その点に付いては同感です。

しかし、鈴木学校の卒業生達が皆が皆果たしてそうでしょうか?

それを調べるのは、簡単な事であり、その気になれば2~3日の内に立ちどころに分かります。

ネットで、鈴木知準、正知会とキーワードを入れれば或る本がヒットします。

タイトルは不鮮明ですが、確か、鈴木知準診療所の入院森田療法の体験と言った内容だったと思います。

ただ、著者は正知会で間違いありません。

その古本をアマゾンで注文しさえすれば良いのです。
簡単な事です。

正知会とは鈴木学校のOB会の事であり、また、余談ですが知拙会とは、それの謂わばジュニア団体です。

詰まり鈴木先生に恩義を感じている卒業生達が世代を超えて引き継がれでいる訳です。

自分は鈴木学校の落第生ですので、余り偉そうな事は言えません。

しかし、鈴木学校へは10.年間通い続けましたので、正知会のメンバーの恐らく1/4は直接お会いした事があるか、或いは体験談の信憑性の確認ぐらいは出来ます。
また、猜疑心の強い方は、出来るかどうかはわかりませんが、正知会か知拙会のメンバーになり、毎月行われている会合に出席すれば良いのです。

要するに、百聞は一見に如かずなのです。

また、ジュニア団体の知拙会のメンバーは全員、自分の先輩や後輩達であり、共に薔薇園で汗を流した仲間です。
自分もかってはメンバーでした。

当時は単なる呑み会であり、今は呑み会プラス何か鈴木学校での大恩を社会に還元する様な活動をしている様です。

例えば、正知会の会長さんは、講談社のもと常務さんです。
果たして、何処の酔狂な社長が半人間を役員にさせるでしょうか?

また、誰が誰でも知っている公認会計事務所の役員にさせるでしょうか?

また、会社経営者も多数おり、どうしてリーマンショックの危機を乗り越えることができましょうや?

その他、税理士、医師、教員等々多彩です。

また、知拙会にも会社経営者が3名はいます。
皆、それぞれ苦労をされている様です。

中には胃潰瘍に成っても、神経症時代の苦労を考えれば何でも遣れると言う旨の発言を本の中には記載されて居ます。

斎藤は鈴木学校の卒業生達を皆、精神病患者扱いにされて居ますが、上記の様な遣り方で一度でも真剣に裏を取った事がお在りでしょうか?

また、無為療法に訪れる鈴木学校の卒業生が今まで何人いたのでしょうか?

どうせ、精々自分の様な落ちこぼれでしょう。

願わくば苦労して書いた文章なので、削除等しないで下さい。





[432] 斎藤氏の思い違いか?
 投稿者: H.N 投稿日:2018年 4月30日(月)19時54分54秒 p5190-ipngn2301niigatani.niigata.ocn.ne.jp  通報   返信・引用
一休さんの投稿を調べてみました。

依然の書き込みで、世界中で神経症が治ったのは過去においても現在においても、たった一人と書いていた人がいます、鈴木知準先生の正知会、或は畑野文夫氏の編集本でも学んで認識を正して頂けたら面白いと思いますが、どうなんでしょうか?

神経症が治った人なんか、編んで干す程沢山存在していると思います。S氏の専売特許のような言い方は良くないと思います。

インターネットの世の中ですので、間違った情報を鵜呑みにする馬鹿な人はあまり多く存在していないとは思いますが、念のために書いて置きました。神経症の人達は視野が狭くなっていて、間違った情報でも一度信じてしまうなら、そういう情報一辺倒になってしまう場合が想定出来ますので、広く学んで神経症の治りはS氏の言う通りとは限らない、場合もある事を学んで下さい。

もう一言書き足すなら、神経症と精神病はS氏の言っている事には勘違いが混じっていると思います。精神病は精神病であって、或る日ふと立ち寄った本屋で読んだ本がきっかけで、一晩で治るといった性質のものではないようなな気がします。

神経症は『物の見方の偏り』が原因ですので、世の中の認識の誤りが正された時が治りになります、従って斎藤氏がある本によって一晩で治るという事はアリエールになると思います。

 

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