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顕在意識としての自我というものが、どれくらい深く潜在的な意識と繋がっているのかというの
は、個人差があるのだと考えてよいのでしょうか。 潜在的な意識の方向性と自我としての意識の
方向性が食い違うことが、ストレスによる疾患をもたらしているとする考え方もありますか。
>>>管理人
個人的な見解ですが、『顕在意識としての自我というものが、どれくらい深く潜在的な意識と繋がっているのかというのは』個人差があるというよりは、万人共通だと思います。
その関係性は、『没交渉』と云っても良いものかと思います。 顕在意識の他に存在している意識は、『無意識の自分』=『仏性=生命維持機能』だと思います。
この仏性とは、身体としての自分、心としての自分の命を守っている働きの事です。
働きという事は『意志は存在していない』と云っても過言ではないと思います。
高いところに上がった時などに感じている、怖さとして、どのくらい危険なのかを教えてくれている者です。
身の毛もよだつと云った体験では、身の毛をよだたせている者です。
危険が迫った時などでは、自我意識に代わって、身体も心も交替して身を守ってくれている者です。この場合ではその時のことは、覚えてない可能性がある様です。
火事場のくそ力という場合などです。 咄嗟の身体的な反応(瞬きなど)や、咄嗟の身のこなしなどを行っている者の事です。
又身体的な、生命維持を全般的に行っている者の事です。発汗でも、血流でも、ホルモンの調節でも、自律神経などの自動調節機能などでもです。
この機能には決まった意志というものではなくて、生命維持と云った観点がその機能の基本をなしているようです。 今現在が全てという考え方のようです。
それに引き換え、自意識は、思いや考えや、目標などを立てて考えているようです。
『潜在的な意識の方向性と自我としての意識の方向性が食い違うことが、ストレスによる疾患をもたらしているとする考え方もありますか。 』
これに関しては、貴方の言う通りだと思います。
この二つの人格の食い違いを『心の矛盾や、心の対立や。心の分裂』として感じている場合がある様です。この場合を神経症やノイローゼや、心を病むという場合がある様です。
つまるところ、右脳の機能が発する情報の取違による、自我意識の苦しみと言う訳です。 高いと云った情報をを勘違いし受け取った場合を『高所恐怖症』という具合です。
対人相手の情報の場合では『対人恐怖症』という様です。相手が男か女かという情報の、受け取り方を誤って受け取る場合では『異性恐怖症』と云っています。
原因は『無明の故』という事です。全ての原因は、自分自身を知らないが故と云う意味です。 自分自身を知る(見性)という体験で全てが解決する事は、釈迦の教えが、究極の、心の癒しの心理学、と云われている通りです。
質問者からのお礼コメント
参考になりました。 ありがとうございます。
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