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顕在意識としての自我というものが、どれくらい深く潜在的な意識と繋がっているのかというのは、個人差があるのだと考えてよいの

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 9月21日(月)10時20分13秒
  顕在意識としての自我というものが、どれくらい深く潜在的な意識と繋がっているのかというの

は、個人差があるのだと考えてよいのでしょうか。 潜在的な意識の方向性と自我としての意識の

方向性が食い違うことが、ストレスによる疾患をもたらしているとする考え方もありますか。


>>>管理人


個人的な見解ですが、『顕在意識としての自我というものが、どれくらい深く潜在的な意識と繋がっているのかというのは』個人差があるというよりは、万人共通だと思います。

その関係性は、『没交渉』と云っても良いものかと思います。 顕在意識の他に存在している意識は、『無意識の自分』=『仏性=生命維持機能』だと思います。

この仏性とは、身体としての自分、心としての自分の命を守っている働きの事です。

働きという事は『意志は存在していない』と云っても過言ではないと思います。

高いところに上がった時などに感じている、怖さとして、どのくらい危険なのかを教えてくれている者です。

身の毛もよだつと云った体験では、身の毛をよだたせている者です。

危険が迫った時などでは、自我意識に代わって、身体も心も交替して身を守ってくれている者です。この場合ではその時のことは、覚えてない可能性がある様です。

火事場のくそ力という場合などです。 咄嗟の身体的な反応(瞬きなど)や、咄嗟の身のこなしなどを行っている者の事です。

又身体的な、生命維持を全般的に行っている者の事です。発汗でも、血流でも、ホルモンの調節でも、自律神経などの自動調節機能などでもです。

この機能には決まった意志というものではなくて、生命維持と云った観点がその機能の基本をなしているようです。 今現在が全てという考え方のようです。

それに引き換え、自意識は、思いや考えや、目標などを立てて考えているようです。


『潜在的な意識の方向性と自我としての意識の方向性が食い違うことが、ストレスによる疾患をもたらしているとする考え方もありますか。 』

これに関しては、貴方の言う通りだと思います。

この二つの人格の食い違いを『心の矛盾や、心の対立や。心の分裂』として感じている場合がある様です。この場合を神経症やノイローゼや、心を病むという場合がある様です。

つまるところ、右脳の機能が発する情報の取違による、自我意識の苦しみと言う訳です。 高いと云った情報をを勘違いし受け取った場合を『高所恐怖症』という具合です。

対人相手の情報の場合では『対人恐怖症』という様です。相手が男か女かという情報の、受け取り方を誤って受け取る場合では『異性恐怖症』と云っています。

原因は『無明の故』という事です。全ての原因は、自分自身を知らないが故と云う意味です。 自分自身を知る(見性)という体験で全てが解決する事は、釈迦の教えが、究極の、心の癒しの心理学、と云われている通りです。









質問者からのお礼コメント



参考になりました。 ありがとうございます。
 

森田療法とは、現代でも、精神医学で注目を集め、患者の治療で成果を出しているのでしょうか?

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 9月20日(日)17時55分4秒
  森田療法とは、現代でも、精神医学で注目を集め、患者の治療で成果を出しているのしょうか ?

最近は、神経症って言葉、あまり聞かないですよね?


>>>管理人


専門家ではありませんが、昔『死に対する恐怖症』に悩まされて、離人感が強くなって、東京にあった鈴木知準先生に入院森田療法を二カ月間受けて、完治した経験を持っています。

当時では、神経症又はノイローゼと云っていました。この病名は症状とする病名の範囲がとても広かったようですが、今の病名の括りとは違うように見えています。

昔のノイローゼとか神経症の括りは、頭に沸き上がる妄想の為に、現実的な対応が出来にくい事柄の全てを、含んでいたように思います。

従ってそうなる原因は同じものである事から、症状別な対応をすることはなかった、と云っても良いものでした。 神経症=ノイローゼという風に捉えていたと思います。

今の精神医学では、神経症の原因は分かっていません、が定説になっているようですが、森田療法では、神経症の原因を分かったうえで治療をしていたと感じています。

神経症の原因は、自分自身の中にあるとするのが森田療法の基本だと思います。恰も禅や仏道における『無明の故の苦しみ』と考えていた事です。

その証拠は『ノイローゼは悟りを開かないと治らない。』と鈴木知準先生が述べていた事です。

初診の時に『いいかね、、、、君、人間は見ようとすると見えなくなるんだよ!』と云って一本の鉛筆を目の前に差し出しました。

それから、2か月間の入院を経て、退院をしました。神経症の原因は『世の中の見方の誤り』という事で、世の中の見方の基本を教えられたという事で、退院をしました。

それから二年後に、自分の意識が『症状を起こしていた意識』と出会う事によって完治した次第です。

神経症の種類的には数えきれない位の種類がありますが、大別をすると三種類に分ける事が出来ると思います。 その前に神経症とかノイローゼの原因を書いてみたいと思います。

端的に上げるなら『心の矛盾、心の分裂、心の対立』が原因で神経症は発症しているようです。そうして様々な個性から、各種の症状へと別れているようです。

この心の矛盾を、脳科学的に説明するのには、ふさわしい文献がありますので、載せてみたいと思います。 ウイキぺデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。

てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

心(精神)は意識の中にあると思います。自意識は左脳の機能です。右脳の意識は『無意識の中にある様です。』人間の『心(精神)』は二つの意識の相互作用です。脳卒中のために二つの意識の意思疎通が出来なくなった動画を載せてみます、参考にして下さい。是は1/2ですので、2/2も探して見て頂けるならもっと良く理解出来ると思います。

URLhttp://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この場合の『右脳の意識』がカギを握っているようです。 神経症の原因を大まかに分ける場合では『右脳の機能』がカギを握っています。

右脳の機能は、無意識の中に存在しています。つまるところ右脳の意識を知らないでいる事がすなわち神経症の原因にもなっていると云った意味です。

右脳の機能を大まかに分けると、一つ目は『生命体としての生命維持機能』という事になります、関連する症状名は、心臓神経症や、自律神経失調症や、過敏性腸症候群等が挙げられるようです。

自意識VS『生命体としての生命維持機能』がお互いに相争っているという感じだと思います。


二つ目は、メンタルな面です。『無の境地』に代表されるような心持、とは逆な場合です。自意識が出てしまって引っ込みが付かなくなるような場合です。

自意識過剰が、あらゆる場面で出てしまうような状況です。代表的な症状は上がり症という事になります。

二つ目と関連しているものに、強迫観念があります。湧き上がる考えとか感情に付いてもお互いに打ち消しあって、収拾がつかなくなってしまう場合です。

三つ目は、行動する場面で出てくる症状です。右脳の機能が阻害された場合に出てくる症状です。右脳が行動に及ぼす内容に付いては、知られていない事から無理からぬ事かも知れません。

右脳の機能は『無意識を自由自在に操る機能です。』眠る場合を詳しく書くなら、自意識は無くなって行きます。完全に無くなった時、自意識は無意識と交替が完了しています。

この意識の交代を別の言葉で表現する時『眠った』と云っています。 不眠症は『自意識単体で眠るようにしている現象です。』

自意識は眠る機能が備わって居ない事を知らないでいる事を意味します。

吃音も書痙も同じ事を意味しています。 『悟』という意味は、己の性を見るという意味で、右脳の正体に出会うという意味です。

神経症を起こしていた本人に出会うという意味から、この出会いで神経症は完治する事を意味します。 他の言い方をするなら、治らない事が分かる(納得して受容する)という意味になります。

『森田療法とは、現代でも、精神医学で注目を集め、患者の治療で成果を出しているのでしょうか?

』この問いには、答えが幾つかあります。 精神医学そのものが、真摯にその原因を探って、根本からの治療に取り組む意思が無いように見られる事と、患者の側も治すための我慢強さが不足している事から、森田療法は、良い治療方法だとしても、忘れ去られる事になるかも知れない気が致します。


質問者--- 面白いお話ありがとうございます。確かに右脳が人間の本質で、左脳が自我のようなものと、思います。

右脳の性質を知り、左脳で無理に制御しようとしてるから、苦しいと知るべし。ということでしょうか?

確かにその通りだと思います。 ですが、右脳の生命活動の欲求のままに、行動していたら、人間社会として機能しないでしょう? 学校や会社に行きたくなくても行かなくてはならない、ように。

行きたくない気持ちは、あるがままに置いておいて、頑張って行きなさい。 それが森田療法のあるがままでしょう? 僕が思うあるがままの本来の意味は、行きたくない気持ちのままに、行かない、ですが。


 

世界中の人に「人生で一番大切なものは何ですか」と聞くと必ず「愛」という言葉が返ってきます。

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 9月20日(日)17時43分14秒
  世界中の人に「人生で一番大切なものは何ですか」と聞くと必ず「愛」という言葉が返ってきます。 そこで聞きたいのですが「愛」ってなんですか? そして、なぜ「愛」が崇高なんですか?


>>>管理人


宗教の問題になったりする事もある様ですが、生きる人間にとっての最大の関心事は『自分の命』は、最大の要素を持っていると思います。

処が誰の命を見たところで、何時かは全ての命は終焉を迎える事は、誰の目にも明らかな事実だと思います。

此処の処に大事なカギがあると思います。 自分の命を何のために使うのか。或いは自分の命を誰のために使うのかという事です。

従って少し飛躍するかも知れませんが、お互いの為に自分の命を費やす事を愛というのだと思います。 口喧嘩が絶えないとしても、表面的には一緒に暮らしている場合では、自分の命を相手の為に費やしている範囲という意味では、愛と云っても良いと思います。



質問者からのお礼コメント



限られた時間という言葉は大変切ないですね。私達が生きている時間の貴重さが分かる文体でしみ入る気がします。

 

ちこなおさんへ

 投稿者:通りすが男  投稿日:2020年 9月12日(土)01時03分31秒
  はじめまして。
かれこれ20年以上続いてるとの事ですが、
悟りがどうのこうのとか、禅とかは、ちこなおさんには
向いて無いんじゃないですか?
むしろ、害になってるとさえ思います。

人からの受け売りでは無く、自分が本当に興味があるものを
追究した方がいいと思いますよ。
 

(無題)

 投稿者:あゆ  投稿日:2020年 8月28日(金)10時21分12秒
  私は、ニートで~す。  

(無題)

 投稿者:あゆ  投稿日:2020年 8月24日(月)08時10分40秒
  すべて取り戻して。
 

あゆ 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 8月24日(月)07時35分49秒
  お変わりは、有りませんか、お元気そうで何よりです。健康を取り戻したようですが、今は何の職業に就いていますか?

以前はこう云った質問をすると、逆切れしていましたがそう云った事にはならないのでしょうね?
 

ぐると 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 8月24日(月)07時32分26秒
  貴方が書いている事には、同感です。斎藤氏が気に入った人は、斎藤氏よりもレベルを低く暮らしている人のようです。

結婚も就職も医者もダメなのは、そういった人の生活の質が自分よりも上だからと思えます。

只、嫉妬しているから、治っていないと書いている節があります。森田正馬先生も鈴木知準先生も、医者になっているから許せないと思っているのでしょうか?

分かる人からは、つまはじきされる事になっているようです。

 

間違いなく

 投稿者: あゆ  投稿日:2020年 8月23日(日)19時53分50秒
  私は治っているのだと思います。
ですから幸せであります。
 

斎藤さんの「千里眼(笑)」

 投稿者:ぐると  投稿日:2020年 8月23日(日)13時57分28秒
  斎藤さんが自分の掲示板で、今日もまたこのような妄言・世迷い言を開陳している(笑)。https://9209.teacup.com/dai2keijiban/bbs/7862

> 鈴木に入院して、玄関の掲示板横に鈴木宛に届いた手紙が張り付けてあった。
> その中にある女性から、お蔭様で元気になり、今はロンドンに来て楽しんでいます
> と連絡があった。私はまだ神経症の真っ最中であったが、この手紙をみて嫌な予感が
> 走った。これは元気になったではなくて、相変わらず神経症やっているではないかと。
>
> 一休さんがある神経症患者で、慶応大学の内科医である人の治りを説明したことが
> あった。私は直ぐ、何故この人が慶応大学の内科医でなければならないかと問い詰めた。
> 近所のコンビニのアルバイトでは信用ができないのかと。
>
> 私の所に、お蔭様で無為療法で結婚できて子供を儲けたのEメールが飛び込んだことも
> あった。この人は私からOK承認をもらいたかったのだろうが、私は失格の判定をした。
>
>      ・・・(中略)・・・
>
> それに比べると、あゆさんの発言は、何も引っかからないで喉からスッと入って行く。
> 自然と言うのは気持ちが良い。今改めて雑用の会のメンバーの発言を見ていますが、
> 力みがなく、自然で説得力がある。
     ・・・(以下略)・・・

これを読んで、ほとんどの人は、どうして上の3人は「神経症が治ってない」ことになり、
あゆさんだけは「治った」ことになるのか、その根拠がまったくわからないはずである。


少なくともここに書いてある内容だけでは、この3人の人がいまだに神経症をやっているか、
それとも治っているか、完全に正確には誰にも判定できないはず。

それがこれだけの情報で「即座に」上記3人は「神経症」、あゆさんだけは「治り」と判定が下せる」
斎藤さんはいわゆる「千里眼」、いやこれはもはや「神業」を超えた「超能力」であろう(笑)。

そのさまはちょうど「宜保愛子」や「ユリ・ゲラー」みたいな「インチキ超能力者」と同じだ。

ま、それで私がいちいち書かなくても自明なことだから、これは「種明かし」をすると興ざめだけど
結局斎藤さんにとって「神経症が治った/治ってないの判定基準」は、ただの「好み」なのである。


すなわち上記「ロンドンで楽しんでる人」「慶応の内科医になった人」
「結婚して子供を儲けた人」は、斎藤さんからみてじつはみな「好ましくない人」なのである。
いっぽうあゆさんは「好ましい人」であるにすぎない。
上の投稿でも「コンビニのアルバイトではなぜいけないのか?」といったくだりに、
そのあたりのニュアンスがよく表れている?

こんな調子でいまも片っ端から人を勝手に「神経症者」呼ばわりしているから、誰か斎藤さんを
訴える人が出てきたら確かに面白いと思う。もちろんじっさいにはそこまでの問題ではない。

しかしそうなると、斎藤さんがいまやってるような「神経症が治ったのは世界でただ一人」
「神経症とは重大な精神病なのです」の主張や、誰かが斎藤さんを批判しても一切耳を貸さずに
「これが狂いというものです。治った人は、斎藤と争わずせっせと雑用しているのです」といった
コメントばかりを「念仏みたいに繰り返す」ことは、さすがにもうできなくなると思われるからだ。
 

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