投稿者
 メール ※掲示板には表示されません(詳細)
  題名 ※管理者の承認後に掲載されます。
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


匿名希望 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 4月15日(月)07時50分55秒
  『今度こそ最後の最後ですと言いながら何度も何度も何度も書く人を出禁にしないのですか
自分の方からしつこく因縁つけてるのに相手に返信するなとかいうから怖いです
こんな神経ショウの人見たことないですほかの障害しょ』

全く同感ですが、文句を書いている時点で、自分が惨めな気持ちになって来ますので、今は止めています。


自分勝手な言い分ばかり書いていながら、返事は無用とは何だこら!と言う気分になりますね。
 

釣りバカ三平様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 4月15日(月)07時43分9秒
  私の考えは、直人様と同じだと思っています。心の苦しさへの考え方の事です。心が苦しい場合に、苦しさを取り除こうという事だけでは、今度また同じ苦しさが来た場合ではもっと強い薬が必要になって来るからです。

そうではなくて、心の苦しさに対応する考え方を、苦しみは取れないと諦めるなら、苦しみが在って当たり前になります。

苦しくない心を探す事自体をしなくなったなら、苦しくとも、苦しくなくとも、どっちだっても良くなります。そうなって来るなら『苦しいとか、苦しくない』という事を意識する事が無くなっています。

苦しいとか、苦しくないとかを意識していない時には『心が苦しい』と言う症状は消滅しています。此処まで来た時には症状が有ったのか無かったのかさえも疑わしくなっています。

この状態が完治です。症状が有っても良し、なくなっても良し、と言う状態にまで持ってきた場合では、症状が意識を占領する事が無くなっています、つまり症状としては成立しなくなるという事です。
 

おかげさまで対人恐怖が治り仕事つきました

 投稿者:匿名希望  投稿日:2019年 4月15日(月)02時44分44秒
  人生問題の解決先生のように斎藤先生はどうしてですか

今度こそ最後の最後ですと言いながら何度も何度も何度も書く人を出禁にしないのですか
自分の方からしつこく因縁つけてるのに相手に返信するなとかいうから怖いです
こんな神経ショウの人見たことないですほかの生涯でしょ


モリタが向いてるとか向いてないとかどうでもいい話を長々してなんの役立たない仏教のお説教長々して本人だけ悦に入ってしかも本人は治ってもなさそうで仏教修行もしてなさそうな人も仏教にとりつかれたようで本末転倒していて怖いです

対人恐怖より怖いです

だから斎藤掲示板には怖くて斎藤先生に感謝したい事はあるけどこの二人が怖くて書けません

感謝の人生問題解決先生には鈴木知準先生のためになる話もっと聞けたらと願望します
 

管理人さん

 投稿者:  投稿日:2019年 4月15日(月)00時24分28秒
  >手品のように神経症から抜け出す方法が見つかると有り難いと思いますが、
>なかなか見つける事が出来ません。

お言葉ですが、
そんな手品のようなものはないと思いますw

それに、管理人さんが見つける必要はないと思います。

というのも、
真実は、2,500年前に出尽くしてしまっていると、思うからです。

2,500年前というのは、不思議な時代で、
全世界の各地において、真理を語る人が出現した時代なんですよね。

インドではお釈迦さまが生まれ、
日本では神道、中国では老子・荘子、
ギリシャにはソクラテスやプラトンが生まれ、
旧約聖書もこの頃みたいです。

これは、人間の意識の起源にも関係があるのではないかという学者さんもいます。
人間に意識が生まれたのは、
3000年くらい前と言われています。
(神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡・ジュリアンジェインズ)

この本の中の仮説は、
管理人さんが仰っていることと、
とても親和性がありますよ。

この本の中では、
3000年くらい前の人類は、
右脳で神々の声を聞いていたというんですね。
それが突然、聞こえなくなり、
そのことで意識が生まれ、人間が苦しむようになったので、
人間をその苦しみから救うために、宗教や哲学が生まれたというのです。

現代でも、
その古代からの名残で、
神々の声をインスピレーションという形で、
受け取り、発信する人がいるとのことで、
わたしは、もしかしたら、海さんが、そうなのではないかと思っていたりするんです。

現代で、
神々の声を聞く(インスピレーションを受け取る)人の特徴として、
それ以前に、心のひどい葛藤に苛まれるとのことで、
(それこそ死んでしまいそうになるくらい)
海さんに、ピッタリ当てはまるような気がしてます。

海さんは、こんな風に思われるのは、嫌かもしれませんが。

でも、海さんの洞察力の鋭いコメント、
しかも、そのコメントをスラスラ書いてしまっていることを思うと、
これは、それなりに信ぴょう性があるような気がしています。
 

(無題)

 投稿者:これを狂いと言う  投稿日:2019年 4月15日(月)00時09分4秒
  最終的には、自力も他力も同じ事。

ただね、最終的には、
そうだとしても、
そこに至るまでには、
仏や他力という、自分とはまた別の、外部の存在がいたほうが、助かるんだよ。

人の学びには段階があり、
それぞれの段階において、
人は必要なことを学ぶと言っているけど、ほんとうにその通りだと思ってるよ。


↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
これを狂いと言う。
 

人の畑来て吠えまくるなら森田が合わない人向けの療法を立ち上げな

 投稿者:ドリーミングガール  投稿日:2019年 4月14日(日)23時49分33秒
  類は友を呼ぶとかいってな、寄ってくる人をあるいは事を好き嫌いで自分が嫌いな事人をデリートしようとするんだね、ワンネスとか言いながら(お笑いだな)好き嫌いの感情本位自己中だからそれで世の中でうまくやっていけないんだよな



やってけないからさ悪いちゅうのでないけどさ、それなりにきゃいいのな
でもおれがおれが承認欲求でいくから迷惑なんやな


自分は悪くない療法が悪いんだって、高学歴ニートの社会が悪いって言ってて何も動かずゲームばかりやってるやつみたいやないの(仏教解釈ゲーム掲示板、どっちが早く卒業できるかゲーム)

治ってるんならな、森田療法批判したいなら批判して承認欲求満たすで終わりじゃないでな、森田が合わない人向けの療法を立ち上げてそういう人にためになるアドバイスしな わたし森田肯定でもないよいっとくけどな


でもな治ってないなら自分の承認欲求のためアドバイスとかしないでほしい ますますわけわかんなくなる


ああカミと和解
 

うつ病など薬を飲まないで治癒するのでしょうか?

 投稿者:釣りバカ三平  投稿日:2019年 4月14日(日)20時32分34秒
  いつもお世話になっております。私の兄の事でご相談申し上げます。三十後半から薬(精神薬)を飲み始めて、未だ社会復帰が出来ず五十半ばになろうとしています。なんとか薬をやめてと説得しましたが、去年の夏に断薬を2週間ほど試みて具合いが悪くなり、救急車で運ばれたと言われました。がしかし、昔より悪くなっているような気がしてなりません。本人は、もう家を出て生活保護を受けると言い出してしまい困りました。管理人さま、何かアドバイスをお願い致します。と言いますのも、以前にも同じようなご相談をしました。当時私は、鈴木知凖先生のところから開業された先生方を何箇所か廻りましたところ、どの先生がたも、薬をお出しになっているご様子でした。そこには、管理人さまのおしゃっられていることと、なにか溝があるように思うのです。どうして薬を用いないで治せるといいきれるのか、教えて下さい。よろしくお願いします。  

未知なることの恐怖

 投稿者:風子  投稿日:2019年 4月14日(日)18時34分0秒
  犬様

>「恐れの感情に対して、こちらから手出しをしない」というのも、
「恐れが感情が心の中に沸き起こることをゆるし、感じる」そう考えたほうが、
受容しやすくなると思いますが、いかがでしょうか。

↑これこそが「はからい」なのではないですか?
当たり前に起こる恐怖の感情は自分のコントロールできない範疇なのに、
それを許そうとすることこそ、「はからい」ではないかと。

予期不安程度のものなら、有効かと思います。
「感情に手出しをせずに、やるべきことをやる」ことも、
「感情が沸き起こることをゆるし、感じる」ことも。

ですが、問題は恐怖がパニックにまでなってしまった時です。
「パニック障害」は「発作の恐怖」でもあります。

私は、パニック時の、その恐怖の大きさが「未知」であることが恐怖です。
前もって、「前回の発作よりは小さい」などと分っていれば、
それほど恐怖には感じないが、それはなってみないと分らない。
だから毎回が恐怖なのです。

なぜなら、パニックは意識して起こしているわけではないからです。
自分で何とかできる範疇ではないのです。

「受け入れよう」とか「味わおう」とか「存在を認めよう」とか、
真っ最中は自意識による手出しはできない。
だから、結局「そのまま」にするしかない。最終的に「諦める」。
その「諦め」は意図的であってはダメで、心底「諦める」。

でも、頭の中だけで「心底諦める」ことはできない。
「心底諦めよう、心底諦めよう」と思考を続けることによって、
今度はそれが「はからい」になってしまうから。意識してしまうから。

だから、ここで登場するのが「目の前のことをする」。
そうすると、「諦めることに対するはからい」がなくなり、
「自然」の状態になり、勝手にパニックのピークは下がっていく。
以上は、ここに参加してから学ばせてもらった、私なりの解釈です。

このマニュアル的な解釈そのものが「はからっている」と言われそうですが、
今のところ、私の中では成立しているものです。

恐怖突入は毎回死ぬ思いですが、毎回死なずに生きてます。
しかし、これほどの恐怖には、なかなか慣れるものではありません。
6年経ち、それにも疲れてしまって、こちらのサイトで勉強させていただいております。


「不問の態度」。これは難しい。これほどまでの恐怖を「不問」にできるのは、
症状が軽いか、諦めの境地になるまで、ある程度の「時間薬」が必要かと思います。
それと「覚悟」の強さ。それでもあえて「不問」の態度でいこうと思います。

また、「逆説思考」がなぜ有効なのか、どなたか理屈を教えていただけませんでしょうか?


ドリーミングガール様、私は犬様ではありませんよ。このような不学な私と一緒にされては、
あちらがご迷惑です。それこそ「妄想ワールド」。
当たっているのは私がAB型ということと、良い子を演じてきたところです。お見事。

斎藤様の「それを全部意識でやろうとしたから混乱が生じた」おっしゃる通りです。
では、なぜ意識でやろうという思考回路になってしまったのか…。
なりたくてなった訳ではないのですけども。

生来の性格、育った環境などいろいろ理由はありますが、
自分で望んだわけでもないのです。

>何も考えてないが、物事はスイスイ前進する。

どうかこうなるために、「パニック発作時の」アドバイスをいただけませんか?

ところで、犬様のお話は、こちらではもう見られない、ということですか?
私の神経症に対する理解は、犬様のお話により形作られてきたところが
大きいです。残念です。私のせいでしょうか…(泣)

 

ドリーミングガールさん

 投稿者:  投稿日:2019年 4月14日(日)15時57分40秒
  ドリーミングガールさんは、
わたしが、自分の中の思いや考えに引きずられて、
苦しんでいると言いたいのですか。
 

斎藤さん

 投稿者:  投稿日:2019年 4月14日(日)15時29分6秒
  仏教では、「如実知見」ということが言われます。
「ありのままを見、洞察する知恵」ということです。

人間誰しも、世界をあるがままにみているようで、
実際には、あるがままにみていません。

では何をみているのか。

それは、解釈です。

世界に対する自分の解釈をみているのです。

心でみるので、漢字で書けば、観るとなります。

そして、自分が観た解釈に基づいて、感情が沸き起こってきます。

ですから、解釈が違えば、沸き起こってくる感情も違ってきます。

たとえば、よく言われることですが、
グラスに水が半分入っているのをみて、
「半分も水が入っている」と解釈するときと、
「半分しか水が入っていない」と解釈するときとでは、
沸き起こってくる感情は違ってきます。

でも、事実は「半分水が入っている」ということだけです。

半分水が入っている事実そのものが、感情を引き起こしているわけではないということです。

それと同様に、
風子さんの広場恐怖の場合でいえば、
広場そのものが、風子さんに大きな恐怖を感じさせているわけではなく、
広場に対する風子さんの解釈が、風子さんに大きな恐怖を感じさせているというわけです。

ですから、
感情は自分勝手にやってくるというより、
自分の解釈に伴ってやってくると言ったほうが、
より正確だと思います。

そして、解釈とは、「世界観」と言い換えても良いかと思います。

世界をみて、どのように解釈をするかは、人それぞれです。

そういうわけで、
「人の数ほど世界がある」と言われます。

森田療法でも、
このことを理解している人は、

「解釈が起こる前の世界が、あるがままの世界である」

と言われますね。
 

/1676