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管理人様へ

 投稿者:マメページ  投稿日:2018年 2月16日(金)11時15分51秒
  管理人様こんにちは、最初は内科病院へ行き体と脳検査をしてもらいましたが、MRI検査や医者の前での歩行チェックで異常なしとのことで、頭重は頭痛の一種だからと鎮痛剤を処方されましたが全然効きませんでした。精神科で抗不安薬を処方してもらい服用すると頭重の辛さは抑えられますが、ふらつきには効きませんでした。  

マメページ 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月16日(金)08時21分38秒
  医者の所に行ったのでしょうか?身体とか脳の検査はやって貰いましたか?検査で異常がない時にはもう一度投稿してください。  

頭部の辛さ

 投稿者:マメページ  投稿日:2018年 2月15日(木)20時24分39秒
  管理人様こんばんは

常に頭のふらつき、重み、つっぱる感じが常にありますが
長距離歩行、夜道の歩行などすると上記の症状が増します

管理人様の「パニックになりそうな時に『もっとパニクっテやろう』と望む事です。只それだけで解消します。」
のパニック障害のアドバイスを応用して
夜道(用事があって)を(もっとふらつけ、と思い)歩きましたが、帰途すると、ふらつき、重みが増して、翌日には椅子に座るのも辛いほどで、丸一日体を横にして休めて
さらに翌日、やっと歩けるくらいに回復します。

上記の症状の治し方というより、対処の仕方を教えていただければと思い、投稿させていただきました。
お時間がありましたら、よろしくお願いいたします。
 

再掲―離人症

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月15日(木)19時24分26秒
  質問日時:2012/07/25 00:05


離人症を克服したという方いらっしゃればどのように克服したのか教えていただきたいです。
(自律訓練法が役立つ・・・etc)


あとやはり自分は離人症だから…と考えたり、離人症のことを思い出すということはよくないことなんでしょうか?
こういうことをとらわれているというのでしょうか?



回答よろしくお願いします。


>>>管理人


具体的な質問を頂きましたので、具体的にお答えしたいと思います。

『私は離人症になってからいつも離人症のことが気になってしまい、最近は「時間とは何でできている?」とか「自分という存在(魂)とは何でできている?」とか哲学的なことを考えてしまいます。
このこともやはり離人症によるものなのでしょうか。』

と言う質問の答えは、貴方の性格によっていると思います。そもそもそういう性格の中に『離人症』と言うものが育っています。貴方の性格は『自分自身に敏感』と言う特徴があります、ことばを替えて言うなら『疑問を抱きやすい、或は不安を抱きやすい性格です。』

こういう不安になり易い性格が、離人症に変化しています。それは『心の奥底での、自己防衛機制』が働くと言う意味です。受容れたく無いものを、『心から追い出そうと言う機制です。』

もう一つの質問です『また離人症、神経質体質な人は日常生活をどのような心構えで送っていけばいいのでしょうか。』と言う質問の答えが、神経症を解決する答えになりますが、今の貴方には信じがたい事と思いますが、よく読んで置いて下さい。

その解決する道筋は、決して難しい事では在りません、只私の言葉を信じられるのか或は、貴方が自分自身の考え方を信じられるのかの違いです。

神経症の症状は、離人症の他にも沢山存在しますが、その症状は『意識した事柄全てが、症状になるる可能性を秘めています。何故なら意識した内容を嫌っているだけだからです、

嫌っている感情の『虜にならないように、意識してその意識している感情を追い出そうと規制を掛けている事が、症状の発生となって、更なる厳しい規制の掛け方が、しっかりとその感情を固定させています。

その機制の対象が貴方の場合では『離人感』と云う事です。

その症状が、離人症であっても、対人恐怖症であっても、強迫行為であっても『湧き上がる自身の感情を意識した内容として嫌っている事』は神経症では共通項となっています。

と言う事で、神経症の治し方を書いてみます。是は飽く迄も神経症の治し方を書いていますので、『貴方が願う、離人感の治し方とは、全く別です。』

離人症は治そうとすればするほど、離人感が強くなってゆきます。離人症は治そうとしなければ治っています。離人感を無くそうとする事が『反って、離人感を生じさせて、その感情を打ち消そうと言う心の働きが、固定させています。』

神経症の正しい治し方は存在していますので、この事をもう少し詳しく書いてみます。

神経症とは『湧き上がる自分の感情を、打ち消したくなってしまう現象です。』神経症が一生治らないでしまう場合では、一生湧き上がる自分の感情を打ち消そうとし続ける場合です。

神経症が治る場合では『湧き上がる自分の感情に、優劣や、良し悪しを付けなくなる場合です。』

離人感に襲われた時でも、良いとか悪いとかを言う必要がなくなった場合には『離人感』は消滅しています。此処まで来た時に完治したといいます。

離人感など、有っても無くとも良いや、と言う態度です。それは『離人感』を受け入れる事が出来た時です。

今の貴方は『湧き上がる自分の感情の中で、離人感のみを嫌っているだけだからです。』湧き上がる自分の感情には逆らう事など出来ない、と言う諦めが必要です。

神経症の完治を望むなら、『症状などの相手をしない人間性を確保する事が有効です。』

今の精神医学の方向性は間違っています。症状の改善を望まなくなるという人間性が確保出来た時点で『症状が消滅する事=完治する事』を知らないで、闇雲に『症状の改善のみが図られています。』

是では治らないように、治らないようにしている事を意味するからです。

『また離人症、神経質体質な人は日常生活をどのような心構えで送っていけばいいのでしょうか。?』

と云う事をもっと具体的に書いてみます。

『心の使い方を学ぶ事です。』

何も考えずに生きる事をやめて、『丁度のところを学ぶ事が有効です。』この意味は、例えば挨拶一つでも、『心を砕いて使う事です。』挨拶する相手の距離をどのくらいが丁度良いのかや、声の大きさはどのくらいが丁度良いのかと言う風にして、全身全霊で『丁度のところを探る事です。』

意識を集中させる事の意味は『意識を分散させていながらなおかつ、目の前に意識を集中させる事です。』

歩く場合では『靴の底の減り方を、気にしながら歩く事です。』この意味は、靴の底が平らに減る様な工夫をしながら歩く事を意味します。

自分の一挙手一投足に付いても『全身全霊で対処する事』を学ぶ事です。

又今度にします、聞きたい事には答えたいと思います。


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この回答へのお礼

素晴らしい回答ありがとうございます!


確かに私は昔から何かと理由を見つけたがったり、自分を守りたいという意識の強い子供でした…


まだ回答者さんの教えてくださったことがよく理解できてはいませんが、これから何度も読み直し、理解していこうと思います!

 

再掲―醜形恐怖症の治療 克服法をお しえてください。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月14日(水)20時02分0秒
  再掲です


質問日時:2013/10/24 14:23


醜形恐怖症の治療 克服法をお しえてください。

26歳女性です。 精神科には通っていませんが、恐らく醜形恐怖だろう と最近になって、 気づきました。

とにかく顔が気になります。 23歳頃から歳を、とることがすごく怖くなり、若さを 失ったら どうなるんだろうと不安になるようになりました。 けけど、よくよく思い返してみればもっと昔からコン プレックスが強かったように思います。

小学生のころはブスでした。 男の子からブスとか言われていたし、自分はどうやら 可愛くないんだなぁ とはわかっていたように思います。

中学2年に、なってアイプチに出会います。 アイプチをするようになってから、少し自信がもてる ようになりました。 アイプチは絶対手放せないアイテムになっていきまし た。

高1になり、少しお化粧するようになりました。少し やせたのもあったのか、 今までもてなかったのが急に異性からもてるようにな りました。 けど、アイプチをとったらほんとに一重ですっぴんが ブスすぎて、 許せなくて、アイプチの話題も怖かったし、アイプ チってばれる のも、イヤで、周りの二重の子が羨ましかったし、ア イプチと化粧で可愛くなれたものの 素顔の自分へのコンプレックスが激しい日々を送って ました。

高2で埋没の二重手術こっそりしましたが、すぐもと に戻っちゃいました。

大学に入ってもっと異性からもてるようになりまし た。自分の化粧した顔は めっちゃ、可愛いんだ!って思いこんで外にいくとき は自信あったと思います。

アルバイトで少しキャバ嬢をしました。 すぐ、No.2までいって、余計自信を持つようになりま した。 この間もすっぴんのときのコンプレックスはひどかっ たですが。。

彼氏の前では化粧は落としたことはなかったです。お 風呂からあがった あとも、アイプチだけは必ずしてました。彼氏はなに も思ってなかったように思います。

大学卒業後、就職先で夜勤もあるし、アイプチばかり 気にしてられない とおもい、2回目の埋没の手術を受けました。

うまく理想の二重になり、それと同時に一重の、コン プレックス、アイプチが、とれたら とかすっぴんになることへの恐怖はとたんに消えまし た。

それから3年ほど、社会人をして、彼氏も普通にいま したし、 一重以外のコンプレックスも(もともとあった)あり ますが、いろいろ 楽しんで生活できていたように思います。

けど、23、24歳と歳を重ねたときに20代後半になっ たら どうなるんだろうと焦るようになりました。 自分の中でも25歳までは若さを堪能しようと思ってい ましたが、 実際25歳越えてから急に劣化が始まり、何をしてもど んなに着飾っても、 今までみたいに納得がいかなくなって、気持ちが塞ぐ ことが増え始めました。

そのときの彼氏にも正直に不安を相談してましたが、 大丈夫だよ、歳はとるけども○○(私)何歳になって もみんなから愛される 人で、いられると思うよ。 といってくれていました。

実際、幸せなことに、他人から可愛がってもらえるこ とが多く、 けど、自分の、中では、若さと外見から私はよくして もらえてると認識 していたんだと、思います。

けど、若いといいきれない歳になって、劣化が始まっ て、 耐えられない欝で、一日鏡をいろんな方向からみて確 認してで一日が 終わって、しまうこともよくあり、顔が決まらなかっ たら 外出ドタキャンしたり、仕事も休むときもあります。

この一年整形をずっと繰り返しています。 借金100万くらいです。 整形して少し気になってたところがマシになると気持 ちも 落ちついて見た目の若さが手にはいると元気になりま す。

初めて会う人には年齢は嘘つきます。

26歳っていったら可愛がってもらえないって思うし怖 いし、 見た目が若くても実際年とってると意味がないという か。。。

これはあくまで私だけの偏った考え方というのは理解 してます。

年を、重ねても魅力的な女性はたくさんいることもわ かってます。

自分も、考え方をシフトチェンジしていかないとほん とに人として 空っぽでしかないこともわかってます。

けど、見た目と年齢に異常に左右されている現状で す。

今の彼氏は整形のことは知っています。 する必要ないと言ってくれますが、そうすることで元 気に なれるなら。。とあきらめているというような感じだ と思います。

借金も、後に自分が返していけるくらいの額なら。。 という 考えだと思います。

すみません、なるべく自分の情報を伝えた上でのほう が、回答をくださる方もより 具体的に回答いただけるのではないかと思ってつらつ ら長文、乱文、してしまいました。

申し訳ありません。

症状としては、

家にいるときは鏡でいろんな方向から時間が許す限り 確認。

人と会ったあと、あう前は必ず顔を鏡で確認。

ありとあらゆる写るもので自分をチェック。

チェックできないと不安。

鏡が出せないときは、ご飯どきなら、スプーンとか 用を、足すわけではないけどトイレにいったり

人から容姿を、ほめられて自分も、そう思えたときは 躁状態で、自信が、わく。

逆の時は、整形の、ことばかり調べたり、死ぬことば かり考える 価値を見いだせない。

対面で人と、話すのが苦手。 表情が強ばる。 昔は手で顔を、かくしていた。 今はなるべく対面ではなく隣に座るようにしてます。

最近では、今まで楽しかったことが楽しめない。 けどそれも、自分外見が理想通りのときは楽しめた り、 元気。

精神保険福祉士の勉強を大学でしていたので、 自分は軽い欝状態だなぁと思っていたのですが、 最近になって醜形恐怖症というものを知りあまりに時 分にあてはまった ので、この、病気さえ直せば整形しなくてももった人 生を楽しむことが できるのではとおもい、質問に至りました。

自分でも本を買ったり、病院で相談も考えましたが、 以前に似たような相談を精神科でしましたが、その、 ドクターは あまり見てもらった意味がなく精神科を標榜していて も 向き不向きとかがあるのかと、おもい、

病院であれば、どこの、病院のなんというドクターが お勧めかなど教えてほしい です。

ネットででてくるものは少しずつめを通すようにして います。

身勝手に文章をかき、本当にすみません。

アドバイスをいただけないでしょうか。

ちなみに東京にすんでいます。

どうぞ宜しくお願い致します。


>>>管理人

醜形恐怖症は神経症に分類されるものですので、神経症そのものを学ぶ中に、解決方法があると思えます。

神経症には様様な症状の訴えが在りますが、原因は一つだけですので、その原因を書いて置きますので、ご自分で学んで克服をして下さい。

又神経症の場合では『医師の元に行って、薬の治療に頼ったとしても改善されない場合が殆どですので、その理由を先に書いてみます。』

神経症の原因は、自分の心が『現実を認めたくない』と作用しています。『今の自分自身』を受入れられない事が原因です。その受入れられない事が『意識に上がってしまう症状』と言う事になります。

『永遠に美しくありたい』と言う貴方の願いが、叶わない事が貴方の悩みと思います。つまり『老いさらばえてゆく事』を受入れられない事が貴方の本当の悩みとなっています。

改善の方法は『症状の改善の中には存在していません。』神経症の治りとは『症状を受入れる事』が全てだからです。従って『症状の改善』から神経症の改善を図る事は、返って症状を重くしてしまいます。

神経症とは『症状の改善や症状の除去』を願う心が『その症状の起きる原因となっています。』そうして発症した症状を治そうと『努力する事自体』で、硬く心に固着されます。

従って症状の改善からの改善方法は、返って症状に苦しむ原因を作る事になります。

神経症そのものを学ぶ事、或いは人間の苦しむ原因を学ぶ事が、神経症の本当の意味での改善に繋がります。

簡単に言うなら『神経症の症状』は誰の心の中にでもある『只の嫌な感じ』でしかありません、その嫌な感じを嫌ってしまって、心から追い出そうとする事から『症状として作用し始めています。』

一端症状として、自分の心が認識をしてしまう事から、こう言った嫌な感じにならないように力を尽くすようになります、この力の入り方が『症状の発症する原因と、固定する原因』になっています。

神経症の治りを説明して、そういう風になるための努力をする方向性を示して置きますので、参考にして下さい。

神経症の治りとは『症状が在っても気にならなくなる事』です。その症状に『意識が向かなくなる事』です。意識が向かなくなった時点で、その症状らしきものが『自分で作り出した幻』であった事に気が付く場合です。

神経症が治った場合でも、依然として症状は、心の中を探すなら存在しています、ですがその症状を『相手にしない人間性が培われていますので、問題にしなくなっています。』

症状らしきものは『誰にでもある事』を了解した時が、症状が在りながら症状ではないものに変化しています。是が神経症の治りです。

神経症が治る背景を書いてみます。神経症が治る事は『症状などを構っていられなくなる場合です。』つまり『自分が症状の相手をしなくなる場合です。』価値観の変化や世の中の認識の変化です。

他の症状で説明します、例えば上がり症で説明するなら、人前で上がる事によって『上がる自分が意識に上がって困る症状』になっています。

頭の中が『上がらないように工夫する事でいっぱいになっています。』何をするにしても行動する内容や話をする内容や、話をする態度等『全てそっちのけにして』上がらない工夫だけをする様になっています。

自分の心の使い方が『上がらない工夫をする事が全て』になっていますので頭の中は真っ白になっていますので、歩く事も話す事も話す態度も全てちぐはぐになっています。こう言ったちぐはぐな自分を『自分が見て』尚更頭の中は『上がらない様に工夫をしています。』

こう言った上がらない工夫一辺倒になる事を『上がり症』の症状と言います。

上がり症が治った場合では、話をする内容や歩く事や話をする自分の態度に『自分の心』を使う事が出来ています。気の使い方や心の使い方に変化が生じています、つまり『上がる事さえ忘れている』と言う意味になります。

早い話が、上がる事を受入れたために、上がっても上がらなくても『上がる事には関心がなくなっていて』話の内容や歩く自分の姿や話をする自分の態度に『自分の心の重心が移った事を意味します。』

貴方の場合なら『年齢を重ねて肌も記憶も』年々衰えてゆく事を受入れてしまって、その年齢の能力に応じた最善の努力を惜しまなくなる事を意味します。

神経症の場合では『意識に上がった事』を気にする余り、今現在の自分のやるべき事をないがしろにするため、意識に上がった事=『頭の中の世界』だけを相手にするようになる事を意味します。

改善方法は『意識に挙がった事』=『雑念』の処理の仕方を学ぶ事が大事です。

沸き上がる雑念は、一過性の性質があります。その一過性の雑念を大事にして『雑念の相手になって、一生懸命その雑念を構っている事』を意味します。

神経症の改善は『雑念』の処理の仕方を学ぶ中にあります。今の貴方は沸き上がる只の『雑念』に右往左往していると言う意味になるからです。

いかなる困難に出会ったとしても、その時々に応じた最善の方法に思いが行き渡るようになる事が『今の貴方の課題です。』

その時々に応じて『何が大事なのか?』は変化しています。今の貴方はその時々に変化する大事なものを見落として、頭に沸き上がる雑念の相手をしている事を意味します。

日々の努力をする方向性を示して置きますので参考にして下さい。

沸き上がる心地よい感情や考えを喜び過ぎないようにして、沸き上がる嫌な感情や考えに落込み過ぎないようにする事が大事です。

嫌な事を嫌って過剰を反応する貴方の心と、良い事を望んで良い事に過剰反応する貴方の考え方や感じ方が、貴方の症状の原因を作っています。良い事も悪い事も全て貴方の人生そのものと『達観出来た時』貴方は神経症から遠ざかっています。



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この回答へのお礼


ご丁寧なご回答ありがとうございます。


今の自分の状態や今後のあり方が具体的に書いてあり

大変わかりやすかったです。

まず、受け入れることなんですね。

なぜ、自分だけは。。と老いていくことをこんなに認めたくないのでしょ

う。例外なくみんな平等なのに。

老化することを認めていない自分を心のどこかで認めていなかったんだろうなぁと思いました。

そのあともわかりやすかったです。

私は、構い過ぎてしまってるんですね。

本当にその通りです。そのときにしなければならないことをほったらかし、雑念と2人きりで、戯れていました笑

大事なことはたくさん落としてしまったと思います。


私は病院には行きません。

たぶん、おっしゃられるように意識の問題?だと納得したからです。

エステとか美容はこれこらも多分、続けると思いますが、

たぶん少しずつ今よりは幸せになれるような気がしてきました。

雑念にこだわりすぎて、大切なものをたくさん、落としすぎて後悔

したくないです。

年齢詐称もいきなりは本当の歳いいたくないですが、



前みたいに絶対バレちゃいけない、20歳、20歳(無理ありすぎた)と必死になることは少しなくなるんじゃないかなぁと思います。

目をいつでもキラキラさせていたいと思っていましたが、こんな病んでたら到底無理でした。

この自分のつらさの構造が、わかっただけでだいぶ心が楽になりました。


お医者さんですか???


本当にありがとうございました。
 

高校生です。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月11日(日)12時42分9秒
  高校生です。
パニック障害って、治す方法ありますか?
放っておくと治りますか?
病院には行けないです。


>>>管理人


パニック障害は昔の分類では神経症として扱われていたものです、この神経症という分類は今でも全く正解と感じている者です。その理由は如何なる精密な検査をしても異常が見つけられないものが『神経症に分類されていたからです。』

パニック障害に似た症状が昔ありましたが、そう言った症状が全て胡散霧消して、消えて無くなった経験がありますので、経験済みの症状として、或はパニック障害が治った先輩として書いています。

パニック障害を症状とする神経症全般に付いて説明します。神経症はノイローゼと言っても良いです、その理由は、感じている症状は『実際には存在していない症状』と言っても良いものだからです。頭の中に自身が受け取りたくないものとして想像を働かせることによって『逆に頭の中に自分で作り出している事柄だからです。』

とは言っても今の貴方には分からないと思いますが、私の書いたものを読んで置いて下さい、又私の言う事は信じなくとも良いですから、出来る事が在ったら実行して下さい、信じていなくとも実行しているだけでノイローゼから、距離を置く事が出来ると思います。又私の言う事が、腑に落ちる事が多くなって来たら、もう少しで治る時期に来ていると考えて貰っても良いと思います。

貴方が人間通とか人生に対して造詣が深くなるなら神経症は自然に治るようになると思います。神経症とは『自分自身に敏感な人や、不安になり易い人が』陥りやすい一つの形だからです。

『自分自身に敏感な人や、不安になり易い人が』という意味を始めに説明して置きますが、こういった事を教えてくれるところは余りないように見受けられます。こう言った神経症の症状を感じる人は、自分自身を細やかに或は敏感に観察している人の事です。

もう一つの見方として『心が健康な人』とは、自分自身の心の動きが余りにも順調に行っている事から、自分自身の『心の動きに異常が見付けられない人達』と言っても良いと思います。

では、こう言った神経症の症状を感じる人は、自分自身を細やかに或は敏感に観察している人の事です。という意味は自身の心の成り立ちに敏感という意味です。この説明をする場合では人間の脳の機能の説明が必要と思いますので一応説明したいと思います。

人間の心は脳の活動の一環だと思います。処で人間の脳内には『二つの人格』が存在しています。この人格が子供時代では一つの者として機能していましたが、思春期頃(中学生頃)に脳の機能分化が完成するようです。この場合でのキーワードは、二つあります。一つは脳の機能です、もう一つは各々の脳の機能にはその機能を統括する人格が備わっている事です。言い替えるなら機能が違う二つの人格が脳内に共存しているという意味です。

その証拠です、ウイキぺデアからのコピーです。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』

この左右の脳の機能の違いは大変重要な意味を持っています。又人類史とか宗教史にとっても重要な意味を持っています。その理由は世界中の宗教を一つにまとめてしまうほどの説得力を孕んでいるからです。

人間の心が大変な事になるきっかけを聖書では『失楽園』と書いていますが、脳の機能分化と一致しています。左脳の人格は『我思う故に我在り』という”我”ですが、顕在意識とも言っていると思います。ところがこの顕在意識に常に同居とか共存していながらも、絶えず見守りながら、情報を提供している者が在ります。その情報とは『言葉に依らない情報です。』

この情報を提供している者が『もう一人の自分』です。このもう一人の自分との出会いを釈迦は『悟りを開く』と表現していますが禅宗では『見性成仏』と表現しています。つまり『自性を徹見する。』という意味です。

キリスト教では神と(会って)和解するといった意味です。


聖書での『知恵が付いて神に隠し事をする(疑う)』という意味は、脳梁での情報交換を疑うという意味です。この意味を具体的に上げるなら、知恵が付いた為にイチジクの葉で身体を隠す事を意味します。この意味は『心が二つの人格に分かれたために、見ている自分と見られている自分』という風になってしまうので「恥ずかしい』という感情が生まれた事を意味します。

思春期頃から悩みや、苦しみが始まって、精神疾患が増えてくるといった背景が聖書に書いてあるように脳の機能分化が原点になっています。

右脳の人格は『生命発生装置兼生命維持装置』がその機能です。言葉を持っていない事が特徴です。常に危険を察知して、脳梁を介して顕在意識である自意識という心に伝えています。

つまり右脳の人格は『感情発生装置』という機能を持っています。この情報との付き合い方が様々な精神疾患を形作っていると考えられます。

高いところの情報とか、狭いところの情報とか、人間に在った時の印象とか、異性の印象とか、広いところの情報とかあらゆる場面での情報が在りますが、そう言った情報とその情報を送る者を嫌ってしまう事が『神経症が発症する原因を作っています、』

如何なる精密検査を行っても異常が見付けられないという意味は、その原因が脳内の『疑い』(神を疑う=失楽園)にある事を意味します。

現実に貴方のパニック障害が治る為に必要な事を書いてみたいと思います。

パニック障害の原因は貴方の脳内で感情が沸き上がる瞬間に発生しています。ですが健常者にも発生していますが、貴方の場合では嫌っている事、受け取りを拒否しようとしている事が原因で幾度となく再送されて来ています。

パニック障害でも、、、、恐怖症でも心に送られてくる情報を着信拒否をする事が原因で再送されてきている事を意味します。現実的な貴方のパニック障害を乗り越える方策は他の神経症の対処方法とも重なりますが、『逆説志向』というものです。

パニックの症状が出そうになった時、薬には頼らないで、”もっと強く症状よ出よ!”と望む事が有効です。人間の心は天邪鬼に出来ていますので、望む事が反対に出てくる性質があるからです。

神経症程望む事が逆に作用するものは無いのかも知れません。

神経症が治った姿を書いて貴方の助けになる事を望んで終わりにします。

神経症は様々な症状が在ります、その症状は全く違う様に見えていますが、発症するメカニズムは一つだけです。症状は『意識する中』に発症しています。そうしてその症状が意識した結果の産物です。その原因は『忌み嫌う事=受け取りを拒否している事』です。

従って神経症が治った姿は『症状が在っても無くとも、どっちだっても構わない』となった時です、言い方を替えるなら『症状を受け容れる時』です。他の言い方をするなら『症状を治そうとしなくなった時』です。

貴方の場合で表現するなら『パニックの症状が出ようとしたとしても、出ても良し出なくとも良し』となった時です。出ると困るから出ないように工夫する時だけ出ているだけだとしっかりと理解出来た時に治っています。

ですので、神経症の性質を逆に利用した『逆説志向』を徹底する時、症状を受け容れる事を意味しますので、確実に治る事が出来ます。


最後にもう一つ付け加えて置く事が在ります、それは思春期頃に二つになったもう一つの人格の説明です。もう一つの意識である『命を働かせている人格』は、機能分化が完成する頃に『無意識の底深く潜っています。』この意識と自意識との関係性を『禅』では『没交渉』と表現していますが、見性した体験からは『今更お前は誰だか?』と聞く必要などなかったとも表現しています。

遠い他国で妻(父親)に出会ったようだ、或は暗闇で妻(父親)に出会ったようだ、今更お前は誰かと聞く必要など無かったと、ものの本に書いてあります。

それと見性すると、究極の癒しが完成すると言われている内容は、不安とか恐怖の最大のものが『死の恐怖』と思われますが、全ての精神疾患の元凶に存在ものは多かれ少なかれそう言った死に対する恐怖が存在しているものと推察出来ます。

自意識の機能は計算する機能から成り立っています、その機能が発達する事で言葉が発達したと思われますが、計算する機能とは、言葉を替えて表現するなら『有限の世界』をしっかり把握するといったものになると思います。他の言い方をするなら『有限の世界から出られないもどかしさ』も同時に感じている事が人間の苦しみにつながっています。或は永遠の世界を希求する事にもつながっていると思います。

無意識の底深く潜りこんだ人格は、元を辿るなら、生まれたものでも無く、無くなるものでもなくて、永遠からやって来て、又永遠に戻ってゆくといったものです。つまりしっかりと永遠を把握していて、自意識に永遠を希求させている者と言った位置関係です。

従って二つの意識の出会いによって、自意識は死の恐怖から解放されて、元々自分自身が永遠の存在であったことに気が付きます。そうして人間の苦しみの元凶は『神を疑う事=機能的に出来ない事までも自分が出しゃばろうとしている事。』に気が付くといった意味が在ります。

神経症は、自意識が持っていない機能を持っているものと勘違いをして、無意識の出番を封印している事に相当します。『見性=出会う事』によって、お互いの機能によって出番がある事を確認出来たために、もう二度と出番争いをしなくとも良くなる事を意味します。『神に会って和解する事』を意味しますので『心の中は何時も静まり返っています。』この境涯が、涅槃寂静です。

脳卒中の為に九死に一生を得た脳科学者の動画が在りますので乗せて置きます。この中での注目点は『全てを諦めた事によって、右脳の人格=神=無意識の自分の意識』が自意識の前に表れた事だと思います。釈迦と同じように『涅槃』を言っています。



URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM










 

森田療法に救われた方いますか? はからわず、自然のままに、これって中々難しくないですか?はからわない

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 9日(金)21時30分30秒
  森田療法に救われた方いますか?
はからわず、自然のままに、これって中々難しくないですか?はからわないことの不安みたいな。
苦痛ではありますがはからっている時は楽なんですよね。もう一つ聞きたいのは、森田療法は普通の人にも有効な考えだと思いますか?


>>>管理人


森田療法は根底に禅仏教の流れに似たものを含んでいるように感じます。森田療法に適用されているものはノイローゼです、或は神経症と言っても良いと思います。

ノイローゼははっきり言うなら、お釈迦の言っていたもの『一切皆苦』が原点になっていると思います。つまり死とか、生とかに付き纏いがちな不安とか恐怖感が、頭から離れなくなる状態『つまり意識地獄の状態=ノイローゼの状態』が原点になっているという意味です。

不安で生きた心地がしない状態が原点で出家したという意味だと思います。そうして究極の解決策を発見したという事になると思います。それが『悟りを開く』事を意味します。禅宗などでの悟りを開いた事を形容する言葉に『生死の問題が解決する=一生の大事を了畢(りょうひつ)する。(これは仏門修行が終わり、悟りに至るという意味です。)』

仏教の大意とは、悟りを開いて『生にも死にも、影響を受けない本当の究極の大安心を獲得するところにある。』と言った意味があります。森田療法によって完治した人の中には仏教の高僧と同じ境涯を獲得するといった言葉が在ります。

つまりノイローゼになって苦しんだ人の一年は、座禅を十年した事に匹敵すると鈴木知準先生は書いています。そしてノイローゼは悟りを開かないと治らない、と口癖のように言っていました。

森田療法におけるあるがまま、とは、人為に依らない生活という意味です。無為自然という意味です=はからわず、自然のままに、がこれに相当します。

この意味は神経症などの症状は如何に違う症状が在ったとしても『計らいの産物=症状』とみています。症状の改善を図る事がそのまま症状の発症と固定にあずかっているという解釈です。もっと言うなら『治したいとか治りたい(症状を無くしたいという意味です。)という心が神経症そのものだといった解釈です。

治った姿は『治そうとしなくなった姿』といういみですが、すっかり症状を受け容れてしまって症状が出ようが出まいがどっちだっても構わない。こうなった時が完治した時だと言っています。

寺泊の良寛さんが『死ぬ時は死ぬるがよろしい』に通じています。死期が迫った時にじたばたして死にたくないともがき苦しむ事は当然考えられますが、死を受け容れてしまってしっかりと自分の死を肯定して受け容れるなら、死であってもそう言った人の心をかきむしる事など出来ないという意味になります。

森田療法は現代の若者達には受け入れがたい我慢を強いる療法に見えていて、森田療法に人気とか知名度はイマイチに見えます。

森田療法の神髄は、症状をそのままにして置くところ、すなわち『不問』にあります。症状が在っても不問、症状が無くなっても不問、その訓練が徹底されたなら、症状の在り無しを等云う事が無くなっています。

此処まで来たならあと一息です。症状を何とも思わなくなって、症状の有り無しに一喜一憂し無くなったらもうすぐ治ります、というか治っています。

森田療法でノイローゼが治る場合では、釈迦と同じに『一切快苦』がそっくりそのまま『安楽の法門に成って居ます。』

苦そのものが、安楽に至る道すがらという意味があるからです。

自身の中の『もう一人の自分』との出会いを悟りと表現します。自分を恐怖に貶めていた犯人です。自身の感情を湧き上がらせている者です。或は自身を『働かせている者』です。自分の命そのものを働かせている者です。無意識の自分の主人公です。

従って鈴木知準先生が『ノイローゼは悟りを開かないと治らない』と言った言葉は、名言と言っても良いのかも知れません。
 

少し特殊?な吃音症です

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 7日(水)21時15分19秒
  中3です。私自身吃音症と分かっているのですが少し症状がおかしいと思い質問させていただきます。

症状としては、

発表の時に限り難発になってしまう。
頭の中で文章を考えてそれをずっと言おうと思うと吃音に
普段の会話は稀にしか吃音にならない。

です。小学校の時に吃音が酷かったのですが今はだいぶ落ち着きました。
中学校では、普段困ることはないのですが、日直になりその日の反省をクラスメイトの前で言う時は、紙にまとめても、声が出ません。授業の発表は紙にまとめているのでキチンと言えます。

本当に苦しいです。生徒会の先輩に吃音の方が居たときがあったので吃音自体知っている人は多いのですが、私は日常会話はできるので吃音ということを知らない人が多いです。「普通に喋れるのに何でこういうときは話せないの?」みたいな空気になります。実際に話しているのも聞きました。

まだその時は我慢すればいいのですが、受験生なので面接があります。その練習を学校で行いましたが、やはり吃音になってしまいました。

ネットで調べた吃音を直す方法をすべて試しましたがどれも効果が全くありませんでした。
何か直す方法をとは言いません。ただ少し励ましてほしいのです。
先生や友達に相談しても他人事みたいに対応されます。

本当につらいです。自分は言いたいことがちゃんと頭の中にあるのに声が出なくて伝わらないのです。
それに、この吃音のせいで行きたい高校にいけなくなるのも嫌です。

私は話が好きです。初めて会った人にもガンガン話かけられます。
でも、伝えたいことをまとめたもの、発表の時、自分が嫌になります。死にたいと思ったこともあります。


何か励ましの言葉でいいんです。「あなたが思っているより実際はこうだ」みたいな少しでも私の気持ちを軽くさせてほしいです。

わがままですみません。


自分の伝えたいことを感情のままに詰め込んだので文がおかしいと思います。



>>>管理人



吃音は神経症の中の一つの形、或は症状です。神経症の場合ではどんなに症状が違う様に見えていても、原因は同じです。神経症になる原因も、治る原因も、治らない原因も皆通じています。

初めに神経症になるきっかけを書いてみたいと思います。それは『意識する事』が原因です、少し分り難いと思いますので、もう少し詳しく説明します。

普段の会話は稀にしか吃音にならない。という意味は『意識しないで話が出来ているからです。』話をする事を意識した途端に吃音になるという意味は『頭の中で文章を考えてそれをずっと言おうと思うと(意識した途端に)吃音になるという意味です。

こう言った事は、貴方の性格が神経質とか、不安になり易い性格という事から吃音は始まっています。性格が神経質とか、不安になり易い性格という意味は他人が気付かない事までも気づいてしまうという意味があります。

他人が気付かない事を神経質な人が気付くという意味は、自分自身の観察が細やかとか、繊細という意味があります。

では自分自身の何に『気付いたのか』という事になりますが、それは自分自身が『交代制で成り立っている事』に気が付いたという意味です。

人間は誰でも脳内には二つの人格を持っています。一つは貴方が今悩んでいる心の持ち主である『自意識=顕在意識』ですが、誰でももう一つ心を持っています。それは無意識の自分です。

眠りを一つの例として説明したいと思います、眠る時には正確に表現するなら『自意識が眠るのではありません』自意識は無くなっています、自意識が無くなっているという意味は『無意識の自分の意識』と交替が終了しているという意味です。

処が自我意識は『無くなった瞬間』を意識する事は出来ません、何故なら、無くなった時には意識そのものは無くなっているからです。処が『自意識が眠るものと勘違いしている場合があります。』意識を凝らして眠りにつくのを待ち構えている場合です。自意識には眠る機能は備わっていません、ですので自意識が眠るものと努力をする場合では、眠りには入る事が出来ません。この場合を不眠症と名前が付いています。

神経症の原因は全てが同じという意味は、自意識が出来るという勘違いをしている事を意味します。自意識にはそういった機能が無い事を知る事が必要だと思います。

処が、こういった交替制が全く順調に行っていて、全く何も疑う事が無い場合を『健常者とか、心が健康な人』と呼んでいます。

さて前置きは此処までとして、貴方が治るための方策を書いてみたいと思います。神経症の特徴は『意識した事が出来なくなる現象です。』この意識した事が出来なくなる特徴を利用する方法です。

貴方の場合では『意識してうまく話す事』が出来なくなることを意味します。この意識したら意識した事が出来なくなる性質を利用した方法です。それは『貴方が意識をして吃音で話をする事です。』

たったこれだけで貴方は吃音が治っています。もし治らないようであるなら『もっと吃音で話をしよう』という意識が足りないからです。

神経症が治るという意味は『症状を受け容れたという意味です。』貴方に吃音が出ているという意味は『貴方は吃音が出てはいけないもの」として、意識をして吃音退治をやっているという意味です。

貴方が吃音が治った姿とは『吃音を受け容れてしまって、吃音が出たとしても、出なかったとしても、もうそんなことはどちだっても良い』と吃音を心から受け入れた時です。

吃音に『意識がいかなくなった時点が、貴方の神経症が治った時です。』吃音だった事も治った事も、もうどっちでも良くなっていますので、吃音で苦しんだ事も、治った事でさえもすっかり忘れ果てている時に貴方は完治したと表現出来ると思います。
 

大勢の前で話すと震え、急にパニックになります。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 6日(火)20時24分31秒
  大勢の前で話すと震え、急にパニックになります。

中学生です。

先日、授業で1人ずつ1分ほどの
スピーチをするものがあったのですが

そこで声が震えて聞き取れないくらいになってしまいました。

もともと積極的な方ではなく
いわゆる"コミュ障"なのですが
今まで(1か月前くらいまで)はなんとか
しっかり聞き取れるくらいで話せていました。
しかし先日のスピーチでは
異常に緊張してしまい声が震えて自分でも今何を言っているのかよく分からず
今でもその時のことはあまり思い出すことができません。

また3日ほど前から勉強中や授業中などで
急に軽い過呼吸のような状態になりクラクラすることがよくあります。

また同時によく分からない不安?のようなものが襲ってきてしばらくその状態が続きます。


1ヶ月前くらいまで本当に暗くて「死にたい」と毎日思っていて

でも今はその気持ちを自分でなんとか消して
勉強に打ち込んでいる…というときに
このような感じになってしまいました。

またいつこういった状態になるのか と考えると不安になってしまいます。



(ちなみに1か月前に(今も)悩んでいたことは
友達ができないということです。)


質問です

1. この症状はなぜ引き起こされるのですか?

2. こんなことでスクールカウンセラーや担任の先生に相談してもいいのですか?

3. この状態にならないようにするにはどうしたらいいのでしょうか…

文章がまとまっていませんが
回答していただけると嬉しいです。


>>>管理人


若いうちは沢山の事に悩むと思います。

1. この症状はなぜ引き起こされるのですか?に付いては、”人間の意識性の問題”というものがあって、誰であっても大なり小なり影響を受けています。

優勝が掛かった一打を打つといった場合、優勝がちらついた方がそう言った意識性の問題に躓いてしまって、失敗する確率が高くなると思います。


2. こんなことでスクールカウンセラーや担任の先生に相談してもいいのですか?に付いては貴方の自由と思いますが、先に書いた『意識性の問題』を学ぶ内に解消すると思います。

3. この状態にならないようにするにはどうしたらいいのでしょうか

是は一緒に考えてみたいと思います。『優勝が掛かった一打を打つといった場合、』にどうしたら優勝出来る、会心の一打が打てるのかという問題に通じています。

或は人前で字を書こうとして手が震えてしまって、どうしてもうまく書こうとするあまり、両手で字を書こうとしても手が自由にならなくなって、ついに字が書けなくなってしまう場合があります、この場合を書痙と呼んでいます。神経症の症状の内の一つです。

或は意識した状態で話をする機会があって、どもってしまった経験からドもらないように意識して話をしたところ、上手く話が出来なくなってしまう場合があります、この場合を吃音と呼んでいます。同じく神経症の症状の内の一つです。

こういった神経症そのものを学ぶ事が良いかも知れません。


今の医学では『神経症になる原因は分かっていませんが、早く医師の元に行って、早く治療を開始するなら、早く良くなります。』が精神科医たちの宣伝文句になっていますが、原因が分かっていないと正直に言っている通り、神経症の完治とかを説明する事が出来ていません。

従って、何故?神経症になってしまうのか。治るという事は如何いう事なのか?或は治らないという事は如何いう事なのか?こういった簡単な疑問でさえも「現代の精神医学」は説明する気はないように見受けられます。

37年前に神経症が完治した経験から、今こうやって書いています。

神経症になる原因とは、『無意識の自分がやっていた事を、そうとは知らずに自意識がやろうとしている事』が原因で発症しています。

人間は誰でもが『自意識と無意識が』交替をする事によって恙ない毎日の生活を守っています。

この交替制が余りにも順調に行っていて、交替制になっている事でさえも気づかない場合を健常者とか、健康人とか、心が健康な人、と表現しています。

自転車に乗る場合では、習い始めは、自分の意識をすべて自転車乗りに集中しています。乗れるようになった場合では『自分の心=自意識は』自転車の操縦に使う事が無くなっています。自転車は正に自分の無意識に任せていますので、自転車の運転は意識などを使う事なく『自動運転』となっています。

話が長くなりますので簡単に終わらせるために、先の優勝が掛かった一打の説明で締めくくりたいと思います。

優勝が掛かった一打を。会心の一打にするために必要な条件とは、自我意識が出ないで一打を打つ事の中に在ります。言葉を替えて表現するなら『自分の無意識に任せて一打を打つ事です。』

他の言い方をするなら、『没我、或は無心の境地で打つ』ことが必要になると思います。

プロゴルファー等が、会心の一打が打てるようになるために、禅を学ぶ事が在るようです。禅のなかには「東洋の無の境地とか、無心、或は無為自然」と言った、自分の意識が入り込む事のない世界観を学ばせるためのテキストがあるからです。

自意識は計らう事=当てにする心で出来ています。

無意識の自分は無功徳=当てにしない心で出来ているからです。

禅問答は『計らう心=当てにする心』では解けないように仕組まれています。

無功徳の心が発動するという意味は、(優勝を欲しがらないで)すっと手に入れよ!という意味になります。

『貴方の場合に適用するなら、スピーチの場であるなら的確な題材を準備して話す態度に注意して、声の大きさとか、分かり易さとかに気を配って、そのスピーチに全力をつぎ込む事が出来るようにする事が大事だと思います。』

そう言った事柄に気を使う事なく、


(ちなみに1か月前に(今も)悩んでいたことは
友達ができないということです。)


質問です

1. この症状はなぜ引き起こされるのですか?

2. こんなことでスクールカウンセラーや担任の先生に相談してもいいのですか?

3. この状態にならないようにするにはどうしたらいいのでしょうか…

と考えるのは、貴方が計らいの心で考えている事の表れだと思います。
 

再掲-神経症の治し方を教えて下さい。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 6日(火)18時14分31秒
  質問日時:2010/06/22 19:50
回答数:4件


神経症の治し方を教えて下さい。
8ヶ月前にストレスから神経症になってしまいました。緊張性頭痛や、のぼせが出ましたがそれは
収まりました。最近、精神の高ぶりや、イライラ、倦怠感、手足のしびれが強いです。
すべては緊張が取れないからこのような症状が出るのではないかと思います。

薬は漢方のヨクカンサンとオウレンゲドクトウ、グランダキシン、デパスを少しです。
その他、催眠療法、整体、まだ始めたばかりですが認知行動療法を受けています。

どうしてこんなに緊張するのか、精神の高ぶるのか、気持ちをリラックスさせる事がなかなか
できません。
毎日が非常に辛いです。
なにか良い気持ちを落ち着かせる方法があれば教えて下さい。よろしくお願いします。


>>>管理人

回答日時:2010/06/22 22:53




森田療法で治った経験が在ります。その事を書いてみます。神経症は自我意識と『自分自身の命の働き(無意識の自分)』がうまく同調出来ない事が原因で起こる現象です。

治すために学ぶ事がありますので書いて見ます。症状らしきものを意識して困っていると思いますが、その意識する事が神経症の症状らしきものを招いています。

問題の核心が、貴方は『症状らしきもの』と思っているかと思いますが、その視点から神経症を治そうとする事は、かなり無理があります。問題の核心は『意識をする事』に在ります。

神経症には様々な症状が在りますが、症状を相手にしている間は治らないです。一生掛かっても治らないかも知れません。症状を嫌って『治そうとする』心の働きが症状を作り出して固定させているからです。

他の方法からのチャレンジでないと、神経症は治らないと思います。他の方法には幾つかの方法がありますが、決定的なものは特別には無いかも知れません、が治ったと言う事を先に書いて後で具体的な方法を書いて見ます。

治ったと言う事は『症状が』意識には上がって来なくってしまう事です。症状をすっかり忘れてしまう事が完治したと言う事になります。私の場合には14歳から32才までの18年間症状に苦しんだ経験が在りました。

その4年前に鈴木知準先生のところで入院森田療法を2ヶ月間受けました。入院期間に色々な話を聞きました、主に悟りを開くと言う話が多かったようです。或いは道に到る、或いは免許皆伝と言うような話です。あの頃は『何の話かさっぱり』分かりませんでした。

先生はノイローゼの一年は十年座禅をした事と同じ、或いは悟りを開かないとノイローゼは治らない。という事を言っていました。何の事かさっぱり分りませんでしたが、先生の言う生活態度を忠実に守って暮らした結果、4年後の事、自分の自我意識が『自分の無意識の意識』に出会うという体験が在りました。

もう30年位経ちました。この30年の間神経症になったことも治った事もすっかり忘れていました。今62歳になりました、65才位に引退をしてから、悩み多い人達に『出来る事は無いだろうかと思い』今はこうして書いています。

そうして完治した事が、冒頭の言葉になっています。そこで治すと言う事を書いてみます。私の言う事を信じて、言うとおりにするなら貴方にも治る機会が訪れる筈です。その方法とは『症状』の事は不問にすると言う事です、症状が在ったら苦しいとか、治りそうだから嬉しいとかは口にしたり書き物にしない事です。

症状を相手にしない人間性が育った時が治る時です。症状が在って苦しい想いが続くと思いますが、その事はもうどうしようもない事と『症状が治ると言う事を』諦める事が大事となります。

本当に大事な事は神経症が治る事です。症状の解決を図る方法では解決しない事をよく覚えておいて下さい。症状を意識してその意識する事が症状を起こしてその症状を固定させている事実を、覚えておいて下さい。精神科医に掛かったり心療内科で見てもらって、沢山の薬を長期間飲んだとしても、『頭の中は治したい、治らないのスパイラルに入ってしまい何十年しても症状の改善は一進一退になる筈です。

そうして他に学ぶとしたら『禅』と言うものを学ぶ事です。鈴木大拙博士の書いたものが良いと思います。禅を説明するなら、人間を働かせている『命の働きを』直接に掴み取れ!と言うほどの意味になります。

神経症で苦しい想いをしている人が『自分の症状を起こしている者を直接に掴み取れ!』と言う意味になります。人間はどうして苦しまなくてはいけないのかが判った時に『完治』になります。症状を起こしていた者が自分の心の中に存在していた事を知るからです。

自我意識が『命の働き』の情報を勘違いして受け取っていた事が分るからです。その出会いからは症状が消えてしまいます。自我意識に送られていた情報とは必要に迫られて送られていたと言う事がわかるからです。

それ以後心の矛盾は消えてしまいます。心は限り無く静寂を取り戻すと言う事です。それ以後自我意識は計らいでは生きようとはしなくなるからです。在るがままに悠々と、安楽に生きてゆく心持になっています。どんな事が起きようが、心は静かに対応するようになります。

そのために、今は症状を不問として、症状の有無を問題としない生き方を学んで下さい。人間の心は『無意識の意識』からの情報を受けて感情が湧く仕組みになっています。

不安も恐怖も、あの人が好きと言う事も、如何いう風にどんなに好きかと言う事も無意識が教えています。納期が来たと言う事も、試験が近ずいて来てピリピリする事も、全ては無意識からの情報です。

無意識になれなくなる事や、無意識からの情報を嫌って受け取ろうとしなくなる事で『症状』として感じています。

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