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おだやかなる日々。

 投稿者:自然Yukiko  投稿日:2018年 6月 4日(月)03時53分57秒
  瞬く間とは瞬きの目を閉じる間、真実を見る間と気がつきました。
そうして目を閉じることに意識を向けると心が落ち着いてきます。
見ることによる心の弊害、比較からの解放です。
そういえば、未だ神を見たものはいない。悪魔はその美しさに自惚れて高慢になりとか
眼に頼る弊害が不安の原因かとも思えます。恐怖はまさしく禁断の実を食べ目がひらけたことによる
結果なのかとも。
左脳の働きである現実、受け入れることのできない状態から
目を閉じた真実の世界の中にいる喜びへと心は大きく広がります。
瞬間の持つ意味。目を閉じるその間の真実。心が逆転しました。

 

お久しぶりです。元気です。

 投稿者:自然Yukiko  投稿日:2018年 6月 1日(金)21時29分4秒
  幼い頃、食べた川原の堤防のグミが懐かしく僅かばかりの庭にグミの木を植えました。
今年はいっぱい実がなり懐かしさひとしおです。
瞬間とは瞬きの間と思っていました。いつも瞬きはあたりまえのことです。
目を閉じると瞼の内側を見ているのですね。
瞬間はそれを捉えることはできないけど見ているのですね。
それが瞬間なのかと。
眠りにつくと夢を見ます。目を閉じて見るものです。
映ったものではありません。
瞬きの間実際を見ているのかなと思った次第です。
目を閉じてこそ本物が見える瞬間という言葉の持つ意味。
懐かしいグミの味。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年 5月30日(水)18時51分53秒
  ここいいです。
http://kuboakoru.web.fc2.com/zatukann.htm
 

管理人様へ

 投稿者:  投稿日:2018年 5月29日(火)18時20分59秒
  丁寧なご返答ありがとうございます。
こちらの説明がたりなかったようです

>その症状を受け容れる


これはあまりに至難です。
想念観察で得られることで同じ境地に
なるのではないかと感じているのです

こちらに想念観察が詳しく載っています
http://www.geocities.jp/trans_human/21c/21c2/21c20.html

私を含めてここの悩めるひとに光の情報になるような
気がしたので書きました。

私は想念観察は自観法と同じような気がしています。
 

春 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月28日(月)20時07分53秒
  想念観察の意味が分かりませんが、自身が自身に抱いていた疑問が全て氷解した感覚です。或は『漠然とした不安におびえていた自分が、その正体が自分自身であった事が了解出来た瞬間です。』

ですので、不安とか恐怖に怯えていた自分が、その原因(正体)が自分自身の中に存在していた事を了解する体験です。

従って、不安も恐怖も共にきれいさっぱり消えています。不安の原因が瞬間で存在しなくなった感覚です。肩とか身体中が不安のためにカチカチに力が入っていたのですが、その力みが無くなった感覚です。

不安や恐怖に反応して身体中に力を入れて生きてきた生き方が、瞬間的に脱力をする感覚です。身心脱落とか、脱落身心とかを、全身で体感する体験です。

或は死にたくないとか、永遠の命を希求していた自分の中に、もう既に永遠の命が備わっていた事が体感できる体験です。

これ以後すっかりと神経症の症状を考える事が無くなりました。この体験を『完治』と表現しています。

こうなると神経症で苦しんでいた事も、治って楽になった事でさえも、意識に上がる事が無くなっていました。

鈴木大拙博士が言っていたように、二元論を起こしていた内部の者を把握出来たために、二元論で悩む事は無くなっています。生きている時は『生』だけ、死ぬる時は『死』ぬるだけだと思います。

否とか応(否応)などを言う必要そのものが無くなっています。

人間の(人生の)苦しみとは、現状を受け容れる事が出来ない事が悩みとか、苦しみになっています。

何時までこの苦しみが続くかよ言うなら、受け容れるまで続く事を意味します。

神経症の苦しみも同じです、その症状を受け容れるまで続く事を意味しています。


自分の苦しみの理由が分からない事を『無明』と表現するようです。この原因が分かる事を『自分自身を知る』と表現します。無明の闇から解放される事を解脱と表現するようです。

神経症が治る事も、この人生での不安や恐怖が消滅する事も『その原理は同じ事です。』無明に打ち勝つ事がカギを握っています。仏教を極める事も神経症を治す一つの方法でもあるようです。
 

想念観察

 投稿者:  投稿日:2018年 5月28日(月)18時23分7秒
  管理人さんの言われる
悟というと大げさですが、脳梁で、この二つの意識が出会う
というのは想念観察で得られることと
同じような気がするのですが
どうでしょう
 

重大な狂いであること

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月27日(日)09時39分44秒
  重大な狂いであること   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 5月27日(日)08時12分19秒

是は神経症を治すホームページからの無断掲載です。

『第二掲示板ではご覧のように、手が付けられない状況だ。 治った人と治ってない人の簡単な見極め方を言うと、治った人では第二掲示板の論議に興味を示さないのに対して、治ってない人間は熱心に加わる。

同じレベルで加わっているHNが、自分は全治していると言うから笑わせるで はないか。しかもその嘘を他の神経症者たちは見破れない。 相も変わらず森田の時代から続く狂いの連鎖であり、これが神経症と言う精神病の実際だ。、、、、』


又彼は第二掲示板では

[782] 猫仙人さんへ
 投稿者: 管理人 投稿日:2018年 5月26日(土)13時56分28秒

『健康な人と神経症者の恐怖は性質が全然違います。健康な人の場合、不安恐怖が襲ってもそのまま通り過ぎて行くが神経症の場合、絶対通り過ぎない。死ぬまで不安は食らいついてきて、人生は崩壊してしまう。 私は神経症を精神病と分類し、問題は脳の構造に原因していると見る。

唯一の解決策は動きの確保であって、動きが止まったらもう地獄に真っ逆さまと覚悟したら良い。だから少し不自然でも常に動きが止まらないように努力すべきだ。悲しいかな我々神経症者はそのような欠陥脳を持って生まれて来た。

所でこの努力の成果は素晴らしく、私は16歳の年から異性恐怖と対人恐怖をわずらい殆ど人生をダメに したが、今はこの通り、異性恐怖、対人恐怖なんて何処かに消え去り、何とバカな努力を30年もしたものだと反省しきりです。』


要するに再投資は、神経症とは、脳の構造が原因の精神病と主張しています。従って治るはずのない精神病で
ある自分が『どんなに偉いのか』と主張をしたいのでしょうか?


ですが解る人間から見た場合や、神経症が治った人間から見た場合では再投資の主張『健康な人と神経症者の
恐怖は性質が全然違います。健康な人の場合、不安恐怖が襲ってもそのまま通り過ぎて行くが神経症の場合、
絶対通り過ぎない。死ぬまで不安は食らいついてきて、人生は崩壊してしまう。

私は神経症を精神病と分類し、問題は脳の構造に原因していると見る。』は誤りである事が分かります。


不安感や恐怖感が何時までも続いたり、増幅されたりする現象が神経症の状態を作り上げていて、その原因は
『本人の脳の構造ではなくて、本人の考え方や生き方の誤り』が原因だという事になります。


こう言った生き方の誤りとか、考え方の誤りを『入院森田療法によって正して来た、或は教えてきた人が鈴木
知準先生だった、と思っています。この先生から何度も入院森田療法を学んだ人が再投資であった事を、斎藤氏は以前告白をしていました。

神経症が治るという意味は『脳の欠陥が修復される』という意味ではなくて、不安とか恐怖に対する対処の仕
方を学ぶ事によって、『健康な人と神経症者の恐怖は性質が全然違います。健康な人の場合、不安恐怖が襲っ
てもそのまま通り過ぎて行くが神経症の場合、絶対通り過ぎない。死ぬまで不安は食らいついてきて、人生は
崩壊してしまう。』といった偏見とか誤りから脱却する事によって正しい見方をするようになって、無明を振
り払って、この人生を不安があっても恐怖があっても安楽な人生を送って行く事が出来る新境地で過ごす事が出来る生き方を構築して行く事だと思います。


雑用が出来なくなったり、動きが出来なくなった場合では『不安と恐怖が襲ってくる』ような中途半端な治りしか説明出来ない再投資が、世界中で只一人の治癒者であるといった誤った偏見が広まるのは、余良い事ではないと思っています。

神経症の治りが『雑用の有無』だけと言った偏った見方しか出来ない無為な療法だけが神経症を治す療法ではない事を、此処で今説明しています。
 

尤もらしい議論

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 5月25日(金)10時04分1秒
  このような尤もらしい議論をしていると人生は崩壊しますよ。
間もなく脳の科学は神経症を精神病の一つと認定するでしょう。
仏教なんて語っている場合でなく、良い薬があるなら直ちに精神病院に入院です。
だが今は薬がない。

今日のニュースでは重度の鬱病に対しては電気ショック療法がある程度有効と出ていた。
ただ、ある程度であって、今は薬がないから電撃で脳をひっぱたいているのであって、
療法と呼べる代物ではない分けです。
 

お返事

 投稿者:レロ  投稿日:2018年 5月24日(木)22時35分25秒
  大変お世話になっております。さっそくの回答ありがとうございます。
2冊ほど鈴木大拙の本を読んだのすが、非常に難解なのでほとんど理解できず、読むまで時間がかかりそうです。そこで中学生に向けてわかりやすく書いた「鈴木大拙の言葉」という本があったので読み終わったらまた感想投稿いたします。この本ならなんとか読めそうです
また管理人さんのホームページが今一番神経症の解決についての正確な真理、解決法が書かれていると思います。私もこのサイトによって30年以上続いた神経症を解決したいです。症状は自律神経失調症です。くわしくは不問なのであえて書かないようにいたします。それと斉藤療法などという森田先生、鈴木先生にたてつく分けのわからない人など相手にしないで体をこわさないよう気をつけてください
 

”森田療法と仏教は繋がっていないように見えますが、

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月21日(月)20時23分38秒
  森田療法と仏教は繋がっていないように見えますが、
どのへんが繋がっているのでしょうか。
森田では対人恐怖は普通の人にでもあり得る正常心理として流すように仕向けます。
仏教では無我の境地に気づかないとならないとしています。ここに断絶があります。



>>>管理人



仏教でも神経症でも共に、心が二つに分かれる事によって悩みや苦しみが始まっていると思います。主体と客体という風な二元論です。言い替えるなら人間の苦しみは分別から始まっているという意味になります。

分別が出る前には無明は無かった、従って究極の仏教徒の修業の目的は無明に打ち勝つ事であり、分別から始まった無明による業に依っての結果である、あらゆる苦しみからの解脱を、仏教徒は目指す事になると思います。

『一度我々が知るものと知られるものとを、分別し始めるや否や、無明の影は知性の全野を覆うに至った。知性は今や常に無明を伴って居る。その時以来我々は二元論そのものに深く心を奪われて、二元論をなしているものに気付こうとしない。』是は鈴木大拙博士の写しです。


二元論が生じている初めは、一念に対しての二念です。或は自我に対しての『命そのものの働き』=『仏性』です。

我々の不安とか恐怖心とかを起こさせている『働き』です。

この”働き”と自意識が、仲違いをしている事で『意識地獄が始まっています。』

時間が無くなってしまいましたので、次回に又書いてみたいと思います。

 

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