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体験者の記録には独特の微妙な世界が隠れている…

 投稿者:釣りバカ三平  投稿日:2018年 6月17日(日)04時03分15秒
  腑に落ちず投稿させていただきます。わたくしも、全治とはどう言うものかと随分と追い求めるかたちとなりました。そこのところがあいまいになってしまっているからなのでしょう?
 鈴木先生のところからで、開業医をされている先生の所を2箇所程受診もしました。が管理人様のおっしゃるような(鈴木先生が話されていたような)お話はお聞きする事はできませんでした。そこには、何か溝があるように感じられます。
 そして、最近少し時間がありましたので、正知会の体験者の記録を読みました。やはり、そこにはなかなか体験した方でないと分からない、独特の微妙な世界が隠れている事に気付きました。
 管理人様の、今後ともご尽力をお願い申し上げます。
 

悟り開くってどんな感じ?もしくはどう考えてるのかな

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 6月16日(土)19時28分49秒
  悟り開くってどんな感じ?もしくはどう考えてるのかな?
考えて開けるものなのでしょうか。



>>>管理人

是は例えて言うなら、悟りを開く前の状態とは精神疾患に掛っている状態や、神経症の各症状に悩まされている状態や、或は自律神経失調症とか難治性の身体の疾患(例えば過敏性腸症候群)などに掛かった状態と類似していると思います。

この例えでは、悟りを開く前の状態を示しています。つまり人間の苦しみの根源は何処にあるのか?と言った疑問を抱いている状態を指しています。この心の状態は『一切皆苦』です。釈迦が言っている或は仏教の原点である『一切皆苦』の状態を指し示しているからです。

またこう言った疾患に縁のない人や興味の無い人も多数存在していると思いますが、こう言った関係性も説明する事が出来ると思います。

『一切皆苦』は、心理的な説明をするなら『意識地獄』を意味していると思います。精神疾患の原因が現れている状態です、或は神経症の症状に悩まされている状態という言い方も可能です、或は自律神経失調症とか難治性の身体の疾患(例えば過敏性腸症候群)などに掛かった状態とも共通点があります。

その共通点とは『漠然とした不安感』です。何処から押し寄せているのか分からない得体の知れない不安感とか恐怖感と言っても良いかも知れません。

或は『生き難い想い』として、その代弁さえも可能と思える程の辛さかも知れません。これは自分自身の心『自意識』と呼んでいる心が感じている圧迫感、或は不安感、或は恐怖感と言えるものです。

こう言った自我意識たる自分の心に受けている心の辛さとか、生き難さと言ったものから解放される事を『解脱』と言っています。従って解脱も悟りを開く事も、自身の心を『苦』から解放する事、或は苦しみの終焉を示している根源は同じ事を意味していますので、只表現方法の違いを示していると考えた方が良いかも知れません。


この原因を探る事は、宗教の根源を探る事と同じ意味があります。人間はなぜ苦しまなくてはいけないのか?を探る事になるからです、又この苦しみから救われる事は解脱とか、悟る事を意味していて、人間に付き纏いがちであった『無明』から解放される事を意味するからです。魂の救済が完了されて魂がこの現生と言われている人生からも自由になるといった意味さえもあるからです。


生死を乗り越えて自由な魂になる、生も死も恐れる必要さえも無かった事を知る事になるからです。

騒がしくって、苦しくて、不自由な心が、全くの自由を獲得する事を意味しています。この自由な心が『涅槃寂静』になります。心の中が静まり返っていて、心の中に波風が立たない状態です。言い替えるなら心の中での矛盾や対立がきれいさっぱり解消出来た状態という意味になります。


今の精神医学とは対照的な世界観を展開する事になりますので、よろしくお願いします。


先に書いた疾患の原因を現代医学では、原因不明としています、しかしながら『原因不明』でありながら治療がなされています。全く不可解な事を現代医学ではやっている事になります。従って良くなった場合の事を寛解と呼んでいるようです。


この寛解という状態についても、どうやったら悪くなって、どうやったらよくなる
のかと言った明快な指針さえも指し示す事が出来ないでいる状態だと思います。

始めに『無明』という意味を解説したいと思います。是は人生に付いての疑問点が沢山存在していますが、この疑問が何故始まったのかと言った原因が、分らないといった意味です。


言い替えるなら、あらゆる問題点は全て二元論を起点として発生していますが、誰もその問題点の発生の前の事を問題にしていない事を無明と言っています。


もう一言言うなら、二元論が出てくる背景を知ろうとしない事を『無明』と言っていると思います。


始めの話に戻すなら『精神疾患に掛っている状態や、神経症の各症状に悩まされている状態や、或は自律神経失調症とか難治性の身体の疾患(例えば過敏性腸症候群)などに掛かった状態』の原因は何か?という意味です。


言い替えるなら、こう言った疾患は悟りを開くなら完治をするという意味になります。


二元論が発生する原因を書いたものに、聖書があります。人間は何も疑問を抱かずに神と共に仲良く暮らしていた『天国』でそそのかされて知恵の実を食べて、天国から追放された。と言った下りです。


それから人間は『神に疑いを抱くようになって』苦しみが始まったという話です。


是は脳の機能を語っています。それも思春期頃を境としての話です。人間の脳の機能が完成する頃は思春期頃です。今まで裸でいても何にも思わなかったものが、『恥ずかしい』と言った感情が湧くようになります。イチジクの葉で身体を隠す現象です。

思春期頃から先に書いた疾患が始まるのは、人間としての脳の機能分化が完成に近づいたからだと思います。

今までは脳の機能としては『一つの心』として働いていたものが『見る者と見られる者』になってしまった事を意味しています。つまり心が二つに分かれてしまった事を意味しています。


聖書に忠実に従うなら、自我意識と神と二つに分かれた事を意味します。


ここで問題なのは、神の存在ですが、神とは『生命発生装置兼生命維持機能、或は命そのものの働き』と説明するとかなり分かり易いと思います。

それは遺伝子レベルの話になりますが、赤ん坊になる前段階でさえも、全て知って働いている存在を人間は誰であっても内在しています。細胞分裂の順番とかも正確に知っている事です。

そうして生まれた後には、髪の毛を白くする事も黒くする事も赤くする事もしています、そうして心臓の速さでも血圧の高さでも、呼吸数でさえも調節しています。ホルモンの調節や、自律神経系統の調節も、緊急の時や咄嗟の動作が必要なら、自意識を差し置いて発動もしています。

感動する場面では『スタンディングオベーション』でさえも、何も習わずに出来ています。

赤ん坊を思い出して頂きたいのですが、生れたばかりなのに、不安とか恐怖とか安心する事を知っています。

自意識たる心は『安心させられたり、不安や恐怖にさせられている者』としての役割分担です。であっても赤ん坊時代では安心させている者や、不安にさせている者と一つの者として働いています。つまりこの状態が天国を示しています。


高所恐怖症は『高いところは怖い』と教えている者と仲違いしている事を意味します。或は疑っているという表現でも良いかも知れません。

この疑いを晴らす時、高所恐怖症は治ります。


人間の脳の機能の説明ですが、この中で注目すべきところは、脳内に人格が二人存在しているところです。思春期頃に機能分化が完成に近づいた時、自意識ではないもう一つの自分の心は『無意識の底に深く身を沈めてしまっています。』そうして無意識界の主人公として自身の身を守っています。

ウイキぺデアからの転載です。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

右脳の意識は、遺伝子レベルで、人間(あらゆる生命体でも同じ)であらゆる”個体”としての生命維持機能、熊なら熊としての生命活動、蜘蛛なら蜘蛛ととしての生命活動、桜なら桜としての生命活動、ソメイヨシノならソメイヨシノとしての生命活動という意味です。

仏教の言っている仏性の事です。

この場合での右脳の役割と左脳の役割を脳卒中の為に『体験的に体感した脳科学者の動画を載せて置きます。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。


この動画の言っている事は、自分が全てを失う時(捨て去った時)、悟り体験としての『右脳の意識との対面があった』事だと思います。

悟り体験とは『脳梁の中で、自意識と無意識の意識としての自分が出会う体験の事です。』

神経症の人であったなら、症状を起こしている者と出会う事を意味しています。

その気持ちは『神経症の症状を無くしたいと考えていたが、無くす必要そのものが無かった事』に、気が付く事を意味します。

今までは症状を取り除きたいとか、症状の軽減を何よりも望んでいましたが、そう言った気持ちそのものが無くなってしまう事を意味しています。

症状など無くなる事が無かった事を納得出来る事を意味します。治らなくとも良かったと、思う様になります。症状が無くなる事で神経症が解決すると思っていたものが、症状が有ったままで良かった事に気が付く事を意味しますので、治っても特段嬉しいと思う事はありません。

仏性と言ったもの=右脳の意識=命そのものを働かせていた機能との、仲違いが解けた事によって、漠然とした不安は無くなっています。自身の命そのものによる圧迫が無くなています。

或は、今まではそう言った圧迫によって、全身に力を込めていたものですので、全身に入っていた力みが、一瞬にして解けています。身心脱落脱落身心と言った状態になります。

全身に力を込めて力む事で、不安感や恐怖感に耐えていましたので、その原因から突如解放される事で、利器む必要が無くなった事を意味しています。

これ以後、死に対する不安でさえも消滅しています。

神経症であっても、心を病む事であっても、自律神経失調症や過敏性腸症候群であっても『死に対する不安や恐怖感』にあらがう事によって、生じていた生き難さだった事を意味しています。
 

クレマチスとカーネーション植え替えました。

 投稿者:自然Yukiko  投稿日:2018年 6月13日(水)01時00分52秒
  大雪で外出出来なかった日があったのが夢の中の出来事のように思えます。
今年も半分過ぎました。今は梅雨。雨音が静寂をさえぎっています。
昨年末遠出の仕事をやめて自宅近くに決めて良かったと冬を迎えて安堵しました。
それも8年前永遠を実感したその施設へのご縁がありました。
世界の出来事も重大なターニングポイントに差し掛かっているのでしょうが
自分の中でも一の自覚が大きく占め始めました。
完全数である一。絶対数である一。
自分の中に絶対、完全を持ちながら、比較、不安という抵抗をするという
与えられた日々の制約の中で葛藤しやがて迎える絶対まで。
喜んで努力の日々でありたいと思っています。
 

矛盾にへこたれない人 ある意味強い人

 投稿者:AZ  投稿日:2018年 6月10日(日)23時37分57秒
  ライフワークの翻訳で熱心に神経症を研究したあとに、考えるな分析はするなを言う人

>翻訳完成  投稿者:斎藤

>お蔭で深刻に考えなくても物事が処理できる。

>神経症者は毎日仏教だ、哲学だ悟りだと言いながら、

>神経症の分析ばかりやっていないで、





 

AZ様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 6月10日(日)12時19分16秒
  貴方のように考えて、投稿を沢山しましたが、載せる事なしで投稿拒否の処置が続きました。今ではたまに載せてくれることもあるようですが、気まぐれなので結果は分かりません。

私の投稿理由は、間違った神経症の理解を広めてもらっては困る事もあるかも知れないという理由からです。

森田先生や鈴木先生の言っている事の方が、斎藤氏よりも理にかなっていると感じているからです。世界中で神経症が治った人はとても沢山存在していると思われます。

第二掲示板の方で投稿している治った人の投稿の中で、仏教を学んで対人恐怖をを克服した、という方がいましたので、鈴木大拙博士の仏教の解説での『無明』を解明する事がこの人生に於いての不安とか恐怖から自由になる事が出来る一つの道しるべという事が確信出来ました。

鈴木知準先生が言っていた事『悟りを開くなら神経症は治る』或は『神経症の症状を起こしている者と出会う時、神経症は治る。』も同じことを言っていますが、日本には今も『禅宗』がありますが、インドでも中国でも鈴木大拙博士の存命中に、すでに絶えていたと書いてありました。

この日本からの禅の効用としての『無明』からの脱却が、この先に望む事が出来ると感じています。うつにも自律神経失調症等にも或は難治性の、過敏性腸症候群等にも効用があると思います。

こう言った薬なしで、おまけに完治までの道筋がある程度読める、或は原因と結果としての『因果関係』の確立が出来るなら、大変意義のある事を意味すると思います。

いたずらに、再投資と論争をしても意味がないと考えています、再投資はいまいち神経症の治癒に付いての詰めが甘いと思っています。揺り戻しとか、再発のない本治りと言った『正しい神経症の付き合い方』を推し進める上で、彼のお世話になる事もありかなと考えています。

斎藤氏のホームページの運営の仕方のうまさによって、一日500人を超える閲覧者数になっているようですので、自分のホームページ上では読者数が伸びていませんので、あやかりたいと考えています。
 

(無題)

 投稿者:AZ  投稿日:2018年 6月 9日(土)20時17分52秒
  仏に会ったら仏を殺せ
・森田療法も斎藤さんも、崇拝・絶対視して寄り掛かるな。
・アンチとして執着して寄り掛かることもするな。

斎藤さん
・内容的には、(禅的)森田に強く影響され寄り掛かってるところがかなりある。
・森田療法アンチカルトで執着。自他に無駄な論争を仕掛け続ける。

仏に会ったら仏を殺せ 全然出来てない反面教師。
いろんなものに寄り掛かりごみを投げ付け論争ばかり呼び、本人は世界で唯一治ったの妄想の中。

こんなカルトにアンチしてるだけ無駄だとわかった。

仏に会ったら仏を殺せを教えてくれてありがとう。
カルトの尊師様。
カルトからも学べるところだけ汲み取ればいいんだね。


 

自分に当てはめることはしないのか

 投稿者:AZ  投稿日:2018年 6月 9日(土)20時07分17秒
  論争より生活  投稿者:斎藤
投稿日:2018年 6月 9日(土)14時25分14秒
ネトウヨと言う言葉を知っているだろうか。韓国人よ、帰れ、北朝鮮は悪だと汚い言葉で
言いまくっているインターネット上の人達だ。恐らく日本に対しても天皇制を支持する
大変硬直した考え方の人達だ。
インターネット上で論議していると、何か自分が一人前の
知識人になったと勘違いして大声でわめいている。何か空しさを感じないだろうか。

社会では、何が正しいと一言で言うのが難しい問題が沢山ある。自分が正しいと
主張しているより、相手にも可能性があると一歩引く柔軟性が大事だし、第一生活の
維持の方が大切だ。だからインターネットで活躍しないで、生活を充実せよと私は言いたい。

私の掲示板も同じだ。自分が正しいと主張するよりも、もっと大切な事がある。それは
健康生活を取り戻す事だ。これさえ達成すれば、掲示板の意見なんてどうでも良い。
私なんかもう25年も達成している。泡飛ばして掲示板の世界で論戦なんて
バカもこの上ない。

~~
お前がバカの本丸じゃないか。

その論争の火種をまき続けてる張本人なのに。
「俺だけが治った他は全部治ってないクズだ」と火種を巻き続けておいて、誰からも反論されず、世界で唯一治った奇跡の人でノーベル賞もので、雑用の会の取り巻きに祭り上げられる毎日。

そんな論争のない毎日ってあるんですかね。
火種をまきつづけて「論争なんてー」は自分勝手すぎ。

 

AZ様へ

 投稿者:管理人(H.N)  投稿日:2018年 6月 9日(土)11時13分16秒
  貴方の怒りには同感です、森田先生とか鈴木先生が治っていなくて、自分だけが治っているといった主張は、とても受け入れる事など出来ません。

何よりも再投資には神経症に対する理解不足があるような気がしています。

それは『神経症の治りには、完治とか根治が無い』と言った主張です。

それともう一つ『脳のハード面に依る先天的な欠陥』と言った主張です。


神経症の治りには完治とか根治が無いという事を主張する裏側には『神経症が治っていなくて、只ぶり返しがある事を意味しているだけと思います。』

鈴木先生はよくこう言っていました『体得出来た時には神経症に後戻りする事は無くなる、です。


それともう一つ『脳のハード面に依る先天的な欠陥』と言った主張に反対する理由は、パニック障害を思い浮かべて頂くと分かると思います。


パニック障害は『偏桃体が異常に高ぶって、異常な反応を引き起こす現象』という事が言えると思います。この事を彼は昔のホームページでは、不安の発火点が低い脳と表現しています。今のホームページでは別の記事に置き換えているようです。

不安に対する発火点が低い事を、脳としてのハード面が脆弱(欠陥として生まれて来た)と表現していたものと思います。

パニック障害は、大変な不安感とか恐怖感に襲われる現象ですが、『是は脳の欠陥からではありません』普通の正常な脳だから現れている現象です。

此処の理解不足が原因で、斎藤氏は脳のハード面に欠点があると間違った認識をしています。


パニック障害が起きる原因は、仏教で言うところの『無明』だと思います。これは噛み砕いて表現するなら、二人の自分です。不安を教えている自分と、その不安を教えられている自分です。

その不安を教えている方の自分は『無意識の主人公であって、世界を認識していて、過去とか未来とかにも精通しています。もう一言書くなら自分が何処からやって来て何処に帰って行くのかさえも知っている自分です。』=『仏性』の事です。


もう一人の自分とは『自意識』と表現出来る自分の”心”です。

パニック障害の原因とは『自意識』が(もう一つ(一人)の自分から)送られてくる情報を『着信拒否』をする事が原因で引き起こされています。

この情報を送っている方の自分は、着信拒否をされている事が分かる事から『再送をしてくることになります。』ところがこの再送が問題になります。

嫌な情報と思って着信拒否をしている自分に対して、その情報の送り手であるもう一人の自分は『その情報をもっと大きくして、再送をして来ます。』

小さな不安なら⇒もっと大きな不安。大きな不安なら⇒恐怖。恐怖ならもっと大きな恐怖感と言った具合です。

パニック障害が治るきっかけは、開き直る事が良いのかも知れません。もうどうにでもなれと開き直る事です。そうして今の不安を受け容れた瞬間から、次の不安は襲って来なくなる事実を学ぶ事でしょう。これでパニック障害は治っています。

どんな不安でも恐怖でも襲って来いと決心が出来た時から、どんな情報でも再送される事が無くなるからです。言い替えるなら小さな情報の内に『着信拒否をせずに、ちゃんと受け取りが出来ているからです。』

どんな不安でも恐怖でもちゃんと受け取りが出来る時の心の状態を『あるがまま』と表現します。この意味は『絶対肯定』を意味しているからです。

パニック障害とは『今現在を否定している事』を意味しています。又如何いった神経症であっても、苦しんでいるという意味は今現在を受け容れる事が出来ない事で苦しみがある事を意味しています。

全てを受け容れる事が出来た時『全ての苦しみは消えています。』是が絶対肯定という意味ですが、何事があっても脅かす事が出来ない安心を意味しています。この境涯を『涅槃寂静』と表現すると思いますが、最も重いパニック障害が治った場合では最も深い涅槃寂静を知る事になります。
 

仏に会ったら仏を殺せ の件

 投稿者:AZ  投稿日:2018年 6月 9日(土)10時22分25秒
  も消されたのでこっちに書かせてください。
これは自分への戒めとしても書いたことです。


斎藤さんの仏に会ったら仏を殺せの文章がこれ。
http://mui-therapy.org/zen/zen.htm

師として参考にした教えであっても、
崇拝、絶対視して寄り掛かるのはやめよということ。

そして、これには別の意味もあると思った。
「アンチとして否定することに執着して寄り掛かるのもやめよ。」

崇拝して寄り掛かることだけではなく、
アンチとして執着して寄り掛かることもやめよという意味にもとれる。
事実、アンチ教もまた麻薬でありカルト教である。
アンチテーゼということをある意味絶対視しのめり込むことだから。

斎藤さん自身、森田療法アンチということに執着し続けた人。
それで自他共に多くの無駄や争い、ストレスを生んできた。
森田療法も万能ではないから元々それに疑問を感じてた人はいて、
その人らにとってはアンチテーゼが参考になることもあったのだろうが、
物事は程度問題である。度を越すと否定のカルトになって争いや損失を生む。全否定ではなく丁寧に説明する必要もあったのだ。

斎藤さんのそのアンチカルトという無駄を反面教師にすればいい。
斎藤さんアンチというのも結局無駄。

仏に会ったら仏を殺せ。
崇拝で寄り掛かるのもアンチの執着で寄り掛かるのも
やめたほうがいいと。




 

物事になり切る

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 6月 9日(土)10時06分39秒
  斎藤氏のホームページを見たところ、題名の記事が乗せられていました。


以下がその内容です。

『物事になり切るは神経症の患者の言葉であって健康な人、神経症が治った人は言わない。世界中の誰が、物事になり切る努力をしているだろうか。我々が神経症になる前を考えても、そんな事した覚えがない。
これを言い始めたのは森田とその弟子達であり、彼等は物事になり切れば神経症が治ると指導した。明らかに神経症を治すための取引であり、森田自身が神経症の患者であったのを示している。

神経症が治った斎藤はどう言うか。
物事になり切るとか、なり切らないとか言っていないで、立ち上がってどんどんやれと言う。その辺で青い顔して天井を眺めている姿が精神病であり、とても会社では仕事は出来ないし、家でも大変なお荷物になる。
普通にしていれば、人間も動物も皆物事に自然になり切るのに、何故努力をしなければならないのかと違和感を覚える。

厳密に言うと健康な状態では必ずしも物事になり切っていない。お勝手で皿洗いをしている時など、心は何か別な事を考えている。脳の深部には意識切り替えスイッチがあり、どの方向に意識を向けるか自動調節をしている。自然は良くできたもので、意識しなくても脳は必要な方向に意識を向けるように出来ている。
自然に意識が向くのに、 ”物事になり切る”と敢えて念を押すと、意識活動に妨害を与える事になり、不愉快に感じる。理由は、そこに精神症状を見るからである。

意識をこうすれば神経症が治ると取引したものだから、返って意識がおかしくなり、残念ながら大半の神経症者は ”物事になり切る”努力をしつつ一生を終えてしまう。』


是は本当の意味を捻じ曲げています。物事に成りきるという意味は、オリンピックでの体操とかフィギュアスケートでの演技中の選手の心持を語っているのだと思います。


『自然に意識が向くのに、 ”物事になり切る”と敢えて念を押すと、意識活動に妨害を与える事になり、不愉快に感じる。理由は、そこに精神症状を見るからである。

意識をこうすれば神経症が治ると取引したものだから、返って意識がおかしくなり、残念ながら大半の神経症者は ”物事になり切る”努力をしつつ一生を終えてしまう。』

こう考える事によって、再投資の場合では入院森田療法に於いての治癒が長引いたのではないのかと考えられます。

神経症が治った後なら、自然とこう言った『物事になり切る態度』が体現できるようになります。


『物事になり切る態度』を神経症の治る為の必須アイテムと考えて行動をした場合では、治らなかった時代の斎藤氏や、現在の一休さんになっていると思います。

神経症は『治らないものであった』という事を納得をした場合だけ、神経症が治る事を意味していますが、余りに難しいので、神経症を理解出来る人が少ないのかも知れません。


是を雑用療法に置き換えてみるなら、『誰が雑用雑用と言って日常の生活を送っているであろうか?そういう人がいるなら雑用をすれば治ると信じている、雑用信者である。』

雑用をすれば治ると考えて雑用をしている間は治る事が出来ない、治る事や治す事を忘れて只必要に応じて雑用をやっている時は治っている。只言える事は『治す意図』を忘れている時は治っている事を意味しています。



 

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