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自分が生まれるたった21年前に戦争があったなんて

 投稿者:釣りバカ三平  投稿日:2018年 8月 7日(火)22時56分36秒
  猛暑お見舞い申し上げます。
いつも、いろいろお教えいただきありがとうございます。
今日、ラジオで戦争を経験した金子さんと言う方の放送をやってまして釘付けになりました。トラック島に行った方で、太平洋戦争で約250万人が亡くなっているが殆どが飢餓で死んだと言っていました。こんな戦争繰り返してはいけないと、平和の呼びかけを俳句でやったそうです。戦争に行かれた方が、こんな戦争繰り返してはいけないと言われてるのですから…
その方がどうして戦争は、無くならないのかの問に『簡単に言うと物欲と言う手に負えない…』と答えているそうです。
自分が生まれるたった21年前に戦争があったなとどとは、とても考えられない世の中に生きていますが、管理人様の何かご意見をお聞かせ下さい。
暑い日が続きますので、ご自愛下さいますようお願い申し上げます。
 

無知の知ってバカが何も知らないのがすごいって

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 7月28日(土)20時53分1秒
  無知の知ってバカが何も知らないのがすごいって意味ですか?深い意味があるんですか?




>>>管理人


無知の知には、自分が自分を知っていると勘違いしている自分を、指しています。或は人生とは何なのか?とか、自分は何者か?とか、自分は何処からやって来て、何処に帰って行くのか?と言った事を知っていると思ったり知らないと思ったりしている事を指しています。本当は『知っているのですが』知っていると思ったり知らないと思っています。この事をズバリと言うなら『無明』と言っても良いのかも知れません。簡単な話ですが、うつと言っても神経症と言っても、或は自律神経失調症と言っても同じですが、原因はたった一つだけです。こう言った自分自身を苦しめている原因は、自分自身ですが『この事を理解出来ないでいる事が=無知の知=無明』と言っていると思います。この人生に生きていて、恐れる事が在って、安楽に生きて行けない原因を『無知の知とか無明』と言っていると思います。無知の知を理解して、無明の闇を晴らすなら、この世に恐れるものは無くなって大安楽の人生が展開すると思います。恐れる事の原因までたどり着く事が出来るなら、無明の闇はすっかりなくなっています。そのヒントは『二元論が沸き上がる原因は何か?』ですが『自分は何者か?』の問いと同じ事です。『父母未生以前本来の面目』と自分に問いかけても同じ事だと思います。
 

はじめまして。いつも拝見させて頂いております。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 7月 4日(水)07時49分10秒
  ケン

2018/6/27(水) 午後 2:33


はじめまして。いつも拝見させて頂いております。
パニック障害、不眠症、対人恐怖を抱えていたのですが、管理人様のおかげでかなり助けられました。
本当に心から感謝しております。



ちょっとしたご近所トラブルがあり、人間関係が苦手な自分の判断に自信がないため、管理人様のご意見をお伺いしたく書き込みさせていただきます。



先々月くらいに近所に引っ越してきた人についてなのですが、その人がたまに庭で大音量で音楽を聞くことがあり、結構うるさく、
何度か我慢したのですが、我慢していても解決しないと思い、一度直接注意をしました。



その後音楽がうるさいということはなくなったのですが、こちらが庭にいる気配を感じ取ると(木や葉っぱが茂っていて直接は見えない)
その相手がわざと大きな物音を立てるようになりました。
真意はわかりませんが注意されたことが気に食わず逆ギレしているのだと思います。
こんな小さなことで恥ずかしいのですが、向こうが大きな音をたてるたびに結構ストレスを感じてしまっています。




長いので分けさせてください。




以前にも近所の騒音に悩まされた経験があり、トラウマ的になっており大した状況でもないのに過剰反応しているというのは自分でもわかります。

現実的な相手への対応としては、このままエスカレートしたり続くようなら、怒りにまかせて怒鳴りつけてしまいそうな気がするのですが、それは止めたほうが良いでしょうか?
自分は過去に、お人好しすぎることによってどんどん相手を調子づかせ失敗したと思うような経験が多く、言うべきときははっきり言ったり、
弱肉強食的な人間社会に於いては時には戦うことも必要なのかなと思うようになりました。
よく思われよう、嫌われたくないという思いが強かったために他者との折衝を避け、目先の楽をとることによって、後々自分が苦しむことになるということが多かったように感じており、
強く出たほうが良いのではないかと思ったりします。

それとも、こういう人間もいるのだと、相手を許すというか受け入れて怒りを持たない方向性の考え方をしたほうが良いのでしょうか。
今後エスカレートしたとしても、こういう逆ギレするような相手には何も言わないほうが良いのでしょうか?




2018/6/27(水) 午後 2:33 [ ケン ]


本心では丸く収めたいと思っているのですが、以前の自分は、良く思われたい、嫌われたくないとの思いで、(自覚はありませんでしたが)
相手が悪くともこちらが譲歩しようと考え行動してきたのですが、今考えるとそれが状態を悪化させるということが多かった気がしています。
良く思われようとかの打算がない状態でなら、こちらが譲歩して笑顔で挨拶する等すれば上手く和解出来たりするものでしょうか?
私は典型的な神経質者で左脳が出しゃばっているせいか、人間関係についての自分の判断がことごとく
間違いばかりだったと思うことが多く自分の判断に自信がありません。
やはり、どんな理不尽な相手でも、良い悪いの分別を捨て受け入れるのが正しいのでしょうか。
最初に直接注意したことがそもそも間違いだったのでしょうか?
一概に言えるものではないし、相手による事だと思いますが、尊敬する管理人様に簡単にでもアドバイス頂けるとありがたいです。



2018/6/29(金) 午後 11:14 [ ケン ]



ご返事が暮れてしまいました、失礼いたしました。この答えは出ないと思います、その理由は相手によって取るべき行動が全く違うものになると思うからです。

相手の性格によって、取るべき態度が違うという意味は貴方も想像がつくと思います。

人間の行動は誰でもが同じと思いますが、絶えず、何時も生まれて初めての行動が多いと思います、ましてや引っ越ししてきた相手の人の性格が分からない中での会話では尚更です。

隣近所で憎しみ合うようならば大変な事態になる可能性がある事を考えるなら、少々の事は我慢した方が履行と思います、そうして仲よくと言いますか、近しくなった時ではお互いに腹を割って話が出来る時まで待つ事の方が賢明かと思います。


高速道路での走行車線での無理に止められた、一件のような異常な性格の人も存在していますので、注意するといった『当たり前』と思える事も、当たり前ではないと思っている人の存在も考慮しなくてはいけない世の中になった事も、考えるなら『我慢する事』もあながち悪い事とは言えないと思います。

何事も最悪な事態から見たなら『良かったと思える事』も、一つの見方と思います 。






2018/6/30(土) 午前 9:50  [ tumaritouo ]


素晴らしい回答をありがとうございます。

自己肯定感の低さから相手を優先し自分を蔑ろにする選択をしたり、争いを避けて楽に逃げるのは駄目なことだというのを自覚してから、今回のような場合我慢するというのは逃げなのかもしれないと思うところがあり迷っていました。

管理人様に『我慢する事』もあながち悪い事とは言えないといって頂けたことで少し安心しました。




パニック障害で地獄の苦しみを味わっていた1年半くらい前に、管理人様の存在を知り、質問サイトでのご回答を殆ど全て保存させて頂き、読み上げソフトで音声化し、いつも聞かせて頂いております。本当に救われました。
今後もブログ続けていただきたいです。
ありがとうございました。






2018/6/30(土) 午後 0:17 [ ケン ]


何時も書いていますが、分るまでは大変だと思いますが、恐怖症と言ってもパニック障害と言っても、うつと言っても、苦しんでいる本人自身の信号、或は情報を本人である自分が『間違った受け取り方をしている事が原因で発症しています。』

高所恐怖症などで説明すると理解しやすいと思いますので、高所恐怖症のメカニズムで説明しますね。

高所恐怖症もパニック障害も原因は全く同じです。自分の脳内に(自分では自覚し難い事ですが)高いという情報を知らせている者が存在しています。

この情報は言葉以外の情報です。怖いとか不安とか安心出来る状況にある、と言った『外部の状況を監視して教えて呉れる連絡網を人間は持っています。』 削除





2018/7/1(日) 午後 0:29 [ tumaritouo ]


字数制限になったために中断しました、続きです。

この連絡網そのものや、連絡をしてくれている者を怖がったり、その情報に過剰な反応をする事を『恐怖症とかパニック障害』と呼んでいます。

鈴木知準先生が『悟りを開かないと神経症は治らない』と言った事も、人生に対する不安とか恐れとは『無明の故である』無明を打ち破って大安心の世界に入るには『自分自身を知る事によって、無明から解放される事』が大事である、と言う意味は全く同じです。

禅問答に取り組むとか、鈴木大拙博士の著作したものに触れるとかすると良いと思います。 削除





2018/7/1(日) 午後 0:31 [ tumaritouo ]


不安や恐怖や緊張感等々の不快と思えるような種々の感情や感覚は必要であるから右脳が送ってきてくれているものであり、それを受け取り拒否すると強くして再送してくることなど、管理人様に教えて頂いた数々の教えを、表面的な理屈としては理解しているつもりではいますが、体得というレベルまで行かなければならないと思うとまだまだです。

管理人様の仰る「湧き上がる感情をただ受け流すことを学ぶ」「湧き上がる感情に一喜一憂しない」「良いことがあっても喜びすぎない、嫌なことがあっても落ち込みすぎない」などなど他にも沢山ある的確なご助言をいつも心に留めて生活するようにしています。

鈴木大拙博士の「無心ということ」を以前、買って読んでみたのですが、正直、難しすぎてよくわからないという感想でした。何度か読んでみたいと思います。鈴木博士の他の本も読んでみるつもりです。
ありがとうございました。




2018/7/2(月) 午前 9:47 [ ケン ]
 

(無題)

 投稿者:美香  投稿日:2018年 6月20日(水)20時52分44秒
  管理人さん、欲を出しましょう。
 

奇蹟は実感。

 投稿者:自然Yukiko  投稿日:2018年 6月20日(水)20時49分19秒
  先日午前の仕事が終わって帰宅し、くつろいでいたら二女が仕事が休みだということで家に来ました。
私も午後はゆっくり出来たので久しぶりに親子の時間が持てました。
家の周りの木をさっぱりしてくれてスッキリしました。
枝の処理もゴミ袋いっぱい積み上げたものを次の日朝のうちに持って行ってくれてありホッとしました。
奇蹟って自分の思惑、常識というものが皮相であることを実感し敬服せずにはいられません。
禁断の実を食べ開いた眼に常識が張り付いて苦しむことになった。という創世記の記述から
精神、神経の病はここから始まったのではないかとも思えます。
辻井伸行さんのピアノの演奏、テレビ出演されていて聴くことが出来ました。
安らぎと幸福感に満たされました。
あたたかい深い世界に感動し、この世の出来事が束の間の皮相であるように思えました。

 

神経症を治す掲示板第二から

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 6月18日(月)07時48分34秒
  悟りとか全治について
 投稿者: 管理人 投稿日:2018年 6月17日(日)20時07分53



これは質問してはいけないし、解答してもいけないのです。
しかし、HNの掲示板では延々とやる。何故なら治らないものが質問し
治ってないものが答えるからです。

禅の話の一つに「大道長安に透る」と言うのがある。
修行僧が禅匠に悟りを得るにはどうしたら良いかと聞くと、寺の前の道が
長安に通じていると肩透しの答えをする一節です。

禅匠は決して具体的解答をしない。具体的解答を求めるのが
迷いの姿であり、解答はお前の目の前にあるよ、「無」だと言っている
分けです。

「無」とは無意識であるから言葉では説明が出来ない。それに近い
経験をしたければ、立ち上がって作務をやれという事です。
無為療法に似ているでしょう。



院森田療法
 投稿者: H.N 投稿日:2018年 6月18日(月)07時44分47秒


鈴木知準先生のところで2か月間治療を受けました。鈴木大拙博士の著作集が多いのに感動をしまして、退院してからは、時間がある限り大拙博士の本を読むといった生活をを繰り返していたところ、退院して四年後の事禅の本の中で語られていた『父母未生以前本来の面目』の禅問答を解く機会に恵まれた事が在ります。

此処の管理人には多分、分らない経験かも知れません。この経験で神経症が一気に解決した事が在ります。

入院治療中に鈴木知準先生は『悟りを開かないと治らない』或は『症状を起こさせている者がいる』という事を言う事が在りました。

斎藤氏にも同じ事を語っていたと思いますが、如何なんでしょうか?興味があるかないかの問題なのでしょうか?

 

体験者の記録には独特の微妙な世界が隠れている…

 投稿者:釣りバカ三平  投稿日:2018年 6月17日(日)04時03分15秒
  腑に落ちず投稿させていただきます。わたくしも、全治とはどう言うものかと随分と追い求めるかたちとなりました。そこのところがあいまいになってしまっているからなのでしょう?
 鈴木先生のところからで、開業医をされている先生の所を2箇所程受診もしました。が管理人様のおっしゃるような(鈴木先生が話されていたような)お話はお聞きする事はできませんでした。そこには、何か溝があるように感じられます。
 そして、最近少し時間がありましたので、正知会の体験者の記録を読みました。やはり、そこにはなかなか体験した方でないと分からない、独特の微妙な世界が隠れている事に気付きました。
 管理人様の、今後ともご尽力をお願い申し上げます。
 

悟り開くってどんな感じ?もしくはどう考えてるのかな

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 6月16日(土)19時28分49秒
  悟り開くってどんな感じ?もしくはどう考えてるのかな?
考えて開けるものなのでしょうか。



>>>管理人

是は例えて言うなら、悟りを開く前の状態とは精神疾患に掛っている状態や、神経症の各症状に悩まされている状態や、或は自律神経失調症とか難治性の身体の疾患(例えば過敏性腸症候群)などに掛かった状態と類似していると思います。

この例えでは、悟りを開く前の状態を示しています。つまり人間の苦しみの根源は何処にあるのか?と言った疑問を抱いている状態を指しています。この心の状態は『一切皆苦』です。釈迦が言っている或は仏教の原点である『一切皆苦』の状態を指し示しているからです。

またこう言った疾患に縁のない人や興味の無い人も多数存在していると思いますが、こう言った関係性も説明する事が出来ると思います。

『一切皆苦』は、心理的な説明をするなら『意識地獄』を意味していると思います。精神疾患の原因が現れている状態です、或は神経症の症状に悩まされている状態という言い方も可能です、或は自律神経失調症とか難治性の身体の疾患(例えば過敏性腸症候群)などに掛かった状態とも共通点があります。

その共通点とは『漠然とした不安感』です。何処から押し寄せているのか分からない得体の知れない不安感とか恐怖感と言っても良いかも知れません。

或は『生き難い想い』として、その代弁さえも可能と思える程の辛さかも知れません。これは自分自身の心『自意識』と呼んでいる心が感じている圧迫感、或は不安感、或は恐怖感と言えるものです。

こう言った自我意識たる自分の心に受けている心の辛さとか、生き難さと言ったものから解放される事を『解脱』と言っています。従って解脱も悟りを開く事も、自身の心を『苦』から解放する事、或は苦しみの終焉を示している根源は同じ事を意味していますので、只表現方法の違いを示していると考えた方が良いかも知れません。


この原因を探る事は、宗教の根源を探る事と同じ意味があります。人間はなぜ苦しまなくてはいけないのか?を探る事になるからです、又この苦しみから救われる事は解脱とか、悟る事を意味していて、人間に付き纏いがちであった『無明』から解放される事を意味するからです。魂の救済が完了されて魂がこの現生と言われている人生からも自由になるといった意味さえもあるからです。


生死を乗り越えて自由な魂になる、生も死も恐れる必要さえも無かった事を知る事になるからです。

騒がしくって、苦しくて、不自由な心が、全くの自由を獲得する事を意味しています。この自由な心が『涅槃寂静』になります。心の中が静まり返っていて、心の中に波風が立たない状態です。言い替えるなら心の中での矛盾や対立がきれいさっぱり解消出来た状態という意味になります。


今の精神医学とは対照的な世界観を展開する事になりますので、よろしくお願いします。


先に書いた疾患の原因を現代医学では、原因不明としています、しかしながら『原因不明』でありながら治療がなされています。全く不可解な事を現代医学ではやっている事になります。従って良くなった場合の事を寛解と呼んでいるようです。


この寛解という状態についても、どうやったら悪くなって、どうやったらよくなる
のかと言った明快な指針さえも指し示す事が出来ないでいる状態だと思います。

始めに『無明』という意味を解説したいと思います。是は人生に付いての疑問点が沢山存在していますが、この疑問が何故始まったのかと言った原因が、分らないといった意味です。


言い替えるなら、あらゆる問題点は全て二元論を起点として発生していますが、誰もその問題点の発生の前の事を問題にしていない事を無明と言っています。


もう一言言うなら、二元論が出てくる背景を知ろうとしない事を『無明』と言っていると思います。


始めの話に戻すなら『精神疾患に掛っている状態や、神経症の各症状に悩まされている状態や、或は自律神経失調症とか難治性の身体の疾患(例えば過敏性腸症候群)などに掛かった状態』の原因は何か?という意味です。


言い替えるなら、こう言った疾患は悟りを開くなら完治をするという意味になります。


二元論が発生する原因を書いたものに、聖書があります。人間は何も疑問を抱かずに神と共に仲良く暮らしていた『天国』でそそのかされて知恵の実を食べて、天国から追放された。と言った下りです。


それから人間は『神に疑いを抱くようになって』苦しみが始まったという話です。


是は脳の機能を語っています。それも思春期頃を境としての話です。人間の脳の機能が完成する頃は思春期頃です。今まで裸でいても何にも思わなかったものが、『恥ずかしい』と言った感情が湧くようになります。イチジクの葉で身体を隠す現象です。

思春期頃から先に書いた疾患が始まるのは、人間としての脳の機能分化が完成に近づいたからだと思います。

今までは脳の機能としては『一つの心』として働いていたものが『見る者と見られる者』になってしまった事を意味しています。つまり心が二つに分かれてしまった事を意味しています。


聖書に忠実に従うなら、自我意識と神と二つに分かれた事を意味します。


ここで問題なのは、神の存在ですが、神とは『生命発生装置兼生命維持機能、或は命そのものの働き』と説明するとかなり分かり易いと思います。

それは遺伝子レベルの話になりますが、赤ん坊になる前段階でさえも、全て知って働いている存在を人間は誰であっても内在しています。細胞分裂の順番とかも正確に知っている事です。

そうして生まれた後には、髪の毛を白くする事も黒くする事も赤くする事もしています、そうして心臓の速さでも血圧の高さでも、呼吸数でさえも調節しています。ホルモンの調節や、自律神経系統の調節も、緊急の時や咄嗟の動作が必要なら、自意識を差し置いて発動もしています。

感動する場面では『スタンディングオベーション』でさえも、何も習わずに出来ています。

赤ん坊を思い出して頂きたいのですが、生れたばかりなのに、不安とか恐怖とか安心する事を知っています。

自意識たる心は『安心させられたり、不安や恐怖にさせられている者』としての役割分担です。であっても赤ん坊時代では安心させている者や、不安にさせている者と一つの者として働いています。つまりこの状態が天国を示しています。


高所恐怖症は『高いところは怖い』と教えている者と仲違いしている事を意味します。或は疑っているという表現でも良いかも知れません。

この疑いを晴らす時、高所恐怖症は治ります。


人間の脳の機能の説明ですが、この中で注目すべきところは、脳内に人格が二人存在しているところです。思春期頃に機能分化が完成に近づいた時、自意識ではないもう一つの自分の心は『無意識の底に深く身を沈めてしまっています。』そうして無意識界の主人公として自身の身を守っています。

ウイキぺデアからの転載です。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

右脳の意識は、遺伝子レベルで、人間(あらゆる生命体でも同じ)であらゆる”個体”としての生命維持機能、熊なら熊としての生命活動、蜘蛛なら蜘蛛ととしての生命活動、桜なら桜としての生命活動、ソメイヨシノならソメイヨシノとしての生命活動という意味です。

仏教の言っている仏性の事です。

この場合での右脳の役割と左脳の役割を脳卒中の為に『体験的に体感した脳科学者の動画を載せて置きます。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。


この動画の言っている事は、自分が全てを失う時(捨て去った時)、悟り体験としての『右脳の意識との対面があった』事だと思います。

悟り体験とは『脳梁の中で、自意識と無意識の意識としての自分が出会う体験の事です。』

神経症の人であったなら、症状を起こしている者と出会う事を意味しています。

その気持ちは『神経症の症状を無くしたいと考えていたが、無くす必要そのものが無かった事』に、気が付く事を意味します。

今までは症状を取り除きたいとか、症状の軽減を何よりも望んでいましたが、そう言った気持ちそのものが無くなってしまう事を意味しています。

症状など無くなる事が無かった事を納得出来る事を意味します。治らなくとも良かったと、思う様になります。症状が無くなる事で神経症が解決すると思っていたものが、症状が有ったままで良かった事に気が付く事を意味しますので、治っても特段嬉しいと思う事はありません。

仏性と言ったもの=右脳の意識=命そのものを働かせていた機能との、仲違いが解けた事によって、漠然とした不安は無くなっています。自身の命そのものによる圧迫が無くなています。

或は、今まではそう言った圧迫によって、全身に力を込めていたものですので、全身に入っていた力みが、一瞬にして解けています。身心脱落脱落身心と言った状態になります。

全身に力を込めて力む事で、不安感や恐怖感に耐えていましたので、その原因から突如解放される事で、利器む必要が無くなった事を意味しています。

これ以後、死に対する不安でさえも消滅しています。

神経症であっても、心を病む事であっても、自律神経失調症や過敏性腸症候群であっても『死に対する不安や恐怖感』にあらがう事によって、生じていた生き難さだった事を意味しています。
 

クレマチスとカーネーション植え替えました。

 投稿者:自然Yukiko  投稿日:2018年 6月13日(水)01時00分52秒
  大雪で外出出来なかった日があったのが夢の中の出来事のように思えます。
今年も半分過ぎました。今は梅雨。雨音が静寂をさえぎっています。
昨年末遠出の仕事をやめて自宅近くに決めて良かったと冬を迎えて安堵しました。
それも8年前永遠を実感したその施設へのご縁がありました。
世界の出来事も重大なターニングポイントに差し掛かっているのでしょうが
自分の中でも一の自覚が大きく占め始めました。
完全数である一。絶対数である一。
自分の中に絶対、完全を持ちながら、比較、不安という抵抗をするという
与えられた日々の制約の中で葛藤しやがて迎える絶対まで。
喜んで努力の日々でありたいと思っています。
 

矛盾にへこたれない人 ある意味強い人

 投稿者:AZ  投稿日:2018年 6月10日(日)23時37分57秒
  ライフワークの翻訳で熱心に神経症を研究したあとに、考えるな分析はするなを言う人

>翻訳完成  投稿者:斎藤

>お蔭で深刻に考えなくても物事が処理できる。

>神経症者は毎日仏教だ、哲学だ悟りだと言いながら、

>神経症の分析ばかりやっていないで、





 

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