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カタカナ英語が気になる。

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年12月 2日(日)17時36分14秒
  トラウマと言うが英語の発音はトローマである。
カオスと人は言うが、英語の発音はケイオスです。
ショベルカーと言うがシャベルカーが原音に近い。
スルーすると人は言うが、あまり英語でスルーするとは言わない。
NGと言うがこれをNo Goodと言えば一発で分かるが、NGと
言われるとキョトンとしてしまう。
アラフォーとはなんとAround Fortyとは!!

入国する人と言えば良いのに、わざわざインバウンドと言う。
証拠、理由、原因と立派な日本語があるのにわざわざ
エビデンスと言う。エビでも食いたいのかねと言いたくなる。
よほど日本人は英語に劣等感があるらしい。
これを避ける最善の方法は、今直ぐ英語を話し始めるのです。
カタカナ英語なんて笑わせるなと言いたい。
 

雑感

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 2日(日)11時51分52秒
  神経症を治す掲示板第二、というものを斎藤氏が開設しています。投稿した瞬間から載ります、しかも削除なしです。この掲示板の読者は毎日百人は下らないようです。

神経症が治らないで骨を折っている人達に見て頂きたいという想いから、時々投稿をする時があります。
 

神経症になってしまう原理と治る為の原理です。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 2日(日)11時28分7秒
  神経症には沢山の症状とか不安の形とか、恐怖の形がありますが、神経症になる原因と、治ってゆく形は共通していると思います。

原理原則と言った理屈とか理論が頭で分かったところで、畳の上で水泳を学ぶ事と同じで、本当に泳ぐためには役立たないかも知れませんが、何時か治った暁には(治る為のヒントと共に)役に立つかもしれませんので、一応書いてみたいと思います。




神経症になる原因は、環境のせいではありません、只環境は二次的な誘発要因になっているかも知れませんが、根本的な要因は、その本人の資質にあると思います。




その資質とは神経質な性格という事です。不安になり易い性格という意味でもOKです。




他の人達が気付かないけれども、神経質な人が気付くといった内容は、自分自身の心の内部構造に不安を覚えてしまうという意味です。この内部構造という意味は、脳内に二つの人格が存在していて、自意識が『もう一つの意識に突き動かされて生きている事』に違和感を抱きやすくなっているといった意味でOKだと思います。




もう一つの意識とは『生命の働き』を司っている意識です。臨済義玄禅師が『癪肉壇上に一無位の真人が居る、云え云え!』と言った真人の事です。




寒いところにいる時には『暖かいところや温かい飲み物を求めさせて、自分に指示さえ出している者の事です。』




暑いところにいる場合では、涼しい所や冷たい飲み物を求めさせて、内発的に行動を差せようとしている者の事です。




こういった者との間に違和感が生じやすい人の事を、不安になり易いとか神経質な性格と表現する事が出来ると思います。




神経症の原因とは『自意識』という機能が、『無意識』という機能と、順調に交替出来なくなる現象という言い方も可能と思います。




恐いとか、不安と言った具体的な情報は、自意識に送られている情報ですが、その情報の送り手は『命そのものの働きをする機能』です。




命の働き=無意識の自分という事になります。従って漠然とした不安とか、恐怖感とかは『命の働き』からの情報です。この情報とか、この情報の送り手そのものを恐れた場合が『不安症とか恐怖症』になった事を意味しています。




高所恐怖症の場合では『高い所の情報とその情報の送り手』を怖がっている事を意味します。




或は罪悪感=漠然とした不安、という形容し難い感情がありますが、これ等も良い例です。自身の命そのものの働きから送られてくる情報です、この意味は様々あるかも知れませんが、主に『交替要請』と言った意味合いが多いと思います。




不眠症を例に挙げるなら、眠る場合では『自意識は無くなってゆきます。』完全に自意識が無くなった時には『無意識の自分が交替をして身体と心の支配権』を握って、朝が来たらその支配権を『自意識に返しています。』すっきりした目覚めになっています、何故ならば自意識はすっかり、『自分の無意識に任せていて休まっていたからです。』




処が”意識”は是を自覚出来ません、何故ならば意識が無くなった事を意識出ないでいるからです。




日常の生活でも絶えずこういった交替が続いています。処がこういった交替劇は誰も『自覚出来ない事から』気付く事は無いようです。




こういった理由で神経症の原因は、自身の意識VS無意識との間の葛藤、或は対立、或は矛盾が原因という事です。つまり心の矛盾とか対立とか葛藤が原因になっている事を挙げる事が出来ます。




神経症が治るといった原理を書いてみたいと思います。




神経症になった事は『症状』として現れて来ると思います。処がその症状とは、自身の生命の働きから送られてくる、生きて行くための情報』ですので、無くなる事はないと思います。







従って治るという意味は、その情報を素直に、有り難く受け取って置く事が出来た時という事になります。







精神薬と言われているものとは、この情報を送る者と、その情報を『自意識に伝え難くする事』が目的として作られています。』ですので神経症の場合では薬を飲む事は、只の時抑えの効果しかなくて、根本治療にはならないと言われる所以が此処に在ります。




神経症を治すためには、症状の消滅とか、症状から逃げる事は返って悪化を招く行為になります。神経症が治るという意味は『症状を受け容れる事』で完了するからです。










神経症を治すための第一条は『症状』の無くなる事を諦める事です。」




神経症を治すための第二条は『症状』に対しての”不問”です。症状の事を考える事は致し方ないとしても、口にしない事が大事です。







この二つの事を実行すれば神経症の外に居ます。




では治りに付いて少し説明して終わりにします。




この二つの事が徹底された暁には『症状』が出たという事にも、出なかったことに付いても余り感想が無くなっています。つまり症状が有っても無くなっても余り関心が無くなっています。




この余り関心が無くなった状態が肝心になっています。此処まで来た場合では『同じ症状らしきものが出たとしても、問題にしない態度』が完成していますので、同じ症状が出たとしても、それはもう問題にしていない段階で『症状』としては成立しない状態になっています。




つまり症状が有って、症状として出たとしても、症状としては成立していない事を意味しますので、『症状の消滅』を意味します。此処まで来た段階が神経症の完治という事になります。




生きるために送られてきていた情報を、只自意識として受け入れる事が出来た状態になっています。




症状として意識上に上げていた事が問題になっていただけと分かります。症状を問題にしなくなったところで、症状ではないものになっています。




症状を悪いものとして嫌っていた事が問題になっていた事を意味します。何が良くて何が悪いのかと言った価値観の転換も進行していたのかも知れません。
 

トラウマを解消することは脳科学的に可能なのですか?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 1日(土)19時30分20秒
  トラウマを解消することは脳科学的に可能なのですか?


>>>管理人


トラウマが何であって、どうするとトラウマではないものに変化するのかが分かって、そう言った事を可能にする方法を実践出来るなら可能になると思います。

始めにトラウマが何であるのかを説明したいと思います。トラウマとはノイローゼの一種だと思います、このノイローゼというものには神経症とか心を病むとか恐怖症とか不安症も含まれていると思います。

ですがノイローゼとして一括りにしても良いと思います、何故なら症状は違えども治し方は同じだからです。

如何してノイローゼになるのかという原因は、医師の元に行くと『今の精神医学では、心を病むという事柄に付いての原因は未だ分かっていませんが、早期治療で早く良くなります。』と言って早く治療に取り掛かりましょうと言って、薬付けにして反って重い状態に持って行く場合が多いようです。

ノイローゼは環境がアレルゲンとしている今の医学の間違いです。環境がノイローゼになるきっかけを作っているように見えていますが、実は当人の感じ方とか、考え方がノイローゼの原因を作っています。

ノイローゼになるという意味を書いてみたいと思います。

ノイローゼの原因は単純なものです、それは人間の脳内に人格が二人存在している事が原因です。この二つの人格(心)が矛盾を起こしたり対立したり分裂する事が原因です。

科学的な証拠です。ウイキぺデアからです。




『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』


この資料の核は『人間の脳内には二つの『意識}=”人格”が同時に内在している事』です。

それでは『心の矛盾』が解消出来た脳科学者の体験が語られている動画を載せてみたいと思います。そうしてこの今の時代で『心の矛盾の解消』を請け負っている人も紹介して置きたいと思います。


URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM


この体験は『禅』で語られている見性体験に近いものだと思います。自分自身を知るといった体験です。本当の自分に出会う体験を悟りを開くと言っているようです。

この体験とは脳梁の中での二つの意識が出会う体験だと思います。時間的には何百分の一秒かも知れませんが、この効果は生涯続くようです。

この効果とは『もう二度と自分の心同士が争う事が無くなる』といった効果だと思います。何時も心の中が静まり返っている状態という意味です。

別な表現をするなら、二つの意識が出番争いをする事が無くなった状態という意味です。

ノイローゼの状態とは『無意識の自分になる事が出来なくなった状態』を指しています。本来の正常な人間の状態とは、意識する自分と無意識の自分が順調に交替が出来ている状態と言っても良いからです。

自意識が出たままになって、無意識の自分の出番を阻害している状態を指しています、是が意識地獄という状態です。

トラウマから抜け出したい思いが募って、反ってトラウマに縛り付けられているジィ応です。恐怖症も不安症も同じです。


最後に『本当の自分との出会い』を専門に推し進めている学校がありますので紹介したいと思います。

https://www.shinga.com/?gclid=COLLxIC8iqECFYsvpAodsUzuOg


 

鬱=我儘は関係あるよ。なぜだか分かるか?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年11月23日(金)21時00分34秒
  鬱=我儘は関係あるよ。なぜだか分かるか?


>>>管理人



鬱は世の中の見方や、物事の捉え方や、判断の仕方に偏りとか、自分自身の独自な見方がある事に関係しています。

言い方を替えるなら、健康人とか健常者と言われている人達とは違う物差しで生きているという意味になります。

従って我儘は大いに関係していると思います。

鬱とかノイローゼとか神経症は大鬱ではない場合ですが、大抵は物事の見方の偏りから発症していると考えられます。

物事の見方の違いという意味は、物事への接し方が違うという意味ですが、この意味は自分がした判断に振り回されてしまうという意味です。


或は自分が感じた事柄に振り回されていると言っても良いと思います。



簡単な表現をするなら『一念で感じた事に振り回されて、”二念にまで引きずってしまって、意識上に上げて大問題にしている。”事を意味します。



例えばパニック障害を例に挙げてみたいと思いますが、パニック障害が発症している場合では『パニックになる原因』に振り回されてしまっている事が原因で発症していると思います。

パニック障害と言ってもその原因とか症状は千差万別だと思います。或は恐怖症と言っても良いのかも知れません。高い所、狭い所、広い所、ありとあらゆる事柄がアレルゲンとなって症状を誘発をしています。

健康人とか健常者は症状を誘発されませんが、誘発をされる人がいます。その人の事を『パニック障害を抱えた人、或は神経症の人、或はノイローゼの人』と表現するようです。

この場合での他の人が異常としない環境を『同じ環境にも関わらず違和感を抱えてしまってパニックを起こしている場合では。』当然の事本人の我慢出来ない心=我儘な心が関係していると思います。


人間の心とか気分は当然ムラとか、浮き沈みがあります。沈んだ心を嫌って沈んだ気分にならないようにしようとする場合もあるでしょうが、脳内に於いて『我儘な心が働いて』沈んだ心を”排除しようとする場合があります。”


言い方を替えるなら『誰でもが沸き上がる一念に湧き上がった感情(心)を嫌うがために『二念(意識上に上げて)で排除しようとする事が在ります。』

絶えず何時でも沈んだ心を嫌って排除をする努力を続けるようになります。この努力が継続する事を症状の固定と言います。意識上に上げて絶えず問題にしているという意味になります。

意識地獄に陥ったという言い方も可能だと思います。

『沈んだ心を嫌って』という場合が鬱で、『不安な心とか恐怖心を嫌ってという場合では』パニック障害とか、恐怖症という事が可能になります。


この背景は『受け入れたくない事柄、或は受け入れられない事柄』が症状名になっています。


従って症状持ちの人と健常者の明暗を分けるポイントとは、『症状らしきものの受容』という事を意味します。


神経症で言うならば吃音とは、吃音で話す事を嫌っていて入れられない事が原因で吃音が発症して固定されているという意味になります。

なので吃音が治るという意味は『吃音の時位は普通に平気で誰にでもある事』を知る時です。健常者とはこういう人達の事です。

鬱といった気分に陥ったとしても、そのまま仕事なり遊びなりを続けている内に暗い気分ばかりではなくなって、明るい気分になったりしています。

鬱々とした気分から抜けられない事が在るなら、鬱という沈んだ心を嫌って、鬱という気分になりたくない一心で、鬱という心を心の中で問題にしている事が挙げられます。




鬱=我儘は関係あるよ。を端的に語れる材料を書いてみます。宗教的な見方が関係しているかも知れません。


禅坊さんがいつも言っている事と重なります。『我を去れ=分別を捨てよ!』という事です。この意味を詳しく書いてみます。


普通では世の中を見る時、現実の目の前の世界は一つだけだと思ってみています、実際は一つだけで正解なのですが、此処に思い込みという人間の計らいが入り込む場合があります、この時に世の中が二つに分かれてしまいます。


此処から神経症とか鬱とかノイローゼが始まって来ます。普通では、高い所は怖いになります。或は死ぬのは怖いとなっています。ただそれだけなら何も起こりませんが、ノイローゼになった場合では、高い所に居ないにもかかわらず高いに怯え始めています。

現実には無い現実に恐怖を感じている事を意味します。死の恐怖なども良い例だと思います。死刑囚になった訳ではないに来関わらず、死刑囚の気分で暮らしている場合があります。この場合の事を『死に対する恐怖症』或は『社会不安障害』という言い方も可能と思います。


現実的には死の不安とか、恐怖とかは目の前には存在していませんが、不安で不安で、怖くて怖くて仕方が無くなってしまって、社会生活がスムーズに送れなくなってしまう場合があります。

頭の中の世界と現実の世界がごちゃ混ぜになってしまう場合です。頭の中が現実には無い事柄『つまり妄想の虜になっている場合です。』

この場合の事をノイローゼとか恐怖症とか神経症とかと呼んでいるようです。同じ事を別な呼び方をしているのだと思います。

こう言った現象が起こる原因とは、人間らしい営みに違いは無いのですが、目の前の現実の世界を『頭で描く理想の世界』とごちゃ混ぜにしている事を意味します。


『頭で描く理想の世界』は何かというならば『妄想で出来た世界』です。吃音が無くなった理想の世界と現実の真実の世界である吃音という自分が、二つになってしまって自分を苦しめている事を意味します。


何故こうなっているのかという現実とは、『頭の中に吃音はいやで嫌いで仕方ないから、妄想として、吃音のない自分の姿を作り出してしまって』その妄想と現実の自分が戦いだしているからです。

違う言い方をするなら、吃音は嫌で悪い事だと思っている自分と、現実には吃音でしか話が出来ていない自分が二人存在している事を意味します。

この原因を取り除くとするなら『吃音で話をする事は悪い事だ!』と分け隔てをする見方から離れる事です。


世の中の見方を『良い事だけ起こって、嫌な事は起こるな!』という物事の見方=分別の仕方を替える事が解決方法です。


世の中を見渡した場合では、良い事も見方によっては悪い事であったり。良い事の後に悪い事が起きたりしています。良い事だけ起きて悪い事は起きないようにしたい!には当然のごとく不可能な見方や生き方が含まれています。

真実の世界で生きて行くという場合では、良い事も悪い事も分け隔てをしないで『頂戴する』という意味があります。


我儘が鬱の原因という意味は、『嫌な欝な気分は』自分は受け取る事が出来ない、として、『良い気分とか、爽快感』だけに浸っていたい、と言った『自身の我儘一杯の分別が働いている事が原因で』うつと言った気分から抜け出す事が出来ないでいます。吃音で述べた事と同じ現象です。


吃音で話す事も致し方ないとか、鬱な気分も致し方ないとかとなって、嫌な事でさえも受け容れる事が出来る時吃音からも鬱からも卒業しています。


神経症も鬱なども、本当の治りを期待するなら『症状の受け入れ』だけが治癒の道になります。症状が在っても無くともどちらでも良くなった時を完治と表現します。


従って症状は取り除く事が出来ない事を承知して、症状を取り除こうとしない時『症状は在ったままでいながら、症状ではないものに変化しています。』この症状を受容した場合のみが完治したと表現します。

症状が有ったら悪いとか、地獄に落ちたら悪いとか、症状がない世界を想像するのを止めたり、天国に入る事を諦める時『本当の意味で治ったり安心できる世界に入る事が出来ます。』

『分別を捨てよ』とは、楽が良くて苦しむのが悪いという物の見方を無くせ!という意味です。地獄に入る決心がついた時『たちどころに全てが天国に変身』するという意味です。
 

管理人へ

 投稿者: 夢fantasy  投稿日:2018年11月22日(木)21時53分43秒
  >高僧が死の淵に立ったところで、何一つ不安にならない

こういう嘘を教えてはいけない。それはあなたの思い込みで理想論です。
人間は不安を消し去ることはできない。だから不安と共に生きるしかないんです。
悪あがきはするなということ。


>>>管理人


貴方の言う通りだと思います。

言い方を替えて言ってみます。

>高僧が死の淵に立ったところで、何一つ不安にならない―は確かに間違いです。


>高僧が死の淵に立つ時、確かに不安とか恐怖とかが無いと言えば嘘になるかも知れませんが、別段取り立てて騒ぐ事でも無くて、不安なら不安、恐怖なら恐怖という状態になっています。

この意味は、生の時は生に成り切っている事、死ぬ時は死に成り切っている事、不安なら不安だけ、恐怖するなら恐怖するだけという状態だと思います。

一念が沸き起こりますが、ただそれだけです。一念が湧いてきてその後の『二念に振り回されて、悩ませられる事は無くなっている』という意味です。

吃音の人が『吃音で人前でしゃべれなくなった状態では、吃音恐怖症としての吃音を一念でも二念でも恐怖しています。つまり二念でも恐怖するという意味は、意識上に挙げて恐怖をしまくるという意味です。』

念が沸き上がって来ても、その念には振り回される事が無くなった状態が『高僧の境涯』という事になると思います。



 

高3女子です。 私は三年ほど前から、病気恐怖

 投稿者:管理人  投稿日:2018年11月20日(火)20時47分2秒
  高3女子です。
私は三年ほど前から、病気恐怖症(特に癌)に悩まされています。今までに、脳腫瘍、大腸ガン、肺癌、皮膚ガン、様々な種類のガンを疑ってきました。(どれも違いましたが)


も常に、自分は癌かもしれない、または将来癌になって余命宣告されたらどうしようという不安がつきまとっています。
つい最近も、腕の粉瘤を癌だと思って、死の覚悟さえしました。
少し体に不調があると、すぐスマホで調べてしまい、癌と結びつけてしまいます。
そしてその事をひたすら一日中考えてしまい、何も手につかない程の恐怖に襲われます。
10代で癌になる確率は稀であると言われても、実際になってる人もいるし、たとえそれが1%でも、自分がその中に入っているのではないか、と思ってしまいます。
癌家系である訳ではないし、両親も滅多に風邪さえ引かない程元気だし、私自身も大きな病気はしたことありません。でも、なぜか、癌に異常な程の恐怖心があります。
自分でも異常なのは分かっています。しかし、中々考えを変える事ができません。
周りの友達が病気の事なんて考えずに楽しく生きているのを見ると、本当に本当に羨ましいです。
どうしたら考えを変えることができますか?
どうしたら病気の事を考えなくてすむのですか?
教えて頂きたいです。



>>>管理人



貴方の置かれている立場は、ノイローゼとか神経症になった状態と言えます。

頭では考えないようにしたいと努力をすればする程、自分の意識が死に対する恐怖の方向に向かっています。

治った姿を書いてみたいと思いますので参考にして下さい。その前にノイローゼになる意味とかその原因を書いてみます。


貴方の性格傾向からこういう風になっています、それは貴方の性格が『神経質な性格』という事ですが、貴方のこのままの性格でありながら、『死に対してとか、がんに対してとか』の見方とか対処の仕方が変わるなら貴方は『不安は不安のまま、そのままで大安心』という境涯を手に入れる事が出来ると思います。

神経質という性格の意味は、自分自身に対して神経質という意味です。又貴方が不安になり易い性格という意味も、自分自身に対して不安になり易いと置き換えても良いものです。

この神経質な性格という意味はもう一つ別な意味があります、この意味は『宗教心が深い』という意味です。何時も意識が心配事に向かっているために気が休まる事が無い、という意味になりますが、不安が多いという意味と、安心を求めているという意味になります。

貴方のこの辛い心境を釈迦は『一切皆苦』として悩み始めたものと思います。この意味で貴方には宗教心があると書いていますが、不安になり易い性格が宗教心があるという意味です。

釈迦が成し遂げた事は『仏教の開祖』という事かも知れませんが、もっと分かり易く書くなら、不安の解消の元祖、或は究極的な癒しの心理学の開祖と言っても良いと思います。

と言うのも、人間の不安の元を解明した人と言えるからです。人間の不安は何処から押し寄せているのかと言った事実です。何処から押し寄せているのかが分からない漠然とした不安、或は自分は何者か?と言った疑問も実はこの不安の元と同じ原因から由来しています。

従ってこの不安を解消する事も、この疑問を解消する事も、根は同じという意味になります。

貴方の苦悩の元は『貴方の中に存在しています。』誰でもが貴方と同じに考える事は可能ですが、貴方のように考える人は、hm0********さん が書いているように『疾病(癌)恐怖の神経症の病気になっているからですが、疾病の種類は違えども治し方は全く一緒です。

神経症とか恐怖症の治し方は一緒です、端的に言うなら『自分自身を学ぶ事』で解消する問題です。』

貴方が不安になる原因は『貴方の中に貴方を怖がらせている者が存在しているからです。』実は誰の脳内にも同じ働きをする者は存在しています。その者は人間の生命維持機能そのものと言っても良いものだと思います。

私の書いている事をさらりと読んで置いて下さい、何時か貴方が治る時になると『今の貴方には難しいと思われる事も、しっかりと腑に落ちていると思います。』

貴方の中には高い人格的な事柄が絡み合って、貴方の苦悩になっています。貴方が乗り越えた暁には他の人よりも深く悩んだ成果として深い安心が待っていると思います。


治し方ですが、一つの方法として森田療法などで実施されている方法として『不問』という方法があります、この方法は『症状(不安とか恐怖感)等は取り除く事は出来ない事、と諦めて、症状を二度と口にしない生き方を貫く事です。』

この不問が徹底された暁には『症状が有ったとしても無くなったとしても、もうそんな事などどうでも良くなる事』です。症状を口にしない生き方が徹底された時『症状が有る時も無くなった時も』別段気にも留めなくなっています。

症状らしきものがあったとしても『気にしないで、意識上に上げて問題にしなくなった時に』その症状らしきものは『症状としては胡散霧消しています。』

従って症状が有っても無くなってももう気にならなくなっています。此処まで来た時には『症状としては、もう成立しない状態になっています。』

是がノイローゼの完治です。症状が有ったままで、症状としては意識に上がる事が無くなっています。是が症状の消滅という事になります。


治し方にはもう一つ方法があります。それは貴方が貴方自身の『怖いと思わせている者』と出会うといった方法です。是は『禅で言うところの、自分自身を知る=見性(自分の性を見る)と言った方法です。

この方法で解決する事が出来るなら、貴方にとってはこの人生での最大の収穫を得た事を意味します。自身の死を目前にしたところで、泰然自若として笑いながら死を迎える事が出来るといった意味になるからです。

高僧が死の淵に立ったところで、何一つ不安にならないという意味に繋がっているからです。死そのものが別に厭うべきものではなかった事を体験する出来事が『悟りを開く事』の中に在るからです。

『生を愛しく思って、死を忌み嫌うべきもの』と分け隔てをしている貴方の分別が貴方を苦しめています。

嫌な事よもっと来いと思えて、良い事など来なくとも良いと思えるようになったなら、貴方は何処に居ても何が貴方の身に起ころうとも『貴方の幸福とか安心感とかは、変わる事が無くなっています。

貴方の心の中での『良い事を望む心と、嫌な事を嫌う心が』貴方を苦しめています。こういう意味で貴方が『分別を捨てた時』貴方は意識地獄から解放されています。

最後になりますが、鈴木大拙博士の著作集を読む事をお勧めしたいと思います。

安心したいという心を貴方が捨てた時『貴方の心は、大安心に満たされています。』”道に至る”なら貴方の望みは叶うと思います。
 

続き

 投稿者:管理人  投稿日:2018年11月18日(日)13時01分47秒
  従って

脳の異常反応   投稿者:斎藤   投稿日:2018年11月11日(日)14時39分39秒


   神経症の不安は、健康な不安の100倍とか1000倍で比較にならない。
脳の健康な反応ではなくて、異常反応だ。何処から来ているか。
恐らく遺伝子だろう。生まれた時から脳が不安に激しく反応するように出来ていた。
でも今の斎藤では、あれほど人生を破壊するような対人恐怖が完全に
消えている。これをどう解釈するか。

不安を100倍にしていたのは、治療行為でしょう。
治療行為がなければ一時的な不安で済んだものが、一大事と考えて
治す決意をしたものだから、元に戻れなくなってしまった。
ここまで来ると不安は余りにも強くて、通常の生活は困難になっている。

不安を取るのが先か、治療行為の停止が先かと問われれば、断然後者であり、
治療行為をつづけるかぎり、死ぬまで治らない。


は正しいようであって、正解ではありません。『   神経症の不安は、健康な不安の100倍とか1000倍で比較に

ならない。 脳の健康な反応ではなくて、異常反応だ。何処から来ているか。

    神経症の不安は、健康な不安の100倍とか1000倍で比較にならない。
脳の健康な反応ではなくて、異常反応だ。何処から来ているか。
恐らく遺伝子だろう。生まれた時から脳が不安に激しく反応するように出来ていた。は嘘です。

神経症の不安は、健康な不安の100倍とか1000倍で比較にならない。となるのは『症状の除去をしようとする時だけです。』従って神経症の治療という観点で言うなら、症状の除去から入るのが間違いという事を意味します。


正しい森田療法でも雑用療法をするにしても、症状の改善は二の次にする事が正解です。森田療法ではこの事を『不問療法』と呼んでいます。雑用療法では『質問の拒否』ですが意味は同じです。
 

治る?のと治らないの違い?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年11月18日(日)13時00分7秒
  神経症を治すホームページから


無為療法をやっているようで、実は森田療法まがいをやっていたとか、
雑用が神経症治療の手段になっていた場合です。
これは無為療法をやっているようで、実は森田療法まがいになっている。

どちらをやっていたとしても、治る意味とか治らないという意味の違いを知る時、治っています。

就職相談会になろうが、結婚相談会に成ろうが関係ないです。

治るのか?治らないのかの違いは『症状の除去』を療法(作業)の目的とか、するか?しないかの違いです。


再投資が鈴木知準先生の所に入院治療をしていた時『この事を学び損ねた事が』原因で、新たな雑用療法を編み出したと勘違いをしています。

何であれ『症状の改善』を放棄した時が治りであって、精神病でも何でもありません


過度の思い込みが症状を作り出していて、その症状のきつさから抜け出すために、又過度の思い込みが始まってしまって、その思い込みから抜けられなくなる事が『神経症の真実』です。

神経症が精神病ではない証拠が、再投資が語っている『私は何時も、48歳の時に一晩で別人になったと言います。 神経症の回復は早く一気に行きます。』です。



 

治る時は一瞬

 投稿者:管理人  投稿日:2018年11月18日(日)12時57分28秒
  どんな療法に取り組んでいたとしても治る時は一瞬だと思います。

治らない時は治らないと思います。

治る時期が来ていたなら治りは一瞬だと思います。

それは雑用療法とか森田療法とかを言っている場合ではないと思います。

どんな療法に取り組んでいたとしても治る時は一瞬だと思います。

無為療法が優れているとかではなくて、森田療法が優れているとかではなくて治る時も治らない時も同じ原理が働いていると思います。

その原理とは『治そうとする動機』が無くなった瞬間だと思います。

治そうとしない時『神経症の外に居ます。』

 

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