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吃りがひどくなっていく原因を教えてください

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 1日(金)20時31分42秒
  吃りがひどくなっていく原因を教えてください。

あと その人と接する時に気をつける事も教えていただけたら助かります。

40代 男性
小さい頃から少しの吃りがあった。

3年前に知り合い 話すようになりました。
気にならない程度の吃り。
ここ半年位でひどくなってきました。
興奮?楽しくなってきたり、自分が話したい事や何か説明をする時に うまく言葉が出てこない感じです。出ても吃ります。
私はゆっくり聞いているだけです。


>>>管理人

吃音は神経症の一症状です、神経症の場合では症状別の対処方法は効果がありません、神経症としての対処方法をする事で、色々な症状が皆改善されると思います。

神経症の原因は一つだけです、その原因は『心同士の仲違いです。』分り難い書き方をしていますが事実です。人間の行動が一番確かな状態を挙げるなら、優勝が掛かった時の一打を的確に打てるかどうか?という事になると思います。

オーストラリアでの大阪ナオミ選手の動きです。人間の身体も心も、『自意識で制御する事は出来ないようになっています。』意志の力を込めた時が神経症になっているからです。

上手く吃音にならないようにして話そうと、意志の力で話をする時吃音になっています。

書痙というものがあります、是は或る日自分の手の震えに気が付いた事によって『自分の意志の力で震えを止めてしっかりと字を書こう』と努力をする事から発症しています。この発症によって更なる症状の改善の努力が始まるようになっています。

処が努力をすればする程、字が書けなくなっています。終いには両手で書くようにしますが、やっぱりうまくゆかなくて途方に暮れるようになります。この手の震えを医師が経験した場合では悲惨な結果になるようです。

手の震えによって、傷を付けてはいけないところがあるからです。神経症を治すまでは手術が出来なくなるからです。

人間の場合では、上手くやろうとする場合では『予期不安』に苛まれてしまって、無意識の自分と交替出来なくなります。是が神経症の正体です。

吃音の人がうまく話しが出来るための方法は幾つかあるようです。一つは逆説志向というものです。吃音で話をさせる方法です。

上手に吃音で話をするようにしてもらう方法です。吃音が出なくなるようです。
吃音で話をする事で吃音を受け容れる事が出来た段階で吃音が治った事になります。

吃音が出て困るようでしたら、『もっと吃音で話をするように努力をしてもらって下さい。』吃音で話をする努力が出来た時、吃音は引っ込んでしまう様です。

ぜひやってみて下さい。



<<<質問した人からのコメント



詳しい回答をありがとうございます。
吃音に関しては3年間の間で
「僕、少し吃音あるよ」という事を聞いた時だけで あとは一切話した事がないです。
私が勝手に「仕事するにも、改善した方がいいのに」と思ってしまっているだけで 本人はもしかしたらなんとも思っていないかもしれません。
悩みとして打ち明けられる時が来たら 話してみようと思います。
しっかり覚えておきます。
 

前回の投稿に付いて( 投稿日:2019年 1月26日(土)

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月27日(日)11時38分30秒
  この投稿は、斎藤氏がここのホームページに投稿して来たものの一部です。人が投稿して来たなら『HNは人の掲示板に来てまでも、アドバイスを書き込む。しかも求めてもないのに。
斎藤は決してしない。この違いが狂っているか正常であるかの違いだ。』

と言いながら自分ではもっと多いかも知れません。

自分の事を棚に上げて人の事を過大にあげつらう性格は、神経症の人に多い傾向があると思います。かくいう私にもその傾向が多分にあると思っています。
 

HNは人の掲示板に来てまでも、アドバイスを書き込む。しかも求めてもないのに。

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月26日(土)19時54分18秒
  [3731] ああしろ、こおしろ
 投稿者: 管理人 投稿日:2019年 1月26日(土)09時06分21秒   通報   返信・引用


HNは人の掲示板に来てまでも、アドバイスを書き込む。しかも求めてもないのに。
斎藤は決してしない。この違いが狂っているか正常であるかの違いだ。



完治   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月 1日(月)08時22分35秒


   神経症とは完治根治を言いながら一生を終わる精神病です。だからファン氏も間違っているし、
答えている管理人も間違っている。神経症が治るとは、完治根治はどうでもよい世界に移る
ことなのです。


斎藤 様へ   投稿者:管理人   投稿日:2018年 1月 1日(月)14時07分41秒


   治ったとか治らないとかを問題にしない世界に入る事は、貴方の書いた通りと思います、従って治らない人は気持ちが悪いとか、治った世界は気持ちが良いとかを言う事が無くなるという事だと思います。

日頃から貴方の言っている事を書く時はこのようなチグハグだと感じた時だけです。

神経症が完治した世界とは、神経症の症状をすっかり受け入れてしまう時です、同じ『湧き上がった感覚』を受容した時が完治した時であって、毛嫌いしている時は神経症の真只中にいる事を証明している事を意味すると思います。

神経症者は気持ちが悪いと言い切る人はどっちかな?


学ぶ   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月 7日(日)15時46分32秒


   神経症とは精神病であるから、学べば治る対象ではない。学べば治ると信じつつ、
一生学びを求めて終わる強迫状態の自分にストップをかけられるかどうかの問題である。


キチガイにあり続けるとは   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月13日(土)07時27分45秒


   自分の脳が治りの一点に絞られて、それ以外は盲目になっているのに気が付かない。
この状態で目的を達成しようとすると膨大な無駄が待っていて、人生は神経症で終わってしまう。
神経症を治すとは、キチガイから健康に戻る事なのです。



雑用の 山が待っているはずだ。   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月12日(金)20時23分20秒


   誰もやるべきをやるなんて言っている人はいない。健康な人では、何かする時に言葉が邪魔しない。


カウンセリングはだめ   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月17日(水)12時43分54秒


   カウンセリングとは患者を餌にして医師らしい者が金を儲ける方法でしょう。
神経症とはもっとも難しい心の病であり、誰もカウンセリング


知的理解   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月18日(木)16時56分10秒


   知的理解は神経症を更に悪くする。それを避けるベストな方法は、体を動かすのです。


信用するにはあまりにも良すぎる   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月23日(火)20時03分8秒


   「もうかなり昔になります、今69歳ですので42年前に鈴木知準先生のお世話になった事があります。講和という時間があって、----------------当時の症状名は『死に対する恐怖症』ですが、このために生きた心地がしなくなって『離人感』で苦しんだ事、生き難い想いがまるで嘘のように思われます。毎日を安楽に過ごせています」


どうもこの話は出来過ぎていて信用出来ない。こんな緩解の例は過去20年見たことありません。
私の経験によると、神経症を治すにはどうしても体の動きを必要とします。
体の動きなしに、単に悟りだけで治ったは、信用するにはあまりにも話が出来過ぎています。


信用するにはあまりにも良すぎる    投稿者:管理人   投稿日:2018年 1月24日(水)07時36分30秒


   斎藤さんへ

『ある日本屋で、本を見て、その瞬間に治った。』という文章を見た事が在ります。私から見たり貴方から見ても『信用するにはあまりにも良すぎる 』と思いませんか。


悟り   投稿者:斎藤   投稿日:2018年 1月18日(木)20時21分46秒


   鈴木大拙が言っているね。そもそも悟りなんてものは最初からないのだと。
なら、そんな所でぼさぼさしていないでどんどんやったらどうかと言う。
ぼやぼやしていると警策が飛んでくる。



斎藤 様へ   投稿者:管理人   投稿日:2018年 1月19日(金)09時03分11秒


   今の曹洞宗も貴方と同じことを言っているようです。悟りなどないという事です、もしもそうだとするなら、禅宗の問答とか、或は無門関などの禅の本の内容はなにを言っているのか?という事になると思います。

禅宗の眼目とする事は、ただ一事を目指していると思われます。それは『生死の問題の解決』です。この他には宗教としての目的は無くなってしまうと思います。

悩みとか苦しみとはその元をたどってゆくならば、必ず『自身の生死』に辿り着きます。自身の生死の問題が解決する時、全ての人生の悩みとか苦しみとか、疑問は解消します。この一事が禅の眼目とするところだと思います。

斎藤さんとは見方が違うかも知れませんが、そういう違いがお互いの個性を形作っていますので、それはそれでOKと考えています。

まだまだ数え上げるなら、切際限なく出て来ますが、忙しいのでこの辺で止めにします。

 

再掲です、人間の持つ「安心感」についてお尋ねします。

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月25日(金)23時11分40秒
  2013/11/3000:17:52

人間の持つ「安心感」についてお尋ねします。

例えば現実的ではありませんが、横幅が1メートルもある広い平均台は誰でも渡れますね。
しかしその広い平均台が高さ100メートルにもなりますと、落ちたら大変とばかり急に尻込みします。
この「安心感」「恐怖感」を示す心理学用語は、何と言いましたでしょうか?



>>>管理人


心理学用語での名称は、あるのか無いのか知りませんが、全人格的な表現で言い表すなら『意識する事』と表現出来ます。『横幅が1メートルもある広い平均台』の場合では、自分の心=自我意識は歩く事をしていません、『身体が勝手に自動運転モードになっているからと考えられます。

言い方を替えるなら、『無意識の自分にまかせきっていて、自我と言う心の出番がなくなっているからです。』遠足などでの長い道程を歩く時を思い出してみてください。『心』は歩く事に使われていません、『心は』話に夢中になったり、携帯電話が鳴ったりして話し込んだとしても、『歩く事が滞ることはありません、歩く事を、自分の心がしていないからです。』

このように人間の順調な行動は、『自我意識がでしゃばらないでいる時』疲れる事も無くて、一番正常に出来ています。

人間の心の使い方が、『正しい場合では』無意識の自分とうまく交替制がキープされている時です。そうして緊張する場面であっても『日ごろの訓練の成果を十分に出せる事を』メンタル面が強いと表現します。無意識の自分に任せられる時です。

その反対に、優勝が掛かった一打を打つ場合などで、身体も心もがちがちになって『身体と心の自由を奪われたと言うような場合をメンタル面が弱いと表現しています。』自我意識が単独で『身体と心を自由にしようとする場合です、出来ません。

この違いは『練習の積み重ねとあいまって』自我意識が如何に出ないでいられるのかが、行方を決めています。言い換えるなら『如何に無意識の自分を信頼して任せておく事が出来るのか?』と言う問題になります。

高さ100メートルにもなりますと『自我意識は引っ込めなくなっているからです。』そういう場合では『身体も心もくたくたになってしまいます。』遠足で長い道程を歩く場合と反対になっています。

うつなどで、身体と心が疲れやすくなっている理由と重なっています。自我意識が出たままになって意識地獄の状態で『身体も心も疲れやすくなる場合では、自分の無意識の力を信じられなくなっているからです、言い替えるなら、無意識の自分と仲違いしているからです。』

自分の脳内の、無意識の”心”(無意識の意識=内在する識られざる神)と、対面している動画がありますので、良かったら見て参考にして下さい。URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

オリンピックなどでの、最高に緊張する場面で『リラックス出来る場合をメンタル面が強いと表現しますが、右脳の意識に身体と心を預ける事が出来るという意味になります。』

その逆に左脳の自我意識がでしゃばった場合では、眠る事が出来なくなります。眠ろうと『意識するからです。』眠りに入るという意味は『自我意識が無くなって行って、完全に無くなった時、無意識の自分に心の管理から身体の管理まで、任せている事を意味するからです。』

自我意識が単体で眠れるものだという勘違いを『不眠症』と呼んでいます。無意識を勘定に入れなくなった場合です。心は意識と無意識の共同作業で成り立っています。動画に在るとおりです。

人間の安心感とは、二つの心が一つになって調和が取れた状態の事です、不安感は『自我意識が単独ででしゃばっている場合です。不安感や罪悪感や漠然とした不安とは、もう一つの心からのアピールです。』

自分自身を否定している事に対する警告と云っても良いものです。もう一つの心は『一念として湧き上がっている心です。』

自分の一念を自分の二念が否定している事から『全てに対して否定的になっています。』良い事も引き受けて、悪い事も引き受ける時全てが好転します。


<<<質問した人からのコメント


素晴らしいご回答でした。
自我意識と無意識のご説明も納得出来ましたが、右脳と左脳のお話も面白かったです。
テイラー先生の著作は「奇跡の脳」が手許にあります。いつか読み返したいと思いました。


 

再掲です。「武士道」の素晴らしさについて、教えてください

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月24日(木)19時33分59秒
  2014/2/113:29:07

「武士道」の素晴らしさについて、教えてください。


>>>管理人


武士道の根底に存在するものは『禅』です、禅の根底に存在するものは、人生そのものです。この意味は、人は誰で自分は生きていると思っていますが、本当の意味では生きていません、その理由は『自分自身が何者か?』という事すら知らないでいて、知る事に『不安や恐怖』さえ抱いているからです。

生と死の暗闇の前で、生と死の実態に目を瞑っている部分があるからです、生と死を学ぶ事さえやろうとしていない現実があるからです。

禅はその事を教えています。生を明らめて、死を明らめる時、人生は再び光り輝き始めるようになります。『死を恐れる余り。何も出来ないでいた場合では、何も恐れるものが無くなる。』と言う意味があるからです。

一回きりの人生に『恐れるものなどなかった事』が、分るからです。そういった心境を『生死の問題が解決した』と、禅は言います。

自分自身が何者か?と死を明らめる事は同じ意味があります。自分自身の中に『自分自身が知らないでいる自分が潜んでいる事』が、漠然とした不安感や、パニック障害の元になっている『不安を拡大したもの=恐怖感』を作り出しています。

不安感は『自分自身が自分自身に抱いている感想です。』他から与えられたものではない事を『禅』は教えていますので、自分自身を知る時『全ての問題は解消します。』

この時になって、『何者も恐れないで戦う事が出来ます。』死でさえ恐れる事がない人間になりますので、武士道の根底にある思想を学ぶ事は、現代でも役に立つ筈です。

その効用は神経症でも、自律神経失調症や過敏性腸症候群や、果ては心を病むことの完治にも繋がっています。その理由は人間の意識の根底の『不安感や恐怖感』がその大元の動機になっているからです。

自分自身がはっきりと意識出来ないでいたとしても、『不安感や、恐怖心』の大元には『自分自身の死の影を垣間見ている事』が関係しているからです。言い替えるなら『自分自身の、”永遠性”を願望させる者の存在』も同時に垣間見ているからです。

この二つの相反する”意識”の矛盾が『心の矛盾』となって、自分の心を苦しくさせています。生き難さの原因は心の矛盾が原因だった事を『禅』は教えている事を意味します。

死を恐れない生き方の根底には『良い事も悪い事も分け隔てしないで』受容すると言う意味があります。全ての障害の元は、良い事と悪い事を分け隔てをする、人間の心の性質とも言う『分別作用』が働いているからです。

『分別を捨てた時』人間の心は、良い事にも悪い事にも左右されない本当の意味での安心が待っています。

更にもう一つ付け足しておくなら、『見返りを求めない生き方』があります。『無功徳』と言う意味が分る事が道に至った人の生き方を根本的に支えているからです。

幸福にも不安にも恐怖でさえ覆す事が出来ない、一つの生き方を、『禅』は教えるものなど何もない、と言いながら、教えているからです。
 

身心脱落

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月24日(木)07時23分41秒
  神経症の状態は、心が不安に押し付けられてしまって、不安で不安で仕方が無くなっていて、絶えず心が意識地獄の状態です。身体も当然固くなって身がすくむ様になっています。

この大きな不安から一気に解放されるのが『身心脱落、脱落身心』です。どれだけの解放感か、想像出来ると思います。身体中に入れていた力が一気に抜けて行く体験です。

自分の不安が内部から加えられていた事が分かって、その圧力が一気に加えられ無くなる体験です。神経症が完治する体験になります。


漠然とした不安が何処から押し寄せていたか分かります、吃音なら吃音の理由も分かります、書痙なら書痙の原因も分かります。強迫観念なら強迫観念の理由も分かります。一気に顔決します。

神経症の原因は一つです『自分自身の心の矛盾の解消』で治ります。


吃音の人が吃音が治る練習をしても無駄になります。書痙の人が手が震えない練習をしても無駄になります。症状の改善からのアプローチは反って苦しみの元を増やす事になります。

神経症を治すという事は、症状別の対策をする必要はありません。自分自身の心の内部に踏み込む必要はあるかも知れません。
 

うつ病はかかったら一生治らない病気ですよね?

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月21日(月)20時56分33秒
  うつ病はかかったら一生治らない病気ですよね?

そもそもうつ病に治るという概念はあるんですか?


>>>管理人


原因を学んで、解消方法を学ぶ事で、うつから解放される事は可能です。うつは世の中の見方の誤りが原因です。

うつも神経症も発症する原因と言うか原理は同じです。神経症で説明するなら症状は様々あります、又その症状には関連性がなさそう見えていますが。治る時には皆同じ原理が働いて治ります。

従って神経症もうつも治り方とか治し方は、症状別に存在しているという事ではなくて、同じ治療方法とか、世の中の見方の変更とか、考え方の向け方で治ります。

始めに症状とは何であって、何で心が苦しくなってしまうのかを説明します。

症状とは『自分が嫌だと思ってしまって受け容れられないとか、受け容れたくないと判断したものです。』


では初めに、治った状態を説明します。症状を受け容れる事が出来たために『症状らしきものが心の中に湧き上がったところで、全く意識が向く事が無くなっています。

今まではあれほど毛嫌いしていた症状でしたが、気持ちの転回と言うか、考え方の変更と言うかで、症状に意識が向けられる事が無くなっています。

症状が在った事やうつであった事をすっかり忘れ果てている事が多くなってしまって、うつの状態を思い出す事さえも難しくなっています。

此処まで来た時うつは完治したと表現出来ます。

こうなった原因は『本人の世の中の見方』が変わったからです。今までは『良い事ばかりが自分の処に来ることを願っていて、悪い事は自分に起こらない事を願っていました。』

実際の世の中はこういう風になる事などは無いのに、頭の中での願いはこういった調子よい事を願っていました。


症状としていたものが、実は誰にでもあるものという事が理解出来ます。只闇雲に毛嫌いしていた事から、『絶えず意識に上っていて、何時も症状に気持が向いていた事です。

自身の興味とか関心とかが『カメラを自分の心の中にばかり向けていましたが』何時しか、そのカメラの向ける先が外の世界になっています。仕事の意欲とか興味も外の世界に向けられています。

外の世界に関心が移った事で、自分の心を内部観察をしている暇が無くなっています。普通の心を求める暇さえも無くなっています。

大変忙しく立ち働いています。是こそが健常者の世界ですが、うつから戻って来た健常者ですので、うつの裏側の心もしっかりと分かっています。

うつと言っても、神経症と言ってもノイローゼと言っても、『症状を治したい、症状の軽減から治療に入りたい』と願う事には大変な無駄が在ります。

今の精神医療が寛解止まりで終わる理由が此処に在ります。

うつでも神経症でも完治した時に分かる事は、『症状などは存在していない事です。』症状とは本人が受け取りを拒否したために妄想として頭の中に特別に作られた架空の世界です。』

うつにも完治は存在しています。ですがその完治とは、当の本人にとっては相当の隔たりがあるかも知れないと言った感覚になっていると思います。

うつの本当の原因は『心の矛盾』と言っても良いものです。人間の心は二重構造になっています、また二つの意識の機能が違う事によって、なかなか分かり合う事が出来ない関係性もあります。

それは脳の機能と言っても良いものです。ウイキぺデアからです。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”



こういった脳の機能分化が完成する時期は思春期頃のようです。聖書で言うところの知恵の実を食べたとされて、自分の裸をイチジクの葉で隠したとされたころと一致しています。

此処まで脳の機能分化が進んで来た時心には、意識が二つに分かれてしまいます。一つは自意識として、顕在意識としてしっかりと生まれてきた歴史を脳に刻んで記憶として心を営んでいます。

もう一方意識は『無意識の底深く沈み込んでしまっていながら、自意識には寒いなら暖かい場所とか飲み物を探すように指示を出しています。』

自意識に生きるための情報とか指示とか、或は衝動とかさえももたらしています。

或る時は無意識の機嫌が悪い場合では『漠然とした不安でもって脅したり、安らかに癒してあげたりしています。』

こういった心に感じている不安感を症状として毛嫌いしています。

この二つの意識を脳卒中のために、特別に分かり易く解説した動画が在りますのでよく観察して下さい。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM

この二つの意識が出会う体験を『見性』体験と云うようです。現代で右脳の意識を真我と呼んで、悟りを開く事を仕事にしているところがあるようです。

この二つの意識が出会う事で、心の矛盾は解消します。そうして二度と心同士が争う事が無くなった世界を『涅槃』と呼んでいます。

自分の真我=自分の生命維持機能=命の働きと出会う事で、心安らかな人生が展開すると思います。


https://www.shinga.com/?gclid=COLLxIC8iqECFYsvpAodsUzuOgこれがアドレスです。
 

脇見恐怖症を患っている高校生です。

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月18日(金)21時28分12秒
  脇見恐怖症を患っている高校生です。

森田療法というのが気になっています。
私は、学校で授業中は黒板はいっさい見れず、人と目を合わせて会話することができません。友達とコミュニケーションもうまくとれず、基本的に一人で行動しています。家族と外出する際もかなり緊張して人のいる方向を全く見れません。かなり重症だと思います。
私の症状は森田療法で治りますか?

森田療法で脇見恐怖症は治るのでしょうか。
また、森田療法で治った方や体験した方はいますか


>>>管理人


本人の考え方の変更と努力をする方向性で治す事、治る事は可能と思います。又何を学ぶのかと言った事も重要になると思います。

脇見恐怖症は神経症に属しているものです、神経症には様々な症状が存在しています。神経症の発症のからくりと治る時のからくりは一緒です。ですので神経症を学んでみると、治ると思います。

また今の精神科医とか、心療内科の医師たちの見解は『神経症の原因は分かっていませんが、早期治療で早く良くなります。』を謳い文句にしているところもあるようですが、原因がわからない医師では治すという意味すら分からないと思いますので、考えものだと言ったら言い過ぎでしょうか?

昔森田療法で恐怖症が治った経験が在ります。その事を振り返って書いています。神経症が治った場合では神経症の発症した原因も治った原因も分かります。この立場から貴方に書いています。

始めに神経症が発症するからくりを書いてみたいと思います。

かなり難しい話になりますので覚悟をして下さい、又今回読んだだけでは理解する事は難しいと思いますが、読むだけ読んで下さい、そうして後になって又読み返したりして下さい。

そうして私の書いたものが腑に落ちた場合ではもう治っています。分かるまで読み返してみて下さい、又治し方も治る手順も書いて置きますので、参考になるなら幸いです。

神経症になる原因は、人間の脳内に存在しています、そうして神経症の症状が発症する原因は、脳の機能の齟齬です。

脳科学者が、脳卒中になってしまって、右脳の意識と左脳の意識とで交替しながら自分自身の身体とか心の主人公として交替制を取っている動画です。初めに見て下さい。

URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

この体験は『悟りを開いている』体験を語っています。この体験後では二つの意識は『脳梁の中で、新しい回路構成が出来るために』二つの意識は争う事が無くなります。この体験が『宗教体験』です。哲学的には『絶対矛盾の自己同一』と言う現象です。

神経症が完治する時運が良ければ、見性=自己の性と出会うと言う事が可能になると思います、逆に言うならば、私の恩師の鈴木知準先生が言っていた言葉『悟りを開かないと治らない』という事も言えるかも知れません。

簡単に脳の機能のおさらいです。

人間の脳の機能は二重構造になっています。ウイキぺデアからです。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

此処に書かれているものは先の動画の補強です。人間の自意識は『左脳の人格』です。自我意識=顕在意識とも呼ばれているものです。

簡単に機能を説明するなら、(先の動画も参考にして下さい。)言葉で学んで言葉で理解して言葉を使っている脳の機能です。言葉を理解しているという意味は『物事を割り切って計算している機能』という意味です。

計算ずくで割り切れる事だけを理解出来る機能を持っているという意味です。つまり有限という事を把握している機能を持っているという意味です。逆な言い方をするなら、無限とか永遠と言った領域には無縁とか或は理解不能の機能という意味になります。

右脳の機能は、この逆で永遠とか無限とかは把握しています。そうしてその機能は『命を働かせる機能=命を発生させて細胞分裂まで把握している機能』で出来ています。

そうして人間に湧き上がる感情、考え、あらゆる生命の維持機能を司っています。血液、呼吸、神経系統、あらゆる行動の自由、あらゆる精神活動の自由性とかもです。

この二つの機能が脳内で仲違い(主に出番争い)している事を、機能上の齟齬を起こしている、と書いています。

神経症の大元にある心配事とか悩みとか不安とは、死に対する不安だと思います。この大元から様々に枝分かれが始まっていると思います。

神経症の分類を大まかに分けるなら、

『心と身体に関しての症状』=自律神経失調症や難治性の過敏性腸症候群など。

『心と行動に関しての症状』=吃音や書痙、上がり症他。

『心と湧き上がる感情や湧き上がる考えに関しての症状』の三つに大別できると思います。ですがこの三つの間にも深い関連性が在りますので、お互いに割り切れない部分が多く存在していると思います。

貴方の場合では、脇見恐怖症ですので、『心と湧き上がる感情や湧き上がる考えに関しての症状』に含まれると思いますが、発症する時も治る時も症状とは関係なしに、神経症が治る時に症状は消滅しています、となります。

発症する遠縁は、本人の好き嫌いする心の強さだと思います。直接の原因は「好き嫌いする心の強さ」だと思います。

そうしていよいよ本題に入ります、発症する時です。発症する時とは『右脳からの情報をキャッチした時』になります。

『学校で授業中は黒板はいっさい見れず、人と目を合わせて会話することができません」と言った内容を、貴方は受け容れる事が出来ません。貴方の心が『受け入れを拒否しています。』

右脳の人格は無意識の底に隠れて存在しています。処が絶えず貴方の自意識とは連絡を取り合っています。こういった脳内のやり取りを記録してある書物が在ります。禅宗の書物です、禅問答と言っても同じ扱いになると思います。

脳内のやり取りは『没交渉』と記録されていますが。脳梁の中での出会いの状態を説明した言葉は『今更お前は誰か?』と聞く必要さえも無かった、もうとっくの昔からの知り合いだった』と書いてあります。

これまでのやり取りではまだわからないかも知れませんが、これ以上は無理が在りますので、治し方を書いて置きたいと思います。

治った状態を書いて、治る為にする事を書いてみます。

治った状態は、『脇見恐怖症があるから悪いとか、治ったら嬉しい』という事を言う事が無くなる時です。症状が出ようが出まいが『そんな事などに構っていられなくなる程、忙しくなっています。』

今までは『症状』ばかりをかまっていて、他の事をほったらかしにしていました。治ったら、症状などを構っている暇が無くなっています。結果『脇見恐怖症』を忘れ果ててしまって、脇見恐怖症だった事も治った事もすっかり忘れ果てています。

従って症状としては『発症する事が出来なくなっています。』発症するメカニズムが成立しなくなっています。

発症するメカニズムは『脇見恐怖症』を思った瞬間から心から消したい衝動が生まれています。嫌で嫌で仕方がないとして『心の中に在ってはいけないもの』として、心から消し去りたいと考えています。

処が『消したいとすればする程』意識する機会が増えてしまって『絶えず意識地獄が収まらなくなっています。』

困ってしまってもっと強く消してしまおうとしますが、段々と意識する時間は増えています。無くそうとすればする程『意識地獄が強まって』います。

ノイローゼと言われる所以が此処に在ります。

現実には無い症状を『自分が嫌だと思って、頭の中に作り出しています。』頭の中に作り出した症状を取り払いがために更に、強く意識する羽目になっています。

このシステムが症状が発症して、更に治り難いように、心の中に強く固定されてしまう現象の詳細です。


症状とは誰でもが感じたり考えたりする普通の考えとか感情です。好き嫌いする心が強くなり過ぎてしまって、感じないようにとか心から排除しようと『心を込めてしまいます。』是で発症と固定が決定しています。

では治し方です、森田療法では『不問』と呼んでいます。心では何を考えても良いですが『症状の事を口にしないでいる事です。』是だけを守っていると何時かは神経症は治ります、もう一つ強い助っ人がいます、それは禅を学ぶ事です。

私の場合では発症が14歳でした、28歳で入院森田療法を受けてその4年後に神経症が完治した経験が在ります。

家に帰ってから鈴木大拙博士の本を色々と買い込んで、読んで神経症を治した経験です。

自身の無意識の意識と出会う事で神経症は完治します。悟りの開き方は知りませんが、今の時代にネットでは『命の働き=真我』との出会いを専門にやっている人がいる様です。

話を聞いた限りでは本物と思いますのでご相談すると良いかも知れません、一週間は掛からないと語っています。

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不安障害です。障害手帳の、3級です。

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月16日(水)22時04分7秒
  不安障害です。障害手帳の、3級です。

心療内科に通っていますが、不安障害。とは、投薬で完治するものでしょうか?


>>>管理人


多分難しいと思います、心療内科は『症状の軽減とか、症状を無くする事を目標にやっています。』

処が不安障害とは『不安を取り除きたいがために、あべこべに不安を呼び寄せている現象です。』

いわゆるノイローゼとか神経症と言われている現象です。本人の訴えは『不安の除去』ですが、不安を意識して取り除きたいとすればする程、不安は意識を占領して意識地獄状態に陥る事になります。

不安障害が治った状態を書いてみますのでご自分で考えて自分で治してください。

不安障害の時は『不安程邪魔で生き難い状態は無い』と考えています。自分の心からあらゆる不安が無くなって欲しいと思って、絶えず不安という事柄に全神経を向けていました。

不安を心の中から取り除く事が出来たらどんなにか幸福になれるかと考えていました。

処が不安障害が治った時、不安ばかりを相手にしていた自分が愚かだった事が分かります。何をするにも不安を相手にしないと気が済まなかったからです。不安が無くともわざわざ不を頭の中に作り出していた事が分かります。

変わった事は『不安があるとか、不安が無いとかが気にならなくなった事です。』従って不安障害が治った事でさえも喜ばしく思う事が無くなった事です。不安障害が治ったならどんなに幸福になって、生き易くなるだろう、と考えていましたが、ちっともうれしい事は無い事です。

その理由が分かります、自分の考え方が『不安』を生きるためには邪魔な事として排除して置きたい気持ちが強すぎた事です。不安が悪いもので、不安がない事が良い事と考えていたからです。

処が今は『不安が在っても、不安が無くとも』どっちだっても良くなっています。不安を受け容れる事が出来た事によって、不安が意識に上がって来る事が無くなっているからです。

不安が意識に上がって来る事が無くなった事で『不安が障害ではなくなったからです。』従って”不安”が症状ではなくなっています。

今までは不安が症状として生きて行く為には邪魔ものでした。今は不安は反って自分を助けてくれる補助者になっています。

考え方が180度変わったと思います。世の中の現象とか、自分に湧き上がる感情とか、自分の身に起こる現象に付いて、良い事ばかりを願っていた事です。

良い事は認めるけれど、悪い事は否定して、受け容れる事をしなかった事です。この考え方でメンタルがやられていたと思います。良い事ばかりを望んでも決して思い通りにはならないからです。

良い事も悪い事も全てを肯定して受け容れると言った、肯定感で生きて行く事で、悪い現象が起こった時でさえも、良い事の前兆になっている様な気が致します。

何故ならば『良い事も悪い事もどちらも自分の身には起きることだからです。』

良い事ばかりを願う心が、自分の心に悪い事を吸い寄せていた事が『不安障害』を乗り越えた事から学んだ事でしょうか?

今の精神科医とか心療内科の医師達は、自分で疾患になって自分で治したという人が少ないのかも知れません、また心がどうして苦しくなるのかも学んでいないと感じます。

心の苦しさを治すという意味は、心に耐性を付けるという意味もあります。若い頃の心の痛みは、年老いた時の心の苦しみのと違うかも知れませんが、培った経験上の耐え方が、役に立つと思います。

少しの苦しみにいちいち薬に頼る事は、反って耐性が落ちるような気がするからです。

心の苦しみの原因を知る事なしで、痛み止めを打っている事を意味します。言いたい事は『根本治療に成って居ない事です。』

心の苦しみの根本を押さえようとしないで『痛み止めだけを処方している事から、精神科医達は他の医師仲間よりも自殺率が高止まりになっている様です。』

もっと根本を見つめる精神科医を育てる教育体制が欲しいと思います。或は研究体制と言った方がいいのかも知れません。
 

メンタル系の病気は、一度かかってしまうと完

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月16日(水)10時24分55秒
  メンタル系の病気は、一度かかってしまうと完治、根治しないので、治そうとするより上手く付き合って行った方が良いでしょうか?



>>>管理人


そのように考える必要はないと思います。メンタル系の病気には完治が在ります。今の医師達が『寛解』を学んだだけで、完治というものを学ぶ機会がなかったのだ思います。

メンタル面で苦しくなったとか、楽になったとか言う事の意味を習う事なく精神科医としての学びが終了する事に問題があるのだと思います。その証拠は『同じ医師仲間の中で、自殺率が一番高い事』がその事を証明していると思います。

人間はなぜ苦しまなくてはいけないのか?或はなぜ心は苦しくなるのか?或は人間は何故自分は何者か?と言った疑問が沸き上がるのか?

こういった疑問とか悩みとか苦しみが沸き上がる原因とその解消方法を学ぶ事なく精神科医としての免許証を渡して、現場に放り込んでいる態勢が医師を殺していると言った面もあるのかも知れません。

心が何故苦しくなるのか?こういった単純な事さえも教えられなくて、心の苦しい人の対処をしなくてはいけない人達はどうなってしまうのか?分かり切った事だと思います。

メンタル系の病気は、幾つかの線引きが出来ると思います。心と身体、心と行動、心と湧き上がる感情と言った関係性に於ける線引きだと思います。

この三つを全てメンタル面の病気と位置付ける事が出来ると思います。

ですがこの三つには明確な線が引けない場合も存在していますので、只目安位に考えて頂いたらよろしいと思います。

この三つと規定する前提条件があります、それは病院に行って精密な検査を行って、本人の訴えが在る無しとは関係なしに『異常が見つからない事』という条件です。

此処まで来た場合にやはり『今の医学では原因は分かりません』となっている事が特徴です。

私は医師ではありません、只神経症が完治した経験があって、その経験を語っているだけです。ですがいつの日か私の書いている事に、科学の光が当てられて、治し方とか治り方とか、或は完治とはどういった原理が働いていたのかと言った真実が明らかになって、苦しんでいる人達のお役に立てるなら幸いだと思います。

此処で貴方の症状名を伺っていませんでしたので、先に書いたものの三つという事で書き進めたいと思います。

メンタル系の病気になるという意味は、人間の特徴だと思います、その理由は昆虫とか脳が発達をしていない動物達には余り起こりえない現象と思えるからです。

知性が発達をして、思考力が在って、感情が豊かな事でメンタル面が病気になるという事になると思います。

是は高度に発達をした脳の機能が関わっている事は明白な事実と思います。人間の脳は未だに分かっていない事の方が多いのかも知れませんが、分かっている事実もあります。


この分っている事実だけで説明したいと思います。人間の脳の機能の説明です。ウイキペデアからです。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”


簡単に説明するなら、左脳に存在している意識が自意識=顕在意識です。言葉で理解出来て言葉によって学ぶ事が出来る機能で出来ています。


右脳にも実験によって確かに人格(意識)は存在しています、只物事の理解はしていますが、言葉は持っていない事が特徴のようです。そうして人間としての特徴である『自分は何者か』や『自分は何処から来て何処に行くのか』や『自分自身は永遠の存在、或は永遠の意味』は熟知しているようです。

禅問答の中での弟子と師匠のやり取りを見ていると、弟子が質問をすると師匠は「お前はなぜそう思うのか?」とすかさず突っ込んで来ます。決して答えは教えては呉れないのですが、その姿勢は『疑問が沸き上がった時、答えはその疑問が沸き上がった中に存在している。』と言った立場です。

禅の目的は『疑問の解消=自分は何者か』と言う事或は永遠と有限と言った葛藤の解消になると思います。

つまり『生死の問題の解決』です。この意味は『自意識が有限の身で永遠を希求しています。』この希求している姿は『永遠の存在としての右脳の機能』が希求させているからです。

修行が実って『自意識』が一回死にます。”大死一番”その時に右脳の意識が自意識と出会う事が在ります、『見性』と言った現象です、脳科学的には『脳梁の中で』意識と無意識が切り替わる時に、出合う体験という事になると思います。

この瞬間の体験を禅では『お前は誰かと聞く必要さえなかった』と語っていますが、御互いの関係性については『没交渉』と位置付けています。

この一瞬ともいえる出逢いによって『二つの脳の間にはホットラインとも呼べる情報網が確立されます。』この関係から、もう二度と争う事が『二つの心には無くなります。』この静まり返った境涯が涅槃と呼ばれているものです。

心が静まり返っている状態です。此処まで来た時に『メンタルの病気は完治した』と表現出来ると思います。

人間の苦しみとは『脳の機能の齟齬』脳の機能上の誤解『心の矛盾と対立と分裂』だった事です、この体験以後ではもう二度と争う事が無くなります。

右脳の機能とは生命発生装置兼維持機能です。簡単に表現するなら『命の働き』です。

メンタル系の病気で心が苦しい理由とは、自身の『命の働き』の源と仲違いしているからです。何処から押し寄せているのか分からない漠然とした不安とは実は『自身の中の救いの手であります。知らない事から遮っているだけです。

もし貴方がお望みなら、鈴木大拙博士の全集を読む事をお勧めします。私の場合はこの本のお陰で神経症が治った経験が在ります。手短に今すぐに自身の『真我』と出会いたいとお望みなら、ここを訪れて下さい、多分OK となる筈です。」

https://www.shinga.com/?gclid=COLLxIC8iqECFYsvpAodsUzuOgこれがアドレスです。

只言える事は、今の貴方が考える完治と、実際に経験した場合での完治には隔たりがあるかも知れません。治したいと言った意気込みが『心に感じる、異常感』を呼び寄せていたのかも知れないからです。

普通の心を求めていた故に、普通の心が遠のいていた可能性があるからです。

誰でも同じですが、心の在り方を忘れている時に『普通の心になっています。』

普通の心になりたいと思った瞬間から、普通の心は無くなっているものだからですが、こういった話も自分自身と出会うなら分かるようになると思います。
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