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これ自分が狂いの世界にあるのが分かったようで

 投稿者:斎藤  投稿日:2019年 4月17日(水)16時34分46秒
  『誰であっても、結婚が出来た事は一つの喜びだし、子供が生まれる事も人生の一つの喜びであるし、
大学に入学出来た事も喜びの一つだと思います。こういったことの積み重ねが人生んを形作っていると思います。
一つ一つの喜びが人生そのもだと思います。そう言った一つ一つの喜びを否定し去って、
決して結婚が出来て、子供が生まれて、大学に入学出来てのような人生成功物語ではない。
と言い切るのはどうかと思います。
人間はどの段階であっても神経症から抜け出す可能性があります。そうして神経症であったとしても、
人生の一部には違いが有りません』

↑↑↑↑
これ自分が狂いの世界にあるのが分かったようで分かってない。悲劇は死ぬまで続き、
本人が責任を取るべしだ。健康になるとこんな論議をしている暇がない。

私は今ユーチューブにはまっていて、結構クラッシックの良い音楽が聴ける。ただし、
それをスカイプのヘッドフォーン
で聞いているからあまり音質が芳しくない。もう少し音質の良いヤツ、
ゲームのヘッドフォーンが良いかもしれないが、それを買う。
今までユーチューブをバカにして敢えて見ないようにしていたが、
意外と教科書で習わなかった事実を目の当たりにして、ウーンと唸る事がある。

アメリカでは警官が特に黒人を射殺して非難されることが多いが、ユーチューブを見ていると彼らが引き金を
引く気持ちが分かる。人種を問わず悪いのがいて、引き金を向こうから先に引く。あるいは公務で職務質問を
するのに殴りかかって来て、こんなのもう一人の警官が射殺しても腹が立たない。警官は毎日
危険を感じながら職務を遂行している。
 

再投資の間違い

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 4月17日(水)14時07分7秒
  「、、、それは間違いです。神経症は前頭前野皮質が暴走した状態であり、 意識の暴走です。この状態で、幾ら症状の消滅を夢想しても実現する事はあり得ない。

前頭前野皮質の興奮が止むと、無意識が復活する。 無意識が復活して最初に感じるのは、体が軽いと言う感触です。 何かの動作で、考える必要がないのが大変ありがたい。この時、人は素朴な幸せを感じる。

決して結婚が出来て、子供が生まれて、大学に入学出来てのような人生成功物語ではない。』

と自身のホームページで語っています。

誰であっても、結婚が出来た事は一つの喜びだし、、子供が生まれる事も人生の一つの喜びであるし、大学に入学出来た事も喜びの一つだと思います。こういったことの積み重ねが人生んを形作っていると思います。


一つ一つの喜びが人生そのもだと思います。そう言った一つ一つの喜びを否定し去って、決して結婚が出来て、子供が生まれて、大学に入学出来てのような人生成功物語ではない。と言い切るのはどうかと思います。

人間はどの段階であっても神経症から抜け出す可能性があります。そうして神経症であったとしても、人生の一部には違いが有りません。

治ったとしても、治らなかったとしても自分の人生には違いありません。治ったのは良くて治らない事は良くないと考えている事自体、神経症の真っ盛りの考え方と思います。

神経症が治ったとは考え難い考え方のような気がします。

再投資よりも、鈴木先生とか森田先生の方がまともな気がします。
 

風子さん

 投稿者:  投稿日:2019年 4月17日(水)11時12分34秒
  も、ひとつだけ(汗)

>森田自身が「森田を‘ 療法’とした時点で、
成り立たなくなる」
みたいなことを言っていた記憶があります。

これは、わたしの理解では、
森田先生は言っておらず、たぶん、宇佐先生のお言葉だと思ってます。

森田療法を療法とした時点で、それははからいになってしまいますからね。

神経症って、ほんと、難しいですよね。
 

これを狂いと言う

 投稿者:これを狂いと言う  投稿日:2019年 4月17日(水)03時07分51秒
  狂いにつける薬はなし 投稿者: 斎藤

「雑用が治療行為になってしまえば、仕事で働くしかないのでは?」

仕事ができないのに仕事と言う。目の前の何かが出来ないのに
良く言えるものだ。
貴方の文章を読んでいると、ああ、狂っているなとため息が出る。
神経症は重大な精神病と言わざるを得ない。

↑↑↑
だから神経症を精神病と言うのです。多分生物学的原因で起きている。
長大な文章を書いていたり、聞きもしないのにこれまた長大な
回答を寄せたりしていると神経症は永久に続く。
 

これを狂いと言う

 投稿者:これを狂いと言う  投稿日:2019年 4月17日(水)02時19分23秒
  斎藤療法

↑↑↑

これを狂いと言う。
だから神経症を精神病と言うのです。多分生物学的原因で起きている。
長大な文章を書いていたり、聞きもしないのにこれまた長大な
回答を寄せたりしていると神経症は永久に続く。
 

(無題)

 投稿者:これを狂いと言う  投稿日:2019年 4月16日(火)16時37分21秒
  >>「恐れの感情に対して、こちらから手出しをしない」というのも、
「恐れの感情が心の中に沸き起こることをゆるし、感じる」そう考えたほうが、
受容しやすくなると思いますが、いかがでしょうか。

>↑これこそが「はからい」なのではないですか?
当たり前に起こる恐怖の感情は自分のコントロールできない範疇なのに、
それを許そうとすることこそ、「はからい」ではないかと。

風子さんのおっしゃっている通り、「はからい」でございます。

ただ、はからいは、はからいでも、
はからいを捨てる方向へと導かせるはからいです。

↑↑↑
だから神経症を精神病と言うのです。多分生物学的原因で起きている。
長大な文章を書いていたり、聞きもしないのにこれまた長大な
回答を寄せたりしていると神経症は永久に続く。
 

風子さん

 投稿者:  投稿日:2019年 4月16日(火)09時41分4秒
  ごめんください、わたくしでございます。

風子さんの返信を読ませていただいたら、
またコメントしたくなってしまいました。

>深い深い学びになりました。
>私の中で、これらは全く反発しあっていないのですけどね。

そうなんです。
お互いに意見が違うところもありますが、
一致しているところもたくさんあるんですよね。

ただ、言語表現が違うために、
そこが見えづらくなってしまうんですよね。

わたしは、以前、
斎藤さんのところの掲示板に、
ここのところを、「形態」と「内容」の違い、ということで、
書かせていただいたことがありました。

この、「形態と内容の違い」を理解することは、
森田療法に限らず、哲学・宗教、
いや、こんな小難しい世界だけでなく、
日常生活においても、
人とうまくやっていく上で、とても大切なことだと思ってます。

前置きはさておき、
とりあえず、「形態と内容の違い」を理解するということについて、
簡単に説明させていただきます。

形態とは、「言葉」です。
そして、内容とは、「その言葉が意味するところ」ということです。

形態(言葉)が違っていると、
お互いに違うことを言っているように感じたりいたしますが、
でも、じつは、同じことを言っている場合も良くあるんですよね。

また、
形態(言葉)が同じでも、
文脈が違うことで、まったく正反対の意味になることもあります。

形態(言葉)がまったく正反対なのに、
その意味する内容が同じになる場合もあります。

そのひとつの例としまして、
「何もしない」と「やるべきことをやる」を例にとって説明します。

これは、
一見すると、まったく正反対のことを言っているようにしか思えませんが、
でも、文脈によっては、
同じことを意味する場合もあります。

「自力の計らい、心のやりくりをやめ、他力に身を任せる」

という意味では、
「何もしない」ということも、「やるべきことをやる」ということも、
まったく同じことを意味する、まったく正反対の形態(言葉)だったりするんですよね。

(※個人的には、「やるべきことをやる」と言った場合、
その、やるべきことの内容を精査しないといけないと思っているので、
「やるべきことをやる」という表現は、あまり、ふさわしくないと思ってます)


この、「形態と内容の違い」を理解していないと、
お互いに、延々と、不毛な議論が繰り返されてしまうことになるのですが、
このことを一番、理解していないのが、斎藤さんです。

だから、斎藤さんの周りでは、
常に、お互いが反目し合い、対立し合うような状況が作り出されてきました。

ほんと、「りんご」そのもののことを、
りんごと呼ぶのが正しいのか、アップルと呼ぶのが正しいのか、
そんな、小学生でもやらないような議論が、繰り返されてきたんですよね。

斎藤さんのことを、
重篤な人格障害なのではないかと疑う人もいて、
わたしは、そうは思ってはいないのですが、
でも、そう思わせてしまうのも、仕方のないことなのではないかと思っていたりします。

もちろん、斎藤さんは斎藤さんで、
すごく良いことを言ったりもしているんですけどね。
 

美しい心と汚い心

 投稿者:直人  投稿日:2019年 4月16日(火)09時05分44秒
  私は実行してほしい美しい心を以下の様に思います
「苦痛(恐怖)を持ったまま生きる・・ダメな自分を抱えたまま、現実に挑戦する」です

反対に実行してほしくない悪い汚い心は
自分を治し変えて、楽に上手いこと生きようとする心です、即ち森田でも自力で何でも使って、症状を無くして上手く生とする努力は悪く汚いです

これをやると時間はやたらに使い、実行するだけ暗く惨めになります、治し変えるに成功せず、社会生活も駄目になり落伍します。
これが神経症と言う病気です。
 

これが狂い

 投稿者:斎藤  投稿日:2019年 4月16日(火)08時51分51秒
  ・斎藤様の「つべこべ言わずに治すを諦め、やるべきことをやれ」


これが狂いなのです。やるべきことをやれなんて何処にも言っていない。
それを言うのは貴方の頭であり、神経症者の頭です。
健康な脳ではやるべきをやっていない。やる必要もない事までやっている。
あるいは行動を開始する時に一々考えていない。考える前に行動が
始まっている。

「治すのを諦め」も言っていない。諦める、諦めないを延々と死ぬまで
言い続けるのが神経症と言う精神病です。
恐らく貴方の顔は青ざめていて、目はどろんとしているでしょう。
その状態で掲示板の討議に参加していると、待っているのは
人生の崩壊だ。

直ちにその麻薬を吸い続ける悪癖を停止しないとならない。
 

虫のいい話ですが。

 投稿者:風子  投稿日:2019年 4月16日(火)00時03分18秒
  森田療法に関する書籍を読んではきましたが、
私の知識は上っ面であったことが、この掲示板でよく分かりました。
私は頭でっかちの未熟者です。

こちらで心に留めた新たな教えは、

・直人様の「治すを諦め」「美しい生き方を知る」
・犬様の「なにもしない。他力に任せる」
・斎藤様の「つべこべ言わずに治すを諦め、やるべきことをやれ」
 (私の勝手な解釈)
・管理人様の書かれた「解決の糸口」と「治し方」

深い深い学びになりました。
私の中で、これらは全く反発しあっていないのですけどね。

虫が良すぎますけれども、


日常生活のベースは「治すことを諦め」、
「つべこべ言わずにやるべきことをやる」。

「自分の回りにいる人たちの、幸せを、自分の幸せとして、
感じて生きてゆく事」を理想とし、頼まれ事はなるべく断らず、
パニックになっても「不問」を続け、粛々と生きる。

恐怖の連続に絶望しても、それでも「美しい生き方」を思い、

ついに何の価値もなくなり疲れ果て、‘死’を思ったら
「他力に全てをお任せする」。

こんな生き方ができれば、治ろうが治るまいがどちらでも良いではないか、と。


おいしいとこ取りで申し訳ないですが、バラバラにしておくのは勿体無い。

この掲示板は、各方面のご意見番からの至極の言葉で溢れていますよ。
本質だけを拾って見ていけば。
すみません、大きく出ました。
 

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