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パニック障害

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 4月 7日(土)22時52分0秒
  パニック障害をお持ちの方教えてください。


当方20代前半女性です。昨年春よりパニック障害に似たような症状に悩まされています。 病院に行くことを

検討しているのですが、 自分の症状がはっきりしない所もあるため、 皆様のご意見をいただきたいです。


発端と自覚しているのは昨年春外食に行った際に胃腸の調子が悪く、お腹を下してしまった事だと思っていま

す。その際は調子が悪かったくらいに思っていたのですが、それ以降外食に行くたびに お腹を下さずとも痛く

なりトイレに駆け込むことが ほぼ毎回ありました。


そして最近になってはそれに加えて目眩や吐き気、 血の気が引くような感覚や手足が冷たくなる、 動悸がす

るなどの症状がそこまで酷くはないものの外食をする度に高い頻度で起こるようになってしまいました。


症状が起こらない場合もありますが頭の片隅には、 その恐怖がいつもよぎっている感じです。 家で食事をす

るときは一切そのような症状が なく、元々外食をすることもそんなに多くなかった為、 正直そこまで不便に

感じたことはなかったです。


しかし先月美容室や歯医者でも同じ症状に襲われ倒れる寸前までなってしまいました。いきなり血の気が引い

ていく感覚と家以外の場所で そのような事になる強い不安感が襲いました。 色々自分なりに調べてみるとパ

ニック障害に症状が似ていると感じるのですが、ネットで調べた所 自分はそんなに頻繁に症状(発作)が起こら

ないことから、曖昧に感じ、病院に行く決心が出来ません。


症状が起きるのは外食の際と食事が絡まない場では先日の美容室と歯医者が初めてです。 回数にしたらこの

一年ほどで10回程と思います。(そのうち倒れる寸前までいったのは美容室と歯医者のみ)似たような経験をさ

れた方やパニック障害をお持ちの方ご自身の経験を教えていただけないでしょうか。また、このような症状で

も受診するべきか…どんな意見でも良いのでお聞かせ願いたいです。



>>>管理人


パニック障害は、治るまでは大変な苦しみが伴いますが、治るという事を理解するなら難しくはないと思います。心の問題は若い頃では大変悩ましい問題と思いますが、年を取って来て人生経験を積んでゆく過程で、分る事が多くて、苦しみが深い程、安心も深い事が理解出来ると思います。

人生経験、或は人間の心理というか、人間そのものの理解が深まる時に自動的に解消する問題と思いますので、あまり深く悩まずに、何時か年を取ったらわかるかも知れないという位達観して結論を急ぎ過ぎないでいると良いと思います。

パニック障害が起きるからくりを書いてみます。その最大の原因は、人間は悩むように出来ているからです。こう言った人間としての悩みが始まる年齢とか心の成り立ちとは、仏典とか経典とか聖書にに書いてある通りです。

人間は大人になるに従って、悩みが増えて来て、苦しみが深まって来るといった事が書いてあります、それは罪の意識とか業の深さとして説明がなされているようです。

そう言った事を悩んで、解消する術が書かれているものが、仏典とか聖書の中の内容と思います。貴方に宗教を進めている訳ではありませんが、『どうして人間(自分が)苦しまなければいけないのか?』という問題を今の貴方は悩んでいる事を意味しています。

(何処から押し寄せてくるのか、分らない得体の知れない、)漠然とした不安を抱える事が、聖書に書いてある「罪の意識」に相当します。


こう言った難しい話は止めて、貴方がパニック障害に似た症状に苦しむ事が無くなるような方向で話を進めたいと思います。

人間の心は、苦しみを嫌うように出来ています。そうして喜びの方が好きに出来ているようですが、この好き嫌いを言う心が大きくなり過ぎた場合、嫌う余り『予期不安として、苦しみが襲って来ないのに、自分から頭の中に不安とか恐怖を作り出してしまう場合があります。

いわゆるノイローゼの状態という意味です。現実に不安とか恐怖が襲ってきていないにもかかわらず、(自分の頭の中で自分で作り出した不安とか恐怖感を味わうという意味です。

いわゆる恐怖症とかパニック障害と言われているものが今書いた事柄に相当します。

抜け出す方策を書いて置きますのでこころみに試してみて下さい。

不安はそのままで味わうならそれだけで終わってしまって、後を引く事はありません、ましてよ期不安になったりトラウマになったりする事はありません。

パニック障害の最大の原因は『小さな不安を感じないように工夫する事で、予期不安を呼び寄せています。』そうしてその予期不安を嫌う心が『パニック障害を呼び寄せています。』

パニック障害の症状の始まりは『小さな不安』です。この小さな不安をそのままにして置く時、小さな不安のままで終わりますので記憶には残らないように出来ています。

その小さな不安を大げさに感じて予期不安として対応する事から『意識に上がって来て』大変な苦しい想いをする事になっています。

小さな不安をそのままにして置く事、その次にパニックの症状が現れそうになったら、不安よもっと大きくなって襲ってこい!と腹をくくって捨て身になって下さい。それだけでパニック障害とか恐怖症は卒業する事が出来ます。

精神科医の元に行って薬を貰って不安を消そうとする時、その消そうとする心がノイローゼを呼び込む事になります。薬で不安を消そうとしないで、不安は受け容れた時から不安ではないものに変化しています。

不安とか恐怖から逃れる術は、それを受け容れるに勝る最上の術はありません。不安から逃れようと一生懸命になったなら、一生掛かってもノイローゼから抜け出す事が出来なくなります。何故なら初めから不安とか恐怖は存在していないものだからです。

良いの悪いのと『分別する心が、予期不安として不安を恐怖に替えているだけだからです。』

楽になりたい心を捨てた時、不安の影は無くなっています。

或はもっと苦しんでみようとする時も、不安は無くなっています。

心を平安に保とうとする心を捨てた時、同時に不安な心もなくなっています。

それが分別を捨てよという意味です、或は「楽をしたいという”我”を捨てよ!」といった意味に通じています。

心を平安に保ちたいとか、安心をしたいという心が、不安や恐怖を呼び寄せているだけと言えるからです。
 

斎藤様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月31日(土)10時14分45秒
  意識(我)と無意識が脳内で出番争いをしている姿が、神経症とか自律神経失調症とか心を病むという状態(うつとか感情障害とか強迫観念とか強迫行為)となっています。

健常者では何気ない普段の動作の中でも、無意識が優位に動いて、働いているようです。

悟というと大げさですが、脳梁で、この二つの意識が出会う時出番争いは終焉します。これが神経症の完治になります。自我意識は二度と無意識の前にしゃしゃり出る事が無くなります。

脳内での争いが無くなる事から、脳内は何時も静まり返っています。寝起きの時でも寝る前でも睡眠中にでもです。

大変心は休まっているようになります。これは望まなくとも独りでにそうなっています。涅槃寂静という意味が大変良く理解出来るようになります。

脳内には自我意識と『命を働かせている意識』=『無意識の自分の意志』が存在しています。自分の意志『我』が優位に働こうとっする時『神経症』とかの病的な状態になっています。


『 意識、無意識は我々が生まれながらにして備わっている脳の情報処理方法であり、そんなもの
誰でも教わらないで何の不自由もなく使いこなしている。 』と貴方は気楽に言ってのけていますが、貴方だってこれが分からない事で、何十年にも渡って悪戦苦闘して来たのではありませんか?

現代医学でも『神経症とか心を病むとか自律神経失調症とかいう難治性の疾患の原因は分かりませんが早期治療で早く良くなります。』といった謳い文句が横行しているようです。

原因が分からない医師或は医学が、神経症などの根本治療が出来るとは思えません。斎藤さんは如何な考えでしょうか?
 

意識、無意識

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 3月31日(土)06時04分50秒
  意識、無意識は我々が生まれながらにして備わっている脳の情報処理方法であり、そんなもの
誰でも教わらないで何の不自由もなく使いこなしている。
それを一々質問して、指導者に習いながらもう一度生き方を習うみたいな事をやるから
可笑しな事になる。

一休さんが追体験なんて言いながら、鈴木に毎年詣でて生き方を習い
続けた。そんな事をする人は健康世界では誰もいない。

子供を見て御覧なさい。学校から帰って来たらカバンを放り投げて公園に遊びに行くでしょう。
あれが健康な姿であり、誰も指導を受ける必要がない。
敢えて言えば、意識と言うより、もようされて体が飛び出て行く。
考える必要がないのだ。

そんな基本的動きの一つ一つに、意識を集中してなんてやっているから自動車事故を
起こしてしまう。私はトラック運転手を20年近くやったが、慣れて来ると運転には
意識は行ってない。ただ前方を見ているだけで、あとは手足が自然に動く。

ポイントポイントで、角を行きすぎないように、道を間違えないように
しているだけだ。もし全神経を集中して運転しているとしたら、それは全くの初心者か
神経症で頭がおかしくなっている人達でしょう。
 

管理人さまお久しぶりです

 投稿者:りんご  投稿日:2018年 3月28日(水)20時34分7秒
  奥さま大変ですねお大事にされてください。

ポエム

神経症談義は止めて
酒でも呑もおよ、空は青く
サクラは見頃さ
悲しい顔はよせよ
さぁ遊びに行こうよ
神経症談義が止める事が
あるがままさ
さあ~外の世界は素晴らしい
さぁ遊びに行こうよ
外はバラダイス
 

無意識

 投稿者:あるがままの世界  投稿日:2018年 3月26日(月)16時07分57秒
  無為療法HP・人生問題HPで、、、、何度も何回も、、、無意識と繰り返すから、鵜呑みにした神経症者が運転を実行して事故を起こした者がいた。

こういう記事はあらためるべき。
 

近況報告です

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月19日(月)07時52分18秒
  大分ご無沙汰をしています、自分の事を余り書く事をしなかったのですが、昨年の11月3日に今まで住んでいた住宅を壊して、新築住宅を作りまして、完成をして、引っ越しました。

間借りをしていた先の住宅が、少し狭かったこともあって、家内の足が大変悪くなってしまって、最悪の時には、いざり状態になってしまって、住んでいる部屋におまるを買ってきて据えた日もありました。

幸いな事に、一週間位でおまるはかたずける事が出来ましたが、足が悪い状態は続いています。

生まれてこの方、掃除とか洗濯とか食事の支度とかはやった事はなかったのですが、(鈴木診療所に入院した時では自炊でしたのでやりましたが)

最近は家内の調子が悪いために、朝だけは茶碗洗いをしています、そうして家中の掃除を日曜日の日課としてやるようになっています。

今まで家内一人でこなしてきた仕事内容ですがこの他にも自分の会社の経理資金繰りと、事務所の掃除もやってくれていました。

手分けをして、家内の仕事の量を分担して、負担が軽くなるように工夫をしています。
 

第二掲示板を作成しました。

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 3月15日(木)05時38分49秒
  この掲示板は原則書き込み自由ですから、夜中に起きて好き勝手に
書いても、直ぐ掲示板に表示されます。

無為療法第二掲示板
http://9209.teacup.com/dai2keijiban/bbs

最近元気ある神経症者専用の掲示板がなくなってしまった。
以前はHNさんの掲示板が元気あったのですが、一休さんの一部危険書き込みが
コピーされて、プライバシーを侵害された人から告訴されそうになって以来、
この掲示板もチェック制になり、活気がなくなってしまいました。

5チャンネルの掲示板も問題がある。大体5チャンネルの維持管理がどうなっている
のか、いい加減で使い難い。一部活気のある掲示板もあるが、森田療法の
それと違って方向性がない。ただ、患者が右往左往して苦しみを書いているだけ
で、救いがない。

掲示板の活気を保つには、患者が自由に書ける事、その中に治った人が
乱入しても、それを受け止めて活気ある論戦を維持することが必須です。
治った人を遺棄し、あるいは治った人が入ると、スーッと消えて行くようでは
人生は明るくならない。
 

うつやパニックなど薬を必ず処方されますが対象治療で根本的なものは治らないと聞いたことがあります。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月13日(火)18時25分53秒
  うつやパニックなど薬を必ず処方されますが対象治療で根本的なものは治らないと聞いたことがあります。

うつの症状やパニックでも薬を飲まずに治ったという方もいますがそのような方いますか?


>>>管理人


うつやパニック等の本当の原因が分かるなら、薬では治り難い事が、理解出来ます。またうつやパニックが治るという意味とか理由が分かるなら、薬なしでの治る理由が分かります。

うつとかパニックの原因は『現実にはない不安とか恐怖に』恐れおののいている事を意味します。人間の進化を語るうえで、残念な結論というべきかも知れません。

人間の苦しみの原因は、脳の機能の発達にその源を見つける事が出来ます。人間が生きている世界は二つの世界が交差して出来上がっています。

一つの世界は『真実の世界です。』この世界には不安とか恐怖が無い世界です。争いも望む事が無くなる世界です。平和に満ちて、安楽に満ちている世界です。その代わりに『われ=我』も存在しなくて無私とか無我とかに覆われた世界、と言っても良いかも知れません。

処が今書いた世界とは対照的な世界があります、『われ=我』が主人公の世界です。無我も無私もなりを潜めた世界です。争いが多くなって、欲と得で釣り合いを取ろうとしている世界です。見返りを求め過ぎている世界観、に覆われた世界です。

今書いた二つ目の世界観で、生きている事がうつやパニックになる原因と云えるかも知れません。人生に不安を感じていて、生きている事にも不安を感じていて、死に対しても不安を感じているといった世界観に覆われた世界です。

従って薬を飲んだとしても、心底では不安とか恐怖心が大手を振って荒れ狂っています。

薬なしでも治る場合とは、真実の世界に目覚める場合です。お互いに儚い命として思いやる世界観に目覚める事です。

うつとかパニックの場合では、この人生に不安と恐怖を抱いて生きています。処がこの人生には安楽な世界が存在しています。心静かな世界です。迫り来る死によっても、覆す事が出来ない安楽な世界です。

今書いた二つの世界には境目がありません、どうか今書いた内容によって新しい安楽の世界への扉を見つけて頂きたいと思います。
 

斎藤氏の今日の言葉より

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月13日(火)07時27分50秒
  今日の言葉


?生死を賭けた治療行為の停止

神経症は、治療と言う強迫行為を死ぬまで止める事が出来ない精神病です。


という出だしで始まっています。森田療法でも同じです。症状の除去という目的で斎藤氏でも誰でも、森田療法に取り組むなら、症状は猶更ひどくなると思います。

こう言った取り組み方をした人が斎藤氏です。治るどころか治る事はなかったようです。

この言い方は神経症を治すつもりで『雑用をする』と治らないと同じ意味です。

ただ単に(見返りを求めることなく)雑用をすると、治っていると同じ意味です。

森田療法は治らない事を納得させる事を眼目にしています、それが不問の意味です。治るとか治らないとかを言う事が無くなった時に治っている事を納得をさせる事が森田療法の眼目です。

雑用療法と同じです。只やる事が治る事につながっています。
 

森田療法の眼目

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月11日(日)18時49分26秒
  森田療法の眼目は治癒の放棄です、或は症状の軽減の放棄です。要するに治る事を諦める事です。これがいわゆる『症状を口にしないでいる事=不問』という意味です。

症状を口にしない生活が徹底される時『症状が在っても無くなっても、どちらでも良くなる』といった前提が確保されると思います。

こう言った状態に持って行く事が出来たなら、治るというゴールは目の前だと思います。


森田療法での『不問』が徹底される時、もう殆ど治癒の為の学びは終了していると言っても過言ではありません。

私の場合では『二か月間を掛けて学んだ事は、症状が出たとしても出なかったとしても、ひたすら口にしないでいる生活』の基礎を学ぶ事が森田療法の全てだったと思います。

逆に症状を取り除こうとしたり、症状を軽減させようとする事は、真っ逆さまに神経症になる道ををひた走っている事を意味しています。

治そうとしなくなった時点が『神経症の場合では完治』を意味しているからです。
 

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