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不安神経症とは具体的にどんな病気ですか?

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月17日(日)11時56分29秒
  不安神経症とは具体的にどんな病気ですか?


>>>管理人


不安神経症は、具体的には『現実には存在していない不安』に苛まれている状態です。その不安は自分の頭の中で作り出されているものです。その現象をノイローゼと言っています。

治し方は実は簡単ですが、当の本人は、大変難しいと思っています。

本人が感じている不安は、当の本人が人生における先行きに当面するかも知れないと、予期不安として先取りをしている事が原因だと思います。

人生に不安は付き物ですが、そういった在るかも知れない将来における予想としての不安を作り出して、あたかも現在、存在しているように感じてしまう現象です。

こういう事になっている現象を神経症と呼んでいます。

従って神経症には様々な症状が存在していますが、治し方は皆同じです。

様々な症状と言っていますが参考までに、その症状を挙げてみたいと思います。



始めは恐怖症と呼ばれているものです。
人間が感じる事柄全てが対象になると思います。或は意識する事とか意識した事です。

鋭い刃物を見てお尻のあたりがざわつく感じが嫌と思う時には『先端恐怖症』になると思います。

死ぬのが怖いと思う時は『死に対する恐怖症』という具合ですので、考えたり意識したりする事が症状になる可能性があるようです。

目の前の他人の目が怖い時には、『脇見恐怖症』があります。

人が怖い時には『対人恐怖症』になると思います。

視線が気になる場合では『視線恐怖症』になると思います。

嘔吐恐怖症(自分や他者が吐く事に過剰な恐怖を感じる)

男性恐怖症・女性恐怖症(男性・女性に対して過剰に恐怖を感じる)

動物恐怖症(特定の動物に対して過剰に恐怖を感じる)

集合体恐怖症(ブツブツしたものに対して過剰に恐怖を感じる)

醜形恐怖症(身体醜形障害)は、自分の容姿を「醜い」と感じてしまうようになる疾患です。


次は、予期不安として身体の機能までも阻害しているものもあります。
書痙とか吃音です。


次は、予期不安として心とか行動にまで影響を与えている現象を挙げてみます。
強迫観念とか、強迫行為とかがこれに当たると思います。又ヒステリーとかもです。

こういった症状群は共に神経症に昔は分類されていましたが、今の分類では必ずしも神経症としては扱っていないものもある様ですが、今の精神医学の方が進歩をしているのではなくて、退化をしている事を示しているように思います。その理由です。

未だ症状としては書き足りなかったものがありますが、こう言った羅列はここまでにして、次ぎに本題に入ります。

神経症が何の原因で発症して、如何したら治るのかという事を書いてみます。

神経症の原因は本人の気質も関係していますが、その奥に存在している人間の脳の機能に由来しています。その機能という意味においては全ての人間に、発症する可能性が存在しているという、理由になるかも知れません。



神経症の原因は実に単純明快です。人間の大人の脳の機能を説明したものを載せてみます。


人間の心の正体を科学的な証拠で示したいと思います。それは脳です、ウイキペデアからのコピーです。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

この場合での右脳の役割と左脳の役割を脳卒中の為に『体験的に体感した脳科学者の動画を載せて置きます。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジル.ボルト.テーラ脳卒中と検索して下さい。

今のコピーでお分かりと思いますが、一人の人間には『人格が二人存在しています。』この二つの意識の間の食い違いを人間は悩みとか苦しみとして受け取っています。

或はこの二つの意識の齟齬とかを心の矛盾とか対立とか分裂として、神経症の症状として受け取っています。


左脳の機能が自意識です。自意識過剰などと形容されているものです。

右脳の意識は『無意識を支配している意識です。』上の通りです。この無意識の意識とは『釈迦が仏性』と呼んだ意識です、或はキリスト教で神と呼ばれているものです。

人間の意識の背後に居ながら、自意識に指示を出したり、自意識に助けを出しているものです。或は漠然とした不安で脅す事も有ったり、好きな人との出逢いでは、心をウキウキさせたり、ハッピーな気持ちにさている者です。

つまり命そのものを輝かせたり、命そのものの働きをしていると言っても良いかも知れません。

話が横道に逸れたように見えていますが実は此処が狙いです。人間の不幸とか不安とか、恐怖とかを教えている者が『右脳に存在する意識=無意識の自分』です。

不安症とか、恐怖症とかは正にこの「右脳の意識=無意識の意識」の存在と送られてくる情報を異常に怖がっている状態と言っても良いからです。『高所恐怖症など』

又書痙とか吃音なども関係している理由とは、人間の正常な行動とか思考作業とは、意識する自分と、無意識の自分との共同作業で『健常者としての日常が成り立っている事を意味します。』

この意味は、お互いの機能の違いが、分からないために交替するタイミングが分からなくなっている状態を示しています。

もう一言追加で説明するなら、意識と無意識は身体も心も交替制で成り立っています。この交替制が順調に行かなくなった身体機能を書痙とか吃音、或はもっと広い意味で言うなら、不眠症までも含んでいます。つまり無意識の自分への交替を拒んでいると云った意味になります。

神経症の原因は、実に簡単という意味は、『心の矛盾』を悩んでいる事によって発症しているという事を意味しているからです。

また神経症の完治を促す方法とは、症状別に存在している訳ではない事を示唆しています。

吃音の治し方は、話し方の練習をする事で、反って悪化する可能性を秘めている場合が多い事を意味しています。

人間が不幸になる前兆を『失楽園』と聖書は書いています、この事が関係しています。

思春期頃に、身体が大人なる頃、脳の機能も大人になっています。自分の裸を他人に見せる事に『恥ずかしい』と云った感情が芽生えるからです。

是を科学的に説明するなら、幼かった頃には脳は一つの者として働いていたので、心は一つの者として働いていたからです。『天国に一番近い存在は幼子』聖書にある通りです。

大人になって脳の機能分化が進んだために、見ている自分と、見られている自分という風に『心が二つに分かれた事が原因で』同じ事柄を幼子のようには感じる事が出来なくなっています。


聖書では『右脳の意識』に背くを『神に背く』と言っているようです。余談になりますが『夜と霧』を書いた、ウイーン生まれの精神科医、ヴィクトール.エミール.フナンクル博士は、この存在を『識られざる神』と表現しています。

右脳の意識は『無意識の底深くに沈み込んでいながら』明確なサインを出しています。異性に出会った時には身体まで変化したりホルモンの分泌さえも状況にあった様に変化をさせています。

こういった様々な変化に『対応が出来ない、敏感な人達が』神経症として、或は自律神経失調症として訴えを起こすようになります。

実はその裏側に『脳の機能への対応』になれない事が挙げられると思います。

自意識の機能と無意識の機能がうまく折り合うまで、苦しみは続くのかも知れません。

神経症が治った姿を書いて終わりにしたいと思います。

神経症の症状は『全てが右脳からの信号を、勘違いをして受け取っているものの様です。』従って治し方は、森田療法などのやり方で良いと思います。

つまり『症状は治らないものとして受け止める事です。』

この理由は『異常でも何でもない事柄を、本人の頭の中で、排除したい一心で加工をしていたために、異常に変化して、遂に異常になっていただけだからです。』

此処まで来た時、脳内では変化が起きています。右脳と左脳は脳梁を通じて情報のやり取りをしていますが、ホットラインとも呼べるものが構築されるのです。二つの人格がついに一つの者として働き始める時が来たという意味です。

苦しみの果てに、その苦しみが終焉する時が来たという意味です。

二つに分かれて相争っていた、二つの意識が、幼子のようにまた一つになって機能しているという意味です。仏教ではこの現象を大人の嬰児が誕生したと表現します。


つまり自性を徹見したという意味です。自分は何者か、或は自分の感情を沸かせていた者との出会いが完了したという意味です。

心の矛盾が解消したという意味ですので、ジル.ボルト.テーラー博士が言っていた事を実感したという意味です。

心同士が争う事が無くなった、つまり涅槃寂静と云った境涯を示しています。

キリスト者なら『神と会って和解した。』ですが、具体的には『神の僕となる。』ですが、神の前にシャシャリ出なくなるという意味になると思います。

禅ではこの心境を語っているものがありますのでご紹介して終わりにしたいと思います。『今更お前は誰かと聞く必要さえも無かった。』という事です。

誰でもが知っている存在という意味ですが、忘れたために、神経症等になって苦しんでしまう事になっている様です。
 

猫仙人 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月17日(日)11時44分15秒
  実に有効だと書いてありました、吃音が治るという意味は、吃音を受け容れるという意味があります。神経症は全てが同じ理由で治ると思います。

それは症状の受容です。実は症状でも何でも無かった事を意識のし過ぎで『異常拡大して、嫌なものとして味わっている事を意味していたからです。』

受容する事を促す実に良い方法と思えます。この方法を恐怖症にまで使えたらと思いますが、意味が違う様になってしまう様なので使えないのかも知れません。
 

逆説志向

 投稿者:猫仙人  投稿日:2019年 2月16日(土)20時10分54秒
  >逆説志向というものです。吃音で話をさせる方法です。

フランクルの逆説志向ですね。明快で著効ですよね。
 

原因不明。ここ1年近く、急に滑舌が悪く話しづらくなり

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月16日(土)15時40分54秒
  原因不明。ここ1年近く、急に滑舌が悪く話しづらくなり、仕事に支障が出て困っています。

23歳女です。1年半ほど前からイベントの司会の仕事をしています。
最初は問題なく普通にアナウンスや接客をこなしていましたが、半年を超えた頃から舌が回らないと感じる日が出てきました。
最初はただの疲れだろうと思っていたのですが、徐々に徐々に違和感を感じる日が増えてきて、今では毎日・毎回イベントで話すことがとても難しいです。


詳しい症状は、
どんなに頑張っても舌が動いてくれなくなる。
さらに調子が悪いと異常に舌が重い感覚になる。
司会原稿を読んでいて呼吸が苦しく感じてくる。
などです。
以前より勤務日数&勤務時間を減らしてるので疲れ等は関係無いと思います。
前は長時間勤務でも問題なく司会できていたのに…

お客様にもアンケートに、司会が何を言っているかわからなかった・もっとはっきり読んでほしい等沢山苦情を書かれるようになりました。
しかも受付の時にお客様と話したり、イベント中に声をかけられて普通に会話するなど、原稿のアナウンスの時以外も症状が出ます。
息苦しく感じるのと舌が動かないことによって、ゆっくりはっきり話すことが困難になってきて、早口気味になってしまうため、ますます何を言っているのかわからない状態です。

昔から人前で話すことに苦手意識があったり特別あがり症だったりということはありません。
生徒会役員として全校生徒の前で司会をしたり、高校の頃は部活動の一環で朗読の大会にも沢山出場してました。
また、今の仕事に特別ストレスを感じていたわけでもありません。人間関係も良好です。


バックヤードで同僚たちと世間話をしたり、普段友人や家族と電話&会話するときは症状は出にくいです。
ただ以前に比べ、声量が出せなくなりぼそぼそと口先だけで話すのがやっとな感じになってる気がします。
また舌の調子にも波があって、酷いときは普通のおしゃべりでも舌が動かないと感じることがあります。
友達とも以前は何時間でもマシンガントークをしていられたのに、今では一言一言発するのが億劫ですし、聞き返されることも多くなりました。家族と電話していても話しづらすぎて聞き返される度にイライラしてしまい…メールやLINEに切り替えたりします。
コンビニで店員さんに、お願いします・有難うございます 等簡単な言葉を言うのもうまく喋れず…


周りに相談する度に、緊張せず深呼吸しゆっくりと細かく区切って読んでみたら?舌の体操をしてみたら?など何回試してもダメだったことばかりをアドバイスされるため辛いです。
本当に自分の意思ではどうにも舌が動かなくなるのに、周りにはなかなかわかってもらえません。

うまく喋れない状態で毎日毎日人前でアナウンスをしなければならず、人前に出るのも怖くなってしまいました。お客様からのアンケートをチェックする度に心に物凄いストレスがかかります。
お客様同士の「あのスタッフ滑舌悪いね」という会話が耳に入ってくることもあります。
そうなるともうお客様同士笑い合ってる声も全て、自分に向けられてる気持ちになってきて…頭が真っ白になります。
あれだけ接客業も司会業も好きだったのに…

しかし今の仕事は給料面でもできれば辞めたくないです。
接客が一切ない仕事といっても限られてきますし、デスクワークはしたことがないので…
前みたいに話すことさえ出来れば…と思ってしまいます。


自分ではどうにもならないと判断し、数ヶ月前から病院にかかりはじめました。

○心療内科
症状を聞いてもらい、ストレスかもしれないからと精神安定剤を処方してもらいましたが、飲んでもあまり変わらず。
終いには先生に、「鬱の症状もないし、こうやって診察していてもきれいにハキハキ話しているため、うちではどうにもできないかも…」と言われてしまってます。
診察のときはなぜかきれいに話すことができるため、うまく症状が伝わってない気がします。

○耳鼻咽喉科
症状を相談し、舌に問題がないか、舌の動きは正常かなどをみてもらいましたが全く問題ナシとのことです。

○脳外科
症状を相談し、MRIも撮ってもらいましたが、脳的には異常ナシとのことです。


今まで大きな病気はしたことがなく、学生の頃酷い貧血になったことがあるくらいですが…病院の先生方は、貧血で滑舌にそこまで影響が出ることはない、とおっしゃってました。
念のため採血したところ、また貧血が酷くなっていることが判明。
数値が低すぎて著しく体力がなくなり声が出しづらかったり喋りづらいという可能性もあるかも?とのことですが、イマイチ原因がはっきりしたわけではないようで毎日不安です…


長くなってしまいましたが、同じような経験をした方がいらっしゃいましたら、ぜひ話を聞かせてほしいです。
また、上記を読んでみて考えられる病気や原因などはありますでしょうか…?



>>>管理人


貴方は神経症をご存知でしょうか、神経症には様々な症状が在ります、貴方に近い症状としては吃音がそれに当ると思います。

神経症を一口で説明するなら、『自分が気になる事がうまくゆかそうとしているにも拘らずうまくゆかなくなる状態』

言い替えるなら『自分が意識してうまくゆかそうとしていっる事が、その意識する事によって反ってうまくゆかなくなっている状態。』と説明出来る事だと思います。

神経症を治す事は必ず出来ますが、入り口を間違えてしまうと返って遠回りになって治らなくなる可能性もあるかも知れません。

ですので神経症の特徴を学んで、治し方も学んで、精神科医よりも神経症に詳しくなって対処する他に道は無いと思います。

神経症の発症のカラクリを説明します。

人間としての特徴だと思いますが、『意識した事がうまくゆかなくなる事』ですが、意識する前には出来ていた事が挙げられます。

この原因は、人間の行動が順調に行っている時には『意識していない時』ですが、意識していないという意味は『無意識の自分に交替出来ていたからです。』

書痙という症状もありますが、原因は同じです。手が震えて字が書けなくなってしまう現象です。是を手術をする医師が発症した場合では大変です、医師をやっていられなくなる可能性があるからです。

ですので神経症の症状が発症するシステムと治って行くシステムと治らない場合でのシステムを学んで治るシステムに生き方を変更する事を学んで下さい。

始めに治った姿を書いてみたいと思います。

貴方が治った姿は、以前に戻った事を意味していますが、今度は神経症を乗り越えていますので、健常者以上の健常者になっています。この意味は他の神経症に苦しんでいる人にアドバイスさえも出来てしまうという意味です。

治った今でも、確かに話がし難いと云った時はありますが、上手く話せたとしてもうまく話せなかったとしても余り頓着する事は無くなっています。治ったとか治らないと云った事にこだわる気持ちそのものが無くなっています、

ですので治った事さえも忘れています、従って治っていない事も治っている事も気にならなくなっています。気に入らなかった症状らしきものが出ても出なくとも、一喜一憂する事が無くなっています。こうなった場合が完治した事を意味します。

それでは発症するシステムです、是には『過度に好き嫌いする心が働いている事』を意味します。話し難い事に気付いて”意識”して話をするようになっています。『”意識”して話す事から、上手く話しが出来ない気がしています。』

益々”意識”をして話をするようになっています。此処まで意識過剰になってしまうと、傍から見ても分かるようになっています。それが分かりますので、尚更うまく話しをするようになっています。

自分の関心が『うまく話しをする事』だけに集中しています。気に掛ければ気に掛けるほど、上手くゆかなくなってます。

上手くゆかない事が意識に上がって、上手くゆかそうとしている自分が躍起になっています。悪循環が始まっています。


神経症の症状が発症するという説明をもう一度します。


『どんなに頑張っても舌が動いてくれなくなる。さらに調子が悪いと異常に舌が重い感覚になる。』事は誰にでもある普通の事です。

処が過度に意識を集中さててしまう事によって症状にまで発展しています。

この症状にまで発展させた事から、今度は抜け出すためにさらに追い打ちをかけるように、過度に意識をして抜け出すために努力を重ねています。この努力が実って『しっかりと、自分の心に症状として固定されています。』

是は何でもない普通の感覚が症状にまでなって。更なる追い出しを計る事がしっかりと心に固定をされています。是が神経症の実態となっています。

治らない場合です。少しの違和感でも問題にして、意識をして飽くまでも症状を無くす努力が続く場合です。こうなってしまって一生掛かっても治したいと思うなら、一生治らなくなるかも知れません。

何故ならば治したい(症状を無くしたい)という想いが症状にして、症状を無くしたいと努力をする事が、心に固く固定をする働きをしているからです。

では神経症が治る為の方向性とか努力の方向性を書いてみます。是は本人の本人による、好き嫌いする心が大きくなり過ぎた事が招いた結果です。

自分に対しての良い事は受け容れるけれど、嫌な事は受け入れられない、とする考え方が招いた結果です。良い事も悪い事もあまり好き嫌いする事なく受容で来た時が治りになります。


神経症の完治を望むなら『症状の消滅や軽減』からの取り組みは藪蛇になると思います。『嫌いなものを避けている事で、誰でもが感じているさほど恐ろしいものではないものが、障害にまで過大に感じられるようになっています。

神経症の完治をするためにやる事は、症状に対する貴方の態度の変更です。

症状を構わないでいる事』です、症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言う必要が無くなる事が治った事を意味します。

ですので不問療法の内容は『症状を構わないでいる事』です。症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言わないでいる事です。

貴方にとっては辛い事かも知れませんし、貴方の意には添わないかも知れませんが、貴方の(誰であっても)症状は治る事はありません、この治らないという事を了承したうえでの不問が一番効果があります。

症状が取れるとか、症状の軽減を図る為の不問はあまり効果がありません。

もう症状は無くなる事は無いと思って不問に励んで下さい。本当に症状は無くなる事など無いのですから。


後一つ、即効性があるやり方も書いて置きます。

逆説志向というものです。吃音で話をさせる方法です。

上手に吃音で話をするようにしてもらう方法です。吃音が出なくなるようです。
吃音で話をする事で吃音を受け容れる事が出来た段階で吃音が治った事になります。

吃音が出て困るようでしたら、『もっと吃音で話をするように努力をして下さい。』吃音で話をする努力が出来た時、吃音は引っ込んでしまう様です。

ぜひやってみて下さい。


<<<質問者


「症状を構わないでいること」とても納得いたしました。
自分でも、意識しすぎてさらに悪化しているのではないか、と思い悩んだ時期もありました。
しかしその思い悩むこと自体、症状をさらに悪化させているかもしれないと思うと、もうどうしようもなく無力感に襲われ…
しかも症状により大きく仕事に支障をきたす為、「考えないようにする」「気にしないようにする」ことは今の自分にはとても難しいなと感じました。

的確に神経症というワードを出し丁寧に説明してくださり有難うございます。
様々な科でお医者様に聞いてみても、あまり具体的な名前を出したりそれについての可能性を説明してもらえたりということがなかったので、前に進めないままでした。
視野に入れてこれからも原因を探っていこうと思います。

 

キリスト教は慰め程度もしくは一時的な救済はあるでしょうが

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月16日(土)12時18分14秒
  キリスト教は慰め程度もしくは一時的な救済はあるでしょうが、生命の根本的問題、因果については残念ながら無知に等しい。真の仏法から見れば五重の劣(5段階のレベルで最下位)の位にあたります。わかりますか?




補足
一番の問題は人間が人間として自立する道を明確に持っていないこと。これは生命の根源、宿命と向き合う人生、真理をおさえないとわからないのです。だからいつまでも炊き出しに並んで他に依存し続けるのです



>>>管理人


鈴木大拙博士も同じような事を語っていました。キリスト者も禅を学んだ方が良いです。

ついでに言うなら、仏法を学ぶ事は自分を学ぶ事で、自分を学ぶ事は自分を忘れる事で、自分が世界の創造主になる事だという事になると思います。

絶えず自分自身が瞬間瞬間創造主であるという意味です。


<<<質問者回答ありがとうございます!

仏法の核心を突いていて驚きました。

宇宙即生命、我即宇宙に通じます。

但し禅は外国人受けしますが、究極ではありません。
ヨーガに近い呼吸法の一つに留まりますね。

>>>管理人貴方の意見には反対です、その理由は、禅は呼吸法ではありません、自身の命の働きとの出会いによって、自分自身が分かる事です。

自分が何処から来て何処に行くのかという事や、自分は何者か?と云った疑問の答えを教えている者です。

禅は云います、疑問が沸き上がる時、その疑問が沸き上がるところに答えが存在しているです。

つまり疑問の中に答えは既に用意されているといった立場だと思います。


<<<質問者残念ながら教義は禅は釈尊の教えに背いているので仏教の清流では無いですね。無と空の違いを混同しています。


>>>管理人自性を徹見して、『涅槃寂静に至れ!』が、仏教の根本義だと思います。日蓮ではなくて釈迦の教えそのものにこそ、『究極の心の癒しの心理学』が込められていると思います。

釈迦の学問は、釈迦の直接的な教えではありません。釈迦の教えは『直接に自分の中の仏性=命の働き』つまり見性して、生と死を明らかにせよ!だと思います。

悟りを開かないと釈迦の教えは分らない事を意味しています。


<<<質問者おっしゃるとおりです。仏法の卓越性は究極の生命が他から与えられるのではなくして、良縁を通して自らの中にもともと存在するものを無限に開いていけるとしているところですね。

ここがわかれば行き詰まりも絶望も無くなるのです。
多くは他に希望を求め失望し、あげくの果ては自殺までしてしまう。
自らの本当の宝をわからずに一生を終えていく人が数多いることにもったいないといいますか、可哀想と思わざるを得ません。


>>>管理人全くもっておっしゃる通りと思います。他人に教える事が出来ないもどかしさがあります。欝とか神経症とかノイローゼも見性する事で完治するのですが、教えて教えられない世界、『体得』と云った世界だと思います。

釈迦が言っていた、もどかしさを感じます。


<<<質問者「足下を掘れ底に泉あり」ですね。

法華経の衣裏珠譬の喩えにもあるように、宝を所持していながらさまよい飢えに苦しむ友人に驚き憐れむ心に通じると思います。
 

与太郎 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月16日(土)12時10分35秒
  不問という意味は、自身に対してのものと同時に、外部に対しての意味もあります。問わないという事ですので、誰に対しても問う事をしないでいるという意味です。

或は疑問は疑問としてあるけれども、答えを問う事をしないでいるという意味です。

 

不問

 投稿者:与太郎  投稿日:2019年 2月15日(金)10時06分58秒
  お世話になります。

不問や受け入れる努力とは
仕事や遊び、雑用に夢中で症状を忘れている。
症状を思い出したら、また気持ちを外向きに

同じ事を何度も確認して申し訳ないのですが
これの繰り返しでよろしいでしょうか?
一生この繰り返しなのでしょうか?
 

与太郎 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月15日(金)07時19分6秒
  症状を受け入れる、と云った努力とか、症状の軽減を願う努力とかは、皆症状の悪化を招くと思います。そうではなくて『症状の事を口にしない不問』という意味は症状を相手にしないという意味です。

症状を相手にしない態度を養うということが不問の意味ですが、微妙で分り難いと思います。


不問という症状を相手にしないという意味は、いきなり『症状を受け容れる努力ではありません。』

何時しか知らず知らずのうちに『受け入れが進んでいる』くらいの意味ですので、不問を学んで下さい。
 

安楽な道ではない

 投稿者:与太郎  投稿日:2019年 2月14日(木)22時15分54秒
  お世話になります。

症状を受け入れる、自分を肯定するは本当に辛く苦しい毎日です。
良くなるどころかどんどん悪くなっていくような気もします。
一歩進んで二歩下がってるような。
症状が無加工で良し悪し無しで受け取る行為が辛く
体調を崩し自立神経の乱れで手の発汗や食欲不振、不眠等。
地獄に入る決心は頭ではついています。

受け入れるってこうなのかなと余計に不安になったりもします。
症状を忘れている時はただ忘れいるだけで受け入れているわけではないんですよね?
 

外向型と内向型

 投稿者:猫仙人  投稿日:2019年 2月14日(木)10時45分13秒
  父は外向型で飲み会に山歩き会に飛び回っていますが、内向型の自分は家で
パソコンをするのが趣味です。森田療法では対人恐怖は治りましたが、内向
型の性格までは治せないようです。
三つ子の魂百までもの通りです。中年にさしかかりましたが、このままの子
供の時の性格のまま一生行くように思います。
 

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