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狂った人間にデカい面をさせるわけにはいかない

 投稿者:ぐると  投稿日:2020年11月 8日(日)13時15分30秒
  > 貴方は状態がよくない神経症の患者であって、
> そんな人間にデカい面をさせるわけには行かない。
> これ以上連発投稿する場合は削除する。
> やはりここは精神病院であり、全く干渉しないと暴走し始めます。

客観的にみれば始終このような譫言(たわごと)をわめいている人間が神経症者であって、
こちらの掲示板は「精神病院」、そして管理人を名乗る斎藤さんはそこの「重症患者」です。
https://9209.teacup.com/dai2keijiban/bbs

斎藤さんというのは、おそらくそうやってほかの人をみな病人だと思い込むことで、
それを一種の「心の支え」「精神安定剤」にしているところがある。


ああやって掲示板をやって、無知な投稿者に向かって「神経症が治ったのは世界で自分だけ」
「かくも健康世界はすばらしい」などといちいち威張ってみせているのも、
彼にとって必要な一種の「精神操作、マインドコントロール」みたいなものかもしれない。

このように「ほかの投稿者、周囲の人達がみな神経症者や病人にみえる」というのが
神経症の人の大きな特徴でもあるのです。


みなさんもそうならないよう気をつけましょう!!

だから、斎藤さんや彼の掲示板に「デカい面をさせるわけにはいかない」のです。
 

パニック障害ってぶり返すことありますか?

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月 7日(土)20時45分8秒
  ちょうど2年前にパニック障害になり、心療内科でも症状が重いと言われ、一年半苦しんでいました。

高校を卒業し、環境が変わり、ここ半年は外出できるくらい回復していたのですが、今日また店の中で発作が起こりました。

出口から遠いところに行ったら苦しくなり、しゃがみ込むことしかできなかったけど、周りにもたくさんの人がいて、余計に苦しくなり、無意識に出口に向かって全力で走っていて気が付けば外で過呼吸みたいになっていました。

久しぶりの発作で、また明日から同じことが起こるのではないかと不安になりました。昨日までは何もなく店にも入れていたのに、こんなに突然起こって怖いです。

パニック障害って治らないんですか?


>>>管理人


パニック障害は、神経症の症状の内の一つの形です。

神経症の症状には様々な形がありますが、原因は一つだけです。

様々な症状には、それぞれ関連性はありません。

ところがたった一つだけ共通点があります。それが分かるなら治る可能性があるかも知れません。

神経症が発症する原因を知って、その原因にまで迫って、その原因を取り除く事が出来るなら、再発する事が無くなると思います。

パニック障害の原因は貴方自身の内部に存在しています。

そうして誰でもがパニック障害になる可能性を秘めています。

処がパニック障害になる人も、ならない人も存在します。

パニック障害(全ての神経症に共通しますが、)の原因は、自分自身に沸き上がる感情の処理の仕方を間違うところにあります。

どういう風に間違っているのかと云うなら、貴方の場合では『パニックになりそうな場合に、パニックにならないように工夫をしています。』

同じ神経症の中に『吃音や書痙や心臓神経症』と云ったものがありますが、発症する原因は一つだけです。

吃音を例にするなら、吃音にならない様『意識を使って』工夫をしています。

この工夫が吃音が発症する原因を作っています。

書痙を例にして説明をします。

ある日人が見ている事に気が付いて、字を書こうとした時に、手が震えてしまって字を書く事が出来なくなってしまいました。

この『人前で字を書こうとした時に、意識してしまって、手が震えるようになった事が』発症の原因です。

心臓神経症が発症する原因を書いてみます。ある時突然に、心臓が不規則な動きをしているように感じてしまって、心臓が止まるのではないだろうかと、心配になって意識がその事にだけ集中するようになってしまいました。

心を、心臓に注意を向けた時、心臓が不規則になったような気がしてしまって、死ぬのではないだろうかと心配になっています。

貴方の場合ですが、前の様に、又パニックの症状が出る様な予感がする場合では、パニックにならない様に『意識を集中させて、阻止するように身構えています。』

その身構え方が完成した暁に、見事にパニックが完成しています。

もしその時に、意識がパニック症状以外に向けられるなら、パニックになる事さえも忘れています。

パニックになりそうで居ながら、ならないですんでいる人は、パニックに意識を集中させる前に、意識する自分が『パニックになる事を忘れている場合です。』

つまりパニックにならない様に意識をして、工夫をしない場合では、パニックの症状が出られなくなっています。

パニックにならない様に、意識を集中させた場合だけがパニックになっています。

もっと説明するなら、パニックが在っても良いや、とかパニックになってやれとするなら、パニックになる事が無くなります。

吃音で説明するなら、吃音は治る事が無かったとして、開き直ってしまって、吃音を治そうとする事が無くなった場合では、意識の中に吃音が無くなっています。

従って吃音を意識する事は無くなっています。 吃音になっても、吃音が治ってもどっちだっても良くなった場合では、吃音が意識を占領する事は無くなっています。

ここまで来た場合を『吃音が完治した。』と表現します。つまり吃音を受容できた場合だけです。

是と同じで貴方が、パニック障害になる事を恐れて、避けて通ろうとした場合では、確実にパニック発作が起きる様です。

貴方がパニック発作は避ける事が出来ないと諦めてしまって、パニック発作になっても仕方がないと、諦めてしまって、パニック発作を受け入れる事が出来るなら、もう二度とパニック発作に襲われる事が無くなります。

パニック発作は、貴方が避けて嫌っている事によって、貴方が呼び寄せているだけだからです。

『意識して起こさない、起こらないようにしている事が、呼び水になって、起きている現象だからです。』

受容して、パニックになっても良いと思える場合では、二度と貴方にパニックの発作が起き無くなっています。

吃音も、書痙も、不安障害も恐怖症も、メカニズムは皆同じです。 恐怖心や不安な心が、湧き上る時、『恐怖心や不安な心』を避けないでいるだけで、『恐怖心や不安な心』は大きくならないでいます。

健常者と云われる人達は、『恐怖心や不安な心』を避けないでいるだけで、『恐怖心や不安な心』は大きくならないでいます。という事を心得ているだけだからです。

 

猫仙人 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月 7日(土)19時21分37秒
  一般道徳倫理系宗教に力を入れている人は、『道徳倫理』を正してゆくと、自分は幸福になれると思っている人だと思います。

神経症の苦しみは、自意識が、心の内部の、『命を働かせている意識=仏性=生命維持機能=右脳の意識』と、仲違いをしているために、その心の矛盾を『苦しみとして受け取っています。』

従ってその苦しみの終焉は、『自身の性を認得する時、自ずから神経症から解き放たれるようです。』

見性=自身の性(本当の自分)と出会うと云う意味です。

自意識は、有限しか理解出来ないように出来ているようです。無限とか永遠をあこがれる事があったとしても、理解不可能です。

この理解を可能にする方法は、二通りあると思います。

一つは、神経症の苦しみを、根底からひっくり返して、苦しみを超越する方法です。右脳の永遠性に触れる方法です。是は『自意識の力だけでは治る事が無い事=症状が治る事は無い事』にぶち当たる場合です。

治らない事が分かった場合では、治す工夫をしなくなっている場合の事です。これが完治です。

もう一つも同じ事ですが、禅問答に没頭する場合です。禅問答は、自意識では理解出来ない様に工夫されています。右脳の機能(命の働きが出てくる場合)だけが禅問答を解ける理由になっています。

どちらにしたところで、同じ事が脳内で行われると思います。

自意識(左脳の機能)では不可能と云う深い理解です。

神経症が治らない理由は、『自意識だけで人生そのものを把握しようとしているからです。』

禅問答が解けない理由も同じです。『左脳の機能だけで、禅問答を解き明かそうとしているからです。』

左脳(自意識)と右脳(無意識)が、手を取り合っている場合が(本人の理解や、無理解とは関係なしに。健常者と云われている人達です。

右脳の機能(作用)を罪悪感や、不安感や恐怖感として、受け取っている場合では『不安障害や、恐怖症やそのほかもろもろのもの』として受け取っているものだと思います。

こう云った不安感や恐怖感を、自分自身を知る事で、乗り越える場合に、神経症や不安症や、恐怖症を乗り越えると、表現するようです。

同じ現象を『違う表現で』言い表しているに過ぎない事を、理解出来るようになります。
 

一般道徳倫理系宗教

 投稿者:猫仙人  投稿日:2020年11月 3日(火)23時36分52秒
  森田療法の先生方は禅悟りに明るい人はちらほらいるが、一般道徳倫理系宗教に詳しい先生は居ませんよね。不思議です。どなたかご存知ですか?  

仕事失敗

 投稿者:猫仙人  投稿日:2020年11月 3日(火)23時35分13秒
  会社で少し設備を破損してしまい、上司に心配かけるのが嫌で自力でチョコっと治して報告せず誤魔化してしまいましたが、これが対人恐怖等の神経症的で無いかどうか悩んでいます。この程度なら健常者でもやりますよね?額にして580円程度です。  

吃音症辛いです

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月 3日(火)10時41分18秒
  吃音症辛いです 意識すればするほど悪くなる気がして 考えるのを放棄したくなります


>>>管理人


意識すれば意識するほど、やれなくなったり、出来なくなってしまう事を『神経症』と云う様です。

何気なくやって、出来ていた事が、意識した途端に出来なくなる現象です。

治そうとするほど酷くなります。治そうとか、意識しないでいるなら治っている状態になります。 従って、医師の元に行って治そうとする事では、治る事が無いようです。 神経症の治療は、昔では『森田療法』と云うものがありましたが、今は受け継いでやっているところは、かなり少なくなったようです。

現代と云う医学の最前線でさえも、『神経症の原因は分かっていません、ですが、早期治療で早く良くなります。』が精神科医達の合言葉になっているようですが、原因が分かっていない人達にとっては、治すという作業は、不可能に近いと思われます。

神経症が治った経験から貴方へアドバイスをするなら、吃音は治らないと思う事で治りが近く(早く)なると思います。

全ての神経症に言える事ですが、実際には『症状は存在していません。』処が本人は症状に苦しんでいます。 此処のからくりが分かる時、神経症から離れています。

貴方の吃音は、「神経症の中の一つの症状、として認知して下さい。」

神経症の治りは、症状を相手にしなくなった場合だけです。吃音であれ対人恐怖であれ、或いはパニック障害であれ不安症であれ、恐怖症であれ、症状を受け入れてしまう場合、だけを治ったと表現する事が出来ます。

貴方が吃音を、治そうとする事が、貴方が吃音で悩む原因を作っています。 逆説的な言い方になりますが、貴方が吃音は治る事が無かったと、吃音を受け入れる事が出来た時が貴方の吃音が完治する時です。

手厳しい指摘をするなら、現代の精神科医達、或いは精神医学では、神経症に対しての理解、或いは人間の不安や恐怖心と云う意味では、まるで進歩をする気が無いように見えています。

不安心や恐怖心を、薬の処方によって治す事が出来ると考えているからです。


不安心や恐怖心も、神経症の症状と同じで、心からの受容によってしか取り払う事が出来ない事を見逃しているからです。
 

KY 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月 3日(火)08時46分12秒
  『Intermezzoさんの文字を全てくっつけての書き込みは読み難いです。

鈴木知準先生は日誌で、字が小さいと老眼のため、虫眼鏡で見ないと読めませんと注意書きされます。

神経症が治ると相手の立場に立って配慮が出来るようになります。』」


と貴方は云っていますが、著作を生業としている場合では、そういった指摘とかがあって、創意工夫をしていって、段々と読みやすく書くようになると思います。

かくいう私の場合でも、当初では、言いたい事を言葉にするだけでも難しくて、読みやすい文章を書くと云った事に、気が回らなかった経験が有ります。

今でも、書きながら、もっと良い表現方法がないだろうか?と悪戦苦闘している日々です。

神経症から抜け出せたとしても、それは健常者としての『第一歩』でしかありません。

他の事に気を使う事無しに、『自分の内部にだけ、気を使っていた事で、神経症になっていた筈ですので、段々と他の事に気が付くようになってゆくと思います。

 

猫仙人 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月 3日(火)08時29分51秒
  『禅は全ての宗教の素は=「道徳や倫理」「郷土愛」「生き方」などの一般的宗教側面とはまた違った別の側

面になりますか?或いは同じ側面ですか? 』

と云う疑問を感じているようですが、実のところ。私は全くの素人ですので、私の私見ですという事です(全

ての宗教の素は=「道徳や倫理」「郷土愛」「生き方」などの一般的宗教側面とはまた違った別の側面になり

ますか?)に付いては語る資格がないという意味です。)


鈴木大拙博士の言っている事が、的を射ているようですので、引用をしたいと思います。昔に読んだものです

ので、詳細においては、違っているかも知れませんが、要旨は同じと思って書いています。


人間の天地創造以前の、消息を禅は語っている。人間の心に沸き上がる以前の消息である。従ってキリスト者

であっても、『禅』を学ぶ事で得られるものがあると信ずる。



又、『「道徳や倫理」「郷土愛」「生き方」などの一般的宗教側面』に触れていた事は無いようです。
 

読み難いです

 投稿者:KY  投稿日:2020年11月 2日(月)21時05分10秒
  Intermezzoさんの文字を全てくっつけての書き込みは読み難いです。

鈴木知準先生は日誌で、字が小さいと老眼のため、虫眼鏡で見ないと読めませんと注意書きされます。

神経症が治ると相手の立場に立って配慮が出来るようになります。

Intermezzoさんは良くなってないような気がします。

余談ですが、マインドフルネスと森田療法が似ているんです。
マインドフルネスは精神療法とは違い、過去や未来を煩うことなく、今の自分を感じ取る瞑想です。

不快感を排除せずにそののまま感じ取るということです。
不快に感じるのは、それなりの意味があるということです。
そのままの自分を認めることで、良いひらめきというか方法が浮かぶようです。
 

 投稿者:猫仙人  投稿日:2020年11月 1日(日)12時26分56秒
  管理人さんの言う禅は全ての宗教の素は=「道徳や倫理」「郷土愛」「生き方」などの一般的宗教側面とはまた違った別の側面になりますか?或いは同じ側面ですか?  

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