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斎藤氏は参考になるかも?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 8月26日(日)18時40分58秒
  斎藤氏の言葉には、神経症に対する理解が貧弱な部分(森田療法に対しての理解とか、神経症と精神病をごちゃまぜにしている部分とか、治るといった意味において森田先生とか鈴木先生が未だ治っていないという事)などを挙げる事が出来ると思います。

ですが私が、斎藤氏を取り上げる意味は、『真に治り難い神経症に対して(付いて)理解する事の難しい部分に付いての判断基準が、大変分り難いながらも、大事な部分を再投資として間違った理解をしていた場合等に、私が指摘する事によって、治り行く人の手助けが出来るならと思って書いています。

又斎藤氏が、時々書いていますが『書く事が無くなった。』という意味もあります。私の場合でも同じで、書く事が無いような気がしています。

基本的な斎藤氏の記事の内容は、神経症から抜け出すためには、大変重要な内容が含まれていると思います。身の回りの事を『しっかりした立派な母親とか父親達が、日常の会話とか雑用を取り上げてしまって、』大人になった時に『そう言った場合での対応に苦慮している事も神経症に苦しんでいる人に多いと思っています。』

日常的な雑用とか、会話を、本人に代わって親たちが『し過ぎている、過保護ともいえる環境』の中で神経症が育って行く場合が多いと思っています。


私の生い立ちにしても、小学校の三年生の時に盲腸をこじらせて、肋膜炎を併発した事によって、『医師から見放されて、この子は助からないから大事にしてやって下さい。』と宣言された事から、わがままに育てられることによって、神経症が芽生えたと思っています。

身の回りの事を必要に応じて、小さい時から本人にやらせる事が出来るなら、神経症になる確率は限りなく少なくなると推察出来ます。

神経症のきっかけは、親による過保護と言った面が大きいと思っています。
 

神経症を治すホームページの第二掲示板より

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 8月26日(日)18時05分30秒
  神経症を治すホームページの第二掲示板の投稿文で、まともなものがありましたので、載せたいと思います。


大抵の人の気持ちが代弁出来ているような気が致します。(斎藤氏寄りの人を除いて)という意味です。斎藤氏の気が変わった時点で、多分削除される事になるのかも知れません。

[2174] (無題)
 投稿者: 通行人 投稿日:2018年 8月25日(土)06時58分23秒   通報   返信・引用
第一掲示板の主張を、森田療法を境に別人になれた多くの人の体験と照らし合わせると、
狂った脳というのは主観だけを根拠になんでもしたい断定をする脳である、
ということがよくわかる。
森田療法には価値があるから金を出す財団もあり取り入れる治療主体もある、
という、ググればわかる膨大な事実があるにもかかわらず、
こうした一切を認めず、ただ「森田では誰も治らない」の主観に固執するのは、
脳が狂っているから。
森田療法を境に別人になれた多くの人の体験を、
PCの前に居るだけのくせに「嘘だ 狂いだ」と入力するのは、
脳が狂っているから。
もちろん森田で治らなかった人もいるのかもしれない。
けれど治った人まで治ってない、森田で治った人は誰もいない、とまでするのは、
脳が狂っているから。
脳が狂っていなければ、「私は森田療法では治らなかったが、世には治った人もいるらしい」
といった当たり前の観察も可能になる。


治る=症状で生活がままにならない状態から脱け出て健康人なみに活動できる

この投稿がどのような扱いを受けるかは容易に想像できるが、
それも狂った脳のしわざ。

ってことでここの観察も終了。




 

斎藤さんへ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 8月23日(木)23時00分20秒
  貴方が治るまでの月日では、『 心はコントロール出来ない、神のみぞ知る
この境地に至るまでは、自我の中でもがき苦しみ、心をを自分でコントロールしようとする。 』


と言う様に暮らしてきました。


治った時には、『苦しむ事により、やっと、心をコントロールしようとする事が終わる。つまり、自分の中の意図が消え失せる。 神経症の解決』となったと思いますが、未だにフラッシュバックに入る事を恐れ雑用にすがっている貴方には、理解出来ないかも知れませんね。


↑これを狂いだと思っている貴方は、理解が少し不足していると思います。


もし一般の人が このように考えていたら日本は崩壊する。 生きると言うのは単純であり、楽しい。人の笑顔を見て御覧なさい。 単純な生き方が出来なくなった神経症とは、重大な精神障害なのです。

貴方が47歳までこう言った世界に住んでいたのですね。

貴方が、自分には理解出来ないとしても、私までも狂いの中にいるといった解釈は大変迷惑です。


神経症の中にいる事と、外にいる事の違いを知らないあなたにとっては、鈴木先生と森田先生と、今神経症に苦しんでいる人の違いさえも分からない事を何時も告白しています。

そんなあなたに狂いの中にいると言われることは、鈴木先生と同列に並ぶ事を意味しますので、かえって光栄なのかも知れませんね。
 

りんごさんへ

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 8月23日(木)10時10分14秒
  心はコントロール出来ない、神のみぞ知る
この境地に至るまでは、自我の中でもがき苦しみ、心をを自分でコントロールしようとする。
苦しむ事により、やっと、心をコントロールしようとする事が終わる。
つまり、自分の中の意図が消え失せる。
神経症の解決

*******************************

↑これは狂いですよ。誰もこんな難しい事考えていない。もし一般の人が
このように考えていたら日本は崩壊する。
生きると言うのは単純であり、楽しい。人の笑顔を見て御覧なさい。
単純な生き方が出来なくなった神経症とは、重大な精神障害なのです。
 

りんご 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 8月23日(木)07時32分42秒
  心も身体も仏の借り物 で、苦しむ事により、やっと、心をコントロールしようとする事が終わる。つまり、自分の中の意図が消え失せる。=で神経症の解決 となると思います。

強すぎる自我に苦しむ事が神経症の正体だった事に気が付くと思います。

此処に至って分かると思います。

それにつけても、再投資はこう言っています。

[2115] HNの雑用
 投稿者: 管理人 投稿日:2018年 8月21日(火)13時01分11秒   通報   返信・引用
ちょっとだけ読んだけれど、息も絶え絶えの感じだね。これじゃ、人生どうやって生きていくのだろうか。
生きるとは楽しいのだ。単純なのだ。単純の源は動きですよ。だって我々は動物だから動きが
大儀であったら生きようがないではないか。
健康な人は皆体が軽い。雑用に難癖つけるようだったら、会社は雇いたくないね。

もう一つHNに疑問を感じるのは、自分の神経症が解決してないのに指導することだ。
自分に嘘を言い、他人に嘘を言う。良心の呵責を感じないのだろうか。
神経症であるだけでも地獄なのに、良心の呵責まで背負うとは。私だったら絶対に嫌だね。

考え方は千差万別です、自分だけが正しいと思う事も有るかも知れませんが、それだけでは心が狭いのかも知れません?

当方は現役の社長として会社を経営しています。雑用は全てではないと感じています。

 

(無題)

 投稿者:りんご  投稿日:2018年 8月22日(水)21時49分44秒
  死もコントロール出来ない
死ぬル時が来たら死ぬだけのこと
仏の計らいごと

 

心も身体も仏の借り物

 投稿者:りんご  投稿日:2018年 8月22日(水)21時36分26秒
  心はコントロール出来ない、神のみぞ知る
この境地に至るまでは、自我の中でもがき苦しみ、心をを自分でコントロールしようとする。
苦しむ事により、やっと、心をコントロールしようとする事が終わる。
つまり、自分の中の意図が消え失せる。
神経症の解決
 

毎日、毎日忙しい

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 8月19日(日)07時46分1秒
  毎日の日課をこなす事で、精一杯です。

今日は日曜日です、朝の五時に起きて、コーヒーを一杯飲んだら五時半です。

家内が足を痛めて、約一年近くなっています。

今は毎朝、私が一日分の食器を洗っていますが、30分掛けて終わったのが6時です。

それから着替えて会社に来ています。一日の日課は待って呉れません。

お客様は一部上場企業の食品会社です。日曜日しかメンテナンスとか修理をする事が出来ないでいます。

是から支度をしてその会社に行って仕事をして来ます。

家の掃除は日曜日と決めていますが、いつ終わって帰れるのかが未定です。

何時もの事です。
 

すべて与えられた人生。

 投稿者:自然Yukiko  投稿日:2018年 8月18日(土)22時53分35秒
  皆さまお元気ですか?
お久しぶりです。
酷暑の中生き抜いていますか?
頭がヘンと言われても私は私の与えられた人生を
一生懸命生きています。
ごめんなさい。「★★」さん。
人生って自分が考えるほど難しいものではないって
この頃思います。
豊かさは奪い取るものではなくて
感じるものだと思うのです。
感受性こそが神からの
「愛」
ありがとうございます。
 

投稿者:無為療法は参考にならない。様へ(神経症の完治とは)

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 8月15日(水)10時03分54秒
  神経症は、治ったとしても,又なってしまう事も有りと思います。その理由は『神経症の症状を治そうとする事』が神経症に逆戻りをする事を意味しているからです。

斎藤氏の話を例にするなら、フラッシュバックに入りかけた時、不安を回避しようとする時フラッシュバックが始まっています。


フラッシュバックに入りかけた時『不安から逃げない態度=不安を受け容れて、不安を受容出来る態度』が醸成されているなら、もうフラッシュバックに悩まされる事は無くなっていると思います。是が完治です。

斎藤氏の場合では此処の処がきちっと把握出来ていないために、『神経症には完治、根治などは無い』と主張しています。

完治とか根治などは『神経症には存在しない』と主張している場合では、まだ神経症に付いての理解が不足しているともいえるのかも知れません。

少なくとも、フラッシュバック付きの治りしか理解出来ていない事実が証明していると思います。

不安から離れていたいと思うなら、不安を受容する他に道はありません。神経症の完治を望むならその神経症の『症状を受容してしまって』症状の除去を試みなくなる事が正解と思います。


症状の除去を望まなくなった姿とは、症状に頓着しなくなったことを意味しているからです。この意味は症状が意識に上がる事が無くなった事を意味しています。

症状が意識に上がる事が無くなった姿とは、症状が胡散霧消してしまった事を意味しているからです。

神経症から離れる訓練として、鈴木知準先生は『症状が有ったままでも良いですから、今出来る事にちょろっとでも手を出して行く事を心がける事』を指導して来ました。

雑用療法でも同じと思います。究極の治りとは症状に意識がゆかなくなる事です。此処まで来るなら如何に神経症の真只中と雖も、症状が意識に上がって来る事が無くなっています。

雑用をしていようと、なかろうとも『症状に意識がゆかなくなった状態=意識に症状が上がって来る事が無くなった状態』つまり、症状が有りながらも、症状が無くなった状態=症状の消滅した状態の背景を理解出来た時を完治したと表現すると思います。
 

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