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気持ち?精神?の話です。

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 6日(水)19時44分41秒
  気持ち?精神?の話です。

私は、ふと、人と接している時、自分が物凄く「汚い」と感じてしまい、友人や、家族などに触れることや喋ることが「いけなく」感じてしまう事があります。


ですが、体が何かに「汚された」から汚いのでは無く、漠然とただ、自分の存在が汚く感じ、他人に触れたり、喋ったりしてはいけないと感じてしまいます。
私自身は、手を頻繁に洗ったり等はしないので、潔癖な訳ではないです。


世の中に、私と似たような症状を感じる人はいるのかな?と調べたところ、少し私の気持ちとはズレがあるのですが、「強迫性障害」が近い症状なのかな?と思いました。
強迫性障害の中には細かい種類が沢山あり、その中の思い込みの種類に「潔癖」が存在しました。
この「潔癖」の項目の内容は、「ホコリや、病気で自分が汚れているから、他人に触ることを避けたり、手を頻繁に洗ったり、お風呂に頻繁に入る」と記載されていて、私が言っていることとは、多少ズレがあるなと感じました。


本当に強迫性障害かな?と疑問に思っています。
精神科などで聞くのが早いんだと思うのですが、行く勇気がまだなく、同じ症状になっている人や、こういった方面に詳しい方に、どうしてこう思ってしまうのか、この症状に病名があるのかが知りたく、ここに投稿しました。


よろしくお願いします。



>>>管理人


神経症の中の一症状と思います。神経症には様々な症状が在りますがその症状の発症のメカニズムが分かるなら、理解する事が出来ます。また神経症から離れる(治る)為にも精神科医よりも確かな情報を知っておく必要があると思います。

神経症の詳しいメカニズムを知り抜いて、神経症の治療を行っている人は余りいないかも知れません、こういった中で神経症に対しての詳しい情報が役に立つのではないだろうかと、情報を発信している者です。

神経症にはいろいろな症状が存在していますが、それらの症状は各人の性格によって症状が作り出されている事から、似たような症状は存在していますが、必ずしも皆同じという事は無いようです。

強迫性障害と言っても感じている人、或は演じている人の性格が意識している内容が症状に当たる事から、必ずしも人他のと全てが一致しているという状況にはなっていないかも知れません。

神経症を治すという場合では、症状別な対策とか症状別にやってゆくといった治療手段は無いと思います。

神経症が何であるのかを知って、その対策を根本的に行う以外は、やってゆく努力が無駄に終わる可能性がありますので、神経症の症状が発症する背景を書いてみます。

神経症が発症する原因は幾つかありますが、幾つかの原因を書いてみたいと思います。

最大の原因は『本人の性格による好きと嫌いを強く主張している分別』だと思います、その次は『本人の神経質な性格』を挙げる事が出来ると思います。

この二つの事が相まって『湧き上がる感情とか考えとか、目の前に起きる事柄』の内の何かを特に意識する事になると思います。その意識した事が『症状』に当たります。

貴方の症状は『常に奇麗であれ』と思っているところにあると思います。ですのでそうならないと感じている事柄『キレイではないかも?』が症状に当たっていると思います。

神経症には症状別な対策は反って症状を強く感じたり苦しくなるといった特徴がありますので、他の症状を学ぶ事で、神経症そのものを学ぶ事が出来ます、神経症そのものを学んで、神経症の完治するというものを学んで自分に応用するなら、大変な価値があると思います。

此処では書痙と云った症状を例に挙げて説明したいと思います。或る時人の目が気になったのか或は自分が自分の手の動きに違和感を抱いたのかは分かりませんが、手の震えが気になってしまいました。家に帰って人が見ていないところで字を書いてみましたが、やはり手が震えています、手が震えないように意識して頑張って書いてみますが治りません。

今度は両手で字を書こうとしますが書く事が出来なくなってしまって途方に暮れています。この手の震えが手術をする立場の医師だとしても、途方に暮れると思います。

人間の身体も心も意志の力で動かそうとした場合にはこう云った状態になる事が在ります。この事を『神経症』と呼んでいます。余談ですが、人間の身体の機能を意志の力で機能させようとする事が在りますがこの場合を自律神経失調症とか過敏性腸症候群と呼んでいるようです。自分の意識を過度に集中させている事が原因になっています。

それでは書痙が治る場合を書いてみたいと思います。二通りの治り方があると思います。書痙の直接的な原因とは『意識VS無意識』の交替制が崩れた事を意味しています。身体を動かしていて身体が自由になっている時とは『無意識の自分』が身体を支配している時です。』

優勝が掛かった一打を打つ場合では『自意識が身体を使っていない時です。』=『つまり無意識の自分が身体を支配している時です。』

従って一つ目の治る理由とは『見性』=『自分の自意識が、無意識の意識と、脳梁の中で出会う体験』です。この体験後では二つの意識の間にホットラインとも呼べる回路が構成されるからです。出番を争う事が無くなるからです。

もう一つの治り方は、書痙を治したいと計らって、計らって計らいが尽きる時です。治したいと、治りたいと、頑張ってみたけれども治らな自分に気が付く時です。自意識では出来ないと降参する時です。その時には『無意識の自分が出て来て解決をしてくれます。』

上手く震えないようにしようといった計らいが無くなっています。自意識で字を書くと云った事と、自意識が引っ込んでいるといった事が分かるようになっています。
 

神経が凄い過敏で緊張するとすぐ手汗でるし、

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 6日(水)19時28分0秒
  神経が凄い過敏で緊張するとすぐ手汗でるし、物音や視界に急に何か入るだけでもビクッと身体が反応します。
筋肉の緊張がすごいです、凝りも。
神経症かもといわれました。
何か良い処方箋は

ありますでしょうか?
今までメイラックス等の抗不安薬、パキシルcrとか試しましたがよくわかりません。ハイにはなっていたかも。
自律神経を整えたり、筋肉の緊張を緩和したりするのに良いものってありますか?
薬は個人差有りますが一般的回答頂ければ幸いです。
薬はその場しのぎでしょうが出来れば根本から解決したいです



>>>管理人


神経が過敏過ぎるのだと思います、そういった場合で幾つかの症状を自分から作り出す場合を、神経症と呼んでいます。健常者と神経症になる人の場合の違いを書いてみたいと思いますので、神経質でありながら、同時におおらかさがある人になる為の心得を書いてみたいと思います。

神経質な性格は、神経過敏で絶えず不安を想定して、身構えているようになっています。

その逆に、おおらかな性格という場合では、身に起きた事に余り頓着をしないでいる人の事だと思います。

その大きな違いは、感じた事とか、身に起こった事とか、湧き上がる感情とか、湧き上がる考えに、余り優劣とか、善し悪しとかを付けないでいる場合が『おおらかな人或は楽天的な人』になると思います。

貴方のように、敏感に身体中で反応をして、何時もびくつく傾向を持っている人の場合では、良い事と悪い事の区別をつける習慣とか考え方が身に付いている事が関係していると思います。

別な言い方をするなら、何事もストレスにし易いといった傾向があるという言い方も可能と思います。びくびくして生きるという事と、ストレスにし易い性格という意味は、同じ意味があります。

その同じという内容は『自分が受け容れたくないものが多くある』という意味です。ストレスという意味は『自分が消化出来ない事から、受け容れたくない』という意味に通じています。

同じくびくびくして、少しの事にでも過剰に反応してしまうという意味は、少しの刺激であっても受け容れたくない気持ちが、先行してあるという意味です。

貴方が今考えている事に対しての、良い方法はあります。それは貴方の選り好みをする気持ちから貴方がつらい気持ちを呼び寄せている事に気が付く事です。

貴方は嫌な事は避けて、自分が好ましい事柄だけが訪れて欲しいと、虫の良い考え方をしています。この考え方を180度変える時、楽天的な人に変身可能になります。

神経症が発症するシステムと、神経症が治るシステムを書いて貴方に変身する為の違いに気付いて頂けたら幸いと思います。

神経症には大変様々な症状が在ります、ですが、症状別の対策は全てが無効になります。その理由を書いてみますのでご自分で考えて下さい。私の書いた事に合点がゆく時、多分貴方は楽天家に変身出来ていると思います。

神経症は、貴方みたいな神経質な性格の人が、自分の選り好みを強く表面に出してしまって、良い事だけは受け取りたいが、嫌な事は受け取りを拒否する事が発症の発端を作っています。

症状の一つに上がり症があります。自分が上がってしまう事が気に入らなくなって、上がらない工夫をするようになる事が症状です。絶えず上がらない工夫をしていますので、やることなす事がちぐはぐになっています。それでいながら『頭の中は上がらない為の工夫でいっぱいになっています。』

上がり症が治る時は、上がる自分を『許す事が出来て=受け容れてしまって』上がるとか上がらないといった工夫よりも『たった今の、目の前の自分のやるべき事を優先するようになってくる場合です。』

吃音という症状が在ります、吃音の自分を許す事が出来なくて、自分の意識を全て吃らない工夫一辺倒当になってしまう事が症状です。ですので発表会などがある時は大変になっています。発表会の演目の内容よりも上がらない工夫の方が大事になっていますので、上がらない工夫をする事で内容は支離滅裂になっています、頭はもう真っ白白になっています。

書痙というものがあります、字を書いている時に、人の目が気になるとか、手の震えが気になるとかしてしまって、字が書き難くなってしまいます。うちに帰ってもう一度書く練習をしますがなかなか上手くゆかなくなっています。その為に今度は両手で字を書こうとしますがやっぱりうまくゆかない状態になっています。

この場合では、意志の力で上手く書きたいと努力をしますが、書けなくなっています、上手く字を書けない事が症状名の書痙という事になります。

まだまだ書き続けるなら、数限りなく症状名はあります。何故なら意識した数だけ症状名が出来上がるからです。

この意識するという意味は『嫌だから受け取りたくない』と感じた事柄という意味です。

『恐い』と感じただけでも大変な症状名が存在しています。高いとか狭いとか、刃物を見た感じ=先端恐怖症と言った具合です。

これ等は感じた事柄に対して『好き嫌いの心を働かせてしまって、心からその嫌いな感情とか想いとか事柄を追い出しを図る現象です。』

神経症が発症する動機を書きましたので、治る為の動機と治らない人の理由を書いてみます。

自分の感じた事柄の中で『受け入れられないとしたもの』が症状に当たります。ですので心から追い出したいと意識をしています、処がこういった意識する事が症状を発症さててしまって、更なる追い出しを図る事で反って『強く心に刻まれてしまって、治るというよりも強く固定をさせる働きをしています。』

こう云った事によって、症状別の対処方法は無効になりますと書いています。症状の除去と云った努力が発症の原点となって、更なる努力が症状の固定をさせています。

従って治らない場合は、『一生掛かかっても症状の改善を図りたい』と望む場合です。症状の除去から神経症の改善を図る場合では、一生治らない事が保証されています。

治る場合では、症状が在ったままでも、生活を続けて行って、何時しか症状が在るとか無くなったとかさえも言わなくなる場合です。

症状が在って悪いとか、症状が無くなったから嬉しいという事を云わなくなって、症状が無くなったとしても喜ぶ事が無くなった時には『完治』しています。

症状とは誰でもが感じている正常な事柄でしかなかったからです。そう云った事が可能になった背景には、善し悪しを言う事が無くなった事を挙げる事が出来ます。

貴方が楽天的でおおらかな性格をお望みなら、むしろ良い事など訪れなくとも良いや!もっと嫌な事よどんとかかって来い、となったならそれだけで十分だと思います。

今の貴方に足りない事は『安心を求める余り、かえって不安を貴方が呼び寄せている。』と云った背景があるからです。
 

醜形恐怖症は精神科に行けば治りますか?

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 5日(火)19時11分58秒
  醜形恐怖症は精神科に行けば治りますか?

最近というか数年前からですが出掛ける前に化粧やヘアセット服のシワが気になって気になって不安になって予定をキャンセルしてしまいます
直せばいいんでしょうけど直しても汚いままな気がして、昔から嫌な事があると睡魔がくるので予定を断って化粧も落とさずそのまま寝てしまいます
この前の友人とのご飯も雨が降っていて髪が湿気で広がって乱れて耐えられなくて電車に乗ったところで断りました
このままだと友人が減ってしまうのは目に見えてるのでこれを直したいです
醜形恐怖症じゃなくても何か薬で治りますか?精神科に行ったとしても理由を話すときこの顔でこんな悩みを言えるかどうかもわかりません



>>>管理人


醜形恐怖症は神経症の症状の内の一つです。神経症には大変多くの症状が存在しています、その理由は『意識したものが全て症状になる可能性を秘めているからです。』そうして神経症は、多分精神科に行てっも治らないかも知れません。又薬を処方されたとしても治らないかも知れません、以下がその理由です。

神経症の場合での症状とは、本人が自分の好き嫌いする心が大きくなってしまって、嫌だと思い込んでしまった事柄を症状として感じている状態です。

貴方なら『何時も奇麗でいなくてはいけない』と決めつけている事です。処が誰であっても常に奇麗で居たい気持ちはあったとしても、ちょっとでも油断をしたりスキを突かれたりした場合では、思い通りに行かないかも知れません。

貴方の場合ではこういった事が許されない最大の重要事項になっています。本来であるなら人との約束が最大重要事項でありますが、大事な事が逆転しています。こういった価値観の変更が元に戻った時が貴方の治った時になります。

神経症の症状が発症するメカニズムです、是は貴方が嫌っている事を『貴方が感じた瞬間』に貴方の心が、自分の心から追い出しを図る事で発症しています。

貴方の事を貴方の症状で学ぶ事は貴方にとっては受け入れられない事が在るかも知れませんので、他の症状で説明しますので応用編として自分で考えてみて下さい。

症状は違っていても発症する原因は『本人の好き嫌いする心』が原因ですので、症状別な対策は反って治り難い事を誘発する事になるかも知れません。ですので吃音を例にして説明したいと思います。

吃音は或る時どもってしまっている自分を発見してしまって、どもらないようにしようと特に意識し始める事から発症が始まっています、そうやって意識している場合では『却ってどもる機会が多くなっています。』

頭の中はどもらない工夫でいっぱいになっています、何をおいてもどもらないでいる事を最重要課題として取り組んでいます。『心の中はどもらない工夫でいっぱいです。』

絶えず頭の中は『どもってはいけない』の意識地獄に陥っています。誰と話をしていても、先生に指名されて話をするにしても、話の内容は上の空で心此処に在らずで『どもらない工夫一辺倒』になっています。

何をやってもちぐはぐになっています。吃音の原因は(『意識と無意識の交替制が崩れてしまって、交替するタイミングがつかめないという理由があります。』)こういった理由はここに於いて置いて。

吃音が治る時は、『誰でもどもったり、口ごもったりする場合位はある』事が分かって、どもったり、どもらなくなったりする事に一喜一憂する事が無くなった場合です。その時にはどもったこととか、どもっていなかった事さえも忘れ果てています。

どもるとか、どもらないとかを考える事さえなくなっています。どもっても良しどもならくなっても良し、になっています。この背景は『吃音である自分を許す事が出来て、吃音が出なかったとしても喜びを感じなくなっているからです。』


この吃音を『醜形恐怖症』と入れ替えた場合が貴方が治った姿です。毎日の生活の中で『時間がある時には丹念に化粧をして』デートをするなら猶更時間を取って化粧をして。時間がない時には臨機応変に対応が出来るようになっています。

自分の奇麗さにも年齢とか、時間が許すとか言った要素も加味しながら、だんだん自分に在った化粧の仕方を工夫する事も貴方にとっての学びとなります。

なお、『醜形恐怖症』になる人は奇麗な人が多いと言われていますので、すっぴんだとしても本当は人が羨む様な人かも知れませんね。
 

寿司 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 5日(火)13時31分54秒
  お釈迦様はインチキは許さない と思われますがいかがでしょうか

お釈迦様は、正直者だと思います、馬鹿が付くほど正直者だと思いますので、激しく怒ったと思います。お釈迦様の性格は大変きつい性格だったのではないのだろうかと推察出来ますのできつく叱られたと思います。
 

m 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 5日(火)12時18分33秒
  繰り返しになりますが、『症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言わないでいる事です。』

この繰り返しの生活の中で、本当に『、症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言う必要が無くなるようになります。』

独りでに、治った姿になっています。症状が在った事とか、症状に悩まされたことも忘れるようになります。そうして治った事さえも忘れています。

それが完治した事を意味しますが、頭の中を探すなら『症状はあります。』処が症状としての作用をする事が無くなっています。症状は夢、幻となって消えています。
 

お礼

 投稿者:  投稿日:2019年 2月 5日(火)11時54分35秒
  早速お返事ありがとうございます。
了解しました。
他の強迫観念同様の対処でよいとのことですね。実際他の種類の経験した症状は治らずして治ったという感じです。ただどこかで今の症状だけを特別視しているように思えます。

実は、最近はもう治ることはないと頭の中で徐々にわかりつつあります。しかし、なかなかそれを受け入れきれない自分がどこかにいます。やはり知的理解だけでは難しいのでしょう。
不問の苦しみの中で勝手に治ることがないということが自分の中で了解されていくというようなイメージでよろしいでしょうか。
 

m 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 5日(火)11時33分44秒
  神経症は症状こそ多岐に渡っていますが、原因はたった一つだけです。ですので症状別に対処方法が存在するわけではありません。貴方の症状も、違った形の強迫観念も書痙でも吃音でも対処の仕方は皆同じです。

森田療法の奥に存在しているものは、『症状はまやかしであって、症状を構っているな!』です。不問という意味はこういった趣になります。

症状が発症する原因も、治って行く事も、治らないでいる事も同じ事が関わっています。

逆に治った姿とは『症状を構わないでいる事』です、症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言う必要が無くなる事が治った事を意味します。

ですので不問療法の内容は『症状を構わないでいる事』です。症状が出たから悪いとか、症状が出なかったから嬉しいとかを言わないでいる事です。

貴方にとっては辛い事かも知れませんし、貴方の意には添わないかも知れませんが、貴方の(誰であっても)症状は治る事はありません、この治らないという事を了承したうえでの不問が一番効果があります。

症状が取れるとか、症状の軽減を図る為の不問はあまり効果がありません。

もう症状は無くなる事は無いと思って不問に励んで下さい。本当に症状は無くなる事など無いのですから。
 

(無題)

 投稿者:寿司  投稿日:2019年 2月 5日(火)09時45分20秒
  お釈迦様はインチキは許さない
と思われますがいかがでしょうか?
私個人の意見はお釈迦様みたいな
人はインチキを振りまくと
激しく怒ったと思われます。
HNさんの見解を聞かせて頂きたい。
 

数にまつわる神経症

 投稿者:  投稿日:2019年 2月 4日(月)21時37分53秒
  24歳男です。現在医学生で春より医師になるものです。
長文で申し訳ございません。あるサイトで神経症への理解が大変深い方が運営されているブログがあると伺いこちらに投稿させていただきました。

私は、中学2年時より耳鳴り、醜形恐怖、不眠恐怖、加害恐怖、先端恐怖、精神病恐怖等数にして30にも及ぶ多様な強迫観念に苦しんできました。1つ解決すればまた新たな問題が一つ現れるという形で結局神経症から抜けられず過ごしてきました。1つを除けばこれらはほぼ凡て解決していますが、現在、ある強迫観念に寝ている時間を除いてほぼ一日中苦しめられ、その状態が1年続き非常に苦しんでおり、改善の兆しも見えません。
その強迫観念とは、視界に入るものの個数が気になってたまらないというものです。物の数を数えたくなるのは四六時中のことですが、急に気が狂って永遠に数を数え続けるのではないかという発狂恐怖のような考えもあります。1年前、偶然、ネット上で視界に見えるものの数を数え上げなければ気が済まないという症例が目に入り、自分もそうなったらどうしようか、恐ろしい、消したい、忘れたいと頑なに願ったことで発症してしまったのだと思います。強迫観念を打ち消すために永延と数え続けたり、観念を抑圧してみたり、自分は治ったと暗示をかけてみたりしましたが全て徒労に終わりました。
昨年夏、この数に関する症状と、倉田百三氏の連鎖恐怖に非常に類似した症状により勉強不能になり、カウンセリングにかかったのをきっかけに森田療法を知り、森田先生、高良先生、鈴木先生の本、及び強迫性障害に関する書籍を何度も読みました。自分のことが書かれているように思え、自分は森田神経質そのものだと思いました。自分なりに実践し、後者の症状はほぼ解決し一応日常生活は遅れるようになったのですが、数を数えるこの強迫観念についてはいまだ治らないままです。つい、不安になるとインターネットで神経症や強迫性障害に関する情報を検索してしまったり、症状を口にしてしまったりします。苦しみが永続するのではないかと思い、耐え切れなくなってしまいます。また、数を数える症状だけは特別で何をやっても駄目なんじゃないか、自分の脳が特別おかしいので自分は何をやっても決して救われないのではないかとも考えてしまいます。医学生として精神科を見ても、正直対処療法に終始しているイメージしかなく、実際精神治療で治っている方はかなり少ない印象です。そのため精神科医療にも期待できない現状です。

そこで質問がいくつかあります。
症状を受け入れることの必要性について、今までに解決した強迫観念の経験からも受容が解決につながっているとは分かります。しかし、受け入れよう、受け入れようとしても症状を受け入れることがどういうわけかできません。数えてもいいやということで数え続けていてはこれこそ生活は成り立ちませんし、廃人になってしまいそうです。かといって個数が気になる状態の不快感もなかなか受け入れがたく、自分の頭で何をやっても無理だなと感じているところです。四六時中症状を意識している状態が一生続いたらどうしようかと思ってしまいます。それこそこんな状態が続いたらおかしくなってしまうのではないかとも思ってしまいます。如何にするべきでしょうか。これが治るという心理的根拠が考えられません。
また、一般に神経症関係の書籍では不安を解消する行為をするなと書かれています。この場合、不安になるたびにサイトを検索したり、森田の書籍を繰り返し読んだりすることもやはりよくない行為に該当するのでしょうか。
また、雑用を治すために行えば悪化するという記事を最近目にしました。近々、長期休暇期間に入りますが、その際、特に予定のない日は家事手伝いなどの雑用を行おうと思っています。医師になって強制的に働かされる環境になれば話は別かもしれませんが、こうした行動を行う際、どうしてもこれをしたら治るという下心が心のどこかに入ってしまいます。そうなると、神経症の解決にはこの下心をなくさなければならず不問だけでは不十分なのかもしれないと考えてしまいます。特にすることがない日は敢えてどうしてもその下心がついてしまうので雑用せず、無為に過ごすべきなのでしょうか。それでも、不問を貫き通すだけで十分なのでしょうか。
結局、この問題の解決のために何が絶対的に必要となるのでしょうか。不問だけで十分なのでしょうか。
 

森田療法とは結局「ド根性で我慢する」療法なのですか

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 4日(月)20時40分17秒
  森田療法とは結局「ド根性で我慢する」療法なのですか?

7割くらいは結局我慢する療法だ と言っても違和感ないですよね???

我慢で怖い症状をそのままにしてバンジージャンプしてみろ!ほらこわくなかっただろ?的な感じじゃないですか


>>>管理人


森田療法を2か月間受けて、その4年後に恐怖症が完治した経験があります。今70歳になりましたが、28歳で森田療法を受けました。

振り返ってみた場合にかなり明確に分かる事が在ります。分かる事とは神経症の内幕です。神経症はノイローゼと言っても良いものだと思います。神経症には様々な症状が存在しています。

各症状の間には何の関連性もないように見えているものさえもあります、処がその奥に存在している原因は、全て同じ原因から発症している事が分かります。

神経症が発症するシステムを書いて、治るシステムを書いて、治らない場合を書いて、森田療法がどのような役割を果たしているのかを書いてみたいと思います。

神経症が発症するシステムとは、実に簡単な事です。この事を理解して頂く為には人間の高度に発達した脳の機能を説明すると、説明が容易にになります。

人間の悩みと脳の機能が関係していますので簡単に、人間の悩みが発生する仕組みを書いてみます。人間の悩みとは『心の矛盾』を悩むところに在ります。

その原因は脳の機能に在ります。大人の脳の機能を説明したいと思います。ウイキぺデアからです。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

こういった脳の機能分化が完成する時期は思春期頃のようです。聖書で言うところの知恵の実を食べたとされて、自分の裸をイチジクの葉で隠したとされたころと一致しています。

こういった脳の機能分化が完成される頃、人間の脳内には心が二つに分かれて相争う現象が始まります、つまり聖書で言う処の失楽園と言った現象が始まって『人間に悩みが始まる』という事になります。

人間が一番幸福な事を『天国とか極楽』と表現する場合があります。キリスト教に於いても仏教に於いても同じ見解です。この意味は『心が相争う事をしないで仲良く寄り添っている』からです。

人間に元々備わっている”心”があります。その心とは、安心する事でも不安になる事でも、或は高い所は怖いと思わせたり、狭いところを教えていたりする機能の事です。

好きな人の前では『心をワクワクさせたり』納期が迫って来る時にはどうしようもなくさせてくれている機能の事です。そういった感情が沸き上がる事をさせている機能は、自意識と云った左脳に存在している自意識とは違う意識です。

左脳に存在している人格は、顕在意識とか自意識とか自意識過剰という場合に使う意識の事です。

脳内には意識がもう一つ存在しています。それは右脳の人格=心ですが、機能は全く違っています。脳卒中になって左脳の自分と右脳の自分が交互に支配をした経験を持っている、脳科学者の動画がありますので見て下さい。

URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

この体験は『悟りを開いている』体験を語っています。この体験後では二つの意識は『脳梁の中で、新しい回路構成が出来るために』二つの意識は争う事が無くなります。この体験が『宗教体験』です。哲学的には『絶対矛盾の自己同一』と言う現象です。

この後では仏教徒なら、仏性の前を出しゃばって歩く事が無くなります。常に自意識は控えめに『命の働き』の後からある雇用になります。心の中が限りなく静かになる現象『涅槃』を感じている事を意味します。

キリスト教徒なら、神と出会って神と和解が成立をして、神の前にシャシャリ出る事は無くなります。この姿を『神の僕となる』と表現します。

右脳の機能とは『自意識に全ての生きるための情報を伝えて、感情を湧き上がらせている存在』という事が出来ます。

又この意識は『無意識の底に潜んでいます。』そうして、自意識の前に姿を現す事は無いようです。この事が「精神疾患の原因を分り難くしています。』

全ではこの二つの意識の関係性を『没交渉』と表現しています、その癖に出会った体験の事は『今更お前は誰か?と聞く必要さえも無かった存在』と書いています。もう十分知っていた存在であったという事です。

大人の嬰児という意味は『自分の性をを徹見したために、脳の回路構成がホットラインでつながる』という意味です。処が赤ん坊とは違う、人生が分かっている嬰児です。

神経症の原因とは、この二つの意識がいがみ合った関係性を言っています。逆に言うなら『健常者はこの関係性が良好に行っている場合です。』

例えで説明するなら、書痙というものがあります、この現象は字を書いている時に手の震えなどを感じたりして、手が震えないように『自意識でコントロールし始める事を意味します。』意識して手が震えないようにうまく字が書けるように自意識が身体と心を支配しようとする現象です。

吃音というものがありますが、是も全く同じ現象です。ある種の錯覚が支配を始めてしまう現象と言っても良いのかも知れません。

ノイローゼの現象と云っても良いのかも知れません。地面に引かれた畳、幅が約90センチメートルの上を歩く事が出来ない状態と言ったら良いのかも知れません。

50mとか100m上空に引かれた畳の上を歩くような錯覚で歩く事が出来なくなっている状態だと思います。

自意識から無意識への交替制が順調に行かなくなっている状態を指していると思います。

神経症の発症する原因は『無意識の自分との交替制が出来なくなっている現象』と言っても良いのかも知れません、又恐怖症やパニック障害などでは『送られてきた情報の受け取りをしないようにしている事が原因で、発症しています。』

普通の状態では、そういった情報は送られて、受け取ったら終わりです。処が高いといった情報とするなら、高いといった情報の受け取りを拒否した場合では、送る方の機能は再送をするシステムになっている様です。その場合では再送する時には大きく拡大して送って来ます。是が恐怖症とかパニック障害の引き金になっています。

神経症が発症するシステムを書いてきましたので、今度は治る為とか、治す為の方策です。

神経症の症状は健常者が常日頃感じている感覚とか、感じとかといったものです、処が神経症が発症までになる人では、当たり前の感覚でさえも苦痛に感じ始めている事が原因で発症するようになります。

感じないように、感じた場合では、そういった感覚に対して着信拒否をするようになっています。『意識してそういった感覚を排除しようとしています。』この努力が基になって、更なる感覚が押し寄せています。

こうなったら悪循環が始まります。感じたくない事柄を排除しようとするために意識する事が多くなるといった現象になっています。意識地獄が成立する事を意味します。

さて森田療法の神髄とは、『7割くらいは結局我慢する療法だ と言っても違和感ないですよね???

我慢で怖い症状をそのままにしてバンジージャンプしてみろ!ほらこわくなかっただろ?的な感じじゃないですか? 』


と理解されている部分があるかも知れません、処が微妙に違っています。森田療法の神髄とは『症状は元々なかったもの』と云った立場を取っています。元々なかったものを、無かったものと感じるようにしてくれる療法と言っても良いと思います。

従ってその根幹を為しているものは『症状に対しての不問』です。どんな症状であってもお互いに言わない語らない書きものにしない事』が原則です。

ですので、神経症が治る場合では『症状の消滅を図らないでいる場合が治る場合です。』

治らない場合は『症状の消滅を図る決心とか意志が固い場合です。』この場合では一生掛かっても治る事は難しいと思います。

その理由は、治りたいとか治したい(症状の消滅という意味です。)と云った現象が、発症を促していて、更なる症状の排除を願う心がしっかりと心に固定をさせと云えるからです。

神経症の場合での症状は全てがまやかしです。神経症を治すという意味は『症状を受け容れるとか、症状に付いて善し悪しを言わなくなる事です。

森田療法は、症状の事を不問とする事で、治る時が来たなら『症状が在っても無くなったとしても気が付く事が無くなっています。』

つまり治ったのか治らなかったのかさえも忘れ果てている時『完治した事さえも忘れてしまう』という程神経症には効き目がある療法、と云う事が出来ます。
 

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