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森田療法

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月20日(金)19時53分25秒
  パニック障害の治療として、森田療法は万能ですか?
やはり別の治療法を試したほうがいい場合もありますか?


>>>管理人


森田療法で神経症が完治した経験が在ります、この経験から一言書いてみたいと思います。

神経症は、別な呼び方をするならノイローゼとも云う様です。そして神経症の症状は千差万別です。ありとあらゆる症状として存在していて、それぞれの症状は関係性はありません。

処が症状が、発症する背景や、発症する各個人の性格には、共通性がある様です。

初めに症状に付いて説明します、各症状は、実のところ、誰でもが常に感じている内容です。処が発症した人にとっては、実に耐えがたいものに感じているようです。

誰でもが感じている内容が、発症した人にとっては耐え難いものとして感じられています。

是がノイローゼと云われている所以です。『本人が受け取りたくないとか、感じていたくないとか、感じたくないと思っている内容が症状に当たります。』

ノイローゼの裏舞台を示すなら、今書いた内容の通りです。本人が感じたくなと思う時から『予期不安が発生しています。』

そうしてどうしても症状を嫌って治したいとするところから現実に症状が襲い始めると言う訳です。パニック障害を例にするなら、パニックが襲うかもしれない予感から全てが始まっています。

その時、逃げ場があると思えた場合では、余裕が出来てパニックにならない確率が生まれる様です。ですがその場合で、余裕がないと思って、パニックにならないように工夫をする場合では、大抵、パニックに襲われるようです。

吃音でも説明したいと思います。吃音で何時も悔しい思いで生きていますが、仲間内とか吃音が出ても良いような場面では、比較的吃音が出ないようになっているようです。

ところがここ一番とか、吃音が出ると困ってしまう場面では、どんなに努力をしたところで、吃音になっています。

こういう風に症状が出てしまう原因は、何気なく出来る場合と違う事、つまり『症状として意識して、症状が出ないようにする事から出て困っています。』

神経症の症状は、どの症状を取ったとしても、『人間の意志に反して出ています。』此処の処を利用する、治すための方法があります。

人間の意識性を逆に利用する方法です。症状が出ては困る場面で『症状が出ない事を願う事によって、出ていた症状に対して、症状よ、出よ!』とする方法です。

吃音の人に、舞台の中で『吃音の役が回って来た事が在って、吃音の人が、吃音で話をしようとしても、とうとう吃音が出無かった事がヒントになった方法です。逆説志向と云う方法です。

パニック障害の場合にも効くようです。吃音になろうとしてもなれないと云った方法を、パニック障害にも応用できるようです。

逆説志向がうまくゆく理由を書くと、森田療法がうまくゆく理由と重なります。

逆説志向は、症状になってやろうとする方法です。そうして症状が来る事を願う方法です。是は症状を嫌う事によって『症状を呼び寄せていた事』の逆をゆく方法です。そうして何時しか、症状を受け入れる事に繋がっています。

神経症の治りは『症状の受容』だけが、治る為の条件です。

また森田療法の神髄とは『不問療法』です。症状が在ったら悪いとか、症状が無くなったから良かったと云った事を、一切言わないでいる事によって、治ってゆく方法です。

森田療法は、症状の事を一切口にしない生活の中で、症状が在ろうが無かろうが、一切構わずに、淡々と生活を優先させてゆく治療方法です。

他の言い方をするなら、症状の有無を云わない事で、症状が在るとかないとかを云わない人間性が育っています。

こう云った生活の中で『症状が在ろうが無かろうが、症状が出ようが出なかろうが』一切関係ない暮らしの中で、何時しか症状を受容する事が出来て来ます。

貴方の場合でも、パニックが出ようが、出なかろうが、もうどっちだっても構わないとなった場合では『パニックの症状を受け入れています。』

従ってパニックの症状が在っても無くともどっちでも良くなっています。ここまで来た時を神経症が完治したと表現します。

その時には、パニックになった事も、治った事もすっかり、忘れ果てています。頭の中にはパニックの事が、在っても無くても『意識には上がってこなくなっています。』これが症状の消滅です。

森田療法は、症状が在りながら、症状ではないものに変化させる事が出来る療法です。

云い方を変えるなら、症状が治らない(なくならない)事を了解させる療法と云う意味にもなります。

 

間違いを指摘されると激高する斉藤氏

 投稿者:ぐると  投稿日:2020年11月20日(金)00時23分33秒
  これはよいリトマス試験紙といえるでしょう。
神経症者は、自分の誤りを素直に認めることができない。
自分を脅(おびや)かすものとして必死で否定、反対意見はないものだと思い込もうとする。

逆に治った人は、反対意見を穏やかに受け入れたり、受け流すことができるし、
自分の発言に間違いがあれば、率直に認め反省できる。

今日「神経症第二掲示板」で昨日の私の投稿が削除されていて多少ビックリしたが、
あの投稿、どこが問題なのだろう?。じつにまっとうで正しいことが書いてある。
ところが斉藤にはそのことがいたく気に障ったようだ。
https://9209.teacup.com/dai2keijiban/bbs/8563

あの掲示板ではすべての人が、斉藤から「狂い」だ「地獄」だ罵倒されているみたいだが、
そのさまはまるで「見えない相手に向かって、見えない狂いの銃を撃ち続けている」よう。
神経症というフィルター越しにみれば、まわりがそのような暗黒世界にみえるのだろうか。

いっぽうこちら治った人間にとっては、あの掲示板で投稿が削除されようが、
「狂い」だの「地獄」だの悪口を書かれようが、その位べつになんでもない。
柳に風と受け流すし、反対意見も冷静に読むことができるのである。
 

「わかる」ことの大切さ

 投稿者:ぐると  投稿日:2020年11月20日(金)00時15分5秒
  https://9209.teacup.com/dai2keijiban/bbs/8561

> 鈴木知準先生や道元禅師が、それを、行入派vs理入派と称していたようです。

「神経症第二掲示板」で「理入」と「行入」について書いている人がいるが、
神経症の治りかたは人それぞれかもしれないが、
神経症の治りにこの「わかる」ということがいかに大切か、書こうと思う。

私は「わかる」ことと「治る」ことは同じと考えている。

「治り」には「定着」が必要だと思うが、
この「治りが定着する」とは「わかりが定着する」ことでもあるのだ。

神経症を治すには「わかる」ことではなく「わからないまま作業する」ことが大切だと
いう人がいる。しかしそれは「まったく動けない」人に対していうべきことだ。

げんに「動けるようになって調子がよくなった」といったん報告するが、
その後また「再発する人」があとを絶たない。
このような人は、じつは「わかっていない」からそうなるのである。

自分の神経症について「わからない」状態では、まだ「治った」とはいえない。
たんに「神軽症のことを考えてない」ということは「また必ず思い出す」ということ。

「わからないまま」では常に心にそのことが消えず不安心配がつきまとうし、
挙句のはてには「フラッシュバック」だの「全治根治」はないだのいうことになってしまう。

宇佐晋一に「わからずに居る」という言葉があるが、これはその点では問題があると思われる。

げんに「斉藤の雑用指導」をその通り守って、100回雑用しても治らない人がいるようだし、
いっぽう宇佐晋一の講話を200回聞いても、それでもなお神経症を引きずってる人がいるらしい。
「わからないまま作業に入る」では、そのように治らない人が出てしまう。

人間何ごとも「わからないまま」というのは気持ちが悪い。小骨がのどに引っかかったような
気がするものである。もちろん世の中の物事には「わからないままの状態にならざるを得ない」
ときもあろうが、それは話が別。神経症はきちんと「わからない」と「治った実感が得られない」。
ちなみに小骨をあまり食道に引っかけてると、食道がんになりやすいそうだよ。
それと同じように「心の小骨」があるままの状態は、精神健康にもよくない。

例えばHNさんなども「森田療法」を受けただけでは悩みは消えなかったが、
その後数年たって、ちゃんと「わかって」からはじめて「心の安定」が得られたと書いている。
このように神経症の治りには「わかること」を無視して語れないのである。

だから「森田療法」の作業の「行入」ばかりいくらやっても治らない人は、
もう作業ばかり繰り返すのではなく、方針や考えかたを変えないといけないのである。
「作業」だ「動き」だいっても「修行するぞ修行するぞ」では神経症は治らない。
そのように悲壮な方向にとかく自分を追いつめるのが一部の森田信者の悪い癖だ。

神経症の治りには、この「わかる」ことが不可欠である。「行入」で治ったという人も、
きちんと治った人なら、治りの過程でどこか必ず「わかる」要素があったはずだ。
 

いまさら初心者様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月16日(月)19時12分7秒
  貴方と同じように思います。もしも私が治っていないと仮定した場合では、症状は無くなりはしないとして、半分は諦めてしまって、半分は受け入れてしまうかと思います。

残りの半分は、思い出したように症状に悩まされて苦しむかも知れません。真面目に症状の改善に励む事によって悩みが深くなっている、と云う意味です。
 

猫仙人様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月16日(月)19時05分8秒
  人の目を見て話しをする場合と、人の目を見ないで話しをする場合と、有ります。相手の人が余り自信なさそうにしている場合では、相手に合わせてしまいます。

相手が普通の人であるなら普通に話をします。目を見て話すという具合だと思います。

今の時代では、女であっても、自信満々の人も多くなっているような気がします。個性であるなら、『人の目を見つめて話す女は無礼だ』とは思わないと思います。
 

(無題)

 投稿者:いまさら初心者  投稿日:2020年11月15日(日)20時25分42秒
  神経症は年をとると、軽減してくるのでしょうか?
フッと自分を振りかえってみると
症状自体は、今も昔もあまり変わりはないのですが、
それに対して、あまり悩まなくなってきてるんですが。
 

人の目を見て話す

 投稿者:猫仙人  投稿日:2020年11月15日(日)17時59分20秒
  世の中では人の目を見て話しなさいと教育しています。
管理人さんは人の目を見つめながら会話できますか?
僕は敬意の情から視線をそこはかとなく外して会話します。
なお森田療法の森田先生は人の目を見つめて話す女は無礼だとして
嫌っていました。どちらが正解でしょうか?
ここから視線恐怖症になる人も多いようなのでハッキリさせたいです。
 

(再掲)パニック障害の人は四年制大学にいけると思いますか?

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月15日(日)12時18分18秒
  パニック障害の人は四年制大学にいけると思いますか?高校3年間でもだいぶきつかったので不安です。


>>>管理人


正しいパニック障害の対処の仕方を学ぶなら、大丈夫です。パニック障害は神経症に分類されています、そこで  神経症の正しい知識と、対処の仕方を学ぶなら大丈夫です。


神経症の症状は、様々な症状が在りますが、症状別に対処方法が存在するわけではありません、症状は違ってい ても同じ対処の仕方で治ったり、酷くなったり、治らなくなったりしますので、神経症そのもののからくりを学んで、神経症の完治という意味を知って下さい。


神経症の基礎知識です。神経症とは『意識した事の内、望む事が手に入り難くなる状態を言っています、言い方を替えるなら、いらないと意識したものが、逆に手の中に在るといった状態です。』


その意識した事が症状名を表しています。例を挙げるなら。吃音というものが在ります。『頭の中では理路整然と滑らかに、人が驚くような流暢な日本語で話をしようとしていますが、実際では言葉が詰まってしどろもどろ になって『心此処に在らず』といった塩梅で、どもりまくって、頭の中は真っ白になってしまって話が出来ない状態になっています。



書痙というものもあります、この症状は、人が見ている事を感じながら字を書くといった場合になる事が多いよ うですが、上手に字を書こうと意識をした時、字が書けなくなってしまう現象です。書く事さえ出来なくなった ために、今度は両手でもって、字を書こうと努力をしますが、やっぱり字が書けなくなるといった状態になりま す。


今の神経症の状態に、パニック障害の症状を重ねるようにして書いてみたいと思います。不安になって、その不 安が高じてパニックになる場合が在りますので、『意識をして不安にならないように、或は安心できるように願う時、どうしても不安が襲ったり、恐怖心のとりこになってしまって、にっちもさっちもゆかなくなる状態に陥ってしまって、苦しむ事を言います。


神経症の常ですが、症状を嫌う余り、『意識して、症状が襲ってこない事を願っています。この願いによって 頭の中に予期不安となって、襲い掛かるのが症状になっています。


貴方がパニック障害で悩まなくなるために必要な事を書いてみます。これをすると必ず良くなって、もうパニック障害で苦しむ事が無くなる方法です。


望む事が手に入らないで、望まない事が訪れてしまって困るのが神経症の特徴ですので、貴方がパニック障害の 症状に苦しんでいますので、『パニック障害の症状よもっと来い!』と望む事です。それでもう二度と貴方はパ ニック障害で苦しむ事は無くなります。もしもパニック障害の症状が襲うようなら『パニック障害の症状を望む、望み方が弱い事を意味します。』


そういう態度で臨むなら、貴方には二度とパニック障害の症状は襲う事が無くなります。そうして何時しかパ ニック障害いで苦しんだ事も、治った事でさえもすっかり忘れる時がやって来ます。


そうなった原因は、貴方がパニック障害の症状をすっかり受け入れてしまって、パニック障害の症状が襲ってき ても、襲って来なくなってしまったとしても、貴方はもうそんなことに頓着する事が無くなっているからです。


パニック障害の症状が襲うとか襲わなくなったとかを『意識する事が無くなっているからです。』


意識して症状が来ない事を願う事が無くなった事を意味しています。これが神経症の完治です。パニック障害は貴方が呼び寄せていた”ただの幻の症状”だった事を貴方は実感する事になります。
 

精神医学を知ってる方に質問があります! 私の心の中でどういう反応をしているのか、病名をつけるとしたら

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月14日(土)20時11分23秒
  精神医学を知ってる方に質問があります!
私の心の中でどういう反応をしているのか、病名をつけるとしたらどうなるのかを知りたいです

私は広汎性発達障害を患っていて7年間通院していますが、病院ごとに病名がコロコロ変わってしまいます
今の病院に落ち着いて6年経ちますが、入院2回、パニックを起こして放火、社会に戻ろうとデイケア、地活、事業所、サポステ、習い事…などどうにかして人に慣れようとしてきましたが1ヶ月も続かず人に対する恐怖でパニックを起こしてしまいます
学校も退学していますし、働いたこともなくより社会から孤立しそうで危機感を感じております

対人恐怖症が14歳から始まって、私の中の尺度で人に対してとてつもない恐怖がでます
人と同じ空間にいるだけでパニックを起こしますが、電車の中や人混みは大好きでよく行きます
ここで、矛盾が生じています

人と仲良くなると途端に恐怖に支配されますが、学校の面接や発表などはすごく得意で割と好きです
これも矛盾ですよね

おそらく人が好きなのに人が怖すぎるが故に、人混みで人を感じたいのだと思います

男性が怖すぎて逃げたいのに、告白されたらパッとスイッチを変えて(好きでもないのに)ベタベタくっつきます

男性が怖いので実の親と一緒に住んでいますが7年間喋れなくなってしまいました(元は仲良い)

また、一つの出来事があるととてつもなく感動してしまいます
感動し過ぎるとパニックになって心が支配されて2日間寝込んでしまいます
一つ一つの人の優しさに気が高まりすぎてしまいます

全て私の中の尺度、スイッチで恐怖を感じるか全く平気かが変わってきます
恐怖を感じると2日間寝込んでしまったりするので大変です

このようなことを医師に話すと困った顔をされます
こちらは正直に話しているのに薬だけだして全く解決しません

少ない情報ですが、私の中で何が起こっているのかを言葉にしていただける方はいないでしょうか?普通の対人恐怖症や発達障害と違うのではないかと考えてしまいます

そして、どうしたら治るのか何か情報はないのか…と思います

無職期間がなく学校も行っていないのでとても辛い状況なので、少しでも治療の情報あればお願い致します。



>>>管理人



昔は、パニック障害も、不安障害も、恐怖症も全て神経症に分類されていたものです。

そうして、発症するメカニズムも同じものです。同じ恐怖症でも『対人、高所、閉所、異性、その他諸々』と云った違いは在ったとしても同じ原因から発症しています。

神経症にはこの他にも、吃音、書痙、強迫障害や脅迫行為と云う、全く違った形に見えているものもありますが、原因も治し方も、治ってゆく過程も全て共通しています。

私は素人ですが、恐怖症が32歳で完治して、今はもう40年も経過しています。

この経験から考えてみると、今の精神医学の方向性には反対と云う事を云う外は無いと思っています。

神経症の原因は、当の本人の中に存在しています。科学的なデータを載せて置きます。それから神経症の発症する原因と、治る為の必要事項と、治った後の経過や結果も載せて置きますので参考にして下さい。

神経症の原因は『人間の脳の構造にあります。』

人間の脳の構造です。ウイキぺデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

この中に書いてある、右脳の意識が人間の生命の維持機能です。言い替えるなら『命の働き』です、『仏性』です。

この意識と出会う事を『見性』=『悟りを開く』と表現します。そしてその体験を『手から手へと直に手渡しで伝えられてきたものが』”禅”と呼ばれてきたものです。

釈迦の心を直接『手渡しで伝えてきた』処から仏心宗とも呼ばれているようです。ところが、鈴木大拙博士が存命中には、インドでも中国でも、絶えて無くなって久しいと云っていました。

禅は今や日本に存在するのみ、になったと云っていました。

1,905年生まれで、1,997年に亡くなるまで、精神科医として働いていたウイーン生まれの、V.E.フランクル博士も『知られざる神』という名でのその存在を知らしめようとしていました。

禅の中で語られている『それ』の存在です。仏性です、或いは命を働かせている機能=右脳の機能の事です。

この動画で語られています。無意識の自分の機能と云っても良いです。もし恐怖症とか、不安障害の人であるなら、右脳の意識と出会うなら完治します。

漠然とした不安を、自意識に送っている者です。無明の闇を晴らす時の相手です。

脳卒中になったために、右脳の自分と左脳の自分をうまく表現している動画を載せて置きます。是は1/2ですので、2/2も探して見て頂けるならもっと良く理解出来ると思います。

URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

恐怖症の正体は、『自身の中の怖いと教えている者=右脳の機能』ですが、子供時代では、怖いと教えている者と、怖いと感じている自分の自我が『一体になっていたために』

『只、怖いだけ』と云う風に怖い時だけ怖い事になっていました。ところが大人の脳になった場合では、怖い場面ではなくとも、予期不安とか想像をするだけで怖さを感じるようになってきます。

是が予期不安とか、パニック障害とか、対人恐怖とか、のスイッチを入れてしまって、実際には存在さえもしていない恐怖感に包まれてしまう現象を作ってしまいます。

あれもこれも書いていると分かり難くなると思いますにので、パニック障害を特に詳しく書いて説明したいと思います。

怖いと思わせている情報を、怖いと感じている場合では、普通の事ですが、この送られて来る情報を、振り払ったり、着信拒否をした場合では、どうなるでしょうか?

是がパニック障害の元を作っています。命を守るために、命を働かせている機能が、必死になって危険信号を出しているのですが、自意識である自分の心は、この情報を着信拒否をして受け取りを拒否をしています。

こう云った背景があって、この情報の送り手は、小さな情報が着信拒否になっている事から、この情報を拡大して再送するようになります。

不安を拡大すると恐怖になります。恐怖を拡大するとパニックになります。

こう云った悪循環から、自意識は大変苦しい状態を、強いられるようになっています。この苦しい状態が『パニック障害の裏側の真実』になっています。

高所恐怖症にしても然り、閉所恐怖症にしても然り、吃音にしても書痙にしても同じ現象になっています。

つまり『意識して、避けようとしたり、逃げようとしている事が』症状を作り出す原動力になっています。

次は症状になってしまう場合と、治れない場合と、治る場合の違いを書いてみます。

不安感や恐怖感や、違和感が湧き上がる場合に『心の中をやり繰りをして、消滅をする努力をした場合では』この情報の送り手は、情報が行き届いていない事が分かりますので、大きくして再送をする事になります。

是がすなわち発症する瞬間の出来事です。発症するきっかけの話をしています。

次は治れない場合ですが、症状を感じないように努力をした場合の事を差しています。誰でもが感じている事を悪いものだとして、感じない工夫を心の中でやっています。この場合では何年努力をしても、何十年努力をしても治れない事は保証されています。

現代の精神科医が処方をしている薬は、右脳からの情報を遮断する効能から成り立っています。従って薬の効能が切れた時点で、元の木阿弥になっています。

次が本題である、治る場合や、治す場合の事を書いてみたいと思います。

右脳の機能は、高い処や狭い処や、人に会った印象を逐一自意識に届ける事がその任務です、従って、その場その時の印象を自意識に届けています。

症状と感じていたものは、実は誰でもが感じていたものである事と、分かる事が治った証です。

『今まで症状として感じていたものを、誰でもが感じているものであって、無くなる事は無い』とわかる事が治った証です。

そうなる為に必要な事は、神経症の正体を見破る必要があります。症状を無くしたい気持ちは理解出来ますが、症状の消滅を願う心が見せている錯覚が症状となっています。

症状の消滅を願う事が神経症の正体です。症状の消滅を願う心が、何でもない只の現象を、症状にまで高めています。

治る為に必要な事は、症状の消滅を願わなくなる事です。神経症の治りで症状は自然と消滅します。

神経症の治った姿は、症状の消滅を願う事が無くなった場合だけです。

『症状が在っても、無くなっても喜ぶ事も悲しむ事もなくなった場合だけです。』

症状が在るから嫌だと云った分別が、症状を作り出しているだけだからです。

症状が在っても無くともどっちだっても構わないとなった場合では、もう症状が発症する基盤は無くなっているからです。
 

ぐると様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月10日(火)20時50分47秒
  狂った人間にデカい面をさせるわけにはいかない   、と書いている人の方が『狂っているのではないのか?』と思っています。世界中で神経症が治ったのは、過去においても、現代においても『自分一人だけ』と書いています。

神経症が治った姿には、『治ったから良かったとか、、治らないから不幸だという事は感じなくなります。』

神経症の症状が在るから悪い、と感じて治そうとする事から症状が発症します。

逆な言い方をするなら、吃音でも書痙でも、何の症状であったとしても、治らない事を認めたならそれが治りになります。

治そうとしなくなったなら、症状は消滅します。『意識上に挙げて問題にする事がなくなるからです。』

神経症の症状に苦しんでいる時は、症状が無くなる事に憧れています。この憧れが症状を強く感じさせています。

症状が在るとか、無くなったとかを問題にしている姿が神経症の姿です。

従って症状を問題にしなくなった時には治っていますので、症状が出なくなったとしても嬉しくなくなっています。

こう云った分別を捨てると云う意味が、禅に通じていると思っています。

こう云った分別を振りかざしている、『S』と云う人は治っていないと、分かる人が見たならわかると思います。


『狂った人間にデカい面をさせるわけにはいかない 』とは本当に治った人が、『世界中で治ったのは自分一人だけ』 と云っている人に向かって言う言葉と思いますが。

『トランプに似ている所があって、嘘も繰り返し言い張れば本当に聞こえる。いい面の皮は哀れ神経症者たちであった。』とは、治れない神経症者は、誰の言う事も聞かないと云っていた人が居たような?


 

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