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幸せな面を意識

 投稿者:猫仙人  投稿日:2019年 6月 2日(日)10時12分5秒
  YouTubeの動画検索で霊能者の美輪明宏氏が 良いことを言ってました。
不幸を数えるのを辞めて、幸せな面を意識して感謝するようにすると永遠に
幸せになれるというのです。
どうでしょうか?

https://www.youtube.com/ で下記を動画検索してください。
「美輪明宏が「永遠に幸せでいられる方法」を伝授!「幸せって何?」」
 

高所恐怖症の人は大変に多いだろうと思いますけど

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月31日(金)19時09分45秒
  高所恐怖症の人は大変に多いだろうと思いますけど、中途半端に高いから恐怖なのであって、たとえば大気圏外にまで出てしまったりすれば、高くにいることに対するそれほどの恐怖心は減じるのではないでしょうか。

下のものが細かなところまでよく見えるから恐怖なので、見えにくくなってしまえば、恐怖は減じるでしょう。
どうでしょうか。



>>>管理人


高所恐怖症という事は、この内容(神経症とか恐怖症とかノイローゼ)を精査すると分かる事が在るかも知れません。

本質的な問題点は『自分自身を怖がっている』という事を意味しています。或は人生そのものに不安を抱いているという意味かも知れません。もっと言うなら『自分が感じている”不安”に不安を感じている、又自分が恐怖している事に恐怖を覚えている。』という意味かも知れません。

今書いた事柄に不安や恐怖を覚える場合では、予期不安として、不安とか恐怖を『現実には存在していなくとも』感じているのかも知れません。

この状態をノイローゼと言っていますので、生きている事とか、死が人生に存在している事によって、実際の不安が存在していなくとも、自分の頭の中に作り出して感じてしまう可能性があると思います。

狭い処に居るだけで、不安感とか恐怖感が増してくる場合さえもあると思います。
 

うつ病が普通だと思えば結構毎日良い感じですよね

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月30日(木)20時58分54秒
  うつ病が普通だと思えば結構毎日良い感じですよね?


>>>管理人


神経症の治し方の中には同じような考え方と完治の仕方があります。うつと言ってもノイローゼと言っても神経症と言ってお同じ括りになると思います。

大鬱とか躁鬱病とかになってしまう場合では、精神病の範疇になってしまいますので、ノイローゼとは区別されているようです。

ノイローゼと言う表現で話を進めたいと思います。不安障害とか恐怖症と言った表現を使うなら、完治は存在していると思います。

例えて言うなら『死に対しての恐怖症』というものがありますが、これ等で説明すると理解し易いかも知れません。

頭のなかに死の影がちらついてしまって、絶えず『死を意識してしまって』心が苦しくて苦しくて、意識地獄に入ってしまう場合を云うようです。

この場合では身体も脳も如何なる検査をしても全て、異常無しとなっています、処が本人の訴えは取り下げられる事はありません。

こういった現象を考察した場合では、現代の精神医学とか、脳科学とかの無力さが現実味を帯びて来ています。

そうして心の癒しとかを医師達が実現出来ないもどかしさを感じます。

その原因を考察する時、現代の精神医学自体の、人間の心及び脳の機能及び精神に付いての未熟さが、露呈されるような気が致します。

心の苦しさの原因とか、何故人間の心が苦しくなってしまうのか、と云った研究がなおざりにされていると思うのは私だけでしょうか?

そうして当の精神科医達であっても、他人の心の癒しどころか、自分の心の癒しでさえも習う事無く、精神医療の現場に投げ込まれているのではないのか?と思えます、その結果が精神科医の断トツの自殺率の高さになっているような気が致します。

仏教の根本と言うか、釈迦の悩みの根本は『一切皆苦』です、是は『心が苦しい、或は意識地獄になって、心が休まらない。』と解釈出来ると思います。

そうして極めつけが、悟りを開いて『涅槃寂静』の境涯で遊ぶという事を意味しています。

つまり釈迦の教えには『究極の心の癒しの心理学が盛り込まれている。』という意味になると思います。

心が苦しくなる原因は『自身の心の矛盾とか対立とか分裂によるものを、苦しみとして受け取っている。』という事を意味していて、その究極の癒しの結果とは、『自身の心同士の対話によって、心の矛盾とか対立とか分裂を解消する。』という事です。

人間の脳内に二つ意識がある事は、相当昔に発見されています、ちなみにのの発見が認められてノーベル賞が送られています。参考になると思います。


ウイキペデアからのコピーです。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』


もう一つ紹介します、是は右脳と左脳が交替制を取りながら、健常者としての毎日が無事に過ごされている事を語っています。処が脳卒中になってしまって右脳の自分と左脳の自分が語られている用紙です。是を見た後では神経症の説明がたやすくなります。


又脳内に意識或は人格が二人存在している事をしっかりと証明している、脳科学者の動画を載せて置きます。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジル.ボルト.テーラ脳卒中と検索して下さい。

このように一人の人間には人格が二つ存在しています。この二つの人格の機能が違って、又その違いを知らないで悩んだり苦しんでいる様子を、仏教では『無明=無知』として、人間を励ましています。

動画で語られている内容は、宗教などで語られている神秘主義という事になります。つまりキリスト者なら『神と会って和解をしている最中』という意味です。

仏教徒で、他力本願であるなら『他者によるお助けが来た事』を意味すると思います。つまり弥陀の救いという事を意味すると思います。

禅宗なら、生を明らめ、死を明らめて、生にも死にも執着をするな、つまり生死の問題が解決をしたという意味です。

分かり易く解説するなら、『死の恐怖におののいていた場合では、脳梁の中で右脳の人格』と出会う体験で、『自身中に既に永遠の命が備わっていた事を体感する体験』という意味です。

人間が不安を感じて心が苦しくなる裏側では、実は『右脳の意識=仏性』が助け舟を出している事を意味しています。その助け舟を『自らの手で振り払っている事が、苦しみに相当しています。』


もう一つ付け足すなら、死にたくないと希求する時、同時に命の永遠性も希求しています。この意味は『右脳の人格=仏性』の永遠性が希求させています。

仏性は、生きとし生ける者には全て備わっています。

人間として生を受けた時、或はその前に命を授かった瞬間に細胞分裂は始まっています。その命の営みの全てを知り尽くしているものが『命の働き=仏性』という事になります。

つまり生命発生装置兼生命維持機能と言う機能という意味です。右脳の機能とは人間として生命を維持する働きを、人知れず働いている機能、という意味です。

自律神経失調症症とか過敏性腸症候群とか、検査では異常無しでいながら、本人の訴えがひっこめられる事が無い場合では、全てこういった原因が考えられます。

検査で異常が無い場合では、右脳の働きに疑いを差しはさんでいます、その結果が『心に掛けられる圧迫感=漠然とした不安感』となります。

心の矛盾といったものになると思います、是は『自意識が自身の命の働き』から圧迫くを受ける事になりますので、大変な『生き難さを伴ってしまいます』

心を病むといった場合での圧迫感とか生き難さの原因は『心の矛盾とか対立とか分裂に依っているものだと思います。』

紳士の釈迦の教えを学ぶ中に、究極の癒しの心理学が実現できると思います。動画で語られている通りだと思います。何回も動画を見て下さい。

うつ病が普通だと思えば結構毎日良い感じですよね? と云った質問でしたが、釈迦の心理学では『完治』した心境です、その理由は何処も悪くなかったことが影響をしています。ただ自分が異常と思っていただけだったからです。

それは、自分がこうなった『生き難い想い』を肯定する事が出来なくて『生き難さとして感じていたからです。』死ぬのが怖いといった、恐怖症では、死を恐怖していましたが、恐怖症が完治した場合では『死の受容』が行われます。

死を受け容れる事が出来た段階で『死が意識に上がって来なくなっています。』是が健常者の心の状態です。悪戯に死を意識している場合では『死の受容が出来ないからです。』

死の受容が行われた時点で『死に対する恐怖症は完治しています。』うつも同じです。症状として眺めている間は症状が意識に上がって困っています。症状が受容出来た時、症状ではなくなっていますので『意識には上がって来なくなっています。』此処まで来た時、鬱が完治したと表現します。
 

KY 様有難う御座います

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月28日(火)07時48分7秒
  森田先生の著書には参考になる事がたくさん書いてあるようです。有難う御座います。  

神経質性格について

 投稿者:KY  投稿日:2019年 5月27日(月)22時15分57秒
  神経質性格と一言で言っていますが、では具体的にはどういう性格ですかと聞かれれば、物事に細かくこだわり易いぐらいの認識ではないかと思います。

森田先生の著書に神経質の本態とその療法がありますが、この意味は、神経質性格だと、神経質症状にとらわれ易くなるので、それではどのようにしたら、とらわれなくなるかという方法を教えているのが森田療法です。

ですから森田療法は、神経質性格者の取説(取り扱い説明書なのです)

神経質性格の説明が、形外会の記録に所々載っていますが、以下のとうりです。

一つ、心配性である。物事にはプラス面とマイナス面が一緒になっていますが、心配性のため、マイナス面ばかりに意識が向きやすい。

一つ、執着性が強い。執着性が強いため、あまり重要でないことまで、いつまでも意識が向きすぎて時間をとるため、その反動で重要なことの取り組みがおろそかになる。

一つ、自己内省性(自意識過剰になる)である。そのため相手の気持ちや周りの様子まで気が回らなくなりやすい。

一つ、欲求が強すぎる(欲が深い)。そのため、自分の実力以上のことをやろうとして、上手くいかなくなりやすい。

以上の説明により、神経質性格だと、世の中の認識態度が現実的でない場合が多くなりやすい。

森田療法では、心配性だからもっと良い面をみるようにしなさいと指導する。

執着性が強いから、いつまでも不快な感情を引きずっているので、行動に移せばいずれ自然と不快な気持ちは流れるので、ある程度思い煩ったら、次の行動に移すようにと指導する。

自意識過剰だから、周りや、相手にも意識を向けて、相手の気持ちも察しなさいと指導する。

欲が深いので、自分の力量を自覚して、自分の力量以上のことはやめて、自分の力量に合ったことを実践しなさいと指導する。

一言でいうと、もっと現実的に考えて行動しなさいと指導するのが、森田療法の神経質性格の陶冶です。

森田療法は、症状を治すのもさることながら、神経質者の生き方を教えているのです。
 

(無題)

 投稿者:高校生  投稿日:2019年 5月25日(土)08時42分43秒
  お返事ありがとうございます。参考になりましたm(__)m  

高校生 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月22日(水)22時38分23秒
  医師ではありませんので、余り確かではないかも知れませんが、参考までにという事で書いてみたいと思います。

始めに、無意識の意識について と書いてきた方にです。

意識しないでいる事が出来なくなったようですが、無理からぬ事だと思います。そういう事になってしまうのが神経質な性格だと思います。自分が気に入らないと思った事が気になったり苦になったりして意識し続けてしまう事を神経症と言っています。

対策としては、めちゃくちゃと思うかも知れませんが、無意識になれない事を受け容れてしまう事が貴方にとっての治りです。

無意識の自分に成ろうとする事が貴方にとっての症状です。神経症の場合ではあらゆることが症状になる可能性を秘めています。そうしてその症状が治るという意味は『症状が取れる事は無かった。』という事が分かったり了解出来た時が治りです。

貴方が無意識の自分になりたいと『意識地獄にはまってしまっている事の事実とは』意識する自分でいたくないとか、無意識の自分に成れないでいる事を、受け容れられない事で、意識上に上げてしまって苦しんでいる事を意味します。

貴方にとって苦しい忠告になりますが、貴方の願いはかなう事はありません、処が貴方の願いが叶わない事を納得した場合では、即治っています。

長年の吃音者としても、吃音は治る事が無かったとして、吃音でも仕方がないとして吃音者である自分を受け容れた場合では吃音が完治しています。

神経症は症状が違えども、自分の症状を受け容れた時にしか完治する事はありません。そういった意味で神経症には症状別の治療方法はないと発信しています。

共通の治療方法があるとするなら、『全ての症状に於いて、自身の症状を受容する以外治る事はありません。』


統合失調症は神経症に含まれますか。 と言う質問ですが、私は医師ではありませんので、参考程度に聞いて置いて下さい。神経症と精神病は根本的に違うと思います。

神経症は病識があります、言葉を替えて言うなら『自分はおかしいといった疑いを抱いていると思います。』

統合失調症になった場合では、『自分はおかしい』と云った事は思いつかないで、周りの人がおかしいと気が付くという違いが有ると思います。

神経症には『自分は気が狂うのではないのか?』と云った症状に悩む場合があるようですが、そういった人は狂う事は無いと、フランクル博士は書いていました。
 

神経症の幅

 投稿者:高校生  投稿日:2019年 5月22日(水)13時32分7秒
  統合失調症は神経症に含まれますか。
 

人間の心には「無意識」の世界があるそうですが

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月21日(火)20時20分5秒
  人間の心には「無意識」の世界があるそうですが、それは科学的に証明されているのでしょうか?

証明されているのでしたら、それを証明する最も説得力を持つ事例を教えてください。

また、その無意識に働きかけることによって身体的病気の治療にも効果があると認められれているのでしょうか?

それから、「無意識」の世界は、動物にもあると考えられているのでしょうか?

考えられるのでしたら、その証拠となる事例を教えてください。



>>>管理人



誰でもが眠る事を知っていますが、眠れなくなると勘違いしている現象があります。それを不眠症と言っています。

人間が眠る時、自意識が無くなっています、自意識が完全になくなった時『自意識は身体と心の支配権を、無意識の自分に交替して支配権を預けています。』この現象を眠ると言っています。つまり無意識の自分と交替をしているという意味です。

神経症というものがありますが、その全てに関係しています。神経症はノイローゼとしても全く同じ事です。

吃音とか書痙とかというものがあります、症状としては全く異なっていますが原因は同じです、従って治り方とか治し方も同じです。

人間が話をしたり字を書いたりしている時、厳密に言うなら『自意識は話をするために口を開いたり、字を書くために手を動かしてはいません。』全てが無意識の自分がしている事です。

この事を勘違いして、『自意識とか自分の意志で』口を開いたり手を動かそうとしている事が吃音とか書痙の症状となって現れています。

人間の自意識の機能は、あまり多くはありません。処が勘違いしてしまって自意識が出来ると勘違いしてしまう場合があります。

人間の脳の機能を書いたものがありますので見て下さい。ウイキペデアからのコピーです。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』


もう一つ紹介します、是は右脳と左脳が交替制を取りながら、健常者としての毎日が無事に過ごされている事を語っています。処が脳卒中になってしまって右脳の自分と左脳の自分が語られている様子です。是を見た後では神経症の説明がたやすくなります。


脳内に意識或は人格が二人存在している事をしっかりと証明している、脳科学者の動画です。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジル.ボルト.テーラ脳卒中と検索して下さい。

このように一人の人間には人格が二つ存在しています。この二つの人格の機能が違って、又その違いを知らないで悩んだり苦しんでいる様子を、仏教では『無明=無知』として、人間を励ましています。

この無明の最たるものが『神経症とかノイローゼと呼ばれているものです。』ところが今の小賢しい精神科医達は、神経症の原因は分かりません、と言いながら早く治療を開始するなら早く良くなります、と言っているようです。

処が原因を特定出来ない事柄を、治療しようとしても出来ない事が在るのは明白なのかも知れません、従って精神科医が自分の心の苦しさの解消が出来なくて、医師仲間の中ではダントツの自殺率のトップになっているのは無理からぬ事と思います。



人間の心には「無意識」の世界があるそうですが、それは科学的に証明されているのでしょうか?

証明されているのでしたら、それを証明する最も説得力を持つ事例を教えてください。

貴方が自分の経験から証明出来ると思います。貴方は自転車に乗れますか?乗れるようならこういった経験はありませんか?

乗り初めには、転ぶと恐いという事から『自意識一杯の状態で』自転車に乗っています。乗れるようになると今度は、『自分の心は携帯で話したり、友達と話したりして、自分の心は自転車を乗る為に使う事が無くなっています。』その時は無意識の自分が運転をしています。

遠足などで、友達と話に熱中しながら歩いています。歩く事に自意識(自分の心)は使っていません。無意識の自分が身体を歩かせてくれています。疲れる事は余り無いようです。

処で右脳に存在する意識に付いて少し説明して置きます。この意識(機能)は生まれる以前から全てを知り尽くして活動しています。生まれてから学ぶ必要はないと考えられます。

初めての仕事が細胞分裂だと思います、この仕事は『生命発生装置』と言っても良いと思います。

細胞分裂と云った仕事を無事に順番を間違えていなかったとして、誕生があります。誕生後には循環器系統も呼吸器系等も立派に動かし得ています。ホルモン系統も神経系統類も全ての生命維持機能に付いて、間違える事なく順調に機能させています。

寝ている間でも起きている間でも、一時の猶予なく、順調に生命の維持活動をしてくれています。

思春期頃から脳の機能は大人の脳になって、機能分化が完成に近くなっています。そうして中二病と呼ばれるようになる頃に、脳の機能分化は完成するようです。

今まで一つの者として働いていた『心』は、次第に二つの機能(心)になってしまって機能は始まるようです。

その極めつけが『自分は何者か?或は人生とは何ぞや?』となって湧き上がってくる疑問です。おまけに心が二つになっている証拠として、見ている自分VS見られている自分と言う風になって来ます。

それが原因で、自分の裸を見られたら恥ずかしいとなっています。リンゴの実を食べたせいではなかったのです。

心が二つになって相争う状態が始まったという訳です。それは『漠然とした不安』となって現れる事も有ります。つまり罪悪感と言う現象です、或は原罪を背負ったと表現するかも知れません。



また、その無意識に働きかけることによって身体的病気の治療にも効果があると認められれているのでしょうか?

この答えが『無明』に対しての結果です。動画に在る通りですが、心の矛盾の解消という事です。自身の性を徹見するという意味です。

自身の性を明らかにする=見性するという意味です。脳梁の中での出会いです。

この体験は宗教的には『神秘体験』と呼ばれているものです。誰でもが体験可能な事です、何故なら右脳(命の働き=仏性)を持っていない生命体は存在していないからです。



それから、「無意識」の世界は、動物にもあると考えられているのでしょうか?


是は想像ですが、常に無意識だと考えられます。その理由は『自意識を持っていない』と考えらるからです。

人間が考える事なく『咄嗟の行動に出る時』は無意識の行動だと思われます。

又火事場のくそ力、とか、危機一髪での『自意識が関与していない行動をとっている場合では』当然無意識の自分が身体の支配権を奪ってしまったと考えられます。

スタンディングオベーション等での感動的な行動なども自意識は関与をしていないかも知れません、誰に教えられなくとも出来てしまう本能的な行動時という意味になると思います。



<<<質問者


納得するのに少し時間がかかりそうです。

貴重なご回答有り難うございました。<(_ _)>



質問した人からのコメント


動画を観ましたら、私の体験に近い内容でした。

貴方の回答を充分吟味してはいませんが、最初に回答された方が、回答を削除された事もあり、貴方をベストアンサーといたします。

回答された内容の解らない部分を質問する場合には、また、よろしくお願いします。

有り難うございました。<(_ _)>
 

大疑ありて大悟あり

 投稿者:直人  投稿日:2019年 5月19日(日)10時58分14秒
  自分の昔を振り返った時に、博士の指摘とうり、神経症にかかる前は本能だけで生かされている動物であった様に思う、苦しみは無いが進歩もなかった
神経症になり本能まで自由を失い悪戦苦闘が10年続いたが、「悟り」に導かれて、本能が自由に動く様になった、大きな力を得た様な気がす。
この「悟り」はたしかに、本能が不可思議で適切な働きをする、この本能を上手く操る能力を得たのが「悟り」でもあり、自覚の世界の中で本能を操作している。

神経症が終わった時に、迷いの中身を知り、心に自由がよみがえり、人間の世に怖いものが無くなった、危険は避けるが好奇心と意欲で多くの活躍が出来るようになった。
それをもたらしたのは、神経症の大疑の克服であり、名づけて大悟であり、悟りを得れたと思う、本能の自由な働きに任せば、適切に働いてくれて、ほとんど上手く行く、それを自分の手の中でころがしている様な自覚があり、動物では無い自分があります。

得たものは悟りであり大悟であり、眼に見えない触れないが、自分の心の目には見える、気遅れする事は無く、自由自在に働ける、大きな力を得た
それは新しく何かを作ったのでは無く、本来自分にある能力を100%使える状態であり、その元の本能は自分の物とも思えない見事な活躍をしてくれる
新たに作らず自分の中にこの力を発見できたので悟りだろう、神経症の大疑がありこの大悟を得れたのだ、10年は辛かったが私の人生には必要だった様だ。
 

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