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悟ったという人に会ったことはないという僧侶

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月21日(日)16時34分42秒
  悟ったという人に会ったことはないという僧侶の方の文章を何かの質問投稿サイトでいつか見ました。

実際には、ほとんどの人に悟りは起こらないわけですから、仏教や非二元論などの宗教・哲学というものは、その理論だけでも、いくらか心が楽になるものではないと意味はないと思われますか? 楽になる人もいれば、そうでない人もいると思いますが。

悟りが起こらなければ、楽にならないというのであれば、ハードルが高すぎますし、悟りが起こるまでの人生は苦しむということになり、ほとんどの人に悟りが起こらないという現実を考えるならば、生き方・考え方として、変かもしれません。



>>>管理人


宗教の根本は『魂の救済』だと思います、キリスト教は詳しくは知りませんが、仏教とか、日本仏教などでは仏教に入るきっかけを『人生に無常を感じて』と表現する事が多いように見受けられます。

人生の不安に対して、或は人生そのものを疑問に感じて出家した宗教家が多いと思います。その本家本元の釈迦は『一切皆苦』と人生を、或は毎日の日常を放棄して出家したようです。

この行いは今で言うならば、『家を捨てて、一切皆苦と言う地獄から抜け出すための試行錯誤の旅に出た。』という意味になると思います。

人生の意味とか、疑問とか、不安の解消のために家から出るという意味かと思います。是が出家という意味だと思います。つまり自身の最大の関心事の為に全てを放り出すという事を意味すると思います。

始めに悟りを開くという意味を説明したいと思います。

この『悟り』の意味は脳科学から説明すると理解し易いと思います。

簡単に説明するなら脳内には、『自分の心(機能)』が二つ存在しています。

科学的なデータです。脳の機能は全く違う機能が二つ在って、その上にその機能を司っている主人公はこれまた全く違う人格であるという事実です。

一つは自意識ですが、もう一つは無意識の自分=潜在意識の主人公=身体の調節機能やホルモンの調節や、全ての生命維持機能を司っている機能の主人公と言う配置です。


ウイキぺデアからです。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』


右脳の意識は、意識界の主人公です、人間の苦しみとは『意識地獄』の事を言っています。今で言う精神疾患、或は神経症の諸症状、或は身体的な原因不明とされている不調です、過敏性性腸症候群とかを始めとする原因不明とされている、様々な症状です。

これ等に伴っている事の初めの兆候には『漠然とした得体の知れない不安』から始まっている事が多いと思います。


是は、お互いの脳の機能が争っている事が原因です。漠然とした不安から始まっていると言っても、その争いが激しくなってきた場合では、大変な苦しみを伴う事になる場合があります。

何故ならその原因は『自身の生命維持機能』=『命の働き』から圧迫を受けている事を意味しているからです。

左右の脳の機能が分離して独立した形で人間を支配している様を、脳卒中のために体験していて、上手に表現している動画がありますので、此処に載せてみたいと思います。


URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM


この動画の中で述べられている中に『悟りの真実』があると思います、又涅槃寂静という意味も述べられていると思います。

もう少し詳しく説明したいと思います。

人間は『意識する自分』と『無意識の自分』が、絶えず交替をしながら毎日の恙ない日常が送られています。つまり健常者と言われている人達はこの二つの意識が、常に順調に交替出来ている場合の事を指しています。


逆に健常者ではない場合を書いてみたなら分かり易いのかも知れません。

自意識と生命維持機能が順調に行かなくなるという意味を説明する場合ではもう少し『生命維持機能』を詳しく説明して置く必要があると思います。

右脳の意識(命の働き)の活動範囲が多岐に渡っており一概に述べる事が出来難いのですが、此処では便宜上三つに分けて説明したいと思いますが、この三つの間にも接点が沢山ありますので、必ずしも三つには、分けきれない点も多いかも知れません。


生命維持機能(命の働き)の一つは『自意識の心に働きかけている事』なのですが、心に関係している事柄です。感情を湧き上がらせている事と行動を起こさせている事だと思います。『主に心を病むと表現出来るかも?』


生命維持機能(命の働き)の一つは身体の機能に関係している事柄だと思います。心臓とか肺臓とか胃腸とか、もろもろの生命維持機能という意味です。ホルモンの調節とかも含まれるはずです。『身体的な異常感を訴えている症状群』



生命維持機能(命の働き)の一つは人間の行動に伴う事柄です。主な症状としては『神経症の症状』を挙げると分かり易いと思います。意識する自分が『自分自身の行動に制限を掛けてしまって、自分の行動の自由が利かなくなる事柄を指しています。』


こう言った症状に、自分自身も制約を受けた期間が18年間も有った事から『命の働きの意思』からの圧迫の苦しさを実体験として「生き難さ」として今もしっかりと持っています。


この苦しい想いの体験から、70歳になった今でも、『今苦しんでいる人たちの役に立つことが何かないだろうか?』と思って筆を握っています。


身体的な検査では異常なしであって、現代医学では分らないという状況であった場合でも、本人の訴えは大変つらいものがあります。

現代医学では『原因が分からない状態であっても』薬を処方していますがその薬には、根本原因を解消出来る力は無いようです。只の対症療法として処方されています。

苦しいという事に対する対症療法は麻薬と同じです、次にはもっと強い薬が必要になると思います。

メンタル面が弱いという意味は、小さな不安でさえも気になって仕方がない、という意味です。小さな不安に対しても本人の言う事を大事にして強い薬を処方していたなら、ますますメンタル面が弱くなると思います。


メンタル面を鍛えるという意味は、小さな不安をものともしない人間像だと思います、そうしてメンタル面が鍛え上げられたなら、大きな不安でさえもものともしなくなる事を意味します。


最後になりますが、漠然とした不安感とは『自身の生命維持機能』からの。救いの手です。

人間の苦しみとは”その救いの手”を遮っている事を意味します。

意識する自分が、脳梁の中で交代する刹那に『無意識の自分』と出会う体験を悟りと表現します。

この体験は、有限の自分が『永遠からやって来た事を知る体験』と言う言い方が適切だと思います。既に自分自身は永遠の存在だった事が実感できる体験です。無意識の自分は永遠を知り尽くしている者です。

この瞬間(今までは不安に震えていて、全身に力が入り過ぎていた)身体中から力が抜け落ちて行きます。この体験を身心脱落、脱落身心と道元禅師は表現しています。

禅で言うところの『見性』の意味が全てを語っています。


自我意識に感動を与えたり、突き動かしている存在そのものの意識(意志)と出会う体験が『分自信を知る体験』という事になります。

かなりくどくなってしまって済みませんでした。
 

「世界中の宗教観=世界中の大人の小児願望」

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月20日(土)21時32分18秒
  「世界中の宗教観=世界中の大人の小児願望」
そうでなければ、論理的に矛盾が多いです。

例えその①
ナザレのイエスの身元が不明だが
政治的な圧力を匂わすような
教えだけが後付けで織成している。

例えその②
釈尊は字の読み書きが出来ない?
もしくは、あえて文字で表現しなかった。
どちらにせよ、物的証拠が無いにも関わらず、
根拠すらも示すことなく
ブッタの教えがと平気で言い切る輩が後を絶たない。

例えその③
イスラム教もアッラー(神)を翳し
政治的な圧力を匂わす霊能者が
神の教えと言い切る。

このような話に本来は疑い深いハズのインテリ階級まで
執着心とも言える信仰心を抱くのは何故か?

つまり、「世界中の宗教観=世界中の大人の小児願望」
これならば辻褄が合います。

世界中の大人に残る小児願望は信仰心に置き換わる事で
宗派に関係無く、
そういう信仰体質そのものの根幹が既に万国共通である。
時には、その大人の小児願望が国際情勢を揺るがしている。

如何でしょうか?



>>>管理人



貴方の言い分とは、必ずしも忠実には合わないかも知れませんが、宗教と幼子と言う組み合わせは、宗教の目的とか眼目にはピタリと合っていると思います。

宗教の目的は『魂の救済』だと思いますが、この為の言葉は確かに存在しているからです。

人間が天国から追放される事を聖書では『失楽園』と表現していますが、この意味も詳しく知るなら貴方の疑問に合っていると思います。

失楽園という意味は、天国に一番近い存在であった『幼子』が成長をしてしっかりと自分の考えを持つように成長をしたことに依っています。

幼子と言う存在が天国に一番近い存在という理由は、脳細胞が『単細胞の為に=脳内に自分一人しか存在していない事』がその理由です。


段々と成長して、性徴がはっきりと分かる頃、つまり思春期頃の事ですが、脳の成長に伴って、脳内にもう一人の自分が育ってきます。

今までは、湧き上がる感情のままに生きて来ましたが、その感情にちゃちを入れる自分が育っています。つまり脳内には二人の自分が存在するようになって来ます。

この有様を聖書では『失楽園』と形容しています。心の矛盾とか対立とか分裂に悩み始めるという意味です。

神経症とか精神疾患とか、身体と精神の軋みを悩み始めるという意味です。

この場合での、身体と精神の軋みを悩み始めるという意味は、心身症とか自律神経失調症とか過敏性腸症候群という意味です。


いづれにしても、『自分の脳内での争いを悩む』という意味です。

自分の裸を人に見せる事に、恥ずかしいと言った感情が沸き上がるという表現は『聖書では、イチジクの葉』と言った表現を使っています。

幼子の状態では『心が一つの者として働いていますので』恥ずかしい時は恥ずかしい、と一体になっています。大人であっても、一番苦しい時には『自身が苦しいに成り切っていますので=苦しいという自分を見つめている自分が存在していな状態』になっています。

人間の苦しみとか不幸とか地獄とかは、自身の心の葛藤や内部分裂を悩んでいる事を意味しています。

イチジクの葉の例え話は、自分の裸を『もう一人の自分が冷静に眺めている』という意味ですが、この事は、恥ずかしいという自分を、恥ずかしいと思って眺めている自分の存在を認めているという意味です。

人間の脳内に二つの人格が存在している事を示している文献を載せてみたいと思います。


ウイキぺデアからです。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』

この場合での左脳に存在する意識とは、自我意識です。顕在意識と言っても良いと思います。『我思う故に我在り』という意味の我です。西洋人が主張している我ですが、論理的な思考をして利害得失に敏感な機能を持っている事が特徴です。

もう一言付け加えるなら、この西洋流の考え方(哲学)では世の中は収まらないかも知れない、と言われている所以です。その理由は『見返りを求め過ぎている事』では平和が訪れる事が無いからです。

左脳の得意とする論理的な発想とか、計算高い論理からは、感情までも納得させる事が難しいと思えるからです。


右脳の意識を説明したいと思います。この意識の機能は『生命発生装置兼生命維持機能です。』ところがまたもう一つの働き(機能)を持っています。

21世紀は東洋の時代と言われている理由が此処に在りますが、順番に説明します。右脳の意識は仏教に於ける仏性です、キリスト教に於いては神に相当します。

この右脳の意識は『全人類共通のものです。』お互いに共鳴し合って生きて働いている意識、と言っても良いと思います。

感動する場面で『スタンデングオベーション』をする事が在りますが、こういう事をさせている意識です。例え人種が違っていても、男女の差があったとしても、年齢の差があったとしてもです。


こう言った事が起きる背景をもう少し説明したいと思います。人間としては生まれた瞬間から人間としての全てが整っています。母親に抱かれたなら安心出来る機能を持っています。この機能の事を言っています。

一言で言い表わすなら「人間としての『自意識』を突き動かす者としての機能」です。

寒い時なら『血管を収縮させて、熱が逃げないようにしていながら、心には暖かいところや、暖かい飲み物を探すように指示を出している者』です。

熱い時にはその反対の事を指示している者です。つまり人間を心的に突き動かしている者とも言えます。

高いところを高いと教えています、狭いところも、広いところも教えています。その教え方は言葉に依らないコミニケーション方式です。

又右脳の意識は『無意識界と潜在意識界』の主人公です。自意識に教えている事は『この人と結婚をしたら幸福になれるとか、不幸になるとか』も教えています。

右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかも指示していますが、自意識には理解出来ない時も有るようです。

右脳の意識の機能は、一言で言うなら『生命維持機能』と表現出来ると思います。身体と精神(心)を働かせている張本人と言っても過言ではないからです。

残りが少なくなって来ましたので、そろそろ結論です。


人類の救済が宗教の教えの眼目という意味です。幼子とか嬰児のように生きる事が人間の理想的な救済になるという意味を詳しく説明します。

およそ人間の苦しみは沢山存在していますが、身体の不調、生活の苦しみ、精神の苦しみ、人間関係、金銭関係、など上げ始めたなら切際限なくあると思いますが、根本的なものを中心に説明したいと思います。

天国の反対という意味の事柄を中心に進めたいと思います。それは地獄という事になると思いますが、人間の苦しみは『意識が苦しい=意識地獄』に尽きてくると思います。

意識地獄という意味は、『心の停滞=心が一か所に心が留まっている』という意味になると思います。それも嫌な事に限って頭にとどまっている、という意味になると思います。


考えないようにすればするほど、頭の中に一杯広がってしまうという意味ですが、この状態が意識地獄という意味になると思います。


この状態の反対が『安心=安楽』になると思いますが、言葉を替えて言うなら『自由な心=(嫌な事にも)何事にもとらわれる事が無い心』と言うほどの意味です。


この状態を簡単に説明するなら『涅槃寂静』という意味になると思います。心が静まり返って静かな心持です。

地獄に落ちた心の状態とは、『心の中が言い争いをしていて、大変に賑やかで休まる事が無い状態』と形容できると思います。

これ等の違いとは『心の中で、言い争う事が無い状態』と、『心同士が争っていて矛盾や対立や分裂が生じている状態』とも表現出来ると思います、

それは自分自身の心の中の争いごとを指しています。

心の中で何が起きているのかを示している動画があります、トラブルのために正常に働かなくなった状態を説明していますが、その事がかえって左脳と右脳の意識の働きとか、出てくるところを語っていますので、返って分かり易いかも知れません。

それではこういった体験を脳卒中になって自分で体験した脳科学者の動画です。



URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM
 

「仏」とは、何だと思いますか?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月14日(日)15時25分11秒
  「仏」とは、何だと思いますか?



>>>管理人



仏性の事ですが、誰でもが普通に持っているものです、詳しく説明しても分かる人以外は分からないと思いますが、脳科学的に或は具体的に説明したいと思います。

人間を突き動かしているものです、言い替えるなら人間の生命維持機能と言う言い方も可能です。

寒いところに行った場合では『血管を収縮させて放熱しない様にさせながら、暖かいところや温かい飲み物を欲しがらせている者』と言えばわかるでしょうか?

熱いところに行った場合では『汗を出させるようにしてしかも水分を探すようにその人に指示さえ出している者です。』

その者を『命の働き』と呼んでも可能です何故なら、生命の発生装置も兼用している節もあるからです。

人間でも動物でも植物でも細胞分裂をする事から生命が発生していますが、その細胞分裂でさえも知り尽くして働かせている者と言う言い方も可能と思います。

その者を釈迦は『仏性』と呼んで、一切衆生悉有仏性と喝破した、仏性です。

牛が生まれた瞬間から牛として働く働きを言っています。

蜘蛛なら蜘蛛として、蜂なら蜂として、人間なら人間として働く働きを言っています。桜ならその花の色や臭いや咲く時期までも再現できる働きと言う言い方になると思います。

その仏性を誰でもが持っているのに、『修行しなければわからない事』を疑問に感じて仏門に入ったとされている人に道元禅師がいます。

宗教は世界に沢山の種類があるようですが、言っている事には共通点があります。

宗教の最大の眼目とは『魂の救済』だと思います。言い替えるなら人間を極楽とか天国に導く事を意味していると思います。

魂の救済の反対語は地獄になるのだと思います。

キリスト教での初めての人間の試練とは、「知恵が付く事」だと言われています、その意味は脳が発達をして脳の機能が大人になって行く事を表現しています。

現代でも人間は同じ状態を示しています、それは脳の機能が大人に近づく頃、つまり思春期頃、『自分の裸を他人に見られる事に恥じらいが生まれるという意味です。』

知恵が付くという意味は、脳の機能分化が『完成に近づく事』を意味しています。

この事をもう少し分かり易く表現するなら、人間は生まれたばかりの状態では『牛や馬と同じで』脳の機能は単体として働いています。つまり心が一つしかない状態で過ごしているといった意味になります。

ところが思春期頃になって、心が二つに分かれて来ます。

見ている自分VS見られている自分と言う風にです。この二人の自分の生で『羞恥心や劣等感』や他の感情が生まれて来ています。

人間の脳の機能を説明しているものがありますので載せたいと思います。


ウイキぺデアからです。




『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』


この資料の核は『人間の脳内には二つの『意識}=”人格”が同時に内在している事』です。


そうして自意識は左脳の機能ですが、右脳の機能である『命を働かせている機能であって、無意識を支配していながら、ホルモンの調節や自律神経の調節や様々な生命維持機能を働かせている人格(機能)とは『没交渉』と言う関係性から成り立っています。


左脳の機能は『自意識』の主人公です。右脳の機能は『潜在意識とか無意識を司っている』と表現した方が適切だと思います。

それで、意識と無意識の関係性を説明したいと思います。

魂の救済の反対とは『地獄である。』と先に説明しました。その地獄の状態を一つ表現します。

自律神経失調症とか現代医学では説明出来ない心身症とかは「聖書の中の失楽園」を説明すると分かります。

自意識(左脳の意識)が生命を維持している働きと仲違いした状態を地獄と呼んでも良いと思います。

眠りに入る事を詳しく説明すると、意識(左脳)と無意識(右脳)が交替制を取って成り立っている事が分かると思います、又没交渉の理由も分かると思います、又悟りを開くといった『見性』=自分自身を知る。と言ったメカニック的な事も分かると思います。

眠りに入る時、寝付きが易い人とは、意識している自分が『無意識の自分とすっと順調に交替出来る人の事を指しています。』言い替えるなら天国の近くにいる人、とも表現出来ます。左右の脳の機能がうまく同調出来ている事を意味しています。失楽園とは縁がないという意味です。

眠りに入る事が出来ない人を『不眠症』と言う場合がありますが、意識している自我意識が『無意識の自分』とうまく同調出来なくなってしまって、無意識の自分と交替出来なくなっている場合です。


眠りに入る時『意識が無くなって行って』無意識の自分が身体と心を支配するようになっています。是が睡眠に入ったという意味です。

意識が無くなった時点から、無意識の自分が交替して自分の身体も心も支配しています。従って二つの意識が同時に自身の脳内で活躍する事は無い様になっているようです。

此処が『見性体験』をする人が稀にしかいないという理由ですが、脳梁の中で交代する刹那に出会う場合があるようです。

その時の心持を表現したものに『今更お前は誰かと聞く必要など無かった』と体験者は皆同じく語っています。

もう一つ説明して置くなら神経症とかノイローゼにおける恐怖症の説明です。

聖書の中で人間が『神に疑いを抱いて』天国から追放される、という意味と同じですが、人間の脳内には高いところを高いと教えている者がいます、寒い時に温かいところを希求させているものと同じ者です。

そういった人間を内部から突き動かしている者が神に相当しています。


余り長くなってしまって、結論がぼやけてしまいそうなので、結論を書いてみたいと思います。

それは宗教の最大の目的である『魂の救済』と言った点です。

キリスト教で言うならば『幼子』です。仏教で言っても同じですが、仏教では『嬰児』と表現するようです。

天国に一番近い存在という意味ですが、脳科学的に言うなら『左右の脳の機能が同調出来ている』という意味です。

お互いの脳に存在している人格が、秩序に従って働いているという意味ですが、『神に背かない』と言う意味は、不眠症を例にするなら『無意識の意識の邪魔をしないで=神の僕となって、神に従う』という意味です。

言い替えるなら、『自意識が先頭に立って、生命維持機能と真正面から戦ってきました。』(意識)地獄に悩まされて来ました。

治った後では、自意識の意識はあまり頑張る事をしないで『生命維持機能』にお任せをしています。

自意識では自律神経とかホルモンの調節とか消化機能とかを機能させる事が出来ない事から、もう出しゃばる事が無くなっています。その背景には『自身の命の長さでさえも、もうじたばたする必要が無くなっているからです。』

その理由は『自分の命の長さでさえも、自分の生命維持機能にお任せして、その後に従っていく事にしているからです。』


全てを受け容れる事が出来るようにななる時『人生の救いが成就している事』を脳科学的に体験していたからです。


それではこういった体験を脳卒中になって自分で体験した脳科学者の動画です。



URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM
 

斎藤 様へ2

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月12日(金)07時41分59秒
  治そうとしている事で『症状らしきもの』が生まれています。治そうとしている事が神経症の正体です。

治った後では誰でもが分かる事です。

この事が分からない貴方は、英語でもって世界中に『治っていない事を』白状している事になっていますが、治っていない貴方にはこの事さえもわからない事を『また白状している事を意味しています。』「

それは『神経症は精神病である』という事です。笑ってしまいますね!
 

斎藤 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月11日(木)09時46分49秒
  治そうとしなくなった時点をもって、神経症は治ったと表現出来ます。従って神経症の時から目的をもって生きて行く事は大事と思います。

治そうとか、治りたいとかの願望が症状を作り出しています。

脳の病気ではないと言われる所以です。
 

我々の目的は病気を治す事の一点だけだ。

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年10月10日(水)06時14分24秒
  神経症とは重大な精神障害であり、我々の目的は病気を治す事の一点だけだ。
治った後に、東大入るとか、金持ちになるとか、社長になるとか嘘臭いことを言うな。
神経症、対人恐怖を治したあと、コンビニのアルバイトをやって何が悪い。
むしろその方が現実的で、話に真実性があるだろう。

水は高きから低きに流れる。その逆は決して起きない。
同じで、神経症で狂っている人間の文章は読まない。
しかし彼らは私の文章を読む。気になってしょうがないらしい。

雑用ではなくて仕事をしろかよ。精神病の患者がそんな生意気なことを言ってはいけない。
意識と言う脳の基本部分で混乱が起きているではないか。
自分が二つに割れたような、何かをしようとする時にもう一人の
自分が邪魔するだろう。あれは深刻な事態なのだ。
そのままでは人生は悲劇に終わる。

仕事だなんて言っていないで、今すぐ自分の目の前の何かの開始だ。
これが出来れば健康の証明であり、こんな所に書き込んでいる暇はないはずだ。
 

斎藤は自分の禅体験を書け

 投稿者:無為療法は参考にならない。  投稿日:2018年10月 9日(火)17時45分23秒
  無為療法 禅の講義は参考にならない。

鈴木大拙「禅仏教入門」から
    空手にして私は行ったのに、鋤がわが手にあった、
    徒歩で行ったのに、しかも牛の背に乗っていた、
    私が橋を渡らんとしたとき、見よ、水は流れず、橋が流れていた。

    これは一般には傅大士の呼び名で知られる善慧の有名な偈(げ)であり、禅の学徒が抱く見解を要領よく示したものといえよう。もとよりこれが、禅の教えのすべてを尽くしているとは決していえないが、しかしこれは、禅の志向する道を生き生きと示していると言わねばならぬ。禅の心理への知的洞察を得んと望む者は、それが可能であるとしての話であるが、 まず、この偈(げ)の真意を理解することから始めねばならない。

これを最初に読むと、禅は余りにも突拍子もない事を言うので、普通の人は鈴木大拙の本を読むことを諦めるに違いない。私も他の部分では大拙の意見を理解したが、特にこの部分はあっけにとられた。
しかし最近レディーガガの痛みが幻の痛みであり、対人恐怖、異性恐怖がガガの痛みと同じで、幻の恐怖ではないかの結論に達した時、はたと大拙の文章が理解できた。

;ガガの痛みが幻の痛みと神経症をごちゃまぜにして語る愚かさ


「 空手にして私は行ったのに、鋤がわが手にあった」と言うが、私は対人恐怖、異性恐怖の治療を48歳の時に完全放棄した。

;完全放棄したっていうなら倉田百三と一緒完全でない


実際何が起きるか興味があったが、その後起きたのは、大体対人恐怖、異性恐怖に興味を失ってしまったのだ。どんな美人の前でも、自然な会話を維持しているだろうが、そんな事はどうでも良くなったのだ。対人緊張場面でも、おそらく同じであろうが、そんな事は親愛なる脳に任せておけばよい事で、興味を失ってしまった。

;そんな事はどうでも良くなったのだといまだに気にしていてるじゃないの。これじゃ完全でないと。

結果において、空手で行ったのに、鋤はわが手にあるばかりか、既に牛の背に乗っていて、見よ、水は流れず(恐怖は到来せず)橋が流れていた(会話が勝手にズンズン進んでいた)。禅のとんでもない 偈(げ)が現実に自分に起きていたのである。


まあ、斎藤妄想劇場開幕ですか、とんでも禅だな。

斎藤氏は何でいつもどっかの本ばかり引っ張ってきて思いっきり妄想で解釈し元の本を捻じ曲げるのか、
少しは自分の禅体験を自立して書いたらどうなんだ。


 

犬の矛盾

 投稿者:賛成会KY  投稿日:2018年10月 9日(火)16時55分26秒
  斎藤掲示板第二、犬の発言に苦言しておく


【[2878] 夢兄さん 投稿者: 犬 投稿日:2018年10月 8日(月)13時24分34秒
【夢兄さんが、寂しそうだから、少しだけ、里帰りすることにしたよ。また、海姉さんに怒られてしまいそうだけど。

【解釈の違いということだけど、夢兄さんの解釈も間違っていないと思うよ。
実践の上では、正解だと思うよ。自力では、何事も成し遂げられないというのが、哀れな、ぼくたち、煩悩具足の凡夫。】

仏教が思いのままに行かない現実からの逃避手段になっとんよ、な、このこにとってさ、

それはそうとさ、この犬はよい子演じるなんとか言った精神障害じゃないのかね、海にも夢にもよい子ぶってさ、、

【だから、煩悩を無くそう、神経症を治そうとの意図を持った行動、つまりは、結果を求める行動は、全て、水泡に帰することになる。】

いい加減にさ、仏教的解釈してばかりいないでね、実践とやらしたらええじゃないの、  実践以前に、解釈がどうのこうのってるうちに会社にも遅刻するしお店しまってまうや、

【ぼくが書いたのは、理論的なことで、理論におけるぼくなりの解釈であり、実践の先に待っている、最終目的地。】

空想妄想も斎藤ゆずりかね、実践の先に待っているもんなんてあるとおもってんの、おめでたいね魚川なにがしの本に洗脳されたか?いやはややれやれじゃね、

【実践における正解、理論における正解、
個々人の学びの段階における、個々人にとってのそれぞれの正解、
さまざまな正解がある。】
【だから、お互いがお互いの正解を尊重できるようになるのが、
一番良いんだろうね。】

解釈は正解だろうと誤解だろうと実践とは世界が違う事を犬は理解していないんだよな、

【夢兄さんに足りないのは、多面的なものの見方だと思う。】

見方もおんなじだろよ、 この犬は、シドウ無難禅師を語る資格ないや、シドウ無難禅師を語るのやめえ あつかましわほんま

【じゃ、また、自分のうちに戻ります。】

神経症だかの精神障害でそうでなくとも斎藤のように自閉的なのに、自分の掲示板なんかつくってそこにうずくまってさ、ああ、なんか、そんなのみていていたいさね、


 

犬の広場

 投稿者:白猫p  投稿日:2018年10月 7日(日)00時20分0秒
  [143] 担雪埋井
投稿者: 犬 投稿日:2018年10月 6日(土)14時53分36秒   通報   返信・引用   編集済

担雪埋井


ぼくなりにこれを解釈してみると、
雪で井戸を埋めようとするというのは、煩悩を壊滅させようとすることだと思う。

でも、いくらやったって、煩悩はまったく消え去らない。

なぜかと言えば、煩悩を自力で消そうとしているから。

そこで、他力の象徴として、本物の聖人が現れる。

二人で協力して取り組むことで、
井戸の中の水は次第に冷えていき、徐々に、水の中で雪が溶ける時間が長くなってくる。
そうしていくうちに、水は段々とシャーベット状になっていき、雪が溶けなくなってくる。

そして、最終的には、雪で井戸を埋めることに成功する。涅槃の境地の達成だ。


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   おとぎ話とはこのこった。 仏教は斎藤氏みたいに思い込んで拡大解釈するもんじゃないとさ

神は犬に神聖なる道具を与えたが、その道具を間違って使いたもう故、それにて犬は蝕まれた、たいへんたいへん、さああどうなる事やら、


HNさん助けてあげて
この犬は神経症でいる事で承認欲求を満たしてるんよね

ああ、
神よ
 

「雑用」の変なところ 

 投稿者:無為療法は参考にならない。  投稿日:2018年10月 5日(金)16時57分26秒
  雑用、雑用と連呼するんだけども、その内訳は「トイレ、和室、リビング、キッチンの掃除」どまり、批判されてるように、社会性なく、自閉的って言うけどそういう事ね、自慰行為的さね

雑用、雑用ってさ、けっして仕事とは言わんよね、そこらもね劣等感だよね、雑用、ってわざわざ用に雑をつけるのおかしいとおもわないか
 

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