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こんな間違いを指導している人がいた

 投稿者:直人  投稿日:2019年 6月 4日(火)07時55分59秒
  >森田療法は、神経質性格者の取説(取り扱い説明書なのです)
まったく森田療法を理解しないで、理解しているつもりの、お山の大将の書き込みだろう
森田療法は神経症と言う、心の重大な病気を治癒に導く、医学的な治療技術です
取扱説明などとは、一生病気を抱えた人間が、どう生きるかになるが、そんなお山の大将は多い、常識的理解で森田療法を語り、一生学ぶと言う、これは雑用の指導と大差ない暴挙だ。
森田博士が迷妄から悟りに導く道を考案して指導しているのが、森田博士の理論だ。

>神経質性格だと、世の中の認識態度が現実的でない場合が多くなりやすい。
これは病気になっていればこうなるが、病気が治癒すれば、こういった状態は解決される、その病気治癒をさせるのが森田療法です
>森田療法では、心配性だからもっと良い面をみるようにしなさいと指導する。
心配症だから、心配する心を持ったまま、積極的に現実に挑戦する様に指導する、つまりあるがままに生の欲望を発揮して治癒を得る
>執着性が強いから、いつまでも不快な感情を引きずっているので、行動に移せばいずれ自然と不快な気持ちは流れるので
不快な感情を無くする目的の行動はしない、不快な心を持ったまま現実に向けて力を発揮して人生を成功に導く心を、本人の中に育てる
>ある程度思い煩ったら、次の行動に移すようにと指導する。
排水の陣をひいて、後に戻れず前に向けて進むしか無い環境を自分に与えて生きるべきだろう、即ち現実に100%力を出す環境を作る
>自意識過剰だから、周りや、相手にも意識を向けて、相手の気持ちも察しなさいと指導する。
自意識過剰が病気の症状に他ならない、症状は放置して、自分をその心配な場所に放り込めば、自然に臨機応変の処理ができる。
>欲が深いので、自分の力量を自覚して、自分の力量以上のことはやめて、自分の力量に合ったことを実践しなさいと指導する。
欲が深いので、自分の力量以上の事にもどんどん挑戦して、成功を得たり挫折したりして、生甲斐と誇りの有る人生を歩む
>一言でいうと、もっと現実的に考えて行動しなさいと指導するのが、森田療法の神経質性格の陶冶です。
厳しい環境に自分を置き、厳しい現実の中で生きるように仕向けると、自分の本能がフルに働いて臨機応変の処理をして生きれる様になる、それが治癒
>森田療法は、症状を治すのもさることながら、神経質者の生き方を教えているのです。
森田療法は神経症と言う病気になっている人を治癒させて、満足と生甲斐と持って生きれる様にする。

森田博士はこう言っている、こういった事への体験や自覚(悟り)もなく常識的理解をして、それを人様に啓蒙する愚かをおかしている。
森田博士の著書より
迷い、疑いがあって、しかる後に、これを離脱したものが、「悟り」である。「大疑ありて、大悟あり」というのはそれである。 迷いのないものには「悟り」はない。
神経症にかかる前は「ただの本能だけで、それは微妙ではあるが、ただそれきりで、動物や白痴と同様である。それが一度「迷い」に囚われると、本能の働きまでも、全く自由を失うけれども、さらに悟りを聴けば、全ての本能が自由に働き、その働きが広大無辺になる。

「神経質の人が種々の症状に悩むのは、そのかぎりない欲望に向かって逼進するようになるための過渡期であり、ついには悟りに達すべき迷妄の時期である。それは自分の苦悩のみを誇張して考えてこれに執着し、自分の本来の心を自覚することのできない時期である。それがある機縁にふれることに より、ひとたび生の欲望を自覚して心機一転したとき、はじめて、そこに従来の苦悩が雲散霧消するのである。そしてひとたび自覚を得たのちには、前の苦悩はまるで夢のように思われ、かつて苦悩を去らんがために百方手をつくしたことがいかに馬鹿げたことであったかがわかり、百八十度の方向転換をして、ひたすらに向上心に駆られて勇猛心を起こし、苦痛困難を度外視して、努力奮闘するよう になるのである。それと同時に、いよいよ精神修養に興味を起こし、人格的にも大成するようになる のである。」
 

無限を超える方法はありますか。

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月 2日(日)13時56分49秒
    無限を超える方法はありますか。



>>>管理人




貴方は何でそう思いますか?です。

禅の場合では質問が言葉になった時、その答えは貴方の質問の中に用意されているからです。

人間の疑問とは『心の矛盾の産物』だからです。この疑問を悩みとか苦しみと置き換えても同じです。

人間は思春期頃から疑問を感じたり悩みが生じ始めるように出来ています。子供時代では『自分は何者か?』と考える事は余り無いようです。

それは脳の機能分化の産物だからだと思います。

宗教はすべからくこういった問題を扱っています、その理由は脳の機能に関係が有るからです。

宗教の最大のテーマは『生と死』=『有限と無限』との対立となっています。脳の構造を分かっている研究から取り上げてみたいと思います。

人間の脳内に二つ意識がある事は、相当昔に発見されています、ちなみにこの発見が認められてノーベル賞が送られています。参考になると思います。


ウイキペデアからのコピーです。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』


もう一つ紹介します、是は右脳と左脳が交替制を取りながら、健常者としての毎日が無事に過ごされている事を語っています。処が脳卒中になってしまって右脳の自分と左脳の自分が語られている様子です。是を見た後では疑問とか悩みとか神経症の説明がたやすくなります。


その為に、脳内に意識或は人格が二人存在している事をしっかりと証明している、脳科学者の動画を載せて置きます。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジル.ボルト.テーラ脳卒中と検索して下さい。

このように一人の人間には人格が二つ存在しています。この二つの人格の機能が違って、又その違いを知らないで悩んだり苦しんでいる様子を、仏教では『無明=無知』として、人間を励ましています。

この二つの人格の機能を少し説明します。

左脳に存在する人格は『我思う故に我在り』という場合でも我です。自意識とも言っています、自意識過剰と云った表現をすると最も分かり易いかも知れません。

処が右脳に存在する意識は、兎に角分り難い存在と思いますが、簡単に説明したいと思います。自意識過剰ではない時の心の状態では『心の半分を支えている存在です。』

自意識が働かないで日常が成り立っている場合での主人公です。例えるなら『眠っていて自意識が完全に休んでいる状態の時の、身体と心を支配している機能の事です。』

或は咄嗟の行動時、又は自転車とか自動車を乗っている時などの長時間での運転時などでは、身体中が自動運転モードになっていると思います。自意識が関与していなくとも不通に行動出来ている時などです。

自転車の乗り始め等では、絶えず自意識で運転しています。転ぶ恐れなどから自意識が過剰に働いています。乗れるようになってきた場合では、自意識は他の事を考えたりスマートフォンを操作をしていたりして、『自意識は自転車に乗る努力を無意識の自分に任せています。』

右脳の機能とは『生命維持機能』=『命の働き』を専門の機能として働いています。消化器系統とかホルモン系統とか神経系統などすべての生命維持に関する働きをしています。

行動に関しても同じです、前を見ている場合でも半分の見る力は右脳の意識が握っています。『この人は何か胡散臭いとか、この人と結婚をしても大丈夫か?』と云った事も教えています。

寒い時には暖かいところとか暖かい飲み物を探す指示さえも出しています。人間の心の背後に居て、人間の行動でさえも左右しています。

納期が迫った時にはそのように促しています。恋人との出逢いでは身体も心もそのように反応するように作用しています。

右脳の機能は無意識の意識として作用しています。そうして自意識と交替制を取っていますが、その交代が余りにスムーズに行っていて気が付かないでいる場合を健常者と言っています。

貴方の言っている事『無限を超える方法はありますか。 』は右脳の意識が貴方に働きかけている謎解きです。

その意味は『右脳の意識』=『命の働き』=『永遠の命』を保有している者だからです。右脳の機能は『永遠からやって来て、又永遠に帰って行く存在』という事になります。

右脳の意識は『永遠の意味をしかりと把握しています。』それに引き換え左脳の意識は有限しか理解出来ません。この両者の出会いを『見性』と呼んでいま。動画に在る通りです。

脳梁の中でのたった一回の出会いで、両者の誤解は解けます。禅ではこの出会いを『今更お前は誰かと聞く必要さえも無かった。』と書いています。

是で人間が抱えている疑問は全て氷解します、或は人間が抱えている問題も全て氷解します。

宗教とは『心の矛盾の解消』を語っているものですので、宗教の違いはあっても行き着く先は同じです。

疑問が解消した時に、心のむじゅうんは解消します。『心同士が争っていて賑やかでした、おまけに漠然とした得体の知れない圧迫感を感じています。

こういった問題が解消しますので『心の中が限りなく静寂になっています。』この静まり返った境涯を『涅槃』と形容するようです。

右脳の機能には言葉がありません、その機能が書かせた言葉が、禅問答です。禅問答は『右脳の意識が出てくる以外解決する事はありません。』

自意識では出来なかったと降参すると右脳の意識が出て来るようです・動画に在る通りです。

うつでも神経症でも自律神経失調症でも過敏性腸症候群でも左脳の機能だけで生きて行こうとしている事を意味しています。

主様の場合も同じです、右脳の機能の出番があるなら解消する問題だと思います。

西田幾多郎博士の場合では『絶対矛盾の自己同一』と言いう事につながったと思います。西田幾多郎博士と友人であった鈴木大拙博士も25歳くらいで悟りを開いたようです。

私の場合では鈴木大拙博士の著作集のお陰で、無意識の意識と出会う機会がありました。ご健闘を祈ります。
 

幸せな面を意識

 投稿者:猫仙人  投稿日:2019年 6月 2日(日)10時12分5秒
  YouTubeの動画検索で霊能者の美輪明宏氏が 良いことを言ってました。
不幸を数えるのを辞めて、幸せな面を意識して感謝するようにすると永遠に
幸せになれるというのです。
どうでしょうか?

https://www.youtube.com/ で下記を動画検索してください。
「美輪明宏が「永遠に幸せでいられる方法」を伝授!「幸せって何?」」
 

高所恐怖症の人は大変に多いだろうと思いますけど

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月31日(金)19時09分45秒
  高所恐怖症の人は大変に多いだろうと思いますけど、中途半端に高いから恐怖なのであって、たとえば大気圏外にまで出てしまったりすれば、高くにいることに対するそれほどの恐怖心は減じるのではないでしょうか。

下のものが細かなところまでよく見えるから恐怖なので、見えにくくなってしまえば、恐怖は減じるでしょう。
どうでしょうか。



>>>管理人


高所恐怖症という事は、この内容(神経症とか恐怖症とかノイローゼ)を精査すると分かる事が在るかも知れません。

本質的な問題点は『自分自身を怖がっている』という事を意味しています。或は人生そのものに不安を抱いているという意味かも知れません。もっと言うなら『自分が感じている”不安”に不安を感じている、又自分が恐怖している事に恐怖を覚えている。』という意味かも知れません。

今書いた事柄に不安や恐怖を覚える場合では、予期不安として、不安とか恐怖を『現実には存在していなくとも』感じているのかも知れません。

この状態をノイローゼと言っていますので、生きている事とか、死が人生に存在している事によって、実際の不安が存在していなくとも、自分の頭の中に作り出して感じてしまう可能性があると思います。

狭い処に居るだけで、不安感とか恐怖感が増してくる場合さえもあると思います。
 

うつ病が普通だと思えば結構毎日良い感じですよね

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月30日(木)20時58分54秒
  うつ病が普通だと思えば結構毎日良い感じですよね?


>>>管理人


神経症の治し方の中には同じような考え方と完治の仕方があります。うつと言ってもノイローゼと言っても神経症と言ってお同じ括りになると思います。

大鬱とか躁鬱病とかになってしまう場合では、精神病の範疇になってしまいますので、ノイローゼとは区別されているようです。

ノイローゼと言う表現で話を進めたいと思います。不安障害とか恐怖症と言った表現を使うなら、完治は存在していると思います。

例えて言うなら『死に対しての恐怖症』というものがありますが、これ等で説明すると理解し易いかも知れません。

頭のなかに死の影がちらついてしまって、絶えず『死を意識してしまって』心が苦しくて苦しくて、意識地獄に入ってしまう場合を云うようです。

この場合では身体も脳も如何なる検査をしても全て、異常無しとなっています、処が本人の訴えは取り下げられる事はありません。

こういった現象を考察した場合では、現代の精神医学とか、脳科学とかの無力さが現実味を帯びて来ています。

そうして心の癒しとかを医師達が実現出来ないもどかしさを感じます。

その原因を考察する時、現代の精神医学自体の、人間の心及び脳の機能及び精神に付いての未熟さが、露呈されるような気が致します。

心の苦しさの原因とか、何故人間の心が苦しくなってしまうのか、と云った研究がなおざりにされていると思うのは私だけでしょうか?

そうして当の精神科医達であっても、他人の心の癒しどころか、自分の心の癒しでさえも習う事無く、精神医療の現場に投げ込まれているのではないのか?と思えます、その結果が精神科医の断トツの自殺率の高さになっているような気が致します。

仏教の根本と言うか、釈迦の悩みの根本は『一切皆苦』です、是は『心が苦しい、或は意識地獄になって、心が休まらない。』と解釈出来ると思います。

そうして極めつけが、悟りを開いて『涅槃寂静』の境涯で遊ぶという事を意味しています。

つまり釈迦の教えには『究極の心の癒しの心理学が盛り込まれている。』という意味になると思います。

心が苦しくなる原因は『自身の心の矛盾とか対立とか分裂によるものを、苦しみとして受け取っている。』という事を意味していて、その究極の癒しの結果とは、『自身の心同士の対話によって、心の矛盾とか対立とか分裂を解消する。』という事です。

人間の脳内に二つ意識がある事は、相当昔に発見されています、ちなみにのの発見が認められてノーベル賞が送られています。参考になると思います。


ウイキペデアからのコピーです。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』


もう一つ紹介します、是は右脳と左脳が交替制を取りながら、健常者としての毎日が無事に過ごされている事を語っています。処が脳卒中になってしまって右脳の自分と左脳の自分が語られている用紙です。是を見た後では神経症の説明がたやすくなります。


又脳内に意識或は人格が二人存在している事をしっかりと証明している、脳科学者の動画を載せて置きます。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジル.ボルト.テーラ脳卒中と検索して下さい。

このように一人の人間には人格が二つ存在しています。この二つの人格の機能が違って、又その違いを知らないで悩んだり苦しんでいる様子を、仏教では『無明=無知』として、人間を励ましています。

動画で語られている内容は、宗教などで語られている神秘主義という事になります。つまりキリスト者なら『神と会って和解をしている最中』という意味です。

仏教徒で、他力本願であるなら『他者によるお助けが来た事』を意味すると思います。つまり弥陀の救いという事を意味すると思います。

禅宗なら、生を明らめ、死を明らめて、生にも死にも執着をするな、つまり生死の問題が解決をしたという意味です。

分かり易く解説するなら、『死の恐怖におののいていた場合では、脳梁の中で右脳の人格』と出会う体験で、『自身中に既に永遠の命が備わっていた事を体感する体験』という意味です。

人間が不安を感じて心が苦しくなる裏側では、実は『右脳の意識=仏性』が助け舟を出している事を意味しています。その助け舟を『自らの手で振り払っている事が、苦しみに相当しています。』


もう一つ付け足すなら、死にたくないと希求する時、同時に命の永遠性も希求しています。この意味は『右脳の人格=仏性』の永遠性が希求させています。

仏性は、生きとし生ける者には全て備わっています。

人間として生を受けた時、或はその前に命を授かった瞬間に細胞分裂は始まっています。その命の営みの全てを知り尽くしているものが『命の働き=仏性』という事になります。

つまり生命発生装置兼生命維持機能と言う機能という意味です。右脳の機能とは人間として生命を維持する働きを、人知れず働いている機能、という意味です。

自律神経失調症症とか過敏性腸症候群とか、検査では異常無しでいながら、本人の訴えがひっこめられる事が無い場合では、全てこういった原因が考えられます。

検査で異常が無い場合では、右脳の働きに疑いを差しはさんでいます、その結果が『心に掛けられる圧迫感=漠然とした不安感』となります。

心の矛盾といったものになると思います、是は『自意識が自身の命の働き』から圧迫くを受ける事になりますので、大変な『生き難さを伴ってしまいます』

心を病むといった場合での圧迫感とか生き難さの原因は『心の矛盾とか対立とか分裂に依っているものだと思います。』

紳士の釈迦の教えを学ぶ中に、究極の癒しの心理学が実現できると思います。動画で語られている通りだと思います。何回も動画を見て下さい。

うつ病が普通だと思えば結構毎日良い感じですよね? と云った質問でしたが、釈迦の心理学では『完治』した心境です、その理由は何処も悪くなかったことが影響をしています。ただ自分が異常と思っていただけだったからです。

それは、自分がこうなった『生き難い想い』を肯定する事が出来なくて『生き難さとして感じていたからです。』死ぬのが怖いといった、恐怖症では、死を恐怖していましたが、恐怖症が完治した場合では『死の受容』が行われます。

死を受け容れる事が出来た段階で『死が意識に上がって来なくなっています。』是が健常者の心の状態です。悪戯に死を意識している場合では『死の受容が出来ないからです。』

死の受容が行われた時点で『死に対する恐怖症は完治しています。』うつも同じです。症状として眺めている間は症状が意識に上がって困っています。症状が受容出来た時、症状ではなくなっていますので『意識には上がって来なくなっています。』此処まで来た時、鬱が完治したと表現します。
 

KY 様有難う御座います

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月28日(火)07時48分7秒
  森田先生の著書には参考になる事がたくさん書いてあるようです。有難う御座います。  

神経質性格について

 投稿者:KY  投稿日:2019年 5月27日(月)22時15分57秒
  神経質性格と一言で言っていますが、では具体的にはどういう性格ですかと聞かれれば、物事に細かくこだわり易いぐらいの認識ではないかと思います。

森田先生の著書に神経質の本態とその療法がありますが、この意味は、神経質性格だと、神経質症状にとらわれ易くなるので、それではどのようにしたら、とらわれなくなるかという方法を教えているのが森田療法です。

ですから森田療法は、神経質性格者の取説(取り扱い説明書なのです)

神経質性格の説明が、形外会の記録に所々載っていますが、以下のとうりです。

一つ、心配性である。物事にはプラス面とマイナス面が一緒になっていますが、心配性のため、マイナス面ばかりに意識が向きやすい。

一つ、執着性が強い。執着性が強いため、あまり重要でないことまで、いつまでも意識が向きすぎて時間をとるため、その反動で重要なことの取り組みがおろそかになる。

一つ、自己内省性(自意識過剰になる)である。そのため相手の気持ちや周りの様子まで気が回らなくなりやすい。

一つ、欲求が強すぎる(欲が深い)。そのため、自分の実力以上のことをやろうとして、上手くいかなくなりやすい。

以上の説明により、神経質性格だと、世の中の認識態度が現実的でない場合が多くなりやすい。

森田療法では、心配性だからもっと良い面をみるようにしなさいと指導する。

執着性が強いから、いつまでも不快な感情を引きずっているので、行動に移せばいずれ自然と不快な気持ちは流れるので、ある程度思い煩ったら、次の行動に移すようにと指導する。

自意識過剰だから、周りや、相手にも意識を向けて、相手の気持ちも察しなさいと指導する。

欲が深いので、自分の力量を自覚して、自分の力量以上のことはやめて、自分の力量に合ったことを実践しなさいと指導する。

一言でいうと、もっと現実的に考えて行動しなさいと指導するのが、森田療法の神経質性格の陶冶です。

森田療法は、症状を治すのもさることながら、神経質者の生き方を教えているのです。
 

(無題)

 投稿者:高校生  投稿日:2019年 5月25日(土)08時42分43秒
  お返事ありがとうございます。参考になりましたm(__)m  

高校生 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月22日(水)22時38分23秒
  医師ではありませんので、余り確かではないかも知れませんが、参考までにという事で書いてみたいと思います。

始めに、無意識の意識について と書いてきた方にです。

意識しないでいる事が出来なくなったようですが、無理からぬ事だと思います。そういう事になってしまうのが神経質な性格だと思います。自分が気に入らないと思った事が気になったり苦になったりして意識し続けてしまう事を神経症と言っています。

対策としては、めちゃくちゃと思うかも知れませんが、無意識になれない事を受け容れてしまう事が貴方にとっての治りです。

無意識の自分に成ろうとする事が貴方にとっての症状です。神経症の場合ではあらゆることが症状になる可能性を秘めています。そうしてその症状が治るという意味は『症状が取れる事は無かった。』という事が分かったり了解出来た時が治りです。

貴方が無意識の自分になりたいと『意識地獄にはまってしまっている事の事実とは』意識する自分でいたくないとか、無意識の自分に成れないでいる事を、受け容れられない事で、意識上に上げてしまって苦しんでいる事を意味します。

貴方にとって苦しい忠告になりますが、貴方の願いはかなう事はありません、処が貴方の願いが叶わない事を納得した場合では、即治っています。

長年の吃音者としても、吃音は治る事が無かったとして、吃音でも仕方がないとして吃音者である自分を受け容れた場合では吃音が完治しています。

神経症は症状が違えども、自分の症状を受け容れた時にしか完治する事はありません。そういった意味で神経症には症状別の治療方法はないと発信しています。

共通の治療方法があるとするなら、『全ての症状に於いて、自身の症状を受容する以外治る事はありません。』


統合失調症は神経症に含まれますか。 と言う質問ですが、私は医師ではありませんので、参考程度に聞いて置いて下さい。神経症と精神病は根本的に違うと思います。

神経症は病識があります、言葉を替えて言うなら『自分はおかしいといった疑いを抱いていると思います。』

統合失調症になった場合では、『自分はおかしい』と云った事は思いつかないで、周りの人がおかしいと気が付くという違いが有ると思います。

神経症には『自分は気が狂うのではないのか?』と云った症状に悩む場合があるようですが、そういった人は狂う事は無いと、フランクル博士は書いていました。
 

神経症の幅

 投稿者:高校生  投稿日:2019年 5月22日(水)13時32分7秒
  統合失調症は神経症に含まれますか。
 

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