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HNさんの「鬱病の治し方」についての疑問

 投稿者:ぐると  投稿日:2020年12月16日(水)23時41分55秒
  HNさんが、少し前に、鬱病について、このような「薬では治らず、考え方を変えることが肝要」
という主旨の主張を書いている。短い内容だから誰でもすぐ読める。これは要するに
「神経症の治すのと同じやり方の指南」で、同時にまた「ストレートな森田療法の主張」になっている。
しかし私は、鬱病と神経症では、やっぱりこのように丸々同じにはいかないのでは?、と思うのだ。
https://9019.teacup.com/jinseimondainokaiketsu/bbs/18378

> うつが治るという意味は、症状が有っても無くとも気にならなくなる時です。
>      ・・・(中略)・・・
> 本当の治りは、うつであった事も、治った事でさえも『すっかり忘れ果てている時の事です。』

森田療法とは多少違うけど、加藤諦三という人が「鬱病」について、やっぱり「心理学的観点」から
薬とは無関係な「精神療法的な治し方」の本をたくさん書いていて、amazonなどで検索すれば
4、5冊出てくるが、やはり同様、多くの批判を受けている。レビューをみればわかるが、
加藤の本の中でも、鬱病関連の本は、ほかの本に比べて、評価があからさまに低い。

(これはこの投稿の主旨ではないのでとくに触れないけど)amazonレビューというのはウラで
いろいろあって、いまでは大抵の書籍で、総合点で「3.5点」未満の評価は、基本的につかない
(つけられない、載らない)ようになっている(もちろん加藤の本も大半が「4点以上」だ)。
しかしながら、それでも鬱病関連の本だけは「3点」、中には「2点台」のものがあったりするので、
よほど批判レビューが多いことがうかがえよう。「1点」で酷評している意見もきわだって多い。

その批判の方向は、レビューなどを読むと「おもに2つ」にわけられる。

1つは「あんたは『もっと自分に正直になれ、あるがままの自分であれ』と、やたら繰り返すが、
会社で仕事をするのはけっしてキレイゴトばかりではない。自分を殺して、嫌なことに
付き合わざるを得ないこともあるし、また『疲れたら心を休ませることが大切』といったって、
そんな余裕や暇などない」というもの。これも一理あるものだが、ここの本筋ではない。

そしてもう1つが「あなた(加藤)は、鬱病について、そもそも全然わかっていない」というものだ。
そしてこれは上のHNさんの主張(に対して)も、同様に被る批判だといえそうだ。

もちろん私とて加藤やHNさん同様、専門家ではないから「鬱病の正確な定義」についてはわからない。
ただし神経症、あるいは一般の人が想像したり、ときにじっさいに経験する鬱状態と、
いわゆる鬱病と診断された人の鬱状態の症状には、その性質にかなりの違いがあるようだ。

例えば鈴木知準の本を読むと「神経症の人は、往々にして鬱状態も併発している。
ただし神経症による抑鬱は、どちらかといえば夕方、午後になって、一日の疲れとして出てくることが
多いのに対して、鬱病の鬱とは、朝から午前中に強いことが多い」などと書かれている。
鈴木知準診療所には鬱病に近い患者も入院していたらしいから、
両者を観察すると、おそらくやはり症状、特徴に多少違いがあったということだろう。

斉藤もこんなことを書いているが、なるほどこれも、いわゆる「神経症者の鬱状態」のようだね。
http://mui-therapy.org/symptoms.htm

> (「神経症の状態」より)
> 4 1日が終わると激しい精神的な疲れを感じる
> 1日中妄想との対話に明け暮れて思考が暴走するために、
> 大量のエネルギーを消耗して夕方激しい心理的疲労を感じる

それで上記加藤諦三の批判に戻ると「専門家でもない加藤は鬱病のことを語る資格がない」という
主旨らしく「加藤が書いているような『心の持ちよう』では鬱病は治らない」といっている。

神経症の場合、薬では治らない。「要するに薬は『だましだまし生活する助け』にはなっても、
『根治にはならない。むしろ妨げになる』」といえると思うが、それとは違って、鬱病の人たちの話を
綜合すると「鬱病はそんなに生易しくない。薬を飲まないと抑えられない」といいたげなのである。

要するにかんたんにまとめると、けっきょく「鬱病」と「神経症」には、
似ているようで、じつのところ本質的に全く異なる部分、原因、症状があるようだ。

私なども神経症のときにはよく抑鬱な気分になった記憶があるが、やはりそれは「専ら夕方、
一日の疲れがどっと出た頃合い」のものだった。ああなると確かに、いったんもう何も考えず、
その日は休まないとどうしようもない、ろくなアイデアや方策も気力も湧いてこないものだが、
私も鬱病の人の鬱状態とは、そういった内容とは違うのではないか?、という気がしなくもない。

私はじつは、加藤諦三の鬱病についての本の内容もだいたいは正しいと思うのだが、じっさいに
鬱病の人からすると「全然的外れで実情に沿っていない」と、腹立たしい内容に思える部分が
あるようだ。それと同様に、HNさんの鬱病に対する見解や治し方も、
おそらく鬱病の人からすると「実情にあわない」ということになるのではないか?

そのあたり、本当の所はやはり「鬱病」の人に聞かないとわからない。
此処は神経症がメインではあるが、神経症と鬱病とは、いわば「親類」みたいなものともいえるから、
鬱病の人で読んでいる人がいるかもしれない。そのあたり実情に詳しい人、自分自身が鬱病、
またはそれを治した人がいれば、ぜひこういった内容について意見がうかがえるとよろしいですね。
 

密教系霊魂仏教

 投稿者:猫仙人  投稿日:2020年12月13日(日)05時23分53秒
  学生時代に赤面恐怖対人恐怖全治脱力した瞬間に=既に知らず知らずの内に
心身脱落仏性悟りに出会っていたのでしょうね。あまりに力まず自然に
治っていたので心身脱落悟りに気づきませんでした。お金や異性に縁が
無かったのは、僕が神経症以外に発達障害と分裂病を併発していたからと
思います。森田療法を受けた方々は医師.検事.軍人.大学教授.実業家.
商家等優秀な方が多いようで、その部分が貧乏庶民には馴染めません。
しかし、神は平等でして、発達障害の重荷の代償として禅悟り以外に
密教仏教霊魂の悟り神秘体験を頂き、宗教信仰の新境地を得ました。
鈴木知準先生が尊敬している中村久子先生が密教霊魂的信仰を持っていて、
重度身体障害の辛さを「それでも地獄界の亡者の方たちに比べて人間界に
産まれたので安楽幸福なものであります」と幸数療法されていました。
森田先生や鈴木知準先生も、霊魂仏教密教についても開拓して下さって
いたら良かったのにと思います。また、森田先生のお弟子さんで
強迫観念症の倉田百三氏が密教系神道団体に入った模様です。
森田先生の実家が真言宗密教の霊魂仏教系だったと思うのですが。。。
 

猫仙人 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年12月12日(土)22時28分43秒
  自身の恐怖症を起こしていた者=仏性との出会いで神経症は完治します。という事は、猫仙人  さんは学生時代に神経症が治っていたのだと思います。

ただ気になる事が在りますが、貴方は余りお金や異性には、に縁がなかったようですが、何故なのでしょうか?

私の場合では、家が商売をやっていた関係かも知れませんが、お金にはあまり苦労をしていませんでした、家内は苦労をしていたのかも知れませんが?
 

不安障害って甘ったれですか?

 投稿者:管理人  投稿日:2020年12月12日(土)22時21分11秒
  不安障害って甘ったれですか?


>>>管理人


不安障害は、絶えず頭の中に”不安”を問題にしている事から、症状が発症しています。

不安障害が治った姿は、頭の中に幾ら不安が湧き上がったとしても、沸き上がる自分の不安を問題としなくなった姿を云っています。

言い換えるならノイローゼと云っても良いと思います。現在進行形で問題がある事が問題ではなくて、頭の中で『不安を無くしたいと云った願望』の虜になっている事が問題になっているという意味です。

ノイローゼと云っても、神経症と云っても同じ現象を違う言葉で表現しているに過ぎません。

どちらも同じで、現在進行形で、症状が存在している訳ではなくて、頭の中で、予期不安として不安を無いものにしようする願望が症状を、頭の中に作り出しているという意味です。

神経症の場合では、実は症状は存在していません。

処が神経症真っ盛りの時には気が付きません。自分は、今現在症状に悩まされていると思っています。

此処の処が分かり難い処です。神経症が治った姿を書いて、神経症が治らない姿を書いて、神経症が治れない姿を書いてみたいと思います。


神経症が治った姿です。

症状が出たとしても『症状には振り回されなくなっています。是はイコールで症状が消滅した事を意味しています。』

症状が出ても出なくとも、自分にはあまり関係していないとさえも思っています。

その理由は『症状に振り回される事が無くなったからです。』

ここまで来た時に『自然と、症状だったものが、症状ではなくて誰にでもある事でしかなかった事を了解します。』

高所恐怖症で説明しますね。高い感覚は、誰もが持っている感覚ですが、その高いと云った感覚とか、その感覚を『自意識』に伝えている者が自分の脳内に存在しています。

この者を嫌うとか、この者からの情報を嫌う場合を『神経症とかノイローゼと云っています。』

狭い感覚なら閉所恐怖症、人に会った印象とか感覚を嫌う時では対人恐怖症と云った具合です。

又相手が男か女かの識別的な感覚の場合では異性恐怖症と云っています。


神経症の原因は、脳内に存在しているもう一つの機能、自意識に全ての生きるための情報の提供者と云った存在に対して、矛盾を抱く事が原因です。

従って神経症が完治すると云った現象は、脳内のその機能そのものと仲直りする事を意味します。

つまるところ心の矛盾を解消すると云う意味です。分かり難い処です。


神経症が治らない場合を書いてみます。

症状を飽く迄も、心の異物として、心の中から排除しようとする場合です。

この場合が治らない場合です。


次に治れない場合です。

治れないという事は、一生症状に苦しめられるという意味ですが、『一生掛かっても症状が無くなる為の努力を固く心に誓う場合です。』

神経症が治った姿は、極楽行きの切符を手に入れた事を意味します。 その理由は、神経症やノイローゼは、症状こそ違うとしても、今の自分の置かれた立場(症状など)を受容出来ない事を意味します。

誰の人生でも同じ事ですが、一番の不幸は『今現在と、今現在の自分を肯定出来ない事です。』

その逆に、一番の幸福は今の自分や、今の自分の立場を肯定出来た時です。

お金の多寡とか、財産の多さとは関係していません。何故なら究極の幸福とは今、正に死に直面している場合での幸福論を云っているからです。

人生に救いを求めている場合を、迷える子羊と云っていますが、人生を見通して、死なない人間等いない事を体得して、自分の死を受容出来た場合では、『今金が無くとも、今命が短くとも、今正に死のうとしていたとしても』感謝しかなくなっています。

或いは言い方を変えて、死でさえも受容して肯定出来るなら、死でさえも自分を幸福にしてくれる材料である事を了解します。

もっと言うなら、救いを求めていた自分の人生に、救いなど無かった事を了解する場合では、救いを求めていたこと自体が、苦しみの原因だった事が分かります。

翻って、今生がある事、たとえ吃音が在ったとしても、不安障害が在ったとしても、恐怖症に悩まされていたとしても、自分の症状を受容する事が出来たなら、それこそが神経症の完治です。

症状に悩んでいる人に、言いたいのですが、神経症の場合では、症状を受け入れて受容する事が完治です。 神経症の症状は多種多様ですが、治ると云う意味はたった一つです。

症状を受容した段階で『症状は成立しなくなります。』従って症状らしきものは存在するかも知れませんが、症状としては成立する基盤を失っています。

この事が分かる時、症状は胡散霧消してしまって、現実には存在していなかった事を了解します。
 

心身脱落済み

 投稿者:猫仙人  投稿日:2020年12月12日(土)22時08分26秒
  疑問解けました。多分僕は赤面恐怖対人恐怖症治った時に、もう赤面してもいいやと脱力した瞬間が学生時代にありましたが、あれが道元禅師の心身脱落、脱落心身なのかもしれません。以降スッカリ対人恐怖症無くなりましたから。管理人さんに比べて軽症だったので、脱落に気がついてないだけですかね?  

HNさんへ

 投稿者:無為療法  投稿日:2020年12月12日(土)07時10分45秒
  出入り禁止解除されました。  

ぐると 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年12月10日(木)21時34分49秒
  治るとるとおのずとこれがわかります。は事実だと思います。『完治や根治は無いのだからこれを云う人は治っていない。』が、彼の常套句のようです。

そうして言うに事欠いて、森田先生も、鈴木先生も治っていないと云った、治らないで治療を始めた、に発展しています。

極めつけが、『神経症が治ったのは、世界中で自分だけ。』で感極まっているようです。

真面なな人は、相手にしていないようですね!
 

斉藤、いまだ神経症と奮戦中!!

 投稿者:ぐると  投稿日:2020年12月 9日(水)21時08分15秒
  もしこちらの「皇后さま、回復の途上」という投稿を、もし「皇后さま」がじっさいに読んだと
すれば、感想はおそらく「余計なお世話(笑)」のひと言で終わりでしょう。それは私も同じ。
https://9209.teacup.com/dai2keijiban/bbs/8663

> もし、皇后さまが神経症に近いものだとしたら、おそらく今、全力で完治根治を
> 目指していると思いますが、それが事態を悪くしていると考えるのが無為療法です。

> 神経症の治癒とは、捨てて捨てて捨てまくって、捨てたという言葉さえも捨てて
> しまうという事です。これは容易な事ではなく、だから私も30年の歳月を要したのです。
>      ・・・(以下省略)・・・

なんと大仰な表現だろうか(笑)。でもこんなこといってるうちはまだまだ道は遠いかも。
治ったらこんな屁理屈、つまらない循環論法にひっかからない。むしろ有害なことがわかる。
じっさい、これ実行して、ただの「雑用強迫」になった人が何人もいるみたいですね。
ご注意ください。

このように「神経症を治す努力を放棄することが肝心」なんて所にこだわること自体、
神経症がまだ治ってないことになるんですよ。これ「無理な話」だからやめたほうがいい。
これは神経症が治った人からすれば、いちように頷いてもらえる事実でしょう。

いま神経症に苦しんでいる人にとっては、神経症を治そうと強く思うのが当たり前。
それに逆らってはいけない。あとでかえってこんがらがって「鬱に沈む」ようならなおさらだ。

無理に「治す努力を放棄する姿勢」へのこだわりが、新たなとらわれを生み出す。
「フラッシュバック」だの「全治根治はない」だのという屁理屈はそこから生まれるのでしょう。

「神経症を治そうとしても、しないにしても、どちらも同じ」。治るとおのずとこれがわかります。

ちなみに猫仙人さんの投稿を参考にするのはおすすめしません。ま、あれをまともに読んでる
酔狂な人はまずいないでしょうから無用の忠告ですが(笑)。猫仙人さんは、ほかの人からみると、
自分の投稿がちょっとした「ギャグ」としてしか読めないことを少しは自覚したほうがいいですね。

斉藤は「治癒という言葉を嫌う」そうだが、だいたい「治った」と堂々といえないような治りなど、
治りとはいえません。斉藤は自分の発言が、治った人からは時には罵言妄言としておかしく写り、
いっぽう治ってない人には徒らに傷つけ、ときに誤った道を示すことを反省しなければいけません。
 

猫仙人 様へ-2

 投稿者:管理人  投稿日:2020年12月 8日(火)23時42分58秒
  管理人様は「悟ったぁ!」という手ごたえ実感がありましたか?

という事に付いてお答えい致します。

確かな手ごたえがありました。以前にも書いた事が在りますが『無意識にも意識がった!』が実際の感想です。

同時に、全身に入れていた力がガクンと抜け落ちた体験です。『心身脱落、脱落心身』と道元禅師が書いていた通りの体験です。

毎日死刑囚の心持で生きていたものですから、絶えず全身に力を入れていたのだと思います。死に対しての恐怖症は、この時に完治したようです。

あれから、既に41年が経過しています。

生き難い想いで生きていたのですが、大変生き易くなっています。これ以上は望む必要が無いと思っています。

もう一言付け加えるなら『毎日笑って生きています。』これ以上は望むべくもない心境です。

望む事が在るなら、生き難い想いで生きている人の為に祈りを捧げています。
 

猫仙人様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2020年12月 8日(火)23時28分46秒
  原因は以下が考えられます。 ?投稿が管理者によって削除されたか、非表示の設定になっている

という事で、書き込み自由のhttps://9209.teacup.com/dai2keijiban/img/bbs/__TITLE__.gifが投稿できませんでしたので、此処に返事を書きます。

『霊魂を勉強し悟った事の無い人間が禅や釈迦やイエスキリストを取り扱うのは非常に危険だと

思います。そこでぜひAdministratorさんやH.Nさんも禅以外に神宗教や霊魂をちょっとだけ勉強

して欲しいのです。お二人様の意見は反対方向だけど、同じく折角に貴重で稀有な神経症治り体

験者なのだから。お願いします。仏教には大きく分け2種類あります。

大衆向けに砕いて悟りを説いた顕教と、深く学びたい人のために霊魂レベルの悟りまで説いた

密教かな?御二方には顕密両方を悟って頂きたいのです。頑張れば出来ます。』

という事のようですが、家業回しが忙しくて何も出来ません。雪国の雪降り前の時は、建築業なら、忙しくて大変です。

『密教だとか、霊魂』だとか言っていたなら、お客様が居なくなってしまいます。

年金だけでは、生活出来ないような時代なのかも知れませんが?

時間があったら、稼ぐようにしています。自分の生活は自己責任で守らなくてはいけないと思っています。

 

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