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信用するにはあまりにも良すぎる

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 1月23日(火)20時03分8秒
  「もうかなり昔になります、今69歳ですので42年前に鈴木知準先生のお世話になった事があります。講和という時間があって、----------------当時の症状名は『死に対する恐怖症』ですが、このために生きた心地がしなくなって『離人感』で苦しんだ事、生き難い想いがまるで嘘のように思われます。毎日を安楽に過ごせています」


どうもこの話は出来過ぎていて信用出来ない。こんな緩解の例は過去20年見たことありません。
私の経験によると、神経症を治すにはどうしても体の動きを必要とします。
体の動きなしに、単に悟りだけで治ったは、信用するにはあまりにも話が出来過ぎています。
 

森田療法に救われた方いますか?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月23日(火)19時31分18秒
  森田療法に救われた方いますか?


>>>管理人


もうかなり昔になります、今69歳ですので42年前に鈴木知準先生のお世話になった事があります。講和という時間があって、何時も話が始まる前に『今は分からないかも知れませんが聞いて置くように、分る時が来たらピタリと分かるようになる。』と前置きをして本を読んで下さいました。

仏教の本とか剣道の免許皆伝の話とか、弓道の極意の話とかです。そうして『知的理解では治らない、或は悟りを開かないと治らない、』と口癖のように言っていたと思います。

何の話か?当時ではちんぷんかんぷんでした。2か月ほど生活指導を受けて、退院をしてその4年後に悟りを開くといった体験をした事が在ります、32歳でした。

自身の自意識が『無意識の自分の意識』と出会うといった体験でした。日記は書かないのですが、その日だけは書きました。『無意識の意識と出会った』と書いたように記憶しています。

この日を境に『ノイローゼが完治した経験です。』この日以後自分が神経症だった事とか、ノイローゼの不安障害だった事も全て、すっかり忘れ果てて、ノイローゼだった事も治った事も忘れて毎日の生活に勤しんできたと思います。

そうして39歳で独立をして商売を始めて、一応今も続けています。入院費用もかなり掛かりましたがとっくの昔に森田療法で掛かったお金の元は取ったと思います。

32歳のあの時に得た安心感というもの、或は生死の問題が解決したという事で、死に対する不安感が全くなくなったことについては感謝しています。

当時の症状名は『死に対する恐怖症』ですが、このために生きた心地がしなくなって『離人感』で苦しんだ事、生き難い想いがまるで嘘のように思われます。毎日を安楽に過ごせています。
 

吃音を治すのに有効的なのは?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月22日(月)21時43分24秒
  取引先と打ち合わせをしている時、緊張している時は勿論、家族や仲間と話している時まで吃音になってしまったりで、どうすればいいのか悩んでいます。
吃音になると周囲の反応が微妙になるのでそれも怖いし、自分でも音が出てこなくなる感覚が嫌でたまりません。
ご存知の方がいらっしゃった教えてください。


>>>管理人


『逆説志向』というものがあります。これなら必ず治ると言われています。簡単です、貴方が吃音で話をする練習をします。たったこれだけです。

神経症は意識をする事で自分の行動の自由が阻害されて社会生活に支障が出ています。

手の震えが気になってしまった時、手が震えないように意識の力、或は意志の力で手が震えないように努力をする事です、こうする事が手の震えを招き寄せています。治療には『わざと手が震えるように努力をしてもらう方法があります。』手が震えるように努力をした場合では、手が震える事が無くなっています。

吃音も同じ方法が有効です。吃音で話をする練習をするというものです。吃音で話そうとした場合では言葉が詰まる事が無くなっている筈です。

是を毎日やっている間に吃音が出たとしても出なかったとしても、もうそんな事なんかどうでもよくなってくると思います。吃音がもうどうでも良くなった時、貴方の意識には吃音がいなくなっています。意識に吃音が上がらなくなった時点で、貴方は吃音から卒業しています。

その理由は貴方が吃音を心から受け入れた事によります。吃音で話をする練習が『逆説志向』に当たります。
 

再掲-精神科医へ行かずパニック障害を自力で治す

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月21日(日)19時56分53秒
  反響が多かったものを取り上げています。


質問日時:2012/09/29 10:26


20代男性です。内科を受診し、現在の症状がパニック障害の疑いがあると言われ、うつ病の可能性もj含めて一度精神科を受診することを勧められました。

しかし、私は精神科を受診せずに自力で治癒する方法を探しています。

一つ誤解しないで頂きたいのは、私は別に精神科に対して何の抵抗もありませんし、寧ろ一刻も早く受診したいということです。行きたくないのではなく、行けないのです。

精神科に行くことを勧められたのは今回が初めてではありません。しかし、今まで私の生活圏内にある精神科医院で予約が取れたことはただの一度もありませんでした。どこの病院に何度電話しても予約がいっぱいで、電話を何十件もかけるうちにこちらが疲れ果ててしまい、病状が悪化の一途を辿ります。

医者はそれを理解してくれません。「予約の電話をかけてみてください」の一点張りで、日本の(少なくとも私が通える範囲の)精神科が事実上機能不全に陥っていることを知らない、若しくは無視します。

私に残された道は、もう自力で治す方法しかありません。因みに私の症状は、朝と夕方の激しい虚脱感と、不眠・過眠、今まで好きだったことへの突然の激しい嫌悪等。そして、過換気症と動悸、時折それに伴う失神です。これが一か月ほど続いています(病院を探し始めてからを加えると、さらに長くなります)。

これらの症状を自力で治す方法を教えて下さい。



>>>管理人



回答日時:2012/10/02 23:53
  .
神経症が完治した経験から貴方に書いてみます、自力で治すと言う貴方の態度は『本当の意味で正しいです。』

自分の不安や悩みや疑問を『他人任せにしたところで』大事な事は、自分自身が不安の正体を見つけて、自分自身が対処しないでいる事は、長い人生では反って損をすると思います。

パニック障害は『神経症』に分類されているものですので、神経症を学ぶ中で、解決出来ると思いますので、神経症が発症するメカニズムと、神経症が完治スルメカニズムと、パニック障害から『離れる方法を書いてみますので』足りないところは、自分で学んで下さい。

神経症が発症するメカニズムは、人間の脳内に意識が二つあるためです。一つは『自我意識』つまり、『意識する自分』です、もう一つは、自我意識に情報を送っている者です。

この者を始めに説明するために、動画を載せてみますので見て下さい。脳科学者が脳の障害によって、二つの意識の情報交換の様を語っています。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM

この場合の右脳の意識が、情報を送っている者に相当します。もう一つ人間の脳内に意識(人格)が二人いるという科学的な情報を載せてみます、ウイキペデアからです。

『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

人間の悩みや疑問や、苦しみは、二つの意識(脳の機能)の食い違いや矛盾や仲違いを『漠然とした不安』として感じています。

自我意識は生まれてからの生い立ちや、学んだ事を学習しながら『言葉で考える機能』で出来ています。

是とは違って『右脳の意識は』動画で説明されている通り、何も学ぶ事無く、働いている人格です、言葉にするなら『命を働かせている人格』です。

命あるものが全て親からのの遺伝子を引き継いでいる事に通じています。生命として生じた段階から働き始める事を知っている働きの事です。植物でも昆虫でも動物でも全ての命あるものがその命を働かせている『源とも言える性質です。』

『命そのものの働き』という言い方になります。桜ならその種に備わった形でも、色でも、においでも再現出来る機能です。

ライオンはライオンとして、蜘蛛は蜘蛛として、人間は人間として身体も心も行動も、全て備わった機能として働かせている者です。

身体の機能では、心臓も肺も、ホルモンも神経系統も、学ぶ事無く働かせている機能です。

こういった機能を人間は生まれながら持っています。この機能は大まかに分けるなら、

『身体の生命維持装置としての機能』

『人間の行動を通して生命の維持をする働きをする機能』

『人間の心や精神的な働きを介して、生命維持をする機能』と分ける事がが出来ます。

ですが一人の人間の全てを引き受けている事からするなら、元から分けて考えるべきではない事柄も多々あります。それは『身体と心をばらばらに切り離して考える事になってしまうからです。』

神経症は右脳の機能の中で『主に行動面』の機能に関係しています、ですが心理面や精神面が関係していないわけではありません。

神経症が発症するメカニズムは『意識するところからです。』その意識する事柄は『自我意識が、嫌だと感じている事柄や、とても受け入れられない事柄』としているものを『意識上に上げて、否定する事から発症しています。』

貴方の場合では『とても小さな不安感』からです。貴方の深層心理(脳梁の中=意識の根底)の中で右脳からの情報が送られた瞬間に『耐えられないと判断をして、否定して心から追出しをする事が原因です。

右脳の機能は、脳梁を介して、全ての情報を送る機能がある事から、受け取ってもらえない情報を『拡大して送る機能があります。』

従がって全ての恐怖症は『右脳からの情報を受取ろうとしない事によって発症しています。』そうして、自我意識たる心が『その情報を嫌って受取りを拒否する場合では、嫌えばその嫌う程度に比例してその情報は大きく拡大されて再送される事を意味します。』

不安症害や恐怖症が発症するメカニズムです。パニック障害はもっとこの情報を嫌っている事を意味します。

不安症害や恐怖症やパニック障害は、『外部の環境が原因ではなくて、自身の心の感じ方や反応の仕方で、反応する現象です。』

従がって治る場合や治す場合は、本人の反応の仕方に変更がある場合のみです。医師が治すのではありません。飽く迄も本人の考え方や受止め方が関係しています。

神経症には様々な症状が報告されていますが『原因は一つだけです。』その原因が『意識する』です。そうして意識した内容が『症状名になっています。』

従がって神経症が完治する場合は『意識しなくなる』です。意識した内容を常に意識して『意識地獄の状態になっています。』

この意識地獄からの開放が『完治です』

完治の説明をします。右脳の意識は確かに一人の人格として働いています。自我意識が意識する事を機能として持っている事に反して、『無意識の時の人間の心と身体と行動を預かっています。』

眠る事を説明すると判り易いかも知れませんので、『眠り』のメカニスムを書いてみます。

眠るのは『自我意識ではありません』眠る場合では『自我意識は朦朧として、段々と。意識が薄れてゆくだけです、完全に意識が無くなった段階とは、無意識の自分が身体と心の支配権を譲り受けた事を意味します。』

そうして身体と心は支配権を無意識の自分が握って『自我意識は本当の意味で休んでいます。』朝になって支配権は『自我意識に戻されています。』

自我意識は自分の意識が無くなった事を意識出来ないでいます。

こういった現象は日中でも頻繁に起きています、その証拠は『意識した瞬間から身体でも手でも震えたり、ぎこちなくなった経験はありませんか?』それは自我意識が『機能としては備わっていない、身体と心と行動する機能』を行使しようとするためです。

神経症の完治とは『意識しなくなる事』と書いていますが、そのためのメカニズムは『症状らしきものを受け入れる事』です。受容れられなくて否定するために『自我意識が出たままになって、意識地獄になっているだけだからです。』

そのための方法は『逆説的志向』を学ぶ事です。

パニックになりそうな時に『もっとパニクっテやろう』と望む事です。只それだけで解消します。

聞きたい事があるようでしたら質問を下さい。

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斎藤 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月19日(金)09時03分11秒
  今の曹洞宗も貴方と同じことを言っているようです。悟りなどないという事です、もしもそうだとするなら、禅宗の問答とか、或は無門関などの禅の本の内容はなにを言っているのか?という事になると思います。

禅宗の眼目とする事は、ただ一事を目指していると思われます。それは『生死の問題の解決』です。この他には宗教としての目的は無くなってしまうと思います。

悩みとか苦しみとはその元をたどってゆくならば、必ず『自身の生死』に辿り着きます。自身の生死の問題が解決する時、全ての人生の悩みとか苦しみとか、疑問は解消します。この一事が禅の眼目とするところだと思います。

斎藤さんとは見方が違うかも知れませんが、そういう違いがお互いの個性を形作っていますので、それはそれでOKと考えています。
 

悟り

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 1月18日(木)20時21分46秒
  鈴木大拙が言っているね。そもそも悟りなんてものは最初からないのだと。
なら、そんな所でぼさぼさしていないでどんどんやったらどうかと言う。
ぼやぼやしていると警策が飛んでくる。
 

自分

 投稿者:TM  投稿日:2018年 1月18日(木)19時57分46秒
  そもそも「自分」は物質(外観、触感など)として存在を確認できるだけで、無我という言葉があるように、物質として確認できる以外は存在が疑わしいものです。もし「自分」があると思うなら、それは知的に作り上げた架空のものがあると誤解して思っているだけであり、実在するものではありません。
神経症が始まる原因は、実はこの「自分」あると誤解しているところにあります。
 

ブッダ以外で悟りを開いたという人はいますか?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月18日(木)19時43分22秒
  質問日時:2012/02/22 19:09

回答数:19件


もしいたらすみませんが、あまりブッダ以外で悟りを開いたという人の話を聞いたこと上がりません(訳の分からない新興宗教の教祖連中は除外してください)
大乗仏教理論をまとめたナーガルージュナなども、悟りを開いたという意味には当てはまらないのでしょうか?

いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか?
この辺の事情についてお詳しい方お願いします。



>>>管理人



回答日時:2012/02/26 18:06
  .
悟りを開くと云う事が、如何いうものかを書いてそれから、説明してみます。悟りを開く事を他の言葉で言うなら『見性』です。自分の性を見るという意味ですが、その意味を科学的な文献から解き明かしたいと思います。

人間には二つの人格が備わっていますので、科学的な文献を載せてから説明します。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”


この研究はその後余り進んでいないように見えますので、残念と思います。

右脳の人格は左脳に存在する『自我意識』にはかなり分かり難くなっています。全く判らない場合に『健常者』と言う風に呼んでいます。

右脳の人格は『命そのものを働かせている者』です。人間の命の働きは、ある程度細分化出来ますので、もし細分化をするなら、概略三つに区分けする事が出来ます。

それは人間の、『身体に対する命の働きと、行動に対する命の働きと、心に対する命の働き』と言う風にですが、本当の意味ではそれらの三つには境目が在りませんから、全ての大元では共通点が在ります。

その共通点とは『心の矛盾』です、心が騒がしく争っていると言う意味です。具体的な言い方をするなら『生き難い想い』或は『一切皆苦』或は『漠然とした不安や、何処から押し寄せているのか分らない正体不明の心的な圧迫感』です。

人間の命は命として芽生えた瞬間から『働き始めています。』初めての働き始めが細胞分裂ですが、この働きを働き始める事を知っている働きが『命そのものの働き』です。

生まれてからは、誰も教えなくとも、安心する事も、不安になる事も、更に云うならば恐怖する事さえ知っている働きです。心臓の打つ数も、呼吸する数もホルモンや消化系等や排便する事も全て承知している働きです。

暑い時には汗が出る仕組みそのものや、心的には涼しい所や、水の在りかを探すように『自我意識に』指示さえ出している働きです。ですが健常者の場合では、今書いたシステムに何の疑いも持つ事が在りません、この疑いがない姿を聖書では『天国に住んでいる』と形容しています。

人間の脳の機能が大人になる頃から『人間は全てを疑う場合があります。』この現象を『失楽園』と形容しています。

二つの脳の機能が上手く同調出来ている場合の事です。天国に一番近い存在は『幼子』と言われる由縁は、脳の機能分化が進んでいないために、未だ一つのものとして働いているからです。

脳の機能分化の完成を待って始めて『人間は天国から追放される事』を意味します。この意味は『心が二つの機能になることで、争いがはじまるという意味です。』

つまり知恵が付いたために天国から追放されると言う意味は、『心が分裂をしたり矛盾を起したり、対立する事』を意味します。おもに思春期頃の事です。

人生がなんであるのか?や、自分は何者か?と言う疑問が湧き始めるころの事です。この疑問を抱き始める事によって『失楽園』と言う表現方法を取っています。

この疑問の解消方法が『悟り』を意味します。それは自分自身に疑問を抱かせていた者の正体を知る、と言う意味になります。つまり自分自身の感情を湧きあがらせていた者の正体が『自分自身であった事を知る』と言う意味です。

もっと具体的な表現方法を取るなら『死に対する恐怖感』と言う書き方をすると分かり易いと思いますので、この線で書いてみます。

普通の状態で『死』を意識した場合に、恐怖感が湧き上がります。この恐怖感の正体が何であったかを知る事が『見性』と言う意味です。

人間の心に不安や恐怖感が湧き上がる場合では『二つの意識が戦っていたり、矛盾を起しています』この意味は、『意識の根底で二つの意識は、脳梁を介して情報交換をしています』この情報交換に、ある場面で『自我意識が、感情が湧き上がる情報の受取りを拒否する場合です。』

もっと平たく言うなら『死に対する不安や恐怖心が芽生える場合では』人間の心は『永遠の命を希求しています』この事実が、心の矛盾です。

自我意識は有限の身ですが、右脳の人格は永遠の存在だからです。有限の身である自我意識は『永遠の存在である右脳の意識=仏性や神としての存在によって、』永遠を希求させられています。

右脳の働きは分り難いので、実際に右脳の人格を体感している動画が在りますので、載せてみます、その後でもう一度説明します。


URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM


この動画から汲取っていただきたい事は、『自我意識が全てではない事』です。もう一つの意識によって、自我意識は支えられている事です。

貴方が質問している事にお答えしたいと思います。


『いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか?
この辺の事情についてお詳しい方お願いします。』


禅宗の記録を読んでください、禅宗では、悟りを開く事がその修行の全てに近い事を示しているからです。死の恐怖に怯える事からの開放を示しているからです。

禅宗では、見性した場合では『生死の問題が解決した』と言う表現方法を取っています。その意味は『死に怯えていた自我意識は、永遠の存在である右脳の働き、命そのものの働きに出会う事によって、有限のこの身の存在が、朽ち果てたとしても、自分は元々永遠の存在であった事を身を持って知る事を意味します。』

この永遠の存在との出会いを見性=悟りを開くと表現しています。そうして自我意識が二度と、右脳の人格の前にでしゃばらなくなると言う意味です。

キリスト教であっても同じ事を違う表現で言っています。『神と和解して、神の僕となる』と言う表現です。

釈迦の悟りは禅宗では、連綿と伝えられています。そのテキストの価値を書いて終わりにします。

右脳の意識は『言葉を持っていない事が特徴です。』右脳の意識を引き出す事が出来れば『見性』出来ることを意味します。

そのためのテキストとは『禅問答』です。禅問答は左脳の自我意識では、歯が立ちません、これは脳の機能的な問題です。

その理由は禅問答は右脳の人格としての機能が出て来ないと解けないように仕組まれているからです。

鬱と言う場合でも、神経症としての強迫行為も恐怖症も、自律神経失調症としての症状も、『心の矛盾』を症状として感じています。正に意識地獄の状態です。一切皆苦になっていますので、その症状を起こしている意識との出会いで『完治する事』を意味します。


それは『意識が発生する丁度、正にその時の事です。』その体験以後では『心の矛盾が解消しますので』もう二度と心同士が争う事がなくなりますので、寛解ではなくて、完治した事を意味します。

言葉にするなら、右脳と左脳の間にホットラインが開通する事によって、いつも心が静まり返っている事を意味します。仏教的な表現方法では『涅槃』です。

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知的理解ではだめ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月18日(木)18時20分12秒
  『知的理解ではだめ!』は鈴木先生がいつも口にしていた言葉です。そうして『知的な理解を促すかのように』今は理解出来ないかも知れませんが、話を聞いておくように、何時か分かる時が来たならピタリと分かるようになる、と言って話は始まっていました。

知的な理解だけでは治り難いかも知れませんが、知的理解と共に『動きのある生活を促していました』この動きのある様は無意識が発動する事が眼目だと思います。

動くにはどうしても無意識の自分の力が必要になって来るからです、或はこの動きの世界に入る為には、言葉のない世界で遊ぶ事も必要になっています。

この動きと言葉のない世界に入る事で、治りの世界が開けてくるのだと思います。

無意識が発動した時点で、知的理解など役に立たなくなっていますが、どっこい役に立ってもいます。

知的理解があってこそ『治った事も理解出来ますので』知的理解も治る事には必要な要素となっていると思います。
 

知的理解

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 1月18日(木)16時56分10秒
  知的理解は神経症を更に悪くする。それを避けるベストな方法は、体を動かすのです。
体を動かすのと、何かを決断するのとは情報処理が別の経路のようだ。だから体が動いてい
る限りにおいて、神経症者も良い判断をするが、体の動きが停止すると、もうメタメタになる。
貴方の周りの人を見ればよい。誰も止まっている人はいない。この常に動いている状態が
脳の健康な状態であり、神経症者も目指すべきです。
 

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