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自分

 投稿者:TM  投稿日:2018年 1月18日(木)19時57分46秒
  そもそも「自分」は物質(外観、触感など)として存在を確認できるだけで、無我という言葉があるように、物質として確認できる以外は存在が疑わしいものです。もし「自分」があると思うなら、それは知的に作り上げた架空のものがあると誤解して思っているだけであり、実在するものではありません。
神経症が始まる原因は、実はこの「自分」あると誤解しているところにあります。
 

ブッダ以外で悟りを開いたという人はいますか?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月18日(木)19時43分22秒
  質問日時:2012/02/22 19:09

回答数:19件


もしいたらすみませんが、あまりブッダ以外で悟りを開いたという人の話を聞いたこと上がりません(訳の分からない新興宗教の教祖連中は除外してください)
大乗仏教理論をまとめたナーガルージュナなども、悟りを開いたという意味には当てはまらないのでしょうか?

いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか?
この辺の事情についてお詳しい方お願いします。



>>>管理人



回答日時:2012/02/26 18:06
  .
悟りを開くと云う事が、如何いうものかを書いてそれから、説明してみます。悟りを開く事を他の言葉で言うなら『見性』です。自分の性を見るという意味ですが、その意味を科学的な文献から解き明かしたいと思います。

人間には二つの人格が備わっていますので、科学的な文献を載せてから説明します。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”


この研究はその後余り進んでいないように見えますので、残念と思います。

右脳の人格は左脳に存在する『自我意識』にはかなり分かり難くなっています。全く判らない場合に『健常者』と言う風に呼んでいます。

右脳の人格は『命そのものを働かせている者』です。人間の命の働きは、ある程度細分化出来ますので、もし細分化をするなら、概略三つに区分けする事が出来ます。

それは人間の、『身体に対する命の働きと、行動に対する命の働きと、心に対する命の働き』と言う風にですが、本当の意味ではそれらの三つには境目が在りませんから、全ての大元では共通点が在ります。

その共通点とは『心の矛盾』です、心が騒がしく争っていると言う意味です。具体的な言い方をするなら『生き難い想い』或は『一切皆苦』或は『漠然とした不安や、何処から押し寄せているのか分らない正体不明の心的な圧迫感』です。

人間の命は命として芽生えた瞬間から『働き始めています。』初めての働き始めが細胞分裂ですが、この働きを働き始める事を知っている働きが『命そのものの働き』です。

生まれてからは、誰も教えなくとも、安心する事も、不安になる事も、更に云うならば恐怖する事さえ知っている働きです。心臓の打つ数も、呼吸する数もホルモンや消化系等や排便する事も全て承知している働きです。

暑い時には汗が出る仕組みそのものや、心的には涼しい所や、水の在りかを探すように『自我意識に』指示さえ出している働きです。ですが健常者の場合では、今書いたシステムに何の疑いも持つ事が在りません、この疑いがない姿を聖書では『天国に住んでいる』と形容しています。

人間の脳の機能が大人になる頃から『人間は全てを疑う場合があります。』この現象を『失楽園』と形容しています。

二つの脳の機能が上手く同調出来ている場合の事です。天国に一番近い存在は『幼子』と言われる由縁は、脳の機能分化が進んでいないために、未だ一つのものとして働いているからです。

脳の機能分化の完成を待って始めて『人間は天国から追放される事』を意味します。この意味は『心が二つの機能になることで、争いがはじまるという意味です。』

つまり知恵が付いたために天国から追放されると言う意味は、『心が分裂をしたり矛盾を起したり、対立する事』を意味します。おもに思春期頃の事です。

人生がなんであるのか?や、自分は何者か?と言う疑問が湧き始めるころの事です。この疑問を抱き始める事によって『失楽園』と言う表現方法を取っています。

この疑問の解消方法が『悟り』を意味します。それは自分自身に疑問を抱かせていた者の正体を知る、と言う意味になります。つまり自分自身の感情を湧きあがらせていた者の正体が『自分自身であった事を知る』と言う意味です。

もっと具体的な表現方法を取るなら『死に対する恐怖感』と言う書き方をすると分かり易いと思いますので、この線で書いてみます。

普通の状態で『死』を意識した場合に、恐怖感が湧き上がります。この恐怖感の正体が何であったかを知る事が『見性』と言う意味です。

人間の心に不安や恐怖感が湧き上がる場合では『二つの意識が戦っていたり、矛盾を起しています』この意味は、『意識の根底で二つの意識は、脳梁を介して情報交換をしています』この情報交換に、ある場面で『自我意識が、感情が湧き上がる情報の受取りを拒否する場合です。』

もっと平たく言うなら『死に対する不安や恐怖心が芽生える場合では』人間の心は『永遠の命を希求しています』この事実が、心の矛盾です。

自我意識は有限の身ですが、右脳の人格は永遠の存在だからです。有限の身である自我意識は『永遠の存在である右脳の意識=仏性や神としての存在によって、』永遠を希求させられています。

右脳の働きは分り難いので、実際に右脳の人格を体感している動画が在りますので、載せてみます、その後でもう一度説明します。


URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM


この動画から汲取っていただきたい事は、『自我意識が全てではない事』です。もう一つの意識によって、自我意識は支えられている事です。

貴方が質問している事にお答えしたいと思います。


『いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか?
この辺の事情についてお詳しい方お願いします。』


禅宗の記録を読んでください、禅宗では、悟りを開く事がその修行の全てに近い事を示しているからです。死の恐怖に怯える事からの開放を示しているからです。

禅宗では、見性した場合では『生死の問題が解決した』と言う表現方法を取っています。その意味は『死に怯えていた自我意識は、永遠の存在である右脳の働き、命そのものの働きに出会う事によって、有限のこの身の存在が、朽ち果てたとしても、自分は元々永遠の存在であった事を身を持って知る事を意味します。』

この永遠の存在との出会いを見性=悟りを開くと表現しています。そうして自我意識が二度と、右脳の人格の前にでしゃばらなくなると言う意味です。

キリスト教であっても同じ事を違う表現で言っています。『神と和解して、神の僕となる』と言う表現です。

釈迦の悟りは禅宗では、連綿と伝えられています。そのテキストの価値を書いて終わりにします。

右脳の意識は『言葉を持っていない事が特徴です。』右脳の意識を引き出す事が出来れば『見性』出来ることを意味します。

そのためのテキストとは『禅問答』です。禅問答は左脳の自我意識では、歯が立ちません、これは脳の機能的な問題です。

その理由は禅問答は右脳の人格としての機能が出て来ないと解けないように仕組まれているからです。

鬱と言う場合でも、神経症としての強迫行為も恐怖症も、自律神経失調症としての症状も、『心の矛盾』を症状として感じています。正に意識地獄の状態です。一切皆苦になっていますので、その症状を起こしている意識との出会いで『完治する事』を意味します。


それは『意識が発生する丁度、正にその時の事です。』その体験以後では『心の矛盾が解消しますので』もう二度と心同士が争う事がなくなりますので、寛解ではなくて、完治した事を意味します。

言葉にするなら、右脳と左脳の間にホットラインが開通する事によって、いつも心が静まり返っている事を意味します。仏教的な表現方法では『涅槃』です。

good
12


 

知的理解ではだめ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月18日(木)18時20分12秒
  『知的理解ではだめ!』は鈴木先生がいつも口にしていた言葉です。そうして『知的な理解を促すかのように』今は理解出来ないかも知れませんが、話を聞いておくように、何時か分かる時が来たならピタリと分かるようになる、と言って話は始まっていました。

知的な理解だけでは治り難いかも知れませんが、知的理解と共に『動きのある生活を促していました』この動きのある様は無意識が発動する事が眼目だと思います。

動くにはどうしても無意識の自分の力が必要になって来るからです、或はこの動きの世界に入る為には、言葉のない世界で遊ぶ事も必要になっています。

この動きと言葉のない世界に入る事で、治りの世界が開けてくるのだと思います。

無意識が発動した時点で、知的理解など役に立たなくなっていますが、どっこい役に立ってもいます。

知的理解があってこそ『治った事も理解出来ますので』知的理解も治る事には必要な要素となっていると思います。
 

知的理解

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 1月18日(木)16時56分10秒
  知的理解は神経症を更に悪くする。それを避けるベストな方法は、体を動かすのです。
体を動かすのと、何かを決断するのとは情報処理が別の経路のようだ。だから体が動いてい
る限りにおいて、神経症者も良い判断をするが、体の動きが停止すると、もうメタメタになる。
貴方の周りの人を見ればよい。誰も止まっている人はいない。この常に動いている状態が
脳の健康な状態であり、神経症者も目指すべきです。
 

神経症の治り

 投稿者:TM  投稿日:2018年 1月17日(水)18時57分52秒
  神経症はここの管理人が書いておられることを読んで、知的に納得しても、治ることはありません。
神経症が治るのは、生活上のことで悪戦苦闘してい最中だけです。

 

カウンセリングはだめ

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 1月17日(水)12時43分54秒
  カウンセリングとは患者を餌にして医師らしい者が金を儲ける方法でしょう。
神経症とはもっとも難しい心の病であり、誰もカウンセリングはできない。
 

再掲 対面で食事をした時、緊張で頭が震える症状って何?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月16日(火)19時56分36秒
  評価が高かったものを載せています。  質問日時:2014/09/22 13:02
回答数:7件
.

真剣に悩んでいます。よろしくお願いします!

私は会社員(一応管理職)、40歳女性です。
症状はここ5年ほどでひどくなったような気がします。

あれ?と症状を意識し始めたのはここ5~10年ほどでしょうか・・・。


「対面すること」に対してとても緊張してしまいます。
※緊張するときとしない時があるので困ってしまうのですが・・・

一番は、対面で食事をする事です。

気にしなければいいと思うのですが
食事している様子を見られているような気がして目が見れません。
食事を口に運ぶ瞬間、ブルブルっと手と頭が震えてしまいます。
まさに地獄で味などわかりません・・・。

口に入れてしまえば平気なのですが
口に入れる瞬間が病的にまずい気がします・・・。

会社の上司と仕事で外出をした際
対面で食事をしたのですが、途中で食べられなくなってしまいました。
食べ物に箸まではつけられるのですが、「口」に持っていくとブルブルしてしまいます。

それに似たのが
・対面でタバコを吸う
・対面で字を書く(字は対面じゃなくても見られているだけでブルブルです)

そうですね、じっと見られることに苦手なのかもしれません。
隣同士で食事をするのは全然平気です。

ちなみに不安感があって2年ほど前から病院に通ってお薬は飲んでいます。
※薬では症状はよくなっていないです。

先生からは、そういう事がある前に飲む「頓服」を支給されましたが
あまりよくはなく、事前に対面することがわからない場合も多いので
できれば訓練か何かをして直したいと思っているのですが
いい方法はないでしょうか・・・。

病院ではカウンセリングを勧められましたが
カウンセリング料が高くて手が出せません・・・。

どうにか個人で訓練するいい方法があれば教えて下さい!
よろしくお願いいたします!



>>>管理人



回答日時:2014/09/24 05:24
   .
訓練する事は逆効果になると思います、学ぶなら『神経症』の原因と解消方法と思います。そう言っている私の場合では、14歳から発症をして18年間の悪戦苦闘の末に完治した経験があります。

この経験をした中から貴方にアドバイスをしたいと思います。

神経症のメカニズムを知る事は、貴方にとって直接的な効果はないと思います、という意味は『頭では分っていながら身体が付いてこない事』が神経症にとってのジレンマだからです。

さりとて、原因がわからない事で、尚更落ち込みが激しくなるということもあると思いますので、一応そのジレンマである矛盾という意味からもそのメカニズムを説明して置きます。

神経症の原因は『心の矛盾』が原因です。この意味は『意識している貴方』VS『意識していない貴方』が意識の根底で『出番争いをしている事』が原因です。

誰にでもある普通の事です。此処のところが分る時、貴方は神経症に置いての、症状に悩む事が止みます。

人間は進化の過程で、脳が発達して来ました、この脳の進化によって神経症や自律神経失調症や、うつなどといったノイローゼの状態が生まれています。

これは簡単な言い方をするなら、意識していない時には出来ていた事が『意識した途端に出来なくなる』という現象です。

『無意識で(意識していない時)、出来ていた事が』意識する事によって出来難くなる、という意味です。

訓練するなら『意識性を学ぶ事』ですが、こう言った事を学ばせてくれるところを余り知りませんが『森田療法』を学ぶ中や『禅』を学ぶ中に、あると思いますが、兎に角時間が掛かり過ぎるという欠点があります。

即効性がありながら、確実性が在る方法がありますので書いて置きます。それは逆説的指向という方法です。

意識する事によって『意識した内容』が出来難くなる事を、逆手に取る方法です。貴方の場合では『食事している様子を見られているような気がして目が見れません。食事を口に運ぶ瞬間、ブルブルっと手と頭が震えてしまいます。』

という場合に『もっと(意識的に)ブルブルっと手と頭を振るわせてやろう』とする方法です。震えが止まらないようなら、もっと意識的に震わせるようにする方法です。

貴方の手や頭の振るいは『貴方の意志の力では止める事も、とめないようにする事も出来ない事』が分ります。震えさせようとした途端に震えは止まります。

身体と意志は通じない事が分ります。


『・対面でタバコを吸う・対面で字を書く(字は対面じゃなくても見られているだけでブルブルです)』という場合も同じです。貴方が意識的に『震えさせてやろう』とした瞬間から震えさせる事が出来なくなります。

神経症の場合『意識性を悩んでいる事』を意味しますが、キーワードは『症状を受け入れる事』が、治るきっかけになります。何故なら『症状として意識する事が、症状にしているからです。』

誰でもが感じている、誰にでもある事を『本人の性格的なものや、本人の感じ方や考え方』が拒否反応をして、受け入れないようにする事がきっかけになって症状として顕れているからです。

不安感にしても同じです、誰でもが何時でも感じている事ですが、不安感を追い出そうとした時から不安感は大きくなり始めています。是が不安障害のきっかけになって不安傷害が確定します。

この不安感から特に強く逃れようとした時『パニック障害』にまで発展する場合もあります。こう云った事をきっかけにしないようにするキーワードが『受容=受容れる』です。

何を受容するのかというと『雑念』です、誰にでもが絶えず湧き上がっているものが『雑面』です。

こう云った雑念にいちいち取り合って『問題にする事が』神経症の症状になっています。

貴方が神経症の外に出た場合を書いて置きますので、参考にして下さい。

今迄は沸き上がる雑念の内『「対面すること」に対してとても緊張してしまいます。食事している様子を見られているような気がして目が見れません。食事を口に運ぶ瞬間、ブルブルっと手と頭が震えてしまいます。

それに似たのが
・対面でタバコを吸う
・対面で字を書く(字は対面じゃなくても見られているだけでブルブルです)』

といった事柄が特に気になっていましたが、神経症的な考え方の対処を出来るようになってからは、『沸き上がる雑念』を問題にしなくて良くなりました。

沸き上がる『雑念』は一過性のものであって、特に問題にしないでいると『湧き上がっては消えてゆく性質がある事が分かります。』この為に、不安などいろいろな『雑念』が湧き上がってきたとしても取り立てて問題にしなくなっています。

雑念の相手をしないでいる時、症状と感じていた事柄は全て『自分が頭の中に作り出していた幻』であったことが分ります。

現実にはなかった事柄を『受容れたくない一心で』頭の中で症状にして、現実の世界であるものと錯覚をしていた事が分ります。

沸き上がる『雑念』に過敏に、或は過剰に反応する事がなくなって『安楽な心持が持てる様になっています。』

症状としていた事柄は、『在ってよし、無くともよし、もうそんな事よりも』楽しくおいしく食事をする事に夢中になっています。仕事も忙しくなってなって、そう云った事に構っている事の方がもったいない感じになっています。

毎日毎日有り難いという忙しさで満たされています。となります。

good
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この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。

完治されたのですね!良かったですね。
頂いた内容は、「そうそう!」と共感できるものばかりでとても嬉しかったです。

>無意識で(意識していない時)、出来ていた事が』意識する事によって出来難くなる

 まさにその通りなんです。意識しなければどうもならないのですが・・・
 (ちなみに男女とも症状が出ます)


>もっと(意識的に)ブルブルっと手と頭を振るわせてやろうとする方法

 できるかな~。できるかな~。余計に見られるような気がして怖いです。
 でも似たような差し支えのない動きにしてやってみます!


そうですね、結構余計な事を考えてしまいがちなので
早く満たされる毎日になりたいです!

本当にありがとうございました(^-^)


 

もちろん個人差あるとは思いますがパニック障害って平均的にどれくらいで治りますか?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月15日(月)20時41分56秒
  もちろん個人差あるとは思いますがパニック障害って平均的にどれくらいで治りますか?


>>>管理人


本人次第です、本人が絶対一生かかっても治そうとするなら、一生治らない事が保証されます。その逆に治らなくても良いやとするなら『たちどころに治っています。』

その理由を書きます。

パニック障害が神経症だからです、神経症とは『意識した事が思い通りにならなくて発症しているものだからです。』従ってパニック障害を治そうとするなら、神経症を学ぶ事が大事です。

神経症は『意識する事によって、望んでいる事が遠のいて行く』これが現実です。吃音の人ならうまく話しをしようと意識したとたんに口ごもってしまうといった症状が出ます。意識しない状態なら『吃音になる前と同じで』普通に話が出来ます。

また書痙という症状が在りますが『うまく字を書こう』と意識をした途端に字が書けなくなります。意識しないで書くならかけるのですが、その事が分からないでいます。

神経症を治したいと思うなら『症状の改善を諦める事が近道になります。』変な言い方ですが本当です。

もし吃音を治したいと望むなら、『吃音で話をする練習をすれば』たちどころに治っています。書痙を治したいと思う時も一緒です。書痙で字を書く練習をするなら手の震えは止まっています。

是と同じでパニック障害を治したいと望むなら、パニックになるように望む事です、それだけでもうパニックになる事は無くなります、もしパニックに襲われるようなら『貴方の望みが弱いからです。』

貴方のパニック障害が治った姿を書いて終わりにします。

貴方にはもうパニック障害の症状は出なくなっています、もしも出たとしても貴方は、気にならなくなっています。何故ならば『パニックの症状が出るとか、出ないとかには関心が無くなっているからです。

パニック障害が治らないと思って苦しんでいる今の貴方は、症状が出るとか出ないとかに一喜一憂していて、是だけに関心を示して、他の事をほっぽり出しているだけだからです。

貴方のパニック障害が完治した姿とは、『パニックの症状が出ても良し、出なくとも良し』になっています。この意味は症状と思っていた事柄は『誰にでもある事』だったことを了解しているからです。

嫌う余り『心から追い出しを図ろうとして、返って絶えず頭の中にパニックの症状を作り出しています。』そう言った症状を受け容れたために、同じような症状らしきものが、症状ではないものに変化しています。これが症状の消滅です。

従ってパニック障害だった事も、治った事も大して大事な事ではなくなっていますので、なった事も治った事もすっかり忘れ果てています。この段階まで来た時を『神経症の本治り』と呼んでいます。

従って治らなくとも良いや、と今思う事が出来るなら『今もう治っています。』治す必要が無くなった、と思った時が治る時です。
 

パニック障害できく治療法を教えてください

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月15日(月)19時43分46秒
  パニック障害できく治療法を教えてください



>>>管理人



パニック障害は神経症に含まれている様です。神経症になるメカニズムと治るメカニズムを書きますので参考にして下さい。

また神経症の症状は其々似ても似つかないように見えていますが、その実、原因とか発症するきっかけとか、治るきっかけなども同じですので、自分の症状だけではなくて、神経症のメカニズムにも興味を持つ様にすると治りが早くなると思います。

神経症が発症するメカニズムは『意識の停滞』が原因です。心が流れなくなるという意味です。メンタル面が弱いという意味に通じています。

治る治療法という事ですので、この線から書いてみたいと思います。
神経症を治すという意味は、意識した事によって出来なくなったり、或は不安になったり、不安が高じて恐怖症になったり、恐怖感のとりこになったりする事から離れるという事だと思います。

こういった症状から離れるという意味は、いつまでも心の中にそういった症状から離れたいという願望を抱き続けていなくなる事を意味します。

不安にならないように強く望む事が『逆に不安を呼び寄せて、不安以外が眼中になくなる状態を』作り出していると思います。こういう場合の対処方法に『逆説志向』というやり方があります。

意識する事によって、望んでいる事が手に入らなくなる状態が神経症です。貴方が安心を求める事によって不安感とか恐怖感とかに包まれています。貴方の望んでいる反対を望む事によって、今まで手に出来なかった安心感を取り戻す方法です。

この方法が『逆説志向』です。貴方が不安を嫌って安心したいと望む時には『もっと不安よ来い、或はもっと大きな恐怖感よ来い』と望む事です。貴方が望む事によって手に出来ない安心感を、不安感に包まれようとした場合には逆になるといった方法です。

貴方が不安感に押しつぶされないためには『もっと大きな不安感』を呼び寄せようとする方法です。

いつかこの方法に依らなくとも貴方が不安をものともしなくなる日が来たら、その時には貴方は『不安感とか恐怖感とか』を受け容れた事によって『不安感とか恐怖感』が意識に上がる事が無くなった事を意味します。

その時が来たら貴方は『パニック障害になった事も治った事もすっかり忘れ果てています。』

貴方が受け入れを拒否したために、貴方は不安感のとりこになっているからです。受け容れてしまうならもう意識には上がる事は無くなります。此処まで来た時に貴方は、『パニック障害が完治した』と表現出来ます、何故なら『パニック障害の症状が出たとしても出なかったとしても、もうそんな事なんかどっちだっても良くなっているからです

パニック障害の症状の有り無しよりももっと他の事に興味とか、関心が移っているからです。
 

精神病を根絶することは不可能ですか?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月14日(日)20時05分51秒
  カウンセラーや精神科医でも治療しきれない精神疾患を治すのはやはり自分自身ですか?

そして博愛主義ですべての人を愛そうとする人はやはり病みやすいと思いますか?

所詮資本主義の日本ではやはり精神病の人間は搾取される運命にあるのですか?

自己啓発、スピリチュアル、様々な類のものはすべて怠惰な弱者から金を巻き上げるためにあるもの?

もしそれがイエスなら、精神病を根絶することは不可能ですか?


>>>管理人


精神疾患の分類とかその分類に則っての原因が今の精神医学では特定出来ていないといった現実があると思います。『心の苦しさ』と言ったテーマでさえもはっきりと特定出来ている医師或は専門家もいないように見受けられます。


現代医学が何故?原因が特定出来ないのかは分かりませんが、私が昔ノイローゼ(神経症)になって、治った経験からそういった精神疾患に付いての考察を書いてみたいと思います。

精神疾患の原因は、人間の脳の構造にあると思います。その脳の構造とは脳内に『人格を二つ有しているからです。』この原因によって脳内(心の中)で二つの心の間に争いが始まっているからと考察出来ます。

脳内の二つの人格の機能(働き)を書いてみたいと思います。一つは『自我意識』ですがこの”意識=心”は余り説明する必要はないと思いますが、精神疾患になって病む事があるのはこの『心』ですのでそう言った観点から少し説明したいと思います。

自意識という心は、生まれた時には存在していないかも知れません、この心は成長するにつれて学びながら大人になってゆくと考えられます。人生の観察者としては全てが初めての経験として学んでゆく者としての機能だと思います。

他方もう一つの人格としての心は、生まれる前から働き始めている機能です。命として授かった瞬間から全てを知り尽くして働き始めている心(機能)の事です。細胞分裂の仕方とか順番までも全て知り尽くして働いている者です。心臓の働きも消化器関連もホルモン関連も全ての働きを知り尽くして働く者(機能=心)と言っても良い存在と思います。髪の毛でさえも赤くも白くも黒くも出来る者です。

自意識=心が病む事を精神疾患と呼ぶのだと思いますが、脳の成長が関係していると思います。一般的に多い現象は、思春期頃が説明し易いと思います。人間として悩みが始まる頃だと思います。他人と自分を比較する事に始まって、恋愛感情とか恥ずかしいといった感情が沸き上がるようになって来ます。

聖書の中で『イチジクの葉で自分の身体を隠す、、、」と言った現象になって来ます。神に疑いを持つようになるはイコールで、脳内の自身の命の働きに疑いを持つは繋がっています。

思春期頃に脳の機能分化は完成に近づきます。これが精神疾患が増えるきっかけとなります、何故なら『心が二つに分かれる事を意味するからです。』見ている自分と、みられている自分という風にです。この二人に分かれた自分の心が相争うようになる事を精神疾患と呼んでいるのだと思います。

自意識と違う方の心は『無意識の世界に深く潜ってしまって姿を現す事が無くなりますが』誰でも気づく形で姿を現す事があります。火事場のクソ力を出す時や、危険が迫って急ブレーキを踏む場合などです。或は目にゴミが入りそうになる時などです。

自身を常に見守っていて、危険が迫った時などでは『自意識に任せる事などしないで、無意識の自分が急遽出て来て解決してくれています。』慣れた作業をする場合も同じです、ハンドルを握って悪路を走った場合とか、自転車の運転をする場合では『自意識は出ることなく、無意識の自分に心と体を預けています。』無意識による自動運転と言った状態です。これだから疲れる事なく長時間労働が可能となっています。

精神疾患と言った形態にも様々な状態、症状が在ります。

この前に無意識の底に隠れた自分の心『無意識の意識=自身の生命の働きと言った機能』についてもう少し説明します。この機能は『生命維持機能』ですが、人間の生命維持機能は複雑を極めていると思います。

生体としての生命維持機能(ホルモンや消化、循環器系等=主に生命維持に関する生体反応)この者との仲違い(疑う事)を自律神経失調症とか、過敏性腸症候群とか、現代医学では治す事が難しい病名が付いていながら検査では異常なしが出ている病名という事を意味しています。

行動様式とか、行動自体とか、行動に伴う疾患を神経症と呼んでいると思います。この原因は『無意識の自分と仲違いになっていて、無意識の行動に入る事が出来なくなった状態を意味しています。』吃音とか、書痙とか強迫行為とか、不眠症なども含まれると思います。

意識と無意識は交代制になっている事で、正常な生活が保たれていますが、自意識過剰と言った状態になっていますので、無意識からの交代要請が働いています。この交替要請が『何処から押し寄せているか、分らない得体の知れない漠然とした不安=医学が発達していない時代では、罪悪感=罪の意識=仏教では業』という事になると思います。

もう一つの精神疾患ですが、鬱とか躁鬱とか躁とか、統合失調症という事になると思いますが、

原因は二つの心の内部抗争とか出番争いとかが原因だと思います。「心の争いとか、矛盾とか、分裂」を悩む事が精神疾患の原因という意味です。

精神疾患の苦しさとは、一概に言うなら『生き難さ、生き難い想い』が主流を占めていると思いますが、是こそが精神疾患の心が苦しい原因です。

何処から押し寄せているのか分からない、漠然とした不安感とは、無意識の自分からの『交代要請とか、魂の救い』を表しています。無意識の自分とは、生まれる事も無くて死ぬ事もない永遠の命を持っている存在として『自意識に働きかけています。』

西田哲学の中では、主客未分の状態における直接的な経験、或は「絶対矛盾の自己同一」と言った言葉で言い表しています。

禅では生死の問題が解決すると表現しています。

精神疾患の根底に存在する疑問や不安は死に対する不安に他なりません。この不安が根底からひっくり返って『自身が永遠そのものの命だった事』を実感する体験となっています。
 

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