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(無題)

 投稿者:p2v  投稿日:2019年 4月12日(金)22時10分6秒
  管理者様に激しく同意  

治り

 投稿者:  投稿日:2019年 4月12日(金)20時49分53秒
  神経症の治りとは、
特別性からの解放です。

ただの人間になるということです。

無一物の本来性に戻るということであり、
すべての人との対等性に目覚めるということです。

雑用がスムーズにできるということも、
神経症の治りのひとつに指標になるかもしれませんが、
それだけでは、不十分です。

わたしが森田療法に批判的なのは、
森田療法では、
自分に対する特別性を求める心、優越感・劣等感、自己顕示欲、傲慢さ、他者に対する不寛容さ、攻撃性などの悪性を
克服できないと思うからです。

そもそも、
森田療法は、
このような悪性を克服することを目指してさえいません。

このようなものを心のうちに抱えながら、
心安らかに生活することなど、できるはずありません。
 

直人 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 4月12日(金)19時29分0秒
  斎藤氏の書き込みの中では治った人は、ゼロに近い様です。森田先生も鈴木知準先生も治っていないと書いています。

治らないで治療を開始したので、間違った主張をしていると言って、『森田療法の間違い』と云ったコーナーまであります。

斎藤氏の酷いところは、直人様が云っている事だと思います。社会生活を送るといった概念が皆無と言う、主張だと思います。おまけに世界中で神経症が治ったのは只一人だけ、この斎藤だけといつも言っています。

気が振れたとしか思えないような書き込みだと何時も”感心”しています。もう一つ感心している事が在ります、それは神経症は精神病と云った主張です。
 

風子さん②

 投稿者:  投稿日:2019年 4月12日(金)19時20分24秒
  管理人さんがよく言われる、

「症状の受容こそが治り」

というのは正しいと思います。

ただ、わたしとしては、
治りというのではなく、
「症状を受容することで心が安らかになる」
と言ったほうが良いのではないかと思っております。

というのも、
何をもって治りとするのかは、
その定義は、人によって様々だと思うからです。

そのことで、
「治った。治ってない」の不毛な論争が延々と続くことになり、
それをいまだに引きずってしまっている方もいるほどです。

それはさておき、
症状をどうやって受容するかということですが、
風子さんのように、恐怖が大きい場合、
症状を受容することは、とても困難なことではないかと思われます。

森田療法ではよく、
「感情は、勝手に湧いてくるものであり、自分の責任ではなく、
それをコントロールできない」
と言われますが、
わたしは、これは半分正しくて、半分間違っていると思ってます。

確かに、
自分の意志とは関係なく、湧いてくる感情もあるかと思いますが、
でも、大抵は、事実をどう解釈するかで、
沸き起こる感情にも変化が起こります。

事実そのものが感情を引き起こすのではなく、
事実をどう解釈するか、その解釈が感情を引き起こしているということです。

このことは、近年、はやりのアドラー心理学でも、言われていることでもあります。

解釈が感情を決めているのであれば、
解釈をしているのは自分自身ですから、
沸き起こる感情に責任がないとは言い切れなくなります。

ただ解釈そのものは、
無意識的に沸き起こってくるものなので、
恐怖に襲われたときに、
どのような解釈によって、その恐怖が湧いてきたのか、
気がつくことは難しいと思います。

ですから、
家にいて落ち着いているときにでも、
どのような解釈によって、恐怖の感情が引き起こされているのだろうかと、
一度、考えてみたらいかがでしょうか。

その上で、森田ではよく言われる、
「恐れのままやる」ということですが、
この場合、恐れをそのまま沸き起こるままにし、受容しているわけではない場合が、
多いと思われます。

逆に、恐れを感じることを拒否し、
拒否したいがゆえに、
「やるべきことに意識を向けなければ」と、
心と体を緊張させてしまっている場合が多いと思われます。

ですから、
「恐れのままやる」ではなく、
「自分の解釈によって、恐れが生じているわけだから、
心の中に、恐れが生じることをゆるし、その恐れを感じる」
とし、
そうすることで、
恐れを受容することになり、受容することで恐れは変化し、消滅します。

「恐れの感情に対して、こちらから手出しをしない」
というのも、
「恐れが感情が心の中に沸き起こることをゆるし、感じる」
そう考えたほうが、
受容しやすくなると思いますが、いかがでしょうか。
 

森田療法が消えたこと

 投稿者:斎藤  投稿日:2019年 4月12日(金)17時36分5秒
  「森田療法で症状の改善を目指すスレ」と言うのが5チャンネルに前あったが、
もう絶えて、その後継ぐ者が現れない。いよいよ森田療法も葬る去られた
のであろう。

インターネットが始まる前までは、情報不足であったから、世界ではフロイトの
精神分析が主流でおおくの心の病が治っているのだろうと思っていたが、
明けて見てびっくり。皆ぼろくそに批判していて、フロイトで検索すると
非難の合唱であった。だから1995年が精神分析の終わりの確認の年であった。

森田療法も1995年までは、伝説の療法であり、多くの完治根治を出す
奇跡の療法であると信じられていた。しかしこれも開けてびっくり治っている人は
何処にもいなかった。

クルトさんと言う名文を書く森田療法批判の急先鋒もいた。斎藤も
激しく森田療法を批判してそれをかれこれ20年近くやっている。
このためか、すっかり最近は森田療法を聞かない。

問題はこれからどうするかであるが、これが大変難しい。
治った人が皆無であるから、群盲象をなでるの現象を起こしてしまう。
脳の科学は待てない。後100年かかる。

治ったものが勝ちなのです。敵は自分の脳だ。
治ると自分の脳が味方であったのが分かる。
なんと健康世界は心地よい世界であるかが分かる。
 

斎藤さんよ、見直したよ!

 投稿者:ドリーミングガール  投稿日:2019年 4月12日(金)16時40分27秒
  斎藤さん すげ~・))

+++++++++++++++++++++

犬さんの表現に「思う」が多いこと。  投稿者:斎藤

こうすれば神経症が治るだろうと推測している分けだ。
神経症が治ると推測はしない。今まで30年も推測をしまくってこのザマだから、
もう推測をしないのだ。そしたら後は毎日の雑用の処理でしょう。
聞いてもいないのに長大な書き込みをすると言うのは、
既に狂いの世界の証明であり、とてもまともな生活を維持しているように
思えない。

+++++++++++++++++++これに対して犬さんは


わたしの表現に「思う」が多いということですが、
これは、推測しているわけではなく、
わたしとは違う意見、考えを持つ他者の存在を想定し、
その他者の意見、考えを尊重したいからです。

わたしとは違う意見、考えを持つ他者に対して、
自分の意見、考えを押し付けたくはない

斎藤さん以外の、大多数の人は、
他者との関係性の中で生きていますから、
他者の意見や考えを尊重することなく、平穏に生活するのは難しいです。

++++++++++++++++

なは なんてこったい、斎藤さん すげ~・))
斎藤さんよ、見直したよ。目の付けところが違うな。
斎藤さんの愛と思えたゼ感動もんだな。

なんかなあ、それに対して、犬さんには伝わってないな。犬さんの文章見ると、まんまよくわかるわ、やはり本の海ネットの海に沈没してるから水面下だかもわかんねのかもな。

自分の弱さをさらけだしてなんて意味ないじゃん
強さを見せびらかすもかっこわるいけど弱さを見せびらかすもかっこわるっ・)
なあ 弱いとかいってさ仏教の難し理論武装していて、天井見て妄想ワールドに浸る犬さんには斎藤さんの愛がとどけばいいのになあ~・)




ところでさ、風子が犬と思えるのはわたしだけ?

 

風子さん

 投稿者:  投稿日:2019年 4月12日(金)16時04分36秒
  >こちらの投稿は全て管理人様が
>目を通した上でアップされているのですよね?
>皆が皆、同じ意見では偏重的で、
>掲示板としてはつまらないものになってしまいます。

風子さんのコメントを読み、
おっしゃる通りだと思いました。
やはり、こちらに書かせていただこうかと思います。

ただ最初に、
一言だけお断りしておきたいのは、
わたしとしては、
森田療法で救われ、社会で活躍されている方々の存在を
否定しているわけではなく、
ただ、森田療法では救われないであろう方々も大勢いると思い、
そういう方に向けて書かせていただいているということです。
ご了承ください。

風子さんはまだこちらに来て、
日が浅いということですので、簡単にご説明させていただきますと、
ここを訪れる方は、大きく分けて、
次のような方になります。

①森田療法肯定派 ②森田療法否定派
③理論・理屈肯定派 ④理論・理屈否定派

です。

管理人さんは、①③であり、
斎藤さんは、②④であり、
わたしは、②③です。

そして、
管理人さんと斎藤さんは、10年来のライバルという感じです。

そういうこともあって、
こちらの管理人さんの掲示板も、
無為療法の斎藤さんの掲示板も、常に対立状態でした。
わたしも、しばしば、その対立に巻き込まれておりました。

わたしはできたら、
もう誰とも対立したくありませんので、
そう思って、
風子さんがさらにわたしに質問があるようなら、
自分の掲示板にして欲しいと書きました。
でも、風子さんのコメントを読み、
わたしがここに書くことにも意味があるかもしれないと思い直しました。

森田療法は、
神経症で苦しんでいる人が、
社会で活躍するための療法としては有効かと思います。
ただ、森田療法では、
しばしば、仏教の言葉が引用され、
神経症の治り=悟りとも言われることも多く、
森田療法=仏教の真理とされてしまうことが多いですが、
わたしは、このことに懐疑的です。

森田療法は仏教ではありません。
森田療法は宗教ではありませんので、
当然のことかと思いますが、
ただ、森田療法=仏教と誤解させてしまうことが、
森田療法にはあるような気がしております。

わたしは、
管理人さんにもたくさんのことを学ばせていただき、
感謝しておりますが、
わたしが管理人さんに対して、不満に思うのは、
管理人さんは、森田療法を熱心にすすめているのに関わらず、
森田療法の創始者である森田正馬の本を一冊も読んだことがないということです。
神経症の指導者として森田療法をすすめるのであれば、
わたしはこれはいささか無責任なのではないかと感じております。
わたしがこのように、管理人さんを批判するのは、
森田正馬の本の中には、神経症を良くするどころか、悪化させてしまう考え方も含まれていると思うからです。

また、わたしの考えとしましては、
森田療法と仏教とでは、
その根本的な性質が違うものであると思っております。

ごく簡単にその違いを説明させていただきますと、
森田療法は、世間の中で活躍することを主眼としておりますが、
仏教では、世間そのものから脱出する出世間が、
その究極的な目的になるからです。
(これは決して、必ずしも出家を意味しているわけではなく、
世間的なものに価値を置かずに生きるということです)

ですから、
森田療法と仏教は、同列に語られるべきものではないのではないかと思いますが、
でも、仏教の教えを、世間において、より良く生きるための知恵として活用されている方も、
世の中には大勢いらっしゃると思いますので、
一概に、森田療法と仏教は同列に語ることが悪いと言っているわけでもありません。

>目的本位が森田的生活で、感情本位が仏教的生活ですか?

違います。
森田的生活が目的本位だということはその通りで、
誰にも異論がないことだと思いますが、
これはわたしの考えですが、
仏教的生活は、感情本位というより、やすらぎ本位だと、思っております。

当たり前ですけど、
怒りを感じたからといって、
その場で、感情のままに怒鳴ることは、
仏教的生活なわけではありませんよね。

仏教における究極の目標は「涅槃」の境地、
つまりは、究極の心安らぎでありますから、
心安らかに生きることを最優先に生きること、
つまり、いまこの瞬間にくつろいでいることを大切に生きることを、
仏教は教えてくれていると、わたしは思っております。

ですから、風子さんの広場恐怖症を例に取りますと、
広場恐怖症を克服するために、
行動範囲を広げることに大きな恐怖を感じ、
心の安定を失うのならば、
あえて、そのような行動は避け、
恐れや不安を感じずに、
のんびりした気持ちで、できることをすれば良いのではないかと、
わたしは思います。

恐れがあっても恐れのままやるべきことをやるといって、
自分に厳しくするのではなく、
恐れがあるのなら、そのことをやることは避け、
自分に優しくしてあげるのです。

おそらく、風子さんはこれまで、
仕事や、育児、家事に、人一倍、頑張って来られたのだと思います。
そして、頑張りすぎてしまったことが引き金となり神経症が発症し、
そうして、今度は、持ち前の頑張りによって、
神経症を克服しようとして、悪循環にハマってしまっているように思われます。

森田療法って、
そんな頑張り屋さんには、とても魅力的な療法に思えるんですよね。

でも、森田療法で神経症を克服した人をみてますと、
10代や20代といった、
まだまだ人生への希望に満ち溢れた若い年代の人が多いように思うので、
10代20代はいざ知らず、
40代になったら、森田療法は捨て、
頑張らずに、のんびり生きることを目指したほうが良いのではないかと、
わたしは思います。

そして、仏教は、
頑張らずに、のんびり生きることの大切さを教えてくれているように思うんですよね。

いまの風子さんには、
頑張らないことこそが、大切なような気がします。
 

斎藤さん

 投稿者:  投稿日:2019年 4月12日(金)11時17分8秒
  わたしの表現に「思う」が多いということですが、
これは、推測しているわけではなく、
わたしとは違う意見、考えを持つ他者の存在を想定し、
その他者の意見、考えを尊重したいからです。

わたしとは違う意見、考えを持つ他者に対して、
自分の意見、考えを押し付けたくはないので、

「わたしは、こう思います」
「わたしには、こう思われます」
「個人的には、こう思います」

という表現をよく使います。

斎藤さんのように、
他者との関わりが少ない生活の中では、
断定的な物言いをされていても、
それほど生活には支障がないかと思われますが、
斎藤さん以外の、大多数の人は、
他者との関係性の中で生きていますから、
他者の意見や考えを尊重することなく、平穏に生活するのは難しいです。

>神経症が治ると、神経症者との会話が鬱陶しく思うようになる。

これは、お互い様ではないでしょうか。
わたしも、斎藤さんと会話をしたいとは、特に思っておりません。

でも、わたしの個人的な感想ですが、
斎藤さんほど、神経症の人たちの存在に依存している人は、いないのではないかと感じております。
いま、斎藤さんの周りから、神経症の人たちが消えつつありますが、
斎藤さんが、これまで言ってきたことが本心であるならば、
喜ぶべき事態であると思われるのに、斎藤さんをみていますと、
そのような気配は一向に感じらず、
逆に、とても寂しそうな印象を感じます。

斎藤さんが、才気あふれる方であることは、
たぶん、ほかの全ての人が認めるところであるかと思いますが、
わたしとしては、
斎藤さんは指導者としての立場にこだわらず、
もう少し自分の弱さをさらけだしても良いのではないかと思っております。

強い人間などいないのですから。

わたしが、森田療法よりも、斎藤さんの無為療法に親しみを覚える理由は、
森田療法では、人間は強いものであり、強いものであるべしというのが前提の療法ですが、
無為療法では、
「恐れや不安を感じることからは極力逃げろ」といった具合に、
人間は弱いものであるということが前提であると感じるからです。

わたしが神経症のどん底にいたとき、
森田療法が上手に実践できなかったわたしにとって、
無為療法は、生きる希望のようなものを与えてくれました。

その後、斎藤さんとは、
意見が合わず対立することも多かったですが、
わたしにとって斎藤さんは、命の恩人と言っても過言ではないほどの存在です。

特に、森田療法には間違いが含まれているということに目を開かせてくれたことには、
感謝してもしきれないくらいです。
 

自分に向けることを他人様に投影する斎藤劇場

 投稿者:p2v  投稿日:2019年 4月12日(金)00時58分12秒
  斎藤氏は、神経症のご仁に文句を垂れるが、それは自分自身のことなのだと前にも言ったよね。

今回もあいかわらずですよ。

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練習なんて意味ない  投稿者:斎藤  投稿日:2019年 4月11日(木)09時45分

神経症を禅で説明する人がいるが、これもお笑いである。
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神経症を禅で説明する人がいるってさ、それこそ斎藤氏だよね?
お笑いはあんただってわかんないのかね斎藤氏は?

ぜんぶ自分に向けることを他人様に投影してるよね?

そういう人格障害あったよね、、だれか詳しい人教えて、、

斎藤氏はやはり?



 

(無題)

 投稿者:風子  投稿日:2019年 4月11日(木)23時46分3秒
  管理人様
具体的なアドバイスをありがとうございます。
ジル・ボルト・テーラーの動画は
以前見たことがあります。
脳科学者の執念を感じました。
「治すことを諦め」つつある私が、これらのアドバイスとどう折り合いをつけて行ったら良いのか、
またもう少し考えて、教えを乞うていきたいと
思います。

犬様
大変ご丁寧なお返事、ありがとうございます。
一つ一つ真摯にお答えいただいたことで、
私のようなものでも、ほぼほぼ理解できました。

犬様がこれ以上の質問はご自身の掲示板の方で
とおっしゃいますが、こちらの投稿は全て管理人様が
目を通した上でアップされているのですよね?
皆が皆、同じ意見では偏重的で、
掲示板としてはつまらないものになってしまいます。
それを思うからこそ、管理人様も反対意見を
アップされるのではないでしょうか。
まだ参加して日の浅い私が偉そうにすみません。
とはいえ、犬様にご迷惑がかかるようでしたら
犬様の掲示板の方で質問させていただきます。
③の縁と理想の違いが、私には難解すぎて
まだ分かりません。改めて、何が分からないかを
考えたいと思います。

ドリーミングガール様のコメントを読んで思ったのですが、目的本位が森田的生活で、感情本位が仏教的生活ですか?だとしたら、私は僧侶のような生活は
もう少し後にして、今は森田とともに
症状を背負っていこうと思うのです。

ただ、森田でどうにもならなくなっても、
それで終わりではなくて、犬様のおっしゃる
縁による生活もあるのだと知ることができ、
気持ちに余裕ができました。

私にとって、教えを乞う方が、
無我の体験があるとかないとか、
神経症が治っているとかいないとか、
どうでもいいことです。
森田についていきたいけど、気持ちがおっつかない、
という私のような神経症者には、
また違った見方を提示して下さった犬様の教えは、
大変有意的だと思いました。

 

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