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フラッシュバック

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月10日(月)20時28分19秒
  是は神経症を治すホームページからの転載です。


フラッシュバック   投稿者:斎藤   投稿日:2018年12月10日(月)20時00分55秒


   私は過去20年間殆ど健康な生活をして来ましたが、時々フラッシュバックに襲われたのを
否定できない。特に最初の5年が随分ありまして、無為療法の指導者が患者に
なり果てたの情けない目を何回かしています。
我々の脳は神経症脳であるから、一つ間違えると神経症の地獄に放り込まれる。
でも殆どのフラッシュバックは短期間に脱出して事なきを得ています。



こう、斎藤氏は書いています、処が『我々の脳は神経症脳であるから、一』と書いている部分には認識不足の処があります。

症状から抜け出したいという部分が残っていて、此処を意識した場合では『フラッシュバックに入ると思います。』

治りたい気持ちで、症状からの逃避をしようとした場合では不安感が増大してフラッシュバックになると思います。

症状を受け入れるという場合では、症状が襲ってきたとしても、あばらう事が無くなっています。

『症状よもっと強くなって襲って来い』と言える段階ではフラッシュバックなどは起きません。

鈴木知準先生は『フラッシュバックが襲う』という事に付いては言った事はありませんでした、完全な治りを教えて頂いたのだと思います。

斎藤氏のホームページの読者が、どうなるのか見守ってゆきたいと思います。

兎にも角にも、パニックになるような事態になった時では、不安とか恐怖から逃げ出す事が無くなった時には、パニックになる前に収まります。此処がパニックに在らないための肝、或は急所になると思います。
 

鈴木様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月10日(月)07時38分56秒
  治った証は、症状を思わなくなることですか。症状を思えば治ってないのですか?

この事に付いては、いささか意味が違います。本当の意味は。『症状に振り回されなくなる』という意味です。

症状が有るからつらいとか辛くないとかが気にならなくなるという事です。つまり症状が意識に上って来なくなった時という意味ですが、この時になると、もう症状とはならなくなっています。

つまり『心の違和感としては成立しなくなっている=症状ではないものに変化している』という意味です。

症状らしきものは無くなりはしませんが『心から追い出しをしようとしない事で』意識に上がって意識地獄が発生しなくなっています。

この意識地獄をノイローゼと呼んでいますので、意識地獄にならなくなった時点で症状は夢幻となって消えてしまいます。是が完治したという意味になります。
 

治ったか

 投稿者:鈴木  投稿日:2018年12月 9日(日)19時02分26秒
  「治る事が症状が無くなる事と勘違いしている事だと思います。」
初めて聞きました。症状があっても治っている。
治った証は、症状を思わなくなることですか。症状を思えば治ってないのですか?
 

病床中の雑用

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 9日(日)14時32分34秒
  老衰とか骨折の手術等で入院病床中は、読書や空想が雑用になりましょうか?


>>>管理人


僭越ながらお答えしたいと思います、神経症を治すための努力は必要と思います。ですがその努力の方向性で言うなら、治る為の努力は有効だと思いますが『症状を無くすための努力とか、症状の軽減のための努力』をするならかえって悪い方向に行くと思います。

雑用をする場合であっても、症状の軽減のための雑用であるなら、反って悪くなると思います。

神経症を治すために必要な事は『症状の受容』だと思います、斎藤氏の場合では神経症が治るという事や悪くなるといった事に関しての、具体的とか詳細とかと言った、事実に即した解釈や説明は出来ないようです。

詳しい情報を下さいと言ったところで『貴方は治っていない、とか、質問をする事自体が間違い』としか言わないようです。

神経症は治った感が余り期待出来ないように感じます。処が治るという事がどういう事なのかが分かる時には治っています。それは症状に付いて余り否とか良いとかを言わなくなった時です。

症状に関してあまり興味が無くなって、症状が出たとか出なくなったとかが余り気にならなくなって、症状が出ても出なくとも、そんな事などもうどっちでも良くなった時には治っています。

ですので神経症真っ盛りの時には『症状が無くなったらどんなに喜ばしい事か!』と考えていたとしても、症状を受け容れる事が出来てしまって、いわゆる完治と言った状態になった場合では『症状が有っても無くなってもどっちでも良くなった状態』ですので、『嬉しいとか喜ばしいとかと言った感情は湧き上がる事はありません。

『神経症が治った価値は一億円の価値がある』と考える様でしたなら、未だに治っていないと言わざるを得ない状態と言っても良いと思います。その理由は『症状が有ったら悪い』と考えている事を意味しますので未だにフラッシュバックとかによって『症状に苦しむ場合がある』と言った状態を示していると思うからです。


ついでにもう一言書くなら、神経症を治すホームページでの、『神経症を治す方法を探してはならない。』といった記事がありますが、これ等は神経症そのものの理解が不足しているように見える書き方をしています。


それは神経症に対する理解という点だと思います。神経症を治す方法は当然存在すると思います、ですので神経症を治す方法は研究する価値は大いにあると思います。そうして神経症を治す方法とかの研究は大いにする必要はあると思います。

してはいけない事は『症状の軽減を図る事』だと思います。或は『症状の消滅を願ってする行為とか行動だと思います。』

此処の処の違いが後々になって大きな差が生じる点だと思います。

一休さんが何時までも治らないように見えている原因は、治る事が症状が無くなる事と勘違いしている事だと思います。症状が消える事は無い事を了解出来た時が完治した事を意味するからです。

症状は無くなる事は無いという事を、納得出来ずにいる状態が、治らないでいる人の場合を指しています。。
 

パニック障害持ちです

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 8日(土)20時58分55秒
  パニック障害持ちです

電車に2時間乗って、
LIVEに行けると思いますか?
行くだけで2時間です。

LIVE自体には、
パニック障害になってからも
何度か行ったことがあります。

もし、2時間程電車に乗って、
LIVEを楽しめたなら、
パニック障害は治ったことに
されますか?


>>>管理人


パニック障害は、ノイローゼの一種と思います。不安恐怖症とかと言っても良いと思います、神経症の一種という事になると思います。

ノイローゼとか神経症といった名前の裏に横たわっている、本当の意味での原因を理解して、その原因が取り除かれた暁には、健康人或は健常者という事を意味しますので、何処にも行けたり、電車はもとより飛行機などにも乗れたりすると思います。

パニック障害の原因とは、簡単に説明するなら『自分自身を怖がっている事』を意味します。パニック障害の原因は今の医学ではアレルゲンにある、或は本人が感じているストレスがその基になっていると主張しているようですが、本当の意味では違っています。

この原因は、症状が全く違っている『神経症全般』に付いても言う事が可能です。従って発症する原因も治癒『治ってゆく原因』も皆共通点があります。

始めに語る事は、環境がストレスを作っている訳ではないという根拠です。その理由は同じ環境とか同じ兄弟とか、同じ状況に晒されていても発症したり不安感や恐怖感に恐れを抱く人は、いないといった事実だと思います。

この意味は神経症になる人の考え方とか資質とか言った個人的なものが関係していると思います。この個人的なものが関係して神経症の各症状群は発症していると思います。

神経症の原因は実に簡単な事が原因で発症していますので、その背景を説明します。

その原因とは『脳内に二つの意識が存在している事』がその基を作っていますが、健常者と言われる人と神経症が発症してしまう人に分かれます。

神経症とか、心を病むという症状が出始める年ごろからその理由を知る事が出来ます。

それは世界の宗教の原理の中に書かれて様です。人間としての最高の心持に成れるところは『天国に住む事、或は極楽浄土に住む事』だと思います。そうしてその事をを実現で来た境涯(心の状態)は涅槃(心が静まり返って、心の中に波風が起きれない状態)という事になると思います。

そうして聖書は語っています、その天国に住める人間は『幼子』という事になります。仏教でも同じ事が語られています。そういった心安らかな状態であるには『嬰児』がふさわしいという事です。

パニック障害神経症、或は天国や地獄を分からせようとしている宗教も脳科学で説明出来ると思います。

つまり幼子や嬰児には神経症とかパニック障害は無いという事実です。そうしてこう言った症状などが顕われる年齢からも、原因が分かると思います。

聖書の言葉を語ると信憑性が確保出来ると思いますので、聖書の言葉で説明します。その言葉とは『失楽園』ですが、この言葉の裏に神経症の原因やパニック障害の原因、更に解決策が隠されています。

失楽園の言葉の裏に隠されている事実とは脳の機能の成長です。幼子とか嬰児とは『脳が未発達』の為に自分の心が一つしかない、という意味があります。ですので怖い時は『怖いだけ』この事が天国に住んでいるという意味になります。つまり『予期不安』が沸き上がる程の知恵は無いという意味になります。

処が脳の成長が進んで来て、思春期頃から、脳の機能が二つに分かれ始めるようになります。一つは自我意識として或は顕在意識として『自意識を形成しています。』ですがもう一つある意識は『無意識となって、自意識の前から姿を晦ましてしまいます。』

この事を失楽園と表現しています、その理由は知恵が付いて(無意識の自分として、隠れてしまって)自意識の背後で自分の心にインパクトを加える様になって来ます。

このもう一人の無意識の自分とは潜在意識という意味です。会いたかった人との出逢いでは『胸をときめかさせている者』です。寒いところにいる場合では『暖かいところや温かい飲み物』等を探すように指示を出している者、と言えば分かり易いでしょうか?

或は高い所にいる時には、尻のあたりをムズムズさせながら、その高さとか怖さを言葉に依らない情報として、自意識に脳梁を介して送っている者の事です。

幼い頃には、裸でいても平気でしたが、自分の裸を人前に晒す事で『恥ずかしいといった感情』を湧き上がらせて、イチジクの葉でもって身体を隠させようとしている者の事です。

知恵が付いて天国から追放されるという意味は、今までは一つの者として働いていた自分の心が見る者と、見られる者という風に二つに分かれてしまって、相争う事が始まる、という様に機能が二つになって争いを始めるといった事を意味しています。


脳の機能の説明です。人間の脳は二つに分かれている事から理解する必要です。初めにこの脳の研究成果を載せてみます。ウイキペデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”


簡単に説明するなら、左脳に存在している意識が自意識=顕在意識です。言葉で理解出来て言葉によって学ぶ事が出来る機能で出来ています。

右脳にも意識がありますが、殆どの人はその意識を意識出来ないようです。何故というなら『無意識の主人公』といった存在だからです。禅などでは左右の脳の出会いを悟りとして訓練する修行方法ですので、当然の事にこの事には触れていますが、この関係性を『没交渉=もっきょうしょう』と表現しているようです。

余談ですが、悟りを開くという意味は『自分自身を知る体験=宗教体験=或は神秘体験』として語られる事が多いようです。脳科学的に表現するなら『左右の意識は、日常的には交代制を確保しながら、正常な毎日が確保されています。』

この意味は、毎日毎秒毎に、左右の意識は相談しながらどちらが主導権を取るのかと言った事を、常に判断をしながら交替制が確保されています。

もう一つ脳の機能を説明するなら、右脳の意識は、自意識には自覚出来ませんが、絶えず自意識の背後に存在していながらも、目には見えない存在としていながらも、絶えず行動を促したり、自意識たる心に影響を与え続けています。

漠然とした不安を感じたりさせている者です、或は『生命維持活動を司どっている者としての、責任感から、自意識に言葉に依らない情報を常に送っています。』


右脳の意識は宗教に於いて神とか仏とかと呼ばれている存在です。言い方を替えるなら『命を働かせている機能』=『命そのものの働き』という事になります。

聖書の言葉通りに解釈するなら、神に背いて(右脳の情報を着信拒否にして)高いといった情報を受け取ろうとしない場合が『高所恐怖症』

右脳からの情報の内広いといった情報の場合が『広場恐怖症』する如何はものを見た感覚の情報の場合が『先端恐怖症』

つまり右脳からの生きるために送られている情報とか、その情報の送り手(右脳の意識)=(見えざる神)を嫌ってしまう現象が神経症の原因を作っている事を意味しています。

人間は生まれながらに持っている脳の機能があります、それは命を働かせている機能です。DNAと言っても良いのかも知れません。髪の毛や肌の色でさえも自由に染め分けて、脈拍とか鼓動までも自由自在に知り尽くして働かせている働きを言っています。或はホルモン系統でも神経系統でも同様です。

心的な作用も同様です、人間は学ぶ以前から知っているものがあります、不安とか恐怖とか安心するとかいった者から始まって、スタンデイングオベーションのような感激する場面では、誰ともなく何処ともなく沸き起こる感動にお互いにむせ返る様に出来ているようです。

神に背くという意味では、身体的な機能を疑うという事になった場合では、自律神経失調症や難治性の心身症一般という意味になると思います。

又行動的な機能を疑うと言った場合では神経症、の内おもに行動を伴う症状を示す状態と考えても良いと思います。

心に湧き上がる考えとか感情の場合を、心を病むとか、心的な症状を問題にしている症状、神経症の中の不安障害とか恐怖症と言っても良いと思います。

つまりパニック障害の原因とは、人間の自意識に送られている情報を『怖いといった理由から着信拒否をしている事が原因で発症している事を意味しています。

従って、神経症全般に言える事ですが『症状らしきものの受容』が解決策と言えます。

最後に治った姿を書いて終わりにしたいと思います。

治る為の条件を書いてみたいと思います。症状の完全受容が出来た時が完治した姿ですが、そうなる為のやる事です。

恐いとか不安と言った症状が出る場合の事ですが、その不安とか恐怖が始まる時は初めは小さなものです、この小さなもののうちに受け取って置くならそれ以上大きくなる事はありません。この事を覚えて置いて下さい。

パニックになる原因とは、この小さな不安とか恐怖を『心から追い出そうとして、自分の心を加工しようとすることから始まっています。』

この小さな不安とか恐怖心を、生きるための情報として送っている者が着信拒否をされてしまった事を知って、『もう一度再送をしています。』二度めの情報は一度目の情報を置きくして拡大して送っています。』

小さな不安を大きくすると恐怖になります、そうして恐怖心をもっと大きくすると『パニック』になってしまいます。


始めに送られた小さな情報としての小さな不安を、受け取らない事によって『だんだんと大きな不安に変化して送られてくる情報を怖がっている状態がパニック障害の原因を作っています。

 

続―不安障害(恐怖症)の罹患者で、SSRIや抗不

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 5日(水)07時36分39秒
  このたびは大変良質な回答を戴きました。

心から感謝申し上げます。

私も結婚当時の貴方さまとほぼ同じ年齢で、ちょうど13, 14歳くらいから症状を抱えています。

とはいっても、私のそれは人間が怖い/人から拒絶されるのが怖い/苛められるのが怖いといったありふれた類のものなのですが、病的に囚われているせいで「そうではない」人生を想像することすらできません。

性根では人と心底関わりたい(見てほしい)のに外に出ることもままならず、勉強も仕事も満足にできない状況が続いています。

「全てを忘れ果てて仕事に没頭して」とありますが、これが本当に羨ましいです。

私も何かに打ち込む機会を心から欲しているのですが、エネルギーを全く違うところで使い果たしてしまっている毎日です。

刻一刻と人生が取り返しのつかないところに向かってしまっていってるという危機感を覚えています。


>>>管理人

神経症を学ぶ事は如何でしょうか?症状は様々存在していますが、発症するメカニズムは、症状は違っていても全てが同じです。

例えば書痙というものがありますが、他人が見ている前で字を書こうとした時、手が震える自分に気が付いてしまって、手が震えてはいけないと考えて『自分の意識を手が震えない事に集中して』手が震えないようにするようになり、気を付ければ気を付けるほど手が震えるようになってしまって、終いには両手で字を書こうとしますが、努力をすればするほど『自分の意志に反して字を書く事が出来なくなる現象』を書痙と言います。

字を書く事を、話をする事に置き換えた場合が吃音という事です。この症状を不安とか恐怖と置き換えた場合が『恐怖症とか不安障害になります。』

従って貴方の言う事『私のそれは人間が怖い/人から拒絶されるのが怖

字数オーバーになりましたのでここで止めにします。もう一度質問を受けたなら書けるかもしれません。


続き―

従って貴方の言う事『私のそれは人間が怖い/人から拒絶されるのが怖い/苛められるのが怖いといったありふれた類のものなのですが、病的に囚われているせいで「そうではない」人生を想像することすらできません。

ですので私の言う事を信用しなくとも良いですので、ノイローゼが治る為の条件が分かりますので書いて置きます。

1-症状は無くなる事は無いですので、症状が無くなる事を諦める事。

2-症状の事は考える事は致し方ないですので、せめて口にしたり書いたりしない事を守る事=『不問』の態度を守る事。


こういう生き方を貫く事によって、不安とか恐怖が襲ってきた場合でも、不安とか恐怖とか症状が有るとかなくなったとかには余り関心が無くなってゆくようになります。

症状が有るとかなくなったとかを余り意識する事の無い生活になって来ます。

此処まで来たならあと少しです。症状に振り回されない人間性が出来た時症状は無くなります。



<<<質問者


ご返信ありがとうございます。
仰ったことですが、嘘偽りなく全面的に信用できると感じます。

しかし

2-『不問』の態度を守る事

についてですが、それこそ書痙などで「変に思われるのを避けるために」予め自分の症状を他人に打ち明けてしまいたいという衝動に駆られてしまいます。

実際にはその勇気すらないのですが、何も伝えることなしに誰かに症状を露呈して変に思われるというのはその後に何が起こるか(苛められる…など)ということも含めて私にとって余りに恐ろしい事態です。

しかし、それでもやはり保身に走ることなくあえて口外しない姿勢を貫いたほうが態度としては望ましいのでしょうか。

また、完全に諦めきるまでは神経症は治らないものとして、ひたすら耐え忍ぶしかないということなのでしょうか。

神経症を完治させることは早々あることではないと認識しています。是非、お話をお伺いしたいです。


>>>管理人


神経症の完治というものは、症状の受容をした時の事です。吃音の人に吃音を受け容れなさいという事は、変に映るかも知れませんが、事実です。

症状を受け容れる事が出来なくて、症状の改善とか消滅を願ってこの方向でのみ努力をして行く事が神経症という事です。この意味で『症状は違うとしても、治って行く事の方向性は同じです。』という意味です。

症状を嫌って改善と言った無駄な努力をする事を『神経症』と言っています。症状とは『意識上に上げて問題にしている事柄』という意味です。

不問の態度を貫く事によって、症状の有り無しにこだわる事から離れて行く事が出来るようになります。

症状が出ても、出なくともそういった事を問題にしないでいられる時『神経症の外にいる』症状が有りながら、症状としては成立しない=症状の消滅=完治と言った事が成就出来ます。

それには『症状の有り無しを言わない事、書き残さない事』=不問といった態度が必要です。


従って『完全に諦めきるまでは神経症は治らないものとして、ひたすら耐え忍ぶしかないということなのでしょうか』はとても大事な正解という事になります。

 

不安障害(恐怖症)の罹患者で、SSRIや抗不

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 4日(火)07時39分32秒
  不安障害(恐怖症)の罹患者で、SSRIや抗不安薬が劇的に効いた経験をお持ちの方を探しています。

それ以前とそれ以後では人生がどのように変わったのか、今でも投薬を続けているのかあるいは

既に卒業したのかなど、全般的なお話をお聞かせ願いたいです。

お手数をおかけしますが、どうか何卒よろしくお願い申し上げますm(_ _)m


>>>管理人


SSRとか抗不安薬とかの薬効は、一時しのぎでしかありません。従って、もし効果があった人がいたとしても、それはまぐれと言っても良いと思います。

つまり、薬の効果が弱くなった段階では、不安感とか恐怖心は以前と同じように襲ってくると思います。或は逃げの姿勢に入っているといった影響によっては反って不安感とか恐怖感とかは強まっているかも知れません。

不安症とか恐怖症からの完治を望むなら、人間そのものを学ぶ事が有効と思います。人間の何を学ぶのかというと、『なぜ人間は苦しまなければいけないのか?』と言ったものだと思います。

かくいう私も14歳から32歳までの18年間もの間恐怖症で苦しんだ経験があります。確か27歳の頃だったと思いますが、結婚をして長男が生まれて間もなくして恐怖症の症状が大変きつくなって、生き難さが大変大きくなって、ノイローゼの治療という事で東京の鈴木知準先生のところで2か月間入院森田療法を受けた事が在りました。

入院費は大分高かったように思いましたが、このままでは大変という事で、妻に相談してOKを貰ってさっそく入院をいたしました。毎日、毎日雑用が主にやる事ですが、何日か経つと講話という時間が設けられていまして、先生が選んだ本を読んで下さいました。

剣道の場合では、剣豪の修業時代と、免許皆伝との関係性とか。禅の話では『難しい事から、弓道の先生の話が載っていた、ドイツのオイゲンヘーゲル、という人が書いた”弓と禅”』といった本などです。

2か月の間ですので、沢山の話があったと思います。話出しはいつも決まった言葉がありました。『今は聞いても分からないかも知れませんが、分かる時が来たならピタリと分かりますので、分らなくとも良いですから聞いて置くように』と言った言葉でした。

そうして時折『ノイローゼは悟りを開かないと治らない』とも言っていました。

そうして先生の書庫が廊下にありまして、鈴木大拙全集が置いてありました。何だかは分かりませんでしたが、入院治療が終わって自宅に帰ってからは、出来るだけ『鈴木大拙博士の著作集』を心がけて買って読むようにしていましたところ、退院してから4年後の事、自分が自分の『無意識の意識と出会うといった体験を致しました。』

その時、ノイローゼが一気に治っていました。その後はノイローゼになった事も治った事も、全てを忘れ果てて仕事に没頭して60歳を超えた年になりました。

今はもう70歳になりました。

ノイローゼが治った理由を書いて置きたいと思います。私の場合は『死に対しての恐怖症』という事で、寝ても覚めても『死が怖い』と言った恐怖感に怯えていた事です。

森田療法の大家であった鈴木知準先生の所に入院したところで『死が怖くなくなる事』等はあり得ないと信じていました。つまり森田療法を受けたところで『死の恐怖から逃れる事など出来ない、治るはず等はあり得ない』と考えていました。

只余りの症状のきつさからは逃れる事が出来ないとしても、少しだけでも生き難さが軽減してもらいたい、といった程度の願望を抱えていました。

ノイローゼが治る為の条件が分かりますので書いて置きます。

1-症状は無くなる事は無いですので、症状が無くなる事を諦める事。

2-症状の事は考える事は致し方ないですので、せめて口にしたり書いたりしない事を守る事=『不問』の態度を守る事。


この二つを守って後は、禅学を学ぶ事でノイローゼ=神経症は治ると思います。

私の場合では鈴木大拙博士の著作集を読む事で成就出来ました。

聞きたい事が在るようでしたら答えたいと思いますので、何なりと聴いて下さい。
 

カタカナ英語が気になる。

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年12月 2日(日)17時36分14秒
  トラウマと言うが英語の発音はトローマである。
カオスと人は言うが、英語の発音はケイオスです。
ショベルカーと言うがシャベルカーが原音に近い。
スルーすると人は言うが、あまり英語でスルーするとは言わない。
NGと言うがこれをNo Goodと言えば一発で分かるが、NGと
言われるとキョトンとしてしまう。
アラフォーとはなんとAround Fortyとは!!

入国する人と言えば良いのに、わざわざインバウンドと言う。
証拠、理由、原因と立派な日本語があるのにわざわざ
エビデンスと言う。エビでも食いたいのかねと言いたくなる。
よほど日本人は英語に劣等感があるらしい。
これを避ける最善の方法は、今直ぐ英語を話し始めるのです。
カタカナ英語なんて笑わせるなと言いたい。
 

雑感

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 2日(日)11時51分52秒
  神経症を治す掲示板第二、というものを斎藤氏が開設しています。投稿した瞬間から載ります、しかも削除なしです。この掲示板の読者は毎日百人は下らないようです。

神経症が治らないで骨を折っている人達に見て頂きたいという想いから、時々投稿をする時があります。
 

神経症になってしまう原理と治る為の原理です。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 2日(日)11時28分7秒
  神経症には沢山の症状とか不安の形とか、恐怖の形がありますが、神経症になる原因と、治ってゆく形は共通していると思います。

原理原則と言った理屈とか理論が頭で分かったところで、畳の上で水泳を学ぶ事と同じで、本当に泳ぐためには役立たないかも知れませんが、何時か治った暁には(治る為のヒントと共に)役に立つかもしれませんので、一応書いてみたいと思います。




神経症になる原因は、環境のせいではありません、只環境は二次的な誘発要因になっているかも知れませんが、根本的な要因は、その本人の資質にあると思います。




その資質とは神経質な性格という事です。不安になり易い性格という意味でもOKです。




他の人達が気付かないけれども、神経質な人が気付くといった内容は、自分自身の心の内部構造に不安を覚えてしまうという意味です。この内部構造という意味は、脳内に二つの人格が存在していて、自意識が『もう一つの意識に突き動かされて生きている事』に違和感を抱きやすくなっているといった意味でOKだと思います。




もう一つの意識とは『生命の働き』を司っている意識です。臨済義玄禅師が『癪肉壇上に一無位の真人が居る、云え云え!』と言った真人の事です。




寒いところにいる時には『暖かいところや温かい飲み物を求めさせて、自分に指示さえ出している者の事です。』




暑いところにいる場合では、涼しい所や冷たい飲み物を求めさせて、内発的に行動を差せようとしている者の事です。




こういった者との間に違和感が生じやすい人の事を、不安になり易いとか神経質な性格と表現する事が出来ると思います。




神経症の原因とは『自意識』という機能が、『無意識』という機能と、順調に交替出来なくなる現象という言い方も可能と思います。




恐いとか、不安と言った具体的な情報は、自意識に送られている情報ですが、その情報の送り手は『命そのものの働きをする機能』です。




命の働き=無意識の自分という事になります。従って漠然とした不安とか、恐怖感とかは『命の働き』からの情報です。この情報とか、この情報の送り手そのものを恐れた場合が『不安症とか恐怖症』になった事を意味しています。




高所恐怖症の場合では『高い所の情報とその情報の送り手』を怖がっている事を意味します。




或は罪悪感=漠然とした不安、という形容し難い感情がありますが、これ等も良い例です。自身の命そのものの働きから送られてくる情報です、この意味は様々あるかも知れませんが、主に『交替要請』と言った意味合いが多いと思います。




不眠症を例に挙げるなら、眠る場合では『自意識は無くなってゆきます。』完全に自意識が無くなった時には『無意識の自分が交替をして身体と心の支配権』を握って、朝が来たらその支配権を『自意識に返しています。』すっきりした目覚めになっています、何故ならば自意識はすっかり、『自分の無意識に任せていて休まっていたからです。』




処が”意識”は是を自覚出来ません、何故ならば意識が無くなった事を意識出ないでいるからです。




日常の生活でも絶えずこういった交替が続いています。処がこういった交替劇は誰も『自覚出来ない事から』気付く事は無いようです。




こういった理由で神経症の原因は、自身の意識VS無意識との間の葛藤、或は対立、或は矛盾が原因という事です。つまり心の矛盾とか対立とか葛藤が原因になっている事を挙げる事が出来ます。




神経症が治るといった原理を書いてみたいと思います。




神経症になった事は『症状』として現れて来ると思います。処がその症状とは、自身の生命の働きから送られてくる、生きて行くための情報』ですので、無くなる事はないと思います。







従って治るという意味は、その情報を素直に、有り難く受け取って置く事が出来た時という事になります。







精神薬と言われているものとは、この情報を送る者と、その情報を『自意識に伝え難くする事』が目的として作られています。』ですので神経症の場合では薬を飲む事は、只の時抑えの効果しかなくて、根本治療にはならないと言われる所以が此処に在ります。




神経症を治すためには、症状の消滅とか、症状から逃げる事は返って悪化を招く行為になります。神経症が治るという意味は『症状を受け容れる事』で完了するからです。










神経症を治すための第一条は『症状』の無くなる事を諦める事です。」




神経症を治すための第二条は『症状』に対しての”不問”です。症状の事を考える事は致し方ないとしても、口にしない事が大事です。







この二つの事を実行すれば神経症の外に居ます。




では治りに付いて少し説明して終わりにします。




この二つの事が徹底された暁には『症状』が出たという事にも、出なかったことに付いても余り感想が無くなっています。つまり症状が有っても無くなっても余り関心が無くなっています。




この余り関心が無くなった状態が肝心になっています。此処まで来た場合では『同じ症状らしきものが出たとしても、問題にしない態度』が完成していますので、同じ症状が出たとしても、それはもう問題にしていない段階で『症状』としては成立しない状態になっています。




つまり症状が有って、症状として出たとしても、症状としては成立していない事を意味しますので、『症状の消滅』を意味します。此処まで来た段階が神経症の完治という事になります。




生きるために送られてきていた情報を、只自意識として受け入れる事が出来た状態になっています。




症状として意識上に上げていた事が問題になっていただけと分かります。症状を問題にしなくなったところで、症状ではないものになっています。




症状を悪いものとして嫌っていた事が問題になっていた事を意味します。何が良くて何が悪いのかと言った価値観の転換も進行していたのかも知れません。
 

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