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恥づかしい時に顔が赤くならない方法ありますか? まじで嫌です。きもいです。
>>>管理人
人間に本来備わっている機能に付いて、違和感を抱いたり、嫌う場合を神経症と云ったり、ノイローゼと云っています。
人に会った時の印象を、分析をして詳細に自分の心に教えている機能を、嫌う時を対人恐怖症と云っています。教えられている内容の内、男とか女に付いての印象を解きに嫌う場合では、異性恐怖症と云っています。
顔が赤くなる事を嫌う場合では、上がり症と云っているようです。
高い処に行った場合での状況(感覚)を嫌う時では、高所恐怖症です。
狭い処にいると云った感覚を嫌う場合では、閉所恐怖症です。
神経症の場合での症状としては未だ沢山の症状があります、そうして其々の症状の間には、特に何の関連性はありませんが、たった一つだけ関連性があります。
その関連性とは『(違和感として)意識する事』のようです。
また神経症の場合では、治った感が乏しいようです、確かに治った、と云った感想は特に無いと云う意味です。
神経症の治りに付いて、説明したいと思います。神経症を精神科医達の処で治してもらう場合もある様ですが、精神科医達の間でも『神経症の原因は分かっていない』という事が定着しているようです。
処が精神科医達では、神経症は早期発見で早く良くなります。を歌い文句にしているようですが、現実では原因(不明)を元から治す事が出来ない以上、確たる治し方は存在していないようです。
精神薬を処方して、治療をしているようですが、症状の軽減を図るやり方で、神経症を治すと云う方法は、あまり効果が無いようです。
その理由と、本当の治し方を書いて終わりにしたいと思います。
精神薬を処方してもらうと云う意味は、頭とか心に沸き上がった自然の感情を異常なものとしている考え方に拠っています。従って薬の効用が有る間だけは、治ったような気がしているだけで、薬の効用が無くなった時点で、又元の木阿弥になっています。
或いは少しの恐怖感や違和感だったものが、薬の効用のお陰で、同じ恐怖感や違和感をもっと強烈に感じてしまう場合もある様です。
兎に角今の治療方法は『時抑えや、熱が出た時の熱さまし』と同じで、根本的なものではない事は確かのようです。
では、神経症やノイローゼに置いての『根本治療とは何であるのか?』を書いて終わりにします。
神経症の原因を知るなら完璧ですので、原因を先に書いてみたいと思います。
人間の脳内には二つの機能が存在しています。脳の構造です。ウイキぺデアからです。
”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”
この中に書いてある、右脳の意識が人間の生命の維持機能です。言い替えるなら『命の働き』です、『仏性』です。
この意識と出会う事を『見性』=『悟りを開く』と表現します。そしてその体験を『手から手へと直に手渡しで伝えられてきたものが』”禅”と呼ばれてきたものです。
釈迦の心を直接『手渡しで伝えてきた』処から仏心宗とも呼ばれているようです。ところが、鈴木大拙博士が存命中には、インドでも中国でも、絶えて無くなって久しいと云っていました。
禅は今や日本に存在するのみ、になったと云っていました。
1,905年生まれで、1,997年に亡くなるまで、精神科医として働いていたウイーン生まれの、V.E.フランクル博士も『知られざる神』という名でのその存在を知らしめようとしていました。
禅の中で語られている『それ』の存在です。仏性です、或いは命を働かせている機能=右脳の機能の事です。
この動画で語られています。無意識の自分の機能と云っても良いです。もし恐怖症とか、不安障害の人であるなら、右脳の意識と出会うなら完治します。
漠然とした不安を、自意識に送っている者です。無明の闇を晴らす時の相手です。
脳卒中になったために、右脳の自分と左脳の自分をうまく表現している動画を載せて置きます。是は1/2ですので、2/2も探して見て頂けるならもっと良く理解出来ると思います。
URL:
恐怖症の正体は、『自身の中の怖いと教えている者=右脳の機能』ですが、子供時代では、怖いと教えている者と、怖いと感じている自分の自我が『一体になっていたために』
『只、怖いだけ』と云う風に怖い時だけ怖い事になっていました。ところが大人の脳になった場合では、怖い場面ではなくとも、予期不安とか想像をするだけで怖さを感じるようになってきます。
貴方の場合での上がり症が治ると云う意味は、誰でも上がる事が在る事を納得する場合です。
全ての神経症に付いて言える事ですが、症状だと思っていた事柄を『受容した時』だけです。
症状らしきものを『(心の中の)余計な物として』心から排除しようとした時から『症状になっています。』
高所恐怖症が治る場合では、高い処はその高さに応じて怖い事を、納得した場合です。
上がり症が治る時は、上がる事は誰にでもある事を納得した時です。逆な言い方をするなら『上がらない工夫とか、上がらない努力を放棄した場合だけです。』
上らない為の努力をしたり、上がらない為の工夫をしている場合を『上がり症と云っています。』
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