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因果の法則というのは仏教の基本的な概念になりますか

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月28日(日)11時40分37秒
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  因果の法則というのは仏教の基本的な概念になりますか?



>>>管理人


基本の一つだと思います、この事を理解でき易くするものに、こういう話があります。

禅問答の一つなのですが、昔あるお寺で説法をしていると必ず聞きに来ている人がいたそうです。

或る日説法が終わっても帰ろうとしないその人が質問をして来ました。

私は昔この寺で住職をしていた者です。『悟りを開いた人は因果の世界に落ちるのか?また落ちないのか?』という質問を受けた時『不落因果』と答えたところ、間違っていたらしくて、何回生まれ変わっても狐に生まれてしまいます。

正しい答えを教えて貰いたい。という事です。

それで、そのお坊さんは『不昧因果』と答えたそうですが、それを聞いた途端にその人は『悟りを開いたようです。』

『不昧因果』とは=『因果を晦まさない』という意味ですが、なぜこうなっているのか?という因果律をその背景も含めて分かってしまうという程の意味だと思います。

こう言う事が分かるという意味は、現実問題として、お金持ちを見てもうらやましいとか思わなくなるという意味があります。この意味は『お金持ちの程度にもよるかも知れませんが、』

大変なお金持ちならその大変さに応じての苦労が付き纏っていた事が理解出来るからです。

大安心な人を見た場合でも、その大安心に応じた苦しみを過去に味わっている事が理解出来るからです。

良い事も悪い事も全てその裏側までも理解出来るようになるという意味になりますので、人生は捨てたものではない事を体感として或は、体得として身体で理解している事を意味すると思います。

『悟りを開いた人は因果の世界に落ちるのか?また落ちないのか?』という問題は『自分自身を理解出来ているのかどうか?』という質問と同じです。

その意味は『自分自身』は意識している自分(顕在意識)と、意識していない自分(潜在意識とか無意識)の二つの意識から構成されている事を体得しているという意味になるからです。

悟るという意味は『顕在意識=自意識』と『無意識の自分、或は潜在意識たる自分』との出会いを意味しているからです。

出会った後では、大概の人は『今更お前は誰か?と聞く必要など無かった』という感想になっています。

全ての人はこの答えをもう既に知っていたという意味があると思います。
 
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