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1.仏教(釈迦が説いたもの・大乗仏教ではない

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月26日(金)19時36分11秒
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  1.仏教(釈迦が説いたもの・大乗仏教ではない仏教)は法とか真理を信仰する教えなのですか。

それとも苦を滅する実践の結果として法とか真理を体感することになるのであって信仰する ものではないのでしょうか。
2.仏教と呼ばれるものは宗教ではなく実践する哲学のようなものでしょうか。
3.仏教は実践により開く悟りがすべてで、実践の過程でこころが安心を得ることはできるので しょうか。
4.仏教を実践することによって生き方は受動的と積極的のどちらになるでしょうか。

どうか詳しい方、お教えてください。



>>>管理人



1.仏教(釈迦が説いたもの・大乗仏教ではない仏教)は法とか真理を信仰する教えなのですか。

それとも苦を滅する実践の結果として法とか真理を体感することになるのであって信仰する ものではないのでしょうか。


当方は素人ですが、大変な苦しみを18年もの間経験して、その後に大安心を得た経験がありますのでその経験上の事を書きたいと思います。


1.仏教(釈迦が説いたもの)は、今で言うなら『究極的な癒しをもたらす心理学』それも、超心理学と言っても可能と思われます。或は究極的な魂の救いを体験出来る心理学と言っても良いと思います。


2.仏教と呼ばれるものは宗教ではなく実践する哲学のようなものでしょうか。

是は体得する超心理学と表現すると分かり易いと思います。水泳を学問として学んだところで実際の役に立たない事は誰でも経験した事と思います。

この意味は『仏教の神髄』=『魂の救いの実体験』を体得して、常に、又はどんなに困難な時にも、或は、今正に死に直面していたとしても、安楽に過ごす事が出来る境涯を保つ事が出来るようになるといった事を実践出来る者になる事が可能になる『超心理学の体得者』になる事が『仏教の神髄を体得出来た事を意味します。』

釈迦の言っている悟りの効用だと思います。


3.仏教は実践により開く悟りがすべてで、実践の過程でこころが安心を得ることはできるので しょうか。


悟りを開く事が出来るなら、誰であっても、どんなに苦しんでいる人であっても「安楽な境涯に変化します」その事を言葉にすると『究極的な癒しをもたらす超心理学』と表現しています。


4.仏教を実践することによって生き方は受動的と積極的のどちらになるでしょうか。

これは、その人の性格によって分かれると思います。その人の本来性に帰ってゆく外はないと思います。


従って仏教の神髄(釈迦の教え)は『究極的な癒しをもたらす超心理学』という側面があると思います。

経典を読んだところで、ある意味では役に立たないとも言えると思います。先に書いた畳の上で水泳を学んでいるという意味になるからです。



悟りを開くという意味は『自身に内在している者=人間の生命の根源』と出会う体験、或は自身の心の感情が沸き上がる根源や、自身の行動の衝動性を司っている根源、つまり『自身の命の働きそのものとの出会い』を意味します。


処が出会った感想は誰でもが口をそろえて言っていますが、『今更お前は誰か?』と聞く必要さえも無かったという事になると思います。

又『悟りを開きたい』という思惑が消え果た時そういった契機が訪れる様です。



 
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