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アダムとイブが禁断の果実を食べたといわれる

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月23日(火)23時37分38秒
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  アダムとイブが禁断の果実を食べたといわれる場所は楽園と言われていますが、そのような果実が実っている木がある場所は楽園といえるのでしょうか?

クリスチャンは天国にいけるといいますが、そのような制約があるところは居心地が悪くはないでしょうか



>>>管理人



この話はたとえ話です、禁断の果実という意味は、天国に一番近い幼子が、何時かは大人になって知恵が付いて、神を信じ無くなるという意味ですが、是は脳が大人の脳に成長するという意味です。

噛み砕いて言うなら『赤ん坊の脳内には未だ未熟なために』心が一つしか存在していないという意味です。

赤ん坊が何も知らないと思われている内から、不安も安心も全て知り尽くしてしっかりと不安になったり安心している事実がこれを証明しています。そうしてこの心が一つの者として機能しているという意味です。心は一つしかないという意味です。

脳が成長して来る時、脳の機能はしっかりと機能分化が完成しています。この意味は『赤ん坊としての脳の他に、自我意識という自分の心が形成される。』という意味です。

裸でいる自分を『もう一人の自分が見つめるようになってくる。』という意味ですので、恥ずかしいといった感情が沸き上がるようになる事を意味します。

此処に来て、見ている自分と見られている自分とがお互いに衝突とか、分裂とか矛盾を引き起こしてくるといった事が現実の問題として現れてきます。

今の世界で言うなら神経症とか精神疾患とか自律神経失調症とか難治性の過敏性腸、、、と言った事が現れ始めるという意味になります。

神を疑うという意味は、赤ん坊の時代では『心が一つの者として働いていたものですので、何も問題としては現れる事が無かった。』という意味です。

もう一つの心(神)とは、生命維持機能を司っている脳の機能という意味です。

心臓の速さでも呼吸の速さでもホルモンの調節でも消化機能でも、神経系統の調節でも『自我意識が関与しなくとも』勝手に身体がやってくれています。赤ん坊と同じです。

自我意識という心がそれらの働きに疑いを抱く事によって全てがぶち壊しになっています。それが失楽園という意味です。

無意識の自分がうまく司っている営みを『自意識が意識する事によって』生命維持機能の働きを奪いに行っている状態になっています。

当然の事『自分自身の命の働き』が俄然『自意識を攻撃し始めます』それが、漠然とした不安感とか生き難い想いとかになってはねっ返ってきます。

このはねっ帰って来た事柄が『罪悪感』生き難い想い『漠然とした得体の知れない不安感』という事になります。

罪の意識や罪悪感とは『うつなどで感じている』何処から押し寄せているのか分からない圧迫感の事を言っています。それは自分自身の無意識からのメッセージです。

もっと自身の無意識の意識の『働きに任せて貰いたい』というメッセージです。

天国に一番近い存在が幼子という意味は、心の矛盾や対立や分裂が無い状態を指しています。うまく説明が出来ている動画がありますので参考にして下さい。

もう一言説明するなら『涅槃と言った、人間にとっての最高の心理状態とは、自意識と(命の働き)=仏性とか神が、調和出来た境涯つまり『心の矛盾が解消出来た状態』を指しています。心の中が静まりかえって、波風が立たない状態を指しています。


此処の処を上手に表現している動画です。


URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM
 
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