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悟ったという人に会ったことはないという僧侶

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月21日(日)16時34分42秒
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  悟ったという人に会ったことはないという僧侶の方の文章を何かの質問投稿サイトでいつか見ました。

実際には、ほとんどの人に悟りは起こらないわけですから、仏教や非二元論などの宗教・哲学というものは、その理論だけでも、いくらか心が楽になるものではないと意味はないと思われますか? 楽になる人もいれば、そうでない人もいると思いますが。

悟りが起こらなければ、楽にならないというのであれば、ハードルが高すぎますし、悟りが起こるまでの人生は苦しむということになり、ほとんどの人に悟りが起こらないという現実を考えるならば、生き方・考え方として、変かもしれません。



>>>管理人


宗教の根本は『魂の救済』だと思います、キリスト教は詳しくは知りませんが、仏教とか、日本仏教などでは仏教に入るきっかけを『人生に無常を感じて』と表現する事が多いように見受けられます。

人生の不安に対して、或は人生そのものを疑問に感じて出家した宗教家が多いと思います。その本家本元の釈迦は『一切皆苦』と人生を、或は毎日の日常を放棄して出家したようです。

この行いは今で言うならば、『家を捨てて、一切皆苦と言う地獄から抜け出すための試行錯誤の旅に出た。』という意味になると思います。

人生の意味とか、疑問とか、不安の解消のために家から出るという意味かと思います。是が出家という意味だと思います。つまり自身の最大の関心事の為に全てを放り出すという事を意味すると思います。

始めに悟りを開くという意味を説明したいと思います。

この『悟り』の意味は脳科学から説明すると理解し易いと思います。

簡単に説明するなら脳内には、『自分の心(機能)』が二つ存在しています。

科学的なデータです。脳の機能は全く違う機能が二つ在って、その上にその機能を司っている主人公はこれまた全く違う人格であるという事実です。

一つは自意識ですが、もう一つは無意識の自分=潜在意識の主人公=身体の調節機能やホルモンの調節や、全ての生命維持機能を司っている機能の主人公と言う配置です。


ウイキぺデアからです。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』


右脳の意識は、意識界の主人公です、人間の苦しみとは『意識地獄』の事を言っています。今で言う精神疾患、或は神経症の諸症状、或は身体的な原因不明とされている不調です、過敏性性腸症候群とかを始めとする原因不明とされている、様々な症状です。

これ等に伴っている事の初めの兆候には『漠然とした得体の知れない不安』から始まっている事が多いと思います。


是は、お互いの脳の機能が争っている事が原因です。漠然とした不安から始まっていると言っても、その争いが激しくなってきた場合では、大変な苦しみを伴う事になる場合があります。

何故ならその原因は『自身の生命維持機能』=『命の働き』から圧迫を受けている事を意味しているからです。

左右の脳の機能が分離して独立した形で人間を支配している様を、脳卒中のために体験していて、上手に表現している動画がありますので、此処に載せてみたいと思います。


URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM


この動画の中で述べられている中に『悟りの真実』があると思います、又涅槃寂静という意味も述べられていると思います。

もう少し詳しく説明したいと思います。

人間は『意識する自分』と『無意識の自分』が、絶えず交替をしながら毎日の恙ない日常が送られています。つまり健常者と言われている人達はこの二つの意識が、常に順調に交替出来ている場合の事を指しています。


逆に健常者ではない場合を書いてみたなら分かり易いのかも知れません。

自意識と生命維持機能が順調に行かなくなるという意味を説明する場合ではもう少し『生命維持機能』を詳しく説明して置く必要があると思います。

右脳の意識(命の働き)の活動範囲が多岐に渡っており一概に述べる事が出来難いのですが、此処では便宜上三つに分けて説明したいと思いますが、この三つの間にも接点が沢山ありますので、必ずしも三つには、分けきれない点も多いかも知れません。


生命維持機能(命の働き)の一つは『自意識の心に働きかけている事』なのですが、心に関係している事柄です。感情を湧き上がらせている事と行動を起こさせている事だと思います。『主に心を病むと表現出来るかも?』


生命維持機能(命の働き)の一つは身体の機能に関係している事柄だと思います。心臓とか肺臓とか胃腸とか、もろもろの生命維持機能という意味です。ホルモンの調節とかも含まれるはずです。『身体的な異常感を訴えている症状群』



生命維持機能(命の働き)の一つは人間の行動に伴う事柄です。主な症状としては『神経症の症状』を挙げると分かり易いと思います。意識する自分が『自分自身の行動に制限を掛けてしまって、自分の行動の自由が利かなくなる事柄を指しています。』


こう言った症状に、自分自身も制約を受けた期間が18年間も有った事から『命の働きの意思』からの圧迫の苦しさを実体験として「生き難さ」として今もしっかりと持っています。


この苦しい想いの体験から、70歳になった今でも、『今苦しんでいる人たちの役に立つことが何かないだろうか?』と思って筆を握っています。


身体的な検査では異常なしであって、現代医学では分らないという状況であった場合でも、本人の訴えは大変つらいものがあります。

現代医学では『原因が分からない状態であっても』薬を処方していますがその薬には、根本原因を解消出来る力は無いようです。只の対症療法として処方されています。

苦しいという事に対する対症療法は麻薬と同じです、次にはもっと強い薬が必要になると思います。

メンタル面が弱いという意味は、小さな不安でさえも気になって仕方がない、という意味です。小さな不安に対しても本人の言う事を大事にして強い薬を処方していたなら、ますますメンタル面が弱くなると思います。


メンタル面を鍛えるという意味は、小さな不安をものともしない人間像だと思います、そうしてメンタル面が鍛え上げられたなら、大きな不安でさえもものともしなくなる事を意味します。


最後になりますが、漠然とした不安感とは『自身の生命維持機能』からの。救いの手です。

人間の苦しみとは”その救いの手”を遮っている事を意味します。

意識する自分が、脳梁の中で交代する刹那に『無意識の自分』と出会う体験を悟りと表現します。

この体験は、有限の自分が『永遠からやって来た事を知る体験』と言う言い方が適切だと思います。既に自分自身は永遠の存在だった事が実感できる体験です。無意識の自分は永遠を知り尽くしている者です。

この瞬間(今までは不安に震えていて、全身に力が入り過ぎていた)身体中から力が抜け落ちて行きます。この体験を身心脱落、脱落身心と道元禅師は表現しています。

禅で言うところの『見性』の意味が全てを語っています。


自我意識に感動を与えたり、突き動かしている存在そのものの意識(意志)と出会う体験が『分自信を知る体験』という事になります。

かなりくどくなってしまって済みませんでした。
 
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