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無為療法 批判

 投稿者:賛成会KY  投稿日:2018年 9月 7日(金)15時25分40秒
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  無為療法 禅の講義批判。

いまだに、斎藤先生の無為療法に洗脳されている人がいるようなので投稿しました。
斎藤先生は、他の精神障害があってのその上での神経症症状ですんで、普通の神経症とは違うのだ。普通の神経症人は参考にならないのだ。




「ナチュラル公案とギブン公案 宇佐先生は公案にはナチュラル公案とギブン公案があると先生の本で論じていて面白いと思う。神経症者は自然発生したナチュラル公案である強迫観念と格闘していて、臨済宗の修行僧は禅匠から与えられるギブン公案を解こうとする。一方は脳の狂いであり、もう一方は宗教の修行であるのに両者は驚くほど似ている。」

脳の狂いであったら、ナチュラル公案と言えないし、
狂った人に公案のたとえも出さないはず。
宇佐先生は脳の狂いではないと明言してるのだよ。



「修行僧は公案を解こうと必死に修行を重ねるが、解答が探せないで次第に神経症のような状態になる。神経症の場合は不安をどうしたら解決できるかを必死に解こうとして、解けずに数十年あるいは一生の無駄をする。」
「斎藤は奇跡的にもこの公案を解いた。しかし自分の出した解答の深い意味を悟るまでに更に10年の歳月を必要とした。神経症脳が出した公案を解いて高い境地に立つと、なんといまから800年も前に日本の禅哲学の基本を書いた道元の主張に一致しているのを発見した。」


解答の深い意味とか、
深い境地とか、
道元の主張とかさ、
持ち出してるところで、
もうアウトだろ。
斎藤先生には、ゆってる意味が解んねえだろうけど。


「禅は仏教の一種ですが、大体仏教と言う宗教は科学的側面を持っている。だから、チベット仏教の総本山であるダライラマも仏教は科学と言っていて私も大いに賛成する。それなら神経症者も座禅をしたらと考えそうですが、神経症は座禅では治らない。」


仏教は無常無我だろ。
科学と別世界なんだよ。
こんなことも解らないで何が禅の講義なのかね。


「神経症は雑用でしか治らない。雑用を無目的にただやり続ける時に神経症の外側に出る。座禅と同様、神経症を治すための雑用をする限り神経症の開放はありえない。無所得、即ち報酬を期待しない雑用をしているその姿が既に神経症の開放の姿なのです。」

この文だけでいかに、神経症から治っていないかがよく解るんだな。
解んない人自戒すべしってな。


「余談ですが、禅僧に神経症はいないらしい。」


この先生十八番の妄想即事実化だよ。
白隠禅師がいるではないか。
三聖病院にも臨済宗のお坊さんが何度も来た事があったと聞く。

斎藤先生十八番の妄想即事実化は、宇佐先生のところでは治った人がいないらしいとくるんだ。治った人で偉業を達成した有名人は数多くいるのを斎藤先生が知らないだけ。

以前、東京都で自分ほど英語をしゃべれる人は10人もいないと言っていた。
インタナショナルスクールの生徒は10人以上いるぜ。
世界で治ったのは俺だけという斎藤発言後にも師事する人がいるらしいけど、
そういう人たちは同様なんかね。



「また神経症が治った者は禅への理解が深まり10年以上座禅を組んでいる人の上を行く。私は時々本屋で禅に関する本を立ち読みすることがありますが、内容が人生論だったりして、これなら自分の悟りの方が上を行っていると思う事がしばしばです。」


座禅とは書かない。
坐禅と書くのだ。
10年以上座禅を組んだ組まないってなんに言ってんだか、
年数でないのだよ。

こんなていたらくで、何が禅の講義なのだろうかね。

 
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