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悟り開くってどんな感じ?もしくはどう考えてるのかな

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 6月16日(土)19時28分49秒
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  悟り開くってどんな感じ?もしくはどう考えてるのかな?
考えて開けるものなのでしょうか。



>>>管理人

是は例えて言うなら、悟りを開く前の状態とは精神疾患に掛っている状態や、神経症の各症状に悩まされている状態や、或は自律神経失調症とか難治性の身体の疾患(例えば過敏性腸症候群)などに掛かった状態と類似していると思います。

この例えでは、悟りを開く前の状態を示しています。つまり人間の苦しみの根源は何処にあるのか?と言った疑問を抱いている状態を指しています。この心の状態は『一切皆苦』です。釈迦が言っている或は仏教の原点である『一切皆苦』の状態を指し示しているからです。

またこう言った疾患に縁のない人や興味の無い人も多数存在していると思いますが、こう言った関係性も説明する事が出来ると思います。

『一切皆苦』は、心理的な説明をするなら『意識地獄』を意味していると思います。精神疾患の原因が現れている状態です、或は神経症の症状に悩まされている状態という言い方も可能です、或は自律神経失調症とか難治性の身体の疾患(例えば過敏性腸症候群)などに掛かった状態とも共通点があります。

その共通点とは『漠然とした不安感』です。何処から押し寄せているのか分からない得体の知れない不安感とか恐怖感と言っても良いかも知れません。

或は『生き難い想い』として、その代弁さえも可能と思える程の辛さかも知れません。これは自分自身の心『自意識』と呼んでいる心が感じている圧迫感、或は不安感、或は恐怖感と言えるものです。

こう言った自我意識たる自分の心に受けている心の辛さとか、生き難さと言ったものから解放される事を『解脱』と言っています。従って解脱も悟りを開く事も、自身の心を『苦』から解放する事、或は苦しみの終焉を示している根源は同じ事を意味していますので、只表現方法の違いを示していると考えた方が良いかも知れません。


この原因を探る事は、宗教の根源を探る事と同じ意味があります。人間はなぜ苦しまなくてはいけないのか?を探る事になるからです、又この苦しみから救われる事は解脱とか、悟る事を意味していて、人間に付き纏いがちであった『無明』から解放される事を意味するからです。魂の救済が完了されて魂がこの現生と言われている人生からも自由になるといった意味さえもあるからです。


生死を乗り越えて自由な魂になる、生も死も恐れる必要さえも無かった事を知る事になるからです。

騒がしくって、苦しくて、不自由な心が、全くの自由を獲得する事を意味しています。この自由な心が『涅槃寂静』になります。心の中が静まり返っていて、心の中に波風が立たない状態です。言い替えるなら心の中での矛盾や対立がきれいさっぱり解消出来た状態という意味になります。


今の精神医学とは対照的な世界観を展開する事になりますので、よろしくお願いします。


先に書いた疾患の原因を現代医学では、原因不明としています、しかしながら『原因不明』でありながら治療がなされています。全く不可解な事を現代医学ではやっている事になります。従って良くなった場合の事を寛解と呼んでいるようです。


この寛解という状態についても、どうやったら悪くなって、どうやったらよくなる
のかと言った明快な指針さえも指し示す事が出来ないでいる状態だと思います。

始めに『無明』という意味を解説したいと思います。是は人生に付いての疑問点が沢山存在していますが、この疑問が何故始まったのかと言った原因が、分らないといった意味です。


言い替えるなら、あらゆる問題点は全て二元論を起点として発生していますが、誰もその問題点の発生の前の事を問題にしていない事を無明と言っています。


もう一言言うなら、二元論が出てくる背景を知ろうとしない事を『無明』と言っていると思います。


始めの話に戻すなら『精神疾患に掛っている状態や、神経症の各症状に悩まされている状態や、或は自律神経失調症とか難治性の身体の疾患(例えば過敏性腸症候群)などに掛かった状態』の原因は何か?という意味です。


言い替えるなら、こう言った疾患は悟りを開くなら完治をするという意味になります。


二元論が発生する原因を書いたものに、聖書があります。人間は何も疑問を抱かずに神と共に仲良く暮らしていた『天国』でそそのかされて知恵の実を食べて、天国から追放された。と言った下りです。


それから人間は『神に疑いを抱くようになって』苦しみが始まったという話です。


是は脳の機能を語っています。それも思春期頃を境としての話です。人間の脳の機能が完成する頃は思春期頃です。今まで裸でいても何にも思わなかったものが、『恥ずかしい』と言った感情が湧くようになります。イチジクの葉で身体を隠す現象です。

思春期頃から先に書いた疾患が始まるのは、人間としての脳の機能分化が完成に近づいたからだと思います。

今までは脳の機能としては『一つの心』として働いていたものが『見る者と見られる者』になってしまった事を意味しています。つまり心が二つに分かれてしまった事を意味しています。


聖書に忠実に従うなら、自我意識と神と二つに分かれた事を意味します。


ここで問題なのは、神の存在ですが、神とは『生命発生装置兼生命維持機能、或は命そのものの働き』と説明するとかなり分かり易いと思います。

それは遺伝子レベルの話になりますが、赤ん坊になる前段階でさえも、全て知って働いている存在を人間は誰であっても内在しています。細胞分裂の順番とかも正確に知っている事です。

そうして生まれた後には、髪の毛を白くする事も黒くする事も赤くする事もしています、そうして心臓の速さでも血圧の高さでも、呼吸数でさえも調節しています。ホルモンの調節や、自律神経系統の調節も、緊急の時や咄嗟の動作が必要なら、自意識を差し置いて発動もしています。

感動する場面では『スタンディングオベーション』でさえも、何も習わずに出来ています。

赤ん坊を思い出して頂きたいのですが、生れたばかりなのに、不安とか恐怖とか安心する事を知っています。

自意識たる心は『安心させられたり、不安や恐怖にさせられている者』としての役割分担です。であっても赤ん坊時代では安心させている者や、不安にさせている者と一つの者として働いています。つまりこの状態が天国を示しています。


高所恐怖症は『高いところは怖い』と教えている者と仲違いしている事を意味します。或は疑っているという表現でも良いかも知れません。

この疑いを晴らす時、高所恐怖症は治ります。


人間の脳の機能の説明ですが、この中で注目すべきところは、脳内に人格が二人存在しているところです。思春期頃に機能分化が完成に近づいた時、自意識ではないもう一つの自分の心は『無意識の底に深く身を沈めてしまっています。』そうして無意識界の主人公として自身の身を守っています。

ウイキぺデアからの転載です。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

右脳の意識は、遺伝子レベルで、人間(あらゆる生命体でも同じ)であらゆる”個体”としての生命維持機能、熊なら熊としての生命活動、蜘蛛なら蜘蛛ととしての生命活動、桜なら桜としての生命活動、ソメイヨシノならソメイヨシノとしての生命活動という意味です。

仏教の言っている仏性の事です。

この場合での右脳の役割と左脳の役割を脳卒中の為に『体験的に体感した脳科学者の動画を載せて置きます。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。


この動画の言っている事は、自分が全てを失う時(捨て去った時)、悟り体験としての『右脳の意識との対面があった』事だと思います。

悟り体験とは『脳梁の中で、自意識と無意識の意識としての自分が出会う体験の事です。』

神経症の人であったなら、症状を起こしている者と出会う事を意味しています。

その気持ちは『神経症の症状を無くしたいと考えていたが、無くす必要そのものが無かった事』に、気が付く事を意味します。

今までは症状を取り除きたいとか、症状の軽減を何よりも望んでいましたが、そう言った気持ちそのものが無くなってしまう事を意味しています。

症状など無くなる事が無かった事を納得出来る事を意味します。治らなくとも良かったと、思う様になります。症状が無くなる事で神経症が解決すると思っていたものが、症状が有ったままで良かった事に気が付く事を意味しますので、治っても特段嬉しいと思う事はありません。

仏性と言ったもの=右脳の意識=命そのものを働かせていた機能との、仲違いが解けた事によって、漠然とした不安は無くなっています。自身の命そのものによる圧迫が無くなています。

或は、今まではそう言った圧迫によって、全身に力を込めていたものですので、全身に入っていた力みが、一瞬にして解けています。身心脱落脱落身心と言った状態になります。

全身に力を込めて力む事で、不安感や恐怖感に耐えていましたので、その原因から突如解放される事で、利器む必要が無くなった事を意味しています。

これ以後、死に対する不安でさえも消滅しています。

神経症であっても、心を病む事であっても、自律神経失調症や過敏性腸症候群であっても『死に対する不安や恐怖感』にあらがう事によって、生じていた生き難さだった事を意味しています。
 
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