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うつ病になる人とならない人の違いはなんでしょうか

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 4日(金)19時28分21秒
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  うつ病になる人とならない人の違いはなんでしょうか?

接待が多く仕事も激務だけどうつ病にならない人
月2で終電、普段は9時出勤19時退社でうつ病になる人

違いはなんでしょうか?
どちらも激しい飲み会があるのに
その人の体質と言われてもぱっときません



>>>管理人


うつ病の定義で多少の違いが生じるかも知れませんが、うつ病になるという意味は『自分自身の心の争いに巻き込まれる』という意味があると思います。この場合での争いという意味は『脳内での戦いとか、言い争い』という意味です。

こうなるのには原因がありますのでその原因を科学的な証拠を揃えて提示したいと思います。

人間の脳内には、誰であっても人格が二人存在しています。その証拠です。

ウイキぺデアからの引用です。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。

この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』


普通の場合では左脳に存在する意識が『自我意識』を形成しています。我思う故に我在り、という場合での”我”です。この自意識は生まれて来てからの、全てが学ぶ対象になっています。

何も知らされていなくて何も学ぶ事が無くて生まれて来ています。そうして全てを知識として言葉を介して蓄積をしています。そうしてはなはだ厄介な事になりますが、言葉で理解出来る事とは『全てが割り切れる事だけ』という意味を持っています。

言葉に出来るという意味は、全てが割り切れる問題=有限の世界という意味を含んでいます。つまり「自意識は有限しか理解出来ない機能から成り立っている事を意味します。』『永遠といった概念は理解出来る機能は備わっていない、という意味になります。』


これに対してのもう一人の自分とは右脳に存在している意識です。分かり易い表現をするなら『無意識を司っている意識です。』そうして『自身の生命維持機能をすべて一手に引き受けて昼夜も問わずに休みなく働いています。』

この意識(機能)は生まれる前から全てを知り尽くして働いている機能の事です。身長の大きさから体重でも髪の毛の色でも、呼吸数でも脈拍数でも、いかなる時にも休む事無く働いてくれています。蜘蛛が蜘蛛のままで蜘蛛であるように、人間が人間であることを人間たらしめている機能の事です。

当然”心”とも関係しています。赤ん坊が教えなくとも安心でも不安でも、恐怖でさえも知っている事と関係しています。どういった打ち合わせが無くとも「素晴らしい舞台等でのスタンデングオベーション」をさせている者と言ったら分かり易いかも知れません。

全ての人間に備わっているこう言った、感情を湧き上がらせている”意識”がうつ病の原因に関係しています。

人間の心(の機能)には二通りあって、一つは感情を湧き上がらせている機能で、もう一つは感情を湧き上がらせられている機能という事を意味します。

こう言った意識が人間には二つ備わっている事が、うつ病に関係しています。

うつ病を治すために必要な事は、症状別に対応するという事ではないです、症状の改善を抜きにする事で治る時期は早まります。

症状の事は気になったり苦になったりするでしょうが、症状を相手にしないでいる事が一番大事な事になります。森田療法というものがありますがこの療法の眼目は『不問』です。症状を問題にしないでいるという意味です。

そうして症状を問題にしないで生活している内に、症状が有っても無くとも関係なく生活が出来るようになります。こういった生活が徹底される時症状は在ったままで症状にはなり得なくなります。此処まで来た時には『症状は在ったままで症状ではないものに替わります』つまり症状は消えてしまう事を意味します。

うつ病はノイローゼであって、苦しみとか悩みは、本人が頭の中で自分が作っていたことを意味します。


従って『うつ病になる人とならない人の違いはなんでしょうか? 』の答えは、自分自身との向き合い方のスタンスによって変わってくるという言い方が適切と思います。

この説明には『仏教の無明』を解説する事が有効と思います。人間の心とか人生が業に満ちていて苦しみの連続に見える事は、『自分自身に疎い事=無明』の故に依っているといった考え方です。

人間の苦しみとは、人間自身の内部に苦しみを内発させている者が内在している事による、といった考え方です。この者を見つける事が出来ない事を”無明”と表現しているようです。

人間の苦しみは『二元論』に依っているが、その二元論が沸き上がる根源には何があるのか?といった内容だと思います。

右脳の人格は生まれる訳ではない事から、滅する事が無い存在です。それでいながら、人間の髪の毛でさえも黒くも白くも赤毛にさえ出来る存在です。全てが備わった存在という言い方も可能です。

又、永遠からやって来て、又、永遠に戻ってゆく存在です。永遠とか無限という意味は、言葉に出来ない、或は割り切る事が出来ない事柄という意味です。

禅の中に適切な言葉がありますので、ご紹介して終わりにします。

自分の命そのものの働きの”意思”=”仏性”との間柄は、『没交渉』の間柄と書いてあります。ですが逢ってみたら『もう既に知っていた存在』と書いてあります。

従って今更『お前は誰か?と聞く必要など無かった。』と書いてあります。

無明を打ち破って自身の内部の『右脳の意識=仏性=無意識の意識』と出会った事に付いての感想は皆声を揃えて『生死の問題が解決した』に尽きる様です。

有限の壁の前でジレンマに陥っていたわが身が、ついに永遠の意味を体得した瞬間を意味します。

この究極の心の癒しの心理学を禅では釈迦から連綿と直に弟子達に伝え続けていると禅の問答集は伝え続けています。

 
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