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精神科医は精神疾患の患者さんに処方箋はだしますが、根本的に治療することは不可能ですよね?いまのところは

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 1月11日(月)20時17分53秒
  精神科医は精神疾患の患者さんに処方箋はだしますが、根本的に治療することは不可能ですよね?いまのところは


>>>管理人


確かにそう思われる節が存在しているようです。『人間は何故心が苦しくなるのか?』の答えさえ出てい居ない様だからです。

処が仏教においては答えが出ているようです。その答えとは『無明』ですがその意味は、自身の中にその原因がありながら、その原因が分からないと云う意味です。

そしてその答えにたどり着く事を『見性』と云っています。その意味は=『自性を徹見する』という意味です。

神経症などが良い例ですが、神経症の症状別な治療方法は存在していなくて、只好き嫌いする心を捨て去って(分別を捨て去ると云う意味)好きと嫌いを云う事が無くなった状態『現在の自分を取り巻く環境等を、肯定する事』で治って行くようです。

簡単な表現をするなら、『自分の症状と感じているものを、受容する事で治ると云っています。』

今の医学のやり方はこう云った、正しい治療の反対を目指しています。

症状を嫌って『感じない工夫をする医師が良い医師と勘違いしている事です。』

実際の神経症の治りは『症状が在っても無くとも、どちだっても構わない』という状態が神経症の完治です。

症状に振り回されている間はまだまだという意味です。まして症状の消滅を指導をしている場合では、一生治れない指導をしている事を意味します。
 

醜形恐怖症って病院で診断してもらえるもんなんですか?

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 1月11日(月)17時31分39秒
  醜形恐怖症って病院で診断してもらえるもんなんですか?


>>>管理人



ハイ、OKだと思いますが、治る為には余り頼りになる事は無いと思います?その理由を書いて置きたいと思います。

醜形恐怖症は、神経症に属しているものですが、今の精神医学は神経症に対しての理解を放棄しているような、態度が見えています。

神経症は森田正馬医学博士が指摘しているように、正常な反応という風に、対応するなら、直に治ると喝破しています。

その裏の背景には、森田博士その人が自身の体験を通して、神経症の治療を編み出した事、或いは神経症の実体験による治る為の方策を、示しながらの治療にに対しての実態が、長い年月による風化とか、神経症の体験による治療者の体験が、消滅の危機によって、西洋の精神医学によっての席巻が、恰も日本古来の生物や植物が外来種によって駆逐されている事と同じになっている状態になっているよぅです。

日本には古来より仏教や禅が存在しています。そうして森田療法が存在しています。

醜形恐怖症は神経症の中の一つですが、神経症の症状は様々あって、それらの症状には関連性はありませんが、神経症になると云った原因は、た一つだけです。

そうして神経症から抜け出す方策もたった一つです。

幾つか症状を挙げてみたいと思います。対人恐怖症、異性恐怖症、高所恐怖症、閉所恐怖症、先端恐怖症、醜形恐怖症、不安障害やパニック障害、吃音や書痙、他には強迫観念とか、強迫行為などです。

こう云った症状には共通した事柄があります。それは医者の所に行って各種検査をしたところで、異常が見つけられない事です。それも如何に精密な検査をした処でです。

最後に治し方と治った姿を書いて終わりにしたいと思います。

神経症の治し方は簡単です、何の症状かも問いません、治そうとしない事です。

治そうとしない事が治る為の最短コースです。

治った姿を書いてみたいと思います。治った姿は、
症状が在って当たり前と思える事です。

最後に治らない姿です。

一生掛かっても症状の消滅を図る姿です。

正常な感覚を『異常なものとしている姿が神経症の実態です。』

正常者として扱うなら,直に治るは、森田博士の言葉です。
 

パニック障害の時も適度に外出したほうが良いのですか?リハビリとして

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 1月11日(月)17時21分22秒
  パニック障害の時も適度に外出したほうが良いのですか?リハビリとして


>>>管理人


パニック障害は神経症の一種です。神経症は様々な症状が存在していますが、発症する原因はたった一つだけです。

従って治ると云うきっかけとか、治りに付いていうなら、それもたった一つだけです。

発症する原因は『意識する事』です。もっと詳細に説明するなら、『パニックになるかも知れない』という予期不安を意識する事です。

何の神経症にも、言える事ですが、症状が出ない様に意識する事が発症する原因を作っています。

確かに治る為の、方法がありますので書いてみて、それから治った姿を書いて置きますので参考にして下さい。

吃音の治療方法として確立された治療方法ですが、同じ神経症として、効果がある方法です。

逆説志向という方法です。症状を嫌って症状にならないようにする努力が、症状を呼び寄せている事にちなんだ方法です。

症状が出そうになる場合に、症状が出なくなる方法です。

症状が出そうになった場合に、今までとは逆に、症状よ出よと願う方法です。

最後に貴方が、治った姿を書いてお終いにしたいと思います。

貴方はもうパニックの症状に悩む事が無くなっています。何故なら貴方はパニックの症状に付いて、「出ても良し、出なくともよし」と達観出来るようになったからです。

神経症の症状は、まやかしであった事を、貴方は見破る事が出来たからです。

つまり神経症の治りとは、症状を受け入れてしまう事『症状の受容』だという事を体得したからです。

症状が出たから悪いとか、症状が出なかったからうれしいと云った、好き嫌いする心が無くなったからです。

ですので、今の貴方は『パニック障害が治ったと云っても、嬉しくもなんともなくなっています。』ここまで来た時『神経症は完治した』と表現する事が出来ます。

もう一言書くなら、『好き嫌いが強く出ている貴方の、分別の強さが神経症の症状を引き寄せていた事を意味しています。
 

お正月の音楽

 投稿者:るみか  投稿日:2021年 1月 3日(日)22時28分14秒
  両曲とも、昔から正月によく耳にするというだけで、深い意味はない。
あと、ここには載せないけど「春の海(筝曲,そうきょく)」という曲も定番曲のようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=BaCyD_UCRhU&t=43s
https://www.youtube.com/watch?v=XBS41QN1ugQ

正月といえば、バブル期以前にはまだ「背すじを正して厳かな気持ちで迎える」要素が
しっかり根づいていたものだが、そのような雰囲気がかろうじて残っていたのは90年代まで、
それ以降は、テレビ番組も「小銭をばら撒いてタレントが騒ぐものばかりになった」
のをみてもわかるように、すっかり「締まりのないただの連休みたいなもの」になってしまった。

「凛とした」なんて日本語はすでに死語になっているが、せめてお正月ぐらいは、
多少なりとも身を引き締めて、非日常的な気持ちを味わいたいものだと思う。
 

死にたくない

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 1月 3日(日)16時25分4秒
  死は人生のできごとではない、人は死を経験しない

人は死を認識できない、生(生まれる瞬間)も認識できない

もし老衰で死ぬ場合、次の瞬間どこかでもう意識をもった

赤子として存在しているような気がしました

そんな気がしませんか?

前世の記憶がある人なんているのかな?
まあいないだろうね



>>>管理人



貴方が考えている事は、あながち妄想だけではないと思いますが、貴方自身が半信半疑なのが問題かも知れません。

貴方が何歳かは、知りませんが私の場合も同じ事を考えた事が在ります。

中二病の一環だったのかも知れませんが、私は中学二年の時、ふとしたことから、死というものを考えるようになった事が在ります。

それ以後、頭から『死』が離れる事が無くなって、頭の中が死という恐怖で一杯になった経験でした。

そうして14歳から毎日『死刑囚の心持で、何時も生きていたのですが、こう云った事になって、普通に暮らす事は困難になりましたが、友達とか他人が『狂ったとか、変だとかを』言わなかったので、普通の真似をして生きていましたが、余りの苦しさから、心が破綻したのかも知れませんが、離人症という事になりまして、生きた心地が無くなった状態で、大変生き難い想いで生きていました。

そうこうしている内に、気が合う大変に良い人に巡り合う機会が在って、結婚したのですが、変化のある暮らしに耐えきれなくなって、離人症が強く出るようになったために、本屋で読んだ鈴木知準先生のところに行って、話を聞いてもらったところ、入院森田療法で良くなる、と云われた事で、入院を決意した次第です。

早速入院森田療法を受ける事になりましたが、死ぬのが恐いと云う、誰でもが感じている事が弱くなる事は無いとさえも、思っていたものです。

森田療法を受けたところで、死に対する恐怖感が弱くなる事は無いと思いながらの入院でした。二か月間の間でしたが、生活態度の基礎が出来たという事で退院する運びになりました、

恐怖感は無くなる事は無いと思いながらの入院でしたので、退院した時にも変化は感じていませんでした。入院中の先生の話では、悟りを開かないと治らないという事を、何回も聞いていましたが、悟ると云う意味そのものが、意味不明でしたので、何もわからない内の退院という事になりました。

入院中では、弓道における究極の弓の撃ち方、詰まるところ、自分が弓を引くのでは無くて、「それ」が弓を引くとかという類の話が多かったですが、全くのチンプンカンプンのままの、退院の運びという事になりました。

処が退院してから、5年後の事でした、自分の意識が『自分の無意識の意識』と出会うと云う体験がありました。

この体験をした瞬間に、『恐怖症と離人症』は完治したのです。自身が恐れていた相手は、自分自身であった事が分かりました。

死にたくないと思っていたのと同時に、永遠の命が欲しいと願っていました。処が自分の中のもう一つの意識は既に永遠で出来ていた事を知ります。

もう一つの意識とは、命を働かせている意識の事です。『命の働き』と云ったらよいと思います。

その者の、影響から永遠の命が希求されていた事が分かります。そうしてその者は、自分を救うために頑張ってくれていた事が分かります。

そういった裏事情が皆目、分からなかったために、無駄にあたふたしていた自分がいたのでした。その者との出会いで、自分は救われた事が分かります。

その者は永遠で出来ていたからです。

その後の心境の変化です。救われたいと考えて生きていました、処が人生には救いなど存在していない事が分かります。

処が、救いのない人生で、救われない事を受け入れて、救われる事のない自分を受け入れて、救われない自分に納得出来た時、『人生の救いは完了します。』

人生に救いを求める事が、迷える子羊であった事が分かります。救いなどなかったとしても、今正に死のうとしていたとしても、今正に幸福の絶頂に在ったとしても、自分の身の境遇には関係なしで、『今現在を肯定出来た時だけ、自分が幸福である事』を実感出来ます。

今現在を否定している場合に、自分自身が不幸の烙印を押している事が、分かります。
 

仏教の概説書を知りたい 以下、希望の羅列になりますが、 よろしければお願いいたします。 ・古い本でも

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 1月 2日(土)15時57分11秒
  仏教の概説書を知りたい

以下、希望の羅列になりますが、
よろしければお願いいたします。

・古い本でも良いです
・著者はひとり、可能なら日本人、一冊本。
・以下を扱っている
・ 仏教がどんな風土、思想で枝分かれしたか
・代表的な各著作について、根本的な視点(思想の原点?)は何で、他書のどんな点を批判したか
・その言句や、ほかに採り上げるべきな言葉や逸話は何か
・仏教全体の重要観念は何か、それに関連する言葉は何か

仏教があまりに広く、見るほど却ってわからなくなりそうなので、手助けとなる本が欲しく質問しました。
曖昧な点ございますがよろしくお願いします。


>>>管理人


仏教の神髄を会得する事は、大変に難しいようです。その証拠として、今現在の日本中で、何万人もの釈迦の弟子が存在していたとしても、釈迦の悟りを体得して、説明しうる人はいないように見えています(当方の不勉強かも?)

その難しさを簡単に説明したいと思います。悟りは『体得するもの』であって、本を読んで学べると云った類のものではないからです。

例えるなら、水泳を学問や本を読む事で泳げるようになる事を意味します。

幾ら沢山の本を読んだところで、水に入る事によって学ぶ事にはかないません。何の仕事のコツを学ぶにしても同じです。

こう云ったコツを学ぶと云う意味は、脳の無意識の領域にまで分け入って、教えると云う意味があります。

こういう意味から、知識とか本を読むと云った学問や学びでは、肝心な悟りを開かせる事が出来ない理由になっています。

処が釈迦は、さほど頭が良くない者とか、仏教の悟りに付いて才能がない者にも、悟りを開く機会を与える方法を、残しています。それが禅と云われているものです。

心から心へ、直接『仏の心を伝える宗』という意味で『仏心宗』と呼ぶ事もある様です。

その中での『禅問答』というものがその性質を、言い表しています。その内容の奇天烈さとか、訳の分からな無さが示していますが、この訳の分からなさが、逆に説明をしやすくしています。

禅問答は、普通の考え方をしている間は説く事が出来ません。普通の考え方から離れて、思考出来ない方の脳の機能に考えさせる事が出来た場合に完成します。

つまり禅問答が解けると云う意味になります。是は人間の考え方の変更以前の話になります。

人間がものを考える以前の話という意味です。

悟りを開くと云う意味は、修行者が『自身の仏性と出会う』という意味があります。仏性は思考をする『我』が左脳の意識であるのに対して、右脳の意識です、言い換えるなら『無意識に存在している意識=機能』です。

『無意識の意識は』、自意識では意識する事は不可能です。この事を、初めの内釈迦は説明してわかってもらえないと、考え込んで、説法を否定したようです。

参考になる文献としては、鈴木大拙博士の著作集が良いと思います、博士その人は25歳位で『見性体験』を持っていますので、書く文章の何処を取っても、無駄なものが無いように書いています。

大事な所を強調をして書いて呉れています。

博士のお陰で、恐怖症から解放された経験が在ります。死の恐怖から18年もの間苦しめらられた経験ですが、自身の『無意識の中にも意識が在った事』を体感した瞬間に、心身脱落脱落心身を、体得した瞬間でした。

それ以後は、大安楽の境地で暮らす事が出来ています。

余談になりますが、右脳の機能は人間の無意識を司っていますが、同時に身体の機能と運動の機能と、身体の生命維持機能も司っています。

赤ん坊が学ぶ以前から、生命維持活動、もっと言うなら、生命発生活動でさえも知っていて、細胞分裂でさえも知っている事実があります。

そうして右脳の機能は、永遠の意味をよくよく知っている事も分かります。従って、死によって失われる筈の自身の身の回りの事でさえも、右脳の働き(仏性)に任せておくなら、OKと分かります。

科学者が証明している動画です。詳しくは脳科学者です。

脳卒中になったために、右脳の自分と左脳の自分をうまく表現している動画です。是は1/2ですので、2/2も探して見て頂けるならもっと良く理解出来ると思います。


この回答へのお礼


ありがとうございます。
体得が大切のことは私も同意します。

私は仏教の中では禅を原文によりいちばん見ておりますが、
しかしすべての人に禅が向いているとは思いません。
また、仏教に限りませんが開宗以来、あまり人を救い得ていないことも気になります。(もちろん救われた人はいます)

そのため、ひとまず他宗を含め、全体を掴みたいと思いご質問した次第です。ありがとうございます。

 

「精神安定剤」で性格が変わる

 投稿者:ぐると  投稿日:2020年12月31日(木)17時50分11秒
  「強迫神経症」に限らず「くよくよ悩むのをやめたい」「内向的な性格を変えたい」というのも
神経症の一種ですから、「精神安定剤」の処方で、性格が多少変わることがあるようです。
逆にいえば、そうでないと、薬を服用する意味がないでしょう。

気が軽くなったり、あれこれ悩まなくなったりする効果があるようです。
いっぽう、深く考えなくなる反面、言動が無思慮になる副作用もあるようですが、
まともな医師の正しい処方によるものならば、いちおう大きな問題はないでしょう。

ただしこれは、薬の作用で「悩まなくなる」だけですので、
「悩みを解決」したことにはならず「悩みの先延ばし」にしかなりません。

すなわち「精神安定剤」を飲む期間だけ、じつは「神経症の治りが遅れる」ことになります。
だから、なるべく服用しないようにすべきです。


神経症と違って、不潔恐怖などの強迫行為がひどい症状、あるいはうつ病の場合、
薬を服用し続けないと改善しない人も多いそうですが、そちらの世界のことは知りません。
 

よいお年を

 投稿者:自然YUKIKO  投稿日:2020年12月31日(木)14時22分15秒
  お久しぶりです。ご縁をいただいて数年の月日が経過しました。私の経験と一致した動画を見て至極の幸福感永遠の実感をいつも反芻しています。あれから色々与えられるしあわせ感謝の日々です。今は量子力学についてはっと気づかされました。私の仕事ぶりを見て褒めていただいた事があってその時覚えられたのは見ていてくれたからなのだとわかりました。個になるということは見ることそれが大きな力なのだとわかりました。元気で頑張っています。よいお年を。
 

精神世界の音楽

 投稿者:るみか  投稿日:2020年12月29日(火)00時00分14秒
  この弦楽四重奏曲第16番は、第9よりさらに2年後、ベートーヴェンが世を去る約半年前に、
生涯で残した最後の曲であり、ひとことでは形容できない幽妙な世界が表現されている。

第3楽章は、もはや音楽というより混沌とした抽象世界、精神の表出そのものだといってよい。
深い瞑想の世界であり、それは回想のようでもあり、なにかの諦念のようでもあり、悟りのようでもある。
ゆるやかな波のような進行の中に、悲痛な感情や強い意志といった相反する地上的感情も
わずかに見え隠れするが、この作曲家の最晩年の万感の想いが深い感銘を与える音楽になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=jmu4Q6JLz18

いっぽうこちら第2楽章は、分散和音を主体に軽(かろ)やかで力の抜けた融通無碍な音楽だが、
どこか捉えどころがなくて、それが問うてははぐらかす禅問答のようにもみえておもしろい。
https://www.youtube.com/watch?v=yUwOVjAbpzY
 

恥ずかしい時に顔が赤くならない方法ありますか? まじで嫌です。きもいです

 投稿者:管理人  投稿日:2020年12月27日(日)14時48分22秒
  恥づかしい時に顔が赤くならない方法ありますか? まじで嫌です。きもいです。


>>>管理人


人間に本来備わっている機能に付いて、違和感を抱いたり、嫌う場合を神経症と云ったり、ノイローゼと云っています。

人に会った時の印象を、分析をして詳細に自分の心に教えている機能を、嫌う時を対人恐怖症と云っています。教えられている内容の内、男とか女に付いての印象を解きに嫌う場合では、異性恐怖症と云っています。

顔が赤くなる事を嫌う場合では、上がり症と云っているようです。

高い処に行った場合での状況(感覚)を嫌う時では、高所恐怖症です。

狭い処にいると云った感覚を嫌う場合では、閉所恐怖症です。

神経症の場合での症状としては未だ沢山の症状があります、そうして其々の症状の間には、特に何の関連性はありませんが、たった一つだけ関連性があります。

その関連性とは『(違和感として)意識する事』のようです。

また神経症の場合では、治った感が乏しいようです、確かに治った、と云った感想は特に無いと云う意味です。

神経症の治りに付いて、説明したいと思います。神経症を精神科医達の処で治してもらう場合もある様ですが、精神科医達の間でも『神経症の原因は分かっていない』という事が定着しているようです。

処が精神科医達では、神経症は早期発見で早く良くなります。を歌い文句にしているようですが、現実では原因(不明)を元から治す事が出来ない以上、確たる治し方は存在していないようです。

精神薬を処方して、治療をしているようですが、症状の軽減を図るやり方で、神経症を治すと云う方法は、あまり効果が無いようです。

その理由と、本当の治し方を書いて終わりにしたいと思います。

精神薬を処方してもらうと云う意味は、頭とか心に沸き上がった自然の感情を異常なものとしている考え方に拠っています。従って薬の効用が有る間だけは、治ったような気がしているだけで、薬の効用が無くなった時点で、又元の木阿弥になっています。

或いは少しの恐怖感や違和感だったものが、薬の効用のお陰で、同じ恐怖感や違和感をもっと強烈に感じてしまう場合もある様です。

兎に角今の治療方法は『時抑えや、熱が出た時の熱さまし』と同じで、根本的なものではない事は確かのようです。

では、神経症やノイローゼに置いての『根本治療とは何であるのか?』を書いて終わりにします。

神経症の原因を知るなら完璧ですので、原因を先に書いてみたいと思います。

人間の脳内には二つの機能が存在しています。脳の構造です。ウイキぺデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

この中に書いてある、右脳の意識が人間の生命の維持機能です。言い替えるなら『命の働き』です、『仏性』です。

この意識と出会う事を『見性』=『悟りを開く』と表現します。そしてその体験を『手から手へと直に手渡しで伝えられてきたものが』”禅”と呼ばれてきたものです。

釈迦の心を直接『手渡しで伝えてきた』処から仏心宗とも呼ばれているようです。ところが、鈴木大拙博士が存命中には、インドでも中国でも、絶えて無くなって久しいと云っていました。

禅は今や日本に存在するのみ、になったと云っていました。

1,905年生まれで、1,997年に亡くなるまで、精神科医として働いていたウイーン生まれの、V.E.フランクル博士も『知られざる神』という名でのその存在を知らしめようとしていました。

禅の中で語られている『それ』の存在です。仏性です、或いは命を働かせている機能=右脳の機能の事です。

この動画で語られています。無意識の自分の機能と云っても良いです。もし恐怖症とか、不安障害の人であるなら、右脳の意識と出会うなら完治します。

漠然とした不安を、自意識に送っている者です。無明の闇を晴らす時の相手です。

脳卒中になったために、右脳の自分と左脳の自分をうまく表現している動画を載せて置きます。是は1/2ですので、2/2も探して見て頂けるならもっと良く理解出来ると思います。

URL:

恐怖症の正体は、『自身の中の怖いと教えている者=右脳の機能』ですが、子供時代では、怖いと教えている者と、怖いと感じている自分の自我が『一体になっていたために』

『只、怖いだけ』と云う風に怖い時だけ怖い事になっていました。ところが大人の脳になった場合では、怖い場面ではなくとも、予期不安とか想像をするだけで怖さを感じるようになってきます。

貴方の場合での上がり症が治ると云う意味は、誰でも上がる事が在る事を納得する場合です。

全ての神経症に付いて言える事ですが、症状だと思っていた事柄を『受容した時』だけです。

症状らしきものを『(心の中の)余計な物として』心から排除しようとした時から『症状になっています。』

高所恐怖症が治る場合では、高い処はその高さに応じて怖い事を、納得した場合です。

上がり症が治る時は、上がる事は誰にでもある事を納得した時です。逆な言い方をするなら『上がらない工夫とか、上がらない努力を放棄した場合だけです。』

上らない為の努力をしたり、上がらない為の工夫をしている場合を『上がり症と云っています。』


 

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