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投稿者:i 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年11月30日(木)05時37分10秒
  満足出来ない人生に不満があるという事が言いたいのでしょうか?或は『 生きていて、何をする気もおきません。 』できれば一日中ずっと寝ていたいし、働きたくないのです。かといってお金もなく、気晴らしに旅行へも行けません。

という事を貴方は書いています。

実は何を隠そう、私も同じように思う時がありますが、現実問題としてはそれもできそうもありません。

人生から逃げ出したい気分です。
どうすれば解決するでしょうかと思うのはなにも貴方だけの問題ではないと思います。

人生から逃げ出したい気分です。
どうすれば解決するでしょうか
 

無気力、破壊衝動

 投稿者:i  投稿日:2017年11月28日(火)14時37分40秒
  生きていて、何をする気もおきません。
できれば一日中ずっと寝ていたいし、働きたくないのです。かといってお金もなく、気晴らしに旅行へも行けません。
世間体のために毎日イヤイヤ仕事をしています。

また、仕事中や通勤中にイライラから破壊衝動が湧く時があります。(何か壊したくなる、大声をあげたくなる)

人生から逃げ出したい気分です。
どうすれば解決するでしょうか

 

釣りバカ三平様へ -2

 投稿者:管理人  投稿日:2017年11月26日(日)07時11分34秒
  神経症を含めたいわゆる精神疾患と言われているものの解決には『症状の受容』が大事だと考えています。いわゆる寛解とか寛治とか完治とかが余り見られないという現実には、この『症状の受容』が含まれていないからだと思います。


精神疾患の完治は存在していますがそれは、今の医学が望む方向とは正反対の方向です。『症状の除去或は追放は存在しません。』

精神疾患の症状と思っている事柄は『受け入れた瞬間には、症状としては成立しなくなっています。』これが症状の消滅です。

症状の受容が成立した瞬間から症状はなくなって、『意識には上がって来なくなっています。』


今の医学の方向性にいつも疑問を抱くゆえんが此処に在ります。
 

釣りバカ三平様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年11月26日(日)06時48分6秒
  『うつ病も神経症と同じ本人のものの考え方がカラクリであれば、だいぶ患者(医者に通う人)も減らせると思うのですが…鈴木知凖先生が、神経症とうつの患者を別けていらしたと思うからです。』

との事ですが、私はそういった方面での専門家ではない事から、自由にモノが言える立場だと思います、そういった自分の見方を書いてみたいと思います。

全ての(精神的な)疾患と言われるものの原因は『受容出来ないと思っている事柄が』病名に当たると思っています。狭い範囲で説明するなら「神経症の病名」で説明もできると思います。

強迫障害と、吃音や、書痙等の症状には何の関係性もありませんが、発症の動機は同一です。従って治るきっかけも同一です。それは症状の受容のみです。

同じ事が、鬱であっても感情障害であっても、酷い妄想状態の中での幻覚等があげられると思います。

ヴィクトール .エミール.フランクル博士の著書の中の一節に『酷い幻聴に悩まされる事がありますが、一人でいる孤独な時間よりも賑やかの方が良いと思う様になって、改善されました。』と言っている統合失調症の老婦人の言葉を紹介しています。

幻聴が悪いものだと嫌っていた老婦人が、幻聴を受け容れた時から幻聴に悩まされる事が無くなって、幻聴と戯れながら正常な生活を営むようになったという結果をを報告していたことをある本で読んだことがあります。

その本の名前は忘れましたが、多分、彼の著書です。沢山の本を書いています。『神経症Ⅰ、神経症Ⅱ、又は時代精神の病理学、精神医学的人間像、識られざる神、又は死と愛、夜と霧』の中の一冊です。

読み返してどの本の何ページという風に報告をしたいと試みましたが、いかんせん時間切れです。相も変わらずに、時間がないような暮らしに終止をしています。

11月は一日も休まない皆勤になっています、おまけに毎日が13時間以上働いています。ちなみに昨日は10時半に帰って、12時半まで飲んで、今日は4時半には起きています。

今は、月末の請求書書きの真っ最中です。

 

管理人様の書籍等ございましたらよろしくお願いします。

 投稿者:釣りバカ三平  投稿日:2017年11月25日(土)05時52分10秒
  お世話になります。
自分自身も随分年齢を重ねてきました。しかし、未だ視野が狭く人生も広がりがありません。
最近は、何かの反動か、夜食事を採っても又、何かを食べる過食になっています。
神経症は、見性しないとダメみたいですが、なかなか見性しません。又、うつ病についてですが、殆どの人が抗鬱剤を服用しているのだと思いますが、管理人様がおっしゃる様に、うつ病も神経症と同じ本人のものの考え方がカラクリであれば、だいぶ患者(医者に通う人)も減らせると思うのですが…鈴木知凖先生が、神経症とうつの患者を別けていらしたと思うからです。管理人様は、実際にその方法で、うつ病を乗り越えられた方がいらっしゃるのでしょうか?お伺い致します。又、管理人様のそのいつもおっしゃっておられる事を書籍等で目にする事はできませんでしょうか?(うつ病の患者を減らせると思って)重ねてお伺い申し上げます。乱筆乱文お許しください。
 

?山本さんへ

 投稿者:斎藤  投稿日:2017年11月23日(木)06時03分25秒
  禅寺で修行とは、脳の問題を仏教で解決すると言う意味で、それは起きない。神経症は病気であって
健康な人の悩みではない。盲腸炎が仏教をいくら信じても治らないのと一緒です。?

では、どうするか。貴方の意識が猛烈に空回りしていて、解決模索欲求が止まらない。
空回りする意識はさらに模索を要求し、人生は無駄の山を築き上げる。
この空転を停止させるには是非動きが必要です。健康な人でじっと止まって考えている人は
いない。無意識が活発に動いているからです。

神経症者では動いている人は殆どいない。無意識が活動を停止しているからです。
無意識の再活性化をさせずして、不安の克服はあり得ない。
動き方が分からない時は貴方の周りの健康な人の動きを見ればよい。
あれが健康な動きなのです。
 

山本様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年11月22日(水)21時02分37秒
  結局、自分自身にケリをつけるには禅寺で坐るしか無いのでしょうか。
何か他に、具体的な方法は無いのでしょうか。


という事ですが、本人の気付きという事ですので、第三者が割って入ってどうにかできる問題ではないと思います。本人の学んだ事柄が本人の頭とか身体に染み込んで来て、只納得出来るのか否かだと思います。

私の忠告としては、言葉のない世界で遊ぶことが大事な事だと思います。恐怖や不安を感じた時『言葉のない世界で体験する生活』と言った趣です。

森田療法にも通じていますが、不安や恐怖心を、言葉にしないで只感じている生活です。おまけに言葉では何も表現しない世界です。

是を徹底させる時森田での「不問」が成立すると思います。禅では『言い得ても、、、言い得なくとも、、、」として同じ扱い方をしているようです。

言葉のない世界で遊ぶことが推奨されています。
 

自分自身にケリをつけるには

 投稿者:山本  投稿日:2017年11月14日(火)16時24分27秒
  こんにちは。いくつかの掲示板で貴方の投稿を拝見させて頂きました。
私にとって禅と脳科学の関係性は非常に興味深いものです。
また、これまでその他多くの書籍や記事を読んで自我について学んできました。

そして、自我は幻想であることを理屈では理解できたのですが不安や恐れを感じる事が無くなりません。
結局、自分自身にケリをつけるには禅寺で坐るしか無いのでしょうか。
何か他に、具体的な方法は無いのでしょうか。
 

うつ病を克服した人間は精神的に強いと聞きましたほんとうですか

 投稿者:管理人  投稿日:2017年11月12日(日)18時18分20秒
  うつ病を克服した人間は精神的に強いと聞きましたほんとうですか?


>>>管理人


うつ病の原因は自身の心の中での内部抗争が原因でなっています。自身の心同士の争いの事ですが大変に分り難い事です。

心の中で何時も言い争う声が聞こえています、心の中が大変騒がしい事です。

これは自身の心の矛盾とか、心の対立とか、心の分裂に苦しむといった意味合いがあります。

この反対が『涅槃寂静』と言われている『心の中が大変に静まり返っている状態』の事です。

うつが治ってここまで来た暁には、もううつに逆戻りをする事はなくなります。この事を『うつ病を克服した人間は精神的に強いと』いいます。

こういった心の内部事情を書いてみます。

人間の脳には人格が二つ存在しています。一人は自意識、という者です。顕在意識と言っている意識です。ところが同じ脳内にもう一人の人格が存在しています。この意識は『無意識界』を支配しています。

人間の脳は脳梁を介して繋がっていますので、今の医学的な研究では成果は見られていないようですが、脳梁を切断した脳の機能についての研究成果なら挙げる事が出来ると思います。

これはあくまでも分離脳の研究成果です。脳梁が切断された脳に付いての研究です。ウイキぺデアからの転載です。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。

1981年ノーベル生理学・医学賞』


てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』

此処での注目点は、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』という点です。脳内には意識が二つあるという意味です。



ここでもう一つの動画を見て頂きたいと思います。脳科学者が自分の実体験を通して(脳卒中になった事で)左右の脳の機能の違いを体験している事です。


https://www.youtube.com/watch?v=AZZ1vXerxYQ


この動画が語っている内容は、見性(自身の性を徹見する事=悟りを開く事=二つの人格が脳梁の中で出会う事)を意味しています。この体験以後二つの意識には絶対的な序列が出来て、左脳に存在する自我意識は、『右脳に存在する、識られざる神』としての意識の前を歩こうとする事が無くなります。

これが涅槃寂静の実態です。うつと言っても神経症と言っても、自律神経失調症と言っても、難治性の心身症と言っても原因は同じです。

機能を持っていない左脳の人格が、出しゃばって体の機能を働かせようとしている事に無理があったという意味です。全てを『右脳に存在する、識られざる神』としての意識にお任せをして、そのあとからついて行く時全てが好転する事を意味します。

意識脳の出番と無意識脳の出番争いが、全ての疾患の原因を作っていると思います。

右脳の意識は『無意識の中に封印された形で存在しています。』ヴィクトール.エミール.フランクル博士の言っている『識られざる神』に相当すると思います。二十四時間体制で身体と心を監視して守っている機能を言っています。


そうしてその機能は”永遠”を把握している点にあります。左脳に存在している自意識の機能は『有限担当』という事を意味しています。

人間の心の最大の危機とは『心の分裂』を意味しますが、この意味するところは『有限と永遠』のせめぎ合いという意味になります。

裏を返すなら『失意の自意識を、右脳の意識が永遠という毛布で抱きかかえて呉れる。』と言った意味合いになります。

死にゆく人が笑って死への旅に出て行く時と同じ境涯になっています。それが見性をした功徳となって、宗教文化を大勢の人達が後押しをしているという意味があると思います。

薬漬けになっている今の精神医療界が、宗教世界にも目を向けて手を携えて行く事が出来たなら、より良い世界になるかも知れません。
 

社会不安障害(SAD)は完治するのでしょうか?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年11月12日(日)16時23分13秒
  社会不安障害(SAD)は完治するのでしょうか?

完治した方の体験談をできるだけ詳しく聞かせていただけませんか

私の話をします。
私はSADになって10年以上経ちます。
自分がSADなのだと気づいたのが症状発症から4年後
親の許可を得て病院に通えるようになったのが1~2年後
それから6年間ほど毎日薬を飲み続けています。
いつまでも薬を飲むのは怖かったので、行動認知療法に切り替えようとしたこともありますが、自分のみじめな部分と向き合うことがしんどくて続きませんでした。

今は、昔と比べるとかなり前向きで行動力のある人間になったと思います。人並み以上の緊張はしつつも、なんとか人前にも出れるようになりました。
『周りの人は私が精神病だとは思いもしないだろう』という状態まで回復しました。
しかし、完治したわけではなく、条件によっては人と食事ができないままです。視線も怖いです。

親は、副作用を考え薬を飲むことを良く思っていません。そのため、年々医師に薬の量を減らしてもらうよう言うので処方薬の量は少なくなる一方です。
病院に通い始めた頃は薬の量が今より多く、薬を飲むと震えないし、変に体に力が入りすぎないし、視線も怖くないしで無敵になれたようでした。(なるべく薬を飲むなと親に言われているので、人とあまり関わらない日は薬を飲まないようにしています。そうすると、昔は飲まない日は気分が落ちすぎてしんどかったのですが、今は少しくらくらしたりしなかったり程度です。)

薬の量を減らされるほど、症状を抑えきれてないように思います。
けれど、食事で弊害が出ているものの、健常者を装う生活はできているので気にしていませんでした。
すると、つい最近、突然昔のような強い症状が出てきました。
視線が気になりすぎて体がこわばり、うまく動けず震えたり、その日の出来事を全部悪い方向に考えてしまったり。頭がぼーっとして意欲を失ったり。
長いことこういった症状が出ていなかったので、驚きました。昔の私はこんな状態で毎日生きていたのだと。
やはり、強めの薬をしっかり飲み続けて治さないと再発するのかなと考え、医師に相談する予定です。

以上が私の体験談です。まとまりがない文ですみません。


薬を飲んで治った方、薬をやめて治った方、行動認知療法で治った方など様々な方がいらっしゃると思います。
お話を聞かせてください。きっとそれは今の私にとって希望の光になると思うのです。
よろしくお願いします。


>>>管理人


社会不安障害(SAD)は完治するのでしょうか? という事ですが完治します。昔は神経症に分類されていましたが、今は違う分類になっているようです。ですが昔のままの分類でも良いのかと思っています。

何故なら如何に症状は違うとしても、神経症とは発症する原因も治る過程も全てが共通しているからです。

早速、貴方の経過が良かった頃と今の貴方の違いを書いてみたいと思います。

良かった頃は『症状を強く意識する事が無かった、或は特に症状を邪魔ものとすることが無かった』と言っても良いと思います。

それに引き換え今の不調ぶりとは、対照的ですが、症状を取り除きたいとする欲が出て来て症状を強く取り除きたいとしている事が原因です。

全ての神経症に共通している『症状を発症する原因とは、症状を邪魔ものとして取り除こうとしている事が原因です。』

そうして治りに関して言うなら、『症状らしきものを受け容れてしまって、症状があろうが無かろうが、どっちだって構わなくなる事。』です。

その時には症状が有ったとしても、その症状が強く出ていたとしても症状を問題にしなくなっています、言い替えるなら症状を相手にしない態度が出来ていますので、その症状は『意識に上がる事が無くなっています。』

症状らしきものが出たとしても、嫌う態度が消滅している事から、もう症状としては作用していなくなっています。これが症状の消滅です。

症状を受け容れる事が出来た時点が神経症の完治です。その時点で症状は妄想だった事が分かります。症状を嫌うあまり単に心に湧き上がった感覚を症状にまで高めてしまって、妄想の中で苦しんでいた事が分かります。

この時点から、強く症状が出たとしても、もう症状としてではなくただ単に心に湧き上がるものとして処理されています。つまり症状であっても忘れ去られた感情として処理されています。

症状を取り除く事が無くなった姿は、すっかり症状を忘れ果てた姿になっています。神経症になった事も、治った事さえもすっかり忘れ果てた姿です。






 

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