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管理人様へ

 投稿者:以前の者  投稿日:2017年12月27日(水)20時43分41秒
  長文すみません。
無意識と意識についてなどの、私の気になったお話した内容で、お返事頂けませんでしたが
管理人様が
何も話すことがない、返信しないと思われた場合は、どういった気持ちで
スルーしているのでしょうか?また、私は聞くべきではないことを聞いてしまったのでしょうか。
 

どうして双極性障害やうつ病を発症するんですか

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月27日(水)07時55分56秒
  どうして双極性障害やうつ病を発症するんですか?



>>>管理人



人生は一回きりです、そうして人生にはリハーサルがありません。何でもかんでも初めての経験と言っても良い場面が沢山存在していると思います。

人間には『自分自身に向き合う向き合い方』を教えてくれるところがないように見受けられます。

この自分との向き合い方が一歩まごついた場合に、双極性障害やうつ病を発症する事になると思います。うつの場合では『自身の心の矛盾』を苦しむといった意味があります。この意味は自分自身の心を持て余してしまっているという意味もあります。

もう少し詳しく書くなら、自分自身に湧き上がる違和感とか、何処から押し寄せているのか分からない、得体の知れない漠然とした不安感とかがあげられると思います。こう言った罪悪感と言ったものに近い『自身に湧き上がる感情』の正体とか、人間の心が何故苦しくなったり、生き難い想いを抱いてしまうのかと言った『心に対する基本』と言ったものを教えてくれるところがありません。

この事も関係していると思います。

又、双極性障害の場合では『自身の心が対立してしまって、分裂を起こしてしまって、自身の心同士がお互いに背中合わせになった状態と思います。

人間の脳内に人格が二人存在している事を自身の脳卒中の経験とともに語っている動画があります。この女史は脳科学者であって、二つの人格に付いて、或は宗教的な涅槃と言った心持を語っています。

この動画から精神疾患の原因が、右脳(無意識の意識)と左脳(自我意識)との主導権争いだったことを汲み取って戴けるなら、有り難い事だと思います。

動画です。


https://www.youtube.com/watch?v=AZZ1vXerxYQ





質問者


面白かったです、動画。
統合失調症や双極性障害の人の脳の仕組みがわかるヒントがあります。躁状態になっているときは右脳が働き、うつ病のうつ状態のときは左脳です。

私は以前から、この病気は右脳と左脳との連動がうまくできていないものだと直感してました。それを友人に話したこともあります。間違っていなかったと今思います。

また、交感神経と副交感神経の働きがうまくバランスがとれていない状態だとも考えています。
双方ともバランスですね。バランスが悪い。
片方しか働いていない感じです。そして、片方が極端に作動している。

>自分との向き合い方が一歩まごついた場合に、双極性障害やうつ病を発症する

これですね。まごつくのは動画の例にもあるように、片方の脳に疾患があった時です。両方がうまく機能していないとき。バランスが崩れて。






質問者


自分との向き合い方を誰にも教わっていないといっても、人間、脳がちゃんと機能していれば、どう動くかは自ずと分かってくるものです。

脳が壊れたから、どうしたらいいか分からなくなってしまうんですね。それには極度なストレスがかかった時、深く考えすぎて脳コンピューターがフリーズしてしまう、そんな感じです。

人は教えてもらうのではなく、自分で考える生き物です。
脳が壊れたら、自分で考える力も失い、どうしていいか分からなくなる、それが病気の発症だと感じます。

よいご意見をどうもありがとう。URLもとても面白かったです。



>>>管理人

大変微妙な問題を含んでいます。普通は誰でも意識と無意識は、交代制を取っていて、ちょうど良いタイミングで交代をしています。

今書いた微妙なところを少し書いてみます。優勝が掛かった一打を打つ場合のような緊張する場面での事です。普段通りの練習の時と同じように『無意識の世界に入って打てたなら』OKと思いますが、優勝を意識していますので、普段通りに打てそうもないかも知れません。

誰でも意識と無意識の世界に入ったり出たりしていますが、緊張する場面ではなかなか思うようにいかない時もあります。

優勝を意識してしまって、普段のようにうまく無意識の力を借りれなくなる場合と、眠る事を意識してしまって、予期不安が頭をもたげてしまって無意識の自分の世界に入る事が出来なくなる場合は同じ事です。

どちらも『自意識過剰』と言っても良いのかも知れませんが『意識する自分』が全てを壊しています。

すべからく精神疾患と言われているものはこういった微妙なところが入り口になっているものと思います。すなわち自分の心の本来の在り方を忘れてしまうという意味合いがあると思います。

 

管理人様へ(他の方はスルーお願いします)

 投稿者:以前の者  投稿日:2017年12月27日(水)02時10分31秒
  追記になります。

管理人様は症状の改善を諦め受け入れた時、改善していくと言っておりましたが
自分は特に症状の改善を諦めたという訳でもありません。逆に何をしても仕方がない
からどうしようもないからそのままにするべきとも思います。無理に諦めようとすることは
逆に意識を際立たせてしまうので、どちらの感情も受け取っています。
症状をなくしたいという感情、症状があっても仕方ないから置いとく、またはどうにも
しようと思わなくなったり。ただ、一つ言えるのはやはり、症状別に改善が出来れば
ひと時でも安心出来るのでどこかで望んでしまっている自分はいます。その感情は勝手に沸き起こってしまうので
仕方ないので受けるだけ受けてそのままにしております。
ただ、無意識に身を任せることがすべての改善に繋がるなら、症状別の改善は特にどうでも良いと思います。
無意識に全てを預けたいのが本心です。ですがその本心を引き出したいのですが
症状別の苦が左脳で、不安に思ってないどこか安心感のある(右脳)無意識が主導権を争って
その板挟みに今あってます。無意識に寄り添いつつも常に左脳で不快感を感じているのが嫌です。
私は症状を受け入れてもいるし、特別受け入れてないように感じます。
ただ、子どもの時(無意識:目の前の世界がスッと入ってくるような感覚)になりたいです。
特別なりたいと意識しているわけではありません。右脳に従いつつも、躊躇の指令を出してくる
左脳にどうしても不安です。不安感をずっと持ち続けてることに色々とわからなくなりました。
このまま不安感を持っていていいのか、受け入れようとも拒もうともしない、ただ不快感が
自然にあるから感じたくない。どこか安心できる無意識に居たい反面、どうにかしたいと
思う感情。外国人の方のスピーチの動画も拝見させて頂きました。自分は洗脳に
入っているという感覚があります。我を取り戻したいです。無意識がSOSを出しているのは
感じています。それが本来の洗脳が解ける我ということは薄々感じています。
とりあえず自分の中にある感情には逆らえないのでどんな感情も受けるしかありません。
自然の摂理には敵わないのですが、不安感を感じるしかありませんが感じ続けているのが
不自由感があります。心の格闘を、無意識に勝たせて安定させたいです。
左脳と右脳二つの思考が自分にあるので、自分でも無意識にいきたい反面、躊躇があります。
もしかするとこうして書き込みをしていることや、無理に人間論、脳について学ぼうとすることが
治療行為になっているのかもわかりません。
ただ、健常者は左脳の伝達で神経症で悩む不快感も少なく無意識で過ごしているので羨ましいです。
神経者はありもないことを本当に思わせる錯覚を感じるのが残念です。不安も際どいラインを
突いてくるので、動揺が生じてしまいます。私が今話している事柄も、「嫌」というワードが
ありますが特別追い出したいと思ったり受け入れてるってわけでもありません。
ただ不快な感情を受け続けるのが本当に、症状を受け入れ症状があっても症状としない
ということになるのかと、どうなんだろうと思いました。不快な感情をそのままにしても
不安の度合いは一定です。ずっと不安のままではないかと思ってしまいます。
それが受け入れてないということになるのでしょうか。誰だって不快感を感じるのは
厳しいので自然とそう思ってしまうと感じます。ただただひたすら無意識の方に
不快感がありつつも寄り添い続ければいいのか、全身全霊で自分なりに丁度のラインを
選択していますが、どうなんでしょう。いくら矛盾の先を突っ走っても健常者への
道が果てしなく遠いい事はわかってます。「症状を感じても症状としない」の状態まで
いくにはひたすら不安も受け続けるしかないのでしょうか?不安は勝手に感じるので抗うことなく選択は
それしかないと思いますが、この不安が不快感を感じなくなる所までいけるのかわかりません。
受け続けるだけで何とも思わなくなるのか、それとも感情は一定まで上がり下がるのか。
自分は脳のことなど、学びが足りないからこうなっているのか。自分は正しい選択が出来ているのか、
無意識の感覚が近いようで遠いいようなまだ左脳に主導権を握られてるような...
症状が錯覚のトラップで根本を見ないといけないとはわかってますが、足をすくわれそうになります。
無意識にたどり着きたいと思う事は、症状を受け入れてないということになるのでしょうか?
特別追い出したいと思っていないのか、それとも不安があるからやっぱり無い方が良いので
自然に追い出したいと思う二つ思考があってどうしていいのか...
意識上に取り上げて問題視してしまっているのでしょうか。受け入れたくないということで
強く現れているのかなとも思いましたが、何も考えてなくても
自然に左脳から悪い癖で浮かんで来るので、受け入れたくないと拒んでるわけでもないと
思います。勝手に感じてるので。今の自分は、意識、無意識で
不安と、不安に思ってない無意識、どちらの感情も浴びせられてますが
不安に左脳のせいで躊躇しつつも無意識になるべく寄り添ってる状態です。
ここから先、どうすれば無意識に染まれるか、症状を症状と感じなくなるのかいまいちわかりませんでした。
症状を受け入れろ、諦めろ、と完全な諦めを意識して行わなければいけないのか
無意識に寄り添いつつも、自然に不快感を感じ続けるのに人間の本能で嫌気がさしました。
右脳と左脳の格闘を落ち着かせたいです。症状があってもなくともいいやという
気持ちが足りないのかどうなんでしょうか。症状の改善を望む事、諦めが確定
する事は私は出来ているのでしょうか。症状別の改善は妄想なので出来ないと
諦めています。ですが無意識で完治できるのであれば症状別のことは解決しなくても良いのでそういった意味で
完治を目指したいです。これは諦めていないのでしょうか?自然に沸き起こる感情なので
抗えない事はわかってます。不快感をなくそうとして、不安を受け入れていないのか、無理に無意識を求めたり結局症状を受け入れてないのか。結局、私は症状を取り除こうとしているのか...わかりません。
本心(右脳)こうしたいと思ってても
左脳は躊躇して本心を制限してしまいます。無意識と意識の気づきでだいぶん楽になった感じもあり
色々と管理人様の言っていたことがわかってきたかなと思っていたのですが、私はまだ進歩しきれてないのでしょうか。

今の通り、不快感を感じつつもそのまま受け耐え続け、無意識に寄り添い続けるだけで良いのでしょうか?

管理人様、今の私が次のステップへ進める道しるべをどうか、お返事お願いします。
次のステップといっても、神経症の完治ではなく無意識にたどり着く
という意味でお願い致します。
 

管理人様へ

 投稿者:以前の者  投稿日:2017年12月27日(水)00時03分52秒
  以前文章を投稿させて頂いた者です。
無意識と意識の感情がわかってきて様々な症状別の苦があっても、そんな時に
でも、どうでもいいことや楽しいことを考えてる無意識の方に寄り添ってる
お陰で救われてる面もあるのですが左脳の方の伝達に不快感を常に感じています。
このままただ無意識の方に安心感は少しありますが寄り添ってるだけで良いのかわからなくなったり
それとも、まだ脳の仕組みやそういう事柄に対しての知識不足でもっと学ぶべきということでしょうか?
その為に学ぼうとすることは治療しようとしてることになりますかね。
表現が下手で申し訳ないですが、タコで例えるとタコの頭が沸きあがらせる根本の原点で
何本もある足が症状別の苦、本当は頭の部分を見捉えるべきですが、足の方に常に邪魔
されてその負の感情を浴びせられている気分です。無理に拒んだり受け入れようと意気込んだりしていません。
ただ、ずっと感じ続けているのが辛いです。今、自分はどういった段階にいると推測できますか?

管理人様のみの、回答をお願い致します。
 

うつ病になる人って多角的な視野でものを考えられないよね

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月24日(日)18時34分12秒
  うつ病になる人って多角的な視野でものを考えられないよね?なんでそんなに平面なんだ!!!


>>>管理人


人の心が同じように働くからだと思います。人の心は肯定と否定から成り立っていますが、健常者の場合では肯定と否定が約半分づつを占めていると思います。ですが心を病むといった場合では、病名を問わず大抵の場合が否定する心から成り立っているからだと思います。

否定する心とは、ネガティブという意味になると思います。一面からしか見えないという意味は『出来ない』という視点からしか見ないという事を意味していると思います。

肯定をする視点から見る事が出来るなら、もう治りかけている事を意味します。そうなったならあらゆる可能性が認められる視点からみるようになると思います。
 

薬を決して飲まないと決意する所から治りの道

 投稿者:斎藤  投稿日:2017年12月24日(日)14時55分12秒
  薬は何の役にも立たない。薬は廃人への道位に考えていてよいでしょう。
医者はもちろんそれが利益だから薬を出す。患者は効かないのが分かっていても
強迫的に飲む。神経症者にも薬を飲むタイプと飲まないタイプがあって私は殆ど飲まなかった。
神経症は薬を決して飲まないと決意する所から治りの道が開けます。
 

私の妻は適応障害と対人恐怖症と診断されて3年になります。 もちろんメンタルクリニックにも通っています

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月24日(日)13時39分26秒
  私の妻は適応障害と対人恐怖症と診断されて3年になります。
もちろんメンタルクリニックにも通っていますが、薬だけで1ヶ月10000円かかっています
何の変化もありませんしむしろ薬がないと生活できないくらい薬に依存しています
みなさんの回りで同じような方がいて治ったというひとはおりますでしょか?
またうつ病にかかっている方で同じような症状の方がいればいい対処の仕方を教えていただければありがたいです


>>>管理人


適応障害と対人恐怖症も少し前までは神経症として扱われていたようです、今は医学の進歩でもあったように名前だけ付け替えて、何か新しい事が始まったように感じさせていますが、神経症に対しての進歩はなにも見受けられないように感じます。

今の医学では神経症に対しては、その症状を緩和させるために薬物を利用しているようですが、薬物で神経症が根本的に解消する事は難しいようです。その理由は症状に対して対症療法となっているだけだからです。この意味は「風邪を引いて熱が出ている場合に、風邪を治す事をしないで熱だけを下げようとしている事と同じ意味になるからです。」

本当の理由を書くなら、今の医学では「神経症になる原因と、その原因を取り除いて神経症の完治を導く為の知識が不足をしているように思います。」その根本的な理由は先にも書きましたが、神経症の原因の究明がなされていないためと思われます。

貴方の奥さんに対しての治るための方策は、神経症の仕組みとか、人間の心が何故苦しくなるのか?と言った事を学ぶ事が大事と思います。今の医師に任せているなら治る事は稀にしかないと思われるからです。

私のこれから書く事は、今のところ誰も語ったり、説明する事はありませんが真実です。14歳から32歳までの18年間神経症に苦しんで来て、32歳で完治してもう既に37年経っています、その間に考えた事がこれから書く事になる神経症の原因です。

人間だけが神経症になるという事実は、人間の脳の構造にあると思います。人間の脳内には二人の人格が存在しています。この二人の人格が神経症に関係しています。脳内に意識が二つある科学的な文献です。ウイキぺデアからの引用です。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』

普通の場合では左脳に存在する意識が『自我意識』を形成しています。我思う故に我在り、という場合での”我”です。この自意識は生まれて来てから全てが学ぶ対象になっています。何も知らされていなくて何も学ぶ事が無くて生まれて来ています。そうして全てを知識として言葉を介して蓄積をしています。そうしてはなはだ厄介な事になりますが、言葉で理解出来る事とは『全てが割り切れる事だけ』という意味を持っています。

言葉に出来るという意味は、全てが割り切れる問題=有限の世界という意味を含んでいます。つまり「自意識は有限しか理解出来ない機能から成り立っている事を意味します。』『永遠といった概念は理解出来る機能は備わっていない、という意味になります。』

これに対してのもう一つの自分とは右脳に存在している意識です。この意識は右脳に存在している意識です。分かり易い表現をするなら『無意識を司っている意識です。』そうして『自身の生命維持機能をすべて一手に引き受けて昼夜も問わずに休みなく働いています。』

この意識(機能)は生まれる前から全てを知り尽くして働いている機能の事です。身長の大きさから体重でも髪の毛の色でも、呼吸数でも脈拍数でも、いかなる時にも休む事無く働いてくれています。蜘蛛が蜘蛛のままで蜘蛛であるように、人間が人間であることを人間たらしめている機能の事です。

当然”心”とも関係しています。赤ん坊が教えなくとも安心でも不安でも、恐怖でさえも知っている事と関係しています。どういった打ち合わせが無くとも「素晴らしい舞台等でのスタンデングオベーション」をさせている者と言ったら分かり易いかも知れません。

全ての人間に備わっているこう言った、感情を湧き上がらせている”意識”が神経症の原因に関係しています。

人間の心(の機能)には二通りあって、一つは感情を湧き上がらせている機能で、もう一つは感情を湧き上がらせられている機能という事を意味します。

こう言った意識が人間には二つ備わっている事が、神経症に関係しています。

神経症を治すために必要な事は、症状別に対応するという事ではないです、症状の改善を抜きにする事で治る時期は早まります。症状の事は気になったり苦になったりするでしょうが、症状を相手にしないでいる事が一番大事な事になります。森田療法というものがありますがこの療法の眼目は『不問』です。症状を問題にしないでいるという意味です。

そうして症状を問題にしないで生活している内に、症状が有っても無くとも関係なく生活が出来るようになります。こういった生活が徹底される時症状は在ったままで症状にはなり得なくなります。此処まで来た時には『症状は在ったままで症状ではないものに替わります』つまり症状は消えてしまう事を意味します。

神経症の症状には様々な症状が有ります、が原因は一つだけですので、その原因が分かる時神経症は治る事が出来ます。神経症とは『意識する自分が出てしまって、無意識の自分の出番を、自分が奪い去てしまう事』によって起きています。

不眠症で説明するなら、眠る時には『自意識は無くなっています、そうして無意識の自分が身体と心の支配権を握る事を意味します。』

眠れない時には、しっかりと自我意識が(眠る機能がないにもかかわらず)自我意識だけで眠るようにと『意識を凝らして、無意識と交替しないように頑張っています。』

どんなに頑張っても自意識だけでは眠りに入る事は出来ません。自意識が無くなってから無意識の自分が眠りの世界に誘ってくれています。

恐怖症やパニック障害で神経症を説明する事も分かり易いと思います。神経症の原因は『感情が沸き上がる為の情報とか沸き上がった感情とかを、嫌な情報として嫌ってしまって、心から追い出そうとしてしまう事(着信拒否をする事)で成立しています。

従って治る時とは、そういった情報をしっかりと受け取る事が出来た時になります。高所恐怖症では『今高いところにいる』という情報の着信拒否をする事によって、その情報の送り手は、受け取ってもらっていない事が分かる為に”再送”を繰り返しています。二度目には同じ情報でも大きく加工されているようです。

パニック障害でも同じですが、初めの小さな情報でも、着信拒否を受けて、確実に知らせるために、情報を拡大して送っています。小さな不安⇒大きな不安⇒恐怖心といった具合に段々と大きくなってしまいます。あまりに大きくなった情報にパニックになるという事が、パニック障害の裏側に存在しています。

従ってパニック障害が治る時には、小さな不安をその小さな不安のままで受け取る事が出来る時という事になります。


総じて言える事は、症状とは『嫌ってしまって意識に上がって困っている事』と言えると思いますが、治るという意味は『そういった症状が有っても無くとも、もうどっちでも良いや』となった場合です。

吃音で説明するなら、吃音で生活が圧迫を受けている人に対して、『吃音のままでオーライです』という意味になりますが、当の本人には納得がいかないと思います。ですがこれも真実です。苦しみの末に吃音を受け容れる事が出来て『誰だっても吃音が出る時くらいはある事』を理解出来た時吃音は治っています。

神経症とは『意識に上がった事柄=症状』を嫌な事として感じないように工夫をする事によって、返って心の中にしっかりと固定させている現象、と言っても可能です。

神経症とは誰にでもある只の湧き上がった感覚を、嫌う事によって『一喜一憂』して大騒ぎしている事を意味します。ですので治る時とは『症状らしきものが出たとしても』もう一喜一憂しないでいられる事を意味します。

此処まで来た時には『症状が出たとしても、もう一喜一憂しないでいられるという事は、意識上に上げて問題にしない人間性が出来た事を意味します。

人間に湧き上がる感情を達観出来て、冷静でいられる時治っています、という事は人間の心とか深層心理を達観出来るようになった時、自然と治ってしまう事を意味しますので、人間そのものを学ぶ事で全ては解消する問題と思います。
 

PTSDの治療について。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月23日(土)22時04分16秒
  PTSDの治療について。

7年程度精神科に通院していますが、改善は無いです。
最近、ヒプノセラピーを知りましたが、これで改善は見込めますか??


>>>管理人


薬物の治療では治り難い面があると思います、PTSDが治るという意味は、過去に起きた受け容れ難い出来事とか、その事によって生じた心理的な嫌な事柄を嫌うために、そういった感情とかそういった現場に近い環境によって『予期不安』が頭をよぎる事によって、辛さが蘇ってくるからです。

そういった環境面とか感情面を、薬物によって和らげようとしているのが今の医学の限界になっていると思います。この限界という意味は『薬物の効き目がある間だけ、多少は心が感じ難くなっている』という意味になると思います。薬の効き目が無くなった時点では、何の役にも立っていない薬物療法という意味になると思います。

何を見ても、動じないでいられる、湧き上がる感情の根本対策や治療を求めるなら、自身で学んで、自身がPTSDの治療者になる事が一番だと思います。

孫氏の兵法にあるように「敵を知り己を知れば、百戦しても危うからず」という事を地で行くほかにはないと思います。

PTSDは、己の感じ方とか、感じた事をどういう風に受け止めるのかという事を学ぶ事で解消する問題と思います。

治るという事を端的に理屈通りに書いて置きますが、この理屈は分かっても役には立ちませんが、治った時点では大層役に立ちます、そうして自分の治りがどの程度の治った位置にあるのかも知る事が出来ると思います。

PTSDも恐怖症も同じ原因で発症しています、その原因とは、何かを見た時、湧き上がる感情の内、自分が受け入れたくないと判断して『心から追い出しを図る事によって、発症しています。』

その原因は『人間の心の中には、感情を沸かせている者と。感情が沸き上がらせられている者』と二つ存在しているからです。

もう少し細かに説明すると、何を見ても湧き上がる感情(沸き上がった感情を感じている自分)という心と、『何を見ても湧き上がる感情』を湧き上がらせている者という心と二つあるという意味です。

感情を感じている自分とは『自意識』を指しています、顕在意識という事を意味しています。そうしてこの自我意識の湧き上がる感情を湧き上がらせている意識が『自身の心の中に存在しています。』この事を分かり易く説明する事は不可能に近いかも知れませんが、試みてみます。

人間は生まれた時から、誰に倣う事もなく、もう既にしっかりとした世の中を見る目とか、人間として湧き上がる感情を学ぶ前から知り尽くして生まれています。

更に言うなら、自分の脈拍でも、脳内のホルモンの分泌、呼吸数でも学ぶ以前から知り尽くしています。この知り尽くしている者は誰も学ぶ事なく,『見事な舞台等ではスタンデングオベーション』等もさせる場合もあります。

人間には元々備わっている機能の事ですが、今の医学ではいまだに認知出来ていない事は、残念というべきと思います。

この者とは『自身の無意識の意識』を指しています。従ってPTSDも恐怖症もその症状とされているものとは、本人が受け入れを拒否しているものとか、事柄を指しています。

この事はとりもなおさず、この感情を『湧き上がらせている者』を拒否している事を意味します。そうして更に言うなら「この者が発信をしている情報も着信拒否をしている事」を意味しています。

この事が、まさに直接『PTSDや恐怖症』の原因そのものを作り上げています。

人間の心は誰であっても、小さな不安の『着信拒否をする時』小さな不安を湧き上がらせる機能が、もう一度小さな不安という情報をもう少し拡大をして『再送をして来ます。』

こう言った事柄が、PTSDや恐怖症や、更にはパニック障害にまで発展する場合を作り出しています。小さな不安を受け取っておくならそのままただの小さな不安です。

こういった情報の交換が出来る時「健常者」と呼んでいます。

小さな不安を着信拒否をする時、この情報の送りては『同じ情報を拡大して大きくして再送します。』小さな不安感を大きくすると大きな不安になります。

大きな不安をさらに拡大すると、恐怖心にまで拡大されています、これがパニック障害のからくりになっています。ですのでパニック障害が治る時には、小さな不安を只そのままにして小さな不安として受け取っておくだけで治っています。

PTSDも恐怖症もパニック障害も同じ原因で発症しています。ですので治り方も一緒です。『湧き上がった感情』に一喜一憂をしないで只素直に受け止める事を学ぶ事が大事です。

PTSDも恐怖症もパニック障害も他の言い方をするなら『湧き上がった自分の感情に、一喜一憂をして、追い出しを画策していながら、ただ振り回されている事』が原因で発症しています。

治る時とは、同じ環境や同じ症状が出たとしても、一喜一憂をしなくなった為に振り回される事が無くなっただけ、と言っても良いかも知れません。

振り回されなくなったという意味は『症状が出たとしても、受け容れる事が出来たために、問題にしないでいられる人間性にまで成長した、』という表現が出来ると思います。

人間の心とか深層心理を達観出来るようになった時、自然と治ってしまう事を意味しますので、人間そのものを学ぶ事で全ては解消する問題と思います。
 

祈りましょう あゆ

 投稿者:美香  投稿日:2017年12月14日(木)10時06分6秒
  名前変更です。

この書き込みを、私がしたときは祈りの時間を持ってはいかがでしょう。
 

以前書き込みをしていたものです。

 投稿者:あゆ  投稿日:2017年12月12日(火)10時46分41秒
  齋藤療法で治らない人は、祈りはどうでしょうか?
齋藤療法とは、禅……つまりは、東洋的な方法で治しています。
しかし、体に対する療法でも、東洋的な療法が合わない場合があるのではないでしょうか。
祈りをしている間は、思考が静寂化していると思うのですが、これは自然な思考になっているということでは、ないのでしょうか?
 

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