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私だけのもの。

 投稿者:自然Yukiko  投稿日:2017年 6月11日(日)01時28分34秒
  時についいて思うことがあります。生きることは、比較です。目があるから、見えるから全て比較します。
そのことにより嫉妬が発生します。
それは全て時間がなせるわざではないでしょうか?
生まれ、老いて、病を得、死する。
四つの非ざるもの、罪を背負って。汝は罪びと。
この世とお別れするとき「私は私に恥じない生き方をしました。」
と言えるよう与えられた「時」を大切にしたいと思います。
 

管理人さんへ

 投稿者:斎藤  投稿日:2017年 6月10日(土)14時48分21秒
  最近この掲示板が死んでいますね。以前の活気を戻すために自由書き込みにしたらどうでしょうか。
もちろん危険な書き込み、個人の秘密がばれる書き込みには注意してください。
この掲示板の良いところは、神経症者が自由に書き込める事です。無為療法の掲示板では
、治る方向を向いていないと容赦なく削除します。
それともう一つ、海さんの書き込みは毒にも薬にもならないのですが、連続3ページだけは
迷惑になるから止めてもらいたい。
 

ご無沙汰をしております

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 9日(金)06時48分28秒
  大分ご無沙汰をしています、余り書く事が無くなったような気がしておりますと共に、仕事が大分ハードになっていると言いますか、自分の能力が落ちていると言ったら良いのかも知れません。

仕事の量とか質がハードルが高くなっていて、おまけに単価も安く推移しているような気が致して居るところです。

こういった環境の中でも、業績を伸ばしているところも多数存在していると思います。

自分の仕事の責任を追及しているところです。
 

仕事をする時も。

 投稿者:自然Yukiko  投稿日:2017年 6月 3日(土)02時12分56秒
  毎日車で通勤しています。運転は性格が現れます。
私は穏やかだと思っていました。
帰路、国道は結構車の量がありスピードも一定していました。
追い越し車線が三車線から二車線へと狭くなり暗い道路で自然に合流するはずでした。

横の車と後ろの車に意地悪をされ警笛を後ろから鳴らされた時身の危険を感じました。

世の中のイジメってこんなんだなど思いました。
学校でも、世間でも。      家庭でも。
綺麗事の裏にある人間の。
でもその時自分の、自分を守ろうとする心の強さを感じました。
今まで散々傷ついてきたけど、私って冷静に自分を守って来たんだ。
このことが分かって自信が持てました。
長く生きていて良かった。
 

錯覚の科学

 投稿者:斎藤  投稿日:2017年 5月18日(木)16時38分23秒
  錯覚の科学と題してハーバード大学心理学の教授が書いた本を
読んでいる。これを読むと人間の意識、記憶はかなり怪しい
のが分かってくる。

バスケットボールのプレーで、人がトスに注目していると、ゴリラの縫いぐるみ
が出てきても認識できない。
ここから脳が進化の過程で、その貴重な脳資源から最善の形で情報を
引き出そうとしているのが見えてくる。

脳はたった20ワットの電気で動く生物コンピューターだから、
データーの処理量には限界がある。動物が捕食動物の攻撃から
一瞬にして逃れるには脳をフリーズさせないために、
処理を端折る必要がある。

コンピューターではファイルの圧縮解凍がそれに似ている。
お蔭で、電信速度が遅くても比較的短時間にダウンロードが終わる。
あるいは、インターネットの速度が遅い時は、蓄えられていたデーター
から引っ張ってきて、画面を表示する。そのためにコンピューターは
常時画像を記録している。

脳も同じで、欠けている部分のデータは蓄積しているデーターで間に合わせる
ことが多い。そのために錯覚が起こるのだ。

私はこれを神経症の説明に充てたい。
我々の脳でも全ての情報を意識では処理できない。そんなことをしている
と処理限界を超えて脳がフリーズしてしまう。それを避けるために、
無意識が微妙にコントロールして、意識のオーバーロードを避ける
安全策が設けられている。

お蔭で我々は細々した動きは意識を消費せず行っている。
それを神経症者はもう一度全部意識に翻訳して
やろうとする。そんなことは無理に決まっているから、
動けなくなり鬱状態になり、精神病院に直行と言うことになってしまった。
 

宇佐先生が好き、動きに興味がないについて

 投稿者:斎藤  投稿日:2017年 5月15日(月)05時38分42秒
  我々の目標は自主独立であるのは誰でも理解できるでしょう。
健康世界で誰が指導者を求めているだろうか。自分が指導者で
誰の意見も求めていない。だから生きるのが楽なのだ。
宇佐先生を求めて20年なんてやっているとついに健康世界に
行くことなく人生は終わってしまう。

動きに興味がないと言った神経症者がいた。
我々は動物であって、興味があるから動いているのではない。
動くように出来ているから動いているわけで、そんな屁理屈を
言うようになったら、今後どうやって生きていくのだろうか。

食事をしたら美味しい、空気を吸わなかったら死んでしまうのと
同じで、動きには理屈がない。そんなものに一々理屈をつける
のが異常であり、神経症の病的世界を物語っている。

人間も動物であり、犬の動き、猫の動きと基本的に変わる事が
ない。自動プログラムであり、何も考えないが動ける。
このプログラムが動かなくなって、やるべきをやるなんて
言い始めたら尋常ではないのです。
 

今夜はゴチ。

 投稿者:自然Yukiko  投稿日:2017年 5月14日(日)17時58分49秒
  日曜日、セールのスーパーへ行き食材見繕いました。
いつもなら仕事の連日ですが町内会の大役を仰せつかり全体会議の本日は休日となりました。
昨日も仕事は深夜までとなり結構疲れています。
昨年末仕事中に二度滑ってひっくりかえったり脚立から落ちたりして足腰に負担が来て
大変でしたが何とか持ち直しました。
買い物帰りでフッと思うことがありました。
中学生の時、テニスの大会で試合中ボールが止まって見えたんです。
その頃すこぶる快調で、いつも優勝していました。
あの時の感覚が戻って、「時」って止まっているものではないかと。
過去を振り返り、未来を憂い、勝手に思い巡らせますが。
落ち込むことはないんじゃないかと。
今しかないんだ。
いつまで頑張れるかわからないけど。
東京へ出ている長男以外は、衛星のように周辺に子供達の家庭があります。
無事に成長したことに感謝します。
これからも頑張ります。
 

遊び

 投稿者:むらじ  投稿日:2017年 5月11日(木)16時02分51秒
  家にいるより、外で何かを
することの方が好きですね。
身体を
動かすとかね。
病的状態のときは自分が
何が楽しいか分からなかったが、
家にいるより、外でエネルギーを
解放する方が楽しい。
読書をしたり、ネットをしたり
するのが好きな人がいれば、
身体を動かしたり、社交したり
するのが好きな人もいる。
どちらも好きという人もいる。
私は家にいて遊ぶより、
身体を使いたい。
 

自我

 投稿者:むらじ  投稿日:2017年 5月 7日(日)12時41分34秒
  自我が弱いとすぐに傷つく、落ち込む
ということになる。
精神疾患の人は自我が未熟だから
故に社会に出ていこうとしても
耐えられない。結局は自我が弱いのが
問題だと思いますね。
社会で仕事をしたり、または
恋愛したりするのが耐えられない脆さ
を感じます。
精神医療は進歩していますが、
根本的なところで精神疾患にたいして
無力なような気はします。
自我を発達させるには各人が考えれば
いいと思いますが、
やはり、仕事もできない、恋愛もできない
という感じの脆さだと大変ではないでしょうか。
別に仕事や恋愛だけが人生ではありませんが、
要するにあまりの繊細さはつらいと思います。
社会活動が成立しないほど脆いというのは
大変辛いことだと思います。
 

雑用が出来ない人へ

 投稿者:斎藤  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時57分53秒
  雑用は考えないから出来るのです。考えたら意識と無意識が
衝突して30分後にはヘタってしまう。
無意識の動作は意識を嫌う。体操競技で3回転ジャンプが
あったとしよう。訓練の結果の体にしみ込ませた動きに任せれば
可能であるが、そこに意識が入ると2回転半で着地してしまう。
我々の生活の大半は無意識がコントロールしていると考える
べきだ。そこを神経症者は意識で突破しようとして失敗
しているのです。
 

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