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高校生です。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月11日(日)12時42分9秒
  高校生です。
パニック障害って、治す方法ありますか?
放っておくと治りますか?
病院には行けないです。


>>>管理人


パニック障害は昔の分類では神経症として扱われていたものです、この神経症という分類は今でも全く正解と感じている者です。その理由は如何なる精密な検査をしても異常が見つけられないものが『神経症に分類されていたからです。』

パニック障害に似た症状が昔ありましたが、そう言った症状が全て胡散霧消して、消えて無くなった経験がありますので、経験済みの症状として、或はパニック障害が治った先輩として書いています。

パニック障害を症状とする神経症全般に付いて説明します。神経症はノイローゼと言っても良いです、その理由は、感じている症状は『実際には存在していない症状』と言っても良いものだからです。頭の中に自身が受け取りたくないものとして想像を働かせることによって『逆に頭の中に自分で作り出している事柄だからです。』

とは言っても今の貴方には分からないと思いますが、私の書いたものを読んで置いて下さい、又私の言う事は信じなくとも良いですから、出来る事が在ったら実行して下さい、信じていなくとも実行しているだけでノイローゼから、距離を置く事が出来ると思います。又私の言う事が、腑に落ちる事が多くなって来たら、もう少しで治る時期に来ていると考えて貰っても良いと思います。

貴方が人間通とか人生に対して造詣が深くなるなら神経症は自然に治るようになると思います。神経症とは『自分自身に敏感な人や、不安になり易い人が』陥りやすい一つの形だからです。

『自分自身に敏感な人や、不安になり易い人が』という意味を始めに説明して置きますが、こういった事を教えてくれるところは余りないように見受けられます。こう言った神経症の症状を感じる人は、自分自身を細やかに或は敏感に観察している人の事です。

もう一つの見方として『心が健康な人』とは、自分自身の心の動きが余りにも順調に行っている事から、自分自身の『心の動きに異常が見付けられない人達』と言っても良いと思います。

では、こう言った神経症の症状を感じる人は、自分自身を細やかに或は敏感に観察している人の事です。という意味は自身の心の成り立ちに敏感という意味です。この説明をする場合では人間の脳の機能の説明が必要と思いますので一応説明したいと思います。

人間の心は脳の活動の一環だと思います。処で人間の脳内には『二つの人格』が存在しています。この人格が子供時代では一つの者として機能していましたが、思春期頃(中学生頃)に脳の機能分化が完成するようです。この場合でのキーワードは、二つあります。一つは脳の機能です、もう一つは各々の脳の機能にはその機能を統括する人格が備わっている事です。言い替えるなら機能が違う二つの人格が脳内に共存しているという意味です。

その証拠です、ウイキぺデアからのコピーです。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』

この左右の脳の機能の違いは大変重要な意味を持っています。又人類史とか宗教史にとっても重要な意味を持っています。その理由は世界中の宗教を一つにまとめてしまうほどの説得力を孕んでいるからです。

人間の心が大変な事になるきっかけを聖書では『失楽園』と書いていますが、脳の機能分化と一致しています。左脳の人格は『我思う故に我在り』という”我”ですが、顕在意識とも言っていると思います。ところがこの顕在意識に常に同居とか共存していながらも、絶えず見守りながら、情報を提供している者が在ります。その情報とは『言葉に依らない情報です。』

この情報を提供している者が『もう一人の自分』です。このもう一人の自分との出会いを釈迦は『悟りを開く』と表現していますが禅宗では『見性成仏』と表現しています。つまり『自性を徹見する。』という意味です。

キリスト教では神と(会って)和解するといった意味です。


聖書での『知恵が付いて神に隠し事をする(疑う)』という意味は、脳梁での情報交換を疑うという意味です。この意味を具体的に上げるなら、知恵が付いた為にイチジクの葉で身体を隠す事を意味します。この意味は『心が二つの人格に分かれたために、見ている自分と見られている自分』という風になってしまうので「恥ずかしい』という感情が生まれた事を意味します。

思春期頃から悩みや、苦しみが始まって、精神疾患が増えてくるといった背景が聖書に書いてあるように脳の機能分化が原点になっています。

右脳の人格は『生命発生装置兼生命維持装置』がその機能です。言葉を持っていない事が特徴です。常に危険を察知して、脳梁を介して顕在意識である自意識という心に伝えています。

つまり右脳の人格は『感情発生装置』という機能を持っています。この情報との付き合い方が様々な精神疾患を形作っていると考えられます。

高いところの情報とか、狭いところの情報とか、人間に在った時の印象とか、異性の印象とか、広いところの情報とかあらゆる場面での情報が在りますが、そう言った情報とその情報を送る者を嫌ってしまう事が『神経症が発症する原因を作っています、』

如何なる精密検査を行っても異常が見付けられないという意味は、その原因が脳内の『疑い』(神を疑う=失楽園)にある事を意味します。

現実に貴方のパニック障害が治る為に必要な事を書いてみたいと思います。

パニック障害の原因は貴方の脳内で感情が沸き上がる瞬間に発生しています。ですが健常者にも発生していますが、貴方の場合では嫌っている事、受け取りを拒否しようとしている事が原因で幾度となく再送されて来ています。

パニック障害でも、、、、恐怖症でも心に送られてくる情報を着信拒否をする事が原因で再送されてきている事を意味します。現実的な貴方のパニック障害を乗り越える方策は他の神経症の対処方法とも重なりますが、『逆説志向』というものです。

パニックの症状が出そうになった時、薬には頼らないで、”もっと強く症状よ出よ!”と望む事が有効です。人間の心は天邪鬼に出来ていますので、望む事が反対に出てくる性質があるからです。

神経症程望む事が逆に作用するものは無いのかも知れません。

神経症が治った姿を書いて貴方の助けになる事を望んで終わりにします。

神経症は様々な症状が在ります、その症状は全く違う様に見えていますが、発症するメカニズムは一つだけです。症状は『意識する中』に発症しています。そうしてその症状が意識した結果の産物です。その原因は『忌み嫌う事=受け取りを拒否している事』です。

従って神経症が治った姿は『症状が在っても無くとも、どっちだっても構わない』となった時です、言い方を替えるなら『症状を受け容れる時』です。他の言い方をするなら『症状を治そうとしなくなった時』です。

貴方の場合で表現するなら『パニックの症状が出ようとしたとしても、出ても良し出なくとも良し』となった時です。出ると困るから出ないように工夫する時だけ出ているだけだとしっかりと理解出来た時に治っています。

ですので、神経症の性質を逆に利用した『逆説志向』を徹底する時、症状を受け容れる事を意味しますので、確実に治る事が出来ます。


最後にもう一つ付け加えて置く事が在ります、それは思春期頃に二つになったもう一つの人格の説明です。もう一つの意識である『命を働かせている人格』は、機能分化が完成する頃に『無意識の底深く潜っています。』この意識と自意識との関係性を『禅』では『没交渉』と表現していますが、見性した体験からは『今更お前は誰だか?』と聞く必要などなかったとも表現しています。

遠い他国で妻(父親)に出会ったようだ、或は暗闇で妻(父親)に出会ったようだ、今更お前は誰かと聞く必要など無かったと、ものの本に書いてあります。

それと見性すると、究極の癒しが完成すると言われている内容は、不安とか恐怖の最大のものが『死の恐怖』と思われますが、全ての精神疾患の元凶に存在ものは多かれ少なかれそう言った死に対する恐怖が存在しているものと推察出来ます。

自意識の機能は計算する機能から成り立っています、その機能が発達する事で言葉が発達したと思われますが、計算する機能とは、言葉を替えて表現するなら『有限の世界』をしっかり把握するといったものになると思います。他の言い方をするなら『有限の世界から出られないもどかしさ』も同時に感じている事が人間の苦しみにつながっています。或は永遠の世界を希求する事にもつながっていると思います。

無意識の底深く潜りこんだ人格は、元を辿るなら、生まれたものでも無く、無くなるものでもなくて、永遠からやって来て、又永遠に戻ってゆくといったものです。つまりしっかりと永遠を把握していて、自意識に永遠を希求させている者と言った位置関係です。

従って二つの意識の出会いによって、自意識は死の恐怖から解放されて、元々自分自身が永遠の存在であったことに気が付きます。そうして人間の苦しみの元凶は『神を疑う事=機能的に出来ない事までも自分が出しゃばろうとしている事。』に気が付くといった意味が在ります。

神経症は、自意識が持っていない機能を持っているものと勘違いをして、無意識の出番を封印している事に相当します。『見性=出会う事』によって、お互いの機能によって出番がある事を確認出来たために、もう二度と出番争いをしなくとも良くなる事を意味します。『神に会って和解する事』を意味しますので『心の中は何時も静まり返っています。』この境涯が、涅槃寂静です。

脳卒中の為に九死に一生を得た脳科学者の動画が在りますので乗せて置きます。この中での注目点は『全てを諦めた事によって、右脳の人格=神=無意識の自分の意識』が自意識の前に表れた事だと思います。釈迦と同じように『涅槃』を言っています。



URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM










 

森田療法に救われた方いますか? はからわず、自然のままに、これって中々難しくないですか?はからわない

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 9日(金)21時30分30秒
  森田療法に救われた方いますか?
はからわず、自然のままに、これって中々難しくないですか?はからわないことの不安みたいな。
苦痛ではありますがはからっている時は楽なんですよね。もう一つ聞きたいのは、森田療法は普通の人にも有効な考えだと思いますか?


>>>管理人


森田療法は根底に禅仏教の流れに似たものを含んでいるように感じます。森田療法に適用されているものはノイローゼです、或は神経症と言っても良いと思います。

ノイローゼははっきり言うなら、お釈迦の言っていたもの『一切皆苦』が原点になっていると思います。つまり死とか、生とかに付き纏いがちな不安とか恐怖感が、頭から離れなくなる状態『つまり意識地獄の状態=ノイローゼの状態』が原点になっているという意味です。

不安で生きた心地がしない状態が原点で出家したという意味だと思います。そうして究極の解決策を発見したという事になると思います。それが『悟りを開く』事を意味します。禅宗などでの悟りを開いた事を形容する言葉に『生死の問題が解決する=一生の大事を了畢(りょうひつ)する。(これは仏門修行が終わり、悟りに至るという意味です。)』

仏教の大意とは、悟りを開いて『生にも死にも、影響を受けない本当の究極の大安心を獲得するところにある。』と言った意味があります。森田療法によって完治した人の中には仏教の高僧と同じ境涯を獲得するといった言葉が在ります。

つまりノイローゼになって苦しんだ人の一年は、座禅を十年した事に匹敵すると鈴木知準先生は書いています。そしてノイローゼは悟りを開かないと治らない、と口癖のように言っていました。

森田療法におけるあるがまま、とは、人為に依らない生活という意味です。無為自然という意味です=はからわず、自然のままに、がこれに相当します。

この意味は神経症などの症状は如何に違う症状が在ったとしても『計らいの産物=症状』とみています。症状の改善を図る事がそのまま症状の発症と固定にあずかっているという解釈です。もっと言うなら『治したいとか治りたい(症状を無くしたいという意味です。)という心が神経症そのものだといった解釈です。

治った姿は『治そうとしなくなった姿』といういみですが、すっかり症状を受け容れてしまって症状が出ようが出まいがどっちだっても構わない。こうなった時が完治した時だと言っています。

寺泊の良寛さんが『死ぬ時は死ぬるがよろしい』に通じています。死期が迫った時にじたばたして死にたくないともがき苦しむ事は当然考えられますが、死を受け容れてしまってしっかりと自分の死を肯定して受け容れるなら、死であってもそう言った人の心をかきむしる事など出来ないという意味になります。

森田療法は現代の若者達には受け入れがたい我慢を強いる療法に見えていて、森田療法に人気とか知名度はイマイチに見えます。

森田療法の神髄は、症状をそのままにして置くところ、すなわち『不問』にあります。症状が在っても不問、症状が無くなっても不問、その訓練が徹底されたなら、症状の在り無しを等云う事が無くなっています。

此処まで来たならあと一息です。症状を何とも思わなくなって、症状の有り無しに一喜一憂し無くなったらもうすぐ治ります、というか治っています。

森田療法でノイローゼが治る場合では、釈迦と同じに『一切快苦』がそっくりそのまま『安楽の法門に成って居ます。』

苦そのものが、安楽に至る道すがらという意味があるからです。

自身の中の『もう一人の自分』との出会いを悟りと表現します。自分を恐怖に貶めていた犯人です。自身の感情を湧き上がらせている者です。或は自身を『働かせている者』です。自分の命そのものを働かせている者です。無意識の自分の主人公です。

従って鈴木知準先生が『ノイローゼは悟りを開かないと治らない』と言った言葉は、名言と言っても良いのかも知れません。
 

少し特殊?な吃音症です

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 7日(水)21時15分19秒
  中3です。私自身吃音症と分かっているのですが少し症状がおかしいと思い質問させていただきます。

症状としては、

発表の時に限り難発になってしまう。
頭の中で文章を考えてそれをずっと言おうと思うと吃音に
普段の会話は稀にしか吃音にならない。

です。小学校の時に吃音が酷かったのですが今はだいぶ落ち着きました。
中学校では、普段困ることはないのですが、日直になりその日の反省をクラスメイトの前で言う時は、紙にまとめても、声が出ません。授業の発表は紙にまとめているのでキチンと言えます。

本当に苦しいです。生徒会の先輩に吃音の方が居たときがあったので吃音自体知っている人は多いのですが、私は日常会話はできるので吃音ということを知らない人が多いです。「普通に喋れるのに何でこういうときは話せないの?」みたいな空気になります。実際に話しているのも聞きました。

まだその時は我慢すればいいのですが、受験生なので面接があります。その練習を学校で行いましたが、やはり吃音になってしまいました。

ネットで調べた吃音を直す方法をすべて試しましたがどれも効果が全くありませんでした。
何か直す方法をとは言いません。ただ少し励ましてほしいのです。
先生や友達に相談しても他人事みたいに対応されます。

本当につらいです。自分は言いたいことがちゃんと頭の中にあるのに声が出なくて伝わらないのです。
それに、この吃音のせいで行きたい高校にいけなくなるのも嫌です。

私は話が好きです。初めて会った人にもガンガン話かけられます。
でも、伝えたいことをまとめたもの、発表の時、自分が嫌になります。死にたいと思ったこともあります。


何か励ましの言葉でいいんです。「あなたが思っているより実際はこうだ」みたいな少しでも私の気持ちを軽くさせてほしいです。

わがままですみません。


自分の伝えたいことを感情のままに詰め込んだので文がおかしいと思います。



>>>管理人



吃音は神経症の中の一つの形、或は症状です。神経症の場合ではどんなに症状が違う様に見えていても、原因は同じです。神経症になる原因も、治る原因も、治らない原因も皆通じています。

初めに神経症になるきっかけを書いてみたいと思います。それは『意識する事』が原因です、少し分り難いと思いますので、もう少し詳しく説明します。

普段の会話は稀にしか吃音にならない。という意味は『意識しないで話が出来ているからです。』話をする事を意識した途端に吃音になるという意味は『頭の中で文章を考えてそれをずっと言おうと思うと(意識した途端に)吃音になるという意味です。

こう言った事は、貴方の性格が神経質とか、不安になり易い性格という事から吃音は始まっています。性格が神経質とか、不安になり易い性格という意味は他人が気付かない事までも気づいてしまうという意味があります。

他人が気付かない事を神経質な人が気付くという意味は、自分自身の観察が細やかとか、繊細という意味があります。

では自分自身の何に『気付いたのか』という事になりますが、それは自分自身が『交代制で成り立っている事』に気が付いたという意味です。

人間は誰でも脳内には二つの人格を持っています。一つは貴方が今悩んでいる心の持ち主である『自意識=顕在意識』ですが、誰でももう一つ心を持っています。それは無意識の自分です。

眠りを一つの例として説明したいと思います、眠る時には正確に表現するなら『自意識が眠るのではありません』自意識は無くなっています、自意識が無くなっているという意味は『無意識の自分の意識』と交替が終了しているという意味です。

処が自我意識は『無くなった瞬間』を意識する事は出来ません、何故なら、無くなった時には意識そのものは無くなっているからです。処が『自意識が眠るものと勘違いしている場合があります。』意識を凝らして眠りにつくのを待ち構えている場合です。自意識には眠る機能は備わっていません、ですので自意識が眠るものと努力をする場合では、眠りには入る事が出来ません。この場合を不眠症と名前が付いています。

神経症の原因は全てが同じという意味は、自意識が出来るという勘違いをしている事を意味します。自意識にはそういった機能が無い事を知る事が必要だと思います。

処が、こういった交替制が全く順調に行っていて、全く何も疑う事が無い場合を『健常者とか、心が健康な人』と呼んでいます。

さて前置きは此処までとして、貴方が治るための方策を書いてみたいと思います。神経症の特徴は『意識した事が出来なくなる現象です。』この意識した事が出来なくなる特徴を利用する方法です。

貴方の場合では『意識してうまく話す事』が出来なくなることを意味します。この意識したら意識した事が出来なくなる性質を利用した方法です。それは『貴方が意識をして吃音で話をする事です。』

たったこれだけで貴方は吃音が治っています。もし治らないようであるなら『もっと吃音で話をしよう』という意識が足りないからです。

神経症が治るという意味は『症状を受け容れたという意味です。』貴方に吃音が出ているという意味は『貴方は吃音が出てはいけないもの」として、意識をして吃音退治をやっているという意味です。

貴方が吃音が治った姿とは『吃音を受け容れてしまって、吃音が出たとしても、出なかったとしても、もうそんなことはどちだっても良い』と吃音を心から受け入れた時です。

吃音に『意識がいかなくなった時点が、貴方の神経症が治った時です。』吃音だった事も治った事も、もうどっちでも良くなっていますので、吃音で苦しんだ事も、治った事でさえもすっかり忘れ果てている時に貴方は完治したと表現出来ると思います。
 

大勢の前で話すと震え、急にパニックになります。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 6日(火)20時24分31秒
  大勢の前で話すと震え、急にパニックになります。

中学生です。

先日、授業で1人ずつ1分ほどの
スピーチをするものがあったのですが

そこで声が震えて聞き取れないくらいになってしまいました。

もともと積極的な方ではなく
いわゆる"コミュ障"なのですが
今まで(1か月前くらいまで)はなんとか
しっかり聞き取れるくらいで話せていました。
しかし先日のスピーチでは
異常に緊張してしまい声が震えて自分でも今何を言っているのかよく分からず
今でもその時のことはあまり思い出すことができません。

また3日ほど前から勉強中や授業中などで
急に軽い過呼吸のような状態になりクラクラすることがよくあります。

また同時によく分からない不安?のようなものが襲ってきてしばらくその状態が続きます。


1ヶ月前くらいまで本当に暗くて「死にたい」と毎日思っていて

でも今はその気持ちを自分でなんとか消して
勉強に打ち込んでいる…というときに
このような感じになってしまいました。

またいつこういった状態になるのか と考えると不安になってしまいます。



(ちなみに1か月前に(今も)悩んでいたことは
友達ができないということです。)


質問です

1. この症状はなぜ引き起こされるのですか?

2. こんなことでスクールカウンセラーや担任の先生に相談してもいいのですか?

3. この状態にならないようにするにはどうしたらいいのでしょうか…

文章がまとまっていませんが
回答していただけると嬉しいです。


>>>管理人


若いうちは沢山の事に悩むと思います。

1. この症状はなぜ引き起こされるのですか?に付いては、”人間の意識性の問題”というものがあって、誰であっても大なり小なり影響を受けています。

優勝が掛かった一打を打つといった場合、優勝がちらついた方がそう言った意識性の問題に躓いてしまって、失敗する確率が高くなると思います。


2. こんなことでスクールカウンセラーや担任の先生に相談してもいいのですか?に付いては貴方の自由と思いますが、先に書いた『意識性の問題』を学ぶ内に解消すると思います。

3. この状態にならないようにするにはどうしたらいいのでしょうか

是は一緒に考えてみたいと思います。『優勝が掛かった一打を打つといった場合、』にどうしたら優勝出来る、会心の一打が打てるのかという問題に通じています。

或は人前で字を書こうとして手が震えてしまって、どうしてもうまく書こうとするあまり、両手で字を書こうとしても手が自由にならなくなって、ついに字が書けなくなってしまう場合があります、この場合を書痙と呼んでいます。神経症の症状の内の一つです。

或は意識した状態で話をする機会があって、どもってしまった経験からドもらないように意識して話をしたところ、上手く話が出来なくなってしまう場合があります、この場合を吃音と呼んでいます。同じく神経症の症状の内の一つです。

こういった神経症そのものを学ぶ事が良いかも知れません。


今の医学では『神経症になる原因は分かっていませんが、早く医師の元に行って、早く治療を開始するなら、早く良くなります。』が精神科医たちの宣伝文句になっていますが、原因が分かっていないと正直に言っている通り、神経症の完治とかを説明する事が出来ていません。

従って、何故?神経症になってしまうのか。治るという事は如何いう事なのか?或は治らないという事は如何いう事なのか?こういった簡単な疑問でさえも「現代の精神医学」は説明する気はないように見受けられます。

37年前に神経症が完治した経験から、今こうやって書いています。

神経症になる原因とは、『無意識の自分がやっていた事を、そうとは知らずに自意識がやろうとしている事』が原因で発症しています。

人間は誰でもが『自意識と無意識が』交替をする事によって恙ない毎日の生活を守っています。

この交替制が余りにも順調に行っていて、交替制になっている事でさえも気づかない場合を健常者とか、健康人とか、心が健康な人、と表現しています。

自転車に乗る場合では、習い始めは、自分の意識をすべて自転車乗りに集中しています。乗れるようになった場合では『自分の心=自意識は』自転車の操縦に使う事が無くなっています。自転車は正に自分の無意識に任せていますので、自転車の運転は意識などを使う事なく『自動運転』となっています。

話が長くなりますので簡単に終わらせるために、先の優勝が掛かった一打の説明で締めくくりたいと思います。

優勝が掛かった一打を。会心の一打にするために必要な条件とは、自我意識が出ないで一打を打つ事の中に在ります。言葉を替えて表現するなら『自分の無意識に任せて一打を打つ事です。』

他の言い方をするなら、『没我、或は無心の境地で打つ』ことが必要になると思います。

プロゴルファー等が、会心の一打が打てるようになるために、禅を学ぶ事が在るようです。禅のなかには「東洋の無の境地とか、無心、或は無為自然」と言った、自分の意識が入り込む事のない世界観を学ばせるためのテキストがあるからです。

自意識は計らう事=当てにする心で出来ています。

無意識の自分は無功徳=当てにしない心で出来ているからです。

禅問答は『計らう心=当てにする心』では解けないように仕組まれています。

無功徳の心が発動するという意味は、(優勝を欲しがらないで)すっと手に入れよ!という意味になります。

『貴方の場合に適用するなら、スピーチの場であるなら的確な題材を準備して話す態度に注意して、声の大きさとか、分かり易さとかに気を配って、そのスピーチに全力をつぎ込む事が出来るようにする事が大事だと思います。』

そう言った事柄に気を使う事なく、


(ちなみに1か月前に(今も)悩んでいたことは
友達ができないということです。)


質問です

1. この症状はなぜ引き起こされるのですか?

2. こんなことでスクールカウンセラーや担任の先生に相談してもいいのですか?

3. この状態にならないようにするにはどうしたらいいのでしょうか…

と考えるのは、貴方が計らいの心で考えている事の表れだと思います。
 

再掲-神経症の治し方を教えて下さい。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 6日(火)18時14分31秒
  質問日時:2010/06/22 19:50
回答数:4件


神経症の治し方を教えて下さい。
8ヶ月前にストレスから神経症になってしまいました。緊張性頭痛や、のぼせが出ましたがそれは
収まりました。最近、精神の高ぶりや、イライラ、倦怠感、手足のしびれが強いです。
すべては緊張が取れないからこのような症状が出るのではないかと思います。

薬は漢方のヨクカンサンとオウレンゲドクトウ、グランダキシン、デパスを少しです。
その他、催眠療法、整体、まだ始めたばかりですが認知行動療法を受けています。

どうしてこんなに緊張するのか、精神の高ぶるのか、気持ちをリラックスさせる事がなかなか
できません。
毎日が非常に辛いです。
なにか良い気持ちを落ち着かせる方法があれば教えて下さい。よろしくお願いします。


>>>管理人

回答日時:2010/06/22 22:53




森田療法で治った経験が在ります。その事を書いてみます。神経症は自我意識と『自分自身の命の働き(無意識の自分)』がうまく同調出来ない事が原因で起こる現象です。

治すために学ぶ事がありますので書いて見ます。症状らしきものを意識して困っていると思いますが、その意識する事が神経症の症状らしきものを招いています。

問題の核心が、貴方は『症状らしきもの』と思っているかと思いますが、その視点から神経症を治そうとする事は、かなり無理があります。問題の核心は『意識をする事』に在ります。

神経症には様々な症状が在りますが、症状を相手にしている間は治らないです。一生掛かっても治らないかも知れません。症状を嫌って『治そうとする』心の働きが症状を作り出して固定させているからです。

他の方法からのチャレンジでないと、神経症は治らないと思います。他の方法には幾つかの方法がありますが、決定的なものは特別には無いかも知れません、が治ったと言う事を先に書いて後で具体的な方法を書いて見ます。

治ったと言う事は『症状が』意識には上がって来なくってしまう事です。症状をすっかり忘れてしまう事が完治したと言う事になります。私の場合には14歳から32才までの18年間症状に苦しんだ経験が在りました。

その4年前に鈴木知準先生のところで入院森田療法を2ヶ月間受けました。入院期間に色々な話を聞きました、主に悟りを開くと言う話が多かったようです。或いは道に到る、或いは免許皆伝と言うような話です。あの頃は『何の話かさっぱり』分かりませんでした。

先生はノイローゼの一年は十年座禅をした事と同じ、或いは悟りを開かないとノイローゼは治らない。という事を言っていました。何の事かさっぱり分りませんでしたが、先生の言う生活態度を忠実に守って暮らした結果、4年後の事、自分の自我意識が『自分の無意識の意識』に出会うという体験が在りました。

もう30年位経ちました。この30年の間神経症になったことも治った事もすっかり忘れていました。今62歳になりました、65才位に引退をしてから、悩み多い人達に『出来る事は無いだろうかと思い』今はこうして書いています。

そうして完治した事が、冒頭の言葉になっています。そこで治すと言う事を書いてみます。私の言う事を信じて、言うとおりにするなら貴方にも治る機会が訪れる筈です。その方法とは『症状』の事は不問にすると言う事です、症状が在ったら苦しいとか、治りそうだから嬉しいとかは口にしたり書き物にしない事です。

症状を相手にしない人間性が育った時が治る時です。症状が在って苦しい想いが続くと思いますが、その事はもうどうしようもない事と『症状が治ると言う事を』諦める事が大事となります。

本当に大事な事は神経症が治る事です。症状の解決を図る方法では解決しない事をよく覚えておいて下さい。症状を意識してその意識する事が症状を起こしてその症状を固定させている事実を、覚えておいて下さい。精神科医に掛かったり心療内科で見てもらって、沢山の薬を長期間飲んだとしても、『頭の中は治したい、治らないのスパイラルに入ってしまい何十年しても症状の改善は一進一退になる筈です。

そうして他に学ぶとしたら『禅』と言うものを学ぶ事です。鈴木大拙博士の書いたものが良いと思います。禅を説明するなら、人間を働かせている『命の働きを』直接に掴み取れ!と言うほどの意味になります。

神経症で苦しい想いをしている人が『自分の症状を起こしている者を直接に掴み取れ!』と言う意味になります。人間はどうして苦しまなくてはいけないのかが判った時に『完治』になります。症状を起こしていた者が自分の心の中に存在していた事を知るからです。

自我意識が『命の働き』の情報を勘違いして受け取っていた事が分るからです。その出会いからは症状が消えてしまいます。自我意識に送られていた情報とは必要に迫られて送られていたと言う事がわかるからです。

それ以後心の矛盾は消えてしまいます。心は限り無く静寂を取り戻すと言う事です。それ以後自我意識は計らいでは生きようとはしなくなるからです。在るがままに悠々と、安楽に生きてゆく心持になっています。どんな事が起きようが、心は静かに対応するようになります。

そのために、今は症状を不問として、症状の有無を問題としない生き方を学んで下さい。人間の心は『無意識の意識』からの情報を受けて感情が湧く仕組みになっています。

不安も恐怖も、あの人が好きと言う事も、如何いう風にどんなに好きかと言う事も無意識が教えています。納期が来たと言う事も、試験が近ずいて来てピリピリする事も、全ては無意識からの情報です。

無意識になれなくなる事や、無意識からの情報を嫌って受け取ろうとしなくなる事で『症状』として感じています。

good  31 件
 

(無題)

 投稿者:あみーご  投稿日:2018年 2月 5日(月)09時58分55秒
  祈りましょう。。
私はクリスチャンです。
 

再掲-うつ病と精神バランスを崩すの違いとは?

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 5日(月)07時44分41秒
  反応が多かったものを再掲として載せています。質問日時:2014/09/09 19:28

タイトル通りの質問なんですが、うつ病と精神バランスを崩すの違いってなんですか?


>>>管理人




回答日時:2014/09/09 22:44
  .
うつ病は『自分の心を正常に戻そうとしている場合の事です。』

精神バランスを崩すとは、『自分の心を正常に戻そうとしていないながらも、おかしいと思っている状態』と思います。

処が『自分の心の正常さ』と言う課題は、何処を探したところで、そんなものは何処にもありません。こう云った無いものを探す行動や心理ですので、治り難くなっています。

人間の心の最上な状態とは『自分を忘れている時の事です。』最高な表現で言うならば、人間が天国にいる状態と表現するならわかり易いと思います。

聖書によるならば、天国に一番近い存在は『幼子』です。仏教的に表現するなら『嬰児』です。この理由を書いて見たいと思います。

幼子や嬰児が天国に一番近い存在と言う理由は『自分の心を正常に戻そうとしていない』処にあります。正常が何か?異常が何か?にさえも気が付かないからです。

自分の心に頓着する事が無いからです。この理由は『自我意識』と普通の大人が言っている意味での『自我意識』が未だ芽生えていないからです。自我が芽生えていないと言う意味は『心が一つの者として働いている状態』を指しています。

この事が崩れる事を『失楽園』と聖書は表現していますが、その理由は『自我の目覚め』にあります。自我が目覚めた場合にだけ『自分は何者か?とか、人生とは何ぞや?』と言った疑問がわきあがる様になります。

こう云った疑問が湧き上がる事を『知恵が付いた』と表現しています。その理由は『心が二つの者として働き始めたからです。

幼子の時は、人生は何ぞや?とか自分は何者か?と思考する事はありません。そう云った知恵が無い状態を天国と表現しています。

この意味は『自分の心が一つの者として働いているからです。』簡単な表現で示すなら『見ている自分』だけしか心の中に存在していないからです。その為に自分の裸を見られても『恥ずかしい』とさえも思わないことが多いと言う意味です。

それに対して、人間が成長するに伴って身体と脳が成熟して来ます。主に脳の成長におっていると思いますが、『心が二つに分かれて来ます。』このために恥ずかしいとか、疑問とかの、感情が沸き上がる様になってきます。

簡単に表現するなら、『見ている自分』の他にもう一人の自分が加わってくる事になります。新しい自分とは『見られている自分』です。

見られている自分が『自我が目覚めた姿です。』詰まり『自意識』という事になります。

こう云った関係性に気が付く人の事を『不安に成りやすいとか、神経質な人』と表現しているようです。詰まり自分自身に敏感と言う意味です。

こういった関係性を知らないで、闇雲に不安が多い場合を仏教では『無明』と表現しています。自分が自分を怖がらせている事に気が付かないでいる、と言う意味です。

是は無理も無い事だと思います、誰もこういった関係性を教えてくれる人も学校もないからです。

うつを治す医師免許を持った専門家でさえも『内因性の精神病の本態が、今日まで分っていないのは精神医学の恥辱である』と言っています、1,950年代の話です。

その後でも同じです。医師の自殺率で最も高いのは精神科医という報告もあります。心の苦しさを救うための知識を持つ筈の精神科医が『自分の心の苦しさに対処できる知恵を持たずに』他人の心の苦しさに立ち向かっているのが実情です。

そういう原因があってうつには完治とか根治が存在していないように見受けられています。

心を病むと言う意味は『自分自身の心同士が争っていたり矛盾を起したり』している事です。

人間の心の正体を科学的な証拠で示したいと思います。それは脳です、ウイキペデアからのコピーです。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

この場合での右脳の役割と左脳の役割を脳卒中の為に『体験的に体感した脳科学者の動画を載せて置きます。

URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

今のコピーでお分かりと思いますが、一人の人間には『人格が二人存在しています。』この二つの意識の間の食い違いを人間は悩みとか苦しみとして受け取っています。

詰まり欲しいとしている願望が手に入らないもどかしさが、悩みや苦しみや疑問になっている事です。


此処で話の結論に入ります。うつ病と精神バランスを崩すの違いとは?と言う問いの答えは、始めに書いたとおりです。

うつ病は『自分の心を正常に戻そうとしている場合の事です。』

精神バランスを崩すとは、『自分の心を正常に戻そうとしていないながらも、おかしいと思っている状態』と思います。


人間の心が正常に働いている状態とは『正常さを求めていない時だけです。』


精神バランスを崩すとは、『自分の心を正常に戻そうとしていないながらも、おかしいと思っている状態』と思います。

分った様で分かり難い話をしていますので、切り口を替えて説明します。

人間の心は二つの機能から成り立っています、一つは『意識している自分の意識=自我意識』ですがもう一つの意識とは『自分が無意識の状態の時の無意識の意識』です。

無意識の意識とは聖書では『神』、仏教では『仏性』と呼ばれているものです。動画で説明されている通りです。

もう少しかいつまんで説明するなら、自我意識という心を働かせている意識です。人間を内発的に突き動かしている張本人です。

恋愛と言う関係性で説明するとわかり易いと思います、この人と一緒になったら幸福に成れるのかという場面では『自我の特質である、欲とか得とか見栄が入り込まないでいた時にだけ真実の姿が見えています。』

明日のことさえ分らないのに『この人と一緒にいたい』とお互いに思えた時『二人の間で赤い糸が見えています。』自我の働きを無くして見えた時です。

逆に自我が強く働いた時『こんなはずではなかった』と時間が経つほど思うようになります。

人間は大抵の場合『自我』が出ているのか『無意識の自分の意識』が出ているのかを知る事は出来ません。何故ならお互いの関係性は『没交渉』になっているからです。

女史のような事は稀なケースと思います。ですが毎日毎日『脳梁の中では』お互いに出番争いをしています。

うつ病の場合では『自我意識』の出番が多くなってしまって、心が苦しくなっています『自意識過剰』の状態です。無意識からの交替要請が『罪悪感』に代表されるような『何処から押し寄せているのか分らない心的な圧迫感です。』

この圧迫感のゆえに尚更『自意識過剰』が続いています。出番争いに置いて『自意識が勝っている時、逆な言い方をするなら、無意識の出番が無い時』をうつの状態と言います。

心的な圧迫感による不安が強いために、不安感がますます強くなっています。

悪い状態を書いてきましたので、良くなった状態を書いてみます。

心の安定を捜し求めて来て、ついに得る事が出来ないと諦めた場合です、自我意識の万策が尽きて全てを諦めた時、右脳の意識『神』の出番が来る事になります。動画に有るとおりです。自分の身体も心も無意識の意識が占領する事になります。

心の矛盾が解消する瞬間がやって来ます、動画で語られている内容です。この体験の後では二度と『出番争いをする事がなくなります。』

この出番争いをしなくなった状態を『神の僕になる』と表現しています。

神とは右脳の意識の事です。他の言葉で表現するなら、赤ん坊が生まれる前から生命維持活動をしている働きと、生まれてから『何も学ぶ事無く、不安でも安心でも恐怖をする事さえも知っている”働き”』です。

脳梁の中での出会いを『悟る』と表現しています。是以後『自我意識』はでしゃばることが無くなるからです。見ている自分と見られている自分が合体して、『見させているう者に従う』と言う意味になります。

死が目の前に迫ったとしても、幸福感に包まれて死んでゆく事を意味します。誰にも奪う事が出来無い幸福感にです。無意識の自分=神は既に永遠からやって来て、又永遠に戻ってゆく事が分っているからです。うつが治った時には、現世的な欲とか得、地位とか名誉などや見栄などの価値観が転換する時があります。

ただ悪戯な毎日に見えていた日常が、光り輝きだして、”ありがとう”の言葉の中にさえも『幸福の種が隠れていた事が分かる様になります。

幸福を探していた事が間違いで、ただひたすらな毎日の中に幸福がいっぱい詰まっていた事を発見します。心の安定を求める事が『不安の元になっていた事』不安を受容れた時にこそ、安心が隠れていた事が分かる様になります。言い換えるなら『安心を求めない時にだけ、安心が在る』と言う事実に気付く事です。


うつ病は、探しても何処にもあるはずも無いものを求めていた事を意味します。『心を正常にしようとしない時にだけ、心は安定している事』うつの苦しみは『現実には存在していな苦しみです。』頭の中に自分の良し悪しをする心が作り出した幻でしかありません

目の前の真実の世界と『頭の中の架空の世界』のせめぎあいを、うつとして悩んでいる事を意味します

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この回答へのお礼

とても詳しい回答をありがとうございます。今後の参考に是非ともしたいと思います。ホントに心理やうつ病などって、難しい問題ですね。私は絶対に、あなたのような素晴らしくて詳しい回答なんかできません(笑)

簡単に回答してしまうと思います。
 

再掲 パニック発作を引き起こした原因について

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 3日(土)18時04分53秒
  パニック障害になる前に
人と話すのが得意ではないのに、がんばって話して脳が停止するような感覚が何日かあったのですが
ストレスになってたんですかね?


>>>管理人



パニック障害の経験者で完治した経験があります。』ので、生半可な専門家よりも詳しく説明出来ます。


パニック障害の原因は、その障害を感じている人が、本人の頭の中に作り出している『幻』を、あたかも存在するものと思い込んでしまって、避けようともがいて返って身近なものにして、実感してしまう現象です。

自分で、”自分” から危機回避とか危険回避をしようとしていると言うものです。

もう一つの方面から説明します。それは、花粉症のメカニズムを使っての説明です。花粉症とは『自分の免疫機能が自分の身体を攻撃する現象』ですが、このメカニズムと同じメカニズムが働いています。

花粉症の場合では、免疫機能が『アレルゲンと認められたものが、(実際にはアレルゲンではないものに対してまで)体内に存在すると感知した場合に発動します。』そのアレルゲンを体内から排出するための防衛機構が働く事を意味します。又この間違ったアレルギーにならないものにまで過剰反応して暴走してしまうものが花粉症のメカニズムです。

『心や行動や感情』に対しても人間には『危険回避』と言った花粉症に対する身体の反応と同じ様に反応する、防衛機能が存在しています。パニック障害とは今書いた『自己防衛機能』が暴走をしてしまう現象です。

始めに暴走する原因を書いて、後で暴走しない方法とか考え方を書いてみますので参考にして下さい。

パニック障害が起きる背景を始めに説明をして置きます。分り難い事を書きますので分らなくとも良いですので、兎に角読んで置いて下さい。私の云う事が腑に落ちた時貴方はパニック障害から抜け出していると思います。只理解するには時間が掛かるかも知れません。

身体にはアレルゲンと判断する機能が存在するように、心にもそう云った判断する機能が存在しています。是を説明する為には脳の構造を説明する必要が在ります、或いは脳の機能と言ったほうが分りやすいかも知れません。

是は誰にでも備わっている機能ですが、簡単に説明します。生まれたばかりの赤ん坊を想像して下さい、生まれたばかりで何も教え込まれていない『白紙状態の脳』を想像して下さい。学問を学ぶと言う意味では『赤ん坊の脳は白紙』の状態であって、何も知らないでいると考えられますが、実際では『全てを知っています。』

その証拠は、見たものに対して安心出来るものか?、恐怖に値するものか?は教えてもらう必要がない事で証明出来ると思います。又自身の生命維持をする機能という意味に置いても、自分の生命を維持する機能を働かせる事は既に知っています。

此処で問題にしたいのは、『見たものに対して安心出来るのか?、恐怖に値するものか?』という問題です。是は母親の懐にいる時には『”安心して”すやすやと眠っている状態』を言いますが、『”安心”させている者が存在しているからです。』

言い換えるなら『自分の心=自我意識』に『外界からの情報を安心出来るのか?、恐怖に値するのか?』を教える機能が存在している事を意味します。

この教えられた情報によって『赤ん坊が安心したり、恐怖に陥ったりしています。』是がパニック障害に於けるストレスになります。心地良いものは当然ストレス源にはなりません。心地悪いものが問題になってストレス源になります。

此処まで書いて貴方の問題に触れて置きたいと思います、貴方の嗜好に対する問題点です。貴方は好き嫌いが激しい部分があるという問題です。人として生きて行く場合では、良い事も悪い事も誰にでも大体は、等しく襲ってくると考えられます。良い事ばかりに恵まれる人などいないという意味です。

処が貴方の願いは、良い事ばかりを願っていて、厭な事を嫌い過ぎている点が問題になっています。

自分が感じた『五感から得た情報をストレスとして感じるのか如何か?』が問題になっています。

話を変えて”ストレス”の意味を考察します、誰でも同じ環境の中で生きていますが、パニック障害になる人と平然としている人に大別されます、その違いは『同じ環境』の中にストレス源を作り出している人がパニック障害で苦しんでいる事実があります。

言い換えるなら、他の人がストレスにしないものをストレスとして感じている、という意味です。強い言い方をするなら『本人が頭の中にストレスを作り出している部分がある。』という意味です。

もう一つ付け加えるなら、ストレスの意味ですが、それは『受容れたくないもの全般』をストレスと表現します。ですので貴方にパニック障害の症状が出る場面では『受容れたくない情報』が貴方の心に送られている事が原因で貴方はパニック障害としての症状が出ています。

此処が大事なところです、この情報が貴方にとってのパニック障害の原因です。貴方が『受け取りたくない』と感じてしまう情報が、花粉症における『免疫機能を発動させるきっかけになっている事です。』

この情報で、貴方は防衛機制を自分の心に掛けています。つまり『逃げ出したいとか、危険回避をしよう』がパニック障害の原因と結果になっている事です。

したがって貴方がパニック障害から解放されるという意味は、『今までストレスとして受け入れる事が出来なかった事柄を、ストレスにしない、人間性への変貌が求められている事を意味します。』

難しい事を書いていますが、決して難しい事ではありません。今までのように『好き嫌い』の激しかった部分に少し、学びの部分を積み上げるだけで良いのです。

私の云う事を実践して下さい、それは『良い事に遇った場合では”喜び過ぎないでいる事、厭な事に遭った場合では落ち込み過ぎないでいる事』たった是だけです。

今の貴方とパニック障害から抜け出した貴方の違いとは、感じた事柄に対して『向きになって感情に走ってしまっているのか?或いは感情的にならずに冷静でいられるのか?』たった是だけの違いで、パニックになるかならないのかに分かれているからです。

貴方が完全にパニック障害から抜け出した暁には、『湧き上る感情(雑念)に右往左往するのか?或いは”雑念は雑念”としてそのままにして置けるのか?』の違いをマスターしています。

パニック障害とは、『只の雑念に右往左往しているに過ぎないからです。』

パニックになるような事が起きたとしても『泰然自若』としていられる事を学ぶ場として貴方に『パニック障害』という学びの場が与えられています。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。成長できる場と思いがんばって生きていきます。
 

社会不安障害について意見を いただけませんか

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 2日(金)21時29分41秒
  社会不安障害について意見を
いただけませんか?

私は社会不安障害と診断され、
克服方法について調べたり、実践したりして、
試行錯誤してきました。

が、
悩めば悩むほど迷路に入り

込むような。。。

―――
しかし、ふと思ったのです。
克服方法って、すごく単純なことではないのかと。

「大抵のことは悩むだけ時間の無駄だから、
楽しいことを考えよう!」

と考える癖をつけることが
徐々に克服に繋がるのかなと。
(これが以外に難しい。。。)


どう思われますか?


>>>管理人


貴方の書いた線で良いと思います。不安障害は一口で言うなら『不安から逃げ出したいとか、不安にならないようにしている』という意味です。

従っていつも頭の中には『不安から逃げ出すためにはどうしたら良いのか』といつも考えている事を意味します。

言い方を替えるなら『いつも頭の中の興味は”不安”でいっぱいになっています。

もっと言うなら貴方の興味は『不安を思う事だけ』になっています。不安だけが貴方の意識に上がって来て、耐えず不安を考えています。

貴方が治った姿を書いて置きますので参考にして下さい。


不安であろうと安心であろうと、もうそんな事は如何だっても良くなっています。不安とか安心には興味が無くなっていて、毎日の生活とか、何気ない毎日が忙しくなってしまって、仕事とか遊びに夢中になっていて、くよくよ考えている暇が無くなっています。

仕事も任されて頑張っています、休日には遊びが忙しくなっています。とにかく不安とか安心とかに関わっている暇が無くなっています。そんな事は如何だっても良いという風に興味の対象が変わっています。

不安になったら悪いとか、安心した方が良いという事を考えたり口にしない生活になっています。

安心したいと思う貴方の態度とか、考え方とか、行動が貴方に不安をもたらしているだけです。そういう原理は誰でも同じです、不安にならないようにする時『不安は意識に上がって来て絶えず不安を意識するようになっています。』

他の言い方をするなら、安心したい心を捨てた時不安は無くなっています。或は不安になっても良いとか、もっと不安になってやろうと決心するなら貴方は極楽に居ます。

もう一度繰り返しますが貴方の安心したいという心が、不安を呼び寄せているだけです。
 

一休さんが再び現れました。

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 1月29日(月)05時51分1秒
  一休さんは斎藤の掲示板の名物男で、沢山の読者がいたと思う。彼が長いブランクを経て、
再び書き込みを開始したようです。
 

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