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森田療法で有名な鈴木知準先生の考え方を誰か知っている方がいれば、教えてください。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月19日(月)21時29分27秒
  森田療法で有名な鈴木知準先生の考え方を誰か知っている方がいれば、教えてください。


>>>管理人


2か月間だけですが、入院森田療法を学んだ事が在ります。26歳の頃だと記憶しています。毎日の作業は日記を書かせて読む事によって把握していたようです。

26歳と言っても、神経症になって12年後の事ですが、考え方がアマちゃんだったように思います。生き方の全てが甘いような感じだったと思っています。

ですので世間的な常識が良く理解出来ていない事が多かったように思っています。

作業と言っても、犬の散歩(ルイちゃん散歩)と呼んでいたもの、とか食事の後の茶碗洗いとか、庭の掃き掃除くらいだったと思います。

時々『講和』と呼ばれる時間がありました、折に触れ先生が参考になると思われる本を持って来て、読んで聞かせてくれるのですが、必ずいう事が在りました。『今は分からないだろうが、聞いて置くように、分る時が来たらピタリと分かるようになるから』というものです。

そうして、剣道の免許皆伝といった話とか、弓道の話で、弓は『自分が射るのではなくて、”それ”が射る。といったような話が多かったと思います。

そうして時々言っていた事が在ります、それは、『私の話は信用しなくとも良いですから、君達は、今までどのようにしても神経症が治らなかったものですので、試みに私の言うように動いて(作業をして)下さい。

もう一つは、ノイローゼは悟りを開かないと治らない。というものです。その当時は『ちんぷんかん』という感じでした、先生の話はほとんど理解出来ないでいましたが、先生の戸棚に『鈴木大拙博士の著作集』が沢山置かれていたのを目にしました。

退院してからは『鈴木大拙博士の本を買う様にして、時間がある限り読むように努めました。』そうしたらその6年後、自身の無意識の意識に出会うといった体験をいたしました。

私の症状は離人症でした、14歳から、死に対する恐怖症になってしまって、死刑囚の気持ちで過ごしていたものです。今になって思うなら、『自分が死刑囚になっている事自体を、受け容れられるはず等無い事』は明白だったと思います。

まるで夢でも見ているようでしたが、生きた心地などしなくなっていたものです。

自分の無意識の意識に出あった事によって、一瞬にして『ノイローゼが治った事を覚えています。』鈴木知準先生が言っていた事を体得した事を意味します。ノイローゼは知的理解では治らない、体得する以外は治らない。と言っていました。

死に対する恐怖症が治った経験をもう少し詳しく書くなら、自我意識は『死刑囚としてのわが身を認めたくない一心です。』言い替えるなら『永遠の命を希求しています。』こういった心の中の矛盾を『苦しみとか、生き難さとして、或は症状として』感じていたものですが、無意識の自分は『永遠の存在』だった事が出会いによってわかりました。

逆に言うなら『無意識の自分が、永遠の命を知らしめるために、或は希求させていた事に付いての、保証という型で、有限の自分を抱きしめようとしていた事に対して』その手を振り切ろうとしていた事が『自身の生き難さの正体』だった事を理解します。

自分が最も希求していた『永遠の命』を既に自分の中に持っていた事が理解出来ました。逆にそう言った救いの手を『自分で遮っていた事が。自分の苦しみだった事』が理解出来ます。

自分の肉体とか、お金とか、地位とか名誉とかには余り価値を感じなくなります。自分の命の価値とかには余り興味は無くなってしまいます。その代わり今まで余り価値として認めてこなかったものが、光り輝いています。

家内の笑顔とか、周りにいる人の笑顔とかに興味が移って来ます。

人生の目的が『余り自分だけの個人的な喜びだけではなくなってしまいます。』とは言ってもそれはそれで大事とは思いますが。

人間は死によっては滅ぶ事のない存在であって、実は『永遠からやって来て、肉体が滅んだとしても、魂はまた元の永遠に帰って行くだけ』という事が『身体で分かる体験』が、鈴木知準先生が言っていた『悟りを開かないとノイローゼは治らない』の裏に隠されていたと思います。

死によっても遮る事の出来ない、本当の安楽が、一切皆苦の後に控えていた事は、釈迦の教えとか禅の教えとか、或は究極の心の癒しの姿が宗教の中に存在している事を、鈴木知準先生の教えの中に存在していた事を貴方に報告して置きたいと思います。

今69歳になりました、32歳からだと神経症が治って既に37年が過ぎた事になります。毎日毎日有り難いと感謝しながら生きています。
 

精神病などについて解説しているサイトを読んで、

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月18日(日)19時58分48秒
  精神病などについて解説しているサイトを読んで、こんな病になっている人がいるんだ、と考えたりするのが好きです。未知の世界を知れるようで。

私おかしいですかね。。?ホントに精神病などにかかってしまって苦しんでいる人に失礼でしょうか。。


>>>管理人


精神疾患と言っても様々なものがあると思います。そうしてその原因は不安とか恐怖とかが大元になっていると思います。

そうして昔から医学などが発達をしていなかった時代では、人生そのものに恐れを抱いて人類は生きて来たものと思われます。

人間の最も不安の元になっているものは、”自身の死”だと思います。生まれた者には必ず『死』が訪れます。いわば生まれた時から死刑が確定している者が生きている者の宿命という事は意識している人はいないかも知れませんが、確実な真理だと思います。

当然人類はこの事に気が付いていて、最大の問題として解消する努力をして来たと思います、その結果が宗教文化の発展を後押しして来た実績だと思われます。

精神科医が処方する薬の効用は『不安とか恐怖の解消或はその軽減』がその薬効だと思います。処が、人間の心が何故苦しくなるのかといった原因は究明されていないように見受けられます。

精神科医達でさえも、人間の苦しみの根源とか、心を病むといった原因というか、いわゆる精神病の本体を把握出来ていない事は、精神医学の恥辱である、とまで言っていたヨーロッパの医師が存在していた程です。

時代が変わって、21世紀になった今でもその状況は変わっていないようです。ところが今はインターネットの時代になりまして、学ぶ志があるなら大抵の事は学べるようになっていると思います。

今の精神医学が如何に、正当な事が出来ていないかも知れないといった根拠を少しだけ挙げて、『究極の心の癒し』といったものがどういった構造をしているのかを述べてみたいと思います。

今の精神医学が如何に、正当な事が出来ていないかも知れないといった根拠とは、『患者(他人)の心を癒す役目をする精神科医が、人間の心が苦しくなる、或は人間の心に湧き上がる不安とか恐怖とかが、どういった経緯(原因)で湧き上がっていて、どうやったら治まるといった、心の癒しといった原理とか原則を学ぶ事が無い現実が存在しているのではないのだろうかと危惧をしています。』

その理由は、ある統計が基になっています。ある精神医学の講習会での精神科医の言葉です。医師の自殺率で一番低い職種は産婦人科です。一番自殺率が高いのが精神科医です、と吐露していた事です。

他人の心を癒す専門家の医師が自身の心の苦しさでさえも対処出来ていない現実があるようです。

この話は此処までとして置きます。

仏教で悟りを開くといった言葉を使って、その後で、限り無く心が静寂に満ち足りて騒がしくなくなった様を『涅槃寂静』と形容しているようです。

また禅宗などでの仏典を読む時、悟りの事を『見性成仏』と表現して、仏道の修業の目的が終了したとか、”生死の問題が解決をした”とかの記述が在ります。

この意味は仏教の目的が『一切快苦』に始まって『生死の問題が解決する』といった結びになっています。

この意味は『究極の心の癒しの学びが終了した』といった意味が在ります。


涅槃寂静といった趣の言葉で本人が表現している動画が在ります。とりあえず見て下さい、その後にまた説明したいと思います。


https://www.youtube.com/watch?v=AZZ1vXerxYQ


もしも動画が出ないようでしたら、ジル.ボルト.テイラーのパワフルな洞察の発作と入れて頂くと出ると思います。


この動画を説明すると、悟りを開くといった説明が大変にし易くなります。

その理由は、人間の脳内には、誰であっても意識が二つ存在している事が分かるからです。

二つの意識の内、顕在意識という意識は左脳の意識と言っています。この意識は『我思う故にに我在り』という言い方をする”我”です。

処が理解し難いですが、人間にはもう一つ意識が在ります。

科学的なデータを載せて置きます。ウイキぺデアからです。もうかなり前の研究成果です。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』


右脳に存在する意識は人間には意識出来ない意識ですが、不安になり易い人とか神経質な人はその存在に気付いていると思われます。

その理由は、二つの意識は交代制で成り立っています、又もう一つの意識は『自意識』という心に、絶えず五感から入ってくる情報(生きて行くために必要な情報)を左脳に存在する自我意識に脳梁を介して送っています。

この情報は『言葉に依らない形の情報です。』何故なら右脳には言葉が無いからです。

従ってこの情報を如何いう風に解釈して受け取るのかが『大変重要なカギを握って来ると思います。』この解釈の仕方と、右脳の意識との関係性についてが精神疾患の元を作っていると思われます。

右脳の意識に付いてもう少しの説明が必要と思いますので、説明します。右脳の意識は機能から言うと『生命の維持機能が全てだと思います。』

この意味は生物学的に見たとしても、人間としての魂といった精神性に於いてもです。

大変説明が、し難いのですが、人間の心の背後にいて人間を誘導しているというか?或は人間の背中を押しているというか、或は影響力が強い存在という言い方が合っているように思います。

動画にあるように潜在意識と無意識の世界を支配している存在という言い方が合っていると思います。

またもう一つの面を持っています、それは人間に感情を湧き上がらせる情報を送る機能です。生きて行くために必要な情報を送る者としての機能です。

例を挙げるなら『高いところ、低いところ、人に会った印象、狭いところ、広いところ、納期が迫ったとか、迫っていないとか』数え挙げるならまだ切際限なく存在していると思います。

人間の心に感情が沸き上がる為に必要な情報を提供しているといった意味になります。

言い方を替えるなら『右脳からもらった情報によって、感情が沸き上がって行動が始まったり決まったりする。』という意味もあります。

右脳の意識を聖書では、神と呼んでいるようです、その理由は『失楽園』の意味に込められています。

人間の脳の機能分化が完成に近づく、思春期頃、脳内の意識は二つに分かれて、今までは気にならなかった事が気になるようになります。見ている自分と見られている自分という風に心が分かれたために『恥ずかしいといった感情が生まれるからです。』

この意味は、子供時代では『感情を湧き上がらせている者とその感情を感じている者が一つの者として違和感を抱く事が無かったのですが、二つに心が分かれたために『不安になり易い人や神経質な人は』こういった少しの違いに気が付いて、それを違和感として感じたり、受け容れたくないとして感じてしまう場合があります。

その最大のものが、分裂病と言われていたものだと思います。今は呼び方が変わって、(二つの意識を)統合出来なくなったという意味から、統合失調症と呼んでいます。

他には、自身の気分の浮き沈みを、受け容れる事が出来ない場合では、躁の気分の場合では、躁病。鬱々とした気分の場合では鬱病という具合です。交互に出た場合では、昔は躁鬱病、今は双極障害という具合です。

他に神経症というものもありますが、これなどは医学的に脳も身体も検査をしても何処にも異常が見付けられない場合を指しています。ですが本人が執拗な訴えをしています。こういった訴えが症状という事になります。

神経症の症状は、どの症状を取っても『誰にでもある事柄』ですが、本人が受け容れられない事として、意識上に上げて問題にしている事から、常に意識に上がって『意識地獄』の様相を呈しています。

つまり神経症の場合でも本人が受け容れられないとした事が『症状に当たります。』

又、身体に関する違和感もありますが、是も同じ原因から発症しています。是も検査をした場合ではどこも異常が見付ける事が出来ない場合です。

身体を通じての生命維持機能を疑う場合では、意識したところを異常に感じています。腸に異常を感じて執拗に訴えをする場合では、腸そのものに異常が生じています。これなども意識を腸に向け過ぎている事が原因です。

命の維持機能を持つ者が右脳の人格ですが、神に背くとか、神を疑うという意味は『右脳の機能を疑って、左脳の自意識がその役目(機能)をしようとしている事に当たります。

ですが如何に頑張っても出来ません、何故なら自意識はその機能を持っていないからです。

右脳の機能と、左脳の機能の違いを書いてみます。

左脳の機能は『眠る事一つ出来ません』字を書く事も出来ません、言葉を話す事さえも出来ません。

不眠症の意味を書いて、終わりにします、眠るのは自意識ではありません。眠る時は『自意識は無くなっています。』この意味は無意識の自分と切り替わっています。無意識の自分が身体と心の主導権を譲り受けて、しっかりと無意識が管理しています。

朝が来た時に交代して、自意識が身体と心の支配権を返してもらっています。意識が無くなっていた時は、自意識は休んでいたために朝の目覚めの時に、疲れが取れています。ぐっすり眠ったという感覚は、最な事です。
 

(無題)

 投稿者:マメページ  投稿日:2018年 2月16日(金)21時33分54秒
  管理人様、対処の仕方のお返事ありがとうございます

妄想を相手にせず生活していこうと思います。
 

マメページ 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月16日(金)21時09分43秒
  検査はやって貰いましたが、異常なしという事のようですので一言書いてみたいと思います。

神経症の症状に『桶を被ったような症状』が存在しています、又『頭重は頭痛の一種』も症状としては存在しているようです。

神経症(ノイローゼ)の症状であるなら、一切無視をした生活が効果があると思います。症状を不問にする事で、症状が在っても無くとも動じないといった生活態度の醸成といった試みの事です。

何時しか、症状が出るとか、症状が出なくなるといった事でさえも、問題にすることが無くなる生活を、貴方が送る事が出来た時点で、そう言った事は貴方が頭の中に作り出した症状(妄想)であった事が分かると思います。

ノイローゼの場合では、検査では異常がない事が証明されていますので、貴方の訴えのみが症状として生きています。処がノイローゼでの症状とは、本人の『頭の中で作られた妄想』が原点となっていますので、そう言った症状を相手にしない人間性が出来上がるまで、治癒という事はないと思います。

繰り返しになりますが、ノイローゼの場合での症状は『妄想の一種』ですので相手にするだけ無駄になります。貴方が相手をしなくなった時点が治った時です。


貴方が『症状として治さなくては、或は消滅を図っている内は』妄想を相手に相撲を取っている事を意味しますので、貴方の治癒はないと思います。

貴方が、治るのを諦めて『症状を受け容れた時』始めて貴方の症状は消滅します。その時とは『治る必要さえない』と心から思える時の事です。

 

管理人様へ

 投稿者:マメページ  投稿日:2018年 2月16日(金)11時15分51秒
  管理人様こんにちは、最初は内科病院へ行き体と脳検査をしてもらいましたが、MRI検査や医者の前での歩行チェックで異常なしとのことで、頭重は頭痛の一種だからと鎮痛剤を処方されましたが全然効きませんでした。精神科で抗不安薬を処方してもらい服用すると頭重の辛さは抑えられますが、ふらつきには効きませんでした。  

マメページ 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月16日(金)08時21分38秒
  医者の所に行ったのでしょうか?身体とか脳の検査はやって貰いましたか?検査で異常がない時にはもう一度投稿してください。  

頭部の辛さ

 投稿者:マメページ  投稿日:2018年 2月15日(木)20時24分39秒
  管理人様こんばんは

常に頭のふらつき、重み、つっぱる感じが常にありますが
長距離歩行、夜道の歩行などすると上記の症状が増します

管理人様の「パニックになりそうな時に『もっとパニクっテやろう』と望む事です。只それだけで解消します。」
のパニック障害のアドバイスを応用して
夜道(用事があって)を(もっとふらつけ、と思い)歩きましたが、帰途すると、ふらつき、重みが増して、翌日には椅子に座るのも辛いほどで、丸一日体を横にして休めて
さらに翌日、やっと歩けるくらいに回復します。

上記の症状の治し方というより、対処の仕方を教えていただければと思い、投稿させていただきました。
お時間がありましたら、よろしくお願いいたします。
 

再掲―離人症

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月15日(木)19時24分26秒
  質問日時:2012/07/25 00:05


離人症を克服したという方いらっしゃればどのように克服したのか教えていただきたいです。
(自律訓練法が役立つ・・・etc)


あとやはり自分は離人症だから…と考えたり、離人症のことを思い出すということはよくないことなんでしょうか?
こういうことをとらわれているというのでしょうか?



回答よろしくお願いします。


>>>管理人


具体的な質問を頂きましたので、具体的にお答えしたいと思います。

『私は離人症になってからいつも離人症のことが気になってしまい、最近は「時間とは何でできている?」とか「自分という存在(魂)とは何でできている?」とか哲学的なことを考えてしまいます。
このこともやはり離人症によるものなのでしょうか。』

と言う質問の答えは、貴方の性格によっていると思います。そもそもそういう性格の中に『離人症』と言うものが育っています。貴方の性格は『自分自身に敏感』と言う特徴があります、ことばを替えて言うなら『疑問を抱きやすい、或は不安を抱きやすい性格です。』

こういう不安になり易い性格が、離人症に変化しています。それは『心の奥底での、自己防衛機制』が働くと言う意味です。受容れたく無いものを、『心から追い出そうと言う機制です。』

もう一つの質問です『また離人症、神経質体質な人は日常生活をどのような心構えで送っていけばいいのでしょうか。』と言う質問の答えが、神経症を解決する答えになりますが、今の貴方には信じがたい事と思いますが、よく読んで置いて下さい。

その解決する道筋は、決して難しい事では在りません、只私の言葉を信じられるのか或は、貴方が自分自身の考え方を信じられるのかの違いです。

神経症の症状は、離人症の他にも沢山存在しますが、その症状は『意識した事柄全てが、症状になるる可能性を秘めています。何故なら意識した内容を嫌っているだけだからです、

嫌っている感情の『虜にならないように、意識してその意識している感情を追い出そうと規制を掛けている事が、症状の発生となって、更なる厳しい規制の掛け方が、しっかりとその感情を固定させています。

その機制の対象が貴方の場合では『離人感』と云う事です。

その症状が、離人症であっても、対人恐怖症であっても、強迫行為であっても『湧き上がる自身の感情を意識した内容として嫌っている事』は神経症では共通項となっています。

と言う事で、神経症の治し方を書いてみます。是は飽く迄も神経症の治し方を書いていますので、『貴方が願う、離人感の治し方とは、全く別です。』

離人症は治そうとすればするほど、離人感が強くなってゆきます。離人症は治そうとしなければ治っています。離人感を無くそうとする事が『反って、離人感を生じさせて、その感情を打ち消そうと言う心の働きが、固定させています。』

神経症の正しい治し方は存在していますので、この事をもう少し詳しく書いてみます。

神経症とは『湧き上がる自分の感情を、打ち消したくなってしまう現象です。』神経症が一生治らないでしまう場合では、一生湧き上がる自分の感情を打ち消そうとし続ける場合です。

神経症が治る場合では『湧き上がる自分の感情に、優劣や、良し悪しを付けなくなる場合です。』

離人感に襲われた時でも、良いとか悪いとかを言う必要がなくなった場合には『離人感』は消滅しています。此処まで来た時に完治したといいます。

離人感など、有っても無くとも良いや、と言う態度です。それは『離人感』を受け入れる事が出来た時です。

今の貴方は『湧き上がる自分の感情の中で、離人感のみを嫌っているだけだからです。』湧き上がる自分の感情には逆らう事など出来ない、と言う諦めが必要です。

神経症の完治を望むなら、『症状などの相手をしない人間性を確保する事が有効です。』

今の精神医学の方向性は間違っています。症状の改善を望まなくなるという人間性が確保出来た時点で『症状が消滅する事=完治する事』を知らないで、闇雲に『症状の改善のみが図られています。』

是では治らないように、治らないようにしている事を意味するからです。

『また離人症、神経質体質な人は日常生活をどのような心構えで送っていけばいいのでしょうか。?』

と云う事をもっと具体的に書いてみます。

『心の使い方を学ぶ事です。』

何も考えずに生きる事をやめて、『丁度のところを学ぶ事が有効です。』この意味は、例えば挨拶一つでも、『心を砕いて使う事です。』挨拶する相手の距離をどのくらいが丁度良いのかや、声の大きさはどのくらいが丁度良いのかと言う風にして、全身全霊で『丁度のところを探る事です。』

意識を集中させる事の意味は『意識を分散させていながらなおかつ、目の前に意識を集中させる事です。』

歩く場合では『靴の底の減り方を、気にしながら歩く事です。』この意味は、靴の底が平らに減る様な工夫をしながら歩く事を意味します。

自分の一挙手一投足に付いても『全身全霊で対処する事』を学ぶ事です。

又今度にします、聞きたい事には答えたいと思います。


good
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この回答へのお礼

素晴らしい回答ありがとうございます!


確かに私は昔から何かと理由を見つけたがったり、自分を守りたいという意識の強い子供でした…


まだ回答者さんの教えてくださったことがよく理解できてはいませんが、これから何度も読み直し、理解していこうと思います!

 

再掲―醜形恐怖症の治療 克服法をお しえてください。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月14日(水)20時02分0秒
  再掲です


質問日時:2013/10/24 14:23


醜形恐怖症の治療 克服法をお しえてください。

26歳女性です。 精神科には通っていませんが、恐らく醜形恐怖だろう と最近になって、 気づきました。

とにかく顔が気になります。 23歳頃から歳を、とることがすごく怖くなり、若さを 失ったら どうなるんだろうと不安になるようになりました。 けけど、よくよく思い返してみればもっと昔からコン プレックスが強かったように思います。

小学生のころはブスでした。 男の子からブスとか言われていたし、自分はどうやら 可愛くないんだなぁ とはわかっていたように思います。

中学2年に、なってアイプチに出会います。 アイプチをするようになってから、少し自信がもてる ようになりました。 アイプチは絶対手放せないアイテムになっていきまし た。

高1になり、少しお化粧するようになりました。少し やせたのもあったのか、 今までもてなかったのが急に異性からもてるようにな りました。 けど、アイプチをとったらほんとに一重ですっぴんが ブスすぎて、 許せなくて、アイプチの話題も怖かったし、アイプ チってばれる のも、イヤで、周りの二重の子が羨ましかったし、ア イプチと化粧で可愛くなれたものの 素顔の自分へのコンプレックスが激しい日々を送って ました。

高2で埋没の二重手術こっそりしましたが、すぐもと に戻っちゃいました。

大学に入ってもっと異性からもてるようになりまし た。自分の化粧した顔は めっちゃ、可愛いんだ!って思いこんで外にいくとき は自信あったと思います。

アルバイトで少しキャバ嬢をしました。 すぐ、No.2までいって、余計自信を持つようになりま した。 この間もすっぴんのときのコンプレックスはひどかっ たですが。。

彼氏の前では化粧は落としたことはなかったです。お 風呂からあがった あとも、アイプチだけは必ずしてました。彼氏はなに も思ってなかったように思います。

大学卒業後、就職先で夜勤もあるし、アイプチばかり 気にしてられない とおもい、2回目の埋没の手術を受けました。

うまく理想の二重になり、それと同時に一重の、コン プレックス、アイプチが、とれたら とかすっぴんになることへの恐怖はとたんに消えまし た。

それから3年ほど、社会人をして、彼氏も普通にいま したし、 一重以外のコンプレックスも(もともとあった)あり ますが、いろいろ 楽しんで生活できていたように思います。

けど、23、24歳と歳を重ねたときに20代後半になっ たら どうなるんだろうと焦るようになりました。 自分の中でも25歳までは若さを堪能しようと思ってい ましたが、 実際25歳越えてから急に劣化が始まり、何をしてもど んなに着飾っても、 今までみたいに納得がいかなくなって、気持ちが塞ぐ ことが増え始めました。

そのときの彼氏にも正直に不安を相談してましたが、 大丈夫だよ、歳はとるけども○○(私)何歳になって もみんなから愛される 人で、いられると思うよ。 といってくれていました。

実際、幸せなことに、他人から可愛がってもらえるこ とが多く、 けど、自分の、中では、若さと外見から私はよくして もらえてると認識 していたんだと、思います。

けど、若いといいきれない歳になって、劣化が始まっ て、 耐えられない欝で、一日鏡をいろんな方向からみて確 認してで一日が 終わって、しまうこともよくあり、顔が決まらなかっ たら 外出ドタキャンしたり、仕事も休むときもあります。

この一年整形をずっと繰り返しています。 借金100万くらいです。 整形して少し気になってたところがマシになると気持 ちも 落ちついて見た目の若さが手にはいると元気になりま す。

初めて会う人には年齢は嘘つきます。

26歳っていったら可愛がってもらえないって思うし怖 いし、 見た目が若くても実際年とってると意味がないという か。。。

これはあくまで私だけの偏った考え方というのは理解 してます。

年を、重ねても魅力的な女性はたくさんいることもわ かってます。

自分も、考え方をシフトチェンジしていかないとほん とに人として 空っぽでしかないこともわかってます。

けど、見た目と年齢に異常に左右されている現状で す。

今の彼氏は整形のことは知っています。 する必要ないと言ってくれますが、そうすることで元 気に なれるなら。。とあきらめているというような感じだ と思います。

借金も、後に自分が返していけるくらいの額なら。。 という 考えだと思います。

すみません、なるべく自分の情報を伝えた上でのほう が、回答をくださる方もより 具体的に回答いただけるのではないかと思ってつらつ ら長文、乱文、してしまいました。

申し訳ありません。

症状としては、

家にいるときは鏡でいろんな方向から時間が許す限り 確認。

人と会ったあと、あう前は必ず顔を鏡で確認。

ありとあらゆる写るもので自分をチェック。

チェックできないと不安。

鏡が出せないときは、ご飯どきなら、スプーンとか 用を、足すわけではないけどトイレにいったり

人から容姿を、ほめられて自分も、そう思えたときは 躁状態で、自信が、わく。

逆の時は、整形の、ことばかり調べたり、死ぬことば かり考える 価値を見いだせない。

対面で人と、話すのが苦手。 表情が強ばる。 昔は手で顔を、かくしていた。 今はなるべく対面ではなく隣に座るようにしてます。

最近では、今まで楽しかったことが楽しめない。 けどそれも、自分外見が理想通りのときは楽しめた り、 元気。

精神保険福祉士の勉強を大学でしていたので、 自分は軽い欝状態だなぁと思っていたのですが、 最近になって醜形恐怖症というものを知りあまりに時 分にあてはまった ので、この、病気さえ直せば整形しなくてももった人 生を楽しむことが できるのではとおもい、質問に至りました。

自分でも本を買ったり、病院で相談も考えましたが、 以前に似たような相談を精神科でしましたが、その、 ドクターは あまり見てもらった意味がなく精神科を標榜していて も 向き不向きとかがあるのかと、おもい、

病院であれば、どこの、病院のなんというドクターが お勧めかなど教えてほしい です。

ネットででてくるものは少しずつめを通すようにして います。

身勝手に文章をかき、本当にすみません。

アドバイスをいただけないでしょうか。

ちなみに東京にすんでいます。

どうぞ宜しくお願い致します。


>>>管理人

醜形恐怖症は神経症に分類されるものですので、神経症そのものを学ぶ中に、解決方法があると思えます。

神経症には様様な症状の訴えが在りますが、原因は一つだけですので、その原因を書いて置きますので、ご自分で学んで克服をして下さい。

又神経症の場合では『医師の元に行って、薬の治療に頼ったとしても改善されない場合が殆どですので、その理由を先に書いてみます。』

神経症の原因は、自分の心が『現実を認めたくない』と作用しています。『今の自分自身』を受入れられない事が原因です。その受入れられない事が『意識に上がってしまう症状』と言う事になります。

『永遠に美しくありたい』と言う貴方の願いが、叶わない事が貴方の悩みと思います。つまり『老いさらばえてゆく事』を受入れられない事が貴方の本当の悩みとなっています。

改善の方法は『症状の改善の中には存在していません。』神経症の治りとは『症状を受入れる事』が全てだからです。従って『症状の改善』から神経症の改善を図る事は、返って症状を重くしてしまいます。

神経症とは『症状の改善や症状の除去』を願う心が『その症状の起きる原因となっています。』そうして発症した症状を治そうと『努力する事自体』で、硬く心に固着されます。

従って症状の改善からの改善方法は、返って症状に苦しむ原因を作る事になります。

神経症そのものを学ぶ事、或いは人間の苦しむ原因を学ぶ事が、神経症の本当の意味での改善に繋がります。

簡単に言うなら『神経症の症状』は誰の心の中にでもある『只の嫌な感じ』でしかありません、その嫌な感じを嫌ってしまって、心から追い出そうとする事から『症状として作用し始めています。』

一端症状として、自分の心が認識をしてしまう事から、こう言った嫌な感じにならないように力を尽くすようになります、この力の入り方が『症状の発症する原因と、固定する原因』になっています。

神経症の治りを説明して、そういう風になるための努力をする方向性を示して置きますので、参考にして下さい。

神経症の治りとは『症状が在っても気にならなくなる事』です。その症状に『意識が向かなくなる事』です。意識が向かなくなった時点で、その症状らしきものが『自分で作り出した幻』であった事に気が付く場合です。

神経症が治った場合でも、依然として症状は、心の中を探すなら存在しています、ですがその症状を『相手にしない人間性が培われていますので、問題にしなくなっています。』

症状らしきものは『誰にでもある事』を了解した時が、症状が在りながら症状ではないものに変化しています。是が神経症の治りです。

神経症が治る背景を書いてみます。神経症が治る事は『症状などを構っていられなくなる場合です。』つまり『自分が症状の相手をしなくなる場合です。』価値観の変化や世の中の認識の変化です。

他の症状で説明します、例えば上がり症で説明するなら、人前で上がる事によって『上がる自分が意識に上がって困る症状』になっています。

頭の中が『上がらないように工夫する事でいっぱいになっています。』何をするにしても行動する内容や話をする内容や、話をする態度等『全てそっちのけにして』上がらない工夫だけをする様になっています。

自分の心の使い方が『上がらない工夫をする事が全て』になっていますので頭の中は真っ白になっていますので、歩く事も話す事も話す態度も全てちぐはぐになっています。こう言ったちぐはぐな自分を『自分が見て』尚更頭の中は『上がらない様に工夫をしています。』

こう言った上がらない工夫一辺倒になる事を『上がり症』の症状と言います。

上がり症が治った場合では、話をする内容や歩く事や話をする自分の態度に『自分の心』を使う事が出来ています。気の使い方や心の使い方に変化が生じています、つまり『上がる事さえ忘れている』と言う意味になります。

早い話が、上がる事を受入れたために、上がっても上がらなくても『上がる事には関心がなくなっていて』話の内容や歩く自分の姿や話をする自分の態度に『自分の心の重心が移った事を意味します。』

貴方の場合なら『年齢を重ねて肌も記憶も』年々衰えてゆく事を受入れてしまって、その年齢の能力に応じた最善の努力を惜しまなくなる事を意味します。

神経症の場合では『意識に上がった事』を気にする余り、今現在の自分のやるべき事をないがしろにするため、意識に上がった事=『頭の中の世界』だけを相手にするようになる事を意味します。

改善方法は『意識に挙がった事』=『雑念』の処理の仕方を学ぶ事が大事です。

沸き上がる雑念は、一過性の性質があります。その一過性の雑念を大事にして『雑念の相手になって、一生懸命その雑念を構っている事』を意味します。

神経症の改善は『雑念』の処理の仕方を学ぶ中にあります。今の貴方は沸き上がる只の『雑念』に右往左往していると言う意味になるからです。

いかなる困難に出会ったとしても、その時々に応じた最善の方法に思いが行き渡るようになる事が『今の貴方の課題です。』

その時々に応じて『何が大事なのか?』は変化しています。今の貴方はその時々に変化する大事なものを見落として、頭に沸き上がる雑念の相手をしている事を意味します。

日々の努力をする方向性を示して置きますので参考にして下さい。

沸き上がる心地よい感情や考えを喜び過ぎないようにして、沸き上がる嫌な感情や考えに落込み過ぎないようにする事が大事です。

嫌な事を嫌って過剰を反応する貴方の心と、良い事を望んで良い事に過剰反応する貴方の考え方や感じ方が、貴方の症状の原因を作っています。良い事も悪い事も全て貴方の人生そのものと『達観出来た時』貴方は神経症から遠ざかっています。



good
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この回答へのお礼


ご丁寧なご回答ありがとうございます。


今の自分の状態や今後のあり方が具体的に書いてあり

大変わかりやすかったです。

まず、受け入れることなんですね。

なぜ、自分だけは。。と老いていくことをこんなに認めたくないのでしょ

う。例外なくみんな平等なのに。

老化することを認めていない自分を心のどこかで認めていなかったんだろうなぁと思いました。

そのあともわかりやすかったです。

私は、構い過ぎてしまってるんですね。

本当にその通りです。そのときにしなければならないことをほったらかし、雑念と2人きりで、戯れていました笑

大事なことはたくさん落としてしまったと思います。


私は病院には行きません。

たぶん、おっしゃられるように意識の問題?だと納得したからです。

エステとか美容はこれこらも多分、続けると思いますが、

たぶん少しずつ今よりは幸せになれるような気がしてきました。

雑念にこだわりすぎて、大切なものをたくさん、落としすぎて後悔

したくないです。

年齢詐称もいきなりは本当の歳いいたくないですが、



前みたいに絶対バレちゃいけない、20歳、20歳(無理ありすぎた)と必死になることは少しなくなるんじゃないかなぁと思います。

目をいつでもキラキラさせていたいと思っていましたが、こんな病んでたら到底無理でした。

この自分のつらさの構造が、わかっただけでだいぶ心が楽になりました。


お医者さんですか???


本当にありがとうございました。
 

高校生です。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月11日(日)12時42分9秒
  高校生です。
パニック障害って、治す方法ありますか?
放っておくと治りますか?
病院には行けないです。


>>>管理人


パニック障害は昔の分類では神経症として扱われていたものです、この神経症という分類は今でも全く正解と感じている者です。その理由は如何なる精密な検査をしても異常が見つけられないものが『神経症に分類されていたからです。』

パニック障害に似た症状が昔ありましたが、そう言った症状が全て胡散霧消して、消えて無くなった経験がありますので、経験済みの症状として、或はパニック障害が治った先輩として書いています。

パニック障害を症状とする神経症全般に付いて説明します。神経症はノイローゼと言っても良いです、その理由は、感じている症状は『実際には存在していない症状』と言っても良いものだからです。頭の中に自身が受け取りたくないものとして想像を働かせることによって『逆に頭の中に自分で作り出している事柄だからです。』

とは言っても今の貴方には分からないと思いますが、私の書いたものを読んで置いて下さい、又私の言う事は信じなくとも良いですから、出来る事が在ったら実行して下さい、信じていなくとも実行しているだけでノイローゼから、距離を置く事が出来ると思います。又私の言う事が、腑に落ちる事が多くなって来たら、もう少しで治る時期に来ていると考えて貰っても良いと思います。

貴方が人間通とか人生に対して造詣が深くなるなら神経症は自然に治るようになると思います。神経症とは『自分自身に敏感な人や、不安になり易い人が』陥りやすい一つの形だからです。

『自分自身に敏感な人や、不安になり易い人が』という意味を始めに説明して置きますが、こういった事を教えてくれるところは余りないように見受けられます。こう言った神経症の症状を感じる人は、自分自身を細やかに或は敏感に観察している人の事です。

もう一つの見方として『心が健康な人』とは、自分自身の心の動きが余りにも順調に行っている事から、自分自身の『心の動きに異常が見付けられない人達』と言っても良いと思います。

では、こう言った神経症の症状を感じる人は、自分自身を細やかに或は敏感に観察している人の事です。という意味は自身の心の成り立ちに敏感という意味です。この説明をする場合では人間の脳の機能の説明が必要と思いますので一応説明したいと思います。

人間の心は脳の活動の一環だと思います。処で人間の脳内には『二つの人格』が存在しています。この人格が子供時代では一つの者として機能していましたが、思春期頃(中学生頃)に脳の機能分化が完成するようです。この場合でのキーワードは、二つあります。一つは脳の機能です、もう一つは各々の脳の機能にはその機能を統括する人格が備わっている事です。言い替えるなら機能が違う二つの人格が脳内に共存しているという意味です。

その証拠です、ウイキぺデアからのコピーです。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』

この左右の脳の機能の違いは大変重要な意味を持っています。又人類史とか宗教史にとっても重要な意味を持っています。その理由は世界中の宗教を一つにまとめてしまうほどの説得力を孕んでいるからです。

人間の心が大変な事になるきっかけを聖書では『失楽園』と書いていますが、脳の機能分化と一致しています。左脳の人格は『我思う故に我在り』という”我”ですが、顕在意識とも言っていると思います。ところがこの顕在意識に常に同居とか共存していながらも、絶えず見守りながら、情報を提供している者が在ります。その情報とは『言葉に依らない情報です。』

この情報を提供している者が『もう一人の自分』です。このもう一人の自分との出会いを釈迦は『悟りを開く』と表現していますが禅宗では『見性成仏』と表現しています。つまり『自性を徹見する。』という意味です。

キリスト教では神と(会って)和解するといった意味です。


聖書での『知恵が付いて神に隠し事をする(疑う)』という意味は、脳梁での情報交換を疑うという意味です。この意味を具体的に上げるなら、知恵が付いた為にイチジクの葉で身体を隠す事を意味します。この意味は『心が二つの人格に分かれたために、見ている自分と見られている自分』という風になってしまうので「恥ずかしい』という感情が生まれた事を意味します。

思春期頃から悩みや、苦しみが始まって、精神疾患が増えてくるといった背景が聖書に書いてあるように脳の機能分化が原点になっています。

右脳の人格は『生命発生装置兼生命維持装置』がその機能です。言葉を持っていない事が特徴です。常に危険を察知して、脳梁を介して顕在意識である自意識という心に伝えています。

つまり右脳の人格は『感情発生装置』という機能を持っています。この情報との付き合い方が様々な精神疾患を形作っていると考えられます。

高いところの情報とか、狭いところの情報とか、人間に在った時の印象とか、異性の印象とか、広いところの情報とかあらゆる場面での情報が在りますが、そう言った情報とその情報を送る者を嫌ってしまう事が『神経症が発症する原因を作っています、』

如何なる精密検査を行っても異常が見付けられないという意味は、その原因が脳内の『疑い』(神を疑う=失楽園)にある事を意味します。

現実に貴方のパニック障害が治る為に必要な事を書いてみたいと思います。

パニック障害の原因は貴方の脳内で感情が沸き上がる瞬間に発生しています。ですが健常者にも発生していますが、貴方の場合では嫌っている事、受け取りを拒否しようとしている事が原因で幾度となく再送されて来ています。

パニック障害でも、、、、恐怖症でも心に送られてくる情報を着信拒否をする事が原因で再送されてきている事を意味します。現実的な貴方のパニック障害を乗り越える方策は他の神経症の対処方法とも重なりますが、『逆説志向』というものです。

パニックの症状が出そうになった時、薬には頼らないで、”もっと強く症状よ出よ!”と望む事が有効です。人間の心は天邪鬼に出来ていますので、望む事が反対に出てくる性質があるからです。

神経症程望む事が逆に作用するものは無いのかも知れません。

神経症が治った姿を書いて貴方の助けになる事を望んで終わりにします。

神経症は様々な症状が在ります、その症状は全く違う様に見えていますが、発症するメカニズムは一つだけです。症状は『意識する中』に発症しています。そうしてその症状が意識した結果の産物です。その原因は『忌み嫌う事=受け取りを拒否している事』です。

従って神経症が治った姿は『症状が在っても無くとも、どっちだっても構わない』となった時です、言い方を替えるなら『症状を受け容れる時』です。他の言い方をするなら『症状を治そうとしなくなった時』です。

貴方の場合で表現するなら『パニックの症状が出ようとしたとしても、出ても良し出なくとも良し』となった時です。出ると困るから出ないように工夫する時だけ出ているだけだとしっかりと理解出来た時に治っています。

ですので、神経症の性質を逆に利用した『逆説志向』を徹底する時、症状を受け容れる事を意味しますので、確実に治る事が出来ます。


最後にもう一つ付け加えて置く事が在ります、それは思春期頃に二つになったもう一つの人格の説明です。もう一つの意識である『命を働かせている人格』は、機能分化が完成する頃に『無意識の底深く潜っています。』この意識と自意識との関係性を『禅』では『没交渉』と表現していますが、見性した体験からは『今更お前は誰だか?』と聞く必要などなかったとも表現しています。

遠い他国で妻(父親)に出会ったようだ、或は暗闇で妻(父親)に出会ったようだ、今更お前は誰かと聞く必要など無かったと、ものの本に書いてあります。

それと見性すると、究極の癒しが完成すると言われている内容は、不安とか恐怖の最大のものが『死の恐怖』と思われますが、全ての精神疾患の元凶に存在ものは多かれ少なかれそう言った死に対する恐怖が存在しているものと推察出来ます。

自意識の機能は計算する機能から成り立っています、その機能が発達する事で言葉が発達したと思われますが、計算する機能とは、言葉を替えて表現するなら『有限の世界』をしっかり把握するといったものになると思います。他の言い方をするなら『有限の世界から出られないもどかしさ』も同時に感じている事が人間の苦しみにつながっています。或は永遠の世界を希求する事にもつながっていると思います。

無意識の底深く潜りこんだ人格は、元を辿るなら、生まれたものでも無く、無くなるものでもなくて、永遠からやって来て、又永遠に戻ってゆくといったものです。つまりしっかりと永遠を把握していて、自意識に永遠を希求させている者と言った位置関係です。

従って二つの意識の出会いによって、自意識は死の恐怖から解放されて、元々自分自身が永遠の存在であったことに気が付きます。そうして人間の苦しみの元凶は『神を疑う事=機能的に出来ない事までも自分が出しゃばろうとしている事。』に気が付くといった意味が在ります。

神経症は、自意識が持っていない機能を持っているものと勘違いをして、無意識の出番を封印している事に相当します。『見性=出会う事』によって、お互いの機能によって出番がある事を確認出来たために、もう二度と出番争いをしなくとも良くなる事を意味します。『神に会って和解する事』を意味しますので『心の中は何時も静まり返っています。』この境涯が、涅槃寂静です。

脳卒中の為に九死に一生を得た脳科学者の動画が在りますので乗せて置きます。この中での注目点は『全てを諦めた事によって、右脳の人格=神=無意識の自分の意識』が自意識の前に表れた事だと思います。釈迦と同じように『涅槃』を言っています。



URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM










 

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