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何の病気、完治はするんでしょうか

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 4日(木)19時52分22秒
  何の病気、完治はするんでしょうか


幼少期から、
修学旅行、遠足、外食、長期休み明けの給食などが苦手でした。

症状は"吐き気、えずき、バクバクする感じ、とにかくどうしようどうしようと焦る"です。過呼吸などは起きていないです。

社会人になった今も治らず、緊張する場面や外食、遠出、食後に不安が襲ってきます。出張や研修にいけないことで職業選択が狭まったり、遠出が不安なせいで好きなアイドルのライブにいくのも一苦労です。(何日も前から、行きたくない怖い吐きそうと焦り吐き気が出る)
なんだかんだで当日は不安に思うほどではなかったりします。でも不安は消えません。

何の病気なんでしょうか?この症状のせいで生きるの苦しいです
薬で治るんでしょうか?完治ではなく、あくまで症状を抑えるということしか出来ないのでしょうか


>>>管理人


治そうとしたり、治ろうとする時に限って、意に反してそういった状況になると思います、言うなれば『予期不安』と言った状態だと思います。神経症の中の不安症とかと言った類だと思います。

そこで神経症になるきっかけと治るきっかけを書いてみたいと思いますので参考にして下さい。

神経症を治す事は、本人しか出来ません、その理由は神経症を治すためにどんなに優秀な医師に掛ったとしても医師が出来る事には限界があるからです。本人が治る事を理解する以外はないと思います。

貴方が神経症に付いてしっかりと理解することが一番近道になると思います。

貴方の(予期)不安症は、貴方の性格と育った環境から育まれていると思いますが、貴方がこの人生を達観出来たり、人間の性質を学んで、人間そのものを達観出来た時には治りますので、余り焦る事なく地道に学んで行く事が大事と思います。

初めに神経症とは何なのかと、なぜ神経症になるのか?を説明したいと思います。

神経症とは『意識した内容の内、気に入らないとか、受け容れたくないと思った事柄を、心から追い出しを図ろうとする事で発症します。』

ですのでその症状はありとあらゆる事柄が症状になりうる、という事になります。つまり気に入らないと思った事を意識して追い出そうとする事が即症状になっています。

気に入らないと思った事が『症状そのもの』という言い方が可能になります。気に入らないと『意識した内容=症状』という意味です。

ですので『治したいと意識した内容が=で症状になっています。』或は治そうとする事が神経症という意味になっています。

ですので完治するという意味は、『治そうとしなくなった時』という事を意味します。

貴方の場合では貴方の症状"吐き気、えずき、バクバクする感じ、とにかくどうしようどうしようと焦る"といったような事を避けようとする事で反って招き寄せています。

神経症の中で吃音というものがありますが、吃音にならないで話をしようとする時だけ吃音になっています。演劇などで『吃音で話をする役柄』を演じようとした場合では吃音で話が出来ないといった現象が現れるようです。それは、演技だとしても吃音を受け容れた状態で話をしているからです。

この方法を『逆説志向』と云うようです。

不安症の場合でも効き目があるようです、貴方に症状らしきものが出そうになった時、症状よもっと強く出よ!と思う方法です。

出た症状を出ないように工夫したり、感じないように工夫をすることで、かえって意識に上げてしまって強く感じています。症状を無くしたいと『心の中で自分の心を操作する事が、症状を作り出しています。』

貴方が治るという事を書いてみたいと思います。逆説志向を試みた瞬間に治っていますが、本格的に治るという意味を書いてみます。

貴方に症状らしきものが出たとしても、貴方はもう症状らしきものを恐れる事が無くなっています。その為に、逆説志向さえもする必要が無くなっています。そうしてその症状らしきものとは、本来的に貴方に備わっている『誰にでもある普通の感覚』だったことを了解します。

『誰にでもある普通の感覚』を貴方が余りにも嫌う事によって、意識上に上げて追い出しを図る事で『異常な感覚=症状』にまで大きくしていた事が分かります。
治った後では、そういった感覚を受け容れる事が出来たために、只の普通の感覚として感じるだけになっています。症状らしきものはありますが、貴方が『右往左往する事が無くなった事によって』症状としては成立し得なくなっています。

此処まで来た時には『神経症の症状を受け容れる事が出来た事によって』神経症だった事も治った事もすっかり忘れ果てる様になっています。


これが神経症が完治した姿です。

症状は治る事はありませんが、症状を受け容れる時、症状が只の感覚に変化をしています。これが症状の消滅です。治そうとしなくなった時が治る時になります。
 

荒らしを起こさない方法

 投稿者:人に必要なのは我慢ではなく腑に落とす事  投稿日:2018年 1月 3日(水)18時00分7秒
  我慢を与えては逆効果

自分にとって不愉快な対象者がいた場合、自分はさっさと相手をただの風景だと思って受け入れてしまえばいい。
そのようにして受け流すと、あら不思議、荒らしは自然におさまります。
受け入れられる事で相手は流れ去っていく。
我慢を与えられるほど状況は長引きます。
これは神経症にも言える事。

これは自然の法則です。
 

斎藤 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 1日(月)14時07分41秒
  治ったとか治らないとかを問題にしない世界に入る事は、貴方の書いた通りと思います、従って治らない人は気持ちが悪いとか、治った世界は気持ちが良いとかを言う事が無くなるという事だと思います。

日頃から貴方の言っている事を書く時はこのようなチグハグだと感じた時だけです。

神経症が完治した世界とは、神経症の症状をすっかり受け入れてしまう時です、同じ『湧き上がった感覚』を受容した時が完治した時であって、毛嫌いしている時は神経症の真只中にいる事を証明している事を意味すると思います。

神経症者は気持ちが悪いと言い切る人はどっちかな?
 

完治

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 1月 1日(月)08時22分35秒
  神経症とは完治根治を言いながら一生を終わる精神病です。だからファン氏も間違っているし、
答えている管理人も間違っている。神経症が治るとは、完治根治はどうでもよい世界に移る
ことなのです。
 

実績などは無ければ無いほど良い

 投稿者:ファン  投稿日:2017年12月31日(日)13時11分10秒
  詳しくは存じ上げませんが、管理人様は神経症を完治されてから、お世話になった人の所へわざわざ挨拶に行く暇などなかったのではありませんか。
ですから、こちらの掲示板によって治られた方がいたとしても、わざわざこちらに引き返す必要のない治りを与えて頂きたい。
相手の自立を後押しして頂きたい。
ですから、管理人様はずっとそのままで在ってください。
 

不問について

 投稿者:  投稿日:2017年12月30日(土)09時08分34秒
  次は管理人さんに少しだけ。

不問というものは、問題にしないという事であり、これは他人に対しても同じ事と思います。
人は相手を問題にした時に、相手と自分との正しさの押し付け合いの争いが始まります。
つまり、本来の不問に生きるのであれば、斎藤さんと管理人さんの考え方の違いも、取り立てて問題にはなりません。
世の中に間違った情報を流して欲しくないと思うのは、管理人さんの考え方をただ押しつけるだけになってはいないだろうか。
自分とは違った考え方の他人は、自然にある景色同様にありのままで受け入れていく事が、現実を受け入れるという事ではないだろうか。
斎藤さんとの言い争いは、斎藤さんの幸せを置き去りにして、世の中の幸せしか見えていないという事にはならないだろうか。
自分は遠くではなく自分の目の前の現実を幸せなものにしていくしかありません。
これが世の中に繋がっています。

わたし自身もただの景色として受け入れて頂ければ、わたしへの返信は無用だという事がわかるはずです。
お互いに一緒に生きていく関係性ではない相手とは、お互いに共感してる暇があるなら、さっさとここを卒業してください、というのがここの掲示板がやりたい事ではないですか。

わたしをただの景色として受け入れて頂ければ幸いです。

今までありがとうございました。
海より。
 

以前の者さんへ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月30日(土)08時38分5秒
  道様の言われる通りと思います。神経症は他人から見た場合では神経症か?如何か?という事は全く分かりません。自分さえ黙って生活してゆくなら殆ど分からないと思います。

只、神経症が激しく出ている時は、少々おっちょこちょいな面があるかも知れませんが、気を付けてゆく外はないと思います。
 

以前の者さんへ

 投稿者:  投稿日:2017年12月30日(土)08時27分28秒
  少しだけ書きます。

あなたは管理人さん以外の人はスルーしてくださいと書かれていましたが、世の中、自分とは違う考え方を持った他人も存在しており、自分が思った通りにはなかなかいかないものであり、それも受け入れながら生きていくというのが不問にも繋がります。

あなた、色々聞きたいことがあるようですが、答えを他人に求めるからなかなか進めなくなるわけなので、考えるなと言っても考えてしまうなら、答えは自分で出すしかありません。
自分は自分の答えで生きていくものです。
そうして、あとは生活していくだけです。
そうしていくと、他人からは神経症が見えなくなっていき、苦しいかもしれませんが、そのままあなたの個性として、生活に溶け込めます。
 

気が強い=メンタルが強いってわけじゃないですよね?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月29日(金)11時28分1秒
  気が強い=メンタルが強いってわけじゃないですよね?
メンタルが強いとは、どういうことですか?



>>>管理人


気が強い人は、自分を持っていて自分の考えを曲げない人だと思います。そういう場合では世の中が変化してゆく中では、大変な場面に遭遇する可能性があると思います。

一方メンタルが強いという意味は、今の逆で自分を持っていないという意味あいがあると思います、この意味はその時々の状況に置いて、その状況に自分を合わせてゆくという意味になると思います。

戦国武将で言うなら武田信玄と上杉謙信の二人を上げる事が出来ると思います。相手の出方によって一つ一つ適切な手が打てるという意味があります。何があっても動揺する事なく、打つ手が見えているといった意味になると思います。従って何回戦ったとしても負ける事が無い事を意味します。

現実に、今現在の打つ手が見えていて、適切な指示が出来る事が戦国武将とか、今の企業に置いての先頭に立つ人の資質だと思います。

メンタルが強いといった適切な話をするなら、優勝が掛かった一打を打つ時の心持で説明すると分かり易いと思います。あべこべにメンタルが弱いという説明をして、精神衛生においては何が大切なのかも少し述べてみます。

優勝が掛かった一打を打つ場合とか、真剣勝負に置いての優劣を決める決め手とかは同じ事を説明する事で事が足りると思います。その決め手とは『如何に自分を捨てていて、自身の無意識に任せきれるのか?』という事になると思います。

人間は良く観察をした場合に気が付きますが、意識が二つありますそれは、”自我意識”と自分の中にある自分の”無意識”という意識です。メンタル面が弱いという場合では『自意識過剰』と言う面が強調されて、無意識の自分の出番が失われてしまう場合です。

メンタルが弱い場合に一番先に表れるものに、神経症というものがありますが、様々な症状が有りますが、どんなに症状が違ったとしても『原因は一つだけです。』のでその原因を取り除いた時にはピタリと神経症の症状も治まる事を意味します。

吃音にしても、書痙にしても、不眠症にしても、強迫観念にしても、挙句の果ては自律神経失調症などや、難治性と言われている心身症も同じく治まります。

その原因は簡単に言い表す事が出来ます。『自意識過剰』という言い方が分かり易いと思いますが、無意識の力を借りる事が出来なくなっている事が原因です。

人間の意識が二つある証拠を示している動画です、見て下さい。



https://youtu.be/AZZ1vXerxYQ



本題に戻ります、メンタルが強い場合では、緊張する場面、優勝が掛かった一打を打つと言った場合でも、普段通りの練習と同じに『無意識の自分に任せる事が出来た場合を指しています。』この逆に緊張してしまって優勝が頭を駆け巡ってしまって、『自意識過剰な状態になってしまって、自意識が体と心を支配してしまう事』になるかも知れません。

人間の身体も心も『自意識』では自由に働かせる事が出来ないように出来ています。体を動かすといった場合でも、口でも耳でも、心臓でも呼吸でも、ホルモンの分泌でさえも自在には動かせないようになっています。

これ等を自由に動かせると思い込んでいる事が精神疾患などの始まりになっていると考えられます。

眠る事でさえ子細に見てゆくと、眠る前段階に『自意識は無くなっています。』此処で無意識の自分に交代をして、深い眠りが始まっています。朝になって身体と心がしっかり休まったと思われるのは、”自意識という心は”『無意識の自分に、身体と心をすっかりと預けてしまって、本当に休んでいたからです。』

無意識の自分は、二十四時間、自分の身体と心を維持して守っています。言い方を変えるなら『自分の生命維持機能』と言った面があります。自律神経失調症などの原因は、自身の生命維持機能をすっかり疑って、『自意識で自身の生命維持機能の代わりをしようとしている事を意味します。』

キリストが言う様に『貴方は自分の意志(自我意識)では髪の毛一本でさえも白くする事さえ出来ない』という事です。自身の命の働きに守られている事を知る事で全ての疾患は完治します。

自意識(左脳の意識)VS右脳の意識=生命維持機能=自身の無意識の対立が精神疾患の原因を示しています。その反対が、『自意識』と『無意識』とが脳梁の中で出会う体験です。

その体験以後、もう二度と出番争いをする事が無くなります。何時も心の中が静まり返っています。その様を、涅槃寂静、と仏教では言い表しているようです。心の矛盾が解消された姿を示しています。

今の医師の職業に置いての自殺率は精神科医が一番高い様になっているようです。人間は如何して苦しむように出来ているのか?と言った疑問が宗教心を呼び起こしているようです。

精神科医程宗教心が必要な職業はないと思います。何故なら人間の苦しみを根本から根こそぎ取り去ってくれるものが宗教の教えになっているからです。

精神疾患の完治と言った内容が宗教の根本教義として、今も、将来も受け継がれて行く事になると思います。神とは、自身の『生命維持機能を指しています。疑う時、漠然とした不安感、或は何処から押し寄せてくるのか分からない、得体の知れない不安感に襲われることがあります。』

こう言った不安感を『原罪』とか『業』と言っていたと思われます。

この原因は『無意識の自分の出番が少ない事を示しています=”無意識”の出番要請』を自分の脳が要求しているといった意味になります。

 

以前の者 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月28日(木)06時11分38秒
  管理人様のみの、回答をお願い致します。


>>>管理人


貴方の文章を読みました、貴方の気持ちはわかりました。貴方の聞きたい気持ちも分かります。

此処が堪え(こらえ)時だと思います。


自身の気持ちを堪えて、聞きたい事も不問にする事、そうして自身は『言葉のない世界に入って行く事』=『斎藤氏の言葉を借りるなら、雑用をする事』が大事と思います。


 

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