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お互いに学び合う

 投稿者:ファン  投稿日:2018年 1月 8日(月)13時13分17秒
  大人と子供はそういう関係です。
比較してバカにし合う関係ではない。
そもそもが違うのだから。
親が子供から教えられるとはよく言ったもの。
大人が子供から教えられる事を拒めば、世の中変化していきません。
 

補足(説明必須)

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)21時59分50秒
  子供の頃に誰からも納得させて貰えなかった感情を自分自身で納得させようとして神経症が発症することがある。
だから説明は大事です。

納得する言葉が自分の中から見つからない場合は、他人の言葉で自分自身に気づくしかありません。
けれどそれは元々から自分の中にあった答えである為、他人に恩を感じる必要もないし、恩を感じさせて相手を自分のところに引っ張ってはいけない。
独り立ちを後押しするべきです。
 

説明必須

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)21時48分35秒
  神経症者を人間扱いしないというのは、子供を人間扱いしないのと同じ。

感情ばかりを自由にされ、根気のいる説明を省かれて育った子供は、自分の感情を納得させる為の言葉を探すようになる。
これが将来神経症という状態に繋がってしまう事もある。

感情を納得させる言葉を人は探し求めるものです。
これは、子供の頃に置き去りにされた感情です。
だから納得させてあげる必要がある。
大人だとか子供だとか神経症や健常者なども関係ない。
 

学ばなければいけない事は何もなかったと悟る事

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)21時14分21秒
  ここで神経症の悪循環に出口が見え始める。
神経症自体が学びの最中に在る状態。
ここに気づいて受け入れられるかどうか。

ここまでくるまでには答えを探し求める。
自分は自分が納得するまでやり尽くさなきゃ未練が残り後戻りする事になる。
やり尽くす自由を無理やり奪えば未練が残る。
だから説明は大事です。

人は納得して受け入れるものです。
神経症者を人間扱いしない人には到底出来ない芸当だ。
 

斎藤 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 7日(日)20時15分5秒
  貴方が書いたものが全てであるなら、貴方のホームページに書いてある記事も学んでも何にもならないといった意味になると思いますが、人生には学ぶ事によって神経症から離れて行くことも出来る体験があると思います。

そうでないとしたらあなたが本屋で立ち読みした瞬間に治ったというは話は嘘になると思います。
 

吉本 様 光 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 7日(日)20時08分13秒
  御二方様、いつも見て頂きまして有難う御座います。このホームぺージを開設して早、10年が過ぎました、何時も書く事が同じになってしまって、目新しい事も何もなくて推移しています。

神経症になる原因と治るきっかけは時代を超えて同じという事を書いていますと唯々単調な言葉の羅列になってしまっています。『本当は何か教えて欲しかったのですが、僭越ながら管理人様のメッセージは全て得ています。うーむ、大変です。 』

こういった事に実際に答えてゆくように今年はやってゆきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 

同等に感じない相手との相互間会話は無意味

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)19時34分16秒
  人が、相手と同類に思えないのであれば、それはあなた側の認識。
こちら側の認識はあなたとは違う場合がある。
そうなるといくら話してもお互いの認識は交わる事はない。
だから会話の必要性はない。
自分の認識は相手の認識とは違う。
人は皆それを受け入れるべきだ。

人が人を理解するとは、お互いの認識が一致して初めて成り立つ。
わたしはあなたを理解していると言っても、相手が自分は理解されていないと思えば、自分は相手を理解してるとは言わない。
理解を押し付け合うだけ時間の無駄だ。
ただ相手は存在しているという現実には変わりがないだけだ。
 

学ぶ

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 1月 7日(日)15時46分32秒
  神経症とは精神病であるから、学べば治る対象ではない。学べば治ると信じつつ、
一生学びを求めて終わる強迫状態の自分にストップをかけられるかどうかの問題である。
 

実践とは

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)00時17分12秒
  学んできた事が生きる知恵に変換される事。
勉強というのは本来はこういうもの。
神経症完治の状態は神経症時代があってこそ。
今が神経症の状態であっても、過去の自分の全てがあってこその今だ。
これは全ての人が同じだ。
人生はそれぞれがそれぞれの学びをそれぞれにしているだけだ。
神経症者で言えば神経症という実践を今しているというのが現実だ。
神経症に生きることは正解ではないが間違いでもない。
 

心得は分かります

 投稿者:吉本  投稿日:2018年 1月 6日(土)23時06分50秒
  このホームページに出会ってから久しく、管理人様のメッセージのみならず広く仏教に触れたりしまして自分の中で心得はあります。けれど我というのはなかなか離れません。だからと言ってなにか、ということも無いのですが人生というものはなかなかにしんどいですね。
本当は何か教えて欲しかったのですが、僭越ながら管理人様のメッセージは全て得ています。
うーむ、大変です。
 

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