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補足(説明必須)

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)21時59分50秒
  子供の頃に誰からも納得させて貰えなかった感情を自分自身で納得させようとして神経症が発症することがある。
だから説明は大事です。

納得する言葉が自分の中から見つからない場合は、他人の言葉で自分自身に気づくしかありません。
けれどそれは元々から自分の中にあった答えである為、他人に恩を感じる必要もないし、恩を感じさせて相手を自分のところに引っ張ってはいけない。
独り立ちを後押しするべきです。
 

説明必須

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)21時48分35秒
  神経症者を人間扱いしないというのは、子供を人間扱いしないのと同じ。

感情ばかりを自由にされ、根気のいる説明を省かれて育った子供は、自分の感情を納得させる為の言葉を探すようになる。
これが将来神経症という状態に繋がってしまう事もある。

感情を納得させる言葉を人は探し求めるものです。
これは、子供の頃に置き去りにされた感情です。
だから納得させてあげる必要がある。
大人だとか子供だとか神経症や健常者なども関係ない。
 

学ばなければいけない事は何もなかったと悟る事

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)21時14分21秒
  ここで神経症の悪循環に出口が見え始める。
神経症自体が学びの最中に在る状態。
ここに気づいて受け入れられるかどうか。

ここまでくるまでには答えを探し求める。
自分は自分が納得するまでやり尽くさなきゃ未練が残り後戻りする事になる。
やり尽くす自由を無理やり奪えば未練が残る。
だから説明は大事です。

人は納得して受け入れるものです。
神経症者を人間扱いしない人には到底出来ない芸当だ。
 

斎藤 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 7日(日)20時15分5秒
  貴方が書いたものが全てであるなら、貴方のホームページに書いてある記事も学んでも何にもならないといった意味になると思いますが、人生には学ぶ事によって神経症から離れて行くことも出来る体験があると思います。

そうでないとしたらあなたが本屋で立ち読みした瞬間に治ったというは話は嘘になると思います。
 

吉本 様 光 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 7日(日)20時08分13秒
  御二方様、いつも見て頂きまして有難う御座います。このホームぺージを開設して早、10年が過ぎました、何時も書く事が同じになってしまって、目新しい事も何もなくて推移しています。

神経症になる原因と治るきっかけは時代を超えて同じという事を書いていますと唯々単調な言葉の羅列になってしまっています。『本当は何か教えて欲しかったのですが、僭越ながら管理人様のメッセージは全て得ています。うーむ、大変です。 』

こういった事に実際に答えてゆくように今年はやってゆきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 

同等に感じない相手との相互間会話は無意味

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)19時34分16秒
  人が、相手と同類に思えないのであれば、それはあなた側の認識。
こちら側の認識はあなたとは違う場合がある。
そうなるといくら話してもお互いの認識は交わる事はない。
だから会話の必要性はない。
自分の認識は相手の認識とは違う。
人は皆それを受け入れるべきだ。

人が人を理解するとは、お互いの認識が一致して初めて成り立つ。
わたしはあなたを理解していると言っても、相手が自分は理解されていないと思えば、自分は相手を理解してるとは言わない。
理解を押し付け合うだけ時間の無駄だ。
ただ相手は存在しているという現実には変わりがないだけだ。
 

学ぶ

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 1月 7日(日)15時46分32秒
  神経症とは精神病であるから、学べば治る対象ではない。学べば治ると信じつつ、
一生学びを求めて終わる強迫状態の自分にストップをかけられるかどうかの問題である。
 

実践とは

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 7日(日)00時17分12秒
  学んできた事が生きる知恵に変換される事。
勉強というのは本来はこういうもの。
神経症完治の状態は神経症時代があってこそ。
今が神経症の状態であっても、過去の自分の全てがあってこその今だ。
これは全ての人が同じだ。
人生はそれぞれがそれぞれの学びをそれぞれにしているだけだ。
神経症者で言えば神経症という実践を今しているというのが現実だ。
神経症に生きることは正解ではないが間違いでもない。
 

心得は分かります

 投稿者:吉本  投稿日:2018年 1月 6日(土)23時06分50秒
  このホームページに出会ってから久しく、管理人様のメッセージのみならず広く仏教に触れたりしまして自分の中で心得はあります。けれど我というのはなかなか離れません。だからと言ってなにか、ということも無いのですが人生というものはなかなかにしんどいですね。
本当は何か教えて欲しかったのですが、僭越ながら管理人様のメッセージは全て得ています。
うーむ、大変です。
 

何の病気、完治はするんでしょうか

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 4日(木)19時52分22秒
  何の病気、完治はするんでしょうか


幼少期から、
修学旅行、遠足、外食、長期休み明けの給食などが苦手でした。

症状は"吐き気、えずき、バクバクする感じ、とにかくどうしようどうしようと焦る"です。過呼吸などは起きていないです。

社会人になった今も治らず、緊張する場面や外食、遠出、食後に不安が襲ってきます。出張や研修にいけないことで職業選択が狭まったり、遠出が不安なせいで好きなアイドルのライブにいくのも一苦労です。(何日も前から、行きたくない怖い吐きそうと焦り吐き気が出る)
なんだかんだで当日は不安に思うほどではなかったりします。でも不安は消えません。

何の病気なんでしょうか?この症状のせいで生きるの苦しいです
薬で治るんでしょうか?完治ではなく、あくまで症状を抑えるということしか出来ないのでしょうか


>>>管理人


治そうとしたり、治ろうとする時に限って、意に反してそういった状況になると思います、言うなれば『予期不安』と言った状態だと思います。神経症の中の不安症とかと言った類だと思います。

そこで神経症になるきっかけと治るきっかけを書いてみたいと思いますので参考にして下さい。

神経症を治す事は、本人しか出来ません、その理由は神経症を治すためにどんなに優秀な医師に掛ったとしても医師が出来る事には限界があるからです。本人が治る事を理解する以外はないと思います。

貴方が神経症に付いてしっかりと理解することが一番近道になると思います。

貴方の(予期)不安症は、貴方の性格と育った環境から育まれていると思いますが、貴方がこの人生を達観出来たり、人間の性質を学んで、人間そのものを達観出来た時には治りますので、余り焦る事なく地道に学んで行く事が大事と思います。

初めに神経症とは何なのかと、なぜ神経症になるのか?を説明したいと思います。

神経症とは『意識した内容の内、気に入らないとか、受け容れたくないと思った事柄を、心から追い出しを図ろうとする事で発症します。』

ですのでその症状はありとあらゆる事柄が症状になりうる、という事になります。つまり気に入らないと思った事を意識して追い出そうとする事が即症状になっています。

気に入らないと思った事が『症状そのもの』という言い方が可能になります。気に入らないと『意識した内容=症状』という意味です。

ですので『治したいと意識した内容が=で症状になっています。』或は治そうとする事が神経症という意味になっています。

ですので完治するという意味は、『治そうとしなくなった時』という事を意味します。

貴方の場合では貴方の症状"吐き気、えずき、バクバクする感じ、とにかくどうしようどうしようと焦る"といったような事を避けようとする事で反って招き寄せています。

神経症の中で吃音というものがありますが、吃音にならないで話をしようとする時だけ吃音になっています。演劇などで『吃音で話をする役柄』を演じようとした場合では吃音で話が出来ないといった現象が現れるようです。それは、演技だとしても吃音を受け容れた状態で話をしているからです。

この方法を『逆説志向』と云うようです。

不安症の場合でも効き目があるようです、貴方に症状らしきものが出そうになった時、症状よもっと強く出よ!と思う方法です。

出た症状を出ないように工夫したり、感じないように工夫をすることで、かえって意識に上げてしまって強く感じています。症状を無くしたいと『心の中で自分の心を操作する事が、症状を作り出しています。』

貴方が治るという事を書いてみたいと思います。逆説志向を試みた瞬間に治っていますが、本格的に治るという意味を書いてみます。

貴方に症状らしきものが出たとしても、貴方はもう症状らしきものを恐れる事が無くなっています。その為に、逆説志向さえもする必要が無くなっています。そうしてその症状らしきものとは、本来的に貴方に備わっている『誰にでもある普通の感覚』だったことを了解します。

『誰にでもある普通の感覚』を貴方が余りにも嫌う事によって、意識上に上げて追い出しを図る事で『異常な感覚=症状』にまで大きくしていた事が分かります。
治った後では、そういった感覚を受け容れる事が出来たために、只の普通の感覚として感じるだけになっています。症状らしきものはありますが、貴方が『右往左往する事が無くなった事によって』症状としては成立し得なくなっています。

此処まで来た時には『神経症の症状を受け容れる事が出来た事によって』神経症だった事も治った事もすっかり忘れ果てる様になっています。


これが神経症が完治した姿です。

症状は治る事はありませんが、症状を受け容れる時、症状が只の感覚に変化をしています。これが症状の消滅です。治そうとしなくなった時が治る時になります。
 

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