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高校生です。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月11日(日)12時42分9秒
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  高校生です。
パニック障害って、治す方法ありますか?
放っておくと治りますか?
病院には行けないです。


>>>管理人


パニック障害は昔の分類では神経症として扱われていたものです、この神経症という分類は今でも全く正解と感じている者です。その理由は如何なる精密な検査をしても異常が見つけられないものが『神経症に分類されていたからです。』

パニック障害に似た症状が昔ありましたが、そう言った症状が全て胡散霧消して、消えて無くなった経験がありますので、経験済みの症状として、或はパニック障害が治った先輩として書いています。

パニック障害を症状とする神経症全般に付いて説明します。神経症はノイローゼと言っても良いです、その理由は、感じている症状は『実際には存在していない症状』と言っても良いものだからです。頭の中に自身が受け取りたくないものとして想像を働かせることによって『逆に頭の中に自分で作り出している事柄だからです。』

とは言っても今の貴方には分からないと思いますが、私の書いたものを読んで置いて下さい、又私の言う事は信じなくとも良いですから、出来る事が在ったら実行して下さい、信じていなくとも実行しているだけでノイローゼから、距離を置く事が出来ると思います。又私の言う事が、腑に落ちる事が多くなって来たら、もう少しで治る時期に来ていると考えて貰っても良いと思います。

貴方が人間通とか人生に対して造詣が深くなるなら神経症は自然に治るようになると思います。神経症とは『自分自身に敏感な人や、不安になり易い人が』陥りやすい一つの形だからです。

『自分自身に敏感な人や、不安になり易い人が』という意味を始めに説明して置きますが、こういった事を教えてくれるところは余りないように見受けられます。こう言った神経症の症状を感じる人は、自分自身を細やかに或は敏感に観察している人の事です。

もう一つの見方として『心が健康な人』とは、自分自身の心の動きが余りにも順調に行っている事から、自分自身の『心の動きに異常が見付けられない人達』と言っても良いと思います。

では、こう言った神経症の症状を感じる人は、自分自身を細やかに或は敏感に観察している人の事です。という意味は自身の心の成り立ちに敏感という意味です。この説明をする場合では人間の脳の機能の説明が必要と思いますので一応説明したいと思います。

人間の心は脳の活動の一環だと思います。処で人間の脳内には『二つの人格』が存在しています。この人格が子供時代では一つの者として機能していましたが、思春期頃(中学生頃)に脳の機能分化が完成するようです。この場合でのキーワードは、二つあります。一つは脳の機能です、もう一つは各々の脳の機能にはその機能を統括する人格が備わっている事です。言い替えるなら機能が違う二つの人格が脳内に共存しているという意味です。

その証拠です、ウイキぺデアからのコピーです。


『スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、『二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。』この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きく寄与した。しかし、スペリーが明らかにした事実は、歪曲されたり拡大解釈されたりして世間に流布した。1981年ノーベル生理学・医学賞』

この左右の脳の機能の違いは大変重要な意味を持っています。又人類史とか宗教史にとっても重要な意味を持っています。その理由は世界中の宗教を一つにまとめてしまうほどの説得力を孕んでいるからです。

人間の心が大変な事になるきっかけを聖書では『失楽園』と書いていますが、脳の機能分化と一致しています。左脳の人格は『我思う故に我在り』という”我”ですが、顕在意識とも言っていると思います。ところがこの顕在意識に常に同居とか共存していながらも、絶えず見守りながら、情報を提供している者が在ります。その情報とは『言葉に依らない情報です。』

この情報を提供している者が『もう一人の自分』です。このもう一人の自分との出会いを釈迦は『悟りを開く』と表現していますが禅宗では『見性成仏』と表現しています。つまり『自性を徹見する。』という意味です。

キリスト教では神と(会って)和解するといった意味です。


聖書での『知恵が付いて神に隠し事をする(疑う)』という意味は、脳梁での情報交換を疑うという意味です。この意味を具体的に上げるなら、知恵が付いた為にイチジクの葉で身体を隠す事を意味します。この意味は『心が二つの人格に分かれたために、見ている自分と見られている自分』という風になってしまうので「恥ずかしい』という感情が生まれた事を意味します。

思春期頃から悩みや、苦しみが始まって、精神疾患が増えてくるといった背景が聖書に書いてあるように脳の機能分化が原点になっています。

右脳の人格は『生命発生装置兼生命維持装置』がその機能です。言葉を持っていない事が特徴です。常に危険を察知して、脳梁を介して顕在意識である自意識という心に伝えています。

つまり右脳の人格は『感情発生装置』という機能を持っています。この情報との付き合い方が様々な精神疾患を形作っていると考えられます。

高いところの情報とか、狭いところの情報とか、人間に在った時の印象とか、異性の印象とか、広いところの情報とかあらゆる場面での情報が在りますが、そう言った情報とその情報を送る者を嫌ってしまう事が『神経症が発症する原因を作っています、』

如何なる精密検査を行っても異常が見付けられないという意味は、その原因が脳内の『疑い』(神を疑う=失楽園)にある事を意味します。

現実に貴方のパニック障害が治る為に必要な事を書いてみたいと思います。

パニック障害の原因は貴方の脳内で感情が沸き上がる瞬間に発生しています。ですが健常者にも発生していますが、貴方の場合では嫌っている事、受け取りを拒否しようとしている事が原因で幾度となく再送されて来ています。

パニック障害でも、、、、恐怖症でも心に送られてくる情報を着信拒否をする事が原因で再送されてきている事を意味します。現実的な貴方のパニック障害を乗り越える方策は他の神経症の対処方法とも重なりますが、『逆説志向』というものです。

パニックの症状が出そうになった時、薬には頼らないで、”もっと強く症状よ出よ!”と望む事が有効です。人間の心は天邪鬼に出来ていますので、望む事が反対に出てくる性質があるからです。

神経症程望む事が逆に作用するものは無いのかも知れません。

神経症が治った姿を書いて貴方の助けになる事を望んで終わりにします。

神経症は様々な症状が在ります、その症状は全く違う様に見えていますが、発症するメカニズムは一つだけです。症状は『意識する中』に発症しています。そうしてその症状が意識した結果の産物です。その原因は『忌み嫌う事=受け取りを拒否している事』です。

従って神経症が治った姿は『症状が在っても無くとも、どっちだっても構わない』となった時です、言い方を替えるなら『症状を受け容れる時』です。他の言い方をするなら『症状を治そうとしなくなった時』です。

貴方の場合で表現するなら『パニックの症状が出ようとしたとしても、出ても良し出なくとも良し』となった時です。出ると困るから出ないように工夫する時だけ出ているだけだとしっかりと理解出来た時に治っています。

ですので、神経症の性質を逆に利用した『逆説志向』を徹底する時、症状を受け容れる事を意味しますので、確実に治る事が出来ます。


最後にもう一つ付け加えて置く事が在ります、それは思春期頃に二つになったもう一つの人格の説明です。もう一つの意識である『命を働かせている人格』は、機能分化が完成する頃に『無意識の底深く潜っています。』この意識と自意識との関係性を『禅』では『没交渉』と表現していますが、見性した体験からは『今更お前は誰だか?』と聞く必要などなかったとも表現しています。

遠い他国で妻(父親)に出会ったようだ、或は暗闇で妻(父親)に出会ったようだ、今更お前は誰かと聞く必要など無かったと、ものの本に書いてあります。

それと見性すると、究極の癒しが完成すると言われている内容は、不安とか恐怖の最大のものが『死の恐怖』と思われますが、全ての精神疾患の元凶に存在ものは多かれ少なかれそう言った死に対する恐怖が存在しているものと推察出来ます。

自意識の機能は計算する機能から成り立っています、その機能が発達する事で言葉が発達したと思われますが、計算する機能とは、言葉を替えて表現するなら『有限の世界』をしっかり把握するといったものになると思います。他の言い方をするなら『有限の世界から出られないもどかしさ』も同時に感じている事が人間の苦しみにつながっています。或は永遠の世界を希求する事にもつながっていると思います。

無意識の底深く潜りこんだ人格は、元を辿るなら、生まれたものでも無く、無くなるものでもなくて、永遠からやって来て、又永遠に戻ってゆくといったものです。つまりしっかりと永遠を把握していて、自意識に永遠を希求させている者と言った位置関係です。

従って二つの意識の出会いによって、自意識は死の恐怖から解放されて、元々自分自身が永遠の存在であったことに気が付きます。そうして人間の苦しみの元凶は『神を疑う事=機能的に出来ない事までも自分が出しゃばろうとしている事。』に気が付くといった意味が在ります。

神経症は、自意識が持っていない機能を持っているものと勘違いをして、無意識の出番を封印している事に相当します。『見性=出会う事』によって、お互いの機能によって出番がある事を確認出来たために、もう二度と出番争いをしなくとも良くなる事を意味します。『神に会って和解する事』を意味しますので『心の中は何時も静まり返っています。』この境涯が、涅槃寂静です。

脳卒中の為に九死に一生を得た脳科学者の動画が在りますので乗せて置きます。この中での注目点は『全てを諦めた事によって、右脳の人格=神=無意識の自分の意識』が自意識の前に表れた事だと思います。釈迦と同じように『涅槃』を言っています。



URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM










 
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